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綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『スタンダール、イタリア旅日記(1827年版)』精読(遅読)32-3

≪ボローニャ十二月三十一日≫

 前回まで、スタンダールが長逗留したミラノを発って、ベルジョイヨーゾ経由でパヴィアに着いた時の記述を書きました。その後ピアチェンツァ⇒レッジョ⇒サモッジャ経由で十二月二十七日にはボローニャ入りしたのですが、ここまでは、音楽関係の記述はほとんどなく、三十一日の記述に、音楽が無いことに関して次の様に述べています。

“イタリアのどんな小さな町でも、カーニヴァルの初日の十二月二十六日には、新しいオペラがある。1740年にはあれ程…[聖職者たち]は、ボナパルトがイタリアを目覚めさせにやってきてから、その楽しみを敵に回している。そしてどんなわけでか、ボローニャではまだオペラがない。一週間か十日以内に開かれるだろうとの噂である。僕は音楽を渇望している。音楽のない夕べは、何かしらそっけない、不幸なものがあるようだ。

 これは当時ナポレオンのイタリア統治が終了し、欧州各地で王政復古となった時代だったので、何等かの反動政策で、オペラも以前の様には開かれなくなったのでしょう。

 ボローニャには1763年設立の古い歴史を持つイタリアの代表的歌劇場があり、そのホームページ(英語版)によれば以下の様な歴史を有しており来日公演もたびたび行っています。

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ボローニャ歌劇場

 

この歌劇場が一昨年に来日公演した時、『セヴィリアの理髪師』を観たので、その時の記録を参考まで文末に掲載しました。

 

Theater history

The fire in 1745 that destroyed Bologna’s all wooden Teatro Malvezzi is the beginning of the story of Bologna’s opera house.  Following the fire, the city commissioned Antonio Galli Bibiena, a member of the famous family of theatre architects and stage designers, to build a new all stone opera theatre in the then current baroque style.  On 14 May 1763, the Teatro Comunale opened its doors to the public with the premiere performance of Gluck’s Il trionfo di Clelia. Accounts from the time report that some 1,500 persons attended the inaugural event – this at a time when Bologna’s total population was only 70,000. 

 Since then the Comunale stage has become famous for the high quality of its performances and the fame of the artists coming from all over the world. Bologna’s musical culture is well known:  composers, including Mozart, studied at Bologna’s Music Academy; Rossini lived in town for years and saw his operas staged on the Comunale; and Verdi worked in nearby Busseto and Sant’Agata. In 1867 the first Italian performance of Don Carlo took place here only a few months after the Paris premiere. 

 But the city and the theatre were also receptive to works and artists from outside Italy. By being the first Italian theatre to stage Wagner’s Lohengrin, Tannhauser, Der fliegende Holländer, Tristan und Isolde, and Parsifal, the Teatro Comunale earned for Bologna the reputation of the “Wagnerian” city. During the first Italian performance of Lohengrin, Verdi sat in a Teatro box reading his rival’s opera score.  

Conductors who have appeared at the theatre include Mariani, Toscanini, Furtwängler, von Karajan, Gavazzeni, Celibidache, Solti, Delman and more recently Muti, Abbado, Chailly, Thielemann, Sinopoli, Gatti and Jurowski. 

The great historical voices of the nineteenth century have all passed on the Comunale stage. In the twentieth century singers such as Stignani, Schipa, Gigli, Di Stefano, Christoff, Tebaldi, Del Monaco and, more recently, Pavarotti, Freni, Bruson, Horne, Ludwig, Anderson performed in this theater.
Today Teatro Comunale di Bologna continues its tradition of excellence.

The most recent productions have been designed by Pier Luigi Pizzi, Luca Ronconi, Bob Wilson, Pier’Alli, Werner Herzog and Calixto Bieito. The Theater avails itself of the collaboration of 95 orchestra professors and 70 choir artists and produces around 80 opera performances and 30 symphonic concerts in one season.

In addition to serving Bologna and the Emilia-Romagna region, the Theater has traveled abroad: we remember the tours in Japan in the years 1993, 1998, 2002, 2006 and 2011, as well as participating in important international festivals such as Aix en Provence in 2005 and Savonlinna in 2006.

