HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『John Adams × 都響 』at Suntry Hall

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【主催者言】

 現代最高の作曲家の一人であり、LAフィルの「クリエイティヴ・チェア」を務め、ベルリン・フィル、ロイヤル・コンセルトヘボウ管、ロンドン響など超一流楽団の指揮台にも招かれるジョン・クーリッジ・アダムズが、ついに都響を、つまり日本のオーケストラを初めて指揮! 最近作《アイ・スティル・ダンス》、ドイツを拠点に活躍目ざましいエスメ弦楽四重奏団がアダムズからのラブコールに応えて共演する《アブソリュート・ジェスト》、そして代表作として絶大な人気を誇る《ハルモニーレーレ》という、管弦楽技法の粋を尽くした逸品ばかりを、アダムズ自身の指揮で聴く貴重な、そして歴史的な機会です!

 

【管弦楽】東京都交響楽団
【指揮】ジョン・アダムズ John ADAMS

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〈Profile〉
 ジョン・アダムズ(1947-)は、アメリカ合衆国が生んだ現代最高の作曲家の一人であり、指揮者としても活躍する。東海岸はニューイングランド地方で生まれ育ち、ハーヴァード大学卒業後に本拠地を西海岸のサンフランシスコに移す。そして1982年にサンフランシスコ交響楽団のコンポーザー・イン・レジデンスに任命されると、《ハルモニウム》(1981)、《ハルモニーレーレ(和声学)》(1985)など斬新で華麗な管弦楽曲を次々と発表し、以来マイケル・ティルソン・トーマス、サイモン・ラトル、ケント・ナガノ、エサ=ペッカ・サロネン、アラン・ギルバートら著名指揮者がこぞって取り上げる人気作曲家であり続けている。
 初期こそ初期こそ、ライヒ、ライリー、グラスらミニマルミュージック創始者たちに続く世代の旗手として注目を集めていたが、彼の音楽は当時から交響的かつ新ロマン主義的だった。そうした作風から、オペラとオーケストラ曲を得意としており、いずれも現代の重要なレパートリーとみなされている。中でも、『中国のニクソン』(1987)、『クリングホーファーの死』(1991)、『ドクター・アトミック』(2005)や、《魂の転生》(2002)など現代の事件や世界情勢を扱った作品は、現在でも上演のたびに物議を醸している

【出演】弦楽四重奏:エスメ弦楽四重奏

 

〈Profile〉
第一ヴァイオリン/ぺ・ウォンヒ
第二ヴァイオリン/ハ・ユナ
ヴィオラ/ディミトリ・ムラト 
チェロ/ホ・イェウン

 2016年、ケルン音楽舞踏大学に学ぶ4人の奏者により結成。「エスメ」という名前は、愛や尊敬といった意味の古フランス語の単語に由来する。これまでにアルバン・ベルク弦楽四重奏団のギュンター・ピヒラーをはじめ、エバーハルト・フェルツ、アンドラーシュ・ケラー(元ブダペスト祝祭管コンサートマスター)、クリストフ・ポッペン(元ケルビーニ四重奏団)、ハイメ・ミュラー(アルテミス・カルテット)、オリヴァー・ヴィレ(クス・カルテット)等のもとで研鑽を積む。2018年のウィグモアホール国際弦楽四重奏コンクールにて、4つの特別賞を得て優勝。ルツェルン音楽祭、ヴェルビエ音楽祭、ウィグモアホール並びにイギリス国内でのツアー、エクサン・プロヴァンス音楽祭、フラジェ音楽祭(ブリュッセル)、エステルハージ音楽祭に招聘されるなど、その活躍の幅を世界中に広めている。
 2020年には名門アルファ・レーベルよりデビューCDが発売され、仏ディアパソン誌より5つ星を獲得。2022年北米と日本への初ツアーを開催して絶賛を博した。23年には香港アートフェスティバルに招聘されてJ.アダムズの「アブソリュート・ジェスト」を香港フィルと共演。
 2023年4月からキム・ジウォンに代わり、ヴィオラにディミトリ・ムラトが加入。

【曲目】
ジョン・アダムズ作曲
①アイ・スティル・ダンス[日本初演]

(曲について)

