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綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

第21回東京音楽コンクール優勝者コンサート

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【日時】2024.1.8.(月)15:00~

【会場】東京文化会館 大ホール

【管弦楽】新日本フィルハーモニー交響楽団

【指揮】下野竜也

【司会】朝岡聡

【出演・曲目】

①コントラバス:水野斗希 *弦楽部門第1位

〈Profile〉
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 ロータ『ディヴェルティメント・コンチェルタンテ』

(曲について)

ニーノ・ロータ (1911-79)は20世紀イタリアの作曲家である。彼は何より映画音楽の作曲家として知られ、「ゴッ ドファーザー」 「ロミオとジュリエット」 「ナイル殺人事件」 「山猫」 といったおなじみの映画の音楽を担当してい る。しかし、音楽一家の出で子供時代から楽才を発揮し、ミラノ音楽院でビツェッティに、ローマの型チェチー リア音楽院でカセッラに学ぶといった正統的な音楽教育を受けた彼は、もともとクラシック系の作曲家として 出発し、様々な書法を巧みに応用する職人技と自由な発想によって、交響曲、協奏曲、器楽曲からオペラまで 幅広い分野の作品を多数手掛けた。

「ディヴェルティメント・コンチェルタンテ」 はコントラバス独奏と管弦楽のために1968年頃に作曲された協 奏作品で、コントラバスの名手フランコ・ペトラッキのために書かれている。ベトラッキはロータのすぐ隣の部 屋で学生たちにコントラバスを教えていたが、ロータはその学生たちのひどい演奏や延々と続く音階練習を絶 えず聞かされうんざりしていた。彼はそこで仕返しの意図をもって、この作品にジョーク的な要素や超絶的な 技巧を盛り込んだといわれている。コントラバスの様々な表現上の可能性を生かしつつ、クーセヴィツキーの 協奏曲やベトラッキの練習曲やグリエールの「タランテラ」 などの既存のコントラバス曲のパロディも織り込み、全体をコミカルに仕立て上げた全4楽章の作品である。

第1楽章(アレグロ: アレグロ・マエストーソ) は3つの主題を持つ自由な協奏風ソナタ形式で、随所に半音ず らしたような想定外の音が現れる。終り近くに技巧的なカデンツァが置かれ、結尾は変ロ長調で終るかのよう な動きを見せた後に最後の最後で主調のイ長調に戻るところが面白い。

第2楽章(マルチア:アッラ・マルチア、 アレグラメンテ)はユーモラスかつ踏譜的で皮肉っぽい行進曲楽章。

第3楽章(アリア:アンダンテ)は陰鬱な 旋律主題を中心とするカンタービレ楽章。途中にはチャイコフスキーの「白鳥の湖」の楽想も引用される。

第4 楽章(フィナーレ: アレグロ・マルカート) はコントラバスの超絶技巧が炸裂するフィナーレで、最後はカデンツァ を経てめくるめくばかりの終結に至る。

 

②ファゴット:保崎佑 *木管部門第1位及び聴衆賞

〈Profile〉
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 ロッシーニ『ファゴット協奏曲』

(曲について)

ジョアキーノ・ロッシーニ (1792-1868) はオペラ作曲家として知られるが、器楽ジャンルでも少年時代の一 連の弦楽ソナタから後期の様々な編成の楽曲に至るまで多数の作品を残している。本日のファゴット協奏曲も そのひとつとされるが不明な点も残されている。

彼がファゴット協奏曲を書いたことは、イタリアのファゴットの名手ナッザレーノ・ガッティが1893年に死去し た際の死亡記事をはじめとする幾つかの記録から知られていた。ガッティがまだボローニャの音楽院の学生だっ た1845年頃に、この音楽院のアドバイザーを務めていたロッシーニが彼の演奏を気に入り、彼の修了試験用の 曲としてこの協奏曲を書いたという。ただその作品の存在は長らく確認できなかった。

 しかし1990年代になってマントヴァ近郊のオスティーリアの図書館の19世紀の手稿譜のコレクションの中か らその作品とおぼしき筆写譜が発見される。そして2001年にファゴット奏者セルジオ・アッツォリーニの校訂 で楽譜が出版され、以後ロッシーニのファゴット協奏曲として親しまれるようになった。ただ残されている史 料が他人(しかも複数人の手が入った)による筆写譜だけであることや、当時としては異例の高音域が用い られている箇所があるなど、疑問点も多く、彼の真作かどうか確証はない。3つの楽章の調がそれぞれ変ロ長調、 ハ短調、へ長調となっている点も変則的だ。とはいえ旋律やリズムなどにはロッシーニらしい特徴が現れており、 ロッシーニのオペラの情景を思わせる点も多い。いずれにせよファゴットのヴィルトゥオジティを発揮させた名品 である。

