HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

ペトレンコ・ベルリンフィル『シューマン+ワーグナー+ブラームス』atミューザを聴く

【日時】2025.11.22(土) 15:00〜

【会場】ミューザ川崎シンフォニーホール
【管弦楽】ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
【指揮】キリル・ペトレンコ(首席指揮者・芸術監督)
【曲⽬】

①シューマン『マンフレッド序曲』

(曲について)

『Manfred作品115』は、ロベルト・シューマンが作曲した独唱・合唱とオーケストラのための劇音楽である。バイロンの詩劇『マンフレッド』の上演のために書き下ろしたもので、序曲と15の場面の音楽からなる。今回はその序曲の演奏。

 

②ワーグナー『ジークフリート牧歌』

(曲について)

 1870年に、妻コジマ・ワーグナーへの誕生日およびクリスマスの贈り物として準備された。同年12月25日に、スイス・ルツェルン州トリプシェンの自宅(現在、リヒャルト・ワーグナー博物館となっている)で非公開初演が行われ、事前に作品の存在を知らされていなかったコジマをいたく感激させた。本作品はまた、前年(1869年)に息子ジークフリートを産んでくれたコジマに、ねぎらいと感謝を示す音楽でもあった。


③ブラームス『交響曲 第1番』

(曲について)

 ヨハネス・ブラームスが作曲した4つの交響曲のうちの最初の1曲。1876年に完成した。ハンス・フォン・ビューローに「ベートーヴェンの交響曲第10番」と呼ばれ高く評価された。「暗から明へ」という聴衆に分かりやすい構成ゆえに、第2番以降の内省的な作品よりも演奏される機会は多く、最もよく演奏されるブラームスの交響曲となっているブラームスは、ベートーヴェンの9つの交響曲を意識するあまり、管弦楽曲、特に交響曲の作曲、発表に関して非常に慎重であった。通常は数か月から数年とされる作曲期間であるが、最初のこの交響曲は特に厳しく推敲が重ねられ、着想から完成までに20年近くの歳月を要したとも謂れます。ブラームスは、この後の交響曲第2番は短い期間で完成させている。
この作品は、ベートーヴェンからの交響曲の系譜を正統的に受け継いだ名作として聴衆に受け入れられ、指揮者のビューローには「ベートーヴェンの第10交響曲」と絶賛された

 着想から完成まで21年を費やしたが、決して遅筆ではないブラームスがこれほどの時間をかけたのは、ベートーヴェンの交響曲の存在が大きかったためである。

ブラームスが、自らも交響曲を書こうと思い立ったのは、22歳の時にロベルト・シューマンの『マンフレッド序曲』を聴いてからであるが、何よりも自らが交響曲を書く限りはベートーヴェンのそれに比肩しうるものでなければならないと考えていた。ビューローへの手紙には「ベートーヴェンという巨人が背後から行進して来るのを聞くと、とても交響曲を書く気にはならない」と書かれている。また、当時の聴衆にもベートーヴェンの交響曲を正統的に継ぐ作品を待ち望む者が少なからずいた。当時はワーグナーやリストといった新ドイツ楽派の作曲家は交響曲を古臭い形式と考え、それぞれが楽劇や交響詩といった新たなジャンルを開拓していた。一方で、交響曲はメンデルスゾーン、シューマン、ラフなどにより発表され、またブラームスと同時代に活動するブルックナーやドレーゼケ、ブルッフ、ドヴォジャークもすでに交響曲を発表していたが、それらは「ベートーヴェンの交響曲を正統的に継ぐ作品」という聴衆の期待には必ずしも十分に応えるものではなかった。このため、ブラームスは最初の交響曲の作曲に際し、慎重を期し、集中して取り組んだ最後の5年間も、推敲に推敲を重ねた。(この過程で破棄された旋律は、ピアノ協奏曲第1番の第2楽章や『ドイツ・レクイエム』に転用されたという)1862年に第1楽章の原型と見られるものが現れており、具体的な形をとりだしたのはこの時期と考えられている。最終的に交響曲が一通りの完成を見たのはその14年後の1876年、ブラームス43歳のときであった。

 初演は、1876年11月4日、フェリックス・オットー・デッソフ指揮、カールスルーエ宮廷劇場管弦楽団。初演後も改訂が続けられ、決定稿が出版されたのは翌年1877年。ジムロック社より出版された。初演稿と決定稿では第2楽章の構成がかなり違うが、近年は初演稿が演奏されることもある。

 

【演奏の模様】

①シューマン『マンフレッド序曲』

◯楽器編成:フルート2、オーボエ2、B♭管クラリネット2、ファゴット2、ナチュラル・ホルン(バルブのない昔のホルン)2、ヴェンティル・ホルン(現在のホルン)2、トランペット3、トロンボーン3、ティンパニ一対、二管編成弦楽五部14型  

 冒頭、弦楽の弱奏の上に木管、特にOb.の調べが、何か悲痛さをも感じる響きで鳴らされていました。続いて一種美しい、しかし同じく悲痛さをたたえた弦楽奏に依る主題が奏され、テンポもアップ、管弦とも相まって相当なffの調べを繰り出していました。元となったバイロンの詩劇は、青年マンフレッドが、かっての恋人を死に追いやってしまい、慚愧の念からアルプスの山々を、恋人の霊を探し求めてさまよう姿を表現したとも謂われ、その辺を考えても納得の得られるペトレンコ・ベルリンフィルの力奏でした。付点リズムの弦楽アンサンブルが勇ましい。上行下行を繰返すのも山行きの表現か?

