HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『ゲルハルト・オピッツBeetv.Pf.協奏曲』演奏会

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 表記の演奏会は、オピッツの『ピアノ協奏曲全曲演奏会』と名を打ってある位ですから、全部聴きたいところですが、第一回目の演奏会は年末所用で聴けず、二回目も危ぶまれたのですが、何とか都合をつけて聴きに行くことが出来ました。

【日時】2021.12.28.(火)19:00~

【会場】紀尾井ホール

【管弦楽】愛知室内オーケストラ(ACO)

【指揮】ユベール・スダーン(ヘンリック・シェイファー(クリストフ・ケーニヒ?)の代演)

【独奏】ゲルハルト・オピッツ(Pf.)

【曲目】ベートーヴェンのピアノ協奏曲

 

①『協奏曲第4番ト長調Op.58』

 

②『協奏曲ニ長調Op61』(ベートーヴェンによるヴァイオリンコンチェルト編曲版)

 

③『協奏曲第5番変ホ長調Op.73「皇帝」』

 

【曲目解説】

①4番

『ピアノ協奏曲第3番ハ短調』を完全な形で書き上げられてから、最初に演奏された翌年にあたり、またベートーヴェン唯一のオペラ作品『フィデリオ』の元となった作品『レオノーレ』初稿の初演が行われた年でもある1805年に作曲に着手、翌1806年に完成させている。                                       オーケストラを従えてピアノ等の独奏楽器が華々しく活躍する協奏曲はピアニスト等の独奏楽器を奏でるプロ演奏家にとって自身の腕前を披露するのに適したものとされていたこともあり、従来の協奏曲ではオーケストラは伴奏役に徹するのが常で、実際の作品では、例えば冒頭部分に於いて、オーケストラが前座宜しく先にメロディを奏でていると後から独奏楽器が、まるで花道上に現れ歩みを進める主役の如く、やおら登場し華々しく歌い上げることが多いのであるが、進取の気風に満ちていたベートーヴェンは当楽曲でいきなり独奏ピアノによる弱く柔らかな音で始めるという手法を採り入れた。これは聴衆の意表を突く画期的なものとされ、驚きと感動をもたらしたと伝えられている

更にベートーヴェンは伴奏役に徹しがちなオーケストラとピアノという独奏楽器を“対話”させるかのように曲を作るという手法も採り入れている。作曲当時使われていたピアノは現在流通しているものと比べて音量が小さく、それでいてオーケストラと対等に渡り合えるようにすべく、独奏ピアノの側にあっては分散和音やトレモロを駆使して音響効果を上げる一方、オーケストラの側にあっては楽章により登場楽器を限定したりしている《第1楽章ではティンパニーとトランペットを参加させず、第2楽章は弦楽合奏のみに限定》

当楽曲は完成の翌年・1807年の3月に先ずウィーンのロプロコヴィッツ公爵邸の大広間にて小規模オーケストラを使って非公開ながら初演され、翌1808年の12月22日に同じくウィーンに所在するアン・デア・ウィーン劇場に於いて公開による初演を行っている。何れもベートーヴェン自身がピアノ独奏を務めているが、かねてから自身の難聴が進行していたこともあり、当楽曲が自身のピアノ独奏により初演された最後のピアノ協奏曲となった

なお当楽曲は、ベートーヴェンの最大のパトロンであり、また彼にピアノと作曲を学んだともいわれるルドルフ大公に献呈されている

【楽器編成】              

 独奏ピアノ、フルート1、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦5部

 

②ヴァイオリン協奏曲Op。61の編曲版

このピアノ曲は三大名バイオリン協奏曲共いwれるヴァイオリン協奏曲op.61のピアノ用編曲版。ピアニストクレメンティの要請によってベートーヴェン自らにより1802年に作(編)曲された。

③第5番

いわゆる「傑作の森」と評される時期に生み出された作品の一つであり[1]ナポレオン率いるフランス軍によってウィーンが占領される前後に手がけられている。ベートーヴェンが生涯に完成させたオリジナルのピアノ協奏曲全5曲の中では最後となる作品であり[2]、かつ初演に於いて他のピアニストに独奏ピアノを委ねた唯一の作品でもある。

