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綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

オペラ速報『椿姫』at NNTT

外人歌手(アルフレッド、ジェルモン)実力発揮!ヴィオレッタも中盤からエンジンかかる! 

 

 表記のオペラは新国立劇場オペラ2022年シーズンラインアップの第3弾として上演されたもので、以下に、先ず主催者発表資料に即してその概要を記します。

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◎ジュゼッペ・ヴェルディ(Giuseppe Verdi)作曲『椿姫(La Traviata)』全3幕〈イタリア語上演/日本語及び英語字幕付〉
【公演期間】2022年3月10日~3月21日
【上演時間】約2時間45分(第Ⅰ幕・第Ⅱ幕1場75分 休憩30分 第Ⅱ幕2場・第Ⅲ幕60分)
【Introduction】(主催者発表資料)
パリ社交界に咲いた真実の愛。
屈指の人気を誇る珠玉のオペラ
パリ社交界を舞台に、高級娼婦ヴィオレッタの愛と哀しい運命を描いた人気オペラ。原作はアレクサンドル・デュマ・フィスが高級娼婦マリー・デュプレシをモデルに書いた戯曲『椿の花を持つ女』で、ヴェルディは同時代に生きる女性をヒロインに据え、感情表現に重きを置いた斬新なオペラを誕生させました。ガラ・コンサートの定番楽曲としてお馴染みの「乾杯の歌」をはじめ、悲劇を予兆する前奏曲、ヴィオレッタの超絶技巧のアリア「ああ、そは彼の人か~花から花へ」、ジェルモンの「プロヴァンスの海と陸」など有名な曲が続きます。演出のヴァンサン・ブサールは色彩にこだわる洗練された舞台に定評があり、この『椿姫』(2015年初演)ではその美的センスを発揮すると同時に、鏡を効果的に用いて心象風景を描出し、男性社会で誇り高く生きる女性の姿を印象付けました。

注目のヴィオレッタには、今シーズン12月上演の『蝶々夫人』表題役を圧巻の歌唱・演技で魅せた中村恵理(注)、アルフレードには同役をローマ歌劇場、フェニーチェ歌劇場、フィレンツェ歌劇場などで歌っているテノールの新星マッテオ・デソーレが登場します。

(注)当初予定していたアニタ・ハルティヒの代役です。


【公演日程】
2022年3月10日(木)19:00

2022年3月13日(日)14:00

2022年3月16日(水)14:00

2022年3月19日(土)14:00

2022年3月21日(月・祝)14:00

【鑑賞日時】2022.3.10.(木) 初日

【出演】

ヴィオレッタ:中村恵理
アルフレード:マッテオ・デソーレ
ジェルモン:ゲジム・ミシュケタ
フローラ :加賀ひとみ
ガストン子爵:金山京介
ドゥフォール男爵:成田博之
ドビニー侯爵:与那城 敬
医師グランヴィル:久保田真澄
アンニーナ:森山京子
ジュゼッペ:中川誠宏
使者:千葉裕一
フローラの召使い:上野裕之

【管弦楽】東京交響楽団

【指 揮】アンドリー・ユルケヴィチ

【合 唱】新国立劇場合唱団

【合唱指揮】三澤洋史

【演出・衣裳】ヴァンサン・ブサール
【美 術】ヴァンサン・ルメール
【照 明】グイド・レヴィ
【ムーブメント・ディレクター】 ヘルゲ・レトーニャ康子
【舞台監督】斉藤美穂

<指揮者(AndriyYURKEVYCH)Profile〉
ウクライナ生まれ。1999年にウクライナのリヴィウ音楽大学を卒業し、ポーランド国立歌劇場でヤツェク・カスプシク、イタリア・シエナの音楽院でジェルメッティ、ペーザロでアルベルト・ゼッダのもとで学ぶ。96年からリヴィウ国立オペラ常任指揮者となり、『アイーダ』『ナブッコ』『イル・トロヴァトーレ』『椿姫』『オテロ』『蝶々夫人』『トスカ』『カルメン』やロシア・オペラなどを指揮する。オデッサ・オペラ・バレエ総指揮者、ポーランド国立歌劇場音楽監督、ワルシャワ大劇場音楽監督を歴任、現在、モルドバ国立オペラ・バレエ首席指揮者。ローマ歌劇場には2005年『白鳥の湖』『眠れる森の美女』で登場後、10/11シーズン開幕公演『ファルスタッフ』も指揮した。サンチャゴ市立劇場、サンフランシスコ・オペラ『連隊の娘』、バイエルン州立歌劇場、シュトゥットガルト州立劇場『セビリアの理髪師』、モンテカルロ歌劇場『ランスへの旅』、モネ劇場『運命の力』『ボリス・ゴドゥノフ』、ザンクトガレン歌劇場『スペードの女王』、ギリシャ国立歌劇場『清教徒』、ナポリ・サンカルロ歌劇場『マリア・ストゥアルダ』、ワルシャワ大劇場、バイエルン州立歌劇場、モルドバ国立オペラ『エウゲニ・オネーギン』、ウィーン国立歌劇場、チューリヒ歌劇場、テアトロ・レアル『ロベルト・デヴリュー』、リセウ大劇場『アンナ・ボレーナ』など多くのオペラを指揮している。新国立劇場では19/20シーズン『エウゲニ・オネーギン』を指揮した。ポーランド国立歌劇場音楽監督、ワルシャワ大劇場音楽監督を歴任、現在、モルドバ国立オペラ・バレエ首席指揮者。ローマ歌劇場には2005年『白鳥の湖』『眠れる森の美女』で登場後、10/11シーズン開幕公演『ファルスタッフ』も指揮した。サンチャゴ市立劇場、サンフランシスコ・オペラ『連隊の娘』、バイエルン州立歌劇場、シュトゥットガルト州立劇場『セビリアの理髪師』、モンテカルロ歌劇場『ランスへの旅』、モネ劇場『運命の力』『ボリス・ゴドゥノフ』、ザンクトガレン歌劇場『スペードの女王』、ギリシャ国立歌劇場『清教徒』、ナポリ・サンカルロ歌劇場『マリア・ストゥアルダ』、ワルシャワ大劇場、バイエルン州立歌劇場、モルドバ国立オペラ『エウゲニ・オネーギン』、ウィーン国立歌劇場、チューリヒ歌劇場、テアトロ・レアル『ロベルト・デヴリュー』、リセウ大劇場『アンナ・ボレーナ』など多くのオペラを指揮している。新国立劇場では19/20シーズン『エウゲニ・オネーギン』を指揮した。

【粗筋】


<第1幕>パリ社交界の華である高級娼婦ヴィオレッタは、肺の病で先が長くないことを悟っている。今夜も自宅のサロンでパーティを開催。ガストン子爵が、青年アルフレードを連れてくる。彼は「1年前にあなたを見て以来ずっと恋している」と真摯にヴィオレッタに告白するのだった。ひとりになったヴィオレッタは、今まで経験したことのない、心からの愛の告白に心ときめくが、たかが愛のために享楽的な人生は捨てられない、と我に返る。


<第2幕>アルフレードとの愛を選んだヴィオレッタは、パリ郊外の田舎で彼と静かに暮らしているが、生活費のため全財産を競売にかけようとしていた。それを知ったアルフレードは競売を止めさせようとパリへ向かう。すれ違いでヴィオレッタが帰宅すると、家にはアルフレードの父ジェルモンが。アルフレードの妹の縁談を成立させるため、息子と別れるようジェルモンは頼む。今は彼との愛だけが生きる希望であるヴィオレッタは、はじめ拒むが承諾し、別れの手紙を書いて家を出る。事情を知らないアルフレードは手紙に愕然とし、父が「一緒に故郷に戻ろう」と慰めても聴く耳をもたない。アルフレードは怒りが収まらず、夜会の大勢の客の前でヴィオレッタを罵倒する。彼女は絶望に打ちのめされる。


<第3幕>1ヵ月後。死の床に伏しているヴィオレッタ。そこに、父ジェルモンからすべてを聞いたアルフレードが来て、許しを乞い、パリを離れて一緒に暮らそうと語る。ヴィオレッタは愛する人に囲まれ息絶える。


