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綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『第148回パシフィックフィルハーモニア定期演奏会』

 表記の演奏会はサブタイトルに「音楽監督就任記念」とあり、これは指揮者の飯森さんの事です。また演奏者の顔ぶれをみると、エレキ・ギターのフリードマンさん、尺八の藤原さん、それにクラシック演奏家の高木さんが、エレキ・ヴァイオリンと書いてあります。それに、ピアニストの牛牛。曲目は、①チャイコPf.コンチェルト、これはパシフィックの下牛牛が弾くのでしょう。②ショスタコ1番は、パシフィックの演奏でしょうから、とするとクラシック演奏会では珍しい上記の楽器演奏は、③マザーシップに違いありません。しかもこの曲は、「本邦初演」と書いてあります。こうしたことから興味を抱き聴いてみたいと思いました。

【日時】2022.5.11.(水)19:00~

【会場】サントリーホール

【管弦楽】パシフィックフィルハーモニア東京

【指揮】飯森範親(音楽監督就任)

【出演】牛牛(ニュウ ニュウ ピアノ)マーティ・フリードマン(エレキ・ギター)、藤原道山(尺八)、 高木凛々子(エレキヴァイオリン)

 

【曲目】

①チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23

 

②ショスタコーヴィチ/交響曲 第1番 ヘ短調 作品10

 

③メイソン・ベイツ/「マザーシップ」(本邦初演)

 

【曲目概説】

①チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23

 1874年11月から1875年2月にかけて作曲された。

チャイコフスキーは当初ニコライ・ルビンシテインを初演者と目し、彼に献呈しようと考え、1874年のクリスマスにこの作品の草稿の段階でルビンシテインともう2人の楽友に聞かせたところ、ルビンシテインから思いがけず「この作品は陳腐で不細工であり、役に立たない代物であり、貧弱な作品で演奏不可能であるので、私の意見に従って根本的に書き直すのが望ましい」と厳しく非難された。チャイコフスキーは友人であるルビンシテインの言葉に従わず、この非難の後、セルゲイ・タネーエフへの献呈を目指して作曲を進め、オーケストレーションが完成した後で、ドイツ人ピアニスト・指揮者のハンス・フォン・ビューローへ献呈した。ビューローはこの作品を「独創的で高貴」と評した。

1875年10月25日、ハンス・フォン・ビューローのピアノとベンジャミン・ジョンソン・ラングの指揮によりアメリカのボストンにて初演され、大成功を収めた。この様子はビューローからチャイコフスキーの元に電報で知らされた。後に、ビューローは自分のレパートリーからこの協奏曲をはずした。

ロシア初演は、世界初演の1週間後、サンクトペテルブルクにおいて、ロシア人ピアニストのグスタフ・コスとチェコ人指揮者のエドゥアルド・ナプラヴニークによって行われた。

モスクワ初演はニコライ・ルビンシテインの指揮、セルゲイ・タネーエフのピアノによって行われた。ルビンシテイン自身、その後何度も独奏ピアノを受け持って、この協奏曲を世に知らしめる役割を果たした。

1879年夏および1888年12月の2度にわたって改訂されている。第1楽章冒頭のピアノによる分厚い和音はこのとき加えられたものである(初版ではアルペッジョである)。

 

②ショスタコーヴィチ/交響曲 第1番 ヘ短調 作品10

 1924年の夏にショスタコーヴィチは、クリミア半島で療養していたが、回復後レニングラードへ戻った直後の10月に、音楽院の卒業も控えていたため、交響曲の作曲に着手する。第2楽章のスケルツォは1923年12月頃にすでに着手されていたが、マクシミリアン・シテインベルクに見せたところ、その独創的な内容に不満を見せ「グロテスクすぎる」と激怒して作曲途中の草稿を破り棄てたという(しかしシテインベルクは交響曲の作曲を続けるよう指示を出している)。スケルツォ第2番 変ホ長調作品7はもともとはこの曲の第3楽章として書かれたものである。第1楽章と第2楽章は同年12月初旬に、翌1925年1月に第3楽章をそれぞれ完成させ、第4楽章は本人が友人に宛てた手紙の中で「一向に進んでいない」と漏らしていたほど作曲に行き詰っていたが、3月下旬には1週間ほどで一気呵成に書き上げている。なお、6月に全体のオーケストレーションを施し、7月1日に清書したのち、自筆譜に完成した日付を書き添えた。

1925年5月6日、音楽院作曲科の卒業試験において、2台ピアノ用に編曲した本作を音楽院指導教官のアレクサンドル・グラズノフやシテインベルクを前に披露した。反応は様々であったが結果は概ね良好で、公開演奏が決定する。しかしグラズノフから「序奏部が斬新すぎる」という理由で、和声法の規則に則って自らが和声付けをした部分を示してその箇所の訂正を要求し、ショスタコーヴィチは彼の意見に渋々従ったものの、結局公開演奏の直前に本来の和声に戻してグラズノフの意向を無視したため、グラズノフは機嫌を害したという。