1808年12月末頃にスケッチ着手[2]。同月22日にアン・デア・ウィーン劇場に於いて『ピアノ協奏曲第4番ト長調』や『交響曲第5番「運命」』、『同第6番「田園」』などの新作の初演を兼ねた4時間に及ぶ長大な演奏会を開いていることから、当該演奏会の直後に当楽曲のスケッチに取りかかったものとみられている[3]。この演奏会ではベートーヴェンが自身によるピアノ即興演奏や、自身の新曲の一つとして発表され、後に『交響曲第9番「合唱付」』のルーツ的存在の一つとして知られることになる『合唱幻想曲』の初演のピアノ独奏を務めたりもしていたことから、この演奏会が当楽曲の創作に向けて刺激を与えたとの指摘も存在する

翌1809年の4月頃までにスケッチを完了させ、同年夏頃までに総譜スケッチを書き上げたものとみられるが、出版に漕ぎ着けるには更に1年程度の期間を要している

折しも、当楽曲のスケッチおよび作曲に取り組んでいる最中にあった1809年、ナポレオン率いるフランス軍がベートーヴェンが居を構えていたウィーンを完全包囲し、その挙げ句にシェーンブルン宮殿を占拠した。これに対しカール大公率いるオーストリア軍は奮戦するもフランス軍の勢いを止める事は出来ず、遂にウィーン中心部を砲撃され、フランス軍によるウィーン入城を許してしまった。その後フランス・オーストリア両軍の間で休戦協定が結ばれるも、当時のオーストリア皇帝フランツを初め、ベートーヴェンを支援してきたルドルフ大公を初めとする貴族たちもこぞって疎開、ウィーンに於ける音楽活動は途絶えてしまう

ちなみにこの頃のベートーヴェンはというと、彼の住居近くにも砲弾が落ちたことから弟カール宅の地下室に避難、不自由な生活の下でも作曲を続けていたものの、たまりかねてウィーンの街中を我が物顔で歩くフランス軍将校とすれ違った際に将校に向かって拳を上げながら「もし対位法と同じぐらい戦術に精通していたら、目に物を見せてくれように」と叫ぶこともあったといわれている

当楽曲は、前記総譜スケッチを終えてから1年余りを経て、1810年11月に先ずロンドンのクレメンティ社から、更に翌1811年3月から4月にかけてはドイツのブライトコプフ・ウント・ヘルテル社から、それぞれ出版されている。                           

初演については、先ずドイツに於ける初出版の2~3ヶ月前にあたる1811年1月13日に行われたロプコヴィッツ侯爵宮殿に於ける定期演奏会の中で、ベートーヴェンの弟子の一人で彼のパトロンの一人でもあるルドルフ大公の独奏により非公開ながら初演を実施。その後、同年11月28日にライプツィヒに於けるゲヴァントハウス演奏会に於いてフリードリヒ・シュナイダーの独奏による初めての公開初演が行われ、更に翌1812年2月12日にはウィーンのケルントナートーア劇場に於いて同じくベートーヴェンの弟子の一人であるカール・チェルニーの独奏によるウィーン初演が行われている

1802年に自らの聴覚障害(難聴)に憂いて「ハイリゲンシュタットの遺書」をしたためて以来、ベートーヴェンが抱える難聴は悪化の一途を辿ってきているが、それでもピアノ協奏曲のカテゴリに於ける前作『ピアノ協奏曲第4番ト長調』までは初演に際してベートーヴェン自らが独奏ピアノを務めてきた[6]。しかし、当楽曲の作曲途上に於いてもたらされたフランス軍による爆撃音は、ただでさえ進行中だった難聴をより重症化させてしまい、ついには当楽曲の初演にピアノ独奏者として関わることを諦め、他のピアニストに委ねるに至っている

とはいえ、当楽曲の初演は不評に終わり、その影響からかベートーヴェンの存命中に二度と演奏されることは無く、更に新たにピアノ協奏曲を自身の存命中に書き上げることは無かった。後年、フランツ・リストが好んで演奏したところから、当楽曲は名曲の一つに数えられるに至っている

なお当楽曲は、完成後最初に行われたロプコヴィツ侯爵宮殿に於ける非公開初演の場でピアノ独奏を務めたルドルフ大公に献呈されている

【楽器編成】              

 独奏ピアノ、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦5部

 