【上演の模様】

 『椿姫』はオペラ中のオペラで、日本では恐らく一二を争う人気オペラです。知らない人はいないのでは?と思われる程。でもそれは必ずしも正しく理解されていることを意味しません。一例を上げれば、上記主催者【Introduction】にある、デュマ・フィスの書いたタイトルを『椿の花を持つ女』と訳したのは誤りです。フランス語の原題は、 『LA DAME aux CAMÉLIAS』です。ここで「CAMÉLIAS」 は「椿」でOK、しかし「LA DAME」を「女」と訳したのがまずかった。日本語でも「(男)女」の用語は、言葉の裏に性差(オス、メス)を意識した用法です、男風呂、女風呂の様に。英語でも同様(男)女は「(MAN)WOMAN」、若い女の子であれば、GIRLです。これ等に対応するフランス語は「(HOMME) FEMME」で「(MONSIEUR)DAME」はこれらと違って、女性を一種尊敬の念をもって丁寧に言う時の言葉です。英語だと「(GENTLEMAN)LADY」、日本語では「(紳士)婦人」が近いかな。特にフランス語の「DAME」のニュアンスには古くは「奥方、姫君」の意で使われ、今でも気品・教養のある上流婦人に使われる言葉です。例えば《フランス大統領夫人》は《La premie dame de France 》の如く。

 更に『aux』は á+les を 短縮した語で、縮約形といいます。即ち「aux CAMÉLIAS」は、「á les CAMÉLIAS」であって、ここでの CAMÉLIA「椿(の花)」には複数形のでSが付いていて、前置詞 á は縮約形になると アクサン記号がとれて a  になり、複数なので、定冠詞は les になるのです。ここで、avoir(持つ)という動詞が別にあって、その三人称単数の現在形は a となり、紛らわしいので要注意です。あくまで、á は前置詞、auxの意味は、付属・特徴を表す用法で「~を所持する、~をあしらった」として使われ、例えば J'aime le café au lait .  au は á +le の縮約形 、café が男性名詞、単数なので aux  でなく au となります。要するに「牛乳をあしらったコヒー」が好きなのですね。

 従って、LA DAME aux CAMÉLIAS』が「椿の花を持った女」では、余り尊敬もされない女が手に椿の花の枝を手に持っているかの如くなり、真の「椿姫のイメージ」とはかけ離れた姿が想像されてしまいます。翻訳がこうした表現になるのは、椿姫に対する蔑視感が頭の隅にあるからではなかろうかと邪推してしまう。「娼婦」という言葉を臆面もなく使って、何か「売春婦」のイメージを増大させてしまっている。

 例えば、デュマ・フイスは第16章の四分の三くらい物語が進んだ箇処で、次の様な表現をしています。

《La courtisane y disparaissant peu a pue》  

 この箇所を岩波文庫の訳者吉村氏は ❝娼婦の面影が次第次第に消えて行きました❞ と courtisane を「娼婦」と翻訳しています。しかしフランス語では「娼婦」は「prostituee(売春婦)」とか、「putain(娼婦、淫売)」が良く使われます。 courtisane (クルティザンヌ)という語は歴史のある言葉で、詳細は割愛しますが、フランソワー1世の時代以降、宮廷で王に愛された愛妾を指すようになり、アンリ2世にはデュアヌ・ド・ポアチェ、ルイ15世にはポンパドール夫人、その後デュ・バリエ夫人等頭脳明晰、容姿端麗、教養もある夫人が王妃にはなれないまでも王の寵愛を独占したのです。「高級娼婦」と訳す人もいますが適訳とは言えない、そのままの「クルティザンヌ」の方がいいと思います。フランス革命後は王政が廃止、復活した時期もありますが、「クルティザンヌ」的存在は消えて(デュ・バリエ夫人などギロチン送りですから)しまいました。しかしその影響は残り、ナポレオン三世時代に、富裕上流階級(軍人、生き残っていた貴族、成功大商人erc.)によりクルティザンヌ的女性をお目当てにした享楽的生活が、パリ社交界に広がるのです。デュマ・フィスが『椿姫』を書いたのも、こうした時代背景があったのです。従ってオペラのヴィオレッタ(物語では、マルグリット・ゴーチェ)も上記の三拍子揃った女性なのです。彼女を歌舞伎町の「風俗嬢」を見る様な差別の目で見ることは止めて貰いたいと思います。

 さて前置きが長くなりましたが、舞台の様子に移りますと、印象的なポイントは次の様でした。(尚、「椿姫」に関しては、これまで多くを観ていますが、最近では昨年10月のサントリーHでの公演が印象的なので、その時の記録を参考まで、文末に再掲しました。【粗筋】に関しても、その時の記載の方が、今回の上記新国立劇場発表のものよりずっと分かり易いので参考になります。また過去にヴィオレッタを歌った名歌手に関しての雑感もついでに文末に再掲して置きました) 

 

東響の序曲が流れ始めました。弦のアンサンブルが、束ねた絹糸の様に透き通って長くのびていきます。中々上等な滑り出し。

幕が上がって舞台を見ると随分多くの客が、パーティに集まっています。普段の倍はいるのでは?その大合唱は、迫力がありました。

舞台の真ん中には、ピアノが置いてあって

ヴィオレッタがその上にいます。またピアノの上に何かあるので、よく見るとシャンパンタワーでした。人々はグラスを受け取り互いに見つめたり体を動かして歩き回りながらうたうのでした。   

〇ヴィオレッタ:中村恵理さん

①-1「乾杯の歌」

立ち上がりのせいなのか、今一つ声に力が無く伸びない、精彩に欠きました。

①-2第3場「ある日、幸運にも」

この辺りに来てもまだ主役と言うには程遠い歌唱でした。

①-3第3場「私を避けて下さい」

①-4第5場「ああ、そは彼の人~花から花へ」

この辺りは、一幕のヴィオレッタの腕の見せどころなのですが、中村さんは、立ち上がりよりは、少し良くなった気配は感じられましたが、活躍というには程遠かった。

①-5第5場「馬鹿な!馬鹿な!」

これも、ヴィオレッタが心ならずもアルフレッドに惹かれていく、葛藤がよく現れている場ですが、上手く表現していたとは言えません。従ってここまで、歌の合間の拍手は殆ど湧き起こりませんでした。

②-5「堕ちた女には~」

第二幕に入って、俄然中村さんが力を発揮してきた感がありました。中々声量も出てホールに響き、聴いていてヴィオレッタらしさを感じてきました。

ジェルモンとの二重唱

③-1第4場「過ぎし日よ、さようなら

③-2第6場「パリを離れて」二重唱

この二重唱は、いつも涙なしには聴けない処ですが、中村さんもしんみりと感情を込めて歌っていました。二重◎ですね。またここで初登場のジェルモン役 ゲジム・ミシュケタが、とてもいいバリトンを披露したのです。

 

〇アルフレード:マッテオ・デソーレ
②-1第1場「燃える心を」

中村ヴィオレッタ同様、声量も出ず上手さの片鱗は感じるのですが、決して誉められた立ち上がりではありません。

②-2第3場「自責の念」

ハイCは出るかと思って注目して聴いていました。出ることは出たのですが、余りにも短い、続かない、その前のフレーズは、随分早めに声を止めて、何秒か出す準備をして、それからやっと高音の短い声を出してすぐ終わった感じです。明らかに経験不足。

②-4第8場「プロヴァンスの海と陸」

この歌はオペラでなくとも、演奏会でもよく歌われる有名な曲なので、さすがにいい出来栄えといった詠唱でした。

〇ジェルモン:ゲジム・ミシュケタ

③-2第6場「パリを離れて」二重唱

 上記ヴィオレッタの項と同じ。とてもいい感じに歌っていました。

②-3第5場「天使のように清らかな娘を

ここも益々好調なバリトンで説得力のある歌い振りでした。

〇フローラ:加賀ひとみ

第二幕、ヴィオレッタがアルフレッドの父親、ジェルモンに説得されてパリの戻り、アルフレッドは失恋したと思い込んでやけっぱちにフローラの館でのパーティに出てぱったり出くわす二人。フローラは歌う機会はそう多くありませんが、ここでは豪華な衣装で身を包み結構存在感のある歌を歌っていました。

〇ガストン子爵:金山京介

〇ドゥフォール男爵:成田博之

〇ドビニー侯爵:与那城 敬
これ等貴族階級の配役も、パーティで威厳ある風貌できちっと自分の個性を出して歌っていたと思います。いつでも主役を張れる歌手だと思いました。

〇医師グランヴィル:久保田真澄                         ヴィオレッタの死に立ち会う僧侶役も兼ねているのかと思う程峻厳なふるまいと歌い振りでした。

〇アンニーナ:森山京子                            女性歌手では、ヴィオレッタの次に出番と歌唱を披露する機会が多い配役ですが、少し控え目な歌唱と演技がいぶし銀の背景の様に前面のヴィオレッタをクローズアップしていました。

