【日時】2025年3月8日 (土)14時〜
【会場】サントリーホール
【管弦楽】日本フィルハーモニー管弦楽団
【指揮】カーチュン・ウォン[首席指揮者]
〈Profile〉
カーチュン・ウォンは、1986年にシンガポールで、軍隊で働く父と保育園で先生をしていた母の間に生まれた。
小学校時代に、学校の吹奏楽部に入りコルネットを演奏し、中学校時代からはトランペットを演奏した。高校はシンガポール名門校のラッフルズ・インスティテューションに入学し、シンフォニック・バンドに入った。17歳のときに、シンガポール国立のユース・オーケストラに参加する機会を得て、オーケストラの団員としての経験を積んだ。
兵役中に軍楽隊で演奏したが、トランペットの吹きすぎのため唇に損傷を負った。治療中に作曲を始め、それを演奏するためのグループを結成した。この時点で彼はプロの指揮者になる志を考え始めていたという。
2010年、シンガポール人とアジア人の作曲家に焦点を当てた「アジアン・コンテンポラリー・アンサンブル」を結成した。2011年、リー・クアンユー奨学金を受け、ベルリンのハンス・アイスラー音楽大学でオペラとオーケストラの指揮を学び、2014年に修士号を取得した。
2011年10月に、クロアチアのザグレブで行われたマタチッチ国際指揮者コンクールで2位を獲得したのち、ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮していたクルト・マズアの知遇を得、2012年から2014年の間に、ライプツィヒをはじめとするドイツ各地や日本で開催されマズアのマスタークラスに参加した。ライプツィヒのマズアの家を訪問しスコアを共に勉強したこともあり、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームス、ブルックナーの交響曲や、ムソルグスキーの《展覧会の絵》などのレパートリーの教えを受ける等、深く薫陶を受けた。
2015年3月、母国のシンガポール交響楽団とプロ指揮者としてデビューを飾った。
2016年、グスタフ・マーラー国際指揮者コンクールでアジア人として初優勝し注目を集めた。それをきっかけに、グスタフ・マーラーの孫娘であるマリーナ・マーラーと共に、子どもたちへの音楽支援を目的とした非営利団体「プロジェクト・インフィニチュード」を共同設立。2020年の新型コロナウイルス感染症流行の折には、1000人以上の世界各地のミュージシャンと共にベートーヴェンの「喜びの歌」のデジタルシングアロングを行い約200万ドルの寄付を集めた。
2018年9月、ニュルンベルク交響楽団の首席指揮者となり、初めて常任の指揮者となった(2022年8月まで)。
2019年2月、ニューヨーク・フィルハーモニックの毎年恒例の旧正月ガラコンサートを指揮した。2019年12月、ドイツ連邦大統領から、シンガポールとドイツの文化交流並びにドイツ音楽文化の海外普及における献身的な取り組みと顕著な功績により、シンガポール出身の芸術家として初めて功労勲章を与えられた。
2021年及び2022年にドイツの名門楽団、ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮し、2023年9月より同楽団の首席客演指揮者に就任した。
2021年3月、日本フィルハーモニー交響楽団を初めて指揮し、2021年8月、同楽団の首席客演指揮者に、2023年9月、首席指揮者に就任した。同楽団とは、得意とするマーラーの交響曲のほか、日本人作曲家による楽曲の演奏にも力を入れており、これまでに、伊福部昭、芥川也寸志、武満徹、小山清茂、外山雄三、坂本龍一などの作品を取り上げている。
2022年3月には、東京フィルハーモニーと東京オペラシティ コンサートホール:タケミツメモリアルにて、「武満徹《弧》[アーク]」というテーマで、プログラム全てが武満作品の演奏会を行った。
2023年2月、英国マンチェスターに本拠を置くハレ管弦楽団を指揮し、2024年9月より同楽団の首席指揮者、およびアーティスティック・アドバイザーに就任することが発表された。
これまでに、日本各地のオーケストラのほかに、上述以外の海外オーケストラとして、ロサンゼルス・フィルハーモニック、BBC交響楽団、ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団、クリーヴランド管弦楽団、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、バンベルク交響楽団、デトロイト交響楽団、シアトル交響楽団、トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団、イル・ド・フランス国立管弦楽団、バレンシア管弦楽団などを指揮している。
