HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

都響『ショスタコ7番』を聴く

 

 都響の『プロムナード・コンサート397回』に於いて、表記の曲を演奏するということに気が付いたのは今月初め、遅過ぎました。チケット情報を見たら既に完売でした。でも何とか手に入れて聴きに行けることに。もう一つの曲は本邦初演とのことです。

【日時】2022.6.26(日)14:00~

【会場】サントリーホール

【管弦楽】東京都交響楽団

【指揮】クラウス・マケラ

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〈Profile〉

1996年生まれの26歳。シベリウス・アカデミーでヨルマ・パヌラに指揮を、マルコ・ウルーネン、ティモ・ハンヒネン、ハンヌ・キースキにチェロを学ぶ。チェリストとして数々のオーケストラと共演しつつ、10代の頃から指揮者として国内で頭角を現した。ピアノ演奏も行います。

 2016年には、音楽事務所ハリソン・パロットと契約した。この時にはすでにヘルシンキ ・フィルハーモニー管弦楽団や、タピオラ・シンフォニエッタを指揮した経験があり、チェリストとしては、フィンランドの主要オーケストラと共演、同年にはエーテボリ交響楽団を指揮してスウェーデンデビューを果たしている。

 2017年には、MDR交響楽団を指揮してドイツデビュー。また、後に首席客演指揮者を務めることになるスウェーデン放送交響楽団にもデビュー。さらに、フィンランド国立歌劇場にてモーツァルト作曲の『魔笛』を指揮し、オペラデビューを果たした。

 2018年には、サントリーホールで行われた東京都交響楽団のプロムナード・コンサートにて、シベリウス作曲の『レンミンカイネンの帰郷』『交響曲第1番』などを指揮して日本デビューを果たした。また、ミネソタ管弦楽団を指揮して北米デビューを果たすとともに、のちに (2020年) 首席指揮者を務めることになるオスロ・フィルハーモニー管弦楽団にもデビューした。なお、同年より、スウェーデン放送交響楽団の首席客演指揮者に就任した。

 2019年には、バンベルク交響楽団[、クリーヴランド管弦楽団、パリ管弦楽団[にデビューした。さらに、ハレ管弦楽団を指揮してイギリスにもデビューを果たした[。なお、指揮者エサ=ペッカ・サロネンとフィンランド国立歌劇場による『ニーベルングの指輪』のツィクルスにおいてアシスタントを務めた。

 また2020年には、バイエルン放送交響楽団、フランス放送フィルハーモニー管弦楽団[へのデビューを果たした。また、同年からオスロ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者およびアーティスティック・アドバイザーに就任するが、契約が開始される前に、契約期間が3年から7年へと延長。なお、同じく2020年にはNDRエルプフィルハーモニー管弦楽団やミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団などにデビューする予定であったが、新型コロナウイルスの影響でキャンセルとなった。

 2022年6月、2027年からマケラがロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者に就任することが発表された。

 

【曲目】

①サウリ・ジノヴイエフ『バッテリア(2016)』本邦初演

〈作曲家Profile〉

Sauli Zinovjev (1988年生まれ)はフィンランドの 作曲家。ジノヴイエフはラハティで生まれ、タピオネ・ヴァンリンナ教授の指導の下、シベリウス音楽院(2010–15)とHfM-カールスルーエ(2013–14)で作曲を学びました。彼はオーケストラ音楽に焦点を当てており、彼の作品は、例えばオスロ・フィルハーモニー管弦楽団、バンベルグ交響楽 団スウェーデン放送交響楽団、フィンランド放送交響楽団、ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団が演奏しています。

 2021年から2022年のシーズンに、ジノヴイエフはインターナショナル・クンストラーハウス・ヴィラ・コンコルディアへのフェローシップを与えられ、2019年に彼は第60会期作曲家に任命されました。2021年から2022年のコンサートシーズンに、東京都交響楽団 とミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団でジノヴイエフの作品が初演されます。2022年1月、ピアニストのヴィキングル・オラフソンは、フィンランド放送交響楽団とクラウス・マケラとともに、サウリ・ジノヴイエフによる新しいピアノ協奏曲を初演しました。