 マイケル・ティルソン・トーマスの夫であるジョシュア・ロビンソンは、高校時代は体操選手であり、のちに優れたスウィングダンサーとなった。少し前に彼にそのことを尋ねると「今でも踊っているよ(I still dance)」という答えが返ってきた。私にはよくあることなのだが、「これが作品の求めているタイトルだ」とピンときた。そしてこのエネルギッシュな8分間におよぶ超絶技巧のオーケストラ作品が生まれた。
 完成してみると、この曲は何か特定のダンス形式よりも、トッカータとの共通点が多いことに気がついた。拍子はおもに4拍子または8分の6拍子で、エネルギッシュに前進し、曲の締めくくりで「ソフト・ランディング」するまでは、ほとんど息つく暇もなく進んでいく。 オーケストレーションには技巧的なエレクトリックベースと、和太鼓を含むパーカッション・セクションが含まれる。(ジョン・アダムズ/訳:飯田有抄)


②アブソリュート・ジェスト

(曲について)

 アイディアは、マイケル・ティルソン・トーマス(MTTと略記)が指揮するストラヴィンスキーの《プルチネッラ》の演奏を聴いて浮かんだ。《プルチネッラ》は昔から知っていたが、MTTの指揮で聴くまではほとんど気に留めていない作品だった。だが彼の演奏によって(また私自身がサンフランシスコ交響楽団の100周年のための委嘱作品を書くことになっていたこともあり)、ストラヴィンスキーが過去の音楽作品を吸収して、自分自身の極めて個人的な音楽言語へと取り込んでいたことに、私は突如として刺激を受けたのだった。
 だが、ストラヴィンスキーとの関連はそこまでだ。彼はディアギレフからペルゴレージやナポリの音楽を紹介された時点では、どうやらそれらをよくは知らなかったようだ。私はというと、10代の頃からベートーヴェンの弦楽四重奏曲を愛してきたし、op.131(第14番)、op.135(第16番)、それに《大フーガ》(さらにはいくつかの交響的なスケルツォに聴かれる連打)の断片から創作することは、すでに自発的にやってきたことだった。
 「弦楽四重奏とオーケストラ」という編成は、レパートリーとして成り立たせるのが非常に難しいことは認めよう。この編成による作品でたびたび演奏されるものが一つでも存在するだろうか? 難しくなる理由はいくつかある。第一に挙げられるのは、単純に配置の問題だ。4人の奏者を“ソリスト”のポジションに、なおかつ(彼らから指揮者が見えるように)指揮台の前に配置しようとするだけでも挫折してしまう。内声を担当する第2ヴァイオリンとヴィオラは、聴衆からは視覚的にも聴覚的にも捉え難くなる。
 ステージ上の配置については差し置いたとしても、本当に困難なのは、弦楽四重奏の高度に緊張感のある合奏やそのサウンドと、大オーケストラの集合的であまり精密とは言えないテクスチュアとを、いかに調和させるかという点である。作曲家と演奏者が極めて巧みに扱わない限り、弦楽四重奏とオーケストラという2つのアンサンブルを同時に成り立たせることは、知覚的にも表現的にも過剰なものになりかねないのだ。

 2012年3月の初演では、この曲の最初の3分の1はベートーヴェンの弦楽四重奏曲(第14番)嬰ハ短調op.131のスケルツォを比喩的に模したものであったが、まさにその問題に直面した。弦楽器のトレモロによる陰鬱な出だしと、「第九」の1オクターヴ下行する動機の断片に続き、弦楽四重奏が霧の中から現れるように登場し、このスケルツォの不可思議な配列を繰り返すような、推進力のある角張った音型の音楽を奏でることをねらいとしていた。
 だが、この開始に私は満足がいかなかった。弦楽四重奏が聴かせるはずの明瞭な音楽が、たびたびオーケストラの音に埋もれてしまい、結果的に過剰な“おしゃべり”のようにしか聞こえなくなってしまったからだ。また、オーケストラの特定のパッセージのために、ベートーヴェンがop.131のスケルツォで設定したテンポよりも遅くせねばならず、それが原曲のもつ生き生きと緊迫したエネルギーを失わせてしまった。
 初演から6ヶ月が経ったころ、私は《アブソリュート・ジェスト》の出だしを、まったく異なるものにしようと決めた。400小節の完全に新しい音楽を作ることにしたのだ。op.131のスケルツォがもつ「角張った」音楽に代わって、8分の6拍子の弾むような音楽を置いたのだが、それによってより満足のいく冒頭となった。