【出演】
ソプラノ:吉田珠代
メゾソプラノ:清水華澄
【合唱】東京音楽大学合唱団
【曲目】マーラー『交響曲第2番《復活》 ハ短調』
(曲について)
グスタフ・マーラーが作曲した交響曲で、「復活」(Auferstehung)というタイトルが付されるのが一般的であるが、これは第5楽章で歌われるフリードリヒ・クロプシュトックの歌詞による賛歌「復活」(マーラー加筆)からとられたもので、マーラーがこの題名を正式に用いたことはない。
1888年から1894年にかけて作曲された。オルガンやバンダ(舞台外の楽隊)を含む大編成の管弦楽に加え、第4楽章と第5楽章に声楽を導入しており、立体的かつスペクタクル的な効果を発揮する。このため、純粋に演奏上の指示とは別に、別働隊の配置場所や独唱者をいつの時点でステージに招き入れるか、合唱隊をいつ起立させるかなどの演出的な要素についても指揮者の考え方が問われる。
第4楽章では、マーラーが1892年に完成した歌曲集『子供の不思議な角笛』の歌詞を採用している。つづく交響曲第3番、交響曲第4番も『子供の不思議な角笛』の歌詞を使っていることから、これらを「角笛」3部作として括ることがある。演奏時間約80分。
【演奏の模様】
今回の指揮者、カーチュン・ウォンの演奏は実はこれまで聴いた事が無く、今回が初めてでした。その名は有名なので、以前から知っていましたが、よく聞きに行くN響や都響の指揮では、見たことが有りませんでした。<Profile>を見ると、シンガポールの人なのですね。そして指揮をドイツで学び訓練し、次第に指揮者として頭角を現わしてきた様です。しかもマーラー指揮者コンクールで優勝したそうですから、マーラーの演奏は得意中の得意なのでしょう。それに欧州で長く経験を積み、様々なオケの指揮もして来たキャリアは、相当な指揮者であることを示唆しています。そう言った訳で、今回の演奏会はかなり期待が持てそうでした。
尚、自分が「HUKKATS」を称している(注1)からには『復活』の演奏を聴かない訳にはいかないと考え、「復活」の演奏会にはこれまで機会がある毎に、出来るだけ行く様にして来ました。過去に聴いた演奏の直近の記録を文末にそのURLで掲載して置きます。(注1)自分はキリスト教徒でもなく、教会関係者でもなく、聖書に詳しい宗教学者でもなく、単なる一市民ですが、このブログ名を使用しているのには、理由(非公開)が有ります。恐らく生涯公開出来ない可能性が有りますが、若し公開出来る時があれば、詳細を記するつもりです。
〇楽器編成:フルート 4(ピッコロ持ち替え 4)、オーボエ 4(コーラングレ持ち替え 2)、小クラリネット 2、クラリネット 3(バスクラリネット持ち替え 1)、ファゴット 4(コントラファゴット持ち替え 2)、ホルン 10(そのうち舞台外に4)、トランペット 6 + 舞台外に4(しかし移動のための時間があればオーケストラ側から2人借りられる)、トロンボーン 4、チューバ1、ティンパニ 2人(8台) + 舞台外に1台(計3人)、シンバル 2 + 舞台外に1、タムタム 2、大太鼓 +舞台外に1、小太鼓 1以上の複数、グロッケンシュピール、鐘(音程の定まらないもの3種)、ルーテ(むち)、ハープ 2台、オルガン、弦五部(16型)、ソプラノ独唱、アルト独唱、混声合唱
会場に入るとチケット売り切れの報通り、座席は下から上までびっしりの観客で埋まり、舞台にはいつものマーラーの演奏会の様に(いやいつも以上に)多くの楽器群の椅子が沢山並んでいました。演奏開始前に、オルガンの下の席(p席)に合唱団が入場です。数えたら女声77人、男声42人、計119人の合唱団でした(ソリストは第2楽章の開始前に合唱団の前の席に入場)。
〇全 五楽章構成
第1楽章 Allegro maestoso まじめで荘厳な表現で一貫して
第2楽章Andante moderato きわめてくつろいで、急がずに
第3楽章 Scherzo 静かに流れるような動きで ハ短調 3/8拍子 三部形式
第4楽章「原光(Urlicht)」 きわめて荘重に、しかし素朴に 変ニ長調 4/4拍子 三部形式
第5楽章 Im Tempo des Scherzos 荒野を進むように ヘ短調 - 変ホ長調 4/4拍子 拡大されたソナタ形式
