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綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

スタニスラフ ブーニン・リサイタル2024atサントリーホール


【日時】2024.11.10.(日)19:00〜

【会場】サントリーホール大ホール

【出演】スタニスラフ・ブーニン
【曲目】

〇ショパン:
 ①ノクターン第20番 嬰ハ短調 「遺作」

 (曲について)

 フレデリック・ショパン (1810~1849)は、この作品に「レント・コン・グラン・エ スプレシオーネ」とタイトルしたが、その曲想から今日ではノクターン(夜想曲)として も位置付けられている。ショパンは故郷ポーランドを出国、音楽家として名を挙げるべく 赴いたウィーンでこの作品を書いた。ショパン自身のピアノ協奏曲第2番を、 カが演奏するための練習曲とする目的のため、ピアノ協奏曲の主題やモチーフが引用され ている。ポランスキー監督の映画「戦場のピアニスト」の主題曲としても広く知られるよ うになった。


 ②ポロネーズ第1番 嬰ハ短調 作品26-1

 (曲について)

 マズルカと並ぶポーランドの国民的舞曲であるポロネーズの発祥は、17世紀頃まで遡 ることができる。もともと農村の収穫祭や婚礼などから起こった踊りで、ゆえに祝祭的な 気分があり、男女の出会いの場としての役割も果たしていたという。ダンスとしては男女 がペアになってゆっくりと優雅に歩いて周回するスタイルが基本であり、その後フランス をはじめ、ヨーロッパ諸国の宮廷や貴族の儀式等に採り入れられて発展した。

第1番は1834年から翌年にかけて書かれた。劇的な序奏に続くポロネーズ主題は激しい が明快、そして壮大なスケールで、楽曲の性格を決定付ける。J.デッサウアーに献呈され た。

 

 ③前奏曲 変ニ長調 作品28-15 「雨だれ」

 (曲について)

 ショパンが暮らしていた冬のパリは、暖房用の石炭による粉塵や煙のため大気汚染が深 刻だった。すでに生活を共にしていたジョルジュ・サンドは、あまり健康状態の良くない ショパンを気遣い、温暖な地で冬を過ごそうと考えた。そこで向ったのが地中海に浮かぶ スペイン領マヨルカ島である。

もとよりショパンはこの旅行にも「平均律クラヴィーア曲集」を携行するほどJ.S.バッ ハに深く傾倒していたが、この1838年の旅行の前後に完成させたのが「24の前奏曲集」。 「平均律クラヴィーア曲集」の主題の簡潔性や調性関係などにインスパイアされ、常に抱 いていた憧憬や安堵、孤独感や絶望などの複雑な心象風景を、そのまま長調と短調の対比 等として音楽に結晶させた劇的なドラマでもある。

「雨だれ」はその第15番。滞在していたマヨルカ島の修道院で、そぼふる雨の音を聴き ながら創作したとも伝えられている。

 

 ④ワルツ第9番変イ長調Op. 69-1 「告別」
 (曲について)

 ワルツの起源は、チロルやバイエルン地方で民衆に親しまれていた民俗舞踊である。男 女がぴったりと寄り添って華やかに旋回しながら踊るため、一時は宮廷や教会で禁じられ ていたが19世紀に人気沸騰、J.シュトラウスらのウィンナ・ワルツを生んだ。それに対し、 ショパンのワルツは21曲を数えるが、舞踊的なものとワルツの形式を借りて抒情的に結 品したものとの2つのパターンがあり、いずれも際立って高雅な風趣が湛えられている。 ショパンは1835年、ドレスデンに住むヴォジンスキ家の令嬢マリアに魅せられ、翌年 婚約を果たした。けれどもショパンの体調は優れず、度々喀血をしたたためマリアの母親 も危惧し、結局はそれが原因で婚約は破棄された。それを伝える手紙をショパンはリボン でまとめ、「わが哀しみ」と記した。この作品は、その折の情感が込められたワルツ。

 

〇プーランク: 3つの小品 作品48  バストラール 賛歌 トッカータ

(曲について)

