HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

N響ベートーヴェン『第九』演奏会を聴く

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〖主催者H.P.より〗 

 日本最高峰のキャストによる《第9》で 唯一無二の感動を体感しよう
年末の《第9》を1年の総決算的な意味で楽しみにしている方も多いだろう。むろんN響は日本トップ級の機能性を持ったオーケストラ。ハイクオリティの演奏が、その楽しみを満たしてくれるのは間違いない。だが、N響の《第9》の魅力は、そこにとどまらない。毎年交替で登場する内外の一流指揮者の“音楽的な個性”を堪能できる場でもあるのだ。
今年の指揮は下野竜也。正攻法のアプローチで音楽に無類の生気や躍動感をもたらす、日本屈指の実力者である。しかも20年近くN響と共演を重ね、定期公演でも度々快演を展開してきた稀少な日本人マエストロの一人だ。それゆえ今回は、年末のN響《第9》初出演となる彼の意欲と楽団の厚き信頼度を反映した、清新かつ濃密な名演が期待される。またソリストは海外の第一線での実績が豊富なトップ歌手ばかり。強力無比な新国立劇場合唱団を含めた豪華声楽陣も、胸を高鳴らせるに十分だ。
”人類愛と協調による平和”がうたわれる《第9》は、世相に喚起するにも憂いを乗り越えるにも新年の希望を抱くにも最適な音楽。日本最高峰のキャストによるこの《第9》で、独自性に富んだ演奏と、それがもたらす唯一無二の感動を体感しよう。柴田克彦(音楽評論家)

 

【日時】2023.12.22.(金)19:00〜

【会場】 NHKホール

【管弦楽】NHK交響楽団

【指揮】下野 竜也

【合唱】新国立劇場合唱団

【ソリスト】

ソプラノ中村恵理

 メゾ・ソプラノ脇園 彩

 テノール村上公太

 バス河野鉄平

 

【曲目】
①バーバー/弦楽のためのアダージョ


②ベートーヴェン/交響曲 第9番 ニ短調 作品125「合唱つき」
 

 

〖演奏の模様〗

①バーバー/弦楽のためのアダージョ

 この曲はジョン・エフ・ケネディ大統領の告別式の時、流されたものらしい。確かにどこか物憂げな悲しみを湛えた旋律です。弦楽奏だけですが、ここにオーボエの響きでも交えたら、しくしく泣きだしたくなるかも知れません。それ程人の魂を動かす調ベでした。将に鎮魂の歌ですね。

 

②ベートーヴェン/交響曲 第9番 ニ短調 作品125「合唱つき」

今日のN響は、三管編成弦楽五部16型(16-14-12-12-8)チェロの充実振りが目立ち、三管でもFl.(2)Picc.(1)

全四楽章構成
第1楽章Allegro ma non troppo, un poco maestoso

第2楽章Molto vivace

第3楽章Adagio molto e cantabile Andante moderato - Tempo I Andante moderato - Tempo I- Stesso tempo

第4楽章 Presto/Recitativo-Allegro ma non troppo-Vivace-Adagio cantabile-

Allegro assai 

 

 今回のN響の演奏は第1楽章で、中々エンジンがかからず、下野N響は躍起になって種火を堀り起こしては、タクトをウチワ宜しく盛んに扇ぐのですが、火は燃え盛らない感が有りました。先月まで来日演奏が続いた海外勢に比し、国内オーケストラは個々の奏者の熱量が足りないのでは?とはよく言われたことですが、この第1楽章等将にその感が強かった。

 第2楽章になって、やっとスタートから勢いが出て、木管の掛け合いが目指ましいですが、Hrn.はまずまず無難な発音、Ob.のうまさが目立ちました。N響の12月号冊子の団員名簿に依れば、吉村結実さんと言う首席の方でしょうかね?