第1楽章(アレグロ)は冒頭の管弦楽からいかにもオペラ・ブッファ的で、ファゴットが入るところもオペラで 歌手が登場してアリアを歌い出すかのよう。ピッツィカート上でファゴットが歌う行進曲風の第2主題もいかに もロッシーニ風だ。

第2楽章 (ラルゴ) はメランコリックなアリア風の緩徐楽章で、ファゴットのカンタービレが 生かされる

第3楽章 (ロンド: アレグレット) は軽妙な主題を中心とするロンドで、独奏には軽快かつ敏捷な 動きが要求される技巧的なフィナーレである。

 

③ピアノ:佐川和冴 *ピアノ部門第1位

〈Profile〉


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 ベートーヴェン『ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 Op.19』

(曲について)

 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン (1770-1827) の5曲のピアノ協奏曲のうち第1番ハ長調と本日の第2番変ロ長調は初期の作だが、第2番のほうが実質的に第1番より先に成立している(番号が2番目になったのは第1番より出版が遅れたため)。第1番に比べて第2番がいまだ18世紀の古典的な様式の色濃いのもそのためである。 この第2番にベートーヴェンが着手したのはまだ故郷ポンで活動していた1786年頃で、1790年には初稿が一応 仕上がった。しかし彼自身その出来に不満で、1792年にウィーンに出て以降、幾度も改訂を施していく。最初 の改訂は1793年で、この年には現在第1番ハ長調の協奏曲にも着手している。しかしベートーヴェンはそれでも まだ満足できず、第1番の作曲と並行して第2番の改訂を続けていく。そして1795年の改訂にあたっては終楽章 が新しいものに差し替えられ、現行の形がほぼ整ったようだ。しかし以後も1801年の出版までに手直しが行わ れていった。結局着手から決定稿に至るまで実に15年近くもの歳月を要した作品ということになる。

 ベートーヴェンがこれほどまで度重なる改訂を施していった背景として、この時期の彼がまずビアノの名手と してウィーンで名声を高めていたことがあろう。ウィーンで活動の場を広げようとしていた若き彼にとって、ビア ノは大きな武器であり、私的な演奏会や公開の演奏会でこの作品を自らの演奏で取り上げるたびに、より完璧 なものにしたい気持ちになったものと思われる。初期の所産だけに、様式的にはいまだ18世紀の古典的な作法の中にとどまっている曲だが、その中に息づく清新な精神には青年ベートーヴェンの意気込みが感じられる。 第1楽章(アレグロ・コン・ブリオ)は協奏風ソナタ形式。モーツァルトに連なる古典的な趣を持っているが、 展開部での劇的な緊迫感はのちのベートーヴェンを思わせるものがある。第2楽章 (アダージョ) は深い情趣を 湛えた主題が自由に変奏されていく緩徐楽章。第3楽章 (ロンド、アレグロ)はカッコウの鳴き声を模したよう な軽やか主題を中心とした軽妙快活なロンドである。

 

【演奏の模様】

 こうした演奏会では毎回おなじみの朝岡 聡さんの司会でコンサートは進められました。朝岡さんは、元アナウンサーだけあって活舌はいいし、歯切れも良し、簡潔なトークで無駄無く進行役を務めていました。

 

①水野斗希(Cb.) ロータ『ディヴェルティメント・コンチェルタンテ』

 当該コンクールの弦楽部門で、コントラバス奏者が優勝したのは史上初めての快挙だそうです。それはそうでしょう、弦楽部門といったら何といってもヴァイオリンが花形選手、日本でのヴァイオリン学習者の数は恐らく、ピアノと同様に幼い頃から多くの子供達が学んでいるのでしょうから、ヴァイオリン奏者が優勝するケースは確率的に言っても多いはずです。時々チェロの優勝者や時たまヴィオラ奏者が1位になることは有り得ると思うのですが、今回の様なCb.奏者が他のコンテスタントを押さえて優勝したのですから快挙以外の何ものでもないでしょう。大きな楽器を抱えて登場した水野さんはかなり細身の青年でした。今日の成人式に相応しい二十歳の演奏です。イタリアの作曲家ロータのコントラバス独奏のための4楽章構成の曲を弾き始めました。演奏を聴いてみると確かにヴァイオリンなんかと比べて楽器が大きいため弦も太くて長いため、音階を移動するだけでも大きく左手を移動させなければならず、手だけでなく腕や上半身も使って速いパッセッジなどそれらを大きな動きで動かして音を出していました。これだけ見ても小さな弦楽器と比べて大きなハンデであるにも関わらず、水野さんは、勇猛果敢に速い旋律を見事に処理していました。全4楽章構成の曲です。作曲は映画音楽で有名なイタリアの20世紀作曲家ニーノ・ロータ、当時のコントロバスの名手フランコ・ペトラッキの為に作曲したそうです。