<初演編集>
1926年5月12日、レニングラードにて。ニコライ・マルコの指揮、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団によって行われた。熱狂的な反応を得て大成功を収め、第2楽章がアンコール演奏されている。

この交響曲の発表によりショスタコーヴィチは「現代のモーツァルト」と喧伝され、成功と同時に作曲者の名を国際的に知らしめることになった。また当時レニングラードに客演していたブルーノ・ワルターはこの交響曲に感銘を受けて、1927年5月5日にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して国外初演を行った。ワルターはもとより、オットー・クレンペラー、アルトゥーロ・トスカニーニ、レオポルド・ストコフスキー、アルバン・ベルクから賞賛され、西側への紹介が行われるなど音楽界に衝撃的なデビューを果たすこととなった。

 

【演奏の模様】

①ピアノ協奏曲

第1楽章Allegro non troppo e molto maestoso - Allegro con spirito

    牛牛は、聴衆に血となり肉となる新鮮なミルクを与えました。フレッシュそのもの。何と若い好青年なのでしょう。1996年生まれの若手ピアニスト、帰り道、通路を歩きながら男性同士が話しているのが聞こえました。「演奏後の周りのご婦人達の拍手が凄かった。ピアノもいいしかわいいし、品もいい、人気だね。」中国生まれの若いピアニストがいることは、小耳に挟み知っていました。聴いたことはなく、今日が初めてです。
第1楽章のよく知られた壮麗な序奏は、シンフォニックで堂々としたものです。牛牛の演奏は、やや細身の体を直立にし、フォルテ箇所は腕と手の力を込めて、弱い箇所は、手の指を立てないで、鍵盤上を撫でる様に弾いていました。短いパッセッジでも、強弱織り交ぜ、メリハリが、表現力が、ある演奏でしたが、立ち上がりは若干、音の研ぎ澄まし不足のきらいがあったのかなと思います。また、途中何回か全管弦の強奏の箇所では、ピアノの音がかき消されて聞こえない時もあった。
この楽章で印象的なのは、カデンツァの終盤でした。それまで、フォルテの時は、力一杯打鍵している様子でしたが、非常に繊細な箇所になると丹念に弾いて心に染みる ’風の声’ の風情があった。牛牛は、たびたび指揮者の方を見て、また飯森さんもビアニストに向き合って合図を送り、呼吸がビッタリ合っている様子でした。さらに牛牛は、演奏の区切りで、オーケストラの方も見て拍子を取っている程で、演奏に没入するのではなく、余裕綽々と弾いている感を受けた。これまで数え切れない程弾いて来た曲なのでしょう。



第2楽章 :Andantino semplice - Prestissimo - Quasi Andante 
 弦のピッツィカ-ト伴奏に載せてFl.が素朴な主題の旋律を鳴らしPfがそれを引き継ぎました。ロシアの古い旋律だそうです。Vc、Obもソロで主題を弾きますが牛牛は静かに伴奏的なピアノ演奏をしていました。指をかなり白鍵、黒鍵に平行に掌を平らかにして弾いていた。続いて軽快で速い指の動きの箇所となり、指揮者がタクトを振り下ろし、オケがジャーンと比較的大きい音を立てると、牛牛は静かに旋律的演奏を演奏しますが、プログラムノートによれば、“シャンソン「歌って、踊って、笑って」のメロディが現れる”と言います。確かに1楽章での(および後に記する3楽章での)主たる旋律と比し、歌を歌う様な演奏が続く楽章でした。

 

第3楽章Allegro con fuoco                      

 Timp.の一撃のもとオケの速いテーマで鳴り出すと、同主題を牛牛も同じく民族的調べ(ウクライナ舞曲を基調とするらしい)を奏でます。時々ゆっくりとなる調べは、なかなか耳当たりがいい旋律で、さすがチャイコフスキー、耳に優しい曲群、「白鳥の湖」もこの頃同時期に作曲されました。Vnのアンサンブルはとても良く溶け合っていい音を立てていました(これは1楽章、2楽章でも同様)。最後弦楽アンサンブルは立ち上がるが如く次第に高味に上るが如く全奏すると、牛牛は猛然と駆け足で高台に走り上がる如く、ピアノ最後のフルスピード運転で、オケという強い風が吹いている荒野を走り抜けるのでした。

今日の牛牛の演奏はミスもほとんどなく、フレッシュで大物演奏家になる期待が掛けられる光が差し込む様な演奏でした。でもそうした方向に脱皮出来るかどうかは今後の精進にかかっています。今は中国を本拠地としているのでしょうか?アメリカですか?らんらんの薫陶を受けているのでしょうか。最近は(移民先も含めた)中国のピアノ界に天才が出ていますね。これも中国の経済発展と関わり合いがあるのでしょうか。