 第3楽章は、今日の下野さんの選曲という①バーバーの『弦楽のためのアダージョ』に相通ずる静謐な緩徐奏で、ドイツ・ロマン派の萌芽をも思わせる様な瞑想的で長大な緩徐楽章でした。最初に演奏された①の意味とこの3楽章に於いてベートーヴェンが表現したかった意味は相通ずるものがある様に思われました。ここでは、N響評判の美音のVn.アンサンブルが実力を発揮、微弱で揃った1Vn.の透明な響きが、Cl.との掛け合いも息が合っていて美しかったし、また(2Vn.∔Va.)アンサンブルやVn.と木管の掛け合い、adagioのppでゆったりとCl.が合の手を務めた箇所等うっとりとする程の美しいパッセッジが多く有りました。この楽章の様なマイニュートな情緒に訴える箇所は、欧米管弦よりは繊細な感覚を有する我が国音楽奏者の方が有利なのかも知れません。N響のこの楽章の演奏は、下手するとダラダラ延々と続く飽きが来る程のマンネリ演奏となることは全く無く、最後まで気を惹きつけられた演奏でした。

 いよいよ最終の楽章<合唱付き>に突入です。低音弦のVc.奏、Cb.奏は重厚感が十分出ていて良かった。Vc.(10)、Cb.(8)という重戦車部隊の規模効果が出たのでしょうか?(それまで良かったTimp.のここでの一撃はやや軽かったかな?)それが低音弦のカノン的フガートに発展、次第にテーマのオケ強奏により盛り上がりを見せ、Hrn.+Trmp.部隊(Trmb.は入らず)及び木管隊列の協奏・強奏は激烈を極め、そこに歌手のソリスト達が割り込みました。テナーの村上さんは古い歌唱法といった感じ、またバスの河野さんの第一声はいま一つ、声量も安定度も不足していて、四人の歌の中では、ソプラノの中村さんが一人、気を吐いていました。オペラでもリサイタルでも最近聴いたオラトリオでも、歌手の声と言う楽器は十分鳴らすには少し時間がかかるのか立ち上がりが悪いケースが度々見られます。今回もそうかも知れません。  オケが小締んまりと纏まった調べを響かせる中、次いで男女合唱隊が突入しました。四声(男女二声部づつ)の内女声のSop.が他を圧していたのは、音が高いから聞こえやすいのか?人数が多かったからなのか?混声アンサンブルの調和と言う意味では余り感心出来ないかも知れませんが、綺麗に揃った高音の斉唱でした。オケも合唱もこの辺りになると全奏強奏、ソリストも先ず先ず、テノールもバスも健闘していました。ただちょっと気がかりだったのは、オケ+合唱の轟音の中では管弦楽の響きがやや弱いかなと言う印象を持ったこと。これは、コーラス部隊はステージの高台からの発声で真直ぐに座席に音波が届くのでしょうが、管弦楽は舞台の低い位置から楽器が発する逆円錐方向(厳密には球形方向、但し下方向は舞台に反射してしまうので)に発散する音波の合成波ですから、またよく言われるNHKホールの音響伝播事情に起因する要素もあってか、上階や一階後部座席ではオケの音が十分発散しないからなのかも知れません。二三日前に聴いたベルリンフィルの配信では録音音声にもかかわらず、オケと合唱、ソリストの音の混じり具合は非常に整合性の良いものでした。来週もう一回第九を聴きに行く予定があるので(別会場で別オーケストラの演奏ですけれど)最後の強奏部の融合状態にも気を付けて聴きたいと思っています。

 演奏が終わって下野さんが手を降ろす仕草をするや否や会場から「ブラボー」の声が飛び交って、すぐNHKホールは拍手の渦に巻き込まれました。ソリスト達は雛壇の中段から指揮台のそばまで降りて来て指揮者共々挨拶を何回もし、袖に消えまた登場、挨拶を繰り返していました。その間、観客の熱気を帯びた拍手・歓声は途絶えることが無く長く続きました。矢張りこの『第九』と言う曲には魔法の力がある様です。


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(参考)

