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綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『横浜フィルハーモニー管弦楽団第85回定期演奏会』

【日時】2022.5.7.18:30~

【会場】ミューザ川崎シンフョニーホール

【管弦楽】横浜フィルハーモニー管弦楽団

【指揮】  伊藤翔

ProfileSho Itoh, Conductor

1982年東京都生まれ。桐朋学園高等学校音楽科及び桐朋学園大学音楽部指揮科卒業。2005年から3年間ローム音楽財団の奨学金を得て、ウィーン国立音楽大学に留学。指揮を秋山和慶、小澤征爾、黒岩英臣、上杉隆治、高階正光、湯浅勇治、E.アチェル、M.ストリンガー、ピアノを斎木隆、藤井一興、作曲を三瀬和朗の各氏に師事。
2011年5月、ポーランドで行われた「第5回ヴィトルド・ルトスワフスキ国際指揮者コンクール」で第2位を受賞。2016年10月、イタリアの第1回「ニーノ・ロータ国際指揮コンクール」でニーノ・ロータ賞(優勝)およびオーケストラ賞を受賞。桐朋学園大学在学中に大阪フィルハーモニー交響楽団を指揮してデビュー。以後国内外の多くのオーケストラに客演。これまでに大阪フィル、大阪響、神奈川フィル、九州響、京都市響、群馬響、新日本フィル、仙台フィル、中部フィル、東京シティ・フィル、東京フィル、名古屋フィル、日本センチュリー響、日本フィル、兵庫県立芸術文化センター管弦楽団、広島響等に客演。海外では、クラクフ国立室内管やジェショフ・フィルハーモニー管弦楽団での客演が好評を博した。2008年7月から2009年3月まで東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の指揮研究員を務め、その後2009年4月から2012年3月まで神奈川フィルハーモニー管弦楽団副指揮者を務めた。2012年4月より現在に至るまで、東京混声合唱団コンダクター・イン・レジデンス。上野学園大学非常勤助教。
(2021年4月現在)

 

【曲目】

①カリンニコフ『交響曲1番』

 

②チャイコフスキー『交響曲第5番』

 

<カリンニコフ>

オリョーリ県オリョーリ出身。イワン・ツルゲーネフと同郷である。貧しく倹しい警官の家庭に生まれる。後にやはり作曲家となった弟ヴィクトルとともに、少年時代から楽才を顕し、14歳で地元の聖歌隊の指揮者を務めるまでになる。

その後モスクワ音楽院に進むが、学費を納入できずに退学させられる。その後、奨学金を得て、モスクワ楽友協会付属学校(en)でファゴットを学ぶかたわら、セミョーン・クルーグリコフロシア語版に和声法を、アレクサンドル・イリインスキーに対位法とフーガを、パーヴェル・ブラランベールクロシア語版に管弦楽法を師事。師のクルーグリコフは後に親友となった。劇場の楽団でファゴットティンパニヴァイオリンを演奏するかたわら、写譜家としても働いて生計を立てた[1]

1892年チャイコフスキーに認められ、マールイ劇場の指揮者に推薦され、それから同年にモスクワのイタリア歌劇団の指揮者も務める。以前からの過労が祟って健康が悪化し、結核に罹患したために、やむなく劇場での活動を断念し、温暖な気候のもとでの転地療養を余儀なくされてクリミア南部に向かう。生涯の終わりをヤルタで過ごした。2つの交響曲アレクセイ・コンスタンチノヴィッチ・トルストイの《皇帝ボリス》のための劇付随音楽は、同地で作曲されている。

セルゲイ・ラフマニノフが楽譜出版社ユルゲンソンにかけ合ったおかげで、3つの歌曲が120ルーブルで買い取られ、その後《交響曲第2番》も売れた。循環形式を用いた《交響曲第1番》は、作曲者の存命中にモスクワのほかベルリンウィーンパリでも演奏されたが、病が悪化していたため1897年の初演にも立ち会うこともかなわなかった。交響曲第1番の出版と35歳の誕生日を目前にして世を去った。ユルゲンソン社主ピョートルは、後にカリンニコフが受け取るべき報酬を増額して未亡人に支払った。

