【日時】2025.5.25.14:00~
【会場】NNTTオペラパレス
【演目】ジョアキーノ・ロッシーニ『セビリアの理髪師(Barbiere di Siviglia / Gioachino Rossini)
全2幕〈イタリア語上演/日本語及び英語字幕付〉
【公演期間】2025年5月25日[日]~6月3日[火]
【予定上演時間】約3時間5分(第1幕 95分 休憩 30分 第2幕 60分)
Introduction(主催者)
ロッシーニ・サウンドの魅力全開!
極上のキャストの声の妙技に酔いしれる
軽妙洒脱なストーリー展開と軽やかな声の妙技が楽しい、ロッシーニ随一の人気作。ロッシーニ・クレッシェンドで盛り上がる有名な序曲に始まり、理髪師フィガロが自慢をまくし立てる「私は町の何でも屋」、ロジーナが恋心を軽やかに歌うコロラトゥーラの人気曲「今の歌声は」など、おなじみの華やかなナンバーにのせて、箱入り娘ロジーナとアルマヴィーヴァ伯爵があの手この手のフィガロの活躍で結ばれる、痛快な恋物語が繰り広げられます。
ケップリンガー演出は、1960年代スペインが舞台。カラフルでキッチュな空気と社会変革期の"熱い"市民を背景に設定、権力と不道徳の絶妙なバランスのもと、したたかな登場人物たちがコメディを展開し、笑いに次ぐ笑いを誘います。オペラが初めての方、『セビリアの理髪師』は序曲しか聴いたことがないという方でも文句なく楽しめる、鉄壁のレパートリーです。
ヒロイン・ロジーナ役には、世界のロジーナ歌いとして活躍する脇園彩が、2020年公演に続いて登場。オペラパレスを沸かせ魅了した脇園の溌溂としたロジーナが、さらにスケールアップして戻ってきます。アルマヴィーヴァ伯爵には、世界最人気のベルカント・テノールのローレンス・ブラウンリーが21年『ルチア』以来のカムバック。そしてフィガロ役にバリトンのスター、ロベルト・デ・カンディア、バルトロには実力派ロッシーニ歌手ジュリオ・マストロトータロが登場する最高の顔合わせで、声の妙技を繰り広げます。
【主なスタッフ&キャスト】
スタッフ
【演 出】ヨーゼフ・E.ケップリンガー
【美術・衣裳】ハイドルン・シュメルツァー
【照 明】八木麻紀
【再演演出】上原真希
【舞台監督】CIBITA 斉藤美穂
キャスト
【アルマヴィーヴァ伯爵】ローレンス・ブラウンリー(Br)
【ロジーナ】脇園 彩(Wa)
【バルトロ】ジュリオ・マストロトータロ(Ma)
【フィガロ】ロベルト・デ・カンディア(Can)
【ドン・バジリオ】妻屋秀和
【ベルタ】加納悦子
【フィオレッロ】高橋正尚
【隊 長】 秋本 健
【アンブロージオ】古川和彦
【Profile(四主役)】
(Br)アメリカ出身。各紙でベルカントの国際的スターと称賛されるテノール。メトロポリタン歌劇場、ミラノ・スカラ座、バイエルン州立歌劇場、英国ロイヤルオペラ、ウィーン国立歌劇場、パリ・オペラ座、ベルリン州立歌劇場、リセウ大劇場、マドリード・テアトロ・レアルなどの主要歌劇場へベルカントの主要な役で登場。2022/23シーズンはオペラ・フィラデルフィア『オテロ』、シカゴ・リリック・オペラ『オリー伯爵』、英国ロイヤルオペラ『セビリアの理髪師』とロッシーニの主要な役のほか、メトロポリタン歌劇場『魔笛』(新制作)タミーノに、23/24シーズンはシカゴ・リリック・オペラ『連隊の娘』トニオ、ウィーン国立歌劇場『セビリアの理髪師』アルマヴィーヴァ伯爵に出演。24/25シーズンはボストン・リリック・オペラへ『ポントの王ミトリダーテ』タイトルロールでデビューし好評を博したほか、メトロポリタン歌劇場、パリ・オペラ座で『セビリアの理髪師』でもアルマヴィーヴァ伯爵に出演している。新国立劇場では06年『セビリアの理髪師』アルマヴィーヴァ伯爵、21年『ルチア』エドガルドに出演し賞賛された。
(Wa)東京生まれ。東京藝術大学卒業、同大学院修了。2013年文化庁派遣芸術家在外研修員としてパルマ国立音楽院に留学。ペーザロのロッシーニ・アカデミー及びミラノ・スカラ座アカデミー修了。ミラノ・スカラ座をはじめ、パレルモ・マッシモ劇場、テアトロ・レアル、マインツ州立劇場、ベルギー王立ワロン歌劇場、ロッシーニ・オペラ・フェスティバルなどに多数出演。日本では17年藤原歌劇団『セビリアの理髪師』ロジーナでオペラデビュー。23年、ファーストアルバム「アモーレAmore」 (BRAVO RECORDS)がリリース。ボローニャ歌劇場来日公演『ノルマ』アダルジーザも絶賛された。24年はジュネーヴ大劇場でドニゼッティ『ロベルト・デヴェリュー』サラ、ロッシーニ・オペラ・フェスティバルで『ビアンカとファッリエーロ』ファッリエーロ、パレルモ・マッシモ劇場で『イングランドの女王エリザベッタ』エリザベッタにそれぞれロールデビューし絶賛される。主にロッシーニ、モーツァルトおよびベルカント作品をレパートリーとしてイタリアを拠点に活動し、世界中から注目されるアーティストのひとり。第52回ENEOS音楽賞洋楽部門奨励賞受賞。新国立劇場へは19年『ドン・ジョヴァンニ』ドンナ・エルヴィーラでデビューし、20年『セビリアの理髪師』ロジーナ、21年『フィガロの結婚』ケルビーノ、『チェネレントラ』タイトルロール、23年『ファルスタッフ』ページ夫人メグに出演し喝采を浴びた。
(Ma)イタリアのバリトン。AsLiCoコンクールで『愛の妙薬』ベルコーレ役を獲得。マルティーナ・フランカ音楽祭で最優秀演奏者賞を受賞。ロッシーニを中心に活躍し、ミラノ・スカラ座『イタリアのトルコ人』『アルジェのイタリア女』『愛の妙薬』『トスカ』『アンドレア・シェニエ』をはじめ、ナポリ・サンカルロ歌劇場、フィレンツェ歌劇場、ローマ歌劇場、英国ロイヤルオペラ、ベルリン州立歌劇場、アン・デア・ウィーン劇場、ソフィア王妃芸術宮殿、モネ劇場、ヴェローナ・フィラルモニコ劇場、トッレ・デル・ラーゴ・プッチーニ音楽祭、パルマ・ヴェルディ音楽祭などに『フィガロの結婚』『セビリアの理髪師』『イタリアのトルコ人』『アルジェのイタリア女』『チェネレントラ』『愛の妙薬』『コジ・ファン・トゥッテ』などの作品で出演。最近では、最近では、ベルリン州立歌劇場、カリアリ歌劇場『セビリアの理髪師』バルトロ、ヴェローナ・フィラルモニコ劇場『ファルスタッフ』タイトルロール、アテネ・オリンピア劇場『チェネレントラ』ドン・マニフィコ等に出演。新国立劇場初登場。
