HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

ソニア・ヨンチェヴァ /ソプラノ・コンサート鑑賞Ⅱ(後半)

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【日時】2023年9月30日(土) 15:00~

【会場】東京文化会館

【管弦楽】東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

【指揮】フランチェスコ・イヴァン・チャンパ


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〈Profile〉

フランチェスコ・イヴァン・チャンパ。1982年生まれのイタリアの指揮者。チャンパは2013年にパルマで「群盗」を聴いて以来注目され、その後もサレルノの「オテッロ」、モデナの「シモン・ボッカネグラ」などで水準の高い指揮をしていた。よく歌い、ドラマティックで独善的にならず、歌手にあわせるのもうまい。テンポは、はやらずあせらず、ていねいな音楽運びをする。歌手も歌いやすいこと間違えなしである。

  実際チャンパは、ここ1、2年、かなりひっぱりだこである。パリのオペラ座で、ダムラウ主演の「椿姫」を指揮。ダムラウとは相性が良く、その後もリサイタルなどで共演。「椿姫」を振った翌日にはリュブリヤナでアーウィン・シュロットのコンサートを指揮する人気振り。「椿姫」は相当回数を重ねている様で相当習熟している。デュナーミクや緩急もかなり思い切って表現、全体的な把握と同時に音楽の細部も丹念に探っていき、結果、ドラマとの一体化を浮き彫りにしているのです。情熱的な音楽を、前向きに推進していく。  同時に、全体のバランス感覚に優れ、歌手をよく観察、オケの演奏グループだけでなく、奏者個別にも指示を出し、歌手にとっても歌いやすい環境を整備できる指揮者と言える。(web情報より引用)

 

【出演】ソーニヤ・ヨンチェバ(Sp.) 

 
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〈Profile〉

 生誕地のブルガリアのプロヴディフでピアノと声楽を学び、ジュネーブ音楽院で声楽の修士号を取得。2010年にプラシド・ドミンゴ主宰のオペラリアで第一位と文化賞を受賞したのをはじめ、数々の著名な国際コンクールで優勝を果たす。独特の美しい声とドラマティックな表現力、華のある舞台姿でメトロポリタン・オペラ、英国ロイヤル・オペラ、ミラノ・スカラ座、バイエルン国立歌劇場、ウィーン国立歌劇場、パリ・オペラ座など、世界の主要な歌劇場に欠かせない存在となっている。バロックからプッチーニ、ロシア・オペラに至るまで幅広いレパートリーを誇り、特にスカラ座においては1958年のマリア・カラスの伝説的な舞台以降上演の途絶えていたベッリーニ『海賊』の復活上演を果たしたことは特筆に値する。2021/22年シーズンはスカラ座『フェドーラ』、ハンブルク国立歌劇場『マノン・レスコー』、シャンゼリゼ劇場『アンナ・ボレーナ』でそれぞれロールデビュー。2021年にはドイツで最も権威ある賞のひとつ、オーパス・クラシック賞において年間最優秀歌手賞を受賞した。2022年7月のリサイタルは待望の初来日実現となった。今回はローマ歌劇場オペラと共に来日公演、二回目のリサイタルとなる。

【曲目】 ※はオーケストラ演奏

 [第1部]

①ジュール・マスネ『歌劇タイスより<タイスの瞑想曲 >※』

 

②ジュール・マスネ『歌劇「エロディアート」より<美しく優しい君>』

 

③マスネ『歌劇「タイス」より<ああ、やっとひとりになれた〜私を美しいと言って>(鏡のアリア)』

 

④ヴィンチェンツォ・ベッリーニ『歌劇「カプレーティとモンテッキ」序曲 ※』

 

⑤ヴィンチェンツォ・ベッリーニ『歌劇「海賊」より<ああ、目の前にかかる雲を〜その無心の微笑みで~おお、太陽よ!黒いヴェールで空を>(イモジェーネの狂乱の場)』

 

《20分の休憩》

 

[第2部]

⑥ピエトロ・マスカーニ『歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲 ※』

 

⑦フランチェスコ・チレア『歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール」より<私は創造の神のいやしいしもべ">』

 

⑧ウンベルト・ジョルダーノ『歌劇「アンドレア・シェニエ」より<亡くなった母を >』

 

⑨ジャコモ・プチーニ『歌劇「マノン・レスコー」間奏曲※ 』

 

⑩ジャコモ・プッチーニ作曲歌劇『妖精ヴィッリ<もし私がお前たちのように小さな花だったら>』

 

