HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

オペラ速報/ローマ歌劇場『椿姫』初日

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クリーナップトリオ連続ホームラン+追加得点で完勝!

⭕タイトルロールのオロペサ、美声の美神の生まれ変わりか!!

⭕メーリー・アルフレッド、期待通りの大活躍!!

⭕エンクバート・ジェルモンのびっくりする迫力!! 

 

⭕時を経て円熟味を増したコッポラ舞台!!

⭕四年前よりも、派手過ぎず地味すぎず、だが気品が籠もる衣裳、ヴァレンティノ・マジックか!!

⭕マリオッティ・歌劇場オケ、舞台を大いに盛り上げるしなやかな演奏!!

 

【主催者言】

時代を牽引するコッポラの演出、ヴァレンティノの衣裳、クロウリーの舞台美術によるラグジュアリーな愛の世界!

2018年の日本公演で上演して大評判になった女流映画監督ソフィア・コッポラ演出による『椿姫』が再び上陸します。女性をテーマとした映画で手腕を発揮するコッポラは、極端に設定を変えることなく、ヴィオレッタの愛とその 生き様を深く描き出すことに成功しています。ハリウッドで数々の大作を手がけるネイサン・クロウリーが創る世界 をイタリア・ファッション界の重鎮、ヴァレンティノ・ガラヴァーニによる本物のオートクチュール・ドレスをまといながら生きるヴィオレッタ。その外見が華やかで美しいがゆえに“裏社交界”の翳りとともに彼女の苦悩が強く迫ってきます。
今回の日本公演には、ヴィオレッタに世界中の歌劇場から引っ張りだこで『椿姫』や『ルチア』において華麗なコロラトゥーラを聴かせるリセット・オロペサ、アルフレードに美声にして美形、端正な歌い方でイタリア随一の実力派と認 められるフランチェスコ・メーリ、そしてジェルモンには初来日とはいえ、ヨーロッパでは引く手あまたの活躍をみせているアマルトゥブシン・エンクバートが登場。いまが盛りの歌手たちによる声の饗宴が繰り広げられます。目の贅沢、耳の至福、これぞ総合芸術であるオペラの醍醐味です。

【演 目】歌劇『椿姫』全三幕(1幕35分、2幕40分∔25分、第3幕35分、休憩3回)

【上演日程】 Ⅰ.2023年9月13日(水)15:00~ 

         Ⅱ.2023年9月16日(土)15:00~ 

        Ⅲ.2023年9月18日(月・祝)15:00~

【鑑賞日時】初日 2023.9.13.(水)15:00~

【会 場】東京文化会館(上野)

【管弦楽】ローマ歌劇場管弦楽団

【指 揮】ミケーレ・マリオッティ(ローマ歌劇場音楽監督)

【合唱】ローマ歌劇場合唱団

【舞踊】ローマ歌劇場バレエ団

【演 出】ソフィア・コッポラ(映画監督コッポラの娘)

【衣 装】ヴァレンティノ・ガラヴァーニ

【出演】フランチェスコ・メーリー(アルフレッド)

    リセット・オロペサ(ヴィオレッタ)

    アマルトゥブシン・エンクバート(ジェルモン)

 

【Profile】

〇ミケーレ・マリオッティ

 

  指 揮

ペーザロ生まれ。ロッシーニ音楽院で作曲と指揮、ペスカレーゼ音楽院でドナート・レンツェッティに管弦楽指揮を学んだ。オペラ指揮者としてのデビューは2005年サレルノでの『セビリャの理髪師』。2007年の『シモン・ボッカネグラ』の成功を機に2008年に就任したボローニャ歌劇場首席指揮者は2018年まで務めた。この間には、ボローニャをはじめ、ミラノ・スカラ座、ペーザロのロッシーニ・フェスティバルほかでの活躍におけるエレガントな音楽づくり、安定したテクニック、鋭い解釈による表現が認められ、第36回アッビアーティ賞の最優秀指揮者に選ばれた。パリ・オペラ座、ウィーン国立歌劇場、英国ロイヤル・オペラ、バイエルン国立歌劇場、ベルリン・ドイツ・オペラ、ザルツブルク音楽祭、メトロポリタン・オペラ、ナポリのサンカルロ劇場ほか、イタリア国内および海外の主要な劇場に招かれ、その実力は広く認められている。
2022/23シーズンよりローマ歌劇場音楽監督に就任。就任1年目のシーズンには4つの新制作作品を指揮。また、同シーズンのラインナップ発表時には2023/24に『メフィストフェレ』、2024/25に『シモン・ボッカネグラ』、2025/26に『ローエングリン』と、3シーズン先までの予定が発表された。ローマ歌劇場の果敢な挑戦は、マリオッティ音楽監督のもと繰り広げられる

