HUKKATS hyoro Roc

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小泉・都響『第九』演奏会2024(初日)を聴く

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〇都響​ スペシャル「第九」
【日時】2024.12.24.(火)14:00〜

【会場】東京文化会館

【管弦楽】東京都交響楽団

【指揮 】小泉 和裕​

【出演】ソプラノ: 迫田美帆​、メゾソプラノ :山下裕賀​、テノール :工藤和真​、
バリトン :池内響​
合唱 :新国立劇場合唱団​

【曲目】ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 Op.125「合唱付」

(曲について) 

 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが1824年に作曲した独唱と合唱を伴う交響曲。ベートーヴェンの9番目にして最後の交響曲。ベートーヴェン自身はタイトルをつけなかったが、通称として「合唱」や「合唱付き」が付されることも多い。また日本では略称として「第九」(だいく)とも呼ばれ、その演奏会は年末の風物詩となっている。第4楽章は独唱および合唱を伴って演奏され、歌詞にはシラーの詩『歓喜に寄す』が用いられ、その主題は『歓喜の歌』としても親しまれている。原曲の歌詞はドイツ語だが、世界中の多くの言語に翻訳されており、その歌詞で歌われることもある。

 多くの批評家や音楽学者によってベートーヴェンの最高傑作に位置付けられるだけでなく、西洋音楽史上最も優れた作品の一つに数えられている。第4楽章の「歓喜」の主題は、欧州評議会においてはヨーロッパ全体をたたえる「欧州の歌」として、欧州連合(EU)においては連合における統一性を象徴するものとして、それぞれ採択されている。このほか、コソボ共和国の暫定国歌や、かつてのローデシアの国歌としても制定されていた。ベルリン国立図書館所蔵の自筆譜資料は2001年に国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)のユネスコ記憶遺産リストに登録された。初演/初版の版刻に用いられた筆写スコアが2003年にサザビーズで競売にかけられた際には、「人類最高の芸術作品」と紹介されている。

 全体で約70分に及ぶ演奏時間にかかわらず、声楽パートが用いられるのは第4楽章(終わりの約20分)だけである。そのため、ホールで演奏される際は、合唱と独唱は第2楽章と第3楽章、もしくは第3楽章と第4楽章の間に入場することが多い。また、合唱のみ冒頭から待機する場合もあるが、この際は休憩用の椅子が用意される。ヘルベルト・ブロムシュテットが1985年にNHK交響楽団で演奏した際には、「『おお友よ、このような音ではない』と歌う独唱が第1楽章からステージにいなくて、そんな台詞がいえるか」というブロムシュテットの指示で独唱者も含めて第1楽章から待機することになったという。しかし通常は、第3楽章後に登壇するケースが多い。

 

【演奏の模様】

〇楽器編成:ニ管編成弦楽五部16型(16-14-12-10-8)

〇全四楽章構成

第1楽章Allegro ma non troppo, un poco maestoso

第2楽章Molto vivace- Presto  - Molto vivace - Presto

第3楽章Adagio molto e cantabile  - Andante moderato  - Tempo I  - Andante moderato - Tempo  - Stesso tempo

第4楽章Presto / Recitativo,Allegro ma non troppo,Vivace,Adagio cantabile,Allegro assai 

 

 小泉・都響の演奏は、全体的に第1楽章からして、肩から力を抜いた自然体で、バランスも良く、非常に好感がもてる演奏でした。それを牽引したのは矢張りVn.アンサンブル、就中、1Vn.部門で、最初から最後まで、ブレない安定したいい演奏をしていました。勿論、低音弦部門も、活躍の場面では、持てる力を十二分に発揮していました。第3楽章のVc.アンサンブルのしっとりしたアンサンブル、Cb.と相まった第4楽章前半での渋い響き、また続くVa.群のテーマ奏など、Vn.部門の様な華やかさは無くとも、今日の都響の演奏を光らせる、いぶし銀の役割を十分果たしていました。また管部門も、木管、中でもOb.とFl.の調べは、弦の合いの手でも、掛け合い演奏でも、高々と響くいい音をたてていたし、Hrn.(4)の演奏も、若干のキズを除けば概して立派なものでした。

 こうした各部門の安定したアンサンブルを見事立体的に組み立てていたのが、終身名誉指揮者の小泉和裕さんです。演奏終了が3時15分くらいでしたから、順調なテンボで進行したのですね。2時5分頃スタートとして70分ほど。それだけ各部門間の演奏が卒無くスムーズに上手くいったからでしょう。

 先日のN響の時と比べると、今日の都響は全体的に安定していた、落ち着いていたといった感が強いのですが、これは決して都響の演奏が弱々しく迫力に欠けるものだったということを意味しません。むしろ第4楽章の合唱やソリストの歌声に伍する管弦楽の随分と力の籠もった演奏などは、脱兎の如し、獅子奮迅の如し、3楽章までの優雅に舞いを踊る静香御前が、突如としてなぎなた振るう巴御前に変身した様なもの、でした。

