【主催者言】
藤原歌劇団が今回、新国立劇場、東京二期会とタッグを組んでお届けするのは、イタリアの巨匠ヴェルディが作曲した「二人のフォスカリ」を当団初演いたします。 ヴェルディ作品の中でも「ナブッコ」「エルナーニ」に続いて1844年にローマで初演され、後に「ラ・トラヴィアータ」も手がけたフランチェスコ・マリア・ピアーヴェによる台本で作曲された本作。1457年のヴェネツィアを舞台に、復讐に燃える政敵に運命を引き裂かれるフォスカリ父子を描いた悲劇ですが、力強い音楽と旋律の美しさからヴェルディの秀逸さを感じられる作品であると言えます。
今回は、その父フランチェスコ・フォスカリに、当団のヴェルディ・バリトンの一人である上江隼人と、幅広い役どころで高い評価を得ている押川浩士が、息子のヤコポ・フォスカリに、多くの公演で成功を収めている藤田卓也と、近年頭角を現している海道弘昭という二人のテノールが務めます。ヤコポの妻ルクレツィアには、佐藤亜希子と西本真子の実力派ソプラノを配しました。その他、歌唱・演技共にこの作品に相応しい布陣で、新国立劇場合唱団、二期会合唱団、藤原歌劇団合唱部の豪華合同合唱でお届けいたします。
演出は、オーストリア、イギリス、イタリア等で研鑽を積み、日生劇場、びわ湖ホール等国内で既に活躍を続けている伊香修吾が今回藤原歌劇団に初登場。指揮は当団に2015年「ラ・トラヴィアータ」以来の登場となる大人気指揮者田中祐子が東京フィルハーモニー交響楽団との共演でこの作品を導きます。音楽の力強さに涙する…そんな初秋のひと時を、新国立劇場オペラパレスでお楽しみください。
【演目】G.ヴェルディ・歌劇『二人のフォスカリ』全3幕 イタリア語上演
【上演時間】
【原作】The Two Foscari(Byron)
この歴史的悲劇は、バイロン卿によって5幕の詩劇に綴られました。 15世紀半ばにヴェネツィアを舞台にしたこの筋書きは、ドージ・フランチェスコ・フォスカリとその息子ジャコポの没落の実話に大まかに基づいています。バイロンの演劇は、ヴェルディによるオペラ「二人のフォスカリ」の基礎を形成しました。
【脚本】フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ
【総監督】折江忠道
【観劇日時】二日目2023.9.10.(日)14:00~
【会場】NNTTオペラパレス
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
【指揮】田中裕子
【演出】伊香修吾
【合唱】藤原歌劇団合唱部/新国立劇場合唱団/二期会合唱団
【登場人物】
フランチェスコ・フォスカリ(ヴェネツィア共和国総督・押川)
ヤコポ・フォスカリ(フランチェスコ・フォスカリの息子・海道)テノール
ルクレツィア・コンタリーニ(ヤコポの妻・西本)ソプラノ
ヤコポ・ロレダーノ(フォスカリ家の政敵・杉尾)バス
バルバリーゴ(ロレダーノの友人・黄木)
ピザーナ(ルクレツィアの侍女・加藤)メゾソプラノ
【キャスト】
今回のオペラは、一日目と二日目が異なる歌手が歌うダブルキャストでした。
《第二日目》
〇フランチェスコ・フォスカリ 押川 浩士
〇ヤコポ・フォスカリ 海道 弘昭
〇ルクレツィア・コンタリーニ 西本真子
〇ヤコポ・ロレダーノ 杉尾真吾
〇バルバリーゴ 黄木 透
〇ピザーナ 加藤美帆
【作品について】
ジュゼッペ・ヴェルディが1844年に完成し、11月にローマ・アルジェンティナ劇場で初演した歌劇全三幕物。バイロンの悲劇を基としている。舞台は15世紀イタリアのヴェネツィア、敵対するミラノとの関係で弾劾されているヴェネツィア総督フランチェスコ・フォスカリの息子ヤコポ・フォスカリが死に追いやられ、その責任を問われた父親も退任を余儀なくされ、父子共に敵対者の前に斃れてしまう悲劇のオペラです。
【粗筋】
1457年・ヴェネツィア共和国の出来事