演奏会の前に、カラヤン指揮ベルリンフィルで、キーシンが1988年17歳の時にこの曲を弾いた録画を見て置きました。キーシンが独特な体の動きー前後に体を揺すりながら拍子を取って、演奏に没入する姿は迫力がありました。そこから出る音達ももっともっと力強いものでした。キーシンが指揮者を見る時は、体を演奏に没頭させながら顔も向けず、目玉を横にキョロっと動かして指揮者を一瞥するだけ、その没頭振りと認知力の素早さが分かるというものです。もっとも一か所を除き、カラヤンの指揮は、独奏者に任せるといった風でしたけれど。

尚、ソリストアンコールが有り、ベートーヴェン(リスト編)『交響曲5番運命』より第一楽章が演奏されました。交響曲のピアノ独奏版です。牛牛は力強くピアノの限界ぎりぎりまで打鍵し、オーケストラ的大音響の雰囲気を出そうと努めていました。唯オケでも繊細な表現箇所はあります。その辺りがもともとのリストの楽譜指示を知るべくもないのですが、やや繊細さが表現されていないかな?といった感じでした。                                         ピアノ演奏で交響曲演奏をカヴァーしようとする試みは、時々演奏会で見かけます。一昨年の11月に東京藝大奏楽堂で、ピアノ科の先生方の演奏会があり、その時、ベートーヴェン(リスト編曲)『交響曲第9番』を青柳晋さんと伊藤恵さんが二台のピアノで演奏していました。

 

②ショスタコーヴィッチ交響曲1番

 四楽章構成の古典的形式を持つ、若いショスタコービッチの出世作です。全体的に大きな枠取りで詳細部分も神経質すぎる位細やかな、そして弦楽と管・打の調和を試みている作曲者の工夫と奮闘が伝わって来るかの様な曲です。特に今日のパシフィックの演奏は、就中第三楽章がショスタコのこの曲の素晴らしさをうまく表現出来ていた、指揮者が良く管弦の力を引き出して表現出来ていたと個人的には思いました。

 先ず、Ob のソロの調べが良い。音は太目で(どこのオーケストラでも大抵Obは上手なのですが、細い金管の特徴音が普通)、出し切っていました。又Hr.の4人のアンサンブルが安定に推移し(最近聴いた他のオケでは、Hr.アンサンが不安定なケース少なくない)、低音弦との調和がこの楽章で非常に良く響いていました。他の楽章では、この様な調和したショスタコの音符配列、和音形成になっていないのかも知れない。首席Vc奏者のソロも良かった。またVnアンサンが強奏に向かいHr.他の金管も合わせて力一杯吹き鳴らした箇所でも全体的に管と弦の音がばらけず良く溶け合い、っていました。チェロ独奏はクレッシェンドでワーグナーの『ジークフリート』からの引用で特徴づけられているともいわれます。

 弱い弦楽アンサンブルでは繊細さも表現出来ており、Cbが入ってコンマスが弾くソロは大変綺麗な旋律を奏でていました。バスーンのバリバリ音は全管弦強奏の中でも刺激的だし、切れ味の良い女性奏者の小太鼓、鉄琴は小さい楽器ながら気持ちがシャキッとしますし、それから大太鼓も打ち鳴らされ、パーカッションの活躍が目立つ曲は、マーラーに倣っての事か?特に(他の楽章でもそうなのですが)Timpは大活躍、全体のオケを指揮者と共に牽引していました。マエストロ飯森指揮下パシフィックは大音響の箇所ばかりでなく、例えばこの楽章の後半のVaと木管群が不気味な旋律を立てる箇所では、静かにオケを制止し音をそっと引き出す様に、糸を手繰り寄せる様に、指揮、牽引していました。鉄琴の後のコンマスのソロは又いい演奏でした。最後はTimpの主導的活躍で、Vn.アンサンブル他は一斉に総奏、一気にゴールに駆け込みました。                              これは若干20歳代の学生の曲としては、凄過ぎる作品です。ショスタコーヴィッチはやはり天才ですね。

 

 

③メイソン・ベイツ/「マザーシップ」

メイソン・ウエズリー・ベイツは1977年フイラデルフィア生まれのアメリカ人作曲家。コロンビア大学ジュリアード校で、英文学士、作曲修士の資格を取る。

2001年にはベイエリアに移り、カリフィルニア大学バークレイ校に学び、2008年、作曲で博士号を取得。

2019年に「最優秀オペラ録音」でグラミー賞を受賞。それ以前に2004年、ローマ賞、2005年にベルリン賞を取っている。注目されている一番の曲が「Mothership」。

