
明日(8/7金曜)は二十四節気の『立秋』です。暦書によれば、
❝旧暦七月申の月の正節で、新暦八月七日ごろ立秋になります。この日から暦の上では秋に入りますが、実際には残暑が厳しく、まだまだ暑い最中です。しかし朝夕は何とはなしに秋の気配が感じられます。❞とあります。確かに7月下旬から日本の各地で、40℃を越える酷暑日を記録するなど、とりわけ暑い夏日だったものが、八月に入って今週の月曜、火曜辺りの横浜では、終日雲がかかり、二十度台の気温の時間帯が続き、涼しい北風が吹き(オホーツク海高気圧の張り出しのお陰か?)、まるで避暑地に居る様な涼しい陽気でした(その後はまた暑い日になりましたが)。そして感じるのは、ここの処、水道水が冷たくて気持ちがいいこと。「猛烈に暑い夏」も流石に「立秋」が近づくと和らぐのでしょうか?そうであって欲しい!❝暑さ寒さも彼岸(9/20)まで❞となって欲しい。
さて、二十四節気は、古代中国の特に黄河流域の寒い気候にあわせて作られたといわれています。
立秋の期間中にはお盆もあるためか、立秋にまつわる行事というのは現今の我が国では、あまり見られません。二十四節気が日本に広まったのは平安時代。お盆は飛鳥時代の606年に推古天皇が行事を行ったのが始まりだといわれています。日本文化に古くから根づいていたお盆の陰に隠れてしまい、立秋にまつわる行事は特段行われなかったのかもしれません。
しかしいにしえの大陸北方の北宗(960〜1126)の時代には、かなり大々的に立秋を祝い祀った様子が記録に残されています。
❝立秋の日には、街中楸(ひさぎ)の葉を売る。女子供達は皆模様をきり抜いたリボン(1)を頭につける。この月は瓜や梨や棗(なつめ)の出盛りである。都の棗には、霊棗・牙棗・青州棗・亳州棗などの数品種がある。 また鑑頭(おにはす)の実が市に出るが、これは梁門外の「李和(2)」の店が最も繁昌しており、奥向きの宦官や天子の外戚たちはこれを買い求めて、宮中の臨時の御買い上げに供するので、ひっきりなしに金(かな)のふたものに入れて持ってゆく。士民がこれを買うときは一包み十文で、小さな新しい蓮の葉でくるみ、麝香をまぶして、 赤い細紐でくくってある。これを売る店はたくさんあるが、李和で売っている銀色の皮で実の柔らかい粒選りの品種には及ばない。
(1) 南宋の「志雅堂雑鈔』巻七に、「旧都(北宋の都)の天街(御街)で諸色の花様を煎って売っていたが、実に精妙なもので、注文に応じて即座に作った」とある。また諸家の書や花の形を巧みに切り抜くものもいたという。
(2) 李和の店は、このおにはすのほかに、甘栗の優秀さでも都に聞こえた店だった。「老学庵筆記」巻二によると、その増栗(いまの糖炒栗子)の名は四方に聞こえ、なかなか入手し難かったとある。清の趙翼の「該余叢考」巻三二には右の書を引いて、今の京師(北京)の炒栗はその遺法を伝えたものであろうといっている。(東京夢華録より)❞
一種のお祭りですね。皆着飾って、その時だけの菓子を食べ、上は宮廷から下は士民まで楽しんでいた様です。
でも「立秋」と言ったら、何と言っても我が国では、古今東西、この和歌にかなうものは無いでしょう。
「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」
(藤原敏行)