《第1幕》
第1場/ドゥカーレ宮殿の大広間
ヴェネツィア共和国最高裁判機関である十人委員会のメンバーと、評議会のメンバーが、ドゥカーレ宮殿の大広間に集まっている。裁かれるのはこの国の総督フランチェスコ・フォスカリの息子、ヤコポ・フォスカリである。ヤコポは冤罪でクレタ島に流刑中、敵国へ出国したことが分かりヴェネツィアに召喚された。ヤコポは久しぶりの故国を懐かしみ、自分を取り巻く理不尽な不幸を嘆き悲しんだ。しかしその場には、フォスカリ家を憎む政敵ロレダーノが同席し、ヤコポに更なる不幸の影を落としていた。
第2場/フォスカリ邸の広間
ヤコポの妻ルクレツィアは、夫の父であり総督のフランチェスコ・フォスカリに、公平な裁判を懇願しに行こうとする。しかし侍女のピザーナに「もう神に祈るよりほかありません」と止められる。ところがそんなルクレツィアの元へ、夫ヤコポが再び流刑になるとの知らせが入る。ルクレツィアは不条理な現実に、言いようのない怒りを覚える。
第3場/ドゥカーレ宮殿の大広間
裁判で有罪判決の出たヤコポは、必死に無罪を訴えた。しかし十人委員会のメンバー達は、ヤコポが敵国ミラノのスフォルツァ公宛てに書いた手紙を証拠として取りあげ、再流刑は免れないと、ヤコポに取り合うことはなかった。
第4場/総督の部屋
フランチェスコ・フォスカリ総督は、自室で独りになると、息子を裁かなければならない自分の立場に胸が苦しくなった。そこへ息子ヤコポの妻ルクレツィアがやってきて「夫が敵国宛てに手紙を書いたのは裏切り行為ではなく、強い帰郷の思いからです」と、無罪のヤコポを救うよう訴えた。しかしフランチェスコは、総督の立場上、ヴェネツィアの法を覆すことが難しいことを示すしかなかった。
《第2幕》
第1場/牢獄
無実の罪で投獄された、フランチェスコ・フォスカリ総督の息子ヤコポは、牢獄の中でかつての死刑囚の亡霊を見て、死の恐怖に怯える。妻のルクレツィアが現れ、自分も一緒にクレタ島へ行くと言い、父親のフランチェスコも、息子への愛情は変わっていないと、ヤコポに苦しい胸の内を告白した。そこへ政敵であるロレダーノがやってきて「十人委員会で判決文を受け取り次第、クレタ島へ連行する」とヤコポに告げる。ロレダーノは、かつてフォスカリ一族に蔑にされていた自分の一族の恨みを晴らそうと、復讐心でいっぱいだった。
第2場/十人委員会の会議場
十人委員会のメンバーが集まる中、ヤコポは正式に流刑の判決を受けた。ヤコポは最後の望みと、妻ルクレツィア、2人の子供達と共に恩赦を懇願するが、聞き入れられることはなかった。総督である父フランチェスコにも、為す術はない。その場にいた議員のバルバリーゴが、唯一ヤコポに同情しロレダーノに言及したが、フォスカリ一族への復讐で頭がいっぱいなロレダーノは、無情にもクレタ島への出発を急がすのだった。
《3幕》
第1場/サン・マルコ広場
サン・マルコ寺院前の広場は、ゴンドラレースが行われるとあって、沢山の人で賑わっていた。しかしそこへ囚人が護送される合図のラッパが鳴り響いたので、人々は足早にその場を離れて行った。宮殿から連行された、フランチェスコ・フォスカリ総督の息子ヤコポは、愛する妻のルクレツィアに最後の別れを告げ、クレタ島へ向う船に乗り込んだ。身を裂かれる思いでその場に倒れ込むルクレツィアをよそに、復讐に燃える政敵ロレダーノは、喜びに胸を昂らせるのだった。
第2場/総督の部屋
総督であるフランチェスコは、自分の息子であるヤコポを救えなかったことで自責の念に駆られ、独り嘆き悲しんでいた。そこへヤコポにかけられていた殺人容疑の真犯人が見つかったとの知らせが入る。フランチェスコの喜びは例えようもなかったが、その時ヤコポの妻ルクレツィアが、ヤコポの死を告げにやって来た。悲惨なことに、ヤコポはクレタ島へ向かう船の中で息絶えたと言う。あまりのことに呆然とするフランチェスコを、更なる不幸が襲った。十人委員会のメンバー達が、フランチェスコの老齢と、息子を亡くした精神的ダメージを理由に、辞任を迫ってきたのだ。有無を言わさず総督の座を追われたフランチェスコは、新総督就任の鐘を聞きながら息絶えてしまった。フォスカリ一族への復讐で、すっかり人の心を無くしたロレダーノは、それを見て満面の笑みを浮かべるのだった。