2014年、ジノヴイエフの作品「グリフ」は、第3回国際ウノクラミ作曲コンクールで3位を受賞しました。

〈作品解説〉

2016 年の作品で、日本では今日初めて演奏されます。《バッテリア》というタイトルの言葉をそのまま訳せばバッテリー、つまり「電池」です。強いエネルギーを感じさせる言葉です。ジノヴィエフ自身は、「精力的で技巧的な音楽を探求した」と述べています。およそ 10 分ほどの作品で、曲の前半はオーケストラが厚みのある響きを奏でます。後半は音楽がリズミカルに動き出し、終わりまでスピード感を増していきます。曲の冒頭や、重要な場面では、教会の鐘のようにベルが鳴り響きます。
 ジノヴィエフがこの作品を作った 2016 年には、パリやブリュッセルやニースで連続テロが起こるという痛ましいニュースが流れました。ジノヴィエフはその衝撃的な出来事に心を動かされ、「生命に捧げる作品」としてこの曲に思いを込めたそうです。鐘の音には祈りが込められているのかもしれません。昨今もまた、戦争のニュースが連日のように伝えられ、平和について考えさせられることが多くなりました。音楽を通じて人々の命や平和な暮らしの尊さに思いを巡らせる大切さを、この作品が新ためて気付かせてくれます。

 

②ショスタコーヴィチ『交響曲第7番(レニングラード)』

〈作品解説〉

 1942年3月29日に「プラウダ」紙上にて

「私は自分の第七交響曲を我々のファシズムに対する戦いと我々の宿命的勝利、そして我が故郷レニングラードに捧げる」とショスタコーヴィチが表明したことから『レニングラード』という通称を持ち全四楽章からなる。

演奏時間は約75分。下記の各楽章の副題は、ナチスの侵略を想起させると判断した作曲者本人によって廃案とされた。

〇第1楽章Allegretto(「戦争」) ハ長調 特殊なソナタ形式 演奏時間:約25〜30分

 提示部では、生命力に満ちた第1主題「人間の主題」が力強く描かれる[注釈 3]。第2主題「平和な生活の主題」は、極めて澄み渡った美しい主題であり後半においてピッコロ、独奏ヴァイオリンに印象的な高音のモチーフが現れて消えてゆく。その静けさを小太鼓のリズムが打ち破って、「戦争の主題」に置き換えられた展開部に突入する。この展開部はモーリス・ラヴェルの『ボレロ』に影響を受けたといわれ、「戦争の主題」が小太鼓のリズムにのって楽器を変えながら12回繰り返される(この小太鼓の用法はカール・ニールセンの『交響曲第5番』との関連が指摘されることがある)。その結末において全合奏による暴力的な侵攻が描き出された後、第2金管群が抗戦のテーマを訴えしばらくの間、2群の金管を擁した大迫力の音楽が続く。小太鼓が途切れた時点で第1主題が悲痛に叫ばれると音楽は静かになり、再現部に入る。再現部は葬送行進曲で、戦争の犠牲者へのレクエイムである。まずは第2主題が提示部とは対照的にファゴットにより暗く悲しげに現れ第1主題は明朗に奏でられるが、やがて悲劇的な色彩を強める。極めて静かに奏でられるコーダでは戦争の継続を示す「戦争の主題」が再び登場するが、その活動的なイントネーションは第4楽章における勝利を予感させる。

提示部第1主題「人間の主題」は「ソヴィエト国民の持つ勇気と自信‥」第2主題「平和な生活の主題」は、第1主題とともに「自由なソヴィエト人の肖像その勇気と堅忍…理想への熱望ともにみられよう」というような解釈がそれまではなされていた。
「戦争の主題」は、前半部はムソルグスキーのオペラ『ボリス・ゴドゥノフ』第1幕、自作『ムツェンスク郡のマクベス夫人』からの、後半部はレハールのオペレッタ『メリー・ウィドウ』の「ダニロ登場の歌」からの引用であるという説がある。かつてはこの主題は勇猛果敢なソビエト軍を表現しているという解釈が一般的であったが、前者は、民衆が脅されてボリスに帝位につくよう懇願するのとカテリーナが自らの犯罪をカムフラージュするための嘘泣きする主題に似ており、ショスタコーヴィチがそこにさまざまな暗喩を込めたとする説がある。音楽作家のひのまどかは、この節に対して、似ていると言ってもリズムやメロディが異なる部分が多く、メロディのつぎはぎに意味を見出すのは無理があると述べている。
ダニロの歌には「それでも俺はマキシムに行くぞ。あすこは神聖な祖国を忘れさせてくれる」という歌詞があり、作曲者の息子の名がマキシムであることを考えてもかなり重要な意味を持つといわれている。
「戦争の主題」はバルトークが『管弦楽のための協奏曲』の第4楽章で引用しており、ショスタコーヴィチへの揶揄ともナチス批判とも取れる。