【演奏の模様】

 オピッツさんは何か月も日本に滞在していて、外国人の入国規制には該当しません。従ってかなり前から様々なピアノ演奏活動をされていて、その中には来日不可となった外国人の代役を買って出る演奏会もありました。今月初め(12/8)の東響の演奏会のソロ演奏も代役でした。代役と言っても、凄いピアニストが代役ですから願ったりも無いいい機会でした。その時聴きに行ったhukkats記録を参考まで文末に再掲して置きます。

 表記のコンサートチラシには、大きく『愛知室内オーケストラ(ACO)特別演奏会』と書いてありますが、指揮予定だったヘンリク・シェーファーが来日出来ずユベール・スダーンが代役で振ります。スダーンは現在は金沢のオーケストラの首席客演指揮者を務めこれまでその他の多くの国内オーケストラの指揮をしています。これもまた大物代役と言って良いでしょう。オーケストラメンバーが席に着いたのを見るとACOの器楽奏者は、ほぼ2管編成の弦楽五部6型(6-6-5-3-2)と小じんまりした編成でした。

 

①第4番

 ①ー1 Allegro moderato

 言わずもがな、この曲をオピッツがどう演奏するかを聴きに来たといってもいい位ですから、期待は大きく膨らみます。Pfが最初の導入音を静かに短く鳴らすと、すぐにオーケストラの音が響き始めます。おや―これは!これは!弦楽アンサンブルがあの小編成でこれだけの音が束になって出るとは!ちょっとびっくりし、同時に仲々幸先がいいぞと思いました。オピッツは太い指で鍵盤をやさしくなでる様にして弾き、相変わらず柔らかな音を出しています。特に右手の小指から出る高音がキラキラと綺麗。管も合いの手を入れますが Ftと Hrが最初は調子が出ないみたい。Ftの音がクリアに聞こえないし、Hrは出音がすんなりしない気になる時がありました。でもそれは些細な事、弦楽アンサンブルの快調なうねりに飲み込まれ、管・弦・打全楽器の大河の流れに乗って各楽器が次第にエンジンがかかって来ます。Fg. Cl. Ob.は比較的安定感有り。弦の中でもVaアンサンブルは5人なのですけれど、凄くハモッてズッシリと存在感が出ていました。終盤のPfのカデンツアの前あたりに進むとFtもいい音を出す様になり、HrもPfの良い合いの手を差しのべる様になりましたが、次楽章でも不安定な出音のケースが散見されました。Ftからの誘因でカデンツアが始まり、オピッツはゆっくりとした粒ぞろいの真珠の如き清新な音を紡ぎ出し、変奏部演奏でもメリハリの効いた演奏をしていました。オケは通奏低音のように微音で寄り添っている、続く煌めくピアノの強奏部ではオピッツさんはかなり指使いに力を入れている様子(今回も鍵盤が良く見える席をとりました)、上向進行下降進行を繰り返しオケとのやり取りも再会、曲調が短調に変わる独奏部に入り僅かなオケの音に見守られながら華々しくピアノを鳴らしたオピッツは音の強弱・テンポを巧みに操ってこの楽章を締めくくりました。かなり長い演奏でした。

 ①ー2  Andante con moto 

 やや劇的な雰囲気を持った弦楽アンサンブルでスタート、ピアノがそれに答えるが如く弦との対話を静かに繰り返し、短調のかなりしめやかな雰囲気を醸し出しましたが、やがてピアノの強い指使いが気持ちを高揚させ、苦しい気持ちの吐露のようにも思えます。しかしその後もやはりある種の苦悩が滲んでくる。突然曲想が変わり、軽快なピアノの煌めくリズムが遠くから鳴り響き次第に近づくと。オケもそれに呼応して強い調子で臨んでいきます。ここでのACO弦楽アンサンブルの、圧倒される程の存在感は見事としか言いようが無かった。オピッツは鍵盤の中音域を中心に速いテンポで指を縦横無尽に行き来させ、その合間を縫ってオケが景気よく雰囲気を盛り立ててはピアノに譲り最後は一気にフィーナーレの音をピアノと共に飾り立てました。