その他

〇ジュゼッペ:中川誠宏
〇使者:千葉裕一                                             〇フローラの召使い:上野裕之

ほんの短い場面の登場なので良し悪しは言えませんが、今後別なオペラでじっくり聞く機会があることでしょう。その時を楽しみにします。

 以上歌手の歌う模様を概観しましたが、中村さんは、一幕の感情を高ぶった喜々とした場面の歌よりも、二幕や三幕での様な悲しい寂しいしんみりした歌が得意なのでしょうか?いやそんなことはないと思います。多くの歌手がそうであるように、多分エンジンがかかるまでやや時間を要するのでしょうね。ストバリだって弾いていい音色で答えて呉れるには何年もかかると言うではないですか。人間の声という楽器も初めから簡単に良く鳴ってくれるものではないのでしょう。

 アルフレッド役のマッテオ・デソーレは新国劇の資料に、❝新星❞と書いてありましたが、まさに力がある歌手と思えます。唯まだ経験不足なのか、部分的に声が良くコントロールされていないきらいがあり、また呼吸法(息継ぎ)に課題が残ると思いました。伸びしろのあるさらに大きくなれる可能性を感じました。

 ジェルモン役のゲジム・ミシュケタは成熟した自分の型を持っているバリトンでした。ある意味で、一幕の低調さを彼が救ってくれたと言っても過言でないと思います。

 何れにせよ初日は皆さん喉馴らし上演とも言えます。二日目、第三日と上演回数が進むにつれて、さらに良い歌唱をきっと披露してくれることでしょう。

 ここの処少し考えてみると、新国立劇場オペラ(大野和士監督)の最近の出演歌手設定傾向は、当初外国人歌手出演予定で発表し、それに見合った金額のチケット設定をしている様です。コロナ禍での中ですから、買う方も中止になるかも知れない、どうなるか分からない公演を買うのは、相当リスクがあります。でも聴きたい気持ちが先に立ち買わざるを得ないのが現状だと思います。ところが、ここ最近の傾向は以下にリストアップした通り、指揮者や主な出演歌手が変更になるケースが発生しています。変更が多過ぎる。(前もって変更に伴う払い戻しはしないと発表しています)コロナ禍中だからと安易に考えている節があります。代役キャストはうまくいく場合もありますが、たいていは満足いかないケースが多い。ところが、『チェネレントラ』や『蝶々夫人』は当初から日本人をタイトルロールに当てていてうまくいっているのです。つまり最初から国内にゴロゴロいる日本人歌手を起用すれば、何ら問題ないはずなのですが、国立劇場はそうはしない。何故そうしないのでしょう?特にタイトルロールをこなせる歌手がいない?そんなことないでしょう。チケット価格を高く設定できない?そんなことないでしょう?聴衆が価値に見合っていると判断すればチケットは売れますよ。大幅変更も公演日まじかならまだしも今回の椿姫等50日も前の変更です。これは出国規制や入国規制の問題とは言えません。最初の交渉、契約がいい加減だった、或いは外国歌手側に来れない特殊事情が突発したとしか考えられません。その50日の間、新国立劇場は海外歌手の代役を探さなかったのでしょうか?
 文末に再掲したサントリーホールの『椿姫』の場合、チケット購入した我々は、コロナで中止になるのでは?と心配していましたが、実現しました。サントリーホールスタッフの並々ならぬ努力があったとききます。サントリーホールはこのほかコロナ禍でもウィーンフィル公演も二年続けて実現させていますし、また今年の春の『東京春音楽祭』事務局も、予定通り初っ鼻公演の「ムーティ指揮」は予定通りやると発表しています。何故こんなに結果が違うのか分からない。民間企業と国立企業の違いだけではないでしょう。昔は何かにつけ言い訳がましく、“国関係はお役所仕事だから”と揶揄された時もありましたが、今はそういう時代ではない筈です。

※『椿姫』チケット申し込み12月下旬、タイトルロール変更翌年1/27 

※今年1月下旬からの『さまよえるオランダ人』 9月下旬申し込み 変更公告 翌年1/5

※今年2月上旬の『愛の妙薬』のキャスト大幅変更発表は1/18

※昨年10月初めの『チェネレントラ』のタイトルロールは最初から脇園さん

※昨年12月上旬に行われた『蝶々夫人』のタイトルロールは今回のタイトルロールと同じく変更なしの中村恵理さん

 

 最後に管弦楽は他でも良く聴く東京交響楽団でした。二管編成12型(12-10-10-6-4か?ピットの中が良く見えません)、様々な演奏会で鍛えられているだけあって、恐らく初めてと思われる指揮者(アンドリー・ユルケヴィチ)の指導も容易に飲み込んでいるといった演奏でした。高音弦楽アンサンブルや管の響きが澄んでいて、特にObのソロは歌を引き立てていました。又いつも感心するのは、トライアングル等の小打楽器、今回はタンブリンも参加です。小さい音ながら拍子を取って、❝ピリッと山椒は小さく辛い❞、まさに小さい巨人ですね。

 それから触れておかねばならないのは、舞台演出です。ヴィオレッタの大好きなピアノを舞台に置いてその上に乗ったりして歌うことは新国劇椿姫の定番になりかかっています。今回、一幕と二、三幕のピアノが違って見えたのですが?前者は割と大きいピアノ、後者はチェンバロの様な少し小振りのピアノに。そんなことないかな?ついでにヴィオレッタにピアノを弾いて貰いたい気もしました。

 

 

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2021-10-07

ホールオペラ速報『La traviata』at サントリーH

《One Word 速報》

~主役三本柱が、凄い歌い振り!!~

⚪ズザンナ・マルコヴァ(ヴィオレッタ)

快調!特に広い声域どこでも素晴らしい。

⚪フランチェスコ・デムーロ(アルフレッド)

油の乗ったテノール!特に第二幕3場の最後の最高音もハイレベルで長く伸ばして歌い凄い迫力。

⚪アルトゥール・ルチンスキー(ジェルモン)

舞台を引き締めた大きな低音の響き、高音もズッシリ!この様な存在感の凄いジェルモンは久し振り。

  詳細は、【上演の模様】に記します。

 

 表記のオペラは狭いサントリーホールで上演するというので、最初演奏会形式かなと思ったのですが、どうも演技の舞台を設置して純オペラとして行うらしいのです。いつも器楽演奏かオペラ以外の歌のコンサートしか聞いたことないので興味半分で、また演目が「椿姫」というので、これは大興味をもって聴きに行くことにしました。

【日時】2021.10.7(木).18:30~

【会場】サントリーホール

【管弦楽】東京交響楽団

【指揮】ニコラ・ルイゾティ

【合唱】サントリーホール・アカデミー&新国立合唱団

【合唱指揮】

【演出】田口道子

【曲目】
ヴェルディ『ラ・トラヴィアータ(椿姫)』

全三幕/イタリア語上演・日本語字幕付)
Giuseppe Verdi: La traviata

 (Opera in 3 Acts / Sung in Italian with Japanese surtitles)

【出演】

ヴィオレッタ:ズザンナ・マルコヴァ
アルフレッド:フランチェスコ・デムーロ
ジェルモン:アルトゥール・ルチンスキー
フローラ:林眞暎
アンニーナ:三戸はるな
ガストン子爵:高柳圭(代役)
ドゥフォール男爵:宮城島康
ドビニー侯爵:的場正剛
医師グランヴィル:五島真澄

【主出演他略歴】

ヴィオレッタ:ズザンナ・マルコヴァ(ソプラノ)

チェコ、プラハ生まれのコロラトゥーラ・ソプラノ。プラハ音楽院で声楽、ピアノ、指揮を学んだ後、ボローニャのオペラ研修所で研鑽を積む。2003年頃からチェコの声楽コンクールで優勝するなど頭角を現し始め、16歳で早くもチェコのモラヴィア・シレジア国立劇場にソリストとしてデビュー。その後、チューリヒ歌劇場、ボリショイ歌劇場、パレルモ・マッシモ歌劇場、メトロポリタン歌劇場、マルセイユ歌劇場、ボローニャ市立劇場などにプリマドンナとして登場。今、世界中の歌劇場で引っ張りだこのディーヴァである。ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』、ベッリーニ『清教徒』、『夢遊病の女』などベルカント・オペラを得意としているが、なかでも『ラ・トラヴィアータ』のヴィオレッタは「当たり役」として各地で高い評価を得ている。また、シャリーノ『アスペルン』、ヘンツェ『若い恋人たちへのエレジー』、トマス・アデスの室内オペラ『パウダー・ハー・フェイス』、マルコ・トゥティーノ『Senso』などの現代オペラのプロダクションにも起用されている。

 

アルフレッド:フランチェスコ・デムーロ(テノール)