フランシス・プーランク (1899~1963)は、“フランス6人組”という作曲家集団の ひとり。その作風は、調性が崩壊しつつある風潮の中で軽快な旋律性に富み、一方でバ ロックや古典派に通じる重厚な和声、厳格な方向性なども持ち合わせていた。プーランク は管楽器による優美な作品もよく知られているが、幼少から母親にピアノの手ほどきを受 け、その後ドビュッシーやラヴェル作品の初演を手掛けたビニエスに師事したこともあっ て、ピアノ作品を多く書いた。そこには実験的な手法を含む数多くの斬新な息吹が窺われ て興味深い。

プーランクは第一世界大戦に動員された1918年、「パストラール」というピアノ曲を 書いたが、それを1928年に改訂したのが「3つの小品」。第1曲は「パストラール 歌)」、第2曲は「讃歌」、そして第3曲がヴィルトゥオージティ溢れる「トッカータ」 であり、ホロヴィッツが演奏して広く知られるようになった。

 

 

《20分の休憩》

 

〇シューマン: 

Ⅰ.色とりどりの小品作品99 より

1.第1曲3つの小品その1 急速でなく、親しみをもって

2.第2曲3つの小品その2 きわめて急速に

3.第3曲3つの小品 その3 新鮮に

4.第4曲5つの音楽帳その1 かなりゆるやかに

5.第5曲5つ の音楽帳 その2 急速に

6.第6曲5つの音楽帳その3かなりゆるやかに

7.第7曲5つの音楽帳その4 きわめてゆるやかに

8.第8曲5つの音楽帳その5 ゆるやかに

9.第9曲 ヴェレッテ生き生きと

10.第10曲前奏曲 精力的に

11.第11曲行進曲きわめて持続的に

12.第12曲夕べの音楽メヌエットのテンポで

13.第13曲 スケルツォ生き生きと

14.第14曲速い行進曲きわめてはっきりと

(*14曲中演奏者が選んで9〜11曲演奏します。)

 

(曲について)

 パガニーニの超絶技巧に憧れ、当初ピアニストを目指していたロベルト・シューマン (1810~1856)が、手指の故障によってやむなく作曲家に転身したのは、著名ピアノ教 師であるフリードリヒ・ヴィークに師事していた22歳の頃である。ピアノのパガニーニ になるべく、手指を強化するために考案した器具によって、逆に損傷を生じたからである。 そのヴィークの次女クララに恋をしたシューマンは、作品1の「アベッグ変奏曲」か ら作品23の「夜の曲」まで、すべてピアノ独奏曲を書いた。クララは後にヨーロッパ随 一のピアニストと謳われるほどの才能を持っていたからであり、それらの作品には後に シューマンの妻となるクララへの思慕や憧憬、結婚への焦燥や絶望、さらには他の女性ピ

アニストとの婚約と破綻など、シューマンの日常がリアルタイムで織り込められ、傑出し た芸術として結実しているのである。

クララとの結婚に猛反対していたヴィークの執拗な妨害はあったものの、1840年に裁判での結婚許可を勝ち取ったシューマンは、他のジャンルに集中的に取り組むことにな る。その1840年には「ミルテの花」、「リーダークライス」、「詩人の恋」などの歌曲 を、1841年には交響曲を、1842年には室内楽を、そして1843年にはオラトリオに着手、 幾つもの傑作を世に送り出している。

しかしながらピアノ作品についても折に触れ創作しており、40歳を過ぎた辺りから、 それまでに書き溜めた30曲を曲集として編纂する試みを計画、まず14曲で「色とりどり の小品」としてまとめ上げた。これに収録できなかったものは、後に「アルブムプレッ ター作品124」として成立することになる。

この「色とりどりの小品」は、1834年頃から1849年までの作品が収めらており、それ は「子どもの情景」や「謝肉祭」、「3つのロマンス」、「4つの行進曲」などを創作し た時期と重なるため、それらの制作過程での関連性も指摘されている。