 揺れ動くような8分の6拍子は「第九」のスケルツォを思い起こさせるが、ステージ上で名場面が次々に繰り広げられるかのように、《ハンマークラヴィーア》ソナタや交響曲第8番の動機など、ベートーヴェンの典型的な動機も次々と想起させる。
 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲(第16番)へ長調op.135(ベートーヴェンのこのジャンルの最後の作品)の活気あふれる3拍子のスケルツォが、《アブソリュート・ジェスト》の3分の1を過ぎたあたりから入ってきて、残りの部分で支配的な動機となる。その後《大フーガ》の断片と、嬰ハ短調の弦楽四重奏曲冒頭のフーガ主題とを織り合わせた短くゆったりとした部分によっていったん中断される。最後の熱狂的なコーダでは、有名な《ワルトシュタイン》ソナタの和声進行に基づくオーケストラの持続音が響く中、弦楽四重奏が猛スピードで突き進んでゆく。

 《アブソリュート・ジェスト》は初演時に聴衆からさまざまな反応を引き出した。多くの評論家は、おそらくこのタイトルのためか(訳注:absolute jestは「徹底的な悪ふざけ」といった意味)、この作品はちょっとした祝いごとのジョークのようなものに過ぎないと思ったようだ(シカゴのとあるジャーナリストは、ベートーヴェンの偉大なる音楽を乱用したと気分を害して嫌悪感だけを示した)。
 ある作曲家が別の作曲家の音楽を内面化し、「自分のものとする」手法は取り立てて新しいものではない。作曲家たちは、他者の音楽に惹き寄せられ、その中に生きたいと願い、さまざまなやり方でそれを実現するのだ。たとえばブラームスがヘンデルやハイドンの主題に基づく変奏曲を作ったり、リストがワーグナーやベートーヴェンの作品をピアノ用にアレンジしたり、シェーンベルクがモンの作品から協奏曲を作ったり(訳注:マティアス・ゲオルク・モン〔1717~50〕のチェンバロ協奏曲をチェロ協奏曲に仕立て直した)、あるいはもっとドラスティックに、ベリオがシューベルトの作品を「脱構築」したように。
 だが《アブソリュート・ジェスト》は私自身の作品である《グランド・ピアノラ・ミュージック》や《室内交響曲》のクローンではない。もちろん作品内のあちこちに「目配せ」のような合図はあって、そのいくつかは目立たないわけでもない。だが、(ほぼ1年がかりで仕上げた)この作品を作曲することは、それまで私が経験したなかで最も純粋に「創造的な」作業であった。この創作は私にとって、対位法や主題労作、形式の構成におけるスリリングなレッスンとなった。タイトルの「jest」は、ラテン語「gesta」(行為、実行、偉業)の意味として捉えてほしい。私は「jest」を、想像や創造によって人間の機知を発揮することとして捉えたいと思っている。(ジョン・アダムズ/訳:飯田有抄)

 


③ハルモニーレーレ

(曲について)

