Ⅱ.Journey to the Ohter(<彼方への旅>
この章では移ろう時間の中で自然の印象を捉えた風景とは異なる、もう一つの自然の表現を見て行きます。
18世紀末には社会の様々な領域で近代化が進んだ結果、従来の生活や世界観が揺らぎ、<自然>は科学的対観察の対象になるばかりでなく、精神的よりどころになって行きました。さらには審美的な経験を促す場所ともなり、美術の分野でも新たに自然を個人の感情や観念、或いは視覚でとらえられないものに結び付ける表現が生まれたのです。これにより、従来絵画ジャンルの下位に甘んじて来た風景画は一躍表舞台に躍り出て、ロマン主義の重要な要素となるのでした。その初動の一つは統一国家の機運が高まりつつあったドイツで見られ、その代表的画家としてフリードリヒ及びその周囲に革新的風景画が生まれました。
汎神論的な自然観への自然科学の発展を背景に、調和への憧れや無限の威力への畏怖など、自然に託された画家の内面性は、後ろ姿の人物や窓が効果的媒体となり鑑賞者の感情に訴えかけ、画中の自然を追体験させるのです。
上記カールスの作品は、アルプスだと思われる山々の中央に白い雪山を配し、両サイドには峻嶮な山を配しています。標高がそう変わらない山々の中央のみに雪山を描くのは、視界に雪山が見えたのでなく現実に留まらない表現をしたものと考えられます。
又ドレの絵においても松の木は、どう見ても写実的な自然からは程遠く、多様な表現となっています。
両者の作品には良く見ると人物が描かれていて、審美的な経験を促す作用をしているとも取れます。
一方目に見える物しか描かないと宣言したギュスタフ・クールベでしたが、写実的な作品(石割りなど)しか描かないと宣言したものの、その後半世には、次の渦巻く波の作品の様に、目にも見えない渦巻く様に生成を続ける『波』は目以外の五感、例えば繰り返し繰り返し生成しては崩れ去る大きな波の残響まで聴覚に訴えて来るように思われます。
一方、ロドルフ・ブレダンの以下の作品は、リトグラフによるもので、現実の自然からはかなり離れてはいるものの、しかし幻想的な審美が漂う作品となっています。この作品の岩肌を見つめるとあちこちに人の顔が見える様な錯覚さえ覚えてしまうのです。