 

フランチェスコ・メーリ

 

  アルフレッド

1980年ジェノヴァ生まれ。17歳のときにパガニーニ音楽院で声楽を学び始める。その後、エンリコ・カルーソー国際声楽コンクールをはじめとするいくつかのコンクールでその才能が認められるところとなった。プロの歌手としてのデビューは2002年、スポレートのドゥエ・モンディ音楽祭で、『マクベス』のマクダフ役、「小荘厳ミサ」、プッチーニの「グロリア・ミサ」を歌った。これらは、後にメーリのベルカントとロッシーニのレパートリーにおける際立ったキャリアのスタートを示すものでもあった。23歳でリッカルド・ムーティ指揮『カルメル派修道女の対話』でミラノ・スカラ座にデビュー、以後、チューリッヒ歌劇場、ウィーン国立歌劇場、英国ロイヤル・オペラ、メトロポリタン・オペラなど、世界の著名な歌劇場で活躍。2009年以来、徐々にベルカントの役柄からドラマティックな声が求められる役柄へとレパートリーを拡大し、50を超える役柄をレパートリーとすることとなっている。2013年、ヴェルディ作品の優れたパフォーマンスによって受賞したアッビアーティ賞をはじめ、数多くの賞を受け、世界で最も魅力的で人気のあるテノールの一人と認められている。

〇リセット・オロペサ(ヴィオレッタ)

 

  ヴィオレッタ

ルイジアナ州ニューオリンズ生まれ。フルートを学んだのち声楽に転向し、メトロポリタン・オペラによるナショナル・カウンシル・オーディションの優勝を機に同歌劇場の若手芸術家育成プログラムに参加、22歳にして『フィガロの結婚』スザンナでデビューを飾る。以後はメトロポリタン・オペラをはじめ、ミラノ・スカラ座、ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、パリ・オペラ座など世界の主要な歌劇場に次々と主演を重ねる。2021/2022シーズンは英国ロイヤル・オペラのシーズン開幕作品『リゴレット』でジルダを演じ高評を博した。2022年夏にはザルツブルク音楽祭にデビュー。『ランメルモールのルチア』(演奏会形式)で成功をおさめた。その翌月、初来日を果たし、ルカ・サルシとともにオペラ・アリアで聴衆を魅了した。レパートリーは幅広く、モーツァルト、ベッリーニ、ドニゼッティなどリリック・コロラトゥーラの諸役で圧倒的な輝きを放つ。

〇アマルトゥブシン・エンクバート

 

   ジェルモン

1986年モンゴルのスフバートル生まれ。モンゴル国立文化芸術大学で学んだ。2008年以来、モンゴル国立オペラ・バレ エ・演劇劇場のソリスト。2009年モンゴル国内コンクール、2011年ロシアで開催されたバイカル国際オペラ・コンクールとチャイコフスキー国際コンクール、2012年北京で開催されたプラシド・ドミンゴ主宰のオペラリア、2015年カーディフ世界歌手コンクールなど、数々のコンクールで優れた成績を獲得。以後、ソウル、キエフ、パリ、ニューヨーク、シンガポールなどで多くのコンサートを行い、オペラでも着実に活躍の場を世界へと広げた。2021年にはフィレンツェ歌劇場、アレーナ・ディ・ ヴェローナ、パルマのヴェルディ・フェスティバル出演のほか、ウィーン国立歌劇場と英国ロイヤル・オペラに『ナブッコ』のタイトルロールでデビュー。2022年には『ルイーザ・ミラー』でローマ歌劇場にデビューを飾るほか、ミラノ・スカラ座、ベルリン・ドイツ・オペラ、ボローニャ歌劇場をはじめとした著名な歌劇場でヴェルディ・バリトンとしての実力を発揮。2023年は 『椿姫』のジェルモン役でメトロポリタン・オペラデビューを果たした。

 