ベイツは早くから電子音楽と管弦楽を連携することに関心を持ち1999年にフェニックス交響楽団でシンセサイザーのための協奏曲を初演した。

前もってu-tubeで調べたらありました。ベイツは随分若く見えますね。オーケストラに合わせ、自分で何か16個の四角い鍵盤もどきを両指先を固めてつんつん叩いて電子音を出しています。何の楽器なのでしょう。楽器というより電子音発生機かも知れない。今日の演奏では多分そうした演奏者はいなかったと思います。曲が進むにつれて、先ずエレキギターが、次いでエレキヴァイオリン、そしてお琴のソロが、オケの伴奏で弾き進みます。

オーケストラとMason Batheの電子演奏の融合

    今日のパシフィックの演奏では、サントリーホールのP席に客は入れずに、③の曲の演奏直前に、向かって左方の一番高いP席の上方通路にギタリストのマーティ・フリードマンが登場、次いで通路真ん中(オルガンの前)にヴァイオリンニストの高木さんが陣取り、右方の角に尺八の藤原さんが位置に着きました。

 そして先ずオーケストラが鳴り始め、追加されたもう一台のピアノも弾き始められました。ピアノの上、周辺にはマイクが備えられ、いざ演奏開始です。

 演奏前にホールの証明は消されて結構の闇の中、舞台を見るとオルガンから左右に伸びる壁に照明・映像が映し出され、特に意味のある写真映像ではなく抽象的な図形です。その映像がオケのリズムに合わせて変化・横運動や回転運動しました。照明ライトは舞台近くの天井にぶら下がってあるのですね。常に「ドン・ドン・ドン」と太鼓の様な音(多分電気的な合成音でしょう)が拍子を取り、 ひとしきりオーケストラの音が大ホールに鳴り響くと、ギター箇所にいたフリードマンが弾き始めました。兎にかくロック界に長年席を置いた彼の演奏は「電気」で増幅されているのでしょうが、大迫力があり、面白い展開となって来ました。次いで中央に臨座する高木さん。やはり普通のヴァイオリンとは比較にならない大きい音が出ていました。次の尺八演奏家藤原さんも同様。かすれたような独特の木管音は、既製の木管楽器では出せません。尺八を電子化(エレキ化)は出来ないのでしょうから、近くにマイクがあって音をピックアップし、増幅しているのでしょう。ステージのオケには二台のピアノが鎮座します。特に左端のピアノには牛牛が登場、オケの一員としてピアノを弾きました。詳細はさて置き、この曲により、クラシックオーケストラとロック的電子楽器音楽のドッキングで、通常のオケ演奏から一皮むけた演奏会にしようとした飯森さんの試みは成功したと見ました。バレエやオペラと比べてもその客層は年配者や老人が多いクラシックコンサート。それをあの驚くばかりの集客力を有するロック音楽と違和感なく融合させようとした試み。もともとの張本人は米国作曲家、メイソン・ベイツでした。映像はオペラやバレエでは当たり前の様に使われますが、クラシック音楽会ではたまにしか見かけません。祝祭的な時とか記念する時とか花で飾り立ててさらに照明、映像を使うことがあります。今回は映像の他にロック音楽、邦楽まで、ミキサーに入れて一混ぜし、出来上がったのは健康増進のスムージーでしょうか?それと近い効果があったと思います。少なくとも自分にとっては。先ず真っ暗闇の中で聴くオーケストラはオペラの時ぐらい。今回は真っ暗と言ってもステージに近い席だったので、舞台の譜面台には光が当たっているのが見えます(当然ですね。団員皆が暗譜していないでしょうから)。やや幻想的な風景。そうしている内に舞台上の壁、パイプオルガンには照明でぐるぐる回る様な光が行き交い、オーケストラに拍子を合わせています。絶えずドンドンドンという拍子音がオーケストラ、ソリストの心鼓動のようでもあり、挙句にエレクトロニック的演奏音が混じって来て、世の始まりの混沌の世界は斯くもや、と勝手に妄想する程面白さが募って来ました。自分の頬も緩み、声は出せないですが、叫びたいような気持、その高揚感は、にっこりと笑う自分の顔まで連想させてしまう。これはストレス発散にもなりますよ。でも中にはどうしても馴染めない嫌な思いをした観客もいたかも知れませんが、少数でしょう。何故なら、演奏終了後の拍手たるや驚く程のものだったからです。しかも中々鳴りやまない。オケ団員が退場し、観客退場の放送があってもまだ拍手を続けている観客が大勢いましたから。自分は終電に間に合うよう急ぎ帰りましたけれど。

 今日の飯森さんの試みは、これまで定型化してしまったクラシック演奏のパターンを変える切っ掛けとなるかも知れない。意欲的な試みです。意欲的な監督就任ですね。名称変更したパシフィックの新たな船出となることを、一クラシックファンとしても祈念したいと思いました。