【日時】2021.10.7(木).18:30~
【会場】サントリーホール
【管弦楽】東京交響楽団
【指揮】ニコラ・ルイゾティ
【合唱】サントリーホール・アカデミー&新国立合唱団
【合唱指揮】
【演出】田口道子
【曲目】
ヴェルディ『ラ・トラヴィアータ(椿姫)』
全三幕/イタリア語上演・日本語字幕付)
Giuseppe Verdi: La traviata
(Opera in 3 Acts / Sung in Italian with Japanese surtitles)
【出演】
ヴィオレッタ:ズザンナ・マルコヴァ
アルフレード:フランチェスコ・デムーロ
ジェルモン:アルトゥール・ルチンスキー
フローラ:林眞暎
アンニーナ:三戸はるな
ガストン子爵:高柳圭(代役)
ドゥフォール男爵:宮城島康
ドビニー侯爵:的場正剛
医師グランヴィル:五島真澄
【上演の模様(続き)】
第二幕
<パリ郊外のヴィオレッタの屋敷>
数か月後、ヴィオレッタは貴族のパトロンとの華やかな生活を捨て、この家でアルフレッドと静かに暮らし始めます。アルフレッドは現在の幸福な気持ちを歌います。
①第1場「燃える心を」
❝僕の燃える心の若き情熱を、彼女は穏やかに和らげてくれた、愛の微笑みで!彼女が「貴方に忠実に生きたい」と言ったあの日から、この世のことを忘れ、天国にいるようだ。(De' miei bollenti spiriti Il giovanile ardore Ella temprò col placido Sorriso dell'amore! Dal dì che disse: vivere Io voglio a te fedel, Dell'universo immemore Io vivo quasi in ciel.)❞
ここをデムーロは、声量も力もある素晴らしい表現力のテノールで、朗々と歌いました。デムーロのここでの表現は、気持ち良さそうに伸ばしどころは随分長く引き伸ばしたかと思うとかなり急に速さを強めたり、相当、表現の変化が豊かだったため、指揮者とオケは歌に合わせるのに苦労している様に見えました。
丁度帰宅した召使いのアンニーナ(三戸はるな)から、この家での生活費のためにヴィオレッタが彼女の財産を売却していたことを聞き、気付かなかった自分を恥じるとともに売ったものを取り戻そうと歌うのです。三戸さんは、大きな声でないですが清楚な感じのソプラノで、アンニーナ役ピッタリの雰囲気で演技していました。
②第3場「自責の念」
❝ああ、自責の念が!なんたる不名誉だ!それほどの過ちを犯していたのか?だが、僕の恥ずべき夢を、真実が引き裂いてくれた。いま少し黙っていてくれ、名誉の叫びよ、必ず仇を討ってみせる、この恥を拭い去るのだ(O mio rimorso! O infamia e vissi in tale errore? Ma il turpe sogno a frangere il ver mi balenò. Per poco in seno acquétati,o grido dell'onore;
M'avrai securo vindice;quest'onta laverò)❞
ここでデムーロは、歌いながら椅子に掛けた上着を手に取り、その間に多分大きく息を吸ったのでしょう。最後の最高音(ハイC)をハイレベルで長く伸ばして歌いすごい迫力でした。恥を拭い去ると叫んだアルフレッドは、パリに向けて駆け出すのです。当然の如く会場からは大きな拍手の嵐。
そこへヴィオレッタが戻り、彼のパリ行きを聞き(ヴィオレッタは理由を知らない)いぶかる(2度目の「不思議ね(È strano!...)」)。そこにアルフレードの父親ジョルジョ・ジェルモンが突如来訪するのです。ここの場面はオペラ最大の‘もらい涙’の箇所。ヴィオレッタの決断に同情しない人は少ないでしょう。驚きながらも礼儀正しく迎える彼女に、あたりを見回し「息子をたぶらかして、それにしては贅沢な」といきなりなじったため、ヴィオレッタは「私の家で女性の私に失礼なことを言わないでください」と毅然と応じ、たじたじとなるジェルモンに秘密を打ち開ける。彼女が自分の財産を息子との生活のために手放しつつあることを知ったジェルモンは非礼を詫びるのでしたが、アルフレッドをどんなに愛していることか理由を説明する彼女に対し、ジェルモンは本題を切り出すのです。息子と別れてくれと、駄目ですと即座に断るヴィオレッタ。彼はアルフレードの妹の縁談に差し支えるから、助けて欲しいとさらに追い打ちをかけ歌うのでした、
③第5場「天使のように清らかな娘を」
