【日時】2025.5.16.(金)19:00〜
【会場】サントリーホール
【管弦楽】東京都交響楽団
【指揮】クシシュトフ・ウルバンスキ
〈Profile〉
Krzysztof URBAŃSKI
クシシュトフ・ウルバンスキの24/25シーズンのハイライトは、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団、バイエルン国立管弦楽団、バンベルク交響楽団への復帰と、チューリッヒ歌劇場でのベートーヴェンの「フィデリオ」公演である。
バイエルン放送交響楽団、ベルリン・フィル、ドレスデン・シュターツカペレ、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、ロンドン交響楽団、フィルハーモニア管弦楽団、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団、パリ管弦楽団、シカゴ交響楽団、ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団、サンフランシスコ交響楽団などに客演。
クシシュトフ・ウルバンスキは、インディアナポリス交響楽団の音楽監督(2011~2021年)、トロンハイム交響楽団の首席指揮者兼芸術監督(2010~2017年、2017年には名誉客演指揮者に就任)を務めた。東京交響楽団首席客演指揮者(2012~2016年)、NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団首席客演指揮者(2015~2021年)。
現在、ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽・芸術監督、ベルン交響楽団の首席指揮者、スイス・イタリアーナ交響楽団の首席客演指揮者を務める。
【独奏】アンナ・ツィブレヴァ(Pf.)
〈Profile〉
アンナ・ツィブレヴァは、2015年にリーズ国際ピアノコンクールで優勝。一躍国際的な注目を集めたほか、国際ギレリス・ピアノコンクール優勝(2013年)、浜松国際ピアノコンクール(2012年)、高松国際ピアノコンクール(2014年)などの主要なコンクールでも入賞を果てしている。
ツィブレワは、アムステルダム・コンセルトヘボウ、ルツェルン・コンサートホール、パレ・デ・ボザール、ルクセンブルク・フィルハーモニー、上海東方芸術センター、チューリッヒ・トーンハレ、ロンドンのウィグモア・ホールなど、数多くの国際舞台でリサイタルを実施。
コンチェルトのソリストとして、ドルトムント・フィルハーモニー管弦楽団、フランクフルト交響楽団、ルツェルン交響楽団、北西ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団、オルケスタ・エストレマドゥーラ、ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団、東京都交響楽団などと共演するほか、アラン・アルティノグリュ、マーク・エルダー、ジョナサン・ヘイワード、ミハウ・ネステロヴィチ、ユーリ・テミルカーノフ、クシシュトフ・ウルバンスキ、ダンカン・ワードなど、高名な指揮者と共演を果たしている。
ツィブレヴァはレコードレーベルのシグナム・クラシックスとマルチディスク契約を結び、ドビュッシー:前奏曲全集(2024年)を最新リリース。2022年には、自身主催の「アルテルソノ音楽祭」を立ち上げた。
【曲 目】
①ペンデレツキ『広島の犠牲者に捧げる哀歌』
(曲について)
曲に記載された演奏時間はおよそ8分37秒である[3][4]。元々「8分37秒」という名で作られたこの曲は音響作曲法を曲頭から最後まで用いている。音響作曲法では、より自由な形式とともに厳格な対位旋律を生み出そうと、音色・テクスチュア・アーティキュレーション・音の強弱・旋律進行といった曲の特徴に着目することが多い。
荘厳で悲劇的な印象を与えることが多く、哀歌(英語版)という題名を与えられているが、作曲当初から反戦メッセージとして構想されたわけでは全くない。演奏時間のみの題名が表すように初めは「やや抽象的な想像の中のみに曲が存在していた」が、実際の演奏を聴くと「作品の情緒的な迫力に感銘を受けた。連想される事柄を探し求め、最終的には曲を広島の原爆犠牲者に捧げることにした。」とペンデレツキは後に述べている。ペンデレツキは、広島市長に宛てた1964年10月12日付の手紙に「『哀歌』が、広島の犠牲が忘れ去られることは決してなく、失なわれてしまうこともなく(...)との、私の深い信念をあらわすものとなることを願っております」と記している。