(Ca)イタリア生まれ。卓抜した表現力と技術により世界中で活躍し、ミラノ・スカラ座、英国ロイヤルオペラ、メトロポリタン歌劇場、ウィーン国立歌劇場、ザルツブルク音楽祭、グラインドボーン音楽祭、チューリヒ歌劇場、ベルリン・ドイツ・オペラ、バイエルン州立歌劇場、モネ劇場、フィレンツェ歌劇場などの世界の著名劇場に『セビリアの理髪師』フィガロ、『愛の妙薬』ベルコーレ、『マノン・レスコー』レスコー、『チェネレントラ』ダンディーニ、『ファルスタッフ』タイトルロール、『椿姫』ジェルモン、『ジャンニ・スキッキ』タイトルロールなどの役で登場。ロッシーニの名手であり、ロッシーニ・オペラ・フェスティバルには1996年以来たびたび出演を重ねる。『ファルスタッフ』タイトルロールで特に名を馳せ、パルマ王立歌劇場、テアトロ・レアル、ローマ歌劇場、ザクセン州立歌劇場、ハンブルク州立歌劇場、ロサンゼルス・オペラ、モネ劇場、新国立劇場などで同役に出演。新国立劇場には99年『マノン・レスコー』レスコー、2002年『セビリアの理髪師』フィガロ、09年『チェネレントラ』ダンディーニ、18年『ファルスタッフ』に続き5回目の登場。
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
【指 揮】コッラード・ロヴァーリス
<Profile>
ベルガモ生まれ。フィラデルフィア・オペラ音楽監督、アートスフィア音楽祭管弦楽団音楽監督。ベルカントやヴェリズモ・オペラで特に評価される指揮者。ミラノ音楽院で学び、ミラノ・スカラ座副合唱指揮者を務めた後、フィレンツェ歌劇場、ロッシーニ・オペラ・フェスティバルに招かれ、スカラ座、フェニーチェ歌劇場、ローマ歌劇場、ボローニャ歌劇場、リヨン歌劇場、モンテカルロ歌劇場、ローザンヌ歌劇場、ケルン歌劇場、フランクフルト歌劇場などに登場。1999年、フィラデルフィア・オペラ『フィガロの結婚』でアメリカ・デビューし、カナディアン・オペラ・カンパニー、サンタフェ・オペラなどを指揮。フィラデルフィア・オペラでは世界初演作を特集するフェスティバル「Festival O」や室内オペラシリーズ「オーロラ・シリーズ」を立ち上げ手腕を発揮する。フィラデルフィア・オペラでは『グラス/ヘンデル』、ケヴィン・プッツ『Elizabeth Cree』、『リトゥン・オン・スキン』などが絶賛される。最近では、フィラデルフィア・オペラ『シモン・ボッカネグラ』『蝶々夫人』『The Listners』、ベルリン・ドイツ・オペラ『フィガロの結婚』、サンタフェ・オペラ『椿姫』パリ・オペラ座『清教徒』などに登場。新国立劇場では2019年『ドン・パスクワーレ』、23年『ファルスタッフ』を指揮した。
【合 唱】新国立劇場合唱団
【合唱指揮】水戸博之
【粗筋】
《第一幕》
アルマヴィーヴァ伯爵はマドリードで見かけた美女ロジーナを追ってセビリアへやって来た。ロジーナに向かって窓辺でセレナーデを歌うが反応なし。落ち込む伯爵の前に現れたのは、バルトロ家の理髪師で何でも屋のフィガロ。伯爵は彼にさっそく協力を頼む。ロジーナは、後見人バルトロの監視が厳しくて自由に動けないのだが、隙をみて伯爵への手紙を窓から落とす。それを読んだ伯爵は、自分は貧しい学生リンドーロだと身分を隠して自己紹介する。バルトロはロジーナとの結婚を目論んでいたが、音楽教師兼結婚業ドン・バジリオから、伯爵が彼女に迫っていると聞き、すぐに結婚契約書を作成しようとする。フィガロがロジーナに「リンドーロは君に夢中だ」と伝えると彼女は大喜び。フィガロのアイディアで伯爵は兵士に変装し、宿泊許可証を持ってバルトロ家に入る。バルトロには寝耳に水の話で、本物の兵士も来て大騒ぎの中、伯爵とロジーナは初めて会い、手紙を渡す。
《第二幕》
伯爵はバジリオの弟子ドン・アロンソに扮し、体調の悪いバジリオの代わりだと言いロジーナの音楽のレッスンをする。フィガロの協力でバルトロをかわした隙に、伯爵は、夜中に迎えに行くとロジーナに伝える。その後アロンソが偽物だと分かり怒り心頭のバルトロは「リンドーロはおまえを伯爵に売るつもりだ」とロジーナに告げる。ショックを受けたロジーナはバルトロとの結婚を承諾してしまう。嵐ののち伯爵とフィガロがロジーナを迎えに行くが、彼女はリンドーロの裏切りを非難して、その場を動こうとしない。そこで伯爵は自分の正体を明かす。驚き喜ぶロジーナ。バルトロが呼んだバジリオと公証人がちょうど来たので、フィガロの機転で伯爵とロジーナの結婚契約書を作成。伯爵の素性を知り驚いたバルトロはついに観念し、伯爵とロジーナはめでたく結ばれる。
【上演の模様】
このオペラに関しては、2019年6月に、ボローニャ歌劇場公演の上演を観ていますので、その時の記録を文末に(再掲)しました。
ボローニャはロッシーニにとって何年も住んだ街でここの音楽院で学びました。「セビリアの理髪師」は1816年、24歳の時の作品です。尤も彼は1829年、37歳で最後のオペラ「ウィリアムテル」を作曲してからは引退生活を送ったので、10歳台からオペラを作っていたとすれば、本作品はオペラ人生中盤の最盛期の作品とみなすことも可能でしょう。
このオペラがトップクラスの人気を博した要因にはいろいろあると思いますが、AIの回答を見ると、次の様です。
「セビリアの理髪師」が人気を博した要因は、まずそのストーリーの面白さ、特にフィガロの知恵と機転が貴族の恋愛成就に役立つという設定が、フランスの市民階級の台頭を反映しており、多くの人々に共感されたこと。また、ロッシーニの音楽は、メロディが非常にキャッチーで、聴衆に楽しさを与えるものだった。さらに、劇中にはコミカルな場面が多く、笑いを与えつつ、恋愛や社会風刺といったテーマも盛り込まれていたため、幅広い層に人気が出たのです。
①ストーリーの面白さ:
フィガロという庶民のキャラクターが、貴族のアルマヴィーヴァ伯爵の恋愛を助けるという設定は、フランス革命以前の社会の矛盾や、市民階級の台頭を象徴しており、当時の観客に大きな共感を呼びました。
②音楽の魅力:
ロッシーニの音楽は、旋律が非常に美しく、歌劇のシーンを盛り上げるものとして、多くの聴衆を魅了しました。特に、「もう逆らうのをやめろ」などのアリアは、技巧的な歌唱と迫力のあるメロディで、観客を興奮させます。