 第4楽章後半の合唱は、N響の時と同じ新国立劇場合唱団で少しだけ小さい編成でしたが、そこは、NNTTで同じ釜の飯を喰む同士、その歌声にN響の時と少しの遜色も有りませんでした。長い合唱を歌う中でも、やはり終盤のフーガの技法が見事でした。合唱に器楽アンサンブルのフーガも交じるのですね。その立体的構成は、将に歌で言う「人々―兄弟、天にある太陽ー天井なる広場、星空の上の天幕-その上の父・創造主」の宇宙構造を如実に表していました。その間合唱、器楽演奏を盛り上げた、歌唱ソリスト陣では、最初のバリトンの池内さんの歌声は思ったよりも声量が有り、十二分とまでは言えませんが先ず先ずのスタート、これに対しテノールの工藤さんは、いつも聴くオペラや演奏会の時の様な馬力を感じません、不調だったのでしょうか?それに対しソプラノの迫田さんは一番声が抜き出ていました。メッゾの山下さんは少し地味に感じました。でもソロ後半の四重奏は良くハモッテいて、合唱の間隙を突く名唱だと思いました。

 こうした細部をいちいち見ても、また総観的見地から見ても、今回の都響と歌唱陣の演奏は決して出張ることなく、控え目にも見えるが決しておくせず、終わってみるとその素晴らしさに気が付くという、何か奥ゆかしい物語を聞かされた時の様な、成程と腑に落ちる演奏だったと思いました。

 


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(参考)

Friedrich von Schiller

"An die Freude"

O Freunde, nicht diese Töne! Sondern laßt uns angenehmere anstimmen und freudenvollere!

(L. v. Beethoven)

Freude, schöner Götterfunken, Tochter aus Elysium, Wir betreten feuertrunken, Himmlische, dein Heiligtum. Deine Zauber binden wieder, Was die Mode streng geteilt; Alle Menschen werden Brüder, Wo dein sanfter Flügel weilt.

Wem der große Wurf gelungen, Eines Freundes Freund zu sein; Wer ein holdes Weib

errungen, Mische seinen Jubel ein! Ja, wer auch nur eine Seele Sein nennt auf dem Erdenrund!

Und wer's nie gekonnt, der stehle Weinend sich aus diesem Bund!

Freude trinken alle Wesen An den Brüsten der Natur, Alle Guten, alle Bösen Folgen ihrer Rosenspur. Küsse gab sie uns und Reben, Einen Freund, geprüft im Tod, Wollust ward dem Wurm gegeben, Und der Cherub steht vor Gott.

Froh, wie seine Sonnen fliegen Durch des Himmels prächt'gen Plan, Laufet, Brüder, eure Bahn, Freudig wie ein Held zum Siegen.

Seid umschlungen, Millionen! Diesen Kuß der ganzen Welt! Brüder über'm Sternenzelt Muß ein lieber Vater wohnen.

Ihr stürzt nieder, Millionen? Ahnest du den Schöpfer, Welt? Such' ihn über'm Sternenzelt! Über Sternen muß er wohnen.

 

フリードリヒ・シラー

「歓喜に寄す」

おお 友よ このような音楽ではなく もっと快くもっと喜びに満ちた歌を 歌おうではないか

(ベートーヴェン作詞)

喜び それは美しい神々の火花 至福の国からきた娘 私たちは燃えるような陶酔のうちに 天上的な喜びよあなたの神殿に登る あなたの魔法の力が時流にきびしく 分け隔てられていたものを再び結びつける すべての人々はあなたの優しい 翼のもとでみな兄弟となる

互いに友となる幸運に 恵まれた者は やさしい女を得た者は こぞって歓声に唱和するがよい! そうこの世でひとりだけでも我がものと 呼べる人がいる者は皆のこらずにだ!

そして不幸にもそれができなかった者は 泣きながらこの仲間から人知れず去るがよい!

あらゆる生き物は喜びを

自然の乳房から飲む

善人も悪人もすべての人々が

喜びというバラの道をたどる

せつぶん

喜びは私たちに接吻とワインを与え

死の試練を経た友を与えてくれた

喜楽は小さな生き物にも与えられ 天使は神の前に立つ

創造主の星々が壮麗な天空を

飛び交う様子さながらに喜々として

兄弟たちよ 君たちの道を進め

喜々として勝利をめざす英雄のように

抱き合おう 数百万の人々よ!

この接吻を全世界に!

兄弟たちよ 星空の上には 愛する父が住んでいるに違いない

ひざまず 数百万の人々よ 君たちは跪いているか?

世界よ 君は創造主を予感しているか?

星空のかなたに彼を探し求めるがよい 彼は星々の上に住んでいるにちがいない