HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

今日、5月21日(土)は24節気の『小満』です

今日、5月21日(土)は24節気の『小満』になりました。

歴書によれば、

「陽気盛んで、山野の植物は花を散らして実を結び、田に苗を植える準備を始めるなど、万物がほぼ満足する季節」とあります。確かに4月から街路に咲いていた(アメリカ)ハナミズキは散り、ツツジやサツキも散り始めています。

  

 

 近所を散歩していたら、黄色と白が混じった花がツタにぶら下がって見事に満開に咲いていました。

スエカズラ

 写真を撮ろうと思って近づくと、何とも言えないいい香りが漂ってきます。甘っとろくなく、すっきりした香り。調べると「吸い葛(スエカズラ)」でした。別名「忍冬」「金銀花」とも呼ぶ様です。花弁を吸うと甘いことから名づけられたとの説があり、厳しい冬を越してやっと咲かせた花とか、咲き始めは白い花で次第に黄色に変わり、銀と金が混在する花との意味がある様です。

 また意外と日本古来からの植物で、万葉集にもその記載がありました。

 

 石綱(いわつな)の またをちかえり 青丹(あおに)よし 奈良の都を 

また見なむかも」(万葉集)

 

岩綱は 「つた葛」のこと。「をちかえり」は若返る意味。

 

一方、別名「定家葛(テイカカズラ)」とも呼び、謡曲でも有名な場面があります。

 

 「京都を旅していた僧侶が 夕立にあい、雨宿りで 駆け込んだところが、

 昔、歌人の「藤原定家」 (西暦1200年頃の人)が 建てた家だった。

 どこからか現れた女性が、その僧侶を、葛(つた)のからんだ「式子内親王(平安時代の、後白河法皇の第三皇女)」の墓に案内し、こう語った。

 ”藤原定家は式子内親王を慕い続けていたが、内親王は49歳で亡くなってしまい、定家が式子内親王を想う執心が葛となって内親王の墓にからみついてしまった。内親王の霊は葛が墓石にからんで苦しがっているらしい”

 僧侶はそれを聞き、内親王の成仏を願って墓の前で読経した。

 実は、先ほどの女性は 式子内親王本人の「霊」で、僧侶が読経してくれたことで 成仏できて喜んだ。そして、この、からみついた「葛」に後年、「定家葛」の名前がつけられた。

  一昨日、オペラ『オルフェオとエウリディ-チェ』を新国立劇場で観てきました。その二人の愛も深くて、冥界まで会いに行く話ですが、上記の「吸い葛」では、定家の思いが強くて、墓石にまで絡みつき、死んだ思い人が霊となって出て来るというのですから、古今東西 ❝愛❞の深さははかり知れないですね。

 

 ところで、このオペラ初日の記録を書いた「Hukkats Hyoro Roc(5月19日付け速報」で、第二幕のフルート演奏「精霊の踊り」に関し、❝聴き違えでなければ、フルート独奏は、二人のFl.奏者が吹いていた気がします。さらに繰り返し記号を、少し端折って吹いた気がします。演奏時間も通常より短い気がしました。ここは、このオペラの一つの山場なのだから、ソリストの演奏をじっくり聞きたかった気もします(自分が居眠りしていたら御免なさい。)❞と記しましたが、これは聞き違えでなくやはりフルート演奏の後半の演奏(ここが素晴らしい曲だしこのオペラの神髄、グルックの新機軸の一つの現れだと思います)は無かったということが判明しました。それは初日の翌日5月20日付の「新国立劇場オペラ『オルフェオとエウリディーチェ』メディア掲載情報(5月20日更新)の記事の中の「ゲネプロ・レポート」を見て判明しました。そこでは、井内美香さんというレポーターが ❝ 第2幕の「精霊たちの踊り」の中の有名なフルート・ソロはパリ版のために書いた曲なので、ウィーン初演版の「精霊たちの踊り」には出てこない。今回、パリ版からは迫力に満ちた「復讐の女神たちの踊り」が転用され、「精霊たちの踊り」の前に追加された。❞と書かかれています。そのことは知っていました。しかし会誌「The Atre」3月号の8ページの「オルフェオとエウリディーチェ」―<改革オペラ>の新しさと魅力を読めば、❝オリジナルのウィーン版にパリ版から第二幕第一場の踊りを加えて、このオペラに息吹きを吹き込む❞趣旨が書かれています。踊りも重要な要素ではありますが、それ以上に重要な「グルックの音楽の神髄の一つでもある精霊の踊りの曲後半」は当然入ってくるだろうし、それを加えなかったことは片手落ちだと思うのです。パリ版から踊りを加える話が出た時(恐らく大野さんの発案だと思いますが)、古楽専門の鈴木さんは、「精霊の踊り」のフル演奏の必要を主張しなかったのでしょうか?(尤も「精霊の踊り」のフル演奏だと長くなってしまい、終演時間21時過ぎになっていたかも知れません)
 上記引用の井内さんのレポート最後でも、❝カルツァビージとグルックが〈オペラ改革〉を目指した一作目の題材に選んだのも頷ける。カルツァビージの台本は、深く愛して結婚したはずの伴侶と理解しあえないという苦しみを、男女両方の側からかなりリアルに書いている点が大きな特徴だ。そしてグルックがそれを見事に音楽にしている。❞とグルックの音楽の見事さをほめたたえて居ます。

 確かにオペラは総合芸術です。とはいえ敢えて並べれば、先ず歌(合唱を含む)、それから曲演奏、そして舞台表現だと思います。三位一体とはいえ曲演奏に(特にグルックの曲では歌の代替とした箇所もあるのですから)手抜かりは許されないと思う。