1.冒頭の、弦楽器のトレモロとホルンの持続音にのせて、調性の長短が不明な断片的動機空虚五度の和音で提示され、それが発展して第1主題になるという動機の展開手法は非常に斬新なものである。第1主題は、ニ音イ音による完全五度を骨格とした力強い主題であり、一度目は主調のニ短調で、冒頭がリピートされたのち二度目は変ロ長調で立ち現れるが、すぐにニ短調に戻り、強奏でこれが定着される。第2主題導入部は、第4楽章で現れる「歓喜」の主題を暗示するような優しいものであるが、これも変ロ長調で、通常、主調の平行調または属調で現れる提示部第2主題が下属調平行調になっている。それを引きついだコデッタは形式どおり長調で展開されるが、弦と木管の応答部分では、同じフレーズが短調と長調で交互に繰り返されるなど、長調と短調の葛藤が垣間見られる。提示部はベートーヴェンの交響曲で最も長大なためもあってか反復指定がない。

展開部は再び、冒頭の和音で始まるが、すぐに短調となり、第1主題がほぼ提示部と同じ長さ、変奏、展開される。

再現部は展開部のクライマックスを兼ねるようなものとなっており、冒頭の和音と主題がffの全奏で再現される。ティンパニもffのロールを持続しながら「ニ、イ」の主題動機の強打に参加し、圧巻のクライマックスが築かれる(提示部と再現部の冒頭の変奏の差はこれまでのベートーヴェンの交響曲にも見られたが、ここでは特に大きい)。第2主題は再現部の定型通りニ長調で演奏され提示部以上に歓喜の歌を連想させるが、すぐさまニ短調に押し流され、以降、短調による激しい展開となる。コーダは最後、半音階を滑り落ちるような不気味なオスティナートに導かれ、それに全弦が誘い込まれたところで全奏となり、第1主題のユニゾンで締めくくられる。

2.複合三部形式をとるスケルツォ楽章である。スケルツォ部分だけでソナタ形式をとる。提示部、展開部・再現部ともに反復指定あり。序奏として、第1楽章を受け継ぐような、ニ短調の主和音の降下が、弦楽器のユニゾンとティンパニで出るが、ユニークなことに、主和音でニ短調を決定づけるF音のオクターブに高低2音ともティンパニが調律されている。(通常、ニ短調の場合、ティンパニはAとDに調律される。ベートーヴェンは、既に第8番の終楽章(ヘ長調)で、Fのオクターブに調律したティンパニを使っているが、それはヘ長調の主音であり、この9番の楽章はより冒険的である)このオクターブの基本動機がスケルツォ部分を支配している。提示部では冒頭にこのオクターブの動機を置いた第1主題が疾走するように出、フーガのように重なって増幅し、全奏で確保される。経過句ののち第2主題に移るが、主調が短調の場合、第2主題は通常平行調(ニ短調に対してはヘ長調)をとるところ、ここではハ長調で現れる。また、1小節を1拍として考えると、提示部では4拍子、展開部では3拍子でテーマが扱われる。展開部ではティンパニが活躍する。(このことから、この楽章はしばしば「ティンパニ協奏曲」と呼ばれることがある)再現部はオクターブの主動機をティンパニが連打しながら導く。(ティンパニ奏者が高いFと低いFを両端に配置した場合、この部分で非常に派手なマレット(ばち)捌きを見せる場合があり、演奏会では視覚的にも見所である)再現部がティンパニのロール調の連打を加えた強奏で戻ってくるところも第1楽章と類似している。最後、突然4分の4拍子となり、それが4分の4拍子の中間部(トリオ)を導く。

中間部(トリオ)の旋律もまた、最終第4楽章の歓喜の主題を予感させる。(スケルツォの第1主題も短調だが歓喜の主題に似ているといわれることがある。これらは意図的でなく、単に同一作曲時の類似だといわれることもある)速度は更に速められてプレスト。オーボエによる主題提示の後、弦楽器群のフーガ風旋律を経てホルンが同じ主題を提示する。フルートを除く木管楽器群の主題提示の後、今度は全合奏で主題を奏する。

三部形式後半のスケルツォは前半のリピート。しかし最後にまた突然4分の4拍子となるので、中間部の旋律が顔を出してしまう。それに突然気が付いたように1小節全休符となり、スケルツォの最終部分で締めくくり直す。

