HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

ヌヴェルバーク映画『セリーヌとジュリーは舟でゆく』鑑賞

~これは将に幻想映画の系譜でした(結論)~

【日時】2022.6.23.19:30~(レイト・ショウ、22:45終了)

【上映館】横浜 Jack &Betty

【作品】】1974年仏映画『セリーヌとジュリーは舟でゆく』デジタルリマスター版

【監督】Jacques Rivette(ジャック・リヴェット)

〈Profile〉

 1928年3月1日、フランス北部の都市ルーアンに生まれる。49年にパリのシネマテークでフランソワ・トリュフォー、ジャン=リュック・ゴダール、エリック・ロメールらに出会う。ロメールが主宰するシネクラブ・デュ・カルティエ・ラタン発行の機関誌「ラ・ガゼット・デュ・シネマ」に携わるものの、「カイエ・デュ・シネマ」誌の創刊に合わせ同誌は廃刊、以後「カイエ」誌にて多くの優れた映画批評を執筆。63年から3年間に渡って「カイエ」誌の編集長を務めている。映画監督としては49年に初の短編を、そして56年にはクロード・シャブロル製作で『王手飛車取り』を発表。60年に『パリはわれらのもの』で長編映画デビュー。以降、内容が反宗教的と判断され一時上映禁止となったアンナ・カリーナ主演の『修道女』や12時間を超える長尺作『アウト・ワン』など話題作を手がける。今回上映される『セリーヌとジュリーは舟でゆく』をはじめとした5作は、ヌーヴェルヴァーグの作家たちの中でも極めて個性的だったリヴェットが最も精力的に活動していた中期の作品群にあたる。

セエリーヌ及びジュリーと肩を組むリヴェエット監督

 その後も『地に堕ちた愛』(84)、『彼女たちの舞台』(89)など傑作を連発、中でも第44回カンヌ国際映画祭で審査員グランプリを受賞した『美しき諍い女』は日本でも多くの観客を集めた。2000年代に入っても創作意欲は衰えず、『恋ごころ』、『ランジェ公爵夫人』などで瑞々しい感性を見せるも、2016年1月29日、パリにて死去。87歳没。

【出演】

〇ジュリエット・ベルト(セリーヌ役)

〇ドミニク・ラブリエ (ジュリー役)

〇マリー=フランス・ピジエ

〇バーベット・シュローダー

 

【概要】

 3時間を超える大作。でもJ・リヴェットの映画遊戯の迷宮は、その長尺を気にさせない。パリの公園のベンチで魔術の本を読んでいたジュリー(ラブリエ)はふとした事からセリーヌ(ベルト)と知り合い唐突に開始される二人の共同生活。やがて、郊外の屋敷にひきつけられた二人は、そこで起こる怪奇的物語を幾度となく幻視する。アリスの国を想起させる不思議さを醸し出している。

 