⑪歌劇『「マノン・レスコー」より<捨てられて、ひとり寂しく>』

 

 

【演奏の模様】

第1部に関しては既報『ソニア・ヨンチェヴァ /ソプラノ・コンサート鑑賞Ⅰ(前半』)を参照。

 

《20分の休憩》

 

 [第2部]

楽器構成は前半の第1部より若干の補充、奏者交代があった模様。

⑥ピエトロ・マスカーニ『歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲 ※』

 

 同名(田舎の騎士)の小説に基づいた一幕物のオペラの間奏曲です。このオペラは観たことが無いのですが、プログラムノートによれば、シチリアの山間部を舞台として、貧しい人々の暮らし、三角関係のもつれから起きる決闘等と殺人を描いたオペラだそうです。従って愛情や憎悪が渦巻くおどろおどろしい内容の曲が多い中で、静かな別世界のように清らかな安寧に満ちた調べで、ホッと一息つける箇所みたいです。木管楽器と弦楽奏のみで演奏され、1Vn.とOb.の響き等の後、全オケ、全総で同じテーマを繰り返し演奏されて終了しました。Hrp.の音が背景で美しく爪弾かれ、本来であればそれに合わせてテノールが朗々と歌う場面です。

 

⑦フランチェスコ・チレア『歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール」より<私は創造の神のいやしいしもべ>』

 当初の予定から変更になって演奏された歌です。題名から想像するに神への祈りの場面でしょうか?

 この作品はフランチェスコ・チレアが作曲した全4幕のオペラの一節です。18世紀前半にパリで活躍した実在の女優、アドリエンヌ・ルクヴルールの生涯を描いたこの作品は、1902年にミラノで初演され大成功を収めたました。新イタリア楽派オペラの佳作のひとつとして、チレアのオペラ作品中もっとも頻繁に上演されています。 ちょっとU-tubeを検索さえすれば、すぐにティバルディ、カラス等往年の名ソプラノの歌声が耳に飛び込んで来ます。

 このアリアは第一幕でタイトルロール役のアドリアーナ(パリ、コメディ・フランセーズの看板女優)が歌う場面で、先に想像した祈りの場面でなく、楽屋で一同の賞賛の声に対して、謙遜の気持ちから歌う場面なのでした。

❝Ecco:respiro appena・・・Io son l’umile ancella del Genio creator:lei m’offre la favela,io la diffondo ai cor・・Del verso io son l’accento,l’eco del drama uman,il faragile strumento vassallo della man ❞

 

(ほら少し息をついただけです。・・・私はつつましいしもべです。天の想像主の。私に」言葉の力を授けて下さいました。  私はそれを皆の心に伝えます。私は詩の抑揚でしかなく、人間ドラマのこだまでしかなく壊れやすい楽器でしかありません。人の手で奏でる)

 このアドリアーナの役は、良く言えば「歌唱力だけでなく演技力のあるカリスマを持ったプリマ・ドンナの役」、悪く言えば「かつて有名だったが、歌唱力の盛りを過ぎたソプラノの役」と看做す向きもあります。しかしティバルディやカラスの歌う素晴らしいアリアを聴けば、全盛期の前者が歌う歌うケースです。

 勿論ヨンチェバさんも前者のケースに当てはまります。前半は白いドレス姿で歌っていた彼女は、後半には黒いドレスに着替えて登場、第一声から伸びのある声で朗々と高音を張り上げて歌ったのでした。 このアリアの美しさは、オーケストラの影の様に寄り添うこれまた美しいppのアンサンブルによって一層引き立てられていました。

 

⑧ウンベルト・ジョルダーノ『歌劇「アンドレア・シェニエ」より<亡くなった母を >』

 この歌は、第三幕でマッダレーナの歌うアリアです。これに関しては、何年も前に耳鼻運も時々投稿させていただいていた『ふくきち舞台日記』に書かれた記事が秀越な桃だと思ったことがあるので以下に引用させて下さい。

 

亡くなった母を【ふくきち舞台日記2010年11月11日(木)】

オペラ・アリア歌詞翻訳シリーズ
ジョルダーノ作曲《アンドレア・シェニエ》より

マッダレーナのアリア
「亡くなった母を」 La mamma morta


La mamma morta m'hanno
ラ マンマ モルタ マンノ
alla porta della stanza mia
アッラ ポルタ デッラ スタンツァ ミア
Moriva e mi salvava!
モリーヴァ エ ミ サルヴァーヴァ
poi a notte alta
ポイ ア ノッテ アルタ
io con Bersi errava,
イオ コン ベルスィ エッラーヴァ
quando ad un tratto
クアンド アド ウン トラット
un livido bagliore guizza
ウン リヴィード バリオーレ グイッツァ
e rischiara innanzi a' passi miei
エ リッシアラ インナンツィ ア パッスィ ミエーイ
la cupa via!
ラ クーパ ヴィア
Guardo!
グアルド