全曲は14曲で構成されており、第1曲から第3曲は「3つの小品集」で、各々(リー ト)、(ロマンス)、(狩りの音楽)の標題がある。第4曲から第8曲までは「5つの音楽 帳」、第9曲は(ノヴェレッテ)、第10曲は(前奏曲)、第11曲は〈行進曲)、第12曲 は〈タベの音楽)、第13曲は(スケルツォ)、そして第14曲は(強い行進曲〉となっている。

なお本日は、この中からブーニン自身の選択によって演春される

 

Ⅱ.アラベスク ハ長調 op.18

(曲について)

 1838年10月、シューマンはライプツィヒからウィーンに移住した。音楽雑誌を出版し て成功させ、クララとの結婚に未だ頑なに反対するヴィークの気持ちを和らげて許諾を得 ようとしたことと、作曲家としての新しい活動の場を求めるという目的もあった。しかし ながらウィーンではなかなか出版の許可がおりない上、シューマン自身もウィーンの人々 に溶け込むことができず、事態の打開はなかなかうまくはいかなかった。

この「アラベスク」が書かれたのは、そのウィーンに居た1839年のことである。「花 の曲作品19」と同様、ウィーンの人々に愛される作品をと作曲されたもので、ともに抒 情豊かな作品として知られている。

「アラベスク」とは、アラビア模様や唐草ものを音楽化したものであり、シューマンは以前からこういったうねるような旋律を好んで書いていた。 大きく5つの部分から構成されており、ゼーレ・フォン・マックゼン少佐夫人に捧げら れた。夫人はヴィークに対し、クララとシューマンの結婚の説得をしたことでも知られて いる。

 

 

【演奏の模様】

 開演時間となり、いつもの様に、片足を少しひきずって登場したブーニンは、それでも昨年観たコンサートの時(2023年12月サントリーホール)よりも随分足取り軽くスタスタといった感が有りました。普通に歩いている感じが強まっている?

 今回のプログラムのショパンの曲は、約半分が昨年と同じ、半分が新しい曲でした。また今回はプーランクが加わったのが大きな特徴。3つの小品とアラベスクでした。後半のシューマンの曲は原曲14曲は同じですが、その中から選択されて演奏された曲は一部異なっている模様です。

最初のショパンは、SLOWな旋律は相変わらず心を込めて弾いていたし、速いパッセジでは、以前の記憶よりも、相当手・指の動きが活発化した印象を受けました。

ポロネーズ1番はかなり力強い演奏でした。

プーランクに関して若干補足しますと、彼は20世紀の代表的な作曲家の一人でフランスの作曲家です。洗練された旋律美と哀愁をたたえた和声はシャンソンに通じるところがあります。吉田秀和さんは、かって「マスネと同時にストラヴィンスキーを愛好出来るプーランクの方が私には好ましく思えるし、そういう風でいたいと思う。私は兎に角めっぽう、プーランクが好きなんでね。」と語っていたそうですし、昔NHKFM放送の長期番組(40年も続いたそうです)『名曲のたのしみ』で、プーランク、プーランクといつもその曲を流して解説していた時期も有りました。自分としてはプーランクに絞ったコンサートには行ったことが無いですが、時々プーランクの作品にはお目にかかります。最近では先週「横浜山手イギリス館秋のローズコンサート」で、『エディット・ピアフを讃えて』というプーランクのピアノ曲を聴きました。またピアノ曲以外でも、先月10月17日に聴いたリサイタルでは、プーランクの『愛の小径』と言う歌曲を聴きました。ソプラノの愛の歌でした。(追記すれば、今年3月には新国立劇場で、プーランクの『カルメル会修道女の対話』というオペラを観ました)

 今回ブーニンが弾いた曲は、プーランクが1928年に作曲した3曲から成る『3つの小品 FP.48』で、華麗なパッセージとリズミカルな躍動感が特徴的な作品です。プーランク独自のユーモアとおしゃれさをたたえ、深い音楽的感性がにじみ出るこの作品は、確かな技術と豊かな表現力を持つハイレヴェルの技術を要します。特に三曲目のトッカータは超絶技巧も含む速いパッセッジ進行するのですが、ブーニンは見事にこれを弾き切りました。