3.2つの主題が交互に現れる変奏曲の形式と見るのが一般的であるが、一種のロンド形式、また一種の展開部を欠くソナタ形式と見ることもできる。神秘的な安らぎに満ちた緩徐楽章であるが、拍子、調性、テンポを変えることによって、変化がつけられている。木管の短い導入部のあと透明感のある第1主題を第1ヴァイオリンが静かに歌いだす。第2主題は4分の3拍子、ニ長調、アンダンテ・モデラートに変わり、やや動きを帯びる。続く第1主題の第1変奏では、第1主題が16分音符に分解されて奏され、木管による第2主題の変奏がそれに続く。そのまま木管による第1主題の第2変奏を経て、また第1主題の、第3変奏と続くが、ここでは8分の12拍子に変わって、動きが大きくなる、長さも倍加するなど、第2主題を吸収したかのような変化が加わっている。末尾において、それまで沈黙していたトランペットとともに管楽器が鋭い歓声をあげ、弦楽器がそれに応えてクライマックスを迎える。しかしすぐに元の安らぎと静けさを取り戻し、同音の三連符の伴奏に乗って静かに終結に向かう。

4番ホルンの独奏は、当時のナチュラルホルンでは微妙なゲシュトプフト奏法を駆使しなければ演奏することができなかった(ちょうど作曲当時はバルブ付きの楽器が出回り始めたころだったので、この独奏はバルブ付きホルンで演奏することを前提にしていたという説もある)。これは当時ホルン奏者のみならず、指揮者なども大変気を遣った難しいパッセージであったことで有名。

この楽章の形式は後世のブルックナーのアダージョ楽章などに大きな影響を与えた。ピエール・モントゥーは第三楽章からattaccaで第四楽章に入るのを提唱し、ワインガルトナーも同様に行うよう勧めており、20世紀中には(演奏開始前から第2~3楽章の曲間までに合唱とソリストを入れた上で)このような次第を採る実演も少なくなかったが、ベートーヴェンの原譜にそうした指示はなく、ジョナサン・デルマーはベーレンライター版の校訂報告でattaccaの次第が支持されている事を認めた上で「作曲当時の金管楽器とティンパニは、楽器の調整抜きに第4楽章を始められない」と指摘し、少なくともattaccaは前提でない旨を述べている。

4.管弦楽が前の3つの楽章を回想するのをレチタティーヴォが否定して歓喜の歌が提示され、ついで声楽が導入されて大合唱に至るという構成。変奏曲の一種と見るのが一般的であるが、有節歌曲形式の要素もあり、展開部を欠くソナタ形式という見方も可能である("Freude, schöner Götterfunken"が第1主題、"Ihr, stürzt nieder"が第2主題、Allegro energico, sempre ben marcatoが再現部)。

Presto / Recitativo ニ短調 4分の3拍子

管楽器の強烈な不協和音で始まる。しかし、すぐさま低弦(チェロコントラバス)のレチタティーヴォがこれに答える。

Allegro ma non troppo ニ短調 4分の2拍子

管弦楽が第1楽章冒頭を出す。しかし、再び低弦のレチタティーヴォがこれに答える。

Vivace ニ短調 4分の3拍子

今度は第2楽章の主題が木管で出される。しかし、再度低弦のレチタティーヴォに中断される。

Adagio cantabile 変ロ長調 4分の4拍子

第3楽章をやはり木管が回想するが、これも低弦のレチタティーヴォに中断される。

Allegro assai ニ長調 4分の4拍子

管楽器が、新しい動機を出す。(これは前の三つの楽章で断片的に姿を見せていた動機でもある)この動機に低弦が生き生きとした調子に変わり、他の楽器群も応答する。やがて低弦が静かに第1主題(「歓喜」の主題)を奏し始める。ヴィオラがそれに続き、ファゴットとコントラバスの対旋律がそれを支える。さらに、歓喜の主題は第1ヴァイオリンに渡され、四声の対位法によって豊かなハーモニーを織り成す。最後に管楽器に旋律が渡され、全管弦楽で輝かしく歌い上げられる。

Presto / Recitativo ニ短調 4分の3拍子

"O Freunde"