【上演の模様】

 今日は、三年に渡るコロナ禍を乗り越えた日本音楽界が、満を持して迎えた欧州オペラ界の女王、ローマ歌劇場の引っ越し公演です。東京文化会館は、いつもに増して多くのオペラファンが詰めかけ、入口からホワイエまで、人でごった返しました。


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 以下に印象的だった場面をピックアップして記します。

先ず宴会の場面に入る前のオーケストラの前奏が素晴らしかった。弦楽の細い高音アンサンブルが流れ出し、ppからゆっくりとクレッシエンドで強まる繊細な音の表現は、地元歌劇場で数多くのオペラ演奏を経験してきた指揮者とオケ奏者ならではの演奏だと思いました。

 さて今日のタイトルロールを歌った、リセット・オロペサの<Profile>を見ると、かなりの経歴を有する歌手です。確かにそのスタイルと表情は、か細い病気持ちとは縁遠い健康的な美しさを有していました。将に社交界の花形に相応しいヴィオレッタそのものでした。前回公演と同様な螺旋階段を下りて来るヴィオレッタは、黒緑色の裾を後ろに長く垂らしたドレスを纏い、髪にはエンジ系の赤い花リボン(恐らく椿の花)を付けています。最初の第一声「乾杯の歌」は、どんなソプラノ歌手でも力を込めて歌うものです。オロペサの乾杯の歌は、完全無比、声量も声の強さも有り、素晴らしく響くソプラノでした。それに先立つアルフレッド役メーリーの乾杯の歌も、彼の実力からしたら当然の如く伸び伸びしたよく響くテノールでした。

 宴会場からみな姿を消し、部屋に残った椿姫、外から聞こえるアルフレッドの歌声はバンダの演奏の様で、メーリの歌声は趣深く心に響きます。それを聴いている室内のヴィオレッタは、アルフレッドの愛に引き込まれそうな、自分の純真な愛の心の芽生えを感じながら、自嘲気味に歌うのでした。

❝ Follie! follie delirio vano è questo! Povera donna, sola Abbandonata in questo Popoloso deserto Che appellano Parigi,Che spero or più? Che far degg'io Gioire,Di voluttà nei vortici erire.Sempre libera degg'io Folleggiar di gioia in gioia,Vo' che scorra il viver mio Pei sentieri del iacer, Nasca il giorno, o il giorno muoi Sempre lieta ne' ritrovi A diletti sempre nuovi Dee volare il mio pensier. (馬鹿な考え!これは虚しい夢なのよ!哀れな女、ただ一人 見捨てられた女、人々がパリと呼ぶ、人の砂漠の中に。今更何を望めばいいの?何をすればいいの?楽しむのよ、喜びの渦の中で消えていくのよ。私はいつも自由に、快楽から快楽へと遊べばいいの、私が人生に望むのは、快楽の道を歩み行くこと、夜明けも日暮れも関係ない、華やかな場所で楽しくして、いつも快楽を求め、私の思いは飛び行かなければならないの)❞ 

 ここで Follie! という言葉は、仏語の「La Folle Journée」の Folle と同義語です。ヴィオレッタは頭を擡げそうな、アルフレッドへの純愛の気持ちを否定して、少し投げやりに歌うのですが、このアリアでは、自分の高鳴る気持ちを無理に抑える激しさを有したアリアで、それをオロペサは強い口調で、自嘲気味に見事に歌ったのでした。

 

《第二幕》

    舞台場面は変わって、パリ郊外のヴィオレッタとアルフレッドが同棲する愛の巣です。
 もう一緒に住んでかれこれ何カ月経ったのでしょう?収入もなく(アルフレッドが受け取っている僅かな年金では)この様な物入りの生活は成り立たず、ヴィオレッタは自分の財産を切り売りして、生活の足しにしています。
 アルフレッドとの愛を選んだヴィオレッタは、ついには生活のため全財産を競売にかけようとしていました。それを知ったアルフレッドは競売を止めさせようとパリへ向かったのです。

パリに向かう直前の憤懣やるせない気持ちを歌ったアルフレッドのアリアです。

❝SCENA Ⅲ Alfredo solo

O mio rimorso! O infamia e vissi in tale errore?Ma il turpe sogno a frangere il ver mi balenò. Per poco in seno acquétati, o grido dell'onore; M'avrai securo vindice; quest'onta laverò. 