1990年にペンデレツキはハンブルク北ドイツ放送交響楽団の広島公演を自ら指揮して広島初演を果たした 。
②ショスタコーヴィチ『ピアノ協奏曲第2番 ヘ長調 op.102』
(曲について)
ドミトリー・ショスタコーヴィチ(1906~75)は、ピアノ、ヴァイオリン、チェロのために、それぞれ2曲の協奏曲を作曲した。このうち、ヴァイオリン協奏曲とチェロ協奏曲が、どれも交響曲と並ぶ規模と内容を持つ力作であるのに対し、2曲のピアノ協奏曲が、ユーモラスで比較的軽い小品であるのは興味深い。
ピアノ協奏曲第2番は、1957年初頭に、作曲者の息子で、当時まだ学生だったマクシム・ショスタコーヴィチ(1938~)のために作曲され、彼に献呈された。初演は、マクシムの19歳の誕生日でもあった同年5月10日に、マクシムのピアノ、ニコライ・アノーソフ(1900~62)の指揮によって行われた。ただ、その後この曲をしばしば演奏したのは、やがてピアニストでなく指揮者となったマクシムではなく作曲者本人で、彼は各地の演奏会にこの曲の独奏者として出演しているだけでなく、2度の録音も残している。
曲は、オーソドックスな3楽章から成り、オーケストラは、金管がホルンしか使われていないなど、古典派の作品を思わせる小編成となっている。明快でユーモアに満ちた曲想は、息子のために書いた作品だからということもあるだろうが、弦楽四重奏曲第6番(1956)など、この時期のいくつかの作品に共通する特徴でもある。(増田良介)
③ショスタコーヴィチ『交響曲第5番 ニ短調 op.47』
(曲について)
ドミトリー・ショスタコーヴィチ(1906~75)の交響曲第5番は、彼の作品の中ではもちろん、20世紀に書かれたすべての交響曲の中でも最もよく演奏される作品の一つだ。
1936年1月、ソ連共産党機関紙『プラウダ』(すなわちソ連当局)によって、ショスタコーヴィチの歌劇『ムツェンスク郡のマクベス夫人』が厳しく批判される。これによってショスタコーヴィチは、絶体絶命の危機に陥った。当時、最高指導者ヨシフ・スターリン(1878~1953)により、政治指導層はもちろん文化人も処刑/強制収容所へ送る大粛清が進行しており、文字通り生命の危険に直面したのである。
ショスタコーヴィチは、初演の準備がかなり進んでいた交響曲第4番を撤回する。そして新しく作曲したのがこの交響曲第5番だった。ベートーヴェン風の「苦悩から歓喜へ」という明快な構成をもち、輝かしいニ長調のフィナーレで終わるこの曲の初演は大成功を収め、ショスタコーヴィチはこれにより、事実上の名誉回復を果たした。
なお、初演を指揮したエフゲニー・ムラヴィンスキー(1903~88)は、このときがショスタコーヴィチとの初めての出会いだったが、彼らはこの成功をきっかけに親交を結ぶ。以後、作曲者は彼を非常に信頼し、多くの作品の初演を任せた。
さて、作曲者の存命中は、社会主義の闘争と勝利を描いていると何となく思われていたこの曲だが、1980年代以降、実は重層的な意味のある作品だという考え方が広がる。現在も、ビゼーの歌劇『カルメン』や、自作の歌曲「復活」の引用などを手がかりに、この曲の隠された意味を探ろうとする議論は絶えない。特に、作曲者がこの曲にスターリンに対する批判を込めたという考え方には支持者が多い。それは自然な考え方ではあるものの、その通りだと断定できるほどの手がかりはまだ出ていない。
スターリンの死後に発表された交響曲第10番において、第2楽章は「スターリンの肖像」だとする説が一時期広まったが、実は思いをかけていた女性の名前が織り込まれていた(第3楽章)ことが書簡から判明した例もある。ショスタコーヴィチの音楽は一筋縄ではいかないのだ。(増田良介)
【演奏の模様】
①ペンデレツキ『広島の犠牲者に捧げる哀歌』
〇楽器編成:オーケストラの編成は、24のヴァイオリン(4セクション)、10のヴィオラ(2セクション)、10のチェロ(2セクション)、8のコントラバス(2セクション)からなる。弦楽五部12型(6,6,5,5,4)×2 =(12-12-10-10-8)=52