再び冒頭部の厳しい不協和音が、今度は管弦楽の全奏で演奏される。バリトン独唱が低弦のレチタティーヴォと同じ旋律のレチタティーヴォで"O Freunde, nicht diese Töne!"(「おお友よ、このような音ではない!」)と歌う。ここで初めて、冒頭から繰り返された低弦のレチタティーヴォの意味が、第1〜第3楽章までの音楽の否定であったことが明らかとなる。

今日の出版譜ではバリトンの歌い出しには「ラ→ミ」の跳躍に加え「ラ→ド♯」が記されているが、レチタティーヴォ後半部の高いファ#を出せない初演ソリストのために変更された代替パートで稀にしか歌われない。(このメロディーを選んだために音程が悪いと酷評されている大歌手もいる)初演ではまた細かい上下(メリスマ)部分のカットも検討されたようである。最後期筆写スコアには他にも代替案が残っているが、出版譜には反映されなかった。

Allegro assai ニ長調 4分の4拍子

"Freude, schöner Götterfunken"

Freude!(歓喜よ)の掛け声をバリトン独唱と合唱のバス(テノールも一緒に歌われることもある)が掛け合うと、バリトン独唱によって"Freude, schöner Götterfunken"「歓喜」の歌が開始される。旋律後半部を合唱がリピートする形で続く。次に独唱4人となり、やはり旋律後半部を合唱がリピートする。決め台詞の様に入るGott!で自筆スコアはアクセントではなくデクレシェンドを指示しており、現在も指揮者間で解釈が分かれる。

Alla marcia Allegro assai vivace 変ロ長調 8分の6拍子

"Froh, wie seine Sonnen"

行進曲である。それまで沈黙を守っていた打楽器群が弱音で鳴り始め次第に音量を増し、その上を管楽器が「歓喜」の主題を変奏する。続いて、テノール独唱が「歓喜」の主題の変奏の旋律で"Froh, wie seine Sonnen"「神の計画」を歌い、それに男声三部合唱(第1テノール、第2テノール、バス)、続いて管弦楽の伴奏が力強く重ねて入ってきて一つの頂点を作る。

シンバルやトライアングルといったトルコ起源の打楽器が使われているためこの部分を「トルコ行進曲」と呼ぶ事があるが、拍子も装飾の付け方も(新しい研究では恐らくテンポも)本来のトルコ音楽とはかけ離れている。『第九』の30年前にベートーヴェンの師の一人であったヨーゼフ・ハイドン交響曲第100番『軍隊』でこれらトルコ起源の打楽器を使用しており、当時の流行がうかがえるものの、時代を下るにつれ欧州各国の軍楽隊でシンバルやトライアングルは常備されるようになっていた。ベートーヴェンの後の世代となるロッシーニなどはもはやシンバルもトライアングルも軍隊と無関係な音楽で導入している。

高らかな男声合唱の余勢を受けて、管弦楽のみによるスケルツォ風のフガートの長い間奏が力強く奏される。それが収まったあと、全合唱が「歓喜」の主題と最初の歌詞を総括的に歌う(「第九の合唱」として最もよく聴かれる部分である)。

Andante maestoso ト長調 2分の3拍子

"Seid umschlungen, Millionen!"

初めて登場するトロンボーンの旋律をなぞりながら「抱擁」の詩が合唱により、中世宗教音楽のように荘重に歌われる。

Adagio ma non troppo, ma divoto 変ロ長調 2分の3拍子

"Ihr, stürzt nieder"

「創造主の予感」が引き続き歌われる。

Allegro energico, sempre ben marcato ニ長調 4分の6拍子

"Freude, schöner Götterfunken" / "Seid umschlungen, Millionen!"

「歓喜の歌」の旋律による「歓喜」と「抱擁」の2歌詞が二重フーガで展開される。

"Freude, Tochter aus Elysium!"

独唱4人で、第1の「歓喜」の歌詞をフーガ風に歌う。それが絡み合うところに合唱が入ってきてそれを引き継ぐと、今度は逆に4人の独唱が入ってきて交替し、アダージョで順に(ソプラノ→アルト・テノール→バリトン)3連符や16分音符で細かく余韻を持たせながら静まっていく。これ以降、独唱の部分はない。Prestissimo ニ長調 2分の2拍子

"Seid umschlungen, Millionen!"