イタリアのサルデーニャ島出身。2007年、パルマでの『ルイザ・ミラー』のオペラデビューで、評論家、聴衆から熱狂的な称賛を受け、国内外の歌劇場でのキャリアをスタート。パヴァロッティを彷彿とさせる、イタリア的ブリリアントな声とその情熱的な歌唱で、とりわけ『リゴレット』『シモン・ボッカネグラ』『愛の妙薬』『ラ・ボエーム』などヴェルディ、プッチーニを中心としたレパートリーには定評がある。その活躍は、アレーナ・ディ・ヴェローナ、ロイヤル・オペラ・ハウス、ベルリン国立歌劇場、メトロポリタン・オペラ、オペラ・バスティーユ、ウィーン国立歌劇場、テアトロ・レアルなど世界中にわたっている。サントリーホールでは、10年ホール・オペラ®『コジ・ファン・トゥッテ』フェルランド役で大成功を収め、11年「オペラ・ガラ」、13年には東日本大震災追悼公演ヴェルディ『レクイエム』に出演。

 

ジェルモン:アルトゥール・ルチンスキー(バリトン)

ポーランド、ワルシャワ出身。2002年ポーランド国立歌劇場の『エフゲニー・オネーギン』タイトルロールでのデビューが、ゲルギエフの目にとまる。その後、10年にバレンボイムの招きでのベルリン国立歌劇場デビューをきっかけに、ブレゲンツ音楽祭、ハンブルク州立歌劇場、アレーナ・ディ・ヴェローナなど世界中の名だたる歌劇場や音楽祭が次々とオファー。12年にはイギリス、アメリカでもデビュー。14年には、フェニーチェ歌劇場、ペトレンコとのバイエルン州立歌劇場でのプロダクション、ロイヤル・オペラ・ハウス、ザルツブルク音楽祭、そしてミラノ・スカラ座デビューと続いた。最近では、オペラ・バスティーユでの『ドン・ジョヴァンニ』タイトルロール、メトロポリタン・オペラでの『蝶々夫人』シャープレス役、16/17シーズンの新国立歌劇場での『ランメルモールのルチア』エンリーコ役が記憶に新しい。オペラのスケジュールをぬって、ヘンデル『メサイア』、ペンデレツキ『ルカ受難曲』などコンサートへも頻繁に出演している。

 

指揮:ニコラ・ルイゾッティ

イタリア、ヴィアレッジョ出身。イタリア音楽を色濃く表現できる指揮者として、特にヴェルディとプッチーニの指揮には定評があり、ウィーン国立歌劇場、ミラノ・スカラ座、ボローニャ歌劇場、メトロポリタン・オペラ、バイエルン州立歌劇場など世界中の歌劇場で高い評価を受けている。特にサンフランシスコ・オペラとの関わりは深く、2005年にデビューした後、09年から18年まで音楽監督を務め、その間ドイツ・オペラも含め40演目以上のオペラを指揮してきた。18年にはその功績により同劇場より芸術褒章を授章。現在は、テアトロ・レアルの首席客演指揮者を務める。オーケストラとのコンサートも数多く行っており、フィラデルフィア管、クリーヴランド管、フィルハーモニア管、ローマ・サンタ・チェチーリア国立管、マドリード響、パリ管、ベルリン・フィルなどと共演。サントリーホールのホール・オペラ®では、04年から10年まで毎年指揮を務め、ホール・オペラ®の音楽上の支柱となった。08~10年のモーツァルト「ダ・ポンテ3部作」プロダクションでは、チェンバロやハンマークラヴィーアの弾き振りを行い、多才ぶりを魅せた。

演出:田口道子

国立音楽大学声楽科およびミラノ・ヴェルディ音楽院卒業。メゾ・ソプラノ歌手として活動するとともに演出助手として世界各地の歌劇場で経験を積む。以後、再演演出家としてミラノ・スカラ座、ヴェローナ野外劇場、フィレンツェ五月音楽祭などイタリア各地のほかヴァレンシア、テル・アヴィヴでも活躍、新国立劇場では『トスカ』『トロヴァトーレ』『リゴレット』の再演演出を手掛ける。近年は演出家として活動し、サントリーホール オペラ・アカデミー公演では『セビリャの理髪師』『コジ・ファン・トゥッテ』『愛の妙薬』『ラ・ボエーム』『フィガロの結婚』を演出。訳書に『リッカルド・ムーティ自伝:はじめに音楽 それから言葉』『リッカルド・ムーティ、イタリアの心 ヴェルディを語る』。字幕翻訳も多数。

 

【全三幕粗筋】

第一幕

ヴィオレッタの住む屋敷。今夜も賑やかなパーティーが開かれており、女主人は来客をもてなしている。そこへアルフレードがガストン子爵の紹介でやってきてヴィオレッタに紹介される。歌を1曲歌うよう勧められた彼はいったん辞退するが皆の再度の勧めでグラスを片手に準備をする。一同の沈黙と緊張のなかアルフレッドは情熱を込めて歌い、ヴィオレッタが加わってデュエットになる。さらに皆が加わって華やかに歌い上げる(②「乾杯の歌」)。

別室から、ヴィオレッタが用意した舞踏会の音楽が聞こえてくる。皆で行こうとすると、ヴィオレッタがめまいをおこして椅子に座り込む。何でもないからと一人部屋に残った彼女の所にアルフレッドが来る。アルフレッドはヴィオレッタに、こんな生活をしていてはいけないといい、1年前からあなたを好きだったと告白する(③-1「ある日、幸運にも」)。ヴィオレッタは最初は軽くあしらう(③-2「私を避けて下さい」)が、彼の真剣さに少し心を動かされる。ヴィオレッタは椿の花を渡して再会を約し、「この花がしおれるころに」という。有頂天になるアルフレッドに「もう一度愛しているといってくれますか」とヴィオレッタが尋ねると、「はい、何度でも!」と彼は応ずる。

アルフレッドに続き来客が去って一人になったヴィオレッタは物想いにふける。「不思議だわ」(作品を通じ、彼女はこの言葉を各幕で1回、計3回繰り返す)と純情な青年の求愛に心ときめかせている自分の心境をいぶかる。そして、彼こそ今まで待ち望んできた真実の恋の相手ではないかと考える(⑤「ああ、そは彼の人~花から花へ」)。しかし、現実に引き戻された彼女は「そんな馬鹿なことをいってはいけない。自分は今の生活から抜け出せる訳が無い。享楽的な人生を楽しむのよ」と自分に言い聞かせる。彼女の中でアルフレッドとの恋愛を肯定するもう一人の自分との葛藤に、千々に乱れる心を表す、コロラテュール唱法を駆使した華やかな曲で幕切れとなる。

 

第二幕

<パリ郊外のヴィオレッタの屋敷>

二人の出会いから数か月が経った。ヴィオレッタは貴族のパトロンとの華やかな生活を捨て、この家でアルフレッドと静かに暮らすことを選んだのである。彼女との生活の幸福を語るアルフレッド(①「燃える心を」)は、丁度帰宅した召使いから、この家での生活費のためにヴィオレッタが彼女の財産を売却していたことを聞き、気付かなかった自分を恥じるとともに売ったものを取り戻そうとパリに向かう。ここで歌う②「自責の念が」は、一つの山場です。

そこへヴィオレッタが登場し、彼のパリ行きを聞き(理由は知らない)、いぶかる(2度目の「不思議ね」)。そこにアルフレッドの父親ジョルジョ・ジェルモンが突如来訪する。驚きながらも礼儀正しく迎える彼女に、あたりを見回し「息子をたぶらかして、ずいぶんと贅沢な暮らしをしていますな」といきなりなじったため、ヴィオレッタは「私の家で女の私に失礼なことを言わないでください」と毅然と応じ、たじたじとなるジェルモンに秘密を打ち開ける。彼女が自分の財産を息子との生活のために手放しつつあることを知ったジェルモンは非礼を詫びる。アルフレッドをどんなにか愛しているかと理由を説明する彼女に対し、ジェルモンは本題を切り出す。息子と別れてくれというのである。駄目ですと即座に断るヴィオレッタに、彼はアルフレッドの妹の縁談に差し支えるから、助けて欲しいと迫る(③「天使のように清らかな娘」)。ついに要求を受け入れ、彼女は身を引くことを決心する(「お嬢様にお伝え下さい」)。しかし単に家を去ってもアルフレッドは追いかけてくるだろう。方法は任せて下さいと請合うヴィオレッタに礼を言って、父ジェルモンはいったん去る。