 

〇第2楽章Moderato. Poco allegretto(「回想」) ロ短調 4拍子のスケルツォ 演奏時間:約10分

 ショスタコーヴィチはこの楽章について、「楽しい出来事や、過去の喜びを、穏やかな悲しみと憂愁が、霧のように包み込んでいる。」と解説した。木管による哀愁を帯びた主題が印象的である。戦闘の苛烈さを表すかのような金管の激しい咆哮でクライマックスを迎えるが、再現部で悲しげな表情に戻り静かに終わる。

第3楽章Adagio(「祖国の大地」) ニ長調 演奏時間:約18分

 ショスタコーヴィチには珍しいタイプのアダージョであり、比較的叙情的で明るい内容を持つ。ショスタコーヴィチはこの楽章について、「作品の劇的な中心を成している。」と解説している。冒頭、崇高だが悲痛な嘆きをも思わせるコラール主題がffで奏された後、陽気で息の長い旋律が現れる。中間部では大地を疾走するような音楽が続き、再現部になる。バロック様式をとりながら祖国愛を表現している。第4楽章へあてま切れ目なく続く。

第4楽章Allegro non troppo(「勝利」) ハ短調 - ハ長調 演奏時間:約18分

 勝利のフィナーレ。大きく3部分に分かれている。第3楽章から切れ目なく続く地響きのような低音とともに序奏が始まる。ここで登場する「タタタター」という同音連打はモールス信号の「V」(・・・-)すなわち「Victory」を表すとされ、曲中で執拗に登場する(ベートーヴェンの「運命」の動機のパロディという説もある)。急速なアレグロ調で開始する重要なモチーフが第1部で圧巻の展開を見せる。「作品の輝かしい帰結」と称された第2部では、サラバンド調の音楽が遅いテンポで続く。それは戦争の犠牲者を哀悼するようである。第3部においてはその速度を維持したまま基本モチーフが重厚に展開され、結末へのただ1本のクレッシェンドを形成する。その頂点で第1楽章の第1主題(「人間の主題」)が全楽器の絶叫によって打ち立てられ、序奏の同音連打が勝利の宣言となる。

 

【演奏の模様】

 今日の指揮者の経歴を見ると、若干二十代半ばで、世界中のオーケストラから引っ張りだこの状況は、単に人気だけではない素晴らしい何かを持っているためなのでしょう?その辺を見極めたい気もありました。

 登壇したマケラは、確かに二十代のきびきびした若者でした。しかもかなりの イケメン”、そこいら辺にいる俳優よりましかも知れない。きっと女性ファンにもてるでしょう。

 

①「バッテリア」

 器楽編成は、三管編成弦楽五部16型(? Vnの数が影になり良く見えない)、かなりの大型です。それに打楽器は、通常のTimpや大太鼓の他に、ゴング、タムタム、ウィンドチャイム、グロッケンシュピール等々大所帯の様子、ハープ2台、ピアノまで揃っていました。これはかなりの音の大盤振舞いが期待出来そう。

 結論的に言えば、この曲は考えていた以上の巧みなオーケストレーションを駆使し、迫力を兼ね備えた現代音楽というよりも、どこかロマンティックな人なつこいノスタルジーを感じる交響曲の一部の様相を呈するものでした。プログラムノートで作曲家本人が言う様に、16年当時の世界各地の都市で起きたテロ事件に触発されて、作曲家本人から親密に他者に向けた生命に捧げる人道的な音楽として作ったそうですが、将に人間の感情の激しさと、それを宥め落ち着かせる作用が働く坩堝の真っ只中にいる、人間の業みたいな物をあぶり出していました。絶え間ないリズム表現は、時計の刻みというより、心拍の鼓動かも知れない。生きる証しかも知れない。

 指揮者のマラケは、作曲家本人を良く知っているというか友人であるらしく、ジノヴイエフの曲の細部まで良く理解して振っている感じ、細やかな表現もダイナミックな表現もオケを意のままに扱っている感じでした。これは仲々の逸材かも知れない、そう思いました。

 作曲者ジノヴイエフが、客席で自分の曲の初演を聴いていた様です。演奏後マケラは彼を舞台に上げて握手し、盛んに拍手を送っていました。作曲者は演奏の出来具合に満足の様子、何回もお辞儀をしていた。次いでにマイクを握って一言挨拶すれば良かったのに、とも思いましたが、英語が余り話せないのでしょうか?