 ①ー3  Rondo Vivace 

    冒頭軽快な弦の小さな音に合わせ、ピアノが煌めく音を醸し、明快で速いテンポのピアノのパッセッジが続きました。オケは黒子の様に陰に隠れてそれを支え、時々全面に出て全力演奏、ピアノもそれに呼応、主題を印象付けていました。オピッツの指使いはここではやや指を立て(全体的には指を鍵盤に平行若しくは僅かに丸まっている程度)鍵盤を叩く様に強く弾く場面も見られました。Pfの短いソロに管弦が続き、何回か繰り返します。Clの音もしてPfが続き、管の強い音も入ります。オケに任せてPfはしばしの休止の後、再度テーマ変奏を短いカデンツァ的に流し、最後は軽快なテンポを保ってオケと共に終焉へと向かったのでした。

 

 総じてやはりこの曲は、かなりお洒落な雰囲気に満ちた協奏曲だと再確認しました。それを忠実に再現できるオピッツ演奏はさすがだといつもながら思うのです。伝統的なドイツ風と言うよりもウィーンの雰囲気に馴染んだベートーヴェンの姿がかいま見られます。終楽章の軽快なリズムを聴くと、ウィーン、ホーフブルク王宮での白馬の演技を見る思いです。熟練した旗手により、両前足を高く上げたり、ポコポコ音を立てて足踏みしたり、少しダッシュしたかと思うと急に手綱を締めて立ち止まる騎手のカラフルな騎乗衣も見える様な幻覚に陥るのです。この曲の録音CDはケンプ演奏のものを時々聴いていますが、オピッツは相当ケンプに引き込まれていますね。それに対して対照的なのがグールドのこの曲の演奏。グールドの演奏を簡単に録画で見られるのです。実は最近我が家ではテレビを最新のものに買え換えたのです。これはテレビの大画面でU-tubが見ることが出来ます(これまでもデスクトップパソコンの大きい画面で見られましたが、臨場感は比較になりません)。音は側に設置してあるステレオ再生装置に連結してあるので、録音としても充分鑑賞に堪える音で聞けます。 グールドはバッハ弾きと謂われることがありますが、かなり以前からそのベートーヴェンの演奏は素晴らしいと思っていました。あれはもう二十年ぐらい経っているかも知れません。ある時ラジオを付けるとベートーヴェンのソナタが流れていて、途中からですが実にいい演奏なので誰が弾いているのか最後注意して聴いていました。しかし何かの番組の挿入曲だったのか、最初に曲名と作曲者はアナウンスしている筈なのですが、分かりませんでした。すぐにNHKに電話して確かめたら、グレン・グールドだったのでした。それ以来バッハのみならずグールドのベートーヴェン演奏には注目するようになったのです。U-tubeで見ると、グールドは指を激しく動かしながら感情を曲に移入している様子を時々身振り、口振り(彼は演奏曲を口ずさみながら弾くのが珍しくありません)で表しながら、最後の音を打ち弾き下ろすと、左腕と手で指揮棒を振り下ろす様な仕草をしたり、オピッツの何事にも動じないような平常心で弾いている姿と大違いです。演奏法も大違いでノンレガート奏法、指使いを激しく動かすのもそのせいかも知れません。ベートーヴェンがモーツアルトにあってそのピアノ(?チェンバロか?)演奏を聴いた時、「モーツァルトはノンレガートだ」と言ったとか言わないとか??何れにせよ音楽曲というのはどのような演奏であれ、聴く人がいいと思う素晴らしいと思う演奏であれば、どんなやり方でも許される自由さがいい所だと思うのです。ただ聴く人によって違って聴こえるのがややこしい問題ですが。何れにせよオピッツの様に伝統の良さを受け継いでいるピアニストは非常に貴重な存在だと思いますし、是非後世に、日本との関係も深いようですから、是非日本の若いピアニストに、その演奏の秘訣を伝授して欲しいという勝手な願いも頭をよぎりました。