(<第3場>(アルフレッド一人で)

 ああ、自責の念が!なんたる不名誉だ!それほどの過ちを犯していたのか?だが、僕の恥ずべき夢を、真実が引き裂いてくれた。いま少し黙っていてくれ、名誉の叫びよ、
必ず仇を討ってみせる、この恥を拭い去るのだ。)❞

    ここでアルフレッド役のメーリは、しっかりしたテノールの声を少し興奮した調子で歌い、ヴィオレッタに対する申し訳ないという気持ちと、気が付かなかった自責の念をうまく表現していました。このアリアの最後は、高揚した気持ちをハイⅭの高い声を張り上げて、パリに向けて部屋から走り去る場面が多いのですが、メーリは最後の高い声が出ないのか非常に曖昧な声を出して(いわば胡麻かすかの様に歌って)駆け足で部屋を出て行きました。何か月か前の『パレルモマッシモ劇場公演』の『椿姫』でも同様な歌い方だったので、メーリーはやはりその高音が出せないのでしょう。その時と同じ印象、「画竜点睛を欠く」の感がしたのは、またまた残念なことです。

 

 次の注目すべき箇所は、アルフレッドの父親、ジェルモンが二人愛の巣まで駆けつけてきた事です。ここでジェルモンがヴィオレッタを説得するのです(随分出しゃばった親だといつも思いますが。)

 今回のジェルモン役はモンゴル出身のアマルトゥブシン・エンクバート、生では初めて聴きます。世界各地の歌劇場でデヴユーをしており、ジェルモン役ではMETで歌っている模様。

 その第一声を聴いて、その尋常ならぬ大声量、強さ、声の広がりにはびっくりしました。この様なジェルモンは観たことない。あの声でアルフレッドとの愛に浸っているヴィオレッタに「別れてくれ」といったことを迫るのですから、これはもう一種の強拍に近い。通常のバリトン歌手が歌うと、ずる賢さ、老練・狡かつなジェルモンの印象があるのですが、今回は剛速球をヴィオレッタ目掛けて投げる怒りに満ちた父親ってとことですかね? それはそれでこうしたアリアもあっていいかなという気はしました。

 このジェルモンとヴィオレッタのやり取りの二重唱は結構長く続き、特にそれぞれのアリアで気持ちのやり取りを発露する箇所では、ジェルモンはヴィオレッタを圧倒する迫力で、しかし近年この役を歌ってきた新鮮ささえ感じられる堂々としたバリトンで、切々としたヴィオレッタに訴えるアリアの処では、やや抑制気味に歌い、それはそれで説得力のあるものでした。これに対するヴィオレッタ役オロペサは、当初冷静にそれまで以上に感情を込めた歌い振りをしていましたが、次第に感情が高ぶり、「別れろですって?絶対別れられない!」と悲痛な声となるのでした。

 しかし、ジェルモンの家族を質に取った説得に、当初絶対受け入れられないと歌っていた彼女は次第に受け入れざるを得ない心境に変わるのでした。その心理変化も含めて、その苦悩ぶりが見事に表現されたアリアと二重唱は以下の様です。

――――♪♪――――♪♪―――♪♪―――――♪♪――――――♪♪――――――

GERMONT
Sì. Pura siccome un angelo Iddio mi die' una figlia; Se Alfredo nega riedere
In seno alla famiglia,L'amato e amante giovane,Cui sposa andar dovea,Or si ricusa al vincoloChe lieti ne rendea deh, non mutate in triboli Le rose l'amor.Ai preghi miei resistere Non voglia il vostro cor.

【ジェルモン】
そうです。天使のように純真な娘を、神はお与えくださった。もしアルフレードが、家族のもとへ戻ることを拒むのなら、娘が愛し愛される青年は、そこに嫁ぐことになっている、あの約束を拒むのです。私たちを喜ばせていた約束を、どうか愛のバラを、茨に変えないようにしてください。貴女の心が、私の願いに抵抗しませんように。

声に遂にはヴィオレッタは「その通り」と言って陥落してしまうのでした。

次のヴィオレッタの気持ちを歌ったアリアは、ヴェルディの名旋律の一つでしょう。この箇所もヤオ椿姫は、心の決心を泣く泣くジェルモンに訴えかけるのでした。

――――♪♪――――♪♪―――♪♪―――――♪♪――――――♪♪――――

❝a Germont, piangendo 

Dite alla giovine- sì bella e pura Ch'avvi una vittima - della sventura,Cui resta un unico - raggio di bene Che a lei il acrifica-e che morrà!

