ここの処、関東地方は酷暑にはならず、気温は高くとも30℃前後で、割りと涼しい日が多いので、助かります。二十四節気も6月21日の夏至以降、小暑、大暑、立秋と季節は足早やに進み、8月23日の「処暑」に向かっています。そこまで行けば、文字通り「夏の暑さ」を処分してくれるのではと期待したいですが、それまでにもう一つ、これは仏教の行事の「お盆」が控えています。京浜地区では、既に先月7月に「お盆」を済ませた家庭も多いかと思いますが、我が家では、日本各地の多くの例の様に、「月遅れの盆」をすることにしています。
もともとお盆は旧暦(太陰暦)の7月15日を中心に行われていました。明治時代に新暦(グレゴリオ暦・太陽暦)が導入された際、そのまま新暦の7月15日にお盆を行うと、農村部では最も忙しい「農繁期」と重なってしまいました。そのため、本来の季節感に合わせるために時期を1ヶ月遅らせて8月15日を中心に行う様になったのが始まりです。お盆の標準的日程は、次の通りです。
(1)8月13日(盆入り・迎え火):夕方に門口で迎え火を焚き、ご先祖様の霊をお迎えします。
(2)8月14日・15日(中日):家族でお墓参りをし、仏壇に精霊馬(きゅうりの馬とナスの牛)や精進料理を供えます。
(3)8月16日(盆明け・送り火):夕方または夜に送り火を焚いて、ご先祖様を彼の世界へ戻るのをお送りします。
当方では、(1)の迎え火は、8/13朝早く焚くことにしています。その日の午前零時から「盆」入りするので、夕方の迎え火では、かって生前、随分と早起きだった故父親が、火が見えなくて迷子になったら大変、還って来れなくなると困るだろうといった笑い話の類いの理由からです。また(2)の墓参りは、14、15日の天気をみて、どちらかに行こうと思っていますが、ただ最近少し気が引けるのは、仏壇の飾り立てです。かって(四年位以前)は、仏壇の位牌や仏具を全部外に出して清掃し、仏壇の前に低い台を置いて、精霊馬を飾りお供えをし、小さ目の盆提灯や飾り笹で精霊棚をしつらえたものでした。それが歳をとるにつれて億劫になり、ここ数年は、仏壇の中の清掃しかしなくなっているからです。故人達の好きだったお菓子は、お供えしますが。でも以前から疑問に思っていることは、お盆で先祖の霊が家に戻って来たら、その間はお墓は空になり、墓参りしても意味が無い様にも思えるのですが?色々調べても成る程と納得出来る合理的説明は見当たりません。そもそも、こうした宗教臭の強い儀式に合理性を求めること自体が間違いなのかも知れません。
それにしても、最近のニュースを見ると、一昔前は、盆休み(これ自体は、多くの企業等で今も続いている様です)になると、故郷の実家に帰省する「帰省客」などで、駅やら空港やら公共交通機関が大混雑の風景が、当たり前の様に毎年繰り返えされてきましたが、最近は帰省客の数が減少し、新幹線の臨時増便どころか、定常運転車両も空席が目立つらしいのです。報道では、猛暑や諸物価高騰が影響していると説明していましたが、果たしてそれだけかどうか?こうした慣わし自体が、人々(特に20〜30才台の若者)の心から離れていってしまっている可能性があるのではないでしょうか。従ってかってはお盆に付き物だった「盆踊り」の音も聞こえなくなって来ました。かっては、地方の町の広場だけでなく、横浜の自分の住む街の駅前広場でも、浴衣姿の老若男女が踊る姿をよく目にしました(勿論日本各地の大々的な有名踊りは、相変わらず健在かと思いますが)。無駄なこと、非効率なことは、止めて然るべきなのでしょう。つらつら考えるに、自分の書いているブログなど、無駄の最たるものかも知れません。そう言えば、昔自分がもっと若かった頃、仕事の効率UP一本槍で突き進む友人に、偉そうに「無駄の効用」を説いたことも有りましたっけ。
❝Efficiency-driven approaches don't always lead to increased efficiency.❞
この考えは今でも捨てきれていません。
『潮騒の 音が踊りの 追憶に
よぎる夜半の 送り盆かな』
(hukkats)