❝天使のように純真な娘を神はお与え下さった。もしアルフレードが家族のもとへ戻ることを拒むのなら、娘が愛し愛される青年は、そこに嫁ぐことになっている、あの約束を拒むのです。私たちを喜ばせていた約束をどうか愛のバラを、茨に変えないようにしてください。貴女の心が、私の願いに抵抗しませんように。(Pura siccome un angelo Iddio mi die' una figlia; Se Alfredo nega riedere In seno alla famiglia, L'amato e amante giovane, Cui sposa andar dovea, Or si ricusa al vincolo Che lieti ne rendea Deh, non mutate in triboli Le rose dell'amor. Ai preghi miei resistere Non voglia il vostro cor.)❞
ヴィオレッタとの初対面のやり取りでのジェルモン役ルチンスキーの第一声は、深々とした(音波域が)幅広の力強いバリトンで、これはアリアが見ものだとすぐ感じていましたが、やはり凄かった。ヴィオレッタを説得する内輪の事情を切々と懇願調でなく有無を言わせない程の力強さで詠唱したのです。声量もすごいし変化の切れも良いし、もう申し分ない。これで、ヴィオレッタ、アルフレッド、ジェルモン、このオペラの三羽烏が揃って見事な超一流歌手だと分かったのです。ジェルモンの説得アリアは続きます。(その美しさが時と共に消えたとき、早々に倦怠が頭をよぎる)とか(ですから諦めるのです、そのような儚い夢を)とか(泣きなさい、可哀想に、分かっている、私の求めるものが大きな犠牲だということは)。もうこの場はジェルモンの一人芝居と言っていい程、ルチンスキーのバリトンを堪能しました。でも考え様によっては「何だこのおっさんは?子供のことに随分しゃしゃり出て。」と思えないこともないのですが、時代が時代だけに、弱き者が泣きを見ることは珍しくなかったのでしょう、きっと。 ついに要求を受け入れ、彼女は身を引くことを決心して歌います。
④第5場「一旦堕ちてしまった女には~お嬢様にお伝え下さい」
❝一旦堕ちてしまった女には、立ち上がる希望などないのね!例え慈悲深い神がお許しくださっても、人はそんな女に容赦はしないわ。(ジェルモンに対して、泣きながら)美しく清らかなお嬢様にお伝えしてください。不幸にも犠牲を払う女がいると。一筋の幸せの光しか残されていないのに、お嬢様のためにそれを諦め死んでゆくと(Così alla misera - ch'è un dì caduta, Di più risorgere - speranza è muta! Se pur beneficio - le indulga Iddio, L'uomo implacabile - per lei sarà) a Germont, piangendo Dite alla giovine - sì bella e pura Ch'avvi una vittima - della sventura, Cui resta un unico - raggio di bene Che a lei il sacrifica - e che morrà!)❞
ヴィオレッタは悲しみをこめて涙ながらに歌うのです。マルコヴァは表現力も演技力も素晴らしいと思いました。二重唱の部分はルチンスキーも抑制気味にヴィオレッタに合わせて、情緒豊かに歌いました。特に後半の歌は名曲中の名曲ですね。涙なしには聴けないかも知れない。
第6場でパリから戻ったアルフレッドに、お父様が来るなら席を外して庭にいると言い残してその場を去るヴィオレッタ、別れ際に彼女は「アルフレッド、いつまでも愛しているわ、あなたも私と同じだけ愛して。さようなら」と第1幕の前奏曲の後半と同じ旋律で歌うのでした。そして第8場、父ジェルモンが再登場して、息子を慰め、故郷のプロヴァンスに帰ろうとなだめて歌うのです。
⑥第8場「プロヴァンスの海と陸」
❝プロヴァンスの海と大地を、誰がお前の心から奪ったのだ?故郷の輝かしい太陽から、いかなる運命がお前を奪った?苦しいのなら思い出せ、そこでは喜びに包まれていたことを。お前の平穏は、そこにだけあるということを。神のお導きなのだ!年老いた父親の苦しみを、お前は知らないだろう、お前が去ってから、家中が悲しみに覆われていた、だが、お前に会えたのだから、希望が潰えなかったのだから、お前の名誉の声が、まだ聞こえていたのだから、神はお聞き届けくださったのだ! (Provenza il mar, il suol - chi dal cor ti cancello? Al natio fulgente sol - qual destino ti furò? Oh, rammenta pur nel duol ch'ivi gioia a te brillò;
E che pace colà sol su te splendere ancor può. Dio mi guidò! Ah! il tuo vecchio genitor - tu non sai quanto soffrì Te lontano, di squallor il suo tetto si coprì Ma se alfin ti trovo ancor, - se in me speme non fallì,