病のため、カリンニコフはウラル山脈の山荘に転居した。小品の多くがこの地で書かれたが、カリンニコフは稼ぎが無いまま一生を終えた。

遺された弟ヴィクトルは奉神礼音楽や合唱曲の作曲家となり、楽友協会付属学校の教壇に立った。

<作風と作品>

カリンニコフは、2つの交響曲といくつかの付随音楽、そして多数の歌曲を遺した。いずれの作品もみな、ロシア民謡の特徴に染め抜かれている。2つの交響曲、なかでも《交響曲 第1番》は、20世紀初頭に頻繁に演奏された。近年カリンニコフの名声は消えかかっていたものの、交響曲は音源で接することが可能である。

カリンニコフの作風は、おおむねチャイコフスキーに倣って西欧的な楽曲構成法を採っていながらも、旋律和声法民謡民族音楽の影響が自明であるように、国民楽派(「五人組」)からの影響も無視できない。このようにカリンニコフは、モスクワ楽派とペテルブルク楽派のいずれかに与するのではなく、その両方の伝統の美点を折衷した作曲家であった。折衷的という点においてグラズノフに似ていなくもないが、よりアカデミックで、洗練された作曲技法と緻密な構成を追究し続けた点でグラズノフはカリンニコフと異なっている。1899年からオペラ《1812年》の作曲にも着手したが、未完に終わった。

<交響曲1番>

1894年に作曲を開始し、翌1895年に完成した。金銭的な援助を仰ぐため、ニコライ・リムスキー=コルサコフへ楽譜を送るも、リムスキー=コルサコフはこの曲に対し、写譜のミスなどにより、演奏不能という評価を下した。1897年2月20日、友人達の協力によりキエフにて初演が行なわれ、大盛況を収める。四楽章構成。

【楽器構成】

基本3管編成弦楽五部12型

 

【演奏の模様】

 このオーケストラは、1997年発足の歴史ある約100人弱の団員のアマチュアオーケストラです。かれこれ50年弱も続き横浜を拠点としていますが、ホームの音楽ホール「横浜みなとみらいホール」がここ2年程改修工事で休館中なので、隣の街川崎のミューザ音楽ホールで演奏会を開くことが多くなっている模様。横浜にはもう一つ歴史のあるアマチュアの『横浜管弦楽団』が有りますが、この二つが歴史的にも実績でも実力でも両雄と言っていいかも知れません。

 今回のプログラムを見ると、カリンニコフの交響曲1番とチャイコフスキーの交響曲5番という事なので、前者の曲は初めてでどの様な物か興味があったし、後者はCDを持っていて時々聴いていて、次第に好きになって来た曲です。特に「運命の主題」が各所に出て来る格好良さがいい。そういう訳で聴きに行くことにしました。(もっともミューザ川崎なので、WEBで購入しておいたミューザ夏祭りのチケットを一括発券して貰い、引き取る目的もありました。)

 観客は半分ほど入っていたでしょうか?思ったより少ない。恐らく土曜の夜の公演であったのと、横浜のファンが多いためなのかも知れません。当日券を求めましたが、二階席正面のオーケストラを聴くにはちょうどいい席でした。

 

 ①のカリンニコフの交響曲1番は、思っていた以上に旋律の綺麗さが目立つ曲でした。アマとは言え皆さん、音大を出ている人も多いそうですから、出音の基礎は各パートともしっかりしていて、これは何処の管弦楽団でも言えることですが、第1Vnのアンサンブルは秀でています。又Obの演奏が素晴らしかったし、Timp. の響きは指揮者と共に管弦のテンポをしっかりと誘導していました。週一回の練習で、しかもコロナで十分な時間も取れなかったそうですが、これだけの音楽を聴衆に送り届けられれば十分十分、立派なものです。

 カリンニコフは最近余り演奏されないらしいですね。繰り返しが多過ぎててやや冗長の感は否めないものの、聴いていて違和感なく耳に入る心地良いパッセッジが多い。配布されたプログラムノートにもある様に「30年近く前、来日公演したスヴェトラーノフが長く忘れ去られていたこの曲を名演し、総譜を掲げて作曲者を讃えた」そうですが、今後、カリニコフの曲の演奏が増えていくといいなと思いました。

 

 二十分の休憩の後は、②チャイコフスキー『交響曲第5番』です。若干のメンバーの入れ替えがあった様です。

 この曲は、1888年に作曲され、第4番の交響曲以来10年振りの交響曲となりました。この曲を一番最初に聴いたのはいつかはっきり覚えていないのですが、相当姦しい音楽だと思った記憶だけが有ります。その後、何回か聴きに行き、又CDで聴きたい時は何回でも聴いているうちにこれは「6番悲壮とは違った意味での名曲」だと思うようになりました。