③コミカルな場面と社会風刺:
劇中には、バルトロやベルタなど、様々なキャラクターが登場し、彼らのユーモラスなやり取りや行動は、観客に笑いを与えました。また、貴族社会の矛盾や風刺なども盛り込まれており、観客はエンターテイメントだけでなく、社会的なメッセージも感じることができました。
④オペラ全体のバランス:
ストーリー、音楽、コミカルな場面、社会風刺など、様々な要素がバランス良く組み合わさっており、観客はオペラ全体を通じて、楽しみと感動を味わうことができました。
確かに、②の旋律等に関しては、冒頭の序曲を聴けば、一目(一聴かな?)瞭然です。 ③のコミカル性は登場人物の演技を見ればこれも一目瞭然です。喜劇役者風仕草・表情など。また早口言葉(歌)の多用、早口で歌う口振りだけでも笑いを誘います。
④のバランスも先ず否定出来ないでしょう。
ところが①は④に通ずるのですが、若干矛盾点を内包するかも知れない。と言うのもこの作品が作られた1816年は、フランスでは「フランス大革命(1789年)」勃発から既に30年弱経過したころで、欧州各国はナポレオン支配の恐怖から解放されていました。イタリアではまだ封建都市が割拠している状態でしたが、一時一部の地域がナポレオンに支配されたことも有り、フランス革命以前のフランス貴族はすでに亡命や没落貴族として民衆の反撃を受けており、 ①の文脈の ~恋愛を助けるという設定=フランス革命以前の社会の矛盾や市民階級の台頭を象徴 は誤りだと言えるでしょう。人気を博したのは、伯爵が権威を振りかざさず(時々権威を見せびらかしましたが)、庶民女性への純愛にまっしぐらに邁進するストーリーが、庶民受けしたことが大きいと思います。ま~、AIだって間違うことはあるでしょう。因みにAIの回答には必ず「AIは試行中で、回答には間違いが含まれていることが有ります」との付記がされています。
その回答が一部の誤りでなく、全くの誤りだったので、びっくりしたというか笑ってしまったことが有りました。質問を『ブログのHUKKATS とはどんな人?』と入力したら、その回答が ❝フローレスを招聘した音楽事務所運営者、音楽愛好者で演奏会を多く鑑賞している❞と出たのです。後半は当たっていますが、前半は何処でどうAIの検索が間違ってサーチし、結果がまとめられた結論なのか不思議です。完全な間違いでした。勿論自分は、フローレスの様な大歌手とは無関係ですし、音楽事務所など出来ませんし、招聘力などゼロですから。これは一ヶ月くらい前の事で、流石に今同じことを訊くと、自分のアップしたブログしかヒットしません。AIも改善されたのでしょう、きっと。今日検索した「セビリアの理髪師のロジーナとバルトロは血縁者か?」と訊くと、
「セビリアの理髪師」のロジーナとバルトロは、血縁者ではありません。ロジーナはバルトロの姪であり、バルトロはロジーナの後見人です。
より詳細な説明:
ロジーナ:ロジーナは富豪の少女で、バルトロの姪です。
バルトロ:バルトロは医師であり、ロジーナの叔父です。
関係:バルトロはロジーナの後見人であり、彼女の財産を狙って結婚をしたいと考えています。
これらのことから、ロジーナとバルトロは血縁関係のある叔父と姪の関係ですが、血縁者ではありません。」と回答しました。自己矛盾点や意味不明な点がある回答でした。AIはまだまだ正確さを増す必要がある様です。
さて本論に戻りますと、
このオペラもモーツァルトの『フィガロの結婚』と同様、歌手にとっては、歌の見せ場、聴かせ処が多いオペラです。文末の引用からピックアップしただけでも各幕に示した以下の場面が有ります。その前にオーケストラの演奏する「序曲」がまた素晴らしいし、人口に膾炙している有名な調べです。特に今回のロヴァーリス・東フィルは木管の響きが良かった。冒頭の弦楽のキザミ奏に乗ってとうとうと響くCl.のソロ音はOb.の音かと聞き紛う程澄んでいたし、Fg.も生き生き、続くVn.アンサンブルがこれまた美しく流れ出すのでした。さらに続くVn.アンサンブルは誰でも知っている位有名で、つい口遊みたくなる程慣れ親しんだ曲です。結構速いテンポのオーケストラ進行はこのオペラのせわしなさを象徴しているかの様でした。
このオペラは当時(19世紀初頭)のオペラセリアに対し喜劇的な側面が強調されたオペラブッファであり、歌手の聴かせ処のソロ詠唱を繋ぐ物語進行の語り部として、歌手がレチタチーヴォと呼ばれる、少し節をつけた歌い方で、謂わば話を繋ぐ内容になっています。従って、聴き処はレチタチーヴォでなくそれが繋ぐ様々な詠唱の部分になる訳です。その代表的な詠唱だけでも、以下に示す様に沢山あって、謂わば聞き処満載のオペラだと言えるでしょう。
〈第一幕〉
第1場 先ず召使フィオレッロが歌い、次に伯爵がカヴァティーナ「きれいな朝焼け」を歌います。
これは粗筋にある様に、伯爵がプラド美術館で見かけたロジーナに一目惚れし、セヴィリアのロジーナの住まいまで追っかけをして来て歌うのです。伯爵役のローレンス・ブラウンリーの歌唱は、非常に纏まりのある音程も乱れぬしっかりとしてはいるのですが、如何せん声量が無く最初の印象では少しがっかりしました。
第2場「何でも屋フィガロ」のフィガロ賛歌
タイトルに「理髪師」の言葉が入っている位ですから、普通だと、床屋兼便利屋のフィガロが登場すれば、主役が現れて歌ったとなるのです。しかしこのオペラでは、上記した経歴を記した「主な四主人公」の活躍如何によって、主人公が変わり得るのです。今回はフィガロ役のロベルト・デ・カンディアの歌い振りは勢いも声量も先ず先ずで、声に強さも有りましたが、いかんせん少し荒っぽさ、粗野な感じを受けたのです。それにフィガロの喜劇役者的演技は余り無く、その後の場面でもとても主役と言える活躍は見られませんでした。
第4場マドリガル風カンツォーネ「私はリンドーロ(伯爵の偽名)ここは変奏しているためかマドリガルの本筋を体得していないのか、ブラウンリーはやはり物足りない歌い振りでした。
第4場伯爵とフィガロとのレチタティーヴォ、(酔っ払いに扮するアイディアに自己満足する同じ歌詞) 酔っ払い兵士を偽装する伯爵は演技はかなりうまかったのですが、歌はこじんまりとした上手な歌でした。しかし矢張り聴いていて物足りません。