(ジェルモンに対して、泣きながら)
美しく清らかなお嬢様に、お伝えしてください、不幸にも犠牲を払う女がいると、ひと筋の幸せの光しか残されていないのに、お嬢様のために、それを諦め死んでゆくと!

――――♪♪――――♪♪―――♪♪―――――♪♪――――――♪♪――――

 これに対し(当然ながらジェルモンは感謝の意を込めて)生きて幸せになるのです。あなたの愛の犠牲は報われるでしょう。涙への報いはいつの日か天が授けて呉れる、等と無責任なことを言うのです。

 

 結局ヴィオレッタはアルフレッドに別れの手紙を書いて家を出ます。事情を知らないアルフレッドが戻って手紙を見て愕然とし、そこにまだ居残っていた父が「一緒に故郷に戻ろう」と慰めても聴く耳をもちません。息子を説得するジェルモンの「プロヴァンス・・・」のアリアもエンクバートは堂々とメーリを最初の見下した態度から慈愛に満ちた様子に変えて歌うのでした。

 アルフレッドは怒りが収まらず、パリに行き、夜会の大勢の客の前でヴィオレッタを罵倒するのでした。彼女は絶望に打ちのめされてしまう。

 

<第3幕>

 1ヵ月後。死の床に伏しているヴィオレッタ。そこに、父ジェルモンからすべてを聞いたアルフレッドが来て許しを乞い、パリを離れて一緒に暮らそうと語るのですが・・・。ヴィオレッタは愛する人に囲まれ息絶えてしまうのでした。

 

 ここでの前奏曲もいいですね。一幕如き旋律ですが、何せここは死の床の場面ですから、ひとしお弦楽の弱いゆっくり流れる旋律は、涙を誘います。

 ここでは 息も絶え絶えの瀕死に際しているヴィオレッタですが、オロペサはこれが瀕死の人かと首をかしげる程の生きた人間として、生きたヴィオレッタを歌ったのでした。確かに、瀕死の声も絶え絶えにかすれた聞き取りにくい歌唱で表現するソプラノもいるかも知れませんが、やはり演技ばかりでなく歌を聴きに来る観客が多いのですから立派な見事な歌唱で以て最後を飾りたいとする歌手がいてもおかしくはありません。それはそれで有りかなと思う。将に今回のオロペサがそうであり、最後まで見事な歌声を披露したのでした。でもこの場面では、ヴィオレッタの衰弱した弱さと、ソプラノとしての一流の歌唱をどの様にバランスをとるかの問題だと思います。今回は印象として、最後まで生きる力に満ちた、或いは生きる希望に満ちたヴィオレッタ像の表現だったという印象を強く持ちました。

 絶命の直前にはヴィオレッタは「不思議だわ(É strano!)」「痛みが止んだのです。私の中で動いている、いつにない強さが!ああ!嬉しいわ!」と舞台上では立ち上がるのです(そして倒れてしまう)そして絶命。この最後の場面を象徴するオロペサの歌い振りだったのかなと解釈しました。

 こうして希代の名オペラは幕を閉じるのですが、今回の ローマ歌劇場の『椿姫』は主役二人もその他の出場者も、それぞれ個性を十分に発揮した流石本場イタリアの歌劇場の上演だったと思います。大きな拍手とあの歓声も忘れられない思い出になることでしょう。

  主役トリオ

 

 尚、ローマ歌劇場は2018年9月にも来日公演していてその時の上演も観ているので、その時の記録を参考まで文末に抜粋再掲して置きます。

 

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hukkats | 2018年9月12日 (抜粋再掲)

 