 

スタンダールにとっては、ミラノでたっぷりオペラなどを堪能して、ボローニャでも音楽がたっぷり鑑賞できると期待して乗り込んだのでしょうが、肩透かしだったのでしょう。日本の現下のコロナ禍で、各種音楽会が聴きに行けなくなっている我々の渇望感と同じ気持ちを、将に表現してくれていると思います。

彼はさらに次の様に続けています。

“ここでは日曜の朝、集会所で魅力的なコンサートがある。しかしコンサートは僕にとっていつもげんなりする。僕は難解さを克服するのがとても嫌だ。コンサートを楽しむには、俳優みたいに、意のままに七つないし八つの異なった調子にまで、魂を高めねばならないだろう。” “ボローニャで音楽を楽しんだのは、知的でとてもきれいなフィリコーリ夫人の家で、たった一人で二重唱を歌う若き彫刻家、トレンタノーヴェ氏の素晴らしい声によってのみだ。”

 一人で二重唱を歌えるのでしょうか?聴いてみたいものです。

 

 さて、スタンダールのこの『スタンダール、イタリア旅日記(1827年版)』は1816年の十二月までの記事はここまでで、続いて1817年1月1日から1月8日まで書いて上巻は終了しています(その間に何故か1816年5月12日の記事が挟まれていますが、これは全く不明?)。そして下巻は1817年1月9日からスタートとなるのです。そこでは風俗の各国比較や都市に関する記事、支配者、貴族たちの歴史に関すること、見聞きした事柄などがほとんどなので、次回からは、もっと音楽に関する記事が多く書かれている、『イタリア紀行(1817年版)』に沿って読み明かしてみようと思います。

スタンダールの記述の日付に関しては、訳者の臼田 紘氏も後書きに述べている様に、

全くいい加減、でたらめ、作りあげた日付の順番なので余り気にせず、「赤と黒」の様な創作物と割り切って、但し中身のほとんどはフィクションでなく実際に彼が体験したことを書いているので、マリ・アンリ・ベール氏(彼の本名)が、主人公スタンダール(ペンネーム)に語らせた紀行の中身を読むという姿勢が妥当かと思います。

 

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≪hukkats記事再掲≫
◎2019年6月23日 (日)

≪ボローニャ歌劇場公演「セヴィリアの理髪師」①速報≫

 今日(6/22土)神奈川県民ホールでの公演をきいて来ました(2019.6/22 .15h~)。伯爵役のシラグーサは登場当初から、繊細なテノールで拍手喝采を浴びていましたが、ややスケールが小さ目か。フィガロ役のカンディアは1幕2場の最初からカヴァティーナを堂々と腹から出す腹に響く潤いのある声で歌いやんやの喝采と歓声を浴びていた。ロジーナ役のマルフィは仲々の美形で役柄にピッタリ感あり、歌もまずまず上出来でした。バルトロ役のロマーノは乾いた声で場面場面で滑稽感を出そうと努力していた。ヴァジリオ役のコンチェティは主役に負けない程の歌い振でした。則ち「椿姫」のジェルモン役に好演者が多いのと同じ様に。全体的には、各人コロラテュ-ラの明瞭性不足が特に前半感じました。(2幕の最後の方ははっきりしてきた特に伯爵等)
以上、概要です。その②詳細は後日記します。

 

◎2019年6月27日 (木)