コンマスの美しいソロ音の後、弦は止み、管のみのこれまた美しさを感じる調べの辺りで、青年は恋人の魂に会えたのでしょうか?その後の強く速い調べ、激しい後悔の念というか青年の慟哭の様な調べは、管と弦の急速テンポの掛け合いの狭間で、右往左往している感じ。次第にオーケストラの圧は弱まり、最後は管がゆっくりと静かに演奏すると、弦楽もやはり弱奏の弱々しい調べでもって、了となるのでした。物語ではこの青年は亡くなってしまうのですね。何という悲劇なのでしょう。唯シューマンのこの曲は物語を知らないで聴くと、美しさだけが前面に出てしまう可能性もあり、全く別のストリーに感違いされるケースも有るのでは?と思いました

 尚、この曲は③のブラームスの1番の交響曲作曲の動機の一つになったという説も有ります。

 処で、第一楽章序盤に金管奏者(Trmp)3人が、舞台の上手に移動しましたが、バンダで吹いた音は明確には認知されなかったので、楽譜の通りの自分達のパートをちょっとだけ別位置で演奏したのでしょうか?直ぐに定位置に戻ったので、指揮者の考えの可能性もあります。その意味合いは分かりませんでした。

 

②ワーグナー『ジークフリート牧歌』

◯楽器編成:もともとは家庭内の誕生祝いの席で演奏された曲なので、管楽器はほとんどの楽器が1本ずつの8パートで、若干拡張されてはいるものの実質的に1管編成といえる小編成が基です。さらに弦楽器は分割(ディヴィジ)がなく各パート1人ずつでも演奏できるなど、十三重奏の室内楽として演奏可能な程にコンパクトに作曲されており、前述のエピソードからも初演時はこれに近い少人数で演奏されたのでしょう。この小規模な編成は、後世のシェーンベルクの室内交響曲やヴェーベルンの交響曲の元となったともいわれます。

 

フルート、オーボエ、クラリネット2、ファゴット、ホルン2、トランペット、  一管編成弦五部10型 

 

 冒頭からの穏やかで、美しい調べからは、いかにワーグナーが、コジマとの生活に満足し、妻への感謝の気持ちで一杯だったかが伺い知れます。

 終盤でのHrn.とFl.他木管の響きは、バースデーケーキに火を灯し、炎が揺らめく中、静かな管弦楽の調べで、フッと灯火が吹き消されて了となる風景を思い描ける様な、聴いてホッコリする感触でした。ペトレンコ・ベルリンフィルの演奏は、小規模とは言え、重厚な演奏は慈愛に溢れた調べに満ちていました。

 

③ブラームス『交響曲 第1番』

◯楽器編成:二管編成弦楽五部16型(16-14-12-10-8 一部良く見えず)
木管フルート: 2 オーボエ: 2 クラリネット: 2(楽章順に、B管、A管、B管、B管)
ファゴット: 2、コントラファゴット(第3楽章以外): 1 金管ホルン: 4(C管Es管各2、E管2、Es管H管各2、C管Es管各2)
トランペット: 2(C管、E管、H管、C管)
トロンボーン: 3(アルト、テノール、バス各1)(第4楽章のみ) 打楽器ティンパニ
弦五部第1ヴァイオリン 第2ヴァイオリン  ヴィオラ チェロ コントラバス(4弦)

今回のコンマスは、第1コンマスのノア・ベンデックス=バルグリー氏。

〇全四楽章構成

第1楽章 Un poco sostenuto - Allegro

第2楽章 Andante sostenuto

第3楽章 Un poco allegretto e grazios

第4楽章 Adagio - Più andante - Allegro non troppo, ma con brio - Più allegro

 

 この曲は以前から度々聴いていますが、外来オケの生演奏を聴いたのは、2023年のソフィエフ指揮(病気で欠場となったフランツ・ヴェルザー=メストの代理)ウィーンフィル以来です。

 この1番の演奏に関しては、ベルリン・フィルデジタル コンサート ホールで、今回のペトレンコの指揮の意図と、1番の構造的解釈について、第1コンマスのノア・ベンデックス=バルグリーが解説する、プロモート映像を見ることができます。それによれば、