【見処、聴き処】
〇第一幕は、①冒頭の合唱が、〈Silenzio 静寂〉と〈Mistero 神秘〉という二語を巧妙に繰り返し、政治の陰湿な側面を音で描写するので注目。
次の注目箇所は、②ヤコポのアリア〈はるかに遠い追放の地から〉と、
ハープが印象的な ③ルクレツィアのアリア〈天よ、その全能のまなざしに〉。いずれもメロディの強い訴えかけが聴き取れる。
そして④総督のロマンツァ〈ああ、年老いた心よ〉は寂寥感漂う名旋律。歌を導く弦合奏の室内楽的な個性もオペラの内省的な面を象徴する。
続く⑤総督と総督とルクレツィアの二重唱〈私に何か出来ることがありましょうか?〉では、哀願を拒む総督のフレーズ〈No…di Venezia il principe いや、ヴェネツィアの統治者は〉が、唐突な転調のもと「職分の厳格さ」を打ち出す点に注目。
〇第二幕では、獄中の⑥ヤコポの祈りのアリア〈私を呪うな〉が、亡霊に怯える彼の姿を生々しく表現。また、幕の後半の会議の場では、金管の激しいフレーズが出席者たちの硬直した姿勢を強調する。
〇第三幕では、⑦ゴンドラの競漕に湧く人々の合唱〈楽しもう!競技会へ〉が、劇中唯一の明るい場面に。
一方流刑地に向かうヤコポは⑧〈不幸な女、私ゆえに不幸な〉を歌って妻に別れを告げるのです。
終盤、十人会議の評議員たちに退任を迫られた⑧老フォスカリのアリア〈これが非道なる報いか〉では、哀切なメロディと合唱団の頑なさが対照の妙を発揮する。ルクレツィアも込み入った音型で感情の昂ぶりを示し、サンマルコの鐘を耳にした彼女が、叫びの後、低い音域で呟くフレーズも人の心を鷲掴みにする。
【上演の模様】
この悲劇は 世紀のイタリアの史実に基づき世紀にバイロン卿(英)が五幕の演劇にし、さらにそれに基いてヴェルディが 世紀に三幕物のオペラにしたということですから、その史実とはどの様なものであったか見てみましょう。おおよそ次の様な歴史です。
フランチェスコ・フォスカリ (Francesco Foscari, 1373年 - 1457年11月1日)は、ヴェネツィアの元首(ドージェ)。イタリア・ルネサンスの最盛期に元首をつとめた(在任1423年~1457年)。
フォスカリが長くヴェネツィアを率いた当時、イタリア全土征服を狙うミラノ公国(ヴィスコンティ家)との戦いもまた長引いた。注目に値する戦勝を次々と挙げながらも、戦争でヴェネツィアは多くの犠牲を払った。フィレンツェとの同盟後、同盟軍はフランチェスコ・スフォルツァ指揮のミラノ軍に打ち勝った。スフォルツァはただちにフィレンツェと停戦したが、しかしヴェネツィアは相手にされなかった。
1445年、フォスカリの息子ヤコポは、贈収賄と汚職のかどで十人委員会に告発され、ヴェネツィアを追われた。1450年と1456年に他の2つの審理が行われ、ヤコポはクレタ島に流刑にされ、そこで死を迎えた。
息子の死の知らせは、フォスカリを自身の務める政府の要職から身を引かせる事態を引き起こした。1457年10月、十人委員会により彼は辞職させられた。彼はこの措置に抵抗したものの、十人委員会に逆らうことはできなかった。10月31日、新たな元首パスクワル・マリピエロが選出された。その翌日、11月1日にフォスカリは死んだ。この出来事により、共和国市民の抗議が巻き起こったため、フォスカリは国葬の扱いをもって弔われた。(Wikipedia)
この話を読むと、 今回のオペラとは、ニュアンスが少し異なる点があり、後世オペラ台本制作過程で脚色されたため、オペラを観ていて首をかしげる場面や腑に落ちない点が生じたのではなかろうかと思われます。まず主な場面での歌手達の歌い振りをピックアップして見てみましょう。