≪ボローニャ歌劇場「セビリアの理髪師(全2幕)」その②≫

「神奈川県民ホール(約2400席)」はオペラ向きとはお世辞にも言えないですね。一応舞台設備は揃っていて、県内に他に無いから仕方なく40年以上も使っているのでしょうか?(別に1200席の神奈川芸術劇場が有りますが、もっぱら演劇、ミュージカル、ダンスをやることと役割分担しているみたい。)少し質素な日生劇場(1300席)的存在でしょうか?構造上も問題で舞台に近い両サイドの2階3階席もないですし。真奥の2、3階席も高さが低くなだらかな勾配で、舞台の音が届きにくいと思う。こうしたことから、この会場公演の時は出来るだけ1階前方に席を取とることにしています(今回はオケピットに近い席でしたので歌手の声が直かにビンビン聞こえました)。
それにしても以前も書きましたが、わが国には世界に誇れる歌劇場が皆無ですね。東京文化会館もいつまで使えるのやら?イタリアの例を挙げるまでなく、欧州各国は地方都市に行っても立派なオペラハウスを構えています。ニースなどあの保養海岸コートダジュールに(道路を挟んで)面して(やや小ぶりですが外観も内観も)立派なニースオペラ座が建ち百年以上も現役として使われている。各国とも国力絶大な時代にお金に糸目をつけず建てたものなのでしょうが、国力が落ち世界から引き離されつつある日本ではもう絶対無理なのかなー? でも最近横浜市が構想として新しい(オペラ)劇場を立てることに市長が言及したというニュースを見ました。調べると“「横浜市中期4か年計画 2018~2021」において、文化芸術の風土醸成や子どもたちの育成を図るとともに、さらなる魅力・賑わいを創出し、都市の活性化につなげるため、新たな文化芸術の魅力を発信する劇場の整備を検討する。”ということらしい。世界に発信する日本の冠たる先端文化都市として、港・横浜に思い切って外観上も機能上も世界に誇れる劇場を是非建設してもらいたいものです。反対は必ず出るでしょう。予算が少ないとか採算が取れないとか税金の無駄使いだとか一自治体の仕事ではないとか・・・いろいろ。でも「恒産無くして恒心有るは唯士のみ能くす」「食べるために生きず生きるために食す」など古人の言葉がいろいろ浮かんで来ます。物的満足がいくらあっても精神的満足が無ければ充足しません。勿論飢餓状態があればすぐ援助・救助しなければならない。死から守るべし死を避けるべし。認知症は偏よった飽食(食べ過ぎ)が元ではないかと自分勝手に思っているので、年と共に粗食に親しむべく努力しています(結構難しいですが)。‘お金は工夫次第で生み出される’とも言われます。例えば俄か思い付きですが、返礼品に劇場チケット割引券とか無料利用券を付けたふるさと寄付納税や。劇場利用権、観劇優待権、設備入札・落札権を付けた地方債を市民、企業に買ってもらうとか。国家も特区扱いの補助金を創設、援助するなどなど。長い日本の歴史の中で、一つも本格歌劇場が無いのは寂しいですね。安田講堂、大隈講堂、一ツ橋兼松講堂、同志社クラーク記念館、京都大学尊攘堂等々の例の如く、大枚をはたいて寄付する大富豪は今の日本にはいないのでしょうね。
 さてさて横道に大きくそれてしまいました。ボローニャのオペラに戻します。ムーティはスカラ座を追われてから(と書くと語弊があるかな?)、スカラ座を去ってからは、かなり頑固に持論に拘っている様です。勿論ムーティの考えであってもOne of themにしか過ぎませんから。一方「セビリアの理髪師」の方はこれまでの経験から「とにかく面白い、観ながらげらげら笑っていた」記憶が一番強いオペラでした。オケピットは前方5列の座席を取り除いて作られ、現れた指揮者はフェデリコ・サンティ、短い髭面の中年の細長い体躯の持ち主で、良く知られたイントロの曲を奏で始めました。