❝第3楽章のコンマスのソロは、1番の唯一の独奏箇所で、Ob.とHrn.と一緒に演奏するのは、和声やテクスチャチュアが移ろいそれを音でどう表現するのか、音楽が決して終わらないという感覚を生み出しながら、同時に呼吸も感じさせる必要があり、大変難しかった。❞ ❝1番はベルリンフィルが数年毎に演奏してきた大切な曲で、その度に首席指揮者が改めて問直すのです。このロマンティックで劇的な曲をどう演奏するかを。❞ ❝この曲がプログラムに遡上される度に皆言います。今回はどう弾こうか?どんな新らしい側面を見せられるだろうか?楽譜に新しい発見はあるだろうか?と❞ ❝そしてこの伝統が、楽団員のDNAの一部になっており❞ ❝キリル・ペトレンコとのリハーサルでは、新しいアプローチを探っています。楽譜にさらに深く入り込み、新たな側面を照らし出そうとしている❞


ここで言う「シュタインバッハ(hukkats注)」は、次の指揮者です。
シュタインバッハ(hukkats注) 

1886年に、リヒャルト・シュトラウスからマイニンゲン宮廷管弦楽団楽長職を引き継ぐ。同楽団は、1881年から1885年まで、かつて楽長ハンス・フォン・ビューローのもとで精鋭オーケストラに育て上げられていた。マイニンゲンでシュタインバッハは、ブラームスに密に協力し、1888年から1896年までしばしばブラームスを、ザクセン=マイニンゲン侯ゲオルク2世や宮廷楽団の貴賓としてもてなした。シュタインバッハは最も名高いブラームス指揮者として名を上げ、ブラームス作品をとりわけ数多く上演した。これによりブラームスの確固たる地位がいっそう演奏界に築き上げられた。


❝リハーサルでペトレンコが何回も指摘していた事、それはテンポの微妙な調整です。音楽の拍、テンポは非常に柔軟であるべきで 緩急の波を付けたり 突然前のめりになったり、速くなったり遅くなったり、その場その場で必要に応じて、感情や楽譜に沿って変化させるのです❞
❝ もう一つ、ペトレンコが新しい試みをした箇所が有ります。第1楽章のここは、私が特に好きな部分です。緊張感がありいつも楽しみにしています。即ち第1楽章の展開部の終わりの部分。まるで、ブラームスが打ち負かされたかのよう、すべての希望を失った様に響く箇所です。冒頭提示の短い旋律が、ゆっくり下行し、最下点に至り、感情的にも音楽的にも最も低い地点です。❞

 第三楽章でTimp.の連打が鳴り、何かが起こる予感は、続くHrn.のソロ音が鳴り響き、さらにFl.のかん高い独奏へと続くのでした。ペトレンコは、「この素晴らしい発想はブラームスがスイスのアルプスで、耳にしたホルンの響きから生まれ、彼はそれをクララシューマンに送りました」と述べています。
 この新しい息吹、天から光が差し込む様な転換に、トロンボーンと低音管楽器の調べが応えました。 歓喜への賛歌、ベートーヴェンの第九は合唱で表現しましたが、ブラームスの達した解は、管弦楽で表現するという回答だったのです。そして最終的な主題、弦楽奏に依る分厚く暖かい、何物をも包み込む様なアンサンブルが鳴り響いたのでした。将に歓喜の歌、会場を埋め尽くした満員の聴衆も、ペトレンコ・ベルリンフィルの最後の力奏に感激の頂点に立たされたのでした。
 タクトをゆっくり下ろした指揮者、その途端会場はこれまで聴いた事の無い様な拍手喝采、歓声の轟音の渦と化したのでありました。

 各楽章共すべて、自分としては、気持ちをとてつもなく引き付けられる1番でしたが、特に一つだけ強調するとしたら、自分として最大の関心事は、やはり上にも記した、4楽章のpizzicato奏の後のHrn.を初めとする管と次第に盛り上がる弦楽奏の後、Hrn.のソロテーマ奏に引き続くFl.のこの曲の中で唯一のソロ旋律奏、Trmb.とHrn.の後追い奏、そして続くはガラッと曲風が変わり、弦楽アンサンブルの滔々とした流れに至るこの辺りでしょう。その転換が素晴らしいし、気持ちが塞いだ時など聴くと、気が清々と晴れる大好きな箇所なのです。ベルリンフィルの弦楽の流れは、あたかも、現在は細りつつあるもブラームス時代には豊富な水量をたたえていたと思われるウィーン川の様に、(現在で言えばドナウベント辺りの豊富な堂々とした流れのドナウ河の様に)雄大に速度をやや速めて滔々と流れる大河の如く、堂々とした王道の演奏でした。

上記したコンマスのバルグリーのソロ演奏は、この様な美の極まりと言える演奏はこれまでで1番ではと思う、聴いたことが無い位の素晴らしいものでありました。また最終楽章での、Hrn.Fl.のドール響、パユ鳴りによる、両横綱ががっぷり四つに組んで譲らない力相撲の迫力は、天下一品でした。またOb.の(多分)アルブリヒト・マイヤーのこれまた美声は、名ソプラノ歌手でもきっとお手上げの、他の追随を許さぬ天上の声でした。

 曲終盤の最後の大詰めの大炎上は素晴らしい迫力の一言に尽きました。

 

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    大勢の観客が、ミューザ川崎のビルの出口の処で、ベルリン・フィル団員が三々五々帰路につくのを、出待ちしていました。凄い人気です。

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