第5場カヴァティーナ「Una voce poco fa」ここはロジーナの見せ場、聴かせ処です。ロジーナ役脇園さんは、最近とみに海外での活躍が伝えられているだけあって、もともとメゾソプラノとは言え、ここカヴァティーナの前半の高音のコロラチューラもコロコロと決まり、「LINDORO」をffで強調する箇所も上下するコロラも十分に表現出来ていました。後半の跳躍音も綺麗に決まっていたし、この位の高音のコロラテューラだったらメッゾが最適に歌える声域であることを証明した様なものです。素晴らしい脇園さんの歌唱にはそれ以前まで無かった大拍手と歓声が、満員に入ったホールから沸き起こりました。これは当然でした。今日の主役は脇園さんかな、とこの歌を聴いてすぐに思いました。
第8場アリア「La calunnia e un venticello(陰口はそよ風の如し)
ここでは後見人のバルトロに、音楽教師ドン・バジリオ役の妻屋さんが、ロジーナに纏わり着く伯爵を遣り込めてロジーナとの関係を壊すし撤退させる方法は、伯爵の悪い噂を立てることが一番だと入れ知恵するのです。あたかもそよ風が静かに広がる様にと歌いました。これこそはタヌキがタヌキ寝するばかし合いで笑ってしまうところでしたが、妻屋さんは(いつもそうなのですが)かなりのハイレヴェルのバス声で歌うものの、何分貴真面目な性格なのかふざけたお面白味のある役柄を演じ切っているとは思えませんでした。笑うに笑えません。バルトロはそれよりも手っ取り早いのは、結婚契約書を作成し実行することだとバジリオを抱き込もうとするのでした。
第10場アリア「A un dottor della mia sorte」で嘘の言い訳をするロジーナに、バルトロはもう少しましな嘘をつきなさいと歌うのですが、バルトロはやはりかなりのバス(バッソ・ブッフォ)の歌い手とみえて、声に強さもある迫力を感じました。
第10場「Signorina, un'altra volta quando Bartolo andrà fuori, la consegna ai servitori a suo modo far saprà. Ah, non servono le smorfie, faccia pur la gatta morta. Cospetton! per quella porta nemmen l'aria entrar potrà」の部分はこのオペラのうちでも最速の早口言葉の歌ですが、フィガロ役もバルトロ役もいま一つ明確でない切れ味が無い、テンポが少し遅いといった印象でした。余り得意では無いのかも知れない?
第14場で免除証明書で対抗するバルトロ、ロジーナに実はリンドーロだと告白する兵士、ロジーナやら召使いやら更には兵隊も巻き込んでの大混乱に陥ち入ります。ここの場面では元来、早口言葉で歌われる重唱や合唱の宝庫です。しかし早口歌はやはりキレが良くなかったし、合唱は良かったのですが、重唱は四重唱なのか五重唱なのか、歌からは明確に聞き訳が付かない雑然としたものでした。重唱としての練習は相当時間をかけないと整然とハモった歌には聞こえませんよ。
最終第16場の鍛冶屋のハンマーの音はトライアングルにしては太い金属音でした。何の楽器だったのでしょう?
《第二幕》
第2場の音楽教師バジリオが体調を壊して来れないので代理で来たというアロンソ(実は伯爵が変装)がこわいろを変えて歌うのですが、第一幕の時よりは歌の安定性も表現性も随分改善され、若しピアノ伴奏のリサイタルか何かであれば、見事な上手なテノールと受け止められたのでしょうけれど、何分声量については、如何ともし難いのでしょう。限界ギリギリ一杯で歌っても小ジンマリとした印象はぬぐえませんでした。ロジーナのアリア『Contro un cor che accende amore』でも脇園さんは第一幕の活躍の余勢をかって良い歌い振りですが、少し疲労感は拭えませんでした。
この第2場では、歌手が喜劇役者的な表情とレチタティーヴォで観客の笑いを誘う場面なのですが、バルトロ役マストロトータロとアロンソに扮した伯爵役ブラウンリーは演技も歌も含めて喜劇的表現が足りないのではと思いました。ここまでで、会場がが少しゲラッと湧いたのは、日本語で、確か「誰れ?」とか言った箇所など二回有りましたがそれ以外は面白みの余り無い歌唱、演技だったのではなかろうかと思います。
第4場でのドン・バジリオ(妻屋)とバルトロ、フィガロ、ロジーナ、アロンソ(実は伯爵)の五重唱は、本来多重唱のアンサンブルの醍醐味を感じるのであれば魅力あるのですが、今回は、それぞれが勝手な内容を勝手に歌う雑然感の方が強くて、決して褒められた五重唱とは言えないのではないでしょうか。ここでバジリオを邪魔立てする他の四人は、盛んにバジリオは熱があるとか、しょう紅熱だとか騒ぎ立てて追い払うのに成功します。それはフィガロがバルトロの髭剃りをしている内に、バルトロの家の鍵をくすねて、夜皆でロジーナをバルトロの監視の家から救い出す算段なのでした。
尚、第6場で、非常に希少なアリアを歌うのは召し使いのベルタです。ベルタ役の加納さんは、ゆっくりとしっかりとロジーナとバルトロの関係を揶揄したアリアを歌い始めましたが、どうしても脇園さんと比較してしまい、少し物足りなさを感じる歌い振りでした。
物語はフィナーレに向かってまっしぐら、一時バルトロの「ロジーナが恋したバルコニー下の男性=リンドーロはフィガロたちとつるんでロジーナを伯爵にくっつけ様としている」と言ったバルトロの説得を一時信じてしまったロジーナも、警官がやって来て、伯爵の身分が明らかになった段階で、初めてロジーナは、バルコニ下の男性=リンドーロ=伯爵だと知り、伯爵はバルトロの所業を糾弾し、ここに晴れてロジーナと伯爵は結婚へと結ばれるハッピーエンドに到達したのでした。
しかしよくよく考えてみれば、アルマヴィーヴァ伯爵は富や権力や地位に目がくらむ女性でなく、純粋に愛情によって自分を好きになって呉れる女性かどうかを見極めるために、ロジーナに長い間身分を明かさなかった模様ですが、そんなに変装したり、騙したりしてまで、皆を躍らせなくとも、何とか別な道は無かったものかと、頬槌いをついて考えてしまうのでした。それに最初から大きな疑問は、叔父と姪が結婚するのは近親相姦にならないのでしょうか?(伯父と姪ならいいかも知れないけれど)いとこ同士ならば現代日本でも結婚は認められる筈ですね。