 先日、来日中のローマ歌劇場日本公演初日(H30.9.9.)の椿姫を聴いて来ました(at 東京文化会館)。実は昨年10月に、今回とほぼ同じメンバーと内容で映画化されたものを、TOHOシネマズ日本橋で見ていたので、ある程度の予備知識は持っていました。一貫して「女流映画監督ソフィア・コッポラ演出の椿姫」「ヴァレンティーノの豪華衣装」と宣伝されたのも、主役(ヴィオレッタ:フランチェスカ・ドット/以下F.ドットと略記、アルフレッド:アントニオ・ポーリ/以下A.ポーリと略)のキャリアを考えればむべなるかなと思います。第一幕で深緑のドレスの上に薄いピンクのレースをはおり(映画ではもっと黒いドレスの記憶あり。照明のせいか?)、中央の螺旋階段を降りながら歌うF.ドットの声は、完璧な音程と澄んだ素直な音色で、さすが老舗歌劇場の選んだ新星の感がありましたが、「乾杯の歌」の掛け合いから「E storano」のアリアまでは声がやや迫力に欠けるこじんまりしたおもむきで、オケピット近傍の私の席でこれでは、遠くまで声が通るのかしらん?とやや心配でした。体から迸る声のエネルギーがビリビリと感じられない、でもきっと場面を考え抑制していたのでしょう。次の「Follie!」では抑えていた相当な力を発散し、愛を受け入れたヴィオレッタのアリア、屋外のアルフレッドとの歌の掛け合いを声高らかに歌い上げ第一幕を閉じたのでした。

    一方A.ポーリも立ち上がりから次第にエンジンがかかり盛り上がって来て、ヴィオレッタから一輪の白椿を渡される二重唱では、切実な愛の訴えが伝わってきました。やはりヴィオレッタには白椿(camerias blancs)が似合いますね。椿姫の著者は何故、幾多の花の中から椿を選んだのか長年不思議に思っていましたが、“この花に香りがなかったため”だそうで(澁澤龍彦「バビロンの架空園」河出文庫47p)腑に落ちました。確かに呼吸器疾患の患者の場合、強い香りの花は体に合わなかったのかも知れません。ちょっと脱線しますが、今回大ホール一杯の観客層は一瞥した感じでは女性客が多い様に見受けられ、幕間のFoyerでは様々なドレスを身に着けたご婦人方が飲食・談笑に花を咲かせていました。中には和装の方がかなりおられて、様々なきれいな花をあしらった帯をきりりと締めておりました。おひと方だけ大きい白い椿花と小さめの赤い椿をデザインした帯を締められており、ああこの方はきっと椿姫の物語をよくご存じなのだナーと感心しました。話を戻しますと、第二幕、アルフレッドの「O mio rimorso ! O infamia(ああ自責の念!不名誉だ!)」 のアリアの最後「ah,l’onta lavero(恥を拭い去ろう)」の最後の最後‘~ro’をA.ポーリは、低い音(楽譜が無いのではっきりしませんがdo2(C4)の音か?)で歌い終わったのでした。アリア自体は相当力強くテンションが上がっていたのに最後の音が下がり“臥竜点睛を欠く”のきらい有り。一オクターブ高い音(do3)で終わるのはベルゴンツィ、ポッジなどのテノール、低い方は今ケース、ヴィラソンなどを聞いたことがあります。やはり高い音で歌い切って欲しかった。盛り上がりも、聴衆の反応も格段に違っていたと思います。次に父ジェルモンの登場です。当初予定のジェルモン役は有名なレオ・ヌッチだったのですが、体調不良でアンブロージョ・マエストリ(以下A.マエストリと略)が代役になったそうです。代役はリスクが高い。代役を見事にこなし主力の座を勝ち取った例もあれば、代役の調子が悪く代役の代役を立てた例も近年ありましたね。A.マエストリは大きな体一杯からバリトンの心地良い太い歌を響かせ、聴衆からアルフレッドを超える様な大喝采を浴びていました。今回の公演の大きな収穫の一つではないでしょうか。ヴィオレッタに身を引く様に説得するジェルモンのソロ、二人の掛け合い、デュエットも良かったですが、特に素晴らしかったのは、交際をあきらめる様に説得された後のヴィオレッタの苦悩のアリアを、F.ドットは抑制のきいたしみじみとした歌声で心に滲みる演奏をしたのです。それまでで一番の拍手と掛け声がかかりました。大声を張り上げて朗々と華やかに歌いあげる詠唱曲よりもこうした場面の歌の方が、今のF.ドットさんには向いているのかも知れません。まだお若いですし、これから場数を踏んで観客の共感を少しずつ引き寄せ、一回りもふた回りも大きくなってローマの花、いや世界のプリマドンナに飛躍する素地は十分あると感じました。
 一方コッポラさんの演出は随所に工夫が見られ、例えば第一幕の大階段を一流ドレスに身を包んだ背高かのヴィオレッタが下りてくるところは、あたかもヴァレンティーノのファッションショーを見ているかのようです。階下につながる階段は、玄関に通じるのが普通だと思いますが、敢えてサロン(リビング・宴会室)につなげ、次の乾杯の歌と宴会場面を盛り上げるアクセントとしている。それから第二幕第一場の窓の外の風景。映画を見た時は、緑の広々した緑地が映しだされ、“パリ郊外というよりはイングランドの田舎風景に似ているな”とやや違和感があったのですが、今回は空と雲の流れが映され、愛の巣の歌声の時には青空に白雲の流れ、ジェルモン登場後は不吉な赤身を帯びた空に黒っぽいネズミ色の雲を流し、不安な場面を象徴させていました。二幕二場では窓の外に花火も光り、パリの華やかな夜を象徴。またヴィオレッタの衣装は第一幕の黒緑から二幕一場で白、二場では赤のドレス、第三幕で白いネグリジェといずれもファッション性の高いもので、白赤緑の色により椿の木を象徴させたとも言えます。総じて衣装、演出とも大成功だったと言えるのではないでしょうか。最後に第三幕での瀕死のヴィオレッタが一冊の本を手に取るのですが、それを見て「聖書」かな?と思ったのですが、後でプログラムの説明を読むと「マノンレスコー」の本なのだそうです。そう、今回のローマ歌劇場のもう一つの演目の原作(アヴェ・プレヴォ作)の本です。これは椿姫の原作「LA DAMÉ AUX CAMELIAS」によれば、アルマン(オペラではアルフレッド)がマルグリット(オペラのヴィオレッタ)に贈った本であり、1ページ目に以下の様に書いてあったのです。

