HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『KING&QUEEN展(from National Portrait Gallery of London)』鑑賞詳報Ⅲ-1

《Ⅲハノーヴァー朝①》

    ステュアート最後の王となったアン女王には、嫡子はいませんでした。しかし腹違いの従弟、前プリンス・オブ・ウェールズ、ジェイムズ・フランシスがいたのです。彼はアンの父ジェイムズ2世がヨーク公時代に先妻の死後、後妻として迎えたモデナ公国の公女メアリー・オブ・モデナとの間に生まれた嫡子で、血統的には最もアンに近く、王位継承の資格はありました。しかし敬虔なカトリック教徒であった母メアリー・オブ・モデナの影響で、フランシスもカトリック教徒だったこと、これが王位継承の妨げになったのです。それは、遡る事13年前の1701年に発布された「王位継承法」に由来します。それには、

〇カトリック教徒若しくはカトリック教徒と結婚せるものは、すべて王位の継承権を有しない

〇将来のイングランド王は国教会員たるべきこと

〇アンの死後は、新教徒なるドイツのハノーヴァー選帝候妃ソフィア、またはその子孫がイングランド王となるべきこと

などが、はっきりと規定されていたからでした。こうした経緯があって新しいイングランド王には、カトリック教徒であるステュアート系のフランシスは議会の王位選定の対象にはならなかったのです。こうして王位継承法の規定通り新教徒の子孫が求められたのでした。ところが候妃ソフィアはアン女王が亡くなった1714年8月に遡る事2か月ほど前の6月に83歳の高齢で亡くなっていたのでした。従ってその子孫が規定通り選ばれることになり、候妃ソフィアの息子でハノーヴァ選定侯ジョージが招聘され、新しいグレート・ブリテン王ジョージ1世として即位したのでした。ハノーヴァー朝の誕生です。 

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ジョージ1世

 しかし、こうした経緯があったこと、及び上記ジェイムズ・フランシスを推す勢力が英国でも侮り難い勢力を有したこと、フランシスをフランス王ルイ14世が後押ししたこと、英国民にも「ドイツの王がイングランド王になると、その内イングランドはドイツに併呑されてしまう」との危惧があったこと等様々な要因が絡んで、ジャコバイト(ジェイムズ派)とジョージの戦いが続いたのでした。