 

 次はショスタコ―ヴィッチの大曲7番です。80分近くもかかります。今日は休憩無しでの演奏らしい。楽器構成は。打楽器群で退・出の入れ替わりがありました。ハープは2台体制、管楽器は、小クラリネット、バスクラリネットが登場、フルートは一台がアルトフル-トになり、その他大きい変化として、バンダとしてHr.4、トランペット3、トロンボーン3が設定されたことです。

②「レニングラード」

1楽章 Allegretto

2楽章 Moderato (poco allegretto)

3楽章 Adagio – Largo – Moderato risoluto – Largo – Adagio

 4楽章  Allegro non troppo – Moderato

冒頭から特徴ある弦楽アンサンブルが分厚い流れを作り、Fg.の相の手が入ります。

結構いろんな楽器に活躍の場を与えていて、ピッコロの長いソロ、コンマスのソロ、Ob.ソロとFg.ソロの掛け合い、続いて弱音器付けのTrb.ソロと言った具合に

同じリズムを、ジャーンジャージャチャッチャと次第に力が入って来て繰り返し繰り返し演奏されます。これはまるでラヴェルのボレロの進行と同じでは?と思っていたら、プログラムノートにも同様なことが書いてありました。第一楽章の終盤の管の透明な響きから引き継いだ弦の弱い高音で、絹糸をより合わせた様なこれまた透明なアンサンブルで閉じます。「戦争のテーマ」とも謂われる箇所は戦争が遠くに去る様子をかすかなTrp.の音で、又消え入るような小太鼓のリズム音で表現したのでしょうか?

 確か第二楽章だったか通常のCl.より音程が高い小クラリネット、低いバスクラリネットの音が聴こえました。楽器の形状までは見えませんでしたが。シロフォンの音もたびたび聴こえました。弦楽と管部門の使い分けと融合がショスタコさんはうまいですね。コントラファゴットを吹いていた人もいました。テューバの様に低い低い音ですが、バリバリという金管の音ではなく木管らしい柔らかな地味な音です。通常聞けないアルトフルートの音も。管楽器に主役を譲って静まりかえる弦といった風の箇所も良く出て来たし、逆に管が黙りこけ、弦楽アンサンブルが滔々と流れる箇所も多くありました。マケラは来日して何回都響とリハーサル出来たかは分かりませんが、この7番の曲は過去に他の海外オケで指揮している様でして、かなり得意なのでしょう。今日は大編成部隊であったことも寄与しているとは思いますが、マケラは都響のアンサンブルを引き立たせるコツをこの曲で示したと思います。仲々のヤリ手と見ました。若い指揮者だと侮れない凄みを持っている様に感じました。

交響曲7番とレニングラード包囲戦の関係に関してはかなり以前に、NHKの特番を見ました。戦争に関係した曲だ、いやそうではないなどの議論は種々あると思いますが、一つだけはっきりしていることは、この曲がまさにソ連の都市が敵国(ドイツ)により包囲・封鎖された頃に作曲されたということです。その様な環境下で、(楽章により成立場所と年は若干ズレていても)これだけの曲を作ったショスタコさんはやはり天才ですね。若かりし時より天才の誉れ高い人ですから、さすがという他有りません。現今の戦争で包囲されている都市を抱えるウクライナで、人々を力づける現地での音楽活動は無いのでしょうか?来日公演は様々ある様ですが、こちらは世界にその窮状を訴える効果は大きいと思いますけれど、現地の人々の精神を、レニングラード戦の時の様に市民の気持ちを、奮い立たせ、窮状の忍び難きを忍び、艱難辛苦を乗り越える忍耐と勇気を与える音楽の力を発揮出来ないものでしょうか?