休憩後の後半、シューマンの曲の中から選ばれて演奏されたのは、以下の曲です(曲番号表示)。

1、2、3、4、5、6、7、8、11、12、13

(注―今後のリサイタルでも同じとは限りません。)

このシューマンの曲は、ブーニンが若い時から親しんできた曲ですから、特に超絶技巧を要するものでは無いでしょうけれど、その表現は昨年の演奏会の時よりも一層明確さに富んだ演奏になっていました。シューマンの心の機微をブーニンがくみ取って、自分の心の襞を重ねて弾いている感じ、テクニックだけのピアニストにはこういう表現はなかなか出来ないでしょう。ブーニンは謂わば心で弾いていました。

 以上の今回の演奏を聴くと、その病状の回復は着実な歩みをしていると強く感じられました。それは舞台に登・退場する歩みに、何より象徴されていたと思いました。

 その体調の良さからか、本演奏後、アンコール演奏が三曲も行なわれました。

《アンコール演奏曲》

①プーランク『ノクターン第8番』

②ショパン『マズルカOp.67-4』

③J.S.バッハ(ヘス編)『主よ 人の望みの喜びよ』

 プーランクのピアノ曲は余り知りませんでしたが、ノックターンまであるのですね。又ショパンのマズルも良かった、確かブーニンは「マズルカ賞」を取ったのでは無かったでしょうか?少し曖昧な記憶ですが。最後はバッハです。ピアノでもヴァイオリンでも、リサイタルのアンコールでバッハが弾かれる確率は、総じて高い様です。それだけ西洋音楽の根源にはバッハの血流が脈々と流れているのでしょう。

 

 それにしてもブーニン人気は凄いですね。サントリーホールの大ホールが、空席は数える程、これだけの観客で埋め尽くされたのはそうは多く有りません。女性の観客特に中年の人が多く見かけられました。昔のブーニンブームを若い時味わったファンが、その後のブーニンの悲劇性を心配した判官びいきも有って、その復活に心から祝意を表しているのだと思いました。

<開演前>
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<全演奏を終えて>

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<カーテンコールに応えて>
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尚、今回のブーニン全国ツアーの日程は以下の通りです。

 

《公演日程》

〇長野県南牧村 10月11日15:00

八ヶ岳高原音楽堂

◆主催:八ヶ岳高原ロッジ

Fri. 11 Oct. 15:00 Nagano Yatsugatake Kogen Ongakudo

 

〇岐阜 10月26日14:00

サラマンカホール

◆主催:サラマンカホール

10月26日(土)14:00 岐阜サラマンカホール

 

〇大阪 11月3日 日 14:00

ザ・シンフォニーホール

◆主催: ABCテレビ ◆協力:ザ・シンフォニーホール

11月3日(日)14:00 大阪 ザ・シンフォニーホール

 

〇東京 11月10日19:00

サントリーホール

◆主催:日本アーティスト ◆協力: ファツィオリジャパン

11月10日(日)19:00 東京 サントリーホール

(今回)

 

〇札幌

11月22日 18:30

札幌コンサートホール Kitara ◆主催:キョードー札幌/道新文化事業社

◆後援:札幌市/札幌市教育委員会 ◆特別協力: TVhテレビ北海道

金曜日11月22日18:30 札幌コンサートホール 

 

〇福岡 12月3日19:00

アクロス福岡シンフォニーホール

◆主催: テレQ ◆共催:(公財) アクロス福岡 ◆後援:福岡市/(公財)福岡市文化芸術振興財団

12月3日(火)19:00 福岡アクロス 福岡シンフォニーホール

 

〇高崎

2025年1月19日間14:00

高崎芸術劇場 大劇場

◆主催:ANY (J:COMグループ) / 日本アーティスト Sun. 19 Jan. 14:00 Takasaki Takasaki City Theatre

 

〇盛岡

1月25日 15:00

盛岡市民文化ホール

◆主催:日本アーティスト/盛岡市文化振興事業団/岩手日報社

◆共催:盛岡市

◆後援:IBC岩手放送

土曜日1月25日15:00 盛岡 盛岡市民文化ホール