②ニ長調編曲版

 もうこれは全く別物の音楽とも言って良いと思います。(そういうことはほとんどあり得ませんが)そのヴァイオリンコンチェルトを全く知らない人がこのピアノ曲を聴いたら、「皇帝」に続く、ベートーヴェンの6番目のピアノ協奏曲だと思いますよ、これは。ベートーヴェン自身のヴァイオリンコンチェルトだからこそ、しかもヴェ―トーヴェン自身だからこそ編曲で来たのでしょう。

 あちこちにヴァイオリンコンチェルトのメロディが出て来て懐かしく感じましたが、そうした処はピアノよりヴァイオリンの演奏の方が華やかさは何倍もありますね。ピアノでの演奏は華やかさこそ一歩有りますが、力強さとかキラキラする輝き、煌めき表現はピアノだからこそ出来るところもあると思いました。兎に角ベートーヴェンは器用だしさすがですね。オピッツの演奏もこれぞ、ケンプ譲りという音を紡ぎ出していました。             尚、この曲ではオピッツは楽譜を見ながら演奏していました。大ベテランとも謂えど、ヴァイオリン曲からの編曲ですから、他の協奏曲と較べたらこれまで演奏回数は非常に少なく暗譜には至らなかったのでしょう。

 

③第5番

 ③ー1 Allegro

    ③ー2    Adagio un poco  messo

    ③ー3    Rondo Allegro- Piu allegro 

(後日記載)

 

//////////(2021.12.8.hukkats記録再掲)//////////////////////////////////////////////////////

東京交響楽団第84回定期演奏会(川崎)

編集

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【日時】2021.12.5.(日) 14:00~
【会場】ミューザ川崎
【管弦楽】東京管弦楽団

【指揮】ジョナサン・ノット

【独奏】ゲルハルト・オピッツ(Pf)※
 ※当初の出演予定のピアニスト、ニコラ・アンゲリッシュが、来日出来ず変更になりました。彼は、2004年の来日公演で弾いた難曲で知られるブラームス「ピアノ協奏曲 第2番」が当時話題となりました。それを来日中のオピッツが、急遽代役として演奏します。ブラームスから曲目変更しないで弾くのは流石ドイツピアノの巨匠です。

 オピッツの演奏は、昨年末に聴いています。その時はベートーヴェンの最後の三つのソナタでした。参考までその時の記録を文末に再掲して置きます。

【曲目】
①ブラームス『ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 op.83』


②ルトスワフスキ『管弦楽のための協奏曲』

 

 

【曲目解説】

①ブラームス『協奏曲第2番 変ロ長調 op.83』

 初期の作品であるピアノ協奏曲第1番より、22年後に書かれたピアノ協奏曲。交響曲第2番やヴァイオリン協奏曲と並ぶ、ブラームスの成熟期・全盛期の代表作であり、最も有名な作品のひとつでもある。

初めてのイタリア旅行にインスピレーションを得て1878年に作曲が開始され、ウィーン近郊のプレスバウムに滞在中の1881年に完成された。この間にヴァイオリン協奏曲の作曲に集中していたため、2回目のイタリア旅行から帰国後一気に書き上げた。イタリアで受けた印象を基に書かれているためブラームスにしては明るい基調で貫かれている。楽曲構成上はピアノ・ソロが単独で自由に奏するカデンツァ的な部分は無いとも言え、ソリストの超絶技巧の見せびらかしとしての協奏曲という従来の協奏曲観からは意図的に距離をとった作品であるが、それにもかかわらず、この作品が現実に要求する桁外れの難技巧は、多くのピアノ奏者や教師をして「最も難しいピアノ曲の一つ」と呼ばせてもいる(ちなみに記録によればブラームスはこの曲を自らの独奏で初演しており、ブラームス自身のピアノ演奏の技術の高さがうかがえる)。

ピアノ協奏曲第2番の一般初演は、1881年11月9日、ブラームス本人の独奏、アレクサンダー・エルケルの指揮によりブダペストで行われた。不評だったピアノ協奏曲第1番と異なり、この作品は即座に、各地で大成功を収めた。ブラームスはその後、ドイツ、オーストリア、オランダでこの作品の演奏会を繰り返し開き、そのうちの幾つかはハンス・フォン・ビューローによって指揮された。