人口に膾炙した(通常の意味からやや範囲を広げて、「人々に口ずさまれる」位の意味で使っています)、良く知っているメロディは聴いていて気持ちが良いですね。いよいよ幕が上がり第一幕第1場が開始、部下たちを率い連れてアルマヴィーヴァ伯爵(以下伯爵と略)が登場、何とプラドで見かけた美女のロジーナを追ってセビリア(以下セヴィ―ジャを使用)のロジーナの住む家まで来たというのです。セヴィ―ジャはいい街ですよ。私のお気に入りの一つです。アルカ―サル、大聖堂、スペイン広場、何と言ってもあちこちにあるオレンジの垂れさがる街路樹がとても良い街並を演出しています。食べられないそうですが。さて歌の方は先ず召使フィオレッロが歌い、次に伯爵がカヴァティーナ「きれいな朝焼け」を歌います。スペインの朝焼けは見たことありませんが、首都マドリッドで夕方素晴らしく赤というより紫色に染め上がった夕焼けを見たことが有ります。日本でもその他の国でも見たことの無い様な色でした。(撮った写真がある筈なのですが記憶させた外付けハードディスクが故障で開けなくなってしまった。)プラドはプラド美術館。道路から少し降りるとエントランスがあり、中に入ると幅の広いエントランス通路があり左右の壁には絵画がずらっと並び、そこを奥に進んで展示室に入った記憶が有ります。何といっても「ラスメニーナス」が印象的でした。伯爵は「裸のマハ」や「プラドのモナ・リザ」を観て気持ちが高揚していて、ロジーナを見かけ一目惚れしてしまったのかも知れない。美術館で美人を見かけることは結構ありますね。若かりし頃パリ、ジャックマール=アンドレ美術館を家内と一緒に見に行った時、螺旋階段を昇って行ったら、一人の若いパリジェンヌ?(いや、観光に来たチェコ娘かも知れない?意外と米国人だったりして。)が優雅にそろりそろりと階段を下りて来てすれ違いました。思わず振り返って見るほど綺麗な女性でした。(家内ににらまれた)ついでに私の記憶の中の三大美人像の2枚目。昔どこのホールだったかな?文化会館小ホールだったかな?ハインツ・ホリガーの初来日時(?)オーボエリサイタルを聴きに行った時のハープ伴奏者、ウルスラ・ホリーガーさん。若くてピンクのドレスが良く似合いバラの花の様に美しく感じた。3枚目は映画「Lady Hamilton」のビデオを観た時のビビアンリー。ちょっと馬鹿馬鹿しい話題になってしまいました。戻しますと、ロジーナの部屋の窓下で気を引こうとして歌う伯爵役のアントニーノ・シラグーザ(以下Siraと略記)は、綺麗なテノールで朗々とアリアを歌い、結構大きな拍手と掛け声を受けていました。でも少々小じんまりしているかな?スケールがやや小さい感あり。それにこのオペラの歌の大特徴である、速いテンポで歌われる「トリル等で装飾された超絶技巧のコロラテューラ歌唱」が、明瞭な音の切れ味不足と思われました。フルート奏法で謂えばタンギング不足の感じ。伯爵集団が去った後、第2場になりフィガロ役のロベルト・デ・カンディア(以下Candと略)が登場、自己宣伝若しくは自己紹介を歌うカヴァティーナ「何でも屋フィガロ」のフィガロ賛歌を歌います。お腹かが出た小太りのCandは、太い潤いのあるバリトンの声で声量も豊かに歌いました。歌い終わると同時にブラボーの掛け声があちこちで鳴り響き、大きな歓声と拍手にみまわれた。あの大きなお腹かから出た声はずっしりと聴衆のお腹に響いた様です。欲を言えばこのオペラのもう一つの大きな特徴である早口言葉、もう少し早いテンポで歌えば早口の歌詞の面白みがもっと伝わって来たかも? ロジーナの家は2階に窓が二つある白っぽいセットで出来ていて、周囲は生垣により二重に取り囲まれていた。生垣には赤い花がちらほら、山茶花の生垣でしょうか?その生垣の通路をフィガロは剪定ハサミでチョキチョキ垣根を刈りながら登場、歌ったのです。