《ハルモニーレーレ》は「和声の書」または「和声論」と訳すことができる。これはアルノルト・シェーンベルクが1911年に出版した調性和声に関する長大な研究書のタイトルである。その本は部分的には教科書的であり、部分的には哲学的な考察となっている。当時のシェーンベルクは、調性という法則を程度の差こそあれ永続的に放棄するという、前人未到の航海へとまさに乗り出そうとしていた。私とシェーンベルクの関係性については少し説明が必要だろう。私がハーヴァード大学で師事したレオン・キルシュナーは、1940年代にロサンゼルスでシェーンベルクのもとで学んだ人物である。キルシュナーはシェーンベルクが発明した12音列のシステムにはまったく興味がなかったが、過去の遺産に対して非常に真剣で強い批判精神を持っていた。キルシュナーを通じて、私はシェーンベルクと彼の芸術が表現したものを強く意識するようになった。バッハやベートーヴェンやブラームスらと同様に、シェーンベルクも「巨匠」なのだ。その見解こそが、当時も今も私を魅了し続けている。だがシェーベルクは私にとって、どこかねじれ歪んだ存在でもあった。彼は高僧の役割を担った最初の作曲家だ。彼の創造的精神はたえず社会の流れに逆らい、刺激を与える者としての役割をみずから選び取ったかのようだ。私はシェーンベルクという人物を尊敬し、畏怖さえ感じていたけれど、12音音楽の響きを心底嫌っていたことを正直に認めよう。彼の美学において作曲家は神であり、聴衆は聖なる祭壇に向かうような存在で、私には19世紀の個人主義を拗らせたものにしか見えなかった。シェーンベルクとともに「現代音楽の苦悩」は誕生し、20世紀にクラシック音楽の聴衆は急速に減少したことは周知の通りである。少なからず、新しい作品の多くが聴き苦しいものとなったからだ。
 シェーンベルクの示したモデルが、なぜクラシック音楽の作曲家たちにこれほどまで深く影響を与えたのかは理解し難い。ピエール・ブーレーズやジェルジュ・リゲティといった作曲家たちがその倫理観と美学とを現代に伝え、現在の大学やヨーロッパの音楽祭でもシェーンベルクの存在感は今もなお強い。シェーンベルクを否定することは、ペリシテ人(訳注:芸術に関心がない人の喩え)に味方するようなものであり、シェーンベルクが示したモデルから逃れることは、強い意志の力を要する行為だった。驚かれるかもしれないが、私の否定はパロディという形を取るに至った……ひとつのパロディのみならず、極端に形の異なるいくつものパロディである。私の《室内交響曲》はシェーンベルクの初期作品がもつ忙しなく過度に活動的なスタイルを、ハリウッドのアニメ音楽風に寄せたものだ。私の歌劇『クリングホファーの死』では、慇懃無礼なオーストリア女性がベッドの下に隠れながら、かつて自分がハイジャックに遭った時にどう過ごしたかをシュプレッヒシュティンメで歌う場面があり、オーケストラピットでは《ピエロ》を彷彿とさせる伴奏が演奏される(訳注:シュプレッヒシュティンメとは語りと歌の中間的な歌唱法。シェーンベルクが女声と室内アンサンブルのための作品《月に憑かれたピエロ》で使用している)。
 《ハルモニーレーレ》は、モデルとする原曲に対して「従属的な関係性」をもつという点でこれまでとは違った類のパロディとなっているが(ここではシェーンベルクの《グレの歌》やシベリウスの交響曲第4番といった世紀の変わり目を告げるいくつかの作品をモデルとした)、パロディにして嘲笑しようという意図はない。本作はオーケストラのために書かれた3つの楽章から成る大曲であり、ミニマリズムの発展的な技法と、世紀末の後期ロマン主義的な和声や表現とを結びつけようと構想した、一度限りの試みである。この奇妙な作品の中には、マーラー、シベリウス、ドビュッシー、そして若き日のシェーンベルクの影がいたるところに存在する。いわゆる「ポストモダニズム」の精神で過去を捉えた作品であるが、私の《グランド・ピアノラ・ミュージック》や『ニクソン・イン・チャイナ』とは異なり、皮肉はまったく込められていない。

