《ヴィクトリア朝⑤》
長期のヴィクトリア女王在位の後王位を継いだエドワード7世は60歳に達していました。王には、長男アルバートと次男ジョージの二人の王子がいました。
しかしアルバートはヴィクトリア女王在中の1892年に肺炎で急逝してしまったのです。30歳そこそこの若さでした。ケンブリッジ大学や海軍に在籍していた頃から素行が悪く、過飲による通風に悩んだり、性病の噂さえあったらしい。死の前年にはヴィクトリア女王の肝いりで、女王のお気に入りであった女王の従姪(いとこの子)のメアリー・オブ・テックと婚約して、死の年に結婚式を挙げるばかりになっていたのです。そこで次の王位継承順位のジョージ王子に、王位継承権とメアリー妃との結婚の話が舞い込み、翌1893年7月二人は結婚式を挙げたのでした。
メアリー妃は余程ヴィクトリア女王に気に入られていたのでしょう、女王は是非とも自分の娘(息子の嫁)にしたかったのでしょう。現在のエリザベス2世の祖母にあたる人です。
ジョージ王子たち二人は、結婚後ノーフォークのサンドリンガムにある王室の別邸に移り住み、6人の子供に恵まれました。ここは王家の人にとって、公務から離れて過ごすことのできる癒しの隠れ家だったのです。
ついでながら、ダイアナ妃の長男ウィリアム王子はキャサリン妃との結婚後、一家の住まいとしてこの別邸に住んでいます。
なお、エドワード7世には、賢妻、賢母の譽れ高い国民に人気のあったアレクサンドラ王妃がおりましたが、王は彼女と結婚する何年も前の若い頃から女性との付き合いが派手でした。女優ネリー・クリフデン、女優リリー・ラングトリー、社交界の花ブルック夫人等々、枚挙にいとまない位の女性との付き合いがあり、愛人化するケースも少なくなかった。浮気性だったのですね。殊に次の肖像画に描かれている女性、アリス・ケッペルとは、1898年に出会い、二人の関係は単に愛人関係以上のものでした。
彼女の王室の先導者的行為も大目に見られていました。特にアレクサンドラ王妃は彼女に対し、人前では王との関係を大目に見ていましたが、私生活では寛容ではなかったと謂われます。それはそうですよ、夫の愛人に心から寛容な妻等いる訳が有りません。波風立てない様に、王の対面を汚さない様に、心遣いしていたのでしょう。ここにも彼女の人柄が出ています。国民に人気があったのも当然です。
なお、上記のケッペルに関しては、彼女のひ孫が、現在のウェールズ公チャールズ皇太子の再婚相手カミラ・パーカー・ボウルズだというのですから驚きです。血は争えないのでしょうか。
ところで今日、英王室の訃報のニュースが流れました。エリザベス女王の夫であるエディンバラ公フィリップ王配が亡くなられたのこと、99歳という長寿でした。ご冥福をお祈りします。