第4楽章のクライマックスで、最もテンポが速い。自筆スコアは851小節にPrestissimoではなくPrestoを置いており、ベーレンライター版が採用した。916小節から4分の3拍子で4小節間Maestosoとなり、この曲でシラーの歌詞として冒頭に出た"Freude, schöner Götterfunken"が壮大に歌われたのち、再びPrestissimo(Presto)となり管弦楽のみの後奏で曲を閉じる。

尚、919小節の部分オーケストラスコアでは、トライアングルにトレモロの指示があるが、実際の演奏ではトレモロ奏法されているのは少ない。この演奏法は1972年5月収録のシカゴ交響楽団(CSO)、ゲオルグ・ショルティの指揮による演奏で確認できる。

 

 

 

 

《参考》第4楽章合唱の歌詞&対訳

 

Friedrich von Schiller "An die Freude"

O Freunde, nicht diese Töne! Sondern laßt uns angenehmere anstimmen und freudenvollere! (L. v. Beethoven)

Freude, schöner Götterfunken, Tochter aus Elysium, Wir betreten feuertrunken, Himmlische, dein Heiligtum. Deine Zauber binden wieder, Was die Mode streng geteilt; Alle Menschen werden Brüder, Wo dein sanfter Flügel weilt.

Wem der große Wurf gelungen, Eines Freundes Freund zu sein; Wer ein holdes Weib errungen, Mische seinen Jubel ein! Ja, wer auch nur eine Seele Sein nennt auf dem Erdenrund! Und wer's nie gekonnt, der stehle Weinend sich aus diesem Bund!

フリードリヒ・シラー 「歓喜に寄す」

おお 友よ このような音楽ではなく もっと快くもっと喜びに満ちた歌を 歌おうではないか

(ベートーヴェン作詞)

喜び それは美しい神々の火花 至福の国からきた娘 私たちは燃えるような陶酔のうちに 天上的な喜びよ あなたの神殿に登る あなたの魔法の力が時流にきびしく 分け隔てられていたものを再び結びつける すべての人々はあなたの優しい 翼のもとでみな兄弟となる

互いに友となる幸運に 恵まれた者は やさしい女を得た者は こぞって歓声に唱和するがよい! そう この世でひとりだけでも我がものと 呼べる人がいる者は皆のこらずにだ! そして不幸にもそれができなかった者は 泣きながらこの仲間から人知れず去るがよい!

 

Freude trinken alle Wesen An den Brüsten der Natur, Alle Guten, alle Bösen Folgen ihrer Rosenspur. Küsse gab sie uns und Reben, Einen Freund, geprüft im Tod, Wollust ward dem Wurm gegeben, Und der Cherub steht vor Gott.

Froh, wie seine Sonnen fliegen Durch des Himmels prächt'gen Plan, Laufet, Brüder, eure Bahn, Freudig wie ein Held zum Siegen.

Seid umschlungen, Millionen! Diesen Kuß der ganzen Welt! Brüder über'm Sternenzelt Muß ein lieber Vater wohnen.

Ihr stürzt nieder, Millionen? Ahnest du den Schöpfer, Welt? Such' ihn über'm Sternenzelt! Über Sternen muß er wohnen.

あらゆる生き物は喜びを 自然の乳房から飲む

善人も悪人もすべての人々が 喜びというバラの道をたどる 喜びは私たちに接吻とワインを与え 死の試練を経た友を与えてくれた 喜楽は小さな生き物にも与えられ 天使は神の前に立つ

創造主の星々が壮麗な天空を 飛び交う様子さながらに 喜々として 兄弟たちよ 君たちの道を進め 喜々として勝利をめざす英雄のように

抱き合おう 数百万の人々よ! この接吻を全世界に! 兄弟たちよ 星空の上には 愛する父が住んでいるに違いない

数百万の人々よ 君たちは跪いているか? 世界よ 君は創造主を予感しているか? 星空のかなたに彼を探し求めるがよい 彼は星々の上に住んでいるにちがいない