 第1部は17分の逆アーチ型形式の楽章である。最初と終わりはエネルギッシュで、中間部はゆったりと流れる「憧憬」のセクションとなる。冒頭と楽章の終わりに現れる弾むようなホ短調の和音は、私がこの作品を書き始めた直前に見た夢のイメージを音楽的に表したものである。その夢のなかで私は、サンフラシスコ湾の水面から超巨大タンカーが飛び立ち、サターンロケットのように上空へと突き進む光景を見たのだった。その当時(1984〜85年)私はユングの著作、なかでも彼の中世神話の研究に熱中し、癒えない傷を負ったアンフォルタス王に関するユングの考察に深く心を動かされた。批判精神の原型とされるアンフォルタスは、無力感と鬱に苦しめられる魂の病を象徴している。〈アンフォルタスの傷〉と題された遅く陰鬱な楽章では、長く悲哀を帯びたトランペットの独奏が、微妙に変化する短三和音の幕の上を浮遊し、1つの楽器群から別の楽器群へと怪しく通り過ぎてゆく。また別の憂鬱な情景から2つの大きなクライマックスが沸き起こり、2つ目のそれはマーラーの最後の未完に終わった交響曲をオマージュしている。
 〈アンフォルタスの傷〉が地表を這うように暗く荒涼とした音楽であるのとは対照的に、最後の〈マイスター・エックハルトとクエッキー〉は、軽やかで、穏やかで、幸せに満ちたシンプルな子守歌で始まる。この映画風のタイトルは、私たちの娘エミリーが生まれて間もないころに見た私の夢に関係している。エミリーは幼いころに「クエッキー」というあだ名で呼ばれていた。私の夢のなかで彼女は、中世の神秘主義者マイスター・エックハルトの肩の上に座り、古い聖堂の高い天井に描かれた人物たちのように、星々とともに浮かんでいた。優しい子守歌はしだいにスピードと大きさを増していき(とはいえ私の《ハルモニウム》の中の楽章〈否定の愛〉とは異なる形で)、変ホ長調の持続音上で金管楽器と打楽器がクライマックスを形成する。
 エド・デ・ワールトとサンフランシスコ交響楽団によるレコーディングが、1985年3月の世界初演のわずか3日後に行われた。(私はその後、終わりの部分を改訂した。)気が遠くなるほど長く、複雑なリズムの作品であるにもかかわらず、指揮者もオーケストラも説得力にあふれる演奏をしてくれた。作曲家、指揮者、オーケストラが稀に見る強い絆で結ばれたことを、この録音が実証している。(ジョン・アダムズ/訳:飯田有抄)

 

 

【演奏の模様】

 久しぶりに、現代作曲家の曲を、しかも作った本人の指揮で演奏するのを聴きました。これは滅多なことではお目にかかれない機会です。

 聴いて感じたことは、思っていたより遥かに良い曲(自分の感覚にマッチした曲)で、感動も大きなものでした。

①アイ・スティル・ダンス[日本初演]

楽器編成 フルート4(第3と第4はピッコロ持替)、オーボエ3、イングリッシュホルン、小クラリネット、クラリネット3、バスクラリネット、ファゴット3、コントラファゴット、ホルン4、トランペット4、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、大太鼓、和太鼓、チャイム、グロッケンシュピール、ヴィブラフォン、トムトム、ジャンベ、マリンバ、エレクトリックベース、エレクトリックオルガン、弦楽5部

 ホールに入って舞台をみるや、多くの椅子が置いてあり、奏者が入場・着席すると、多種多様な楽器が賑々しく並びました。上記構成を見れば分かる様に、管楽器だけでも、通常のものの他 Eng.-Hrn.小Cl.Bas-Cl.などが、また打楽器では通常のオケでは見掛けない和太鼓、チャイム、グロッケンシュピール、ヴィブラフォン、トムトム、ジャンベ、電気ベースなど、これらを使って一体どんな響きを紡ぐのだろう、と疑心暗鬼になりました。(今回は前もって予習する時間が取れなかったので、ぶっつけ本番だった。) 

 登場した指揮者は、思っていた程の大柄な指揮者でなく、表情からは相当な人生の熟達者、宗教指導者的雰囲気を感じました。自分の曲ですから、目を瞑っても指揮出来るのでしょうが、譜面は一応置いてあります。

 冒頭から、弦楽奏、木管、金管、打楽器が一斉に鳴らされ、速いけれどすっきり感のある響きが聞こえてきました。一定の調べが一定のリズムで、何回も何回も繰り返され、時々打の音が強まり、舞踏(ダンス)の曲であることが認知出来ます。

曲からは、題名にある❝I still dance❞が延々と続く様子が伺えました。

 確かに単なるミニマル音楽でなく古風な響きも含包する「新ロマン」的響きも残る作品でした。それにしても初めから最後まで延々と続くアルペジョの高速テンポの旋律を維持し続け、その中に含まれる部分的高度な表現を奏者が維持するのには、都響オケの高い技術水準をもってしてもかなりの努力が要る技巧曲とも言えるでしょう。曲を作った本人の指揮ですから、尚更メンバーは緊張した風(必死の様子)でした。結果的にとても良い印象を受けた演奏でした。

 