一人になったヴィオレッタは一計を案じ、アルフレッドに手紙を書く。彼女はアルフレッドと別れて元のパトロンとの生活に戻る、という偽りのメッセージを送ろうとしたのである。そこへアルフレッドが帰宅する。彼は父が訪ねていくという手紙を見て、すでに父が来たとは知らずに、ヴィオレッタに大丈夫だなどという。ヴィオレッタは、アルフレッドの父が来るなら席を外して庭にいると言いその場を去る。別れ際に彼女は「アルフレッド、いつまでも愛しているわ、あなたも私と同じだけ愛して。さようなら」と第1幕の前奏曲の後半の旋律で歌う。アルフレッドは彼女の様子を不審に思うが、父親が来ることに動揺しているのだと思い込む。アンニーナが登場し、ヴィオレッタが急遽出かけたこと、手紙を預かったことを告げる。不安にかられつつ手紙を読み、アルフレッドは自分が裏切られたと思い込んで激怒する。そこに父ジェルモンが再登場して、息子を慰め、故郷のプロヴァンスに帰ろうとなだめる(「プロヴァンスの海と陸」)。しかし息子は自分の受けた恥辱を濯ぐのだといい、パリに向かう。

 

<パリ市内のフローラの屋敷>
相変わらず貴族と愛人たちが戯れあう日々である。丁度仮面舞踏会が開かれている。フローラとドビニー侯爵、グランヴィル医師らは、アルフレッドとヴィオレッタが別れたという噂話をしている。ジプシーの占い師やマタドールなどの仮装の後、アルフレッドが登場、彼らはカードの賭けを始める。そこにドゥフォール男爵にエスコートされたヴィオレッタが登場、ドゥフォールはアルフレッドを避けるようヴィオレッタに指示する。アルフレッドはつきまくり、ヴィオレッタへの皮肉を言う。それに激高したドゥフォールも賭けに参加するが、ドゥフォールはアルフレッドに大負けする。そこに夕食の準備ができ、一同退場する。アルフレッドとドゥフォールも後ほどの再戦を約束して退場する。アルフレッドの身を案じたヴィオレッタは彼を呼び出し、自分のことなど忘れ、逃げて欲しいと訴える。それに対してアルフレッドは復縁を迫るが、ジェルモンとの約束で真意を言えないヴィオレッタはドゥフォールを愛していると言ってしまう。それに激高したアルフレッドは皆を呼び出し、これで借りは返したと叫んで先程賭けで得た札束をヴィオレッタに投げ付ける。自分の真意が伝わらず、皆の面前で侮辱された彼女は気を失う。一同がアルフレッドを非難しているところに父ジェルモンが現れ、息子の行動を諌める。自分のやったことを恥じるアルフレッドと、真相を言えない父ジェルモンの独白、アルフレッドを思いやるヴィオレッタの独白、ヴィオレッタを思いやる皆の心境をうたい、ドゥフォールはアルフレッドに決闘を申し込んで第2幕を終わる。

 

第三幕

<パリのヴィオレッタの屋敷>

数か月が経った。アルフレッドは男爵と決闘して勝ち、男爵は傷ついたが快方に向かっている。国外に出たアルフレッドに父親は手紙を書いて、ヴィオレッタとの約束を告白し、交際を許すことを伝えてヴィオレッタの元にもどるよう促しており、そのことをヴィオレッタにも手紙を書いていた。しかし、皮肉なことにヴィオレッタの生命は尽きかけていた。持病の肺結核が進行していたのである。

幕が上がると、ヴィオレッタがベッドに寝ている。彼女はアルフレッドの帰りを今か今かと待ちわびている。何度となく読んだジョルジョからの手紙をもう一度読む(ここは歌わずにほとんど朗読する)。読み終わった彼女は一言「もう遅いわ!」と叫び、過ぎた日を思って歌う(「過ぎし日よ、さようなら」)。「ああ、もう全ておしまい」と絶望的に歌い終わると、外でカーニバルの行進の歌声が聴こえる。

医師がやってきてヴィオレッタを診察し励ますが、アンニーナにはもう長くないことを告げる。そこにとうとうアルフレッドが戻ってくる。再会を喜ぶ二人は、パリを出て田舎で二人楽しく暮らそうと語り会う(「パリを離れて」)。しかし、死期の迫ったヴィオレッタは倒れ臥す。あなたに会えた今、死にたくないとヴィオレッタは神に訴える。そこに医師や父ジェルモンが現れるが、どうすることもできない。ヴィオレッタはアルフレッドに自分の肖像を託し、いつか良い女性が現れてあなたに恋したらこれを渡して欲しいと頼む。彼女は「不思議だわ、新しい力がわいてくるよう」といいながらこと切れ、一同が泣き伏す中で幕となる。

 

【上演の模様】

 先ず「ホールオペラ」という言葉が余り聞き慣れないので、前もって調べました。「ホールオペラ」をググルと、ヒットしたほとんどが今回のサントリーホールの演奏会関連で、一件だけ❝歌劇場ではない通常の劇場やコンサートホールの中にも、舞台または客席の一部の床を低くしてオーケストラピットを設けてオペラに使用することが可能なように作られているものもある。❞と出てきました。サントリーホールに問い合わせると❝オーケストラは舞台上に14型で配置し、その後部客席(所謂P席)に演技用の舞台をしつらえて、そこで歌手たちが歌う❞ということの様です。要するにオペラ用に出来ていないサントリーホールが何とかオペラを上演したいという苦肉の策と思われます。よって「ホールオペラ」はサントリホールのオペラ的上演を指す特殊用語でした。しかも「ホールオペラ」の後ろには、Ⓡマークが付いているので、商標登録した用語の様です。サントリーホールに無許可では、使えない。道理で、多の劇場では使われない訳です。十年前くらいまではサントリーホールで何回か上演された様ですがその後行われなかったのは、不人気もあったからなのでしょうか?

 

さて演奏・演技の様子は?

第一幕

 しっとりと静かに前奏曲が流れる中、幕が開いて場面は華やかな宴会会場に移る処は、ギャップが大きい様に思えないこともないですが、これはヴェルディが冒頭、オペラの暗と明を対比させ先行きを暗示させた、優れて象徴的な表現だと思いました。                                              

①「乾杯の歌」                         

アルフレッド役のデムーロは宴会場の挨拶の第一声で素敵のテノールの片鱗を披露した後、ガストンがヴィオレッタに、アルフレッドがヴィオレッタの病気のことを気にかけていたことを伝えます。ヴィオレッタは好意を抱いたのか、“私がエベの女神の代わりを務めましょう(Sarò l'Ebe che versa)(hukkats注1)”と、お酒をアルフレッドのグラスに注ぐのでした。皆から歌を求められたアルフレッドは最初のアリアを歌うのです。デムーロは、声量も声質も申し分ない歌声で、素晴らしく華やかに歌いました。続くヴィオレッタ役のマルコヴァの第一声は、アルフレッドに負けず劣らず華やかさに加え艶やかな声で、人口に膾炙したこの歌を完璧に歌い切りました。メロディは同じ乾杯の歌でも、二人の歌詞の内容は異なっています。アルフレッドは‘愛の盃’を歌いあげ、ヴィオレッタは‘楽しもう’と歌い、さらに全員で乾杯と歌を楽しもうと歌うこの場面は、最初から派手で華やかな貴族(に支えられた)社会の側面を見せつけました。

 

(hukkats注1)                               

「エベ(Ebe)の女神」とは、ゼウスとヘラの娘で永遠の若さの象徴。仏語表示だとHebe。ショーソンが幻想的な歌曲『エベ - フリギア旋法によるギリシャの歌』を残している。                                  

‟眼を伏せ、顔を赤らめて初々しく祝宴へとエベは向かった。神々は魅せられ、空の杯を差しのべると神酒を幼いエベは杯に注いだ。(Les yeux baissés, rougissante et candide, Vers leur banquet quand Hébé s'avançait. Les Dieux charmés tendaient leur coupe vide, Et de nectar l'enfant la remplissait.)”                 