ペンデレツキー(1993~2020)は、今回の指揮者、ウルバンスキーと同じポーランドの現代音楽の作曲家、亡くなったのはつい近年の事ですね。
非常に珍しい、難解な曲です。ものの解説に依れば、曲はトーン・クラスターをはじめとした様々な技法により構成されており、それらは太い黒線に満ちた視覚的表現と良く合致しているのだそうです。 また、音の長さは最後を除いては音価を書いていないのでかなりの不確定要素があるものの、秒数は指示されているので大きく逸れることはない。八村義夫はカノンなど伝統的な作曲手法が用いられていることを指摘し、「この作曲家は噪音的ないかにも急進的な外見にもかかわらず、古い意味での音楽のつくり方を大切にしている。」という。
最初から恰も蝉しぐれの林に入った様な、高音のシャーと言う音を一斉に鳴らし始めた弦楽奏者達、この合奏音が、高低を変えながら基本音として空間を支配し、時々響くB29の飛行音の様な唸り、又強いPizzicato音が何か激しい訴えを叫んでいる様な錯覚さえ呼び起こします。全体的に平和安寧のイメージはなく、タイトルの如く戦争や悲惨さ、不安を思い起こさせるには相応しいかも知れませんが、鎮魂歌的哀切を感じることは有りませんでした。又「広島」をイメージしたという事ですが、一般に「広島」=「原爆」の連想が普通であるにもかかわらず、曲終盤の全弦楽によるトーンクラスター(その理論がある様ですが、俄か勉強しても良く分からなかった)と言う音の群れ、塊り、は原爆を想起させる処は全然有りませんでした。 もともとその意味で作曲した曲では無く、タイトルも演奏時間を付したものを後に改名して、広島に捧げられた曲ですから、意味合いを考えること自体が無意味なのでしょう。
②ショスタコーヴィチ『ピアノ協奏曲第2番 ヘ長調 op.102』
〇楽器編成:ピッコロ、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、ティンパニ、小太鼓、独奏ビアノ 二管編成弦楽五部型14型
〇全三楽章構成
第1楽章 アレグロ
第2楽章 アンダンテ
第3楽章 アレグロ
この曲は結構演奏会でお目にかかる曲です。
すぐに思い出すのは、一昨年マケラ指揮オスロ・フィル来日演奏会で辻井君が弾いたのを聴きました。その時の記録を参考まで文末に(抜粋再掲1)しておきます。
木管による短い序奏のあとに出てくる第1主題(ピアノ)は、オクターヴで弾かれるシンプルな旋律と、ショスタコーヴィチらしいリズムのパッセッジから組み立てられています。同じくピアノのオクターヴで提示される第2主題は、憂愁を帯びています。
序奏の後すぐにピアニスト、アンナ・ツィブレヴァは軽快に弾き始めました。結構な速さ、打鍵の強さも先ず先ず、しかし途中からオケの合図でかなりの強打鍵のパッセッジに転じると、難なく弾いている様であっても、やはり女流ピアニストの多くがそうである様に、オケを牽引する力量はやや不安に思われてきました。
途中のPf.弱奏の箇所はとても綺麗な澄んだ音で、オケも静まりかえった様に寄りそって、彼女の面目躍如でしたが、そのパッセッジの後急激にオケと共にピアノソロも強奏に転ずると、明らかにオケの強さに負け気味の音量だったのです。これが明確になったのは、カデンツアを経たこの楽章最後の場面、オケとPf.が一目散に速いテンポの強奏で駆け抜けて終了する辺りでは、オケの音に飲まれてしまいました。
しかし第二楽章アンダンテでは、相当ゆっくりとした指使いで、丹念に音を紡ぎあげ、一般的に美しいとされるこの箇所を、この上ない位の心の発露から描いて見せた力量は、先日聴いたばかりのフランスの名ピアニスト、ミシェル・ダルベルトが言う「別な意味での超絶技巧(hukkats注)」に近い演奏だったと思います。
(hukkats注) https://www.hukkats.com/entry/2025/05/13/020642
2025-05-13神奈フィル+ミシェル・ダルベルト(Pf.)/ブラームス『コンチェルト1番+交響曲1番』を聴く
第三楽章も上記した音量不足は、ショスタコの巧みなオーケストレーションに隠れて、余り目立たなかったかも知れませんが、最後の最後、超速超強のパッセッジで、オケと重なるところではそれが顕わに出ていました。それにしても一楽章よりもかなりの猛烈なテンポ進行は、ピアニストの意向と言うよりは、やはりウルバンスキーの指揮進行に依ると思います。こうした超速演奏も、ツィブレヴァは何なくこなしていてほぼ完璧の演奏でしたが。