マーラーは、各楽章について標題的な説明を残していて、以下に示す通りです。
第1楽章
私の第1交響曲での英雄を墓に横たえ、その生涯を曇りのない鏡で、いわば高められた位置から映すのである。同時に、この楽章は、大きな問題を表明している。すなわち、いかなる目的のために汝は生まれてきたかということである。……この解答を私は終楽章で与える。
第2楽章
過去の回想……英雄の過ぎ去った生涯からの純粋で汚れのない太陽の光線。
第3楽章 前の楽章の物足りないような夢から覚め、再び生活の喧噪のなかに戻ると、人生の絶え間ない流れが恐ろしさをもって君たちに迫ってくることがよくある。それは、ちょうど君たちが外部の暗いところから音楽が聴き取れなくなるような距離で眺めたときの、明るく照らされた舞踏場の踊り手たちが揺れ動くのにも似ている。人生は無感覚で君たちの前に現れ、君たちが嫌悪の叫び声を上げて起きあがることのよくある悪夢にも似ている……。
第4楽章
単純な信仰の壮快な次のような歌が聞こえてくる。私は神のようになり、神の元へと戻ってゆくであろう。
第5楽章
荒野に次のような声が響いてくる。あらゆる人生の終末はきた。……最後の審判の日が近づいている。大地は震え、墓は開き、死者が立ち上がり、行進は永久に進んでゆく。この地上の権力者もつまらぬ者も-王も乞食も-進んでゆく。偉大なる声が響いてくる。啓示のトランペットが叫ぶ。そして恐ろしい静寂のまっただ中で、地上の生活の最後のおののく姿を示すかのように、夜鶯を遠くの方で聴く。柔らかに、聖者たちと天上の者たちの合唱が次のように歌う。「復活せよ。復活せよ。汝許されるであろう。」そして、神の栄光が現れる。不思議な柔和な光がわれわれの心の奥底に透徹してくる。……すべてが黙し、幸福である。そして、見よ。そこにはなんの裁判もなく、罪ある人も正しい人も、権力も卑屈もなく、罰も報いもない。……愛の万能の感情がわれわれを至福なものへと浄化する。
マーラーによれば、この曲は交響曲第1番《巨人》の続きだというのですね。この第一楽章は第1交響曲での死を悼む葬送の曲風から開始されるのです。
第1楽章開始は、1Vn.アンサンブルの激しいトレモロ奏、低音弦の不気味な響き、木管の合いの手等で、カーチュン・ウオン・日フィルは手堅くスタートしたかと見る間に、中盤ではかなりの迫力の強奏へと誘い、この辺りの変化も自然な滑らかな指揮誘導、タクトの動きも綺麗な曲線を描いていました。後半、二つのTimp.の一つが、乱打すると全オケが音を立て、管がわびしい短調テーマを響かせました。Ob.等木管奏者は(Fl.も)、演奏している楽器の切っ先を上方に挙げて、音が少しでも遠くに響く様にしていたのは良いと思いました。Ob.の調べは結構なものでした。Hp.が弱音を立て、Vn.アンサンブルはslowな穏やかな調べをたて⇒Hrn.の音⇒Ob.の音⇒Fl.と推移する箇所はややたるんだ感じ、間延びした感じを受けました。その後のHrn. Timp. Trmb. Trmp.に加わえて、大太鼓、シンバルも加わった激しい調べは、長続きせず、急速に萎えました。結構長い第1楽章はさらに続き、再度全オケの大咆哮に至ると日フィルの演奏は迫力満点、各パートとも指揮者の緻密な構成を忠実に積み木を組むが如く音の重畳を整然と重ね、急に崩れるのではと危惧するのも杞憂に過ぎず、その後見事にHp.やVn.やHrn.ソロ音等のゆったりした美しい弱音旋律に落とし込む技量には感心する事しきりでした。
第1楽章が終わった処で二人のソリストが合唱団の前の下段に入場。オケはすぐ第2楽章に入りました。ここでは冒頭のTimp.の音が印象的、この楽章は彼方此方で美しい旋律美が流れ、Vn.、Va.、Vc.それぞれが腕を振るう場面が多かったのです。各パートとも他のオーケストラ、例えば、都響、読響の復活を聞いた時と遜色ない美音を放っていました。マーラーによれば、ここは過去の回想の場面で、夢うつつの幻想に浸る楽章とのことです。
次の第3楽章では、全楽章の夢想から覚め、現実に戻ったことを表現、速い展開の調べで、不気味さと厳しさを良く表現していました。特にここは打楽器奏者の活躍の場、冒頭のTimp.のダダンの音で「目を覚ませと呼ぶ声が聞こえる」宜しく夢から覚ませ、その他大太鼓奏者は、老骨に鞭打つが如く、太鼓の縁でむちをバサッバサッと何回も打ち鳴らし、トライアングル奏者はチリリン、チリリン、チリチリリン、とかん高い金属音を振りまき、特に全楽全奏の金管が鳴り響くテーマ奏は、如何にもマーラーらしい響きで好きな箇所の一つです。弦はPizzicato奏で管に応じ、最後は激しいテーマ奏の繰り返し、又Timp.やVn.アンサンブルの後、テーマ奏のリズムに不気味な調べが混じり不気味なまま音は消え入りました。