 

③-1第3場「ある日、幸運にも」                      宴もたけなわ、皆で踊ろうとなった時にヴィオレッタは体調不良で、気分が悪くなりアルフレッドを除く全員が退場。一年前からヴィオレッタを思っていることを朗々と歌い上げるアルフレッドでした。 

❝ある日、幸運にも、私の前に稲光のごとく現れたのです。あの日以来私は震えながら、未知の愛に生きてきたのです。その愛はときめき、全宇宙の鼓動、神秘的にして気高く、心に苦しみと喜びをもたらす。(Un dì, felice, eterea,Mi balenaste innante,E da quel dì tremante Vissi d'ignoto amor. Di quell'amor ch'è palpito Dell'universo intero, Misterioso, altero, Croce e delizia al cor.)❞

 ここでのアリアをデムーロは切々と歌い上げました。特に“~amor”を精一杯引き伸ばし、息継ぎなしで次の “Di quell’amor ch’e palpito”niに移った歌唱は見事でした。                                      

③-2第3場「私を避けて下さい」     

    アルフレッドのアリアに対しすぐに反応したヴィオレッタは歌い返します。  ❝それならば私を避けてください。貴方には友情のみを差し上げます。私は愛を知りませんし、そのような尊い愛を受けることは出来ません。正直に申し上げます。他の人をお探しください。そうすれば、私を忘れることは難しくはないでしょう。(Ah, se ciò è ver, fuggitemi Solo amistade io v'offro: Amar non so, né soffro Un così eroico amor. Io sono franca, ingenua; Altra cercar dovete; Non arduo troverete Dimenticarmi allor.)❞

  二人は二重唱で自分の考えを同じ言葉で互いに繰り返すのでした。

 マルゴヴァは軽快な歯切れの良い歌で、すかさずアルフレッドを説得するのです。ここではヴィオレッタは、アルフレッドの真剣な愛の告白に対して、当初 “お戯れを!御冗談を!”といった受け止めだったものが、次第にこれは本物かな?でも困ったな?といった気持ちが頭をもたげて来るのでした。

 帰ろうとするアルフレッドに白い椿の花を渡し(hukkats注2)、再会を約す二人は互いに気持ちが高ぶって歌い交わすのでした。ここでデムーロとマルコヴァは、もう愛し合っているカップルそのもので、素晴らしい歌声の持ち主二人の饗宴の場とも言える程でした。                              

(hukkats注2)                           

ここでの椿の花はヴィオレッタが胸に挿していたものを、アルフレッドに渡すと歌うが、デュマ・フィスの原文では、第10章に「Parce que,dit Marguerite en se degeant de mes baras et en pregnant dans un gros bouquet de camellias rouges apporte le matain un camelia qu’elle passa a ma boutonniere,pace qu’onne peut pas toujours exe cuter le traits le jour ou on les signe.(アクサン記号略)」とあり、朝に届けられた赤い椿の大きいブーケから一本を抜いて、マルグリット(オペラのヴィオレッタ)はアルマン(オペラのアルフレッド)のボタンの穴に刺したことになっている。

 ここの表現は非常に含蓄のある個所で、赤椿はいわば赤信号(白椿は青信号)で今日はダメという意味。その後のやり取りは、焦るアルフレッドが「それではいつ?」と訊く回答として「色が変わった時に」「いつ変わるか?」「明日」となっていて、オペラの台本で「(椿が)枯れた時に」としたのは、原本の理解不足。枯れるには何日もかかるし、第一枯れたら色は褪せれど白には変わらず。しかも台本では「明日に」とアルフレッドの言としているが、これはヴィオレッタのみが回答出来る秘匿事項である。要するにストップ信号の赤色からGO信号の白椿を提示出来るのが明日だという事。オペラで白椿を渡したのでは、ヴィオレッタの意図が全然逆になってしまう。                                            

 一人になったヴィオレッタは、今日会ったアルフレッドとその言動を思い返しながら、心は千々に乱れるのでした。

⑤-1第5場「ああ、そは彼の人か」                       ❝ああ、きっと彼の人だったのよ、喧騒の中でも孤独な私の魂が、神秘的な絵の具で思い描いていたのは!彼は慎み深い態度で病める私を見舞ってくれて、新たな情熱を燃やし、私を愛に目覚めさせたんだわ。その愛はときめき、全宇宙の鼓動、神秘的にして気高く、心に苦しみと喜びをもたらす。無垢な娘だった私に、不安な望みを描いてくれたの、とても優しい将来のご主人様は。空にこの人の美しさが放つ光を見たとき、私の全てはあの神聖な過ちでいっぱいでした。私は感じていたのです、愛こそが全宇宙の鼓動であり、神秘的にして気高く、心に苦しみと喜びをもたらすと!(Ah, fors'è lui che l'anima Solinga ne' tumulti Godea sovente pingere De' suoi colori occulti! Lui che modesto e vigile All'egre soglie ascese, E nuova febbre accese, Destandomi all'amor. A quell'amor ch'è palpito
Dell'universo intero, Misterioso, altero, Croce e delizia al cor. A me fanciulla, un candido E trepido desire Questi effigiò dolcissimo Signor dell'avvenire, Quando ne' cieli il raggio Di sua beltà vedea, E tutta me pascea i quel divino error. Sentìa che amore è palpito Dell'universo intero, Misterioso, altero, Croce e delizia al cor!)❞

    次第に自分がアルフレッドを愛していることに気が付くヴィオレッタは、新たな希望を持ち始め、アルフレッドの一図の愛に応えるべく、それを理想化し、彼こそが夢に追い求めていた彼氏だと考えるのです。マルコヴァは気持ちのこもった しかも表現力に溢れた   歌いぶりで、第一楽章の山場を一気に駆け抜けたのでした。

 ⑤-2第5場「馬鹿な考え~花から花へ」

    しかしヴィオレッタの心には再び疑念がわき、そんな理想の愛など自分の立場ではあり得ないと悲観的になって歌うのです。外からは家に帰り切れないアルフレッドが合わせて歌う声が時々聞こえます。

 ❝馬鹿な考え!これは虚しい夢なのよ!哀れな女、ただ一人見捨てられた女、人々がパリと呼ぶ、人の砂漠の中に。今更何を望めばいいの?何をすればいいの?楽しむのよ、喜びの渦の中で消えていくのよ。私はいつも自由に、快楽から快楽へと遊べばいいの、私が人生に望むのは、快楽の道を歩み行くこと、夜明けも日暮れも関係ない、華やかな場所で楽しくして、いつも快楽を求め、私の思いは飛び行かなければならないの。(Follie! follie delirio vano è questo! Povera donna, sola Abbandonata in questo Popoloso deserto
Che appellano Parigi,Che spero or più? Che far degg'io! Gioire,Di voluttà nei vortici perire. Sempre libera degg'io Folleggiar di gioia in gioia, Vo' che scorra il viver mio Pei sentieri del piacer, Nasca il giorno, o il giorno muoia, Sempre lieta ne' ritrovi A diletti sempre nuovi Dee volare il mio pensier.)❞

 マルコヴァは最後の高音も出ていたし、こうした揺れ動き苦しむヴィオレッタの心を 実に切実な歌いぶりで表現していました。

第二幕

<パリ郊外のヴィオレッタの屋敷>                

 数か月後、ヴィオレッタは貴族のパトロンとの華やかな生活を捨て、この家でアルフレッドと静かに暮らし始めます。アルフレッドは現在の幸福な気持ちを歌います。

①第1場「燃える心を」       

 ❝僕の燃える心の若き情熱を、彼女は穏やかに和らげてくれた、愛の微笑みで!彼女が「貴方に忠実に生きたい」と言ったあの日から、この世のことを忘れ、天国にいるようだ。(De' miei bollenti spiriti Il giovanile ardore Ella temprò col placido Sorriso dell'amore! Dal dì che disse: vivere Io voglio a te fedel, Dell'universo immemore Io vivo quasi in ciel.)❞                           

  ここをデムーロは、声量も力もある素晴らしい表現力のテノールで、朗々と歌いました。デムーロのここでの表現は、気持ち良さそうに伸ばしどころは随分長く引き伸ばしたかと思うとかなり急に速さを強めたり、相当、表現の変化が豊かだったため、指揮者とオケは歌に合わせるのに苦労している様に見えました。

 丁度帰宅した召使いのアンニーナ(三戸はるな)から、この家での生活費のためにヴィオレッタが彼女の財産を売却していたことを聞き、気付かなかった自分を恥じるとともに売ったものを取り戻そうと歌うのです。三戸さんは、大きな声でないですが清楚な感じのソプラノで、アンニーナ役ピッタリの雰囲気で演技していました。

②第3場「自責の念」         

 ❝ああ、自責の念が!なんたる不名誉だ!それほどの過ちを犯していたのか?だが、僕の恥ずべき夢を、真実が引き裂いてくれた。いま少し黙っていてくれ、名誉の叫びよ、必ず仇を討ってみせる、この恥を拭い去るのだ(O mio rimorso! O infamia e vissi in tale errore? Ma il turpe sogno a frangere il ver mi balenò. Per poco in seno acquétati,o grido dell'onore;
M'avrai securo vindice;quest'onta laverò)❞

 ここでデムーロは、歌いながら椅子に掛けた上着を手に取り、その間に多分大きく息を吸ったのでしょう。最後の最高音(ハイC)をハイレベルで長く伸ばして歌いすごい迫力でした。恥を拭い去ると叫んだアルフレッドは、パリに向けて駆け出すのです。当然の如く会場からは大きな拍手の嵐。