 一般的に古典派、ロマン派以降の協奏曲は3楽章から構成されるが、この作品は交響曲のようにスケルツォ楽章を備えた4楽章からなる。

第1楽章 Allegro non troppo
変ロ長調、4/4拍子、ソナタ形式。        

第2楽章 Allegro appassionato
ニ短調、3/4拍子のスケルツォ、複合三部形式。スケルツォ入りの協奏曲としては、アンリ・リトルフの5曲の「交響的協奏曲」、フランツ・リストのピアノ協奏曲第1番という先例がある。

第3楽章 Andante
変ロ長調、6/4拍子、複合三部形式。この楽章からトランペットとティンパニは使用されない。 ヴァイオリン協奏曲第2楽章のオーボエのように、主題提示をピアノではなくチェロ独奏が行う。

第4楽章 Allegretto grazioso - un poco piu presto
変ロ長調、2/4拍子、ロンド形式。

②ルトスワフスキ『管弦楽のための協奏曲』

 ポーランドの作曲家ルトスワフスキによって、1950年から54年にかけて作曲された管弦楽曲。ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者ヴィトルト・ロヴィツキに献呈された。

初演:1954年11月26日、ワルシャワにて。
この作品の成功により、ルトスワフスキの西側諸国での知名度が上がった。

種々の楽器のために民俗音楽的な小品を作曲した経験を生かし、ルトスワフスキはポーランド民族音楽によるより大規模な作品の作曲をしようと考えた。しかし、この作品はその規模が大きくなったというだけでなく、この作品においては民族音楽は旋律の主題にのみ残されたという点で特徴的である。ルトスワフスキは、これらの民謡に原曲とは異なる和声法をほどこし、さらに無調の対位法などを施して、これらを新バロック様式に生まれ変わらせている。

第1楽章:Intrada. Allegro maestoso (導入曲)2つの主題による序曲。

第2楽章:Capriccio notturno e arioso. Vivace (夜の奇想曲とアリオーゾ)
軽やかなカプリチオ。とくに優れたスケルツォである。主要主題はヴァイオリンで歌われる。その後金管楽器がアリオーソを奏でる。

第3楽章:Passacaglia, toccata e corale. Andante con moto (パッサカリア、トッカータとコラール)
3つの部分からなる。まず、コントラバスによってパッサカリアのテーマが示され、それが変奏される。次に、快活なトッカータが続き、最後に器楽コラールになる。

 

【演奏の模様】

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①ブラームスコンチェルト

器楽構成は、

フルート2(ピッコロ持ち替え1)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2(第2楽章まで)、ティンパニ1対(第2楽章まで)、弦五部16型。

この曲は、ベートーヴェンの5番「皇帝」、シューマンのイ長調と並んで三大ピアノコンチェルトに挙げる人もいます。その他ショパン、ラフマニノフ、グリーグ、モーツアルトのコンチェルトと組み合わされ並び称されることも有ります。ただ交響曲1番と同様、少し分かり難い所があるかも知れません。でも聞けば聞く程、噛めば噛むほど味が出て来る名曲に変わりは有りません。

 演奏者にとっては、上記曲目解説にもある様に、かなりのテクニックを要する難曲であることも確かです。演奏者が変更になって代役が選ばれ、演奏会まで余り日数が無い場合には、曲目変更がなされることは珍しくありません。オピッツが同じ曲を引き受けるということは、如何に自分の演奏に自信があるかを示しています。

 如何にもドイツ人の風貌と体躯のオピッツが登壇し、挨拶が終わりピアノに着くなり、ジョナサン・ノットはタクトを振り始めました。オピッツの演奏は、第一楽章こそ、いつもよりやや力強さが弱いかなと思われる弾き振りでしたが、相変わらずあの太い指でどの様にしたらこの様な綺麗な音が出るのか、と不思議な位繊細な音を出していました。 この曲ではオケはほとんどの箇所で弦楽アンサンブルが前面に出て、今日のノット指揮東響は弦の響きが大変良く、特に低音弦が最初から最後までずっしりと重しを成していました。確かコントラバスは8艇揃えていたと思います。かなり大時代的なシンフォニー的終了でした。