Se la voce dell'onor - in te appien non ammutì,)❞
この有名なアリアも、ルチンスキーは堂々と、繰り返し歌う箇所は表現を変えて、聞いた者誰をも納得させると思われる程の声を会場一杯に響かせました。
ところでプロヴァンスは南フランスの数県にまたがる広い一帯の地方を指します。アルフレッドの故郷がどこかは分かりません。デュマ・フィスの原本にも出てきません。第一、原物語では“プロヴァンスの故郷に戻れ”などと父親は説得していません。南仏のプロヴァンスは出てきません。ただ、パリのアルマン(≒アルフレッド)の元住んでいた家が、「プロヴァンス町」にあったと物語では記述されています。その時代には、そういう町名があったのでしょうか?台本作家が原本を読んで、その町名からプロヴァンス地方を連想し、故郷としたのかも知れません。でもそれはカンヌやニースやモナコなどのコート・ダジュールの海岸の街ではないでしょう。海に偏り過ぎているし、大胆に勝手に想像すれば、僕の好きな「エクス=アン=プロヴァンス」辺りかな?海岸沿いではなく少し山方面に入ったプロヴァンス地方で、しかも「ミストラル」と呼ばれる強い地域風がアルプス山脈から地中海に向けて吹く街ですから。セザンヌの故郷です。セザンヌが気に入って沢山描いた「セント=ヴィクトワール山」はすぐ目の前です。街並みも非常にいい処。パリに飽きたらエクスに住みたいという人もいます。 30年程前に日本でもベストセラーになり、プロヴァンスの名を高めた『南仏プロヴァンスの12か月』という、プロヴァンスのその辺りに移り住んだピーター・メールという作家の書いた本があります。その続編『南仏プロヴァンスの木陰から』には、エクスからローヌ川沿いに少し入った「オランジュ」という町に、あのパヴァロッティが来た時のことが書いてありました。ローマ時代の古代劇場で野外コンサートを開いたとのこと。それを聴きに行って、美食家でもあったこのテノール歌手の歌と料理について、人を引け付ける記述をしています。今でも「オランジュ音楽祭」はやっているのでしょうか?コロナで開けないのでしょうね。
さて話題がそれたので元に戻しますと、オペラの場面は変わりパリに移ります。
<パリ市内のフローラの屋敷>
相変わらず貴族と愛人たちが戯れあう日々です。丁度仮面舞踏会が開かれていて、フローラとドビニー侯爵、グランヴィル医師らは、アルフレードとヴィオレッタが別れたという噂話をしています。そこでジプシーの占い師やマタドールなどの仮装の踊り手が、間奏曲の異国風のメロディに乗ってバレエを踊りました。舞台にきびきびした動きと華やかさの花を添え、なかなか効果的な演出でした。最近はオペラを見ていて、この場面にはバレエが入ればいいのに、と時々思うことがあるのですが、それは少なくなりましたね。
そしてアルフレッドが登場、彼らはカードの賭けを始めます。そこにドゥフォール男爵にエスコートされたヴィオレッタが登場、ドゥフォールはアルフレッドを避けるようヴィオレッタに指示するのです。アルフレッドはつきまくり、ヴィオレッタへの皮肉を言う。それに激高したドゥフォールも賭けに参加するのですが、アルフレッドに大負けします。そこに夕食の準備ができて、一同退場するのですが、アルフレッドとドゥフォールも後ほどの再戦を約束して退場します。この辺りの第9場から第14場は歌を聴くよりも目で見ることが主でした。今回の演出家は田口道子さんという方です。まず舞台設置とその奥の六枚の大きなパネル(開閉出来ます)に映像を映してパリや、パリ近郊のヴィオレッタ達の住まいの風景を演出したり、パネルを開いて舞台空間を奥に広げて、宴会会場などに使ったり、狭い舞台ながらそれを十二分に利用する工夫がなされていて、ホールオペラとはこうしたものかと少し驚いたり感心したり、認識を新たにしました。
ヴィオレッタがドゥフォールを愛していると思い込んだアルフレッドは怒りに任せて、「これで借りは返した」と叫び、賭けで得た札束をヴィオレッタに投げ付けるのでした。辱かしめられた彼女は気を失う。そこに父ジェルモンがまた現れ、息子の行動を諌めるのです。自分のやったことを恥じるアルフレッドと、真相を言えない父ジェルモンの独白、アルフレッドを思いやるヴィオレッタの独白、ヴィオレッタを思いやる皆の心境を三者の掛け合いでそれぞれの苦しみ、悩みを三重唱で歌い、最後は(何と苦しんでいるのだ。でも元気を出そう)と最後に全員合唱で、第二幕を閉じました。こうした全く別なことを勝手に歌う重唱は、音程もリズムも声量も調節して歌うのが相当難しいと思うのですが、今日の「三本の矢」はうまく束ねられて射られ、聴衆の心にグサリと刺さったのでした。
20分の休憩の後、続いて第三幕です。休憩は第一幕と二幕の間にも20分あり、1幕(30分)+2幕(70分)+3幕(40分)+休憩(20分×2回)=180分(3時間)かかったので、終演は6:30+3時間=9:30分過ぎ、夜十時近くになりました。
第三幕 <<パリのヴィオレッタの屋敷>