 一昨年フェスタサマーミューザで尾高指揮東響の演奏で聴いたので、その時の記録を文末に(再掲1,抜粋)しておきます。さらに2018年12月に、斎藤記念オーケストラの演奏を聞いたので、参考までそれも(再掲2,抜粋)しておきました。

 全体を通して何回も各種楽器を使って頭をもたげるテーマ曲「運命の主題」はやや暗味を帯びていますが、かっこいいですね。又途中脱兎のごとく走り出す箇所も、よーいドンといった感じで実に面白ろかった。演奏か所によっては管と弦の統合性がややばらける処も散見しましたが、この曲の迫力や素晴らしさは十分伝わって来た演奏でした。

 なお、指揮者はかなり若くてキャリアも相当積んでいる様子で迫力があり、又後半代わったティンパニー奏者は熟練した奏者と見えましたが、その二人でオーケストラのリズムとテンポを軌道線路からはみ出ない様にしっかりコントロールしていました。

 演奏終了後、指揮者は客席に向かって、ウクライナのことに少し触れ、そこの民族舞踊をふんだんに取り入れたチャイコフスキーのバレエ音楽『くるみ割り人形』から《トレパック》をアンコール演奏するという話がありました。

聴き慣れたいい曲ですが、演奏はやや大味のする、だけれど力の籠ったアンサンブルでした。

 

 

 

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フスキー『交響曲第5番』演奏会(8/2)

 

②チャイコフスキー『交響曲第5番』

  やはりこの曲は、期待していた通りの演奏を尾高さんの指揮は具現化していました。

いや尾高さんの指揮は、予想を遥かに越える名演とも言える程のものでした。

兎に角ダイナミックで、迫力があって、それでいて繊細な心意気のパッセージもあり、久しぶりに聴く東フィルの演奏は素晴らしいものでした。

(第Ⅰ楽章)アンダンテ,アレグロ・コン・アニマ,モルト・ピュ・トランクウイロ)  

 曲の前四半部辺りのホルンに続くピッツィカートの後、Clだと思うのですが、カンカンカンカンとかん高い音が二回繰返される箇所が、いつもだと遠くで鳴く小鳥の様で印象的なのですが、今回ははっきり聞こえなかった。全体的に見て弦の優勢さが印象付けられました。

(第Ⅱ楽章)アンダンテ-カンタービレ,コン・アルクーナ・リチェンツァ

 何と言っても最初の1Hrのソロが見せ場、静かな弦のイントロに続くしっとりと響くHrの調べはすんなりと気持ちに分け入りました。1Clとの二重奏も良かった。この辺りのメロディはやや暗いですがいい感じ、好きです。 

 管のソロが多い楽章です。Hr、Cl、Fg、Ft、何でもありですね。1VnのピッツィとObの掛け合いがお洒落感があり素敵。

終盤の主題部の演奏は全体がかなり力を込めて演奏、非常に綺麗なチャイコフスキー節を腹一杯堪能しました。

それにしても最後静かに弦の主題演奏で終わりを告げるゆったりしたメロディの直前、ブラスが如何にも楽章の終了を告げる響き、ジャジャジャジャの部分はマーラーの終わり方のメロディ似だと思いませんか?もう一声ジャンが付加されればそっくりな曲がある。この頃チャイコフスキーはマーラー他の有名作曲家とも交流があったらしいので、曲にもマーラーの影響もあったのかな?

 

(第Ⅲ楽章)ワルツ:アレグロ・モデラート

 いつもここを聴くと、エトワールが流麗に舞い踊る姿が瞼に浮かびます。Hrの音が割れた様な金属音が時々あり気になりました。 

(第Ⅳ楽章)アンダンテ・マエストーソ,アレグロ・ヴィヴァーチェ

スタートの弦のアンサンブルは大変良いと思いました。ティンパニーが元気に響き、次の速いパッセッジのウンジャ、ウンジャ、ウンジャジャのリズミカルな部分が良く引き出されていた。

 最後の弦、管の盛り上がるフィナーレ部は、尾高さんも楽団員も全員渾身の力を込めての大力演だったので、聴く方としてもついこぶしを握り締め、終わるとすぐに館内の大拍手に合わせて手を打ち鳴らし、後で痛くなる程でした。皆さん演奏前と比べて相当体重も減ったのではないでしょうか?