②アブソリュート・ジェスト

楽器編成 フルート2、ピッコロ、オーボエ2、イングリッシュホルン、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット2(第2はピッコロトランペット持替)、トロンボーン2、ティンパニ、カウベル、シロフォン、大太鼓、チャイム、グロッケンシュピール、ヴィブラフォン、ハープ(meantone Eで調律)、ピアノ(meantone Eで調律)、チェレスタ、二管編成弦楽5部14型、弦楽四重奏(とても軽く増幅〔amplification〕される)

 

 この曲は、ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲(特に14番)や中期のピアノソナタひいては第九の影響が大きい作品でした。ベートヴェンの作品からのパロデイがかなりの部分を占めています(勿論完全に同じ旋律では有りませんが)。それをカルテットを組み込んだオーケストラの演奏として行った訳は作曲家本人が言う様に、そもそも両者は出音の目指すところが異なっており、両者の調和が難しいカルテットの響きがオケの響きに飲み込まれてしまいがちなのを防ぐ事が本音らしい。カルテットとオーケストラのための作品は、シーエンベルグの曲が有名ですが、その他モートン・フェルドマン、ボフスラフ・マーティヌー、そしてこのジョン・アダムズが作曲しています。しかしこの曲の様にベートーヴェンの影響が強いのは他に類を見ません。アダムズ曰く❝自分は随分若い時からベートーヴェン、就中弦楽四重奏曲を愛し親しんで来たから❞だそうです。このアダムズの『アブソリュート・ジェスト』が初演された時、賛否両論が渦巻き、❝ベートーヴェンの偉大な音楽を乱用した❞とこき下ろす論評をしたジャーナリストもいた程です。しかしこれに関しては、ジョン・アダムズの言によれば、❝ある作曲家が別の作曲家の音楽を内面化し、「自分のものとする」手法は取り立てて新しいものではない。作曲家たちは、他者の音楽に惹き寄せられ、その中に生きたいと願い、さまざまなやり方でそれを実現するのだ。たとえばブラームスがヘンデルやハイドンの主題に基づく変奏曲を作ったり、リストがワーグナーやベートーヴェンの作品をピアノ用にアレンジしている❞のは、正当な創作活動だという事らしい。当を得た発言です。(比較するのもおこがましく恥ずかしい卑近な例ですが、私のブログ記録など、ほとんどの部分があらゆる外部の情報の切り貼りから出来ていて、その全体が自分独自の記録だと考えているからです。)    その初演後アダムズは冒頭から400小節も新たな物に書き換えた改訂版を出しました。

 以上で述べられている問題点を克服するため、アダムズは弦楽四重奏とオケが出来るだけ大音量フレーズでぶつかり合わない様に、分離して鳴らすように、即ち両者の掛け合いの場面を多くとっていた様に思います。弦楽四重奏が力奏している間は管弦楽が弱いトレモロで合わせたり、オケがかなり活躍する場面では弦楽四重奏は休止したり、勿論両者が共に手を携えて強奏する場面は有りましたが。弦楽四重奏が確かにベートーヴェンのカルテット曲の耳に残っているパッセッジを繰り返し繰り返し鳴らして、さらには変奏も良く注意して聞かないと原型が分からなくなる程に変形させた箇所が出て来たり、それでも全体の流れは勢いがあって、金管木管さらには打楽器の合いの手もタイミングがホントに考え抜かれていると思えるものです。アダムズのうまさが光る作品でした。


 尚大きな拍手と歓声にこたえて、弦楽四重奏のソロアンコール演奏が有りました。

《アンコール曲目》ベートーヴェン『弦楽四重奏曲第13番変ロ長調Op.130』より第2楽章。

 

 この楽章はスケルツオ風の一番短い楽章です。恐らく本演奏の曲に用いられているスケルツォの延長上で弾かれたのだと思いますが、欲を言えば、第5楽章の「カヴァティーナ」も聞いてみたい気もしました。そうベートヴェンが❝私が書いた一番感動的な曲❞と言ったと伝えられる嘆きのメロディーです。

 

《20分の休憩》

 

休憩中にかなりの楽器が補充された模様で、結構な大編成になりました。

 