Bruciava il loco di mia culla!
ブルチァーヴァ イル ローコ ディ ミア クッラ
Così fui sola!
コズィ フイ ソーラ
E intorno il nulla!
エ イントルノ イル ヌッラ
Fame e miseria!
ファーメ エ ミゼーリア
Il bisogno, il periglio!
イル ビソンニョ イル ペリーリオ
Caddi malata,
カッディ マラータ
e Bersi, buona e pura,
エ ベルスィ ブオーナ エ プーラ
di sua bellezza ha fatto un mercato,
ディ スア ベレッツァ ア ファット ウン メルカート
un contratto per me!
ウン コントラット ペル メ
Porto sventura a chi bene mi vuole!
ポルト ズヴェントゥーラ ア キ ベーネ ミ ヴオーレ
Fu in quel dolore
フ イン クエル ドローレ
che a me venne l'amor!
ケ ア メ ヴェンネ ラモール

Voce piena d'armonia e dice
ヴォーチェ ピエーナ ダルモニア エ ディーチェ
Vivi ancora!Io son la vita!
ヴィーヴィ アンコーラ イオ ソン ラ ヴィータ
Ne' miei occhi è il tuo cielo!
ネ ミエイ オッキ エ イル トゥオ チェーロ
Tu non sei sola!
トゥ ノン セイ ソーラ
Le lacrime tue io le raccolgo!
レ ラークリメ トゥエ イオ レ ラッコールゴ
Io sto sul tuo cammino e ti sorreggo!
イオ スト スル トゥオ カンミーノ エ ティ ソッレーッゴ
Sorridi e spera!Io son l'amore!
ソッリーディ エ スペーラ イオ ソン ラモーレ
Tutto intorno è sangue e fango?
トゥット イントルノ エ サングエ エ ファンゴ
Io son divino!Io son l'oblio!
イオ ソン ディヴィーノ イオ ソン ロブリーオ
Io sono il dio che sovra il mondo
イオ ソーノ イル ディーオ ケ ソヴラ イル モンド
scendo da l'empireo, fa della terra
シェンド ダ レンピレーオ ファ デッラ テッラ
un ciel!Ah!
ウン チェル アー
Io son l'amore, io son l'amor, l'amor
イオ ソン ラモーレ イオ ソン ラモール ラモール

 

亡くなった母を運ぶ人々が
私の部屋の前にやって来ました
母は死んで私を守ったのです
それから深夜、ベルシとともに家を出ました
途端に閃光が道を照らし
振り返れば、家が炎に包まれていました
こうして孤独になり、全てを失くし、
飢餓、惨状、
貧困、危険、
さらに病魔
優しく清らかなベルシは
私のために春を売りました
私は大切な人まで巻き添えにしました
そのような苦しみの時
私に愛が訪れたのです
美しい声が
語りかけてきます
もう一度生きなさい
私がその命となろう
私の瞳の中に君の姿が見えるだろう
君は一人じゃない
君の涙は私が拭おう
君の先に立ち導こう
笑って、希望を持ちなさい
私は愛です
全てが血と泥ばかりだと言うのか?
私は神聖、
私は忘却、
私は神、
この地上に楽園を作るため
天から降りてきた
私は愛、私が愛なのです

  • マッダレーナは貴族の娘なので、革命の民衆から命を狙われるようになりました。あまりに辛いので死んでしまいたいと思ったのですが、「生きなさい」と励ましてくれる人に出会います。それはもちろんアンドレア・シェニエです。つまりこの歌詞の「Vivi ancora!もう一度生きなさい」という部分から終わりまでは、かつてシェニエがマッダレーナに言って聞かせた言葉なのです。歌の途中で、言葉の様式が変化しているのが分かりますか。前半は、マッダレーナの状況報告が淡々と告げられますが、途中からガラリと抽象的な言葉に変化しています。シェニエが言った言葉に変わったからです。詩人の言葉をそのままなぞったので、そこからは詩になっているのです。そこからは日常会話じゃないのです。
    死のうと思った自分を助けたシェニエを、今度は私が救うつもりである、そのためなら何でもする、という覚悟をマッダレーナは歌っています。シェニエがマッダレーナにしたことを、マッダレーナがシェニエにしようとしている。シェニエの言葉は今、マッダレーナの言葉となったのです。
    それを聞いてジェラールは、負けたと思います。シェニエの愛に負けたわけです。あるいは、ずっとマッダレーナを抱きたいと思っていた、けれどそれは、自分が本当に望んでいたことではなかった、ということが分かった。