全体的に見て弦の響きが優勢で管、特にブラスの響きがやや弱いと思いました。 世界のオーケストラによってはホルン他のブラスをさらに拡充している場合も見かけます。

 でも最近に無い位の感動する演奏でした。良かった。 尾高さんはリハーサルを含めどれくらいの時間をかけてこの演奏を作りあげたのでしょう。 ただ先に触れた斎藤記念オーケストラの演奏の方が弦アンサンブルの透明度が高かったかなという気がします。大分前の記憶なのではっきりとは言えないですが。

 

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『ドイツ・グラモフォン創立120周年Special Gala concert』at サントリーホール

小澤征爾指揮、ムターのバイオリン演奏他を聴いてきました。そうなんです。あのチケットの取れない「ドイツ・グラモフォン創立120周年Special Gala concert(12.5.19:00~atサントリーホール)」です。なんとかチケットが手に入ったので聴いてきました。開場開始の直後の会場前広場(あの広い広場はムターさんを見出したカラヤンにちなんで、「アーク・カラヤン広場」と言うらしい。そのサントリーホール玄関近く)は一種異様な光景に感じられた。多くの黒ずくめのビジネスマンと覚しき人達で埋め尽くされ、係員に「開場時間から30分ですが、まだ入れないのですか?」と聞くと「もう入れます」とのこと。入場前の観客ではなく、どうも協賛企業が招待した得意先の来場者を待つ接待社員達のようなのです。どおりでチケットが買えなかった訳です。多分チケットの多くが企業にまわり、一般向けの枚数は通常より少なかったのでしょう。中に入るとホワイエでは多くの人達が塊となって談笑していました。やはり普通のコンサートの雰囲気ではない。「祝祭」「お祝い」のムードが一杯。120周年の祝い?小澤さんの快気祝い?大ホールに入ると舞台の回りは、綺麗な植物の鉢で縁取りされ、やはりお祝いムード。二階の左サイド席でしたが、舞台の真横ではなく、斜め前から見下ろす位置で、舞台からの直線距離は割りと近く、よく見えるので思ったより良い席でした。入場したサイトウ・キネン・オケは、弦が総勢五・六十人、管が二十人弱、打楽器はティンパニー一人が主力の構成で、圧倒的に弦が優勢。指揮はディゴ・マテウス、小澤さんは最後のムター演奏曲で指揮しました。第二曲目、チャイコフスキーの交響曲5番は、全体的に大変活気のある(もともと曲自体が活気がある)演奏で、時にはうるさい位の大音響で奏でていた。ティンパニーが力一杯思い切りの良い演奏で大活躍、指揮者は時に飛び跳ねてタクトを振っていた。弦の響きはさすがに良く「弦楽セレナード」の響きを想起させる個所も有り。演奏後指揮者が先ず(圧倒的優勢な弦奏者ではなく)管奏者の近くに歩み寄って一人一人紹介するが如く挨拶させていたのが印象的、思いやりを感じました。

ムターさんはバッハのコンチェルト、ベートーベンのロマンス(一番有名な2番でなくて)1番、及びサンサーンスの序奏とロンド・カプリッチオーソの三曲。バッハはややくぐもった音が感じられた。1番のロマンスも綺麗な素敵な曲ですね。十分すぎる表現力でした。サンサーンスで初めて小澤さんが登場、病状に伏して一時回復後腰痛等で演奏をキャンセルと聞いていましたが、それ以来の再登板。ムターさんと手を取り合って登場し、かなり痩せられて気のせいか顔色が若干悪く感じられたのですが、ムターの、小澤さんの方を見ながら曲を奉げるが如き演奏の要所要所は、力をふり絞ってタクトを振っていた。この日最高の演奏と思われました。演奏後は顔色も良くなり器楽奏者におどけた仕草をしたり、音楽に力を貰うお手本を見る思いでした。観客は総立ち、客席からは割れるんばかりの大拍手と大きな歓声が上がり、小澤さんは何回も何回も退席してはまた舞台に戻り、観客の声援に答えて挨拶を繰り返しておられました。これまでの大業績を考えると本当に涙が出る程の感激でした。お疲れ様、有難う御座いました。さらに元気を回復され素晴らしい演奏をされることを祈ります。

なお、演奏会の休憩後の後半、天皇・皇后両陛下がお見えになられ、最後の観客のスタンディングオベーションの時は両陛下もずっとお立ちになって拍手されておられました。終演後、腕を取り合われながら退席される時に再び大きな拍手が鳴り響きました。平成の戦争のない平和な御代を象徴されるお二人への感謝の拍手とも思われました。とにかく素晴らしいコンサートでした。