死の床に伏したヴィオレッタは、アルフレッドがやってくるのを、今か今かと待っています。それまではどうしても死にきれない思いが強い、いやその思いだけが命を、心臓を動かしていると言って良いでしょう。
ヴィオレッタは、力なく過ぎ去ったアルフレッドの思い出を歌うのでした。
第4場「過ぎし日よさようなら」
❝さようなら、過去の楽しく美しい夢よ、顔のバラも蒼ざめてしまった、アルフレッドの愛もない、それだけが慰めであり、支えだったのに、ああ!道を誤った女の願いを聞いてください。どうかお許しください、神よ、御許にお迎えください。ああ、全て終わった。喜びも悲しみも、もうすぐ終わりをむかえる、お墓は、全ての者にとって終末なのです!私のお墓には、涙も花もないでしょう、私の上には、名を刻んだ十字架もないでしょう!ああ!道を誤った女の願いを聞いてください。どうかお許しください、神よ、御許にお迎えください。ああ、全て終わった。(Addio, del passato bei sogni ridenti, Le rose del volto già son pallenti; L'amore d'Alfredo pur esso mi manca, Conforto, sostegno dell'anima stanca Ah, della traviata sorridi al desio; A lei, deh, perdona; tu accoglila, o Dio, Or tutto finì. Le gioie, i dolori tra poco avran fine, La tomba ai mortali di tutto è confine! Non lagrima o fiore avrà la mia fossa, Non croce col nome che copra quest'ossa! Ah, della traviata sorridi al desio; A lei, deh, perdona; tu accoglila, o Dio.
Or tutto finì!)❞
この場面も歌うのが非常に難づかしいですね。死の床だから本来声が出ない位の状態の筈です。だからと言って、消えるような弱弱しい歌声では大会場の聴衆にほとんど聞こえませんし、かといってそれまでと同じ声量で歌ったのであれば、隅々まで届く歌声であっても、死の床のイメージは吹き飛んでしまいます。死に神も驚いて退散してしまうでしょう。弱い歌声で遠くまで響く歌声を出す、その匙加減が難しい、そこが大変気になって聞き始めたのですが、マルコヴァの表現はまさに絶妙、最初かなり弱弱しいけれどはっきりとしたppで時々感情が波打つ様を、うねるような強弱をつけて歌い、白いネグリジェで白いベッドに横たわり、或いはアンニーナに抱きかかえられながら少し体を起こしてゆっくりとしたテンポで歌うのでした。とにかく第一幕から各幕のオペラ全体を完全に理解しているからなのでしょう、このような表現力と説得力のある演技及び詠唱が出来るのは。
最後にようやく駆け付けたアルフレッドとやっとの思いで二重唱を歌うのでした。 ②第6場「パリを離れて」
❝もう誰も、悪魔であれ天使であれ、私たちを引き離せない。愛する人よ、パリを離れよう、そして人生を共に過ごそう、これまでの苦しみは報われる、君の/私の健康も甦るだろう。あなたは私の命であり、光となる、未来は私たちに微笑むだろう。(Null'uomo o demone, angelo mio, Mai più staccarti potrà da me. Parigi, o cara/o noi lasceremo, La vita uniti trascorreremo: De' corsi affanni compenso avrai, La mia/tua salute rifiorirà. Sospiro e luce tu mi sarai, Tutto il futuro ne arriderà)❞
ここでは、デムーロはヴィオレッタを抱きかかえながら抑制した声で歌い、マルコヴァは最後の声を振り絞るが如く、かなりの強さで二人の声がよくハモッタ重唱を響かせました。少しソプラノが強いかなとの感もありましたが、それはそれで、アルフレッドに会えた喜びと、再び生きる力が沸いたとも解釈出来ますからいいと思います。
しかし最後に力が出たと思って立ち上がるヴィオレッタでしたが、それは神の最後の招き寄せに応じて発生した超人間的エネルギーだったのでしょう。すぐに崩れて息を引き取るのでした。
いつも思うのですが、この最後の場面は、原本には無い優れてドラマティックな台本の良いところですね。非常に可哀そうです。でも何かホットした安息の気持ちにもなります。
それにしても、これだけの名歌手をそろえしかも限られた空間で、大歌劇場に勝るとも劣らないオペラを上演した、オケも含めた参加者の皆さん、舞台形成にかかわった皆さん、企画されたサントリーホールのスタッフの皆さんの総合力は、驚嘆すべきものだと思いました。さすがサントリーですね。コロナ禍発生の昨年来、東京のあちこちで聴いたオペラの中で最高のものでした。