【物語詳細】 

 公園のベンチでジュリー(ドミニク・ラブリエ)は魔術の本を読んでいる。そこにセリーヌ(ジュリエット・ベルト)が走ってきて、落とし物をし、走り去る。ジュリーはそれを拾い、渡そうと追いかける。やがてセリーヌはホテルで、魔術師と称しチェック・インする。翌朝ジュリーはホテルのロビーで、セリーヌに落とし物の中のマフラーを渡す。ジュリーは図書館員、その図書館にセリーヌの姿が見える。ジュリーがアパートに帰ると、怪我をしたセリーヌがドアの前に佇んでいた。翌日、ジュリーは校外の屋敷に出掛け、セリーヌはジュリーの玩具箱から屋敷の写真を見つける。そこにジュリーの幼友達のグレゴワール(フィリップ・クレヴノ)から電話があり、セリーヌはジュリーになりすまし、バーで手品を披露する。屋敷から抜け出したジュリーは、手品を見物しながら、屋敷の中の映像を幻視する。部屋に戻ったふたりは、屋敷の謎を解こうとする。ジュリーは屋敷かち出る時くわえていたキャンディを舐めると、幻視できることに気づく。さらに翌日、セリーヌが屋敷に出掛けていく。ジュリーもセリーヌを助けにいくが中に入れない。戻ったふたりはキャンディを舐めて、夢のような物語のあらすじをつかもうとする--妻に先立たれたオリヴィエ(バーベット・シュローダー)という男が、娘のマドリン(ナタリー・アズナル)と義理の姉カミーユ(ビュル・オジェ)、亡妻の友人ソフィ(マリー・フランス・ピジェ)と屋敷で暮らしている。カミーユとソフィはどちらもオリヴィエを愛しているのだが、妻の遺言でマドリンのいる間はオリヴィエは再婚できない。ふたりのうちどちらかがマドリンを殺そうとしている。病弱なマドリンのために付き添い看護婦として働いているのがセリーヌとジュリー。物語の結末では、マドリンが毒殺されてしまう--キャンディがなくなり続きが見られなくなったふたりは、魔術本を図書館から盗み、それを参考に薬を調合する。薬を飲んだふたりは、夢の中に入り込み、自分たちの意志で行動できるようになる。ふたりはマドリンを助け出し、池の上を滑るボートに乗って去っていく……。そして再び冒頭の場面。公園のベンチでセリーヌは魔術の本を読んでいる。そこにジュリーが走ってくる。

 

【感想】

 これは将に幻想映画の系譜でした(結論)。「幻想」的なものは、文学でも、絵画でも音楽でも、論理の世界では有りません。ジュリーとセリーヌが行動を共にする様になったのも不思議と言えば不思議、常識ではあり得ないこと。さらに輪をかけて???にさせるのが、不気味な屋敷での体験。それを何回も何回も追体験させるしつこさ。同じエピソードが何回出て来たことでしょう。劇中劇の様相を呈していた。これが3時間を超える長さになった一因です。

 しかしその追体験の度に、薄皮を剥ぐ様に饅頭の中核、真実のアンコに少しづつ迫っていく技法は並みの監督ではないですね、このジャック・リヴェットという人は。トリュフォーの映画は、あれは10年前、いやもう少し後だったかな?有楽町で映画祭があった時ほとんど見ました。今回のリヴェットの映画がトリュフォーの作品と一番異なっている点は「笑い」だと思う。今回のこの映画も始めから終わりまでユーモラスな場面の連続でした。内心くすくす笑ったり、思わず声が出て笑ったりしながら見ていた。セリーヌの落とし物を彼女に渡そうと、しつこく追いかけまわすジュリー。手品師セリーヌの舞台での表情や手品師代理のジュリーの舞台での開き直り。最初に不思議な屋敷に潜入したジュリーがその後、玄関を転がり落ちる様に逃げ出す様子、二度目は全く同じように転がり逃げるセリーヌ、この段階ではなぜかは全く分からないのですが、その二人の様子から最初に書いた❛同じことを繰り返し体験した❜ことを暗示している面白さ。

 男友達が皆あきれて去っていく、中でも❝失望したから修道女になる❞と宣う男(?)まどなど、表に出されたり裏に隠された笑いの小道具がゴロゴロ転がっていました。

また表題の「セリーヌとジュリーは舟でゆく」だけ見ると何を表しているか分かりませんが、最後に屋敷の女の子を救い出して公園の池をボートで進む二人、二人のそれまでの行動は、ゆらゆらと舟に揺られる様な翻弄されたもので、一歩誤ると水面下に沈没する恐れがあった事を示唆しています。さらにその池に少し離れてボートに乗って現われ進む屋敷の三人組、まるで悪夢の蜃気楼を見る思いで主人公の二人は見つめていたことでしょう。兎に角、今日はワーグナーのオペラを見た時の様に疲れて深夜の帰宅となりました。