 第二楽章は、普通ピアノ協奏曲にはないスケルツォ的存在を加えたもので、シンフォニーに従ずる様式です。オピッツはエンジンがかかって来たのか、一楽章よりもさらに力強いタッチで、オケの音を打ち消す様な箇所も有り、かなりの充実した演奏を見せて呉れました。中盤の短いカデンツア的Pfソロに、Hrのメロディが合いの手を入れ再びPfソロが強奏し、分散和音の美しい流れがObによってささえられて、この楽章のピアノの活躍度はアップしていました。 最後はテーマが繰り返され(その時の非常に高音の跳躍音が三回ぐらい入りアクセントとなっていた)ここの最後もあたかもシンフォニー的な終わり方でした。

 第三楽章はチェロの流れる様な優雅なソロ音で開始、かなり長いと感じられる前奏です。穏やかにオケが同じテーマで続き、Obの音も聞こえます。ピアノが静かに入って来て、矢張り優雅な素敵な曲を弾き始めました。次第に力が入るオピッツ、静かなCl音とPfの語り掛けの後再度Vcのソロが復活、オピッツは、むしろ伴奏と思える程Obに寄り添っていました。この楽章は静かに終了。 

 第四楽章はピアノの清明な軽やかな旋律からスタート、次第にオピッツもジョナサンオケも力が入って行き全力投球に入ました。変奏テーマをピアノが弾くと一呼吸おいてオケが同奏、交互に力一杯全力で演奏しています。最後はかなり速いパッセッジでオピツとオーケストラが音を次々と繰り出し、最後は力は入っていますが、割りと淡白な終了となりました。                                いつも感心するのは、オピッツの泰然とした様子で最初から最後まで冷静に弾き切るところです。

 ブラームスの旋律は、左右を駆使した多重和音による音の遷移なので、深味のある重厚さを感じるメロディがずっしりと響いて来ました。

 聴きに行く前に、時間的余裕は余り無かったのですが、ブラームスの作品は、U-Tubeで多くの組合せ録音の中から、『バックハウス+ベーム指揮ウィーンフィル』と『フィッシャー+フルトベングラー指揮ベルリンフィル(高音質リマスター版)』を選んで聴きました。何れもドイツ風の解釈のピアノ演奏で、流石と思われるものでした。特にフルトベングラーのベルリンフィルの演奏は戦時中の1942年のライヴですが、ピアノに寄り添ってオーケストラの移ろいゆく動きと言うかうねりというか、素晴らしいダイナミズムを感じるものでした。

 

 今回はオピッツのピアノ演奏を主として聴きに行ったので、ルストフスキーの演奏に関しては、時間の関係も有り、後日時間をとって記するつもりです。

 

《追記稿》

②ルトスワフスキーの『管弦楽のための協奏曲』

器楽構成は、①の時より管、打楽器が補充されました。         

フルート3(うち2本はピッコロ持ち替え)、オーボエ3(うち1本はコーラングレ持ち替え)、クラリネット3(うち1本はバスクラリネット持ち替え)、ファゴット3(うち1本はコントラファゴット持ち替え)、ホルン4、トランペット4、トロンボーン4、チューバ、ティンパニ、スネアドラム、テナードラム、バスドラム、シンバル(大,小-クラッシュ)、タンブリン、タムタム、シロフォン、鐘、チェレスタ、ピアノ、ハープ2、弦五部16型。

この作曲家も作品も初めて聴きます。ぶっつけ本番です。家に戻ってから作曲家と作品について調べたところ次の通りでした。

Profile】

1913年1月ポーランドのワルシャワに生まれた。1937年ワルシャワ音楽院

を卒業。1954年に代表作、管弦楽のための協奏曲を作曲した。UNESCO国際作曲家会議で第一位受賞、頭角を現す。1959年~1965年は、国際現代音楽協会ISCMのポーランド支部委員に選出。1963年からは、ヨーロッパ全土で活躍。各地で絶賛される。1983年からは、伝統的なスタイル「交響曲」、「協奏曲」、「ファンファーレ」、「パルティータ」といった楽曲を作曲する事が優勢になった。ポーランド初のISCM名誉会員へ選出。

1994年2月、作曲中に急逝。81歳没。妻も同年に没した。

【曲目解説】

『管弦楽のための協奏曲』は1950~54年にかけて作曲された管弦楽曲。ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者、ヴィトルト・ロヴィツキに献呈された。