総じて彼女は、女流ピニストの美点を余すところなく表現して聴衆を魅せる演奏家だと思いました。
それにしてもショスタコーヴィッチには大変失礼かも知れませんが、深味は余り無い曲ですね。将に若いピアニストの指使い、表現の練習にはもってこいかも知れませんが。
演奏が終わると会場からは大きな拍手が沸き起こり、何回も舞台↔袖を行き交いしたピアニストは、アンコール演奏を始めました。これまたしっとりした心に響く演奏でした。
《アンコール演奏曲》ショスタコーヴィッチ『24の前奏曲Op.34』より第10番嬰ハ短調
《20分の休憩》
③ショスタコーヴィチ『交響曲第5番 ニ短調 op.47』
〇楽器編成:ピッコロ、フルート2、オーボエ2、小クラリネット、クラリネット2、ファゴット3(第3はコントラファゴット持替)、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、大太鼓、小太鼓、シンバル、トライアングル、タムタム、グロッケンシュピール、シロフォン、ハープ2、ピアノ(チェレスタ持替)、三管編成弦楽五部 16 型
〇全四楽章構成
第1楽章 Moderato
第2楽章 Allegretto
第3楽章 Largo
第4楽章 Allegro non troppo
この曲も割りと彼方此方で演奏されるので、どこか懐かしい気がする曲です。直近では昨年11月に、アンドレス・オロスコ・エストラーダ(前hr-オーケストラ音楽監督)指揮でN響の演奏を聴いていますので、その時の記録を、文末に(抜粋再掲2)して置きました。 詳細は割愛しますが、今回は非常に迫力もあるウルバンスキー・都響の演奏で、非常にダイナミックなウルバンスキーの解釈と、その指揮を積極的に支え様とする都響メンバー(特に各部処でのソロ演奏音を立てた精鋭奏者)の意気込みが伝わって来る聴き応えのある演奏でした。指揮するウルバンスキーの立ち姿は、こう言っては失礼かもしれませんが、まるで少年の様な立ち姿で(実際には40歳台半ばでしょう、)しかも多くの指揮者が、感情を込めて懸命にカラダ全体を使って指揮するケースが普通に見かけられますが、彼は冷静沈着、殆ど体を曲げず背筋をピンと張って、タクトと腕を僅かに動かす場合が殆ど、しかもその指示はきっとゲネプロ等の練習の場で奏者に充分伝わって理解されているのでしょう、非常に知的な指揮指導振りだと思いました。きっと音楽解釈も優れたモノがあるのでしょう。特に驚いた点を一つだけ挙げれば、最後第4楽章でのリズムを刻むTimp.の牽引音(若干金管斉奏との連携一体感が完璧でなかった気がしましたが)の以降のウルバンスキーのテンポアップが、これまで聞いたことのない位驚くほどの加速度で進行した事です。ズンズンイケイケどんどん、管のみならず、弦楽奏者も必死に指揮に食らい付いて行く迫力たるや、将に獅子奮迅、回転木馬の速さが増すにつれスリルと面白さがいや増す、あの感覚、快感に浸りました。その他この楽章に限らず、随所でソロ演奏者の腕の見せ所が満載の曲でした。普通あまり感じないTub.のソロ演奏音、チェレスターの音も明確だったし、勿論コンマスのソロ音は高々としかし細く静かに響いたし、Cl.のソロも大変シックで良いものでした。またOb.がこれまたいい音ですね。殆どの管弦楽団でOb.ソロの響きは素晴らしい。日本はOb.奏者の宝庫でしょうか。弦楽アンサンブルではVn.部門はいつ聴いても素晴らしい響きを放散していたし、また今回は、第3楽章冒頭で静かにVa.アンサンブルとCb.奏の微弱な調べが響く中、少しづつ盛り上がるVc.アンサンブルの低音弦楽奏の箇所は美しかったです(Vn.アンサンブルは休止)。
この曲の由来、歴史には様々な解釈がある様ですが、純に音楽を愛する者に取っては、よくぞいい曲を残して呉れたと感謝するばかりです。
///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////// HUKKATS Roc
クラウス・マケラ+辻井伸行/ 『オスロ・フィル演奏会』を聴く
【日時】2023.10.23.(月) 19:00~
【会場】サントリーホール大ホール
【管弦楽】オスロ・フィルハーモニー管弦楽団
【指揮】クラウス・マケラ
【独奏】辻井伸行(Pf.)