上演がほぼ時間通り終了し、満員のオペラパレスの観客は、長時間演じた出演者、管弦楽団、合唱団他を讃えて、いつまでも拍手喝采は鳴り止みませんでした。
なお、以下の(再掲)にも記していますが、伯爵役フローレスの録画は、流石最盛期とあってか(昨年の来日コンサートでは衰えが見えた様ですが)、アジリタも見事で声量も、今回のブラウンリとは比べものにならない位大きくて、演技上手な「理髪師」だし、この演目が人気を勝ち得たもう一つの要因は、過去には素晴らしい歌声で、上演を輝かせた多くの歌手達がいたという事実でしょう。もう一例挙げれば、次の映像は四主役とも素晴らしい歌声と演技を披露していました。
1972年8月 ザルツブルク,ミュンヘン /指揮:クラウディオ・アバド /ミラノ・スカラ座管弦楽団 /演出:ジャン=ピエール・ポネル /アルマヴィーヴァ伯爵:ルイジ・アルヴァ/ バルトロ:エンツォ・ダーラ /ロジーナ:テレサ・ベルガンサ /フィガロ:ヘルマン・プライ /バジリオ:パオロ・モンタルソロ/ フィオレルロ:レナート・チェザーリ/ ベルタ:ステファニア・マラグー /ミラノ・スカラ座合唱団
アバドが何と若々しい映像なのだろう!ベルガンサの切れの良いコロラテューラ!、プライの力強いアジリタが心地良いフィガロの歌、バルトロ役エンツォ・ダーラの迫力ある演技と歌唱力、特に早口歌が面白く場面を盛り上げます。伯爵役ルイジ・アルヴァも又アジリタを綺麗に入れたテノールを朗々と響かせていました。四主役の内三名はかなり以前に既に鬼籍に入っていますが、アルヴァはフローレスと同じペルー出身のテノールで、つい最近まで存命でしたが、一昨年だったかな?93歳で亡くなられたとの事です。逆算すると50年前頃の映像ですから40歳前半の働き盛りの力が漲った歌い振りが素晴らしいものでした。又演技一つ一つに全員が喜劇性を帯びた振付をされていて、将にブッファ・オペラのお手本を見る思いでした。
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2019.6.23.HUKKATS.Roc.(再掲)
≪ボローニャ歌劇場公演「セヴィリアの理髪師」①速報≫
今日(6/22土)神奈川県民ホールでの公演をきいて来ました(2019.6/22 .15h~)。伯爵役のシラグーサは登場当初から、繊細なテノールで拍手喝采を浴びていましたが、ややスケールが小さ目か。フィガロ役のカンディアは1幕2場の最初からカヴァティーナを堂々と腹から出す腹に響く潤いのある声で歌いやんやの喝采と歓声を浴びていた。ロジーナ役のマルフィは仲々の美形で役柄にピッタリ感あり、歌もまずまず上出来でした。バルトロ役のロマーノは乾いた声で場面場面で滑稽感を出そうと努力していた。ヴァジリオ役のコンチェティは主役に負けない程の歌い振でした。則ち「椿姫」のジェルモン役に好演者が多いのと同じ様に。全体的には、各人コロラテュ-ラの明瞭性不足が特に前半感じました。(2幕の最後の方ははっきりしてきた特に伯爵等)
以上、概要です。その②詳細は後日記します。
◎2019年6月27日 (木)
≪ボローニャ歌劇場「セビリアの理髪師(全2幕)」その②≫
「神奈川県民ホール(約2400席)」はオペラ向きとはお世辞にも言えないですね。一応舞台設備は揃っていて、県内に他に無いから仕方なく40年以上も使っているのでしょうか?(別に1200席の神奈川芸術劇場が有りますが、もっぱら演劇、ミュージカル、ダンスをやることと役割分担しているみたい。)少し質素な日生劇場(1300席)的存在でしょうか?構造上も問題で舞台に近い両サイドの2階3階席もないですし。真奥の2、3階席も高さが低くなだらかな勾配で、舞台の音が届きにくいと思う。こうしたことから、この会場公演の時は出来るだけ1階前方に席を取とることにしています(今回はオケピットに近い席でしたので歌手の声が直かにビンビン聞こえました)。
それにしても以前も書きましたが、わが国には世界に誇れる歌劇場が皆無ですね。東京文化会館もいつまで使えるのやら?イタリアの例を挙げるまでなく、欧州各国は地方都市に行っても立派なオペラハウスを構えています。ニースなどあの保養海岸コートダジュールに(道路を挟んで)面して(やや小ぶりですが外観も内観も)立派なニースオペラ座が建ち百年以上も現役として使われている。各国とも国力絶大な時代にお金に糸目をつけず建てたものなのでしょうが、国力が落ち世界から引き離されつつある日本ではもう絶対無理なのかなー? でも最近横浜市が構想として新しい(オペラ)劇場を立てることに市長が言及したというニュースを見ました。調べると“「横浜市中期4か年計画 2018~2021」において、文化芸術の風土醸成や子どもたちの育成を図るとともに、さらなる魅力・賑わいを創出し、都市の活性化につなげるため、新たな文化芸術の魅力を発信する劇場の整備を検討する。”ということらしい。世界に発信する日本の冠たる先端文化都市として、港・横浜に思い切って外観上も機能上も世界に誇れる劇場を是非建設してもらいたいものです。反対は必ず出るでしょう。予算が少ないとか採算が取れないとか税金の無駄使いだとか一自治体の仕事ではないとか・・・いろいろ。でも「恒産無くして恒心有るは唯士のみ能くす」「食べるために生きず生きるために食す」など古人の言葉がいろいろ浮かんで来ます。物的満足がいくらあっても精神的満足が無ければ充足しません。勿論飢餓状態があればすぐ援助・救助しなければならない。死から守るべし死を避けるべし。認知症は偏よった飽食(食べ過ぎ)が元ではないかと自分勝手に思っているので、年と共に粗食に親しむべく努力しています(結構難しいですが)。‘お金は工夫次第で生み出される’とも言われます。例えば俄か思い付きですが、返礼品に劇場チケット割引券とか無料利用券を付けたふるさと寄付納税や。劇場利用権、観劇優待権、設備入札・落札権を付けた地方債を市民、企業に買ってもらうとか。国家も特区扱いの補助金を創設、援助するなどなど。長い日本の歴史の中で、一つも本格歌劇場が無いのは寂しいですね。安田講堂、大隈講堂、一ツ橋兼松講堂、同志社クラーク記念館、京都大学尊攘堂等々の例の如く、大枚をはたいて寄付する大富豪は今の日本にはいないのでしょうね。