③ハルモニーレーレ

楽器編成 フルート4(第2~第4はピッコロ持替)、オーボエ3(第3はイングリッシュホルン持替)、クラリネット4(第3と第4はバスクラリネット持替)、ファゴット3、コントラファゴット、ホルン4、トランペット4、トロンボーン3、テューバ2、ティンパニ、マリンバ、ヴィブラフォン、シロフォン、チャイム、アンティークシンバル、グロッケンシュピール、サスペンデッドシンバル、シズルシンバル、シンバル、ベルツリー、トライアングル、大太鼓、タムタム、ハープ2、ピアノ、チェレスタ、四管編成弦楽5部16(16-14-12-10-8)

全三楽章構成

Ⅰ 第1楽章
Ⅱ アンフォルタスの傷
Ⅲ マイスター・エックハルトとクエッキー

 

 この曲はオーケストラのために書かれた曲で、ⅡとⅢには標題が付けられていますが、事実上3楽章から成る交響曲的存在だと思いました。

 1984,5年頃書かれた作品で、ジョン・アダムズのミニマルミュージックの一つで、50分近くかかる大曲です。

 冒頭弦楽のジャンジャンジャンという単一音階リズムが変化するパッセッジが延々と繰り返され、Fl.やPicc.ひいては金管等、さらにはPf.まで単調旋律の合いの手を入れ次第に消え入る様に、静かな音となり、暫くすると曲相は緩やかで穏やかな弦楽奏(Vn.アンサン中心)の弱い旋律の流れと化しました。暫くは弦楽奏の流れが続きこの第1楽章の中程ではVn.アンサンブルの中音域の調べがゆったりと滔々と流れ、さらにはVn,.アンサンのソロ音に近い調べが非常に高い域のまで上がり続くVc.アンサンブルも同じリズムの同様な低音アンサンで応じると次にまたVn.アンサンでといった風に無機的な構造を広げていくのでした。

その後は銅鑼がうち鳴らされたり、金管が強奏したり弦楽も強いボーイングで大きく膨らんだ調べになり、突然の大太鼓のドーンと激しい衝撃音で閉じました。この間最初から最後まで中間部を除けば、殆ど同じリズムが刻まれてれていたのには正直言って若干辟易しました。

第二楽章の「アンフォルタスの傷」とは、アダムズによればユング哲学上の傷を負ったアンフォルタス王に由来する標題で、その傷が癒されない陰鬱、無力感、悲哀等に通じる精神構造の状態を表現した様なのです。ユングもアンフォルタスも知らない自分としては演奏された響きからそれらを読み取るべきなのでしょうが、聴いていて中々落ち着いたいい調べに聞えたので、確かに暗さはある旋律なのだけれど、憂鬱までは感じ取れなかったのです。トランペットの長い独奏も、高尚なアンフォルタスの憂鬱を表すのでしょうが、何かトーフ、トーフと豆腐屋さんのラッパの様に歪んで聴こえてしまう自分にはあきれました。最終部でのTimp.の乱強打は激しかったし、多分弦だと思うのですが、不思議な異様な音を立てていたのは、あれはハーモニックス音でしょうか?最後は随分尾の長くひいた静かな終焉でした。この楽章では単順なるミニマルから脱却しつつある感じも受けました。

 続く第三楽章が、随分と軽やかな高音の弦やら打やらHp.やら清々しい朝といった感じの響きで大変いいと思いました。アダムズの解説によればクエッキーというあだ名の自分の娘が中世の聖人マイスター・エックハルトと共に星々の間に浮遊している幻想の曲想だそうです。単純旋律の将にミニマル的展開にこの時は全然飽きることなく聴けたのも、結構速い旋律を必死な目で楽譜を追って間違いない演奏をしようとしてる奏者の姿は何か神聖さまで帯び、それに飲み込まれるというか、没入して聴けたからかも知れません。きっと人間は単純な繰り返しが好きなのでしょうね。人間の一日、一年、人間の一生、ホモサピエン他の動物の勃興も単純繰り返しと看做せないことも有りません。

 演奏が終わると、会場には熱狂的なファンたちが多くいたのでしょう、大きな歓声と拍手が怒涛の様に鳴り響き、何回も何回もジョン・アダムズは舞台⇒袖⇒舞台を満足そうな笑顔で往復し、拍手はいつまでも続くのでした。ソロカーテンコールに呼び戻された指揮者は(普段着に着替えた)カルテットの四人と共に登壇、写真撮影に気さくに応じていました。

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