【曲目】
①ショスタコーヴィチ:祝典序曲
②ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第2番
(曲について)
2曲あるショスコのピアノ協奏曲は、ヴァイオリン協奏曲やチェロ協奏曲とは異なり、軽快でくつろいだ内容の作品である。第2番は1957年、当時モスクワ音楽院在学中だった息子のマクシム・ショスタコーヴィチのために書かれ、彼に献呈された。初演は同年5月10日、マクシムのピアノ、ニコライ・アノーソフ指揮モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団によって行なわれたが、作曲者自身もしばしば演奏した。
第3楽章に有名なハノン練習曲が借用されたほか、全曲の随所に既存曲のパロディを思わせる節を持つ。
③R. シュトラウス:交響詩『英雄の生涯』
【演奏の模様】
①ショスタコーヴィチ:祝典序曲
《割愛》
②ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第2番
[楽器編成] 二管編成弦楽五部12 型
全三楽章構成
第1楽章 アレグロ
第2楽章 アンダンテ
第3楽章 (アレグロ)
Fg. などの調べが鳴るとすぐに、辻󠄀井さんは、ピアノを鳴らし始め、しだいにそのテンポを速めました。
この曲は今年8月の『ミューザ夏祭り』の沼尻・神奈フィルを背景に辻井さんが弾いたのを聴きました。その時の記録を参考まで文末に抜粋再掲して置きます。
盛大な拍手に応えて辻󠄀井さんは、ソロアンコール曲を二曲弾きました。
①カプースチン:8つの演奏会用練習曲より プレリュード
②グリーグ:「小人の行進」(『叙情小曲集』より)
辻󠄀井さんは当然ながら、いつも暗譜ですが、モーツァルトの様に一度聴いた曲は、すべて頭に残っているのでしょうか?音が記憶されていてそれを出音するのか、それとも、(点字の)楽譜として記憶されているのでしょうか?天才の頭の構造は、凡人には想像も付かない。深遠なものに違いありません。
《20分の休憩》
③R. シュトラウス:交響詩『英雄の生涯』
《割愛》
////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////2024-11-18 HUKKATS Roc.(抜粋再掲2)
アンドレス・オロスコ・エストラーダ指揮N響(二日目11/16)を聴く
第2023回 N響定期公演 Cプログラム(二日目)
今回の演奏会の様に、同じプロググラムで同じ演奏者で行われる時は、通常一回だけ聴くことにしています。オペラ等で何日間も上演される場合、聴きに行って物凄く良かった時などは、新たにチケットが買えれば、例外的に複数回見ることがありました。しかし今回の場合は、全く自分のミスで、同じ演目をまだチケット購入していないと勘違いして、両日のチケットを買ってしまったのでした。これまで聴きに行けなくなった場合などは、知り合いに譲ったり、上さんに行って貰ったりしたことも有りましたが、今回は金、土共に他の予定が入っていなかったし、エストラーダの指揮は将来性が大きいと踏んで、二日間共聴きに行くことにしたのです。
【日時】2024.11/16(土)14:00 〜
【会場】NHKホール
【管弦楽】NHK交響楽団
【指揮】アンドレス・オロスコ・エストラーダ
【独奏】ラインフォルト・フリードリッヒ(Trmp.)