一般に床屋の店のセットを使う演出が多いですが、引っ越し公演だし、「新演出(フェディリコ・グラッツィーニ演出)」という前宣伝通り如何に簡素化し、しかも効果を上げるか工夫していますね。(床屋だけれども何でも屋だから剪定の業務でもいい訳です。) 伯爵がフィガロに手助けを求めるレスィタティーヴォの後第3場に移り、窓を開けてロジーナ役のセレーナ・マルフィ(以下Malと略)が窓下の侯爵に「無益な用心(Inutil precauzione.)の歌の歌詞」を書いたという(嘘)紙を渡したいと思っている間もなく下に落としてしまう。次の第4場で手紙を読んだ伯爵たちは、ロジーナの後見人のドン・バルトロ(実はロジーナと結婚しようとする魂胆有)が、外出して留守になったのを見計らい、伯爵はフィガロの勧めで歌を歌って窓の中のロジーナにアッタックする。マドリガル風カンツォーネ「私はリンドーロ(侯爵の偽名)」を 侯爵役Siraは切々と歌い、冒頭の歌の時と同じ位、いやそれ以上の喝采を浴びていました。でも私の受け止めは、もろ手を挙げて「素晴らしい」と言えるものではありませんでした。伯爵の歌に対して家の中からわずかに聞こえるロジーナの歌声。この状況は丁度『椿姫』の1幕、皆が宴会から帰った後、部屋に1人残ったヴィオレッタが歌う「E storano」「Follie Follie」に対して、帰り難く家の外にいてこれを聴いたアルフレッドが応じて「Amore palpito」と歌うが如し。何とかしてロジーナの家に入り込みたい侯爵に、フィガロは“酔っぱらった兵士に返送しては?”と奨める。この間次々とアイディアをひねり出すフィガロに、それでそれでと急かす侯爵に「ピアノ、ピアノ・・」と呟くフィガロの言葉が聞こえましたが、これは面白い単語ですね。「ゆっくり、ゆっくり、シー」位の意味ですかね。音楽用語の「弱い音で」から楽器の「ピアノ(もともとは弱い音しか出なかった楽器)」にまで使われている。それはさて置き、この間、侯爵とフィガロとのレスィタティーヴォ、(酔っ払いに扮するアイディアに自己満足する同じ歌詞を歌う)また(二人の勝手な考えを異なる歌詞で歌う)デュエット、フィガロが自分の店の位置を侯爵に説明する早口言葉での歌(ここでのCandの歌い振りは良かった)など有り。
 続いて第5場は家に閉じ込められたロジーナのリンドーロに対する恋心と後見人に対する恨み、フィガロへの期待などを歌う カヴァティーナとレスィタティーヴォ。登場したロジーナ役のセレーナ・マルフィ(以下Malと略記)は、黄色のかわいらしく気品のある背後に見事なリボンが付いたドレスを着用し、若々しく見えて仲々の美形のソプラノでした。間違いなくロジーナ役にピッタリの美貌歌手かも知れません。Met.や英国ロイヤルオペラで歌っているそうですが、今回初めて聴きました。さて歌い振りは?カヴァティーナ「Una voce poco fa」は高い音から低い音まで急に変化しコロラチュールを利かせて歌う難しい曲だと思いますが、何回か繰り返されるffで歌う“Si,Lindoro mio sara(リンドロは私のものよ)”のLindoroの部分もかなり力が感じられすぐに低音に下がる変化もコロラテュ-ラが良く効いていた。二回目の“lo giurai,la vincerò”のla一つをコロラテューラで短い音符の連なりの変化を歌う処もうまく表現出来た。その後の高音低音を交互に上げ下げするパッセージもきちんと表現、上出来の歌い振りでした。かなり大きな喝采と掛け声が湧き上がっていた。比較して御免なさい、でも声の質がカラス(当該オペラを歌っています)やティバルディ(当該オペラの録音は無いがロッシーニのLa PromessaのCD[DECCA版]を持っています)の様な堂々と広がる音の輝きを持つにはまだまだ至っていませんね。