HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『KING&QUEEN展(from National Portrait Gallery of London)』鑑賞詳報Ⅲ-6

《Ⅲハノーヴァー朝⑥》

 前回ジョージ4世の弟、ウィリアムがウィリアム4世として即位したと書きました。1830年の事でした。どういう訳か今回の展覧会には、その肖像画が無いので、ネットで探した肖像の一つを掲載します。

f:id:hukkats:20210130225347j:plain

ウィリアム4世

 なかなかの偉丈夫に見えます。即位時の年齢は65歳になっていました。かなり高齢での王位継承だったのです。兄ジョージ4世とは3歳違い、ジョージ4世が父ジョージ3世の後を継いだのも遅く、58歳の時です。従って兄弟とも在位期間は短く兄は10年、弟は7年だったのです。何故こうしたことが起こるかと言いますと、兄弟の父親であったジョージ3世が長寿であり、82歳で亡くなるまで60年間にも渡って王位についていたからです。なんだか似た様な現象が、どこかの国でも現在進行形ですね?? 

 ウィリアム4世は若い頃には海軍勤務の軍人でした。アメリカやカナダに渡っていた時期もあります。「船乗り王」とも呼ばれる所以です。 即位の前には海軍司令官として海軍の指揮を執ったのです。その生い立ちからなのかかなり型破りの王族だった様です。女性関係も王族としてはかなり型破りで、未婚状態で長年寄り添った女性との間に多くの庶子をもうけ、そのあと別れてしまう、そして 独逸ザクセン諸侯の娘アデレードと正式結婚するも、設けた子は二人共夭折しまいました。

 ウィリアム4世は、気さくな側面を持ち民衆からの人気もありましたが、短い治世での業績としては選挙法改正が挙げられるでしょう。                         即位の翌年1831年にウィッグ党は、労働党と新興市民階級の支持の下、選挙法改正法案を上提、僅か1票差で庶民院を通過させました。貴族院での票読みでは明らかに否決されると見込んだ首相のグレーが議会を解散、選挙の結果ウィッグ党の勢力は伸び、今度は圧倒的多数で改正案が庶民院を通過しました。しかし貴族院では41票の差で否決されてしまうのです。そこで第3回目の改正案が出されるも、再度庶民院通過、貴族院否決が繰り返されると、(民衆派+政府)と貴族派の対立が激化してしまう。グレー首相は、ウィリアム4世に、新たに「自由主義貴族」をつくることを奏請し、これに一度反対した国王も、内閣総辞職、ウィリントンの組閣が民衆の蜂起により不調に終わると、再びグレーが首相となり、国王は決断して「新貴族」の叙任に踏み切ったのです。その結果1832年にはついに選挙法改正法案が議会を通過しました。新たな選挙法では、選挙権を持つ人が従来の六倍に拡大、被選挙人の定数は新興都市や人口が多い都市に再配分され、不平等感が和らいだのでした。