さてさて横道に大きくそれてしまいました。ボローニャのオペラに戻します。ムーティはスカラ座を追われてから(と書くと語弊があるかな?)、スカラ座を去ってからは、かなり頑固に持論に拘っている様です。勿論ムーティの考えであってもOne of themにしか過ぎませんから。一方「セビリアの理髪師」の方はこれまでの経験から「とにかく面白い、観ながらげらげら笑っていた」記憶が一番強いオペラでした。オケピットは前方5列の座席を取り除いて作られ、現れた指揮者はフェデリコ・サンティ、短い髭面の中年の細長い体躯の持ち主で、良く知られたイントロの曲を奏で始めました。人口に膾炙した(通常の意味からやや範囲を広げて、「人々に口ずさまれる」位の意味で使っています)、良く知っているメロディは聴いていて気持ちが良いですね。いよいよ幕が上がり第一幕第1場が開始、部下たちを率い連れてアルマヴィーヴァ伯爵(以下伯爵と略)が登場、何とプラドで見かけた美女のロジーナを追ってセビリア(以下セヴィ―ジャを使用)のロジーナの住む家まで来たというのです。セヴィ―ジャはいい街ですよ。私のお気に入りの一つです。アルカ―サル、大聖堂、スペイン広場、何と言ってもあちこちにあるオレンジの垂れさがる街路樹がとても良い街並を演出しています。食べられないそうですが。さて歌の方は先ず召使フィオレッロが歌い、次に伯爵がカヴァティーナ「きれいな朝焼け」を歌います。スペインの朝焼けは見たことありませんが、首都マドリッドで夕方素晴らしく赤というより紫色に染め上がった夕焼けを見たことが有ります。日本でもその他の国でも見たことの無い様な色でした。(撮った写真がある筈なのですが記憶させた外付けハードディスクが故障で開けなくなってしまった。)プラドはプラド美術館。道路から少し降りるとエントランスがあり、中に入ると幅の広いエントランス通路があり左右の壁には絵画がずらっと並び、そこを奥に進んで展示室に入った記憶が有ります。何といっても「ラスメニーナス」が印象的でした。伯爵は「裸のマハ」や「プラドのモナ・リザ」を観て気持ちが高揚していて、ロジーナを見かけ一目惚れしてしまったのかも知れない。美術館で美人を見かけることは結構ありますね。若かりし頃パリ、ジャックマール=アンドレ美術館を家内と一緒に見に行った時、螺旋階段を昇って行ったら、一人の若いパリジェンヌ?(いや、観光に来たチェコ娘かも知れない?意外と米国人だったりして。)が優雅にそろりそろりと階段を下りて来てすれ違いました。思わず振り返って見るほど綺麗な女性でした。(家内ににらまれた)ついでに私の記憶の中の三大美人像の2枚目。昔どこのホールだったかな?文化会館小ホールだったかな?ハインツ・ホリガーの初来日時(?)オーボエリサイタルを聴きに行った時のハープ伴奏者、ウルスラ・ホリーガーさん。若くてピンクのドレスが良く似合いバラの花の様に美しく感じた。3枚目は映画「Lady Hamilton」のビデオを観た時のビビアンリー。ちょっと馬鹿馬鹿しい話題になってしまいました。戻しますと、ロジーナの部屋の窓下で気を引こうとして歌う伯爵役のアントニーノ・シラグーザ(以下Siraと略記)は、綺麗なテノールで朗々とアリアを歌い、結構大きな拍手と掛け声を受けていました。でも少々小じんまりしているかな?スケールがやや小さい感あり。それにこのオペラの歌の大特徴である、速いテンポで歌われる「トリル等で装飾された超絶技巧のコロラテューラ歌唱」が、明瞭な音の切れ味不足と思われました。フルート奏法で謂えばタンギング不足の感じ。伯爵集団が去った後、第2場になりフィガロ役のロベルト・デ・カンディア(以下Candと略)が登場、自己宣伝若しくは自己紹介を歌うカヴァティーナ「何でも屋フィガロ」のフィガロ賛歌を歌います。お腹かが出た小太りのCandは、太い潤いのあるバリトンの声で声量も豊かに歌いました。歌い終わると同時にブラボーの掛け声があちこちで鳴り響き、大きな歓声と拍手にみまわれた。あの大きなお腹かから出た声はずっしりと聴衆のお腹に響いた様です。欲を言えばこのオペラのもう一つの大きな特徴である早口言葉、もう少し早いテンポで歌えば早口の歌詞の面白みがもっと伝わって来たかも? ロジーナの家は2階に窓が二つある白っぽいセットで出来ていて、周囲は生垣により二重に取り囲まれていた。生垣には赤い花がちらほら、山茶花の生垣でしょうか?その生垣の通路をフィガロは剪定ハサミでチョキチョキ垣根を刈りながら登場、歌ったのです。一般に床屋の店のセットを使う演出が多いですが、引っ越し公演だし、「新演出(フェディリコ・グラッツィーニ演出)」という前宣伝通り如何に簡素化し、しかも効果を上げるか工夫していますね。(床屋だけれども何でも屋だから剪定の業務でもいい訳です。) 伯爵がフィガロに手助けを求めるレスィタティーヴォの後第3場に移り、窓を開けてロジーナ役のセレーナ・マルフィ(以下Malと略)が窓下の侯爵に「無益な用心(Inutil precauzione.)の歌の歌詞」を書いたという(嘘)紙を渡したいと思っている間もなく下に落としてしまう。次の第4場で手紙を読んだ伯爵たちは、ロジーナの後見人のドン・バルトロ(実はロジーナと結婚しようとする魂胆有)が、外出して留守になったのを見計らい、伯爵はフィガロの勧めで歌を歌って窓の中のロジーナにアッタックする。マドリガル風カンツォーネ「私はリンドーロ(侯爵の偽名)」を 侯爵役Siraは切々と歌い、冒頭の歌の時と同じ位、いやそれ以上の喝采を浴びていました。でも私の受け止めは、もろ手を挙げて「素晴らしい」と言えるものではありませんでした。伯爵の歌に対して家の中からわずかに聞こえるロジーナの歌声。この状況は丁度『椿姫』の1幕、皆が宴会から帰った後、部屋に1人残ったヴィオレッタが歌う「E storano」「Follie Follie」に対して、帰り難く家の外にいてこれを聴いたアルフレッドが応じて「Amore palpito」と歌うが如し。何とかしてロジーナの家に入り込みたい侯爵に、フィガロは“酔っぱらった兵士に変装しては?”と奨める。この間次々とアイディアをひねり出すフィガロに、それでそれでと急かす侯爵に「ピアノ、ピアノ・・」と呟くフィガロの言葉が聞こえましたが、これは面白い単語ですね。「ゆっくり、ゆっくり、シー」位の意味ですかね。音楽用語の「弱い音で」から楽器の「ピアノ(もともとは弱い音しか出なかった楽器)」にまで使われている。それはさて置き、この間、侯爵とフィガロとのレスィタティーヴォ、(酔っ払いに扮するアイディアに自己満足する同じ歌詞を歌う)また(二人の勝手な考えを異なる歌詞で歌う)デュエット、フィガロが自分の店の位置を侯爵に説明する早口言葉での歌(ここでのCandの歌い振りは良かった)など有り。