次の第6場ではフィガロが入って来てロジーナと話し始めたら後見人のバルトロの気配がしフィガロが隠れ 第7場で現れたバルトロがフィガロと会っただろうとロジーナや召使い達を問い詰めるレスタティーヴォ。今回こうした、レスタティーヴォ、アリア、合唱で組み立てられるオペラを聴いていると以前から思っていた、遡る事100年前のバッハのカンタータの構造に類似しているのでは?という疑問がゾロまた目を覚ましました。コーヒーを入れながら良くコーヒーカンタータを聴くのですが、バッハはイタリア音楽の影響を受け(例えばヴィヴァルディ)、イタリアの作曲家はバッハの影響をかなり受けているのではないかと考えるのです。間違っているかも知れませんが。第8場に移り音楽教師のドン・バジリオが登場、バジリオ役のアンドレア・コンチェッティ(以下Concと略記)は顔を白く塗りながら時として不気味な時として滑稽な動作で歌い笑いも誘っていました。アリア「La calunnia e un venticello(陰口はそよ風の如し)を主役顔負けのいい声のバスで歌い上げ、大きな拍手と掛け声を浴びていました。脇役で目立つ存在は結構いますよね。第9場ではバルトロがロジーナとの結婚を画策していること、ロジーナを本当に愛しているのは伯爵の偽名リンドーロであることをフィガロから告げられたロジーナはフィガロとデュエットと言っても掛け合いで歌うのですが、喜びに満ちまた戸惑う雰囲気のロジーナをMalは良く表現して歌っていたしフィガロはやや馬力が薄れた感じはしたが相変わらず良く響いてくる声で手紙を書くようにという歌を歌いました。第10場はバルトロが登場またもロジーナを詰問。
それをバルトロ役のマルコ・フィリッポ・ロマーノ(以下Romaと略記)は太い低い声のバスでアリア「A un dottor della mia sorte」を歌い、ロジーナを閉じ込めると脅迫します。
この歌の中で、「Signorina, un'altra volta quando Bartolo andrà fuori, la consegna ai servitori a suo modo far saprà. Ah, non servono le smorfie, faccia pur la gatta morta. Cospetton! per quella porta nemmen l'aria entrar potrà」の部分はこのオペラのうちでも最速の早口言葉で歌う部分ですが、Romaは良く奮闘していたものの、もう少し速く明瞭に歌って欲しかった気がします。第11場はロジーナの独り言、次の第12場で聴衆の笑いを誘ったのは、ドアをノックする音に対して日本語で「ちょっと待って!」と答えた事、どっと沸いていました(ここは次の第13場のドアノックの場面か第15場でのドアノックでの記憶違いかも知れません。間違っていたら御免なさい)。第13場は行進曲風のイントロに続き、酔った兵士に扮装した伯爵が入って来て宿泊許可書を示す。ここではバルトロを‘バロルド’とか‘ベルトルド’とか‘バルバロ’とか伯爵が酔ったふりして中傷する言葉の遊びも見ものの一つでした。それに対し次の第14場で免除証明書で対抗するバルトロ、ロジーナに実はリンドーロだと告白する兵士、ロジーナやら召使いやら更には兵隊も巻き込んでの大混乱に陥る。ここの場面では早口言葉で歌われる重唱、合唱の宝庫でした。第15場でフィガロが登場、騒ぎを止めようとするが収まらず遂には警察が部屋に入って来ます。最終第16場は全員による大合唱で長い第一幕が閉じられた。“ハンマーが反響し混乱に陥っている”と歌うハンマーの音は、トライアングルで表現していました。(時間が無いので、第二幕については後日時間が見つかれば書きます。

