HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『龍蜂集』…近代幻想文学の原点

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 昨年10月に『龍峰集』という本が刊行されました。この本は、泉鏡花(1873~1939)著、渋沢龍編、山尾悠子解説、古村雪岱装丁・挿画で成立ち、結構分厚い(500ページ)ハードカヴァーの泉鏡花選集です。
 鏡花の文学が1970年代に再評価される契機の一つとなったのが、故渋沢龍彦(1928~1987)と故三島由紀夫(1925~1970)が対談した中で、幻想文学という新たな視点でとらえたことがありました。その後鏡花の膨大な作品から選集を編纂しようとする試みがあったものの、編者の一人である渋沢の逝去により頓挫していましたが、今回30年ぶりに実現して発刊となったものです。正月休み中に読了しようと思ったのですが、今日までかかってしまいました。
 ここで簡単に上記の作家に触れておきますと、鏡花は金沢出身、母型の祖父は、加賀藩お抱えの能楽葛野流太鼓方、今で言うパーカッション奏者です。父は加賀藩の象嵌細工・彫金師の流れをくむ職人だったそうです。リズミカルで色彩豊かな文体は、そうした原点に起因するのかも知れない。澁澤は、渋沢栄一の縁戚に当たり、フランス文学者でシュールな文学の翻訳(マルキ・ド・サドは有名)等で異才を放ち、幻想文学の流れを汲む作家と言えます。山尾は一昨年『飛ぶ孔雀』で泉鏡花文学賞を受賞した現代における幻想文学の承継者とも目される作家ですが、寡作でも有名。(一昨年の受賞以前に読んだ『飛ぶ孔雀』の読後感想を一昨年7月に書いた事があったので参考まで以下に再掲しておきます)
 『龍峰集』は21の作品から構成され、かなり多彩で内容豊かな作品が多くて、すべての紹介は出来ないですが、幻想的な場面と内容が一番良く表れているのは私は、その中の「春昼」という作品だと思いました(何回か読み直すと又違った作品になるかも知れませんが)。“散策士”が逗子(?)界隈を歩いて或る古刹の出家(お坊さん?)と出会い、地元の金満家の奥方に関する物語を幻想的な場面の表現で綴っています。
“紅の夕日、桃の花、青大将、椿、白帆、菜種の花、赤ヤマカガシ、蛍袋、丹塗りの柱、梁の波の紺青、金色の龍、紅々白々牡丹の花、緑の甍、朱の玉垣、朱欄干、”
などなど延々と続く色彩豊かな用語の連発だけとっても如何に幻想的、絵画的作品か想像出来るというものです。主人公ともいえる絶世の美女(上記の奥方)、‘玉脇みを’が 紙端に書き残した和歌「うたたねに恋しき人を見てしより夢てふものは頼みそめてき(小野小町?)」がストーリーのキーワードとなっています。
 尚、今後引き続き、『銀燭集』『新柳集』『雨談集』が刊行される予定だそうです。

≪再掲≫(2018年7月投稿)
 最近「飛ぶ孔雀(山尾悠子著)」という小説というか何というか文学作品を読みました。これは朝日新聞の書評をいつも見ていて「十五年振りの寡作作家」というところに気が引かれたのが動機でした。(内容等詳細は以下を参照)
* 特集・山尾悠子|好書好日 https://book.asahi.com/feature/11015360
*(書評)『飛ぶ孔雀』 山尾悠子〈著〉:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/DA3S13597799.html
 確かにこれまでの読書習慣で読み進めると何が何だか分からない、ストーリーが読み取れない。二回目に慎重に読み進めて初めて、これは物語性よりも場面、場面のカラフルな夢の様な状況表現が先に存在し、一枚一枚の絵画がカードの様に連なってなる絵画群がどのような意味を持つかは読者の解釈、創作に委ねるといった非常にユニークな作品なのだと気が付きました。「幻想文学」だという人もいますが、むしろ「絵画文学」(枕草子の春はあけぼのの系譜に近いもの)だと思います。物語に「NHK番組きらクラ」風なBGMを付けるとしたらストラビンスキー「火の鳥」かなー?マーラーのシンフォニー第2番もいいかも?重畳音楽(ポリフォニーは除く)が相応しい重畳小説とでも呼びましょうか?