 第一楽章の冒頭はオーケストラがドラマティックな調べでスタートすると、Cl.のソロ音にFl.が続き、水野さんは重音の調べで演奏開始です。それにOb.が合いの手を入れソロCb.と木管(Fg.とOb.)との掛け合い等で進行。ソロCb.の極低音に魅了されました。終盤は水に三のカデンツァ演奏で、高音部から最低音への急変さらにはハーモニックス音へと弓を翻させて変化する技量は将に職人技だと思いました。マイスターですね。記載が前後しますが、オケは二管編成弦楽五部8型(8-8-6-4-2)でしょうか?(座席からは一部見えない奏者も有り)

 次楽章では木管(Cl. Fg.)のおどけた様なテーマ演奏で始まるとソロCb.もテーマを繰り返し、さらにFl.とHrn.が音を立てると、すかさずソロCb.が合の手を入れ、Vn.アンサンブル →Ob.∔Fl.がfollowしていました。スケルツォ的。ソロCb.は休止中、Timp.のダン、ダンという合図によりオケが強奏に代わり、続いてソロCb.の水野さんが速いパッセッジを低音部で弾いたのですが、少し活舌が良くないというか音の歯切れがいま一つでした。最後の場面でもOb.とCl.→Vn.アンサンブルが全強奏と一緒に水野さんはCb.のソロ音を立てるのですが、やや隠れた音になっていました。

 第3楽章は、最初の弦楽のpizzicato奏の伴奏の中、緩やかなソロCb.の調べは、中々いい響きを有していて、Cb.に対して弾ける様な弦楽のpizzicato奏、次第に弱い音から次第にクレッシエンドするソロCb.に対して弱く合いの手を入れる木管、後半ではOb.のソロ音が美しかった。この楽章は緩やかに進行する調べと水野さんのソロと木管のやり取りが聴き処でした。

最後はプログラムノートにもある様に確かに水野さんの超絶技巧の見せ所といった感が強かった楽章でした。なんせ相当速い水野さんのボーイング、重音有り、下行旋律の中の跳躍音あり、くねくね音あり、低音の重音はズッシリ腹の底から出している感じ、最後のカデンツァも見事に弾き切りました。

 それにしてもコントラバスのオケ相手の協奏曲演奏は、将に格闘技。相当体力を要すると思いますが、細身の水野さんの何処からその様なエネルギッシュな演奏が出て来るのかと思う程の迫力有る演奏でした。矢張り若さが一番のよりどころかも知れません。

 

②保崎佑(Fg.)ロッシーニ『ファゴット協奏曲』

 この次の演奏も、ファゴットという管楽器ではマイナーな楽器の演奏でした。オケの演奏会ではFg.はいつも後ろの席で、長くて太い管楽器を地道に吹いていて、どこかユーモラスな音を立てています。地味な存在。それがコンクールの木管楽器部門でフルートやオーボエという目立ち屋さんを押さえて優勝したのですから、この結果も大変なレアケースだと思います。保崎さんは楽器が楽器なだけに、演奏を始めたのは中高年生になってからの模様、それでもキャリアは20年近くにはなるのでしょう。大成しましたね。演奏曲はロッシーニ。これもまた少々驚きです。オペラで名を馳せたロッシーニが、オーケストラの協奏曲、それもファゴットの協奏曲を書いたこと自体信じられない。でもそれは知る人ぞ知る事実で、プログラムノートにもある様に、ロッシーニはオペラ以外でも、器楽ジャンルに少年時代の弦楽ソナタから後期の様々な編成の楽曲に至るまで、多数の作品を残しているのです。天才はモーツァルトだけでないのですね。ロッシーニ(1792-1868)は、1829年(37歳)最後のオペラ『ウィリアム・テル』を発表した後は、オペラ作曲を辞めてしまって、年金生活に入るのです。これは1825年にシャルル10世即位記念オペラ『ランスの旅』を国王に献呈した功績で「フランス国王の第一作曲家」の称号と終身年金を得ていたから出来たのです。まだ40歳前の引退ですよ。今で言えばリタイア生活。もともと美食家の彼の関心は、もっぱら美味しい食事だったとも言われます。