MANON A MARUGUERITE
HUMILITÉ

Armand Duval

即ち意味は、「マルグリットへ マノンをおくる。 Humilite (※仏語のアクサン記号は略)アルマン デュヴァール」 ここで太字部の意味は「謙虚」であり、英語のHumility に相当する。派手な生活の点で共通するマノンを読ませることにより、謙虚になって欲しいという意味か?
 「マノン」は、椿姫より100年以上も前の本で、日本でいえば今日漱石や鴎外を読む様なもの。椿姫の時代にとっては古典とも言えるでしょう。きっと勉強好きなヴィオレッタは一字一句漏らさず精読したのではないでしょうか。学ぶことに熱心であることは、(この場面はオペラ化されていないのですが、)原作中ピアノを学ぶ場面で分かります。ウェーバーの「Invitation a la danse(舞踏への勧誘)」を何回弾いても同じ部分(le passage en diese)で引っかかってしまいそこが弾けない。アルマンの友人ガストンに弾いてみて欲しいと頼み、再度挑戦するが同じ個所「re.mi,re,do,re,fa,mi,re」に来るとまた立ち往生してしまう。「diese」は♯であり、岩波文庫「椿姫」の注九五によれば、この曲は変記号だから「結局、これはデュマの誤りとしか思われない」と書いてあるが、著者は楽譜を見ながら小説を書いた筈ですから、間違う訳が無いのです。正解は、現在の楽譜では、変ニ長調の曲ですが、当時は嬰記号の楽譜が出回っていたではないでしょうか?即ち嬰ハ長調で書かれていたのでしょう。ご存知の様に変ニ長調と嬰ハ長調は「異名同音」で同一調です。ただ嬰ハ長調では、シャープが7個ついて運指がフラットよりやりずらくなるので、避ける傾向があるようです。確かに「re.mi,re,do,re,fa,mi,re」の七つの音符すべてが♯記号の影響下となり、しかもre mi が十六分音符でタラッタタタタタとなるので椿姫には弾きずらかったのでしょう。「よく夜中の二時ごろまで(練習を)やる」というくらい熱心なのでした。このピアノ好きの椿姫の場面をどこかに演出出来ないものでしょうか。さてこの位にして一つこれは脚本家への要望になってしまうのですが、干しブドウの砂糖漬けのボンボンが大好きである椿姫、マルグリットからヴィオレッタ(スミレ)と名付け直したついでに、「スミレの砂糖漬け(ウィーンのシシイの大好物)」のボンボン好きには出来なかったのでしょうか?随分長くなりました。この辺で終了とします。