 

◎≪ボローニャ歌劇場「セビリアの理髪師」その③第二幕≫

 第一幕は延々と続きましたがやっと幕が下りました。この間90分、結構長丁場で休憩時間(20分)のトイレ、軽食堂は大混雑でした。
さて第二幕が開始、ここでの見どころ聴きどころは幾つか有りました。先ず冒頭の伯爵扮するアロンソ(音楽教師バジリオの弟子と嘘をつく)がやって来て悠長なとぼけた歌を歌い始める場面(第2場)、これを伯爵役シラグーサ(Siraと略記)は、如何にもとぼけた面白ろおかしい表情で歌い始めたので、思わず‘グフッ’と笑ってしまった。さらにバルトロと重唱で歌う場面では、互いの思わくをかなりの声を潜めて早口言葉で歌い、両者共良く出来たと思います。次のレスィタティーヴォでは上記≪その②≫にも書きましたが、また『Piano』という単語を二人共使っています(第一幕冒頭の伯爵達が夜陰に紛れてロジーナの家の周りをうろつく場面でも、他の場面でも「Piano.Piano」を連発してます)。日本語だと「静かに」とか「うるさい」とか「黙れ」とか「静まれ静まれ、控えおろー」などと、つい荒だたしい雰囲気になってしまいますが、「ぴあの」だと何となく優しく相手をたしなめる感じ、ソフトなニュアンスがしますね。日常生活で「ぴあの」「ぴあの」と言ってみようかな?(冗談冗談!外国語をこれ以上使うなどとんでもないといわれそう。)その辺りは二人の会話に近いレスィタティーヴォが続く場面で、以前観たセビリアの理髪師では、この場で歌手が喜劇役者的な表情と会話で観客の笑いを誘っていました。バルトロ役ロマーノ(Romaと略記)とSiraはやや喜劇の表現が足りないかな?(Romaは努めて滑稽感を出そうとしていた様ですが)この間オケは弱い金属的音の伴奏(チェレスタか?)のみ。 第3場に移りロジーナが登場、アロンソの顔を見たロジーナがリンドーロだと分かり足がツル程びっくりします。この場では普通足を引きずったり、痛さを表現して歩く演技が多いのですが、ロジーナ役のマルフィ(Malと略)は、そういう演技はしなかった。『芍薬甘草湯』でも舐めて瞬間的に痛みが治ったかな? それは冗談として、ここでロジーナはアロンソに音楽を習う振りをして、アリア『Contro un cor che accende amore』と歌い出します。バルトロは寝込んでしまい、前半はバルトロへの恨みつらみでやや暗い感じの歌ですが、伯爵との若干のデュットの後バルトロが目を覚ましてからの歌は、明るく愛に満ちたいい曲に変わり、それを熱唱するMalの姿は第一幕の時よりエンジンがかかってきた感がした。バルトロはロジーナを褒めますが、自分の若い時聴いた歌を『…Ah! quando,per esempio,cantava Caffariello quell'aria portentosa la,ra,la…」と言って歌い出します。ここでの“Caffariello”はおそらく18世紀にカストラート歌手として大活躍した、ガエターノ・マヨラーノ(通称カッファレッリ)のことと推定され、バルトロ役のRomaはこのアリエッタを優雅な口調で歌い、得意の顔でメヌエットを踊る素振りをしました。このアリエッタと先のアロンソ登場時の悠長なとぼけた歌と調べの感じが何となく似ていません?勿論リズムも音符も違うのですが。ロッシーニはかなり古歌を参考にして作曲しているのでは?と思ってしまう。ここで髭剃りのために来たフィガロが加わりますが、何とかバルトロの鍵束から窓の鎧戸の鍵を盗もうと算段する3人組(フィガロ、アロンソ、ロジーナ)のレスィタティーヴォなどが続いて、第4場バジリオの登場となりました。今回のオペラは第一幕も含めてバジリオ役のアンドレア・コンチェッティ(以下Concと略)は良かった。枯れた渋いバスで堂々と歌っていました。顔を白く塗って不気味な風貌ながら、演技も要所要所で滑稽感を出して嫌味感のないキャラを演じていました。邪魔なバジリオを必死に追い払う3人、バルトロまで尻馬にのって。ここで病人に仕立ててバジリオをベッドに追い立てようとする3人組は何回か「Presto Presto(すぐに)」と叫びますが、これも音楽用語になっていますね。バジリオ退場の後、フィガロはバルトロの髭を剃りますが、ここでのイントロの弦の演奏曲は良く知られたメロディーですね。今回のオケは狭いオケピットの中の小編成なのですが、弦の響きはそれを感じさせない位の存在感がある音を立てていて、これも指揮者サンディの力量によるものなのかなと感心して聴いていました。時間の関係で先を急ぎます。全員が退場した後第6場で召使いベルタの数少ないアリア「Il vecchiotto cerca moglie」
を、ラウラ・ケリーチが歌いましたが、そこそこの歌い振りでした。最後にアンソロやリンドーロは偽名で、本当は伯爵だと知ったロジーナが歌う『Ah! qual colpo inaspettato!』の歓喜した表情と喜びの歌をMalは喜々として歌い、拍手、歓声を浴びていました。
 そしてフィーナーレとなり、フィガロ、ロジーナ、伯爵それに合唱により、最後大いに盛り上がって幕が閉じられました。尚、最終場でバルコニーのはしごを外したことが、伯爵とロジーナを部屋に留め公証人と立会人(フィガロ)の下、結婚の書類にサインさせてしまったことを後悔するバルトロに、フィガロが“Ecco che fa un' «Inutil precauzione(無益な用心)».”と言いますが、この「無益な用心」がオペラのサブタイトルとしても使われている所以です。
 全体的に見て、主力歌手のレベルは相当なものでしたが、欲を言えば、さらに歯切れの良いコロラテューラと早口言葉の発音を聴きたかった。またこの作品には多くの心地良い歌が山とあり、初演から現在までロッシーニの人気ナンバー1のオペラであることもむべなるかなということを再確認した次第でした。
 なお、当オペラはこれまでいろいろと聴いていますが、配役の歌手によって、全体の主役が誰かという印象が変わるということが分かりました。タイトル的にはフィガロが主役ですが、内容的主役の伯爵、ロジーナに素晴らしい歌手が配置されるとフィガロを食ってしまう。バルトロが素晴らししいと、この歌劇はバルトロが主役なのかな?とさえ思う時もある。
 私は家に2005年のDECCA版のDVDを持っています。伯爵役を40歳そこそこのフローレスが歌っているのですが、彫の深いセクシーなマスクで演技も上手、歌もコロラテューラがしっかり、観客が大いに沸く様子が映っています。でも聴いていると何となく音程が僅かに定周波数より高めの様な気がするのです。それこそ何十分の一か何百分の一か計測してみないとはっきり言えないですが。そんな気がするのです。気のせいかもしれませんが。12月の来日リサイタルでその辺りも確認したいと思っています。(その前にグリゴーロを聴かなくちゃ。)