HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

【Stendhal『イタリア紀行:1817年のローマ、ナポリ、フィレンツェ』】1

《序文》

 この訳本の原本は、訳者の臼田氏によれば、1817年9月にパリでスタンダールが自費出版したフランス語版で、そのタイトルには  “イタリア紀行” という文言はありません。

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スタンダール

  訳本では、“1817年のローマ、ナポリ、フィレンツェ”  を副題にして、タイトルとして『イタリア紀行』と名付けたのです。このタイトルは、94年後の1911年に『イタリア紀行』という名称で、ドイツにおいて出版された時の、独訳本のタイトルに使用されています。日本語の訳者が何故ドイツ版のタイトルである  “イタリア紀行”  を使ったかは分かりませんが、恐らくこの日本語訳本が1990年7月に初版発行され、約一年後の1991年6月には、これまで当ブログで「精読」してきた『イタリア旅日記Ⅰ(1827年版<※hukkats注>)』が発行されたので両者の混同を避けるため、タイトルを一瞥しただけで違う本だと分かる様にして、付けたタイトルではなかろうかと推測されます。

<※hukkats注>この日本語翻訳本では、『イタリア旅日記、ローマ、ナポリ、フィレンツェ(1826)』とされていますが、ブログでは、当該本の原本が1827年2月に出版されたので、(1827年版)と称しています。)

 1817年版と1827年版との違いは、ざっくり言って後者は前者をその後十年間の知験等から大幅に増補し、前者の一部を省略、削除したものです。前者と後者の日付には何ら法則的関係性はありません。以後、表記のタイトルを略記して【Stendhal『イタリア紀行(1817年版)】と記することにします。

 この紀行文の冒頭の(序文)に、スタンダールが、如何に「音楽」を重視し第一に考えているかを述べているので、引用します。

“音楽はイタリアで今もって盛んな唯一の芸術である。画家や彫刻家は、ただ一人の人物を例外として、パリやロンドンにいるのとかわりない。反対に音楽は、この国で詩や絵画、そしてついにはペルゴレージの様な人々やチマローザのような人々に次々と生命を与えたあの創造の火をまだいくらか持っている。

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ペルゴレージ

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チマローザ

 この神聖な火は、中世の共和国の自由と崇高な習俗によって、その昔灯されたのだ。読者は著者の感情の自然な展開を見られるであろう。はじめに著者は音楽を語りたいと思う。音楽は情熱の絵画である。ついで彼はイタリア人の習俗を見る。そこからその習俗を生まれさせた政体に移り、次にイタリアに及ぼした一人物(訳注、ナポレオン)の影響に行く。こうなるのも今世紀の不運な星まわりである。著者は心を楽しませることしか望まなかったが、その絵は政治の暗い色あいで最後には黒くなってしまう。”

 要するに、「音楽」を最優先にするも、その背景の政治体制を抜きには語れないことを宣言しているのです。