《第一幕》
①舞台奥に登場した二三十人の男性合唱団員、”ヴェネツィアは、「沈黙」と「秘密」で繁栄してきた”と歌います。舞台中央手前には椅子に腰掛けた年老いた総督、フランチェスコ・フォスカリがいます。エンジ色の僧衣の様な衣服を纏い、男性合唱団の歌を聴いています。ヴェネツィアは、他のイタリア都市と異なり、専制君主政体ではなく、元老院と十人委員会による共和制をとっていて、老フォカリスは、長年十人委員会の総督を務めていたのです。合唱の様な「沈黙」と「秘密」が、蔓延していたとすると、その利点よりも、その悪弊が、ヴェネツィアを蝕んでいたと推測されます。合唱団は、藤原、二期会、新国の合同合唱ですから、力強い男声合唱ですが、意味合いが不可解。黒づくめのスーツ姿で合唱に徹するのでなく、舞台上を演技(という程ではなく単なる動作)をして動き廻っていた。
② 舞台に二人の衛士(これも黒服)に両脇を抑え込まれて登場した主役ヤコポ・フォスカリの(父フォスカリももう一人の主役ですが、歌唱の場数、オペラ上のウエイトからは、父は次席の主役だと思います)ここでアリアを歌った主役海道弘昭さんは、30歳台のテノール歌手でしょうか、こなれた発声ではないですが、仲々明快な音色の歌声を張り上げ、冤罪で島流しにあったこと、はるかに遠い追放の地から戻り、故郷ヴェネツアの海のなつかしさ等を歌い上げました。冒頭から大きな拍手も湧き上がり、これは幸先いいぞと思いました。
③舞台には、ヤコポ・フォスカリの妻ルクレツィアが登場、義父の総督フランチェスコ・フォスカリに会いに来た模様でして、アリア〈天よ、その全能のまなざしに〉を歌いました。同時に女性合唱団も20人程登場、罪を着せられた夫をあんじ、このままではきっと死んでしまうと嘆くルクレツィアに対し「慈悲深い主はあなたをきっと慰めて下さるでしょう」と歌うのです。ルクレツィア役の西本さんは、ソプラノの高い音階も十分な強さで出していましたが、強い声ではあるのですが、どうもその声質に耳障りな周波数の音が混在していて、決して金切り声ではないのですが、聞いていて心地良い感じにはなりませんでした。
④ヤコポの父である老総督はロマンツァ<ああ、年老いた心よ>を歌いました。総督役の押川さんは、まだ50歳前といった感じの熟年バリトンです。豊かな経験を感じるその歌声は、決して輝くバリトンではなく、どちらかというと地味さを感じる歌声でしたが、立派に総督の貫禄と衰え行く寂しさもにじませた歌唱を表現することに成功していたと思います。
⑤ルクレツアとフランチェスコ総督が別々に思いを歌った後、彼女は総督に会いに行き、自分の夫であり、総督の今となっては生き残りの一人息子であるヤコポ・フォスカリの助命・嘆願を義父に十人委員会に働きかける様お願いし、義父の総督は総督で、立場上それは出来ないと拒否する二人の二重唱は、主張する二人の歌の掛け合いが、すれ違いの二重唱(互いに勝手な歌を主張する雑然的響き)の面白さを十分聞かせて呉れました。
《第二幕》
⑥流刑中の新たな嫌疑で故国に召喚され、十人委員会の判決を待つ間、獄に繋がれているヤコポは、亡霊や死の恐れ等の悪夢に苦しみから祈りのアリア<私をのろうでない>を歌いました。ヤコポ役の海道さんは益々調子を上げ、声も大きくて特に高音になると力を込めて一層強さを増し、会場一杯の十分な歌声を響かせていました。聴いた感じとしてははまだ粗削りのテノールですが、ただその素質はこれから非常に期待出来るものを有していることが分かります。
《第三幕》
冒頭からオケの音が全音でジャジャーン、ジャジャーン、ジャジャーンと三回打ち鳴らされ続く軽快で楽し気な調べに、
⑦合唱団が「楽しもう、競技会へ」と浮かれた調子で楽しそうに歌いました。ヴェネツィアならではの年に一回のゴンドラ競走の場面です