    ●マリア・カラスは1955年にスカラ座でマッダレーナを歌い、ライヴ録音が残っています。録音状態は良好とは言えませんが、カラスのアリアは最高。天空を切り裂く高音のフル・ヴォイス。アリア集に納められたスタジオ録音より何倍も素晴らしい。ゾクゾクします。私は最初に聞いたときボロボロに泣きましたよ。ぜひご一聴あれ。

 確かにカラスの録音を聴くとふくきちさんの書いている通りだと思いました。それに対し今回のソニアの歌うマッダレーナはカラスの様な独特な潤いの有る声質ではないのですが、前半を含めるとここまで歌うのは五曲目、益々快調に飛ばすソニア哉といった感じで、相当な熱唱をしていました。最終部では1Vn.アンサンブルに合わせて高い歌声を難なく腹底から出し、オケに負けない強靭な声を披露していました。当然の如く会場は大いに沸きに湧きました。

 

⑨ジャコモ・プチーニ『歌劇「マノン・レスコー」間奏曲※ 』

 この曲は、オペラの第三幕に位置します。チェロの深い低音のソロ演奏の音で始まり、引き続きVa.ソロがこれを引き取り、良く鳴らしているVa.トップ、相当うまい演奏です。Hp.の音も聞こえる、全弦楽アンサンブルの強奏が入ると金管やTimp.がそれを煽り、さらにFl.とHp.が続いて演奏、Vn.アンサンとVc.アンサンとの掛け合いも面白い。 後半では流麗な流れに弦楽奏が載って美しいアンサンブルを響かせました。演奏が終了すると、指揮者のチャンパは三人のソリスト(Vc.Va.Vn.)を起立させて勞を労いました。

⑩ジャコモ・プッチーニ作曲歌劇『妖精ヴィッリ<もし私がお前たちのように小さな花だったら>』

 この曲も当初の予定から変更になって新たにプログラムに入った曲です。

『妖精ヴィッリ』(Le Villi)は、ジャコモ・プチーニが作曲した最初のオペラです。原語表記は『ヴィッリ』ですが、日本では『妖精ヴィッリ』として定着しているのです。現在は全曲が演奏されることはほとんどない。

 この歌はその第一幕の婚約の祝いの場で、アンナが歌うリアです。恋人のロベルトが伯母の遺産相続の手続きのため、マインツにしばし旅立つので、彼との暫しの分かれを悲しみ、花束をカバンの飾りにしながら歌うのです(「Se come voi piccina io fossi・・・」若し私がお前たちの様に小さな花だったらいつもあの愛しい人の側にいられるのに・・・)と。多分もう会えなくなるかも知れないという予感がしたのかも知れません。

 小さな物になりたいという願望は、とても困難な場面に遭遇した時や、不可能を可能にしたい場合に往々として人の頭に浮かぶ考えです。ここでは、勿忘草に因んだところが印象深かった。(何故ならアンコールで「勿忘草」をソニアは最後に歌ったのですから)ソニアは花を一本手に登場、歌いながら花びらを一つ一つちぎっては撒き歩き回りました。

 かなり乙女ティックな歌に感じました。

 

⑪歌劇『「マノン・レスコー」より<捨てられて、ひとり寂しく>』

 これは、1893 年に初演された、プチーニの出世作となったオペラ。アベ・プレヴォーの小説を基に、作曲、妖婦「マノン・レスコー(HUKKATS 注)」に魅惑されたデ・グリューの愛の絡み合いの物語で、大筋ではオペラは原作の「ある貴族の回想録」の流れに沿う。

 マノン・レスコー(HUKKATS 注)

プチーニのこの作品の主人公。このオペラに先立つこと40年程前、オペラ作曲家ヴェルディの『椿姫』の原作小説、『La Dame aux camélias』の中で、主人公アルマン(オペラではアルフレッド)がマルグリット(オペラのヴィオレッタに相当)にこの小説「マノン」を贈呈して読んでもらおうとしています。

 