 さて保崎さんの演奏ですが、長い楽器を持って登壇した演奏者は、何本かのリードを並べた四角の皿を譜面台に載せ、おもむろに一本を選んでFg.のボーカルに差し込み音を出してみてから、指揮者の下野さんと目くばせをすると、指揮者はオケをスタートさせました。先陣を切ってVn.アンサンブルが耳当たりの良い旋律を弱奏し、次第にクレッシンドして強奏に至ります。Cb.の低音がずっしりと効いている。何となくモーツァルト的調ベかな?等と考えているうちに、Timp.がダーンと鳴らして、それが合図であるが如く保崎さんがおもむろにFg.を鳴らし始めました。修飾音が伴う聞き易い調べで、高音域から低音域に跳躍し、ププカププカプカプカプカと小刻みな連続音演奏もOK。Fg.のテーマ奏に同じテーマで鳴らして合わせる弦楽でした。保崎さん仲々いい出だし。続いてFgはソロ的色彩が強くなり弦楽はpizzicato奏で寄り添っていました。保崎さんは長い大きな楽器を良くコントロール出来ている感じ。オケが演奏してFg.の演奏が暫し止んでいる間に保崎さんは素早くリードを別なものに交換した様に見えました。ここまでの演奏と次の楽章での保崎さんの伸びやかな調べ及び第三楽章での変化の激しい旋律演奏を聴いているとFg.と言う楽器に対するこれまでのイメージが一新される思いでした。よくもFg.でここまで見事に表現出来るものだ、と。

特に三楽章最後の保崎さんとFl.の掛け合いも良かったし超絶技巧的テクニックで軽やかにFg.を操るテクニックには舌を巻きました。

 演奏後の朝岡さんの質問に、博士号も取得したという保崎さんは、Fg.演奏+アルファを身に付けたかった旨を語り、これからも出来れば演奏会と研究も続けて行きたいと落ち着いた明るい表情で語っていました。大学に在籍している様なので、後進の指導にも力を入れて欲しいものです。

 ここで《20分の休憩》です。トイレ休憩中に次の演奏のピアノのセッティングと若干のオケの体制の減がなされた模様です。最後の演奏はピアノ独奏です。

 

③佐川和冴(Pf.) ベートーヴェン『ピアノ協奏曲第2番』

 佐川さんは、2023東音コン、ピアノ部門の優勝者です。2021年の日本音楽コンクールではピアノ部門で2位の好成績も収めています。今回のコンクールのピアノ部門本選は昨年8月下旬に行われその時も聞きました。佐川さんはベートーヴェンの4番のコンチェルトをその時弾いて優勝したのでした。その時の印象を記録に ❝佐川さんは、トップバッターとして登場する姿も堂々としていて自信満々の様子。ベートーヴェンの4番コンチェルトを弾きました。この曲は、一番有名な5番よりも、自分としては一番好きなベトコンです。よくぞ弾いてくれました。暫く振りで、生きのいい若さ溢れる演奏を生で聴いて、この曲の良さを再確認しました。❞ と記しましたが、今回は2番のコンチェルトの演奏でした。しかし4番の演奏の時と比べて、今回も演奏テクニックは相変わらず見事なものでしたが、表現力と言うか演奏の表情(顔の表情は十分に豊かでしたが)にいま一つ心を打たれるものが不足していたと思います。まだまだお若いし、朝岡さんの「多くのピアニストが存在する分野でどのように演奏していきますか?」と言った趣旨の質門に ❝この2番のコンチェルトは一番好きでこれからも演奏会等で積極的に演奏していきたい❞と言った風に答えていましたが、まだまだお若いのだから、希望的には多くのレパートリーを身に付けて欲しいものです。ただそれは一朝一夕にできるものでは無いですから、取り敢えずは、ショパンコンクールやチャイコフスキーコンやヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールやロン=ティボー国際音楽コンクール等の国際コンクールのどれかに的を絞って挑戦するための、演奏曲目のレパートリーを増やす試みをされるのも、さらなる飛躍の一助になるのではなかろうかと思った次第です。