HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『KING&QUEEN展(from National Portrait Gallery of London)』鑑賞詳報Ⅲ-2

《Ⅲハノーヴァー朝②》

 前後しますが、ジャコバイトに関して若干の補足を記します。

ジャコバイト(ジェイムズ派)とウィリアム3世の戦いは、特にアイルランドで先鋭化し、ジェイムズ2世時代からのアイルランド総督が、ウィリアム新王が即位した時それを否認した、まさにその総督の軍と1690年フランスの援軍とが合流し、これとウィリアム3世軍及び配下の武将軍の合同軍とが、ボイン川河畔で戦ったのでした。結果はウィリアムの勝利に終わり、7000名のジャコバイト等は再びフランスに撤退しました。以降アイルランドでは、多くのカトリック教徒が迫害され、貧困化し、今日に至るまでの「遅れたアイルランド」の原因の一つとなったのです。

 フランスの亡命ステュアート朝腹辟主義者は、ジェイムズ2世の死後もその子ジェイムズ・フランシスを信奉し、1701年に父ジェイムズ2世が亡くなると息子のフランシスは亡命先でジェイムズ3世を僭称、フランス王ルイ14世も彼を正当なイングランド及びスコットランドの王位継承者として認めました。彼は1766年78歳で亡くなるまで「老潜王」と呼ばれ、1720年に彼から王位を禅譲された息子のチャールズ・エドワードはチャールズ3世を名乗り「若僭王」と呼ばれました。 若しフランシスがアン女王の亡くなる直前にカトリック教からプロテスタントに改宗していれば、イングランド王位に就くことが出来て、ステュアート朝は続いていたでしょう。でもその改宗は非常に困難だったでしょう。支持者(フランス王、内外のジャコバイト)が許さなかったでしょう。

 こうした背景の中にあって即位したジョージ1世(在1714~1727)及びそれを継いだ息子のジョージ2世(在1727~1760)の時代は、ジョージ支持のウィッグ党多数の議会運営となり、1760年頃まで比較的安定な政治情勢下、商・工業、貿易が活発化して、その後の産業革命の準備期間となったのです。

 ジョージ1世は定期的にドイツ、ハノーヴァーに帰国しましたが、1727年、帰国の途中で亡くなり、半年後にプリンス・オブ・ウェールズだった息子のジョージ・オーガスタスがジョージ2世として即位しました。

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ジョージ2世

 彼は、ジョージ1世の生前、父親とは不仲で、勘当同然の謹慎を命ぜられたり、息子との仲を父に引き離されたり、議会の父王に反対する勢力と接触したりしましたが、最終的に勝利の女神は彼に微笑んだのでした。強運の人だったのかも知れません。1745年、先に述べたジャコバイトの若潜王、チャールズ・エドワードが最後の蜂起を起こした時にも、首尾よくそれを跳ね除け、以後ジャコバイトの勢力は衰えました。この乱を鎮めることに功績のあったのは、ウィッグ党の宰相ウォルポールです。彼は1721年に王の要請を受けて大蔵大臣(首席大臣、現在の首相に相当)に就任、穏健策と対外平和主義を方針に立て、専ら経済的発展を希求しました。この国内協調主義が、トーリー党のジャコバイト主義者の執拗な王朝転覆の企みを挫折させ、ハノーヴァー朝の安泰をもたらしたのでした。

ドイツ人であったジョージ1世は全く英語を知らず、1718年以降は閣議を一度も主宰せず、ジョージ2世も同様に政務を大臣達に委ねたので、必然的に閣僚の指導者が閣議を主宰し、王にはその結果を報告する慣習となったのです。ここに、議会に基礎を置く責任内閣制が形成され、真に議会を中心とする政治が確立しました。

こうして議会と政治の中枢制度の近代化は、産業の発展の基となり、繊維工業、製鉄業、炭鉱業、交通部門など多くの分野で「産業革命」が行われたのです。これは「資本主義」の確立と言え代えることもできます。

こうした国力の発展は、ひとえに、英国をほとんど知らない外国人のハノーヴァー王朝が成立したことが大いに関係あるでしょう。

 

 

 ところで今日1月10日(日)の東京都の新型コロナ感染者数は1500人近くで、日曜日としては初めて1000人を超えた高い水準となりました(検査数が少ない曜日なので前日よりは小さめの数字になっているそうです)。神奈川、埼玉、千葉の3県の合計は1500人を超え、緊急事態宣言の該当首都圏としては3000人/日を越えています。この調子では今後感染者数が減少に向かう兆候は何も見えません。

明日1月11日(月)、成人の日には、東京文化会館で「東京音楽コンクール優勝者コンクール」に行く予定を何か月も前から立てていたのですが、行くことが出来ません。だって、文化会館のH.P.を見ると、コロナ対策は宣言前と何ら変わりはないからです。「入場時や休憩時、退場時に密を避けて下さい」という放送をしても、肝心の長時間座っている狭い座席が密状態では、何かキツネに馬鹿にされた様な感じを受けますね。少なくとも以前の対策の様な市松模様座席にならない限り行けません。またチケットはお蔵入りですね。