 このアリアはオペラ第4幕でマノンと愛人デ・グリューと米国内収容所から逃亡、荒野の砂漠をさまよった末に最後の死の予感をから、マノンが歌う悲痛なアリアです。

 美しい弦楽アンサンブルの高音の調べが、オペラ指揮名手のチャンパのしなやかな腕の振りと共に流れ出しました。その行く手を阻むようにTimp.と木管の音が二回鳴ると、

ソニアさんはゆっくりと歌い出しました。

 

❝Sola, perduta, abbandonata …in landa desolata! Orror! Intorno a me s’oscura il ciel …Ahimè, son sola! E nel profondo deserto io cado,strazio crudel, ah! sola abbandonata,io, la deserta donna! Ah! non voglio morir! No! non voglio morir! Tutto dunque è finito.❞
(ひとりで、迷って、見捨てられた荒野に!恐いわ!空が私の周りを暗くしていく
ああ、私は一人!そして、深い砂漠で落ちていく ひどい苦しみ、ひとり捨てられて
私は、見捨てられた女! ああ!死にたくない!いいえ!死にたくない!これですべてが終わったのね)


    オーボエの合いの手の旋律も寂しさ、切なさを倍加する効果を上げています。

 次第に声を張り上げ調になるソニア、「死にたくない」を一番大きな高い声で!

 

 それ以前の曲でも歌い終わると度々、大きな拍手と歓声が飛び交う会場でしたが、この最後の曲を歌う直前には聴衆も興奮状態の最高潮に達していたのでしょう、歌い終わり数秒於いて、文化会館の会場は怒号の渦巻きにと化しました。先日オペラを聴いた時よりも、今回の様に一人の歌手の歌その物に没頭した後の感激の方が、大きいのかも知れません。何回も舞台から座席のあちこちに会釈をしたり手を上げたりソニアさんの人気は絶頂といった感じでした。

 舞台では指揮者と歌手の二人に花束贈呈が行われ、かぶりつきには熱心なファン(主に中年の男性?)達が駆け寄りました。そして、ずらっと並んで掛け声を掛けたり、写真を撮ったり、手を伸ばしたり興奮状態。


ほとんどの座席の観客も立ち上がり、スタンディング・オヴェイション状態。鳴りやまぬ拍手に何回か舞台と袖を行き来したソニと指揮者は、アンコール演奏を始めました。アンコールの後もこうした状況は二回繰り返され、都合三回目のアンコール曲も歌ったのです。

 

《アンコール曲》

①プッチーニ『歌劇ジャンニスキッキより<私のお父さん>』

この歌はアンコールの定番です。よく歌われます。ポピュラ―曲だと言っても良いかも知れない。それこそ初心の歌手からベテラン歌手に至るまで、皆誰でも上手に歌います。ソニアの歌も素晴らしかった。この曲では甲乙付け難し。オペラその物は短い喜劇で、場面に余りそぐわない美しすぎる歌だと思いますが・・・。

②モノー作曲、エディット・ピアフ作詞『愛の賛歌』

 これも最近では、ポピュラーなシャンソン歌で、クラシックのアンコールで歌われるのも度々見かけます。ソニアはクラシックソプラノの自分の分野での最高の歌い振りを発揮しました。でもシャンソンには、シャンソン風の歌い方があるのでしょうね、きっと。エディット・ピアフなど、喉奥でヴィブラートを極端に強く掛けて、パリの街のお洒落な味わいを出していました。矢張りパリにはシャンソンが似合うのかな?

③エルネスト・デ・クルディス『勿忘草』
これもクラシックコンサートの定番曲の様です。2020年の文化会館「テノールの饗宴」で、21年の小ホールでの「メーリー・リサイタル」のアンコールで、今年1月の「二大テナー/パヴァロッティに捧ぐ/歌の饗宴」野アンコール最終曲で聴いています。特に個人の演奏家にとっては、人々にいつまでも記憶に留めて欲しいという願いが強いのでしょう。ハイ分かりました。少なくとも自分は永久に忘れませんよ。

 アンコール終了後も何時までも続く拍手、楽団員が退場し始めても何回も舞台に登場し手を上げサービスするソニア、舞台袖の観客の手を取り握手までしていました。

 

 きっと演奏者にとってこれだけの観客の反応はそう今までになかったのかも知れません(多くのいろいろの会場でのヨンチェバの映像を見ても、そこまでの観客の興奮振りまでは写っていませんでした)。今日の東京での公演は彼女にとっても忘れがたい、去りがたい演奏会になったのかも知れません。