 この作品の成功により、ルトスワフスキの西側諸国での知名度が上がった。

種々の楽器のために民族音楽的な小品を作曲した経験を生かし、ルトスワフスキはポーランド民族音楽によるより大規模な作品の作曲をしようと考えた。しかし、この作品はその規模が大きくなったというだけでなく、この作品において民族音楽は旋律の主題にのみ残されたという点で特徴的である。ルトスワフスキは、これらの民謡に原曲とは異なる和声法をほどこし、さらに無調の対位法などを施して、これらを新バロック様式に生まれ変わらせている。

第1楽章:Intrada. Allegro maestoso (導入曲)

     2つの主題による序曲。

第2楽章:Capriccio notturno e arioso. Vivace (夜の奇想曲とアリオーゾ)

    軽やかなカプリチオ。とくに優れたスケルツォである。主要主題はヴァイオリンで歌われる。その後、金管楽器がアリオーソを奏でる。

第3楽章:Passacaglia, toccata e corale. Andante con moto (パッサカリア、トッカータとコラール) 

 三つの部分からなる。まずコントラバスによって パッサカリアのテーマが示され、それが変奏される。次に、快活なトッカータが続き、最後に器楽コラール。

の三楽章構成。

【演奏の模様】

    あの決して狭くはないミューザのステージ一が、楽器で一杯埋め尽くされています。グランドピアノもある、ハープは2台揃って、それから打楽器群が大から小まで、様々な物が置いてあります。マーラーの交響曲でも大編成の曲がありますが、そこまでは行かないまでも、これはかなりの迫力を期待出来そうです。 

〇第一楽章                                           Timpのダンダンダンに合わせて、低音弦(Vc+Cb)が静かに響き、ついで弦楽アンサンブル、ObやFtの管がタラッタというテーマを繰返す中、相変わらずダンダンダンは同じテンポで拍子をとっています。突然高音金管のメロディが流れ曲想転換が起こる。続く機関車の様な疾走リズムが走るとTimpはこの間大活躍、気を抜く暇もないといった感じ。

〇第二楽章                                               非常に速いVnの調べが、起伏のあるトレモロ風に聴こえます。次第にFtとObが加わりテーマを繰返す。Ftが一貫して先導、引張っています。弦楽アンサンブルは1Vnに2Vn、Va、Vc、Cbもフーガ的に参加、せわしなく響きが広がりました。フルート持ち替えピッコロが高い速い音で鳴き騒いでいます。Trpのファンファーレが聞こえました。太鼓の音もしてシンバルが鳴らされ、管弦楽は既に強奏の世界、すごい迫力です。マエストロ・ノットは体一杯を使って、猛獣が獲物を狙い撃ちするような様子で、次々と各楽器に指示をあたえています。各パートも必死に指揮者に食い下がっていました。

〇第三楽章                            

 ハープ、ピアノの低い音が聴こえ始めました。Cbがボンボンボンと鳴っている。続いてOb、Ftと続き、各楽器フーガ的に同じメロディを繰返していました。次第に音は強まり、管はそれぞれ全力に向かっている感じ。弦は最初ピッツィから強奏に変わり、管弦は轟音を立てて喧騒の真っただ中に突入、この辺りピアニストも弾いていますが、ピアノ音は聞こえません。物凄いエネルギーを指揮者が発散させていて、それがオーケストラ全体に広がっていく様子は、聴いていても見ていても、これぞ大編成オーケストラの醍醐味だぁ!!と叫びたくなる程でした。いつも思うのですが、この様な大編成で特に管楽器や様々な打楽器が加わったオーケストラでは、聞く楽しみプラス見る楽しみ、どの楽器が音を立てているか指揮者と演奏者の関係などキョロキョロして見て、納得する楽しみが加わります。そうした楽しみはマーラーの交響曲でも十分味わえるのですが、今回の様なモダン派の音楽だと、特にそれが意識されて曲が出来ている場合が多いので、いい機会でした。まさに各パート楽器による『協奏曲』の競演でしたね。

 自分にとっては久し振りの大熱演を、ノット指揮東響オケに聴かせて貰って、大いにスカットした満足な気持ちで家路につくことが出来ました。