HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『KING&QUEEN展(from National Portrait Gallery of London)』鑑賞詳報Ⅲ-7

《Ⅲハノーヴァー朝⑦》

 高齢で即位したウィリアム4世は選挙法改正に一役買い、国民に人気もありましたが、次第に寄る年並には勝てなく病気がちになってきました。しかし自分に嫡子はいなくて、自分もあと何年生きられるか分からない。王位の継承者は、弟に生まれた娘とする他無い状態でした。しかしこの姪、ヴィクトリアはまだ幼くて、成人の18歳となるのは1837年です。何が何でもその年までは生き永らえなければとウィリアム4世は焦っていました。というのも未成年で王位を継承させれば、ヴィクトリアの母親(父は亡くなっていました。生きていれば王位を継承したことでしょう)が摂政として政治に口出しすることが考えられます。ウィリアム4世はこの母親を嫌っていたのです。1837年の4月に、庶子ながら可愛がって育てた愛娘ソフィアが41歳で産褥死すると、ウィリアム4世の気力と体力はみるみる間に衰え、同年6月に亡くなってしまったのです。

f:id:hukkats:20210202222523j:plain

亡くなる5か月前のウィリアム4世(愛娘ソフィア妃筆)

肝硬変が直接の死因だったそうですが、姪のヴィクトリアが成人に達したので、ホットしたこともあったのかも知れません。

f:id:hukkats:20210202223147j:plain

若かりし頃のヴィクトリア

 

 ところで今日2月2日は節分です。今年は太陽軌道の関係で1日早い節分となりました。節分は暦法上『二至二分(冬至、春分、夏至、春分)』の中間点に当たる季節が変わる四立(立春、立夏、立秋、立冬)の前日を指します。本来年に4回あるのですが、立春の前日の節分だけが残って使われています。これは大昔、立春を年の初めとした太陰暦とも異なる暦法を用いていた時代もあったからかも知れません。中国の古い時代から使われた暦法で、四立は『春秋左氏伝』に、二至二分は『呂氏春秋』に既に使われています。後者の歴史書(王統の歴史書)は秦の始皇帝の時代の宰相である、呂不韋が編纂させたと謂われています。今NHKBSで日曜日夜に放送している、華流ドラマに出て来る人物です。ついでながらこのドラマでは箏が非常に大きな役割をもつ楽器として、描かれていますね。現代感覚からは音楽としての音は決していいとは言えませんけれど。

 季節の変わり目の日節分に、出来ればコロナ環境も良い方に変わって、緊急事態宣言が解除されれば、言うことなかったのですが、延長せざるを得ない被害状況です。この戦いはそう甘くは無いですね。いばらの道を歩む覚悟が必要でしょう。