続いて第5場は家に閉じ込められたロジーナのリンドーロに対する恋心と後見人に対する恨み、フィガロへの期待などを歌う カヴァティーナとレスィタティーヴォ。登場したロジーナ役のセレーナ・マルフィ(以下Malと略記)は、黄色のかわいらしく気品のある背後に見事なリボンが付いたドレスを着用し、若々しく見えて仲々の美形のソプラノでした。間違いなくロジーナ役にピッタリの美貌歌手かも知れません。Met.や英国ロイヤルオペラで歌っているそうですが、今回初めて聴きました。さて歌い振りは?カヴァティーナ「Una voce poco fa」は高い音から低い音まで急に変化しコロラチュールを利かせて歌う難しい曲だと思いますが、何回か繰り返されるffで歌う“Si,Lindoro mio sara(リンドロは私のものよ)”のLindoroの部分もかなり力が感じられすぐに低音に下がる変化もコロラテュ-ラが良く効いていた。二回目の“lo giurai,la vincerò”のla一つをコロラテューラで短い音符の連なりの変化を歌う処もうまく表現出来た。その後の高音低音を交互に上げ下げするパッセージもきちんと表現、上出来の歌い振りでした。かなり大きな喝采と掛け声が湧き上がっていた。比較して御免なさい、でも声の質がカラス(当該オペラを歌っています)やティバルディ(当該オペラの録音は無いがロッシーニのLa PromessaのCD[DECCA版]を持っています)の様な堂々と広がる音の輝きを持つにはまだまだ至っていませんね。次の第6場ではフィガロが入って来てロジーナと話し始めたら後見人のバルトロの気配がしフィガロが隠れ 第7場で現れたバルトロがフィガロと会っただろうとロジーナや召使い達を問い詰めるレスタティーヴォ。今回こうした、レスタティーヴォ、アリア、合唱で組み立てられるオペラを聴いていると以前から思っていた、遡る事100年前のバッハのカンタータの構造に類似しているのでは?という疑問がゾロまた目を覚ましました。コーヒーを入れながら良くコーヒーカンタータを聴くのですが、バッハはイタリア音楽の影響を受け(例えばヴィヴァルディ)、イタリアの作曲家はバッハの影響をかなり受けているのではないかと考えるのです。間違っているかも知れませんが。第8場に移り音楽教師のドン・バジリオが登場、バジリオ役のアンドレア・コンチェッティ(以下Concと略記)は顔を白く塗りながら時として不気味な時として滑稽な動作で歌い笑いも誘っていました。アリア「La calunnia e un venticello(陰口はそよ風の如し)を主役顔負けのいい声のバスで歌い上げ、大きな拍手と掛け声を浴びていました。脇役で目立つ存在は結構いますよね。第9場ではバルトロがロジーナとの結婚を画策していること、ロジーナを本当に愛しているのは伯爵の偽名リンドーロであることをフィガロから告げられたロジーナはフィガロとデュエットと言っても掛け合いで歌うのですが、喜びに満ちまた戸惑う雰囲気のロジーナをMalは良く表現して歌っていたしフィガロはやや馬力が薄れた感じはしたが相変わらず良く響いてくる声で手紙を書くようにという歌を歌いました。第10場はバルトロが登場またもロジーナを詰問。
それをバルトロ役のマルコ・フィリッポ・ロマーノ(以下Romaと略記)は太い低い声のバスでアリア「A un dottor della mia sorte」を歌い、ロジーナを閉じ込めると脅迫します。
この歌の中で、「Signorina, un'altra volta quando Bartolo andrà fuori, la consegna ai servitori a suo modo far saprà. Ah, non servono le smorfie, faccia pur la gatta morta. Cospetton! per quella porta nemmen l'aria entrar potrà」の部分はこのオペラのうちでも最速の早口言葉で歌う部分ですが、Romaは良く奮闘していたものの、もう少し速く明瞭に歌って欲しかった気がします。第11場はロジーナの独り言、次の第12場で聴衆の笑いを誘ったのは、ドアをノックする音に対して日本語で「ちょっと待って!」と答えた事、どっと沸いていました(ここは次の第13場のドアノックの場面か第15場でのドアノックでの記憶違いかも知れません。間違っていたら御免なさい)。第13場は行進曲風のイントロに続き、酔った兵士に扮装した伯爵が入って来て宿泊許可書を示す。ここではバルトロを‘バロルド’とか‘ベルトルド’とか‘バルバロ’とか伯爵が酔ったふりして中傷する言葉の遊びも見ものの一つでした。それに対し次の第14場で免除証明書で対抗するバルトロ、ロジーナに実はリンドーロだと告白する兵士、ロジーナやら召使いやら更には兵隊も巻き込んでの大混乱に陥る。ここの場面では早口言葉で歌われる重唱、合唱の宝庫でした。第15場でフィガロが登場、騒ぎを止めようとするが収まらず遂には警察が部屋に入って来ます。最終第16場は全員による大合唱で長い第一幕が閉じられた。“ハンマーが反響し混乱に陥っている”と歌うハンマーの音は、トライアングルで表現していました。(時間が無いので、第二幕については後日時間が見つかれば書きます。)
一幕は終わりました。この間90分、結構長丁場で休憩時間(20分)のトイレ、軽食堂は大混雑でした。
◎≪ボローニャ歌劇場「セビリアの理髪師」その③第二幕≫
第一幕は長々と続きましたがやっと幕が下りました。この間90分、結構長丁場で休憩時間(20分)のトイレ、軽食堂は大混雑でした。