そこへヴィオレッタが戻り、彼のパリ行きを聞き(ヴィオレッタは理由を知らない)いぶかる(2度目の「不思議ね(È strano!...)」)。そこにアルフレードの父親ジョルジョ・ジェルモンが突如来訪するのです。ここの場面はオペラ最大の‘もらい涙’の箇所。ヴィオレッタの決断に同情しない人は少ないでしょう。驚きながらも礼儀正しく迎える彼女に、あたりを見回し「息子をたぶらかして、それにしては贅沢な」といきなりなじったため、ヴィオレッタは「私の家で女性の私に失礼なことを言わないでください」と毅然と応じ、たじたじとなるジェルモンに秘密を打ち開ける。彼女が自分の財産を息子との生活のために手放しつつあることを知ったジェルモンは非礼を詫びるのでしたが、アルフレッドをどんなに愛していることか理由を説明する彼女に対し、ジェルモンは本題を切り出すのです。息子と別れてくれと、駄目ですと即座に断るヴィオレッタ。彼はアルフレードの妹の縁談に差し支えるから、助けて欲しいとさらに追い打ちをかけ歌うのでした、

③第5場「天使のように清らかな娘を」

❝天使のように純真な娘を神はお与え下さった。もしアルフレードが家族のもとへ戻ることを拒むのなら、娘が愛し愛される青年は、そこに嫁ぐことになっている、あの約束を拒むのです。私たちを喜ばせていた約束をどうか愛のバラを、茨に変えないようにしてください。貴女の心が、私の願いに抵抗しませんように。(Pura siccome un angelo Iddio mi die' una figlia; Se Alfredo nega riedere In seno alla famiglia, L'amato e amante giovane, Cui sposa andar dovea, Or si ricusa al vincolo Che lieti ne rendea Deh, non mutate in triboli Le rose dell'amor. Ai preghi miei resistere Non voglia il vostro cor.)❞

 ヴィオレッタとの初対面のやり取りでのジェルモン役ルチンスキーの第一声は、深々とした(音波域が)幅広の力強いバリトンで、これはアリアが見ものだとすぐ感じていましたが、やはり凄かった。ヴィオレッタを説得する内輪の事情を切々と懇願調でなく有無を言わせない程の力強さで詠唱したのです。声量もすごいし変化の切れも良いし、もう申し分ない。これで、ヴィオレッタ、アルフレッド、ジェルモン、このオペラの三羽烏が揃って見事な超一流歌手だと分かったのです。ジェルモンの説得アリアは続きます。(その美しさが時と共に消えたとき、早々に倦怠が頭をよぎる)とか(ですから諦めるのです、そのような儚い夢を)とか(泣きなさい、可哀想に、分かっている、私の求めるものが大きな犠牲だということは)。もうこの場はジェルモンの一人芝居と言っていい程、ルチンスキーのバリトンを堪能しました。でも考え様によっては「何だこのおっさんは?子供のことに随分しゃしゃり出て。」と思えないこともないのですが、時代が時代だけに、弱き者が泣きを見ることは珍しくなかったのでしょう、きっと。                            ついに要求を受け入れ、彼女は身を引くことを決心して歌います。

④第5場「一旦堕ちてしまった女には~お嬢様にお伝え下さい」    

 ❝一旦堕ちてしまった女には、立ち上がる希望などないのね!例え慈悲深い神がお許しくださっても、人はそんな女に容赦はしないわ。(ジェルモンに対して、泣きながら)美しく清らかなお嬢様にお伝えしてください。不幸にも犠牲を払う女がいると。一筋の幸せの光しか残されていないのに、お嬢様のためにそれを諦め死んでゆくと(Così alla misera - ch'è un dì caduta, Di più risorgere - speranza è muta! Se pur beneficio - le indulga Iddio, L'uomo implacabile - per lei sarà) a Germont, piangendo Dite alla giovine - sì bella e pura Ch'avvi una vittima - della sventura, Cui resta un unico - raggio di bene Che a lei il sacrifica - e che morrà!)❞     

 ヴィオレッタは悲しみをこめて涙ながらに歌うのです。マルコヴァは表現力も演技力も素晴らしいと思いました。二重唱の部分はルチンスキーも抑制気味にヴィオレッタに合わせて、情緒豊かに歌いました。特に後半の歌は名曲中の名曲ですね。涙なしには聴けないかも知れない。

 第6場でパリから戻ったアルフレッドに、お父様が来るなら席を外して庭にいると言い残してその場を去るヴィオレッタ、別れ際に彼女は「アルフレッド、いつまでも愛しているわ、あなたも私と同じだけ愛して。さようなら」と第1幕の前奏曲の後半と同じ旋律で歌うのでした。そして第8場、父ジェルモンが再登場して、息子を慰め、故郷のプロヴァンスに帰ろうとなだめて歌うのです。

⑥第8場「プロヴァンスの海と陸」                 

 ❝プロヴァンスの海と大地を、誰がお前の心から奪ったのだ?故郷の輝かしい太陽から、いかなる運命がお前を奪った?苦しいのなら思い出せ、そこでは喜びに包まれていたことを。お前の平穏は、そこにだけあるということを。神のお導きなのだ!年老いた父親の苦しみを、お前は知らないだろう、お前が去ってから、家中が悲しみに覆われていた、だが、お前に会えたのだから、希望が潰えなかったのだから、お前の名誉の声が、まだ聞こえていたのだから、神はお聞き届けくださったのだ! (Provenza il mar, il suol - chi dal cor ti cancello? Al natio fulgente sol - qual destino ti furò? Oh, rammenta pur nel duol ch'ivi gioia a te brillò;
E che pace colà sol  su te splendere ancor può. Dio mi guidò! Ah! il tuo vecchio genitor - tu non sai quanto soffrì Te lontano, di squallor il suo tetto si coprì Ma se alfin ti trovo ancor, - se in me speme non fallì,
Se la voce dell'onor - in te appien non ammutì,)❞

 この有名なアリアも、ルチンスキーは堂々と、繰り返し歌う箇所は表現を変えて、聞いた者誰をも納得させると思われる程の声を会場一杯に響かせました。

 ところでプロヴァンスは南フランスの数県にまたがる広い一帯の地方を指します。アルフレッドの故郷がどこかは分かりません。デュマ・フィスの原本にも出てきません。第一、原物語では“プロヴァンスの故郷に戻れ”などと父親は説得していません。南仏のプロヴァンスは出てきません。ただ、パリのアルマン(≒アルフレッド)の元住んでいた家が、「プロヴァンス町」にあったと物語では記述されています。その時代には、そういう町名があったのでしょうか?台本作家が原本を読んで、その町名からプロヴァンス地方を連想し、故郷としたのかも知れません。でもそれはカンヌやニースやモナコなどのコート・ダジュールの海岸の街ではないでしょう。海に偏り過ぎているし、大胆に勝手に想像すれば、僕の好きな「エクス=アン=プロヴァンス」辺りかな?海岸沿いではなく少し山方面に入ったプロヴァンス地方で、しかも「ミストラル」と呼ばれる強い地域風がアルプス山脈から地中海に向けて吹く街ですから。セザンヌの故郷です。セザンヌが気に入って沢山描いた「セント=ヴィクトワール山」はすぐ目の前です。街並みも非常にいい処。パリに飽きたらエクスに住みたいという人もいます。 30年程前に日本でもベストセラーになり、プロヴァンスの名を高めた『南仏プロヴァンスの12か月』という、プロヴァンスのその辺りに移り住んだピーター・メールという作家の書いた本があります。その続編『南仏プロヴァンスの木陰から』には、エクスからローヌ川沿いに少し入った「オランジュ」という町に、あのパヴァロッティが来た時のことが書いてありました。ローマ時代の古代劇場で野外コンサートを開いたとのこと。それを聴きに行って、美食家でもあったこのテノール歌手の歌と料理について、人を引け付ける記述をしています。今でも「オランジュ音楽祭」はやっているのでしょうか?コロナで開けないのでしょうね。

 さて話題がそれたので元に戻しますと、オペラの場面は変わりパリに移ります。

<パリ市内のフローラの屋敷>

 相変わらず貴族と愛人たちが戯れあう日々です。丁度仮面舞踏会が開かれていて、フローラとドビニー侯爵、グランヴィル医師らは、アルフレードとヴィオレッタが別れたという噂話をしています。そこでジプシーの占い師やマタドールなどの仮装の踊り手が、間奏曲の異国風のメロディに乗ってバレエを踊りました。舞台にきびきびした動きと華やかさの花を添え、なかなか効果的な演出でした。最近はオペラを見ていて、この場面にはバレエが入ればいいのに、と時々思うことがあるのですが、それは少なくなりましたね。