この曲の白眉は、ソリストの歌が入る4楽章及び歌と合唱が入る5楽章でしょう。交響曲にソロの歌や合唱が入る曲と謂えばベートーヴェンの第九がすぐ思い起こされますが、有名な曲はそう多くはないでしょう。マーラーはこの2番の後、3番、4番の交響曲に「魔法の角笛」から歌を引用するというユニーク振りを発揮しました。
第4楽章は、メゾソプラノの清水さんのソロから入りました。はっきり申し上げて、余り歌の響きが心に伝わって来ない、ドイツ語の発音も不明瞭に聞こえ、歌唱の安定度も十分ではない様に思いました。
4. Urlicht
O Röschen rot,
Der Mensch liegt in größter Not, Der Mensch liegt in größter Pein, Je lieber möcht' ich im Himmel sein.
Da kam ich auf einen breiten Weg, Da kam ein Engelein und wollt' mich abweisen.
Ach nein, ich ließ mich nicht abweisen!
Ich bin von Gott und will wieder zu Gott, Der liebe Gott wird mir ein Lichtchen geben, Wird leuchten mir bis in das ewig selig' Leben!
- Des Knaben Wunderhorn
第4楽章 原光
あかおお紅きばらの花よ
きわひとは苦しみの極みにある
きわひとは辛さの極みにある
あかなうものなら天国に在りたい
みずからが辿った広き道
天使が来て私を追い返そうとした
いや追い返されるわけにはいかなかった
いこの身は神から出で神へと戻る
ともしび愛しき神は 灯明の一筋も与えてくれよう
永遠の祝福されし生へと この身を照らすはず
―『子供の不思議な角笛』より
この「Urlicht 光」が日本語で「原光」と訳されたのです。短い楽章でした。そして最後が第5楽章「Auferstehung 」復活です。
最後、ソリスト及び合唱団により最大限の響きを、カーチュン・ウォン・日フィルの大咆哮と共にホールに轟かせ終演となったのでした。ソプラノの吉田さんの歌は、よく透った歌声で、合唱団との掛け合いもズレがなく、健闘していました。合唱団は学生さんが多いのか、若々しい活力ある歌声で、4、5楽章共最後の雰囲気を大いに盛り上げていました。
Chor:
Mit Flügeln, die ich mir errungen, Werde ich entschweben!
Sterben werd' ich, um zu leben! Mein Herz, in einem Nu!
Aufersteh'n, ja aufersteh'n wirst du,
Was du geschlagen, Zu Gott wird es dich tragen!
合唱
手に入れたこの翼で
いまこそ飛び立とう
私は生きるために死ぬ
そう おまえは甦るのだ
この心 このひととき
脈打ってきたもの
おまえを神のもとへ
導くだろう
総じて今回の「復活」の演奏は、なめらかで流暢な動きの指揮者で、大曲にも関わらず何回もこれまでこの曲を振って来たことを推察させる響きを、管弦楽奏者から引き出していました。細部の緻密さにもまた大きなうねりの大胆さにも、他の管弦楽団と少しも遜色ない立派な演奏をした日フィルの底力と指揮者の牽引力には、初めてながら目を見張るものが有りました。またバンダ演奏もタイムリーに、かなりの音量で響き、最後は、バンダ奏者(8人)がバイプオルガン下、合唱団のひとつ上の段に横一列に並び最終楽章で演奏、かなりの工夫をしていた様です。今回の演奏会を聴きに来て良かったと思いながら帰路に着きました。
///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////(HUKKATS Roc. 再掲)
①大野・都響「復活」
https://www.hukkats.com/entry/2023/03/17/222556
②井上・読響「復活」
https://www.hukkats.com/entry/2023/11/18/221636