①ワーグナー/歌劇「タンホイザー」序曲
《割愛》
②ヴァインベルク/トランペット協奏曲 変ロ長調 作品94
《割愛》
③ショスタコーヴィチ/交響曲 第5番 ニ短調 作品47
(曲について)
ヴァインベルクの音楽と人生を一変させたこの交響曲は、ドミートリ・ショスタコーヴィチ(1906〜1975)自身の人生を語るうえでも欠かせない作品であると広く知られている。
20代後半のショスタコーヴィチはオペラの成功も有って経済的にも豊かになっていた。ところが初演から2年後にこのオペラを観たソ連の最高指導者スターリンは途中退席。その2日後には共産党の機関誌に大々的な批判が掲載され、ショスタコーヴィチは社会的地位が危うくなるだけでなく粛清の危機にさらされた。
1936年12月に初演を予定していた先鋭的な《交響曲第4番》で汚名返上を狙っていたが、初演前に作品を取り下げた。義理の兄夫妻や義母が実際に逮捕されていく中、あらためて自らの名誉を取り戻すために作曲されたのがこの《交響曲第5番》である。初演からおよそ2か月かけて慎重に検討され、社会主義に相応しい楽曲と判断されたことでショスタコーヴィチは危うい立場を抜け出ることができた。当時作曲者はこの曲について「人間の苦悩」を「楽天主義」で克服するのだと説明している。
交響曲第5番は、第4番などに見られるような先進的で前衛的な複雑な音楽とは一線を画し、古典的な単純明瞭な構成が特徴となっている。この交響曲第5番は革命20周年という「記念すべき」年に初演され、これは熱烈な歓迎を受けた。ソ連作家同盟議長アレクセイ・トルストイによって「社会主義リアリズム」のもっとも高尚な理想を示す好例として絶賛され、やがて国内外で同様に評価されていったため、交響曲第5番の発表以後徐々に、ショスタコーヴィチは名誉を回復していくこととなる。
【演奏の模様】
〇楽器編成: Picc.1、Fl.2、Ob.2、小CL.1,Cl.2
Cont-Fg.1、Hrn.4、Trmp.3、Trmb.3、Tub.1、Timp.,Tria.、シンバル、スネアドラム、バスドラム、タムタム、グロッケンシュピール、シロフォン ピアノ・チェレスタ(客演)、Hrp.2(常にユニゾン)三管編成弦楽五部16型
なお、第3楽章では弦楽器は以下のように分割されます。
- 第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、第3ヴァイオリン
- 第1ヴィオラ、第2ヴィオラ
- 第1チェロ、第2チェロ
- コントラバス
〇全四楽章構成
声楽を含まない純器楽による編成で、4楽章構成による古典的な構成となっています。ショスタコーヴィチの作品の中でも、特に著名なものの一つです。そしてこの曲は、指揮者エストラーダにとって記念的な曲なのでしょう。それは7年前、彼がベルリンフィルにデヴューした時に演奏したものだったからです。
第1楽章Moderato-Allegro non troppo
第2楽章 Allegretto スケルツォ
第3楽章 Largo
第4楽章 Allegro non troppo
ものの解説によると、この五番は、ショスタコーヴィッチが、曰わゆる「スターリン粛清」の恐怖に陥いっていた時期に、起死回生の曲として作曲した交響曲なのだそうです。確かに最初から「暗さを秘めた時には悲痛さも感じる箇所も有りますが、そうした背景を考えないで、純粋に曲だけから受けた印象は、先ず第三楽章の無限に広がりを見せる部分も多い「幻想味を感じる楽章」がとても印象深いものでした。ここでは上記、「楽器編成」に記した様に、さらに細分化されたグループ分けされた第2Vn.部隊が大活躍で、冒頭から2Vn.の緩やかな旋律奏が重厚な短調のアンサンブルを繰り出す処に象徴的にそれが現れていました。また特に中盤と終盤でのVc.アンサンブルの重厚なゆったりとした調べは、心休まる幻想味冴え感じるものでした。又第2楽章でも観られたFl.首席奏者がいつもの冴え冴えと鳴る音を立て始めていた傾向はこの第3楽章でもはっきりともとに回復したと思われるいいFl.の調べでした。(要するに第1楽章ではまだ調子が出なかったのだと推測されます)
そして印象深かった二つ目は、最後の第4楽章の前半の演奏。ここは冒頭からエストラーダN響は、相当の熱量を込めた演奏を見せて呉れました。兎に角最初の強烈なリズムを刻むTimp.の強打が素晴らしく力が籠っていました。
と同時にその上に鳴り響くTrmb.とTrmp.のズッシリ重いリズミカルな旋律奏、この二者が相まってさらに木管、弦楽奏にまで拡大した大パノラマ、恰も回転木馬が上下動しながら回転していたものを、その速度を急速に速め、目が回る位の超高速回転に転じた様なもの。エストラーダは盛んに身をくねり、腕を、手を、タクトを、盛んに振り回して管弦を囃し立てていました。
童話で「ちびくろサンボ」と言うのが有りましたが、そこに出て来る寅たちの様にくるくる猛烈な勢いで回っていたらバターになってしまうでしょう。この音楽を聴いている聴衆の気持ちもとろとろに溶けてしまう程のインパクトが有りました。
それが一段落した後の弦楽アンサンブルもまるでどこかの映画音楽の様な流麗さを誇っていました。最終に向けての管弦楽奏も素晴らしかった。この楽章の素晴らしさで、ショスタコーヴィッチは、特高警察の目を、心を、溶ろかし「スターリン粛清」をかわしたのかも知れません。