 そしてアルフレッドが登場、彼らはカードの賭けを始めます。そこにドゥフォール男爵にエスコートされたヴィオレッタが登場、ドゥフォールはアルフレッドを避けるようヴィオレッタに指示するのです。アルフレッドはつきまくり、ヴィオレッタへの皮肉を言う。それに激高したドゥフォールも賭けに参加するのですが、アルフレッドに大負けします。そこに夕食の準備ができて、一同退場するのですが、アルフレッドとドゥフォールも後ほどの再戦を約束して退場します。この辺りの第9場から第14場は歌を聴くよりも目で見ることが主でした。今回の演出家は田口道子さんという方です。まず舞台設置とその奥の六枚の大きなパネル(開閉出来ます)に映像を映してパリや、パリ近郊のヴィオレッタ達の住まいの風景を演出したり、パネルを開いて舞台空間を奥に広げて、宴会会場などに使ったり、狭い舞台ながらそれを十二分に利用する工夫がなされていて、ホールオペラとはこうしたものかと少し驚いたり感心したり、認識を新たにしました。

ホールオペラ会場(サントリーH)

 ヴィオレッタがドゥフォールを愛していると思い込んだアルフレッドは怒りに任せて、「これで借りは返した」と叫び、賭けで得た札束をヴィオレッタに投げ付けるのでした。辱かしめられた彼女は気を失う。そこに父ジェルモンがまた現れ、息子の行動を諌めるのです。自分のやったことを恥じるアルフレッドと、真相を言えない父ジェルモンの独白、アルフレッドを思いやるヴィオレッタの独白、ヴィオレッタを思いやる皆の心境を三者の掛け合いでそれぞれの苦しみ、悩みを三重唱で歌い、最後は(何と苦しんでいるのだ。でも元気を出そう)と最後に全員合唱で、第二幕を閉じました。こうした全く別なことを勝手に歌う重唱は、音程もリズムも声量も調節して歌うのが相当難しいと思うのですが、今日の「三本の矢」はうまく束ねられて射られ、聴衆の心にグサリと刺さったのでした。

 20分の休憩の後、続いて第三幕です。休憩は第一幕と二幕の間にも20分あり、1幕(30分)+2幕(70分)+3幕(40分)+休憩(20分×2回)=180分(3時間)かかったので、終演は6:30+3時間=9:30分過ぎ、夜十時近くになりました。

第三幕                                   <<パリのヴィオレッタの屋敷>

 死の床に伏したヴィオレッタは、アルフレッドがやってくるのを、今か今かと待っています。それまではどうしても死にきれない思いが強い、いやその思いだけが命を、心臓を動かしていると言って良いでしょう。

 ヴィオレッタは、力なく過ぎ去ったアルフレッドの思い出を歌うのでした。

第4場「過ぎし日よさようなら」      

❝さようなら、過去の楽しく美しい夢よ、顔のバラも蒼ざめてしまった、アルフレッドの愛もない、それだけが慰めであり、支えだったのに、ああ!道を誤った女の願いを聞いてください。どうかお許しください、神よ、御許にお迎えください。ああ、全て終わった。喜びも悲しみも、もうすぐ終わりをむかえる、お墓は、全ての者にとって終末なのです!私のお墓には、涙も花もないでしょう、私の上には、名を刻んだ十字架もないでしょう!ああ!道を誤った女の願いを聞いてください。どうかお許しください、神よ、御許にお迎えください。ああ、全て終わった。(Addio, del passato bei sogni ridenti, Le rose del volto già son pallenti; L'amore d'Alfredo pur esso mi manca, Conforto, sostegno dell'anima stanca Ah, della traviata sorridi al desio; A lei, deh, perdona; tu accoglila, o Dio, Or tutto finì. Le gioie, i dolori tra poco avran fine, La tomba ai mortali di tutto è confine! Non lagrima o fiore avrà la mia fossa, Non croce col nome che copra quest'ossa! Ah, della traviata sorridi al desio; A lei, deh, perdona; tu accoglila, o Dio.
Or tutto finì!)❞

 この場面も歌うのが非常に難づかしいですね。死の床だから本来声が出ない位の状態の筈です。だからと言って、消えるような弱弱しい歌声では大会場の聴衆にほとんど聞こえませんし、かといってそれまでと同じ声量で歌ったのであれば、隅々まで届く歌声であっても、死の床のイメージは吹き飛んでしまいます。死に神も驚いて退散してしまうでしょう。弱い歌声で遠くまで響く歌声を出す、その匙加減が難しい、そこが大変気になって聞き始めたのですが、マルコヴァの表現はまさに絶妙、最初かなり弱弱しいけれどはっきりとしたppで時々感情が波打つ様を、うねるような強弱をつけて歌い、白いネグリジェで白いベッドに横たわり、或いはアンニーナに抱きかかえられながら少し体を起こしてゆっくりとしたテンポで歌うのでした。とにかく第一幕から各幕のオペラ全体を完全に理解しているからなのでしょう、このような表現力と説得力のある演技及び詠唱が出来るのは。

 最後にようやく駆け付けたアルフレッドとやっとの思いで二重唱を歌うのでした。                                   ②第6場「パリを離れて」                   

 ❝もう誰も、悪魔であれ天使であれ、私たちを引き離せない。愛する人よ、パリを離れよう、そして人生を共に過ごそう、これまでの苦しみは報われる、君の/私の健康も甦るだろう。あなたは私の命であり、光となる、未来は私たちに微笑むだろう。(Null'uomo o demone, angelo mio, Mai più staccarti potrà da me. Parigi, o cara/o noi lasceremo, La vita uniti trascorreremo: De' corsi affanni compenso avrai, La mia/tua salute rifiorirà. Sospiro e luce tu mi sarai, Tutto il futuro ne arriderà)❞

 ここでは、デムーロはヴィオレッタを抱きかかえながら抑制した声で歌い、マルコヴァは最後の声を振り絞るが如く、かなりの強さで二人の声がよくハモッタ重唱を響かせました。少しソプラノが強いかなとの感もありましたが、それはそれで、アルフレッドに会えた喜びと、再び生きる力が沸いたとも解釈出来ますからいいと思います。

 しかし最後に力が出たと思って立ち上がるヴィオレッタでしたが、それは神の最後の招き寄せに応じて発生した超人間的エネルギーだったのでしょう。すぐに崩れて息を引き取るのでした。

 いつも思うのですが、この最後の場面は、原本には無い優れてドラマティックな台本の良いところですね。非常に可哀そうです。でも何かホットした安息の気持ちにもなります。

 それにしても、これだけの名歌手をそろえしかも限られた空間で、大歌劇場に勝るとも劣らないオペラを上演した、オケも含めた参加者の皆さん、舞台形成にかかわった皆さん、企画されたサントリーホールのスタッフの皆さんの総合力は、驚嘆すべきものだと思いました。さすがサントリーですね。コロナ禍発生の昨年来、東京のあちこちで聴いたオペラの中で最高のものでした。

 

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2019-11-26

《名ソプラノ歌手》

最近、ヴェルディの『椿姫』の公演が随分目立って増えています。私が見ただけでも昨年のローマ歌劇場公演、今年1月の藤原歌劇「ラ・トラヴィアータ」、今月初めのトリエステ歌劇場公演、そして明後日から12月にかけて新国オペラハウスの「椿姫」が始まります。来年はスカラ座まで来日公演し(結果的には中止となりました)、椿姫をやるそうではないですか。一番人気のある(特に我が国では)オペラならでの過密上演ですが、主役ヴィオレッタ役のソプラノは、それ以前の名ソプラノと比べてどうでしょう?ティバルディ、カラス、ミレルラ・フレーニ、アンナ・トモア・シントウ、デセイ、ネトレプコなどに並び称されるかどうか?このオペラはとにかく、Paris 、Paris、一色なのですが、ヴェルディはイタリア語の台本に作曲したのでしょう。原本がフランス小説ですから当然、フランス語の台本が無かった訳ではないでしょうに。ひょっとして、ヴェルディは仏語が出来なかった?(間違っていたら御免なさい)以上のソプラノの中ではデセイだけがフランス人です。フランス語のオペラだったらもっともっと、ヴィオレッタを歌い世界に名を馳せたフランス人が輩出したかもしれません。デセイほど国際的に活躍した訳ではないので、それ程日本には余り知られていないソプラノ歌手で、10年ほど前に亡くなった(サルコジニ大統領も哀悼声明を表した)レジーヌ・クレスパンは欧米では大活躍した、フランスの国民的名ソプラノと言っても過言ではないと思います。亡き今は録音でしか聞けません。