さて第二幕が開始、ここでの見どころ聴きどころは幾つか有りましたが、先ず冒頭の伯爵扮するアロンソ(音楽教師バジリオの弟子と嘘をつく)がやって来て悠長なとぼけた歌を歌い始める場面(第2場)、これを伯爵役シラグーサ(Siraと略記)は、如何にもとぼけた面白ろおかしい表情で歌い始めたので、思わず‘グフッ’と笑ってしまった。さらにバルトロと重唱で歌う場面では、互いの思わくをかなりの声を潜めて早口言葉で歌ったが両者共良く出来ました。次のレスィタティーヴォでは上記≪その②≫にも書きましたが、また『Piano』という単語を二人共使っています(第一幕冒頭の伯爵達が夜陰に紛れてロジーナの家の周りをうろつく場面でも、他の場面でも「Piano.Piano」を連発してます)。日本語だと「静かに」とか「うるさい」とか「黙れ」とか「静まれ静まれ、控えおろー」などと、つい荒だたしい雰囲気になってしまうが、「ぴあの」だと何となく優しく相手をたしなめる感じ、ソフトなニュアンスがしますね。日常生活で「ぴあの」「ぴあの」ときってみようかな?(冗談冗談!外国語をこれ以上使うなどとんでもないと、怒られてしまいそう!)この辺りは二人の会話に近いレスィタティーヴォが続く場面で、以前観たオペラでは、この場で歌手が喜劇役者的な表情と会話で観客の笑いを誘っていました。バルトロ役ロマーノ(Romaと略記)とSiraはやや喜劇の表現が足りないかな?(Romaは努めて滑稽感を出そうとしていた様ですが)この間オケは弱い金属的音の伴奏(チェレスタ?)のみ。第3場に移りロジーナが登場、アロンソの顔を見たロジーナがリンドーロだと分かり足がツル程びっくりします。この場では普通足を引きずったり、痛さを表現して歩く演技が多いのですが、ロジーナ役のマルフィ(Malと略)は、そういう演技はしなかった。『芍薬甘草湯』でも舐めて瞬間的に痛みが治ったかな? それは冗談として、ここでロジーナはアロンソに音楽を習う振りをして、アリア『Contro un cor che accende amore』と歌い出します。バルトロは寝込んでしまい、前半はバルトロへの恨みつらみでやや暗い感じの歌ですが、伯爵との若干のデュットの後バルトロが目を覚ましてからの歌は、明るく愛に満ちたいい曲に変わり、それを熱唱するMalの姿は第一幕の時よりエンジンがかかってきた感がした。バルトロはロジーナを褒めますが、自分の若い時聴いた歌を『…Ah! quando,per esempio,cantava Caffariello quell'aria portentosa la,ra,la…」と言って歌い出します。ここでの“Caffariello”はおそらく18世紀にカストラート歌手として大活躍した、ガエターノ・マヨラーノ(通称カッファレッリ)のことと推定され、バルトロ役のRomaはこのアリエッタを優雅な口調で歌い、得意の顔でメヌエットを踊る素振りをしました。このアリエッタと先のアロンソ登場時の悠長なとぼけた歌と調べの感じが何となく似ていません?勿論リズムも音符も違うのですが。ロッシーニはかなり古歌を参考にして作曲しているのでは?と思ってしまう。ここで髭剃りのために来たフィガロが加わりますが、何とかバルトロの鍵束から窓の鎧戸の鍵を盗もうと算段する3人組(フィガロ、アロンソ、ロジーナ)のレスィタティーヴォなどが続いて、第4場バジリオの登場となりました。今回のオペラは第一幕も含めてバジリオ役のアンドレア・コンチェッティ(以下Concと略)は良かった。枯れた渋いバスで堂々と歌っていました。顔を白く塗って不気味な風貌ながら、演技も要所要所で滑稽感を出して嫌味感のないキャラを演じていました。邪魔なバジリオを必死に追い払う3人、バルトロまで尻馬にのって。ここで病人に仕立ててバジリオをベッドに追い立てようとする3人組は何回か「Presto Presto(すぐに)」と叫びますが、これも音楽用語になっていますね。バジリオ退場の後、フィガロはバルトロの髭を剃りますが、ここでのイントロの弦の演奏曲は良く知られたメロディーですね。今回のオケは狭いオケピットの中の小編成なのですが、弦の響きはそれを感じさせない位の存在感がある音を立てていて、これも指揮者サンディの力量によるものなのかなと感心して聴いていました。時間の関係で先を急ぎます。全員が退場した後第6場で召使いベルタの数少ないアリア「Il vecchiotto cerca moglie」
を、ラウラ・ケリーチが歌いましたが、そこそこの歌い振りでした。最後にアンソロやリンドーロは偽名で、本当は伯爵だと知ったロジーナが歌う『Ah! qual colpo inaspettato!』の歓喜した表情と喜びの歌をMalは喜々として歌い、拍手、歓声を浴びていました。
そしてフィーナーレとなり、フィガロ、ロジーナ、伯爵それに合唱により、最後大いに盛り上がって幕が閉じられました。尚、最終場でバルコニーのはしごを外したことが、伯爵とロジーナを部屋に留め公証人と立会人(フィガロ)の下、結婚の書類にサインさせてしまったことを後悔するバルトロに、フィガロが“Ecco che fa un' «Inutil precauzione(無益な用心)».”と言いますが、この「無益な用心」がオペラのサブタイトルとしても使われている所以です。
全体的に見て、主力歌手のレベルは相当なものでしたが、欲を言えば、さらに歯切れの良いコロラテューラと早口言葉の発音を聴きたかった。またこの作品には多くの心地良い歌が山とあり、初演から現在までロッシーニの人気ナンバー1のオペラであることもむべなるかなということを再確認した次第でした。
なお、当オペラはこれまでいろいろと聴いていますが、配役の歌手によって、全体の主役が誰かという印象が変わるということが分かりました。タイトル的にはフィガロが主役ですが、内容的主役の伯爵、ロジーナに素晴らしい歌手が配置されるとフィガロを食ってしまう。バルトロが素晴らしいと、この歌劇はバルトロが主役なのかな?とさえ思う時もある。
私は家に2005年のDECCA版のDVDを持っています。伯爵役を40歳そこそこのフローレスが歌っているのですが、彫の深いセクシーなマスクで演技も上手、歌もコロラテューラがしっかり、観客が大いに沸く様子が映っています。でも聴いていると何となく音程が僅かに定周波数より高めの様な気がするのです。それこそ何十分の一か何百分の一か計測してみないとはっきり言えないですが。そんな気がするのです。気のせいかもしれませんが。12月の来日リサイタルでその辺りも確認したいと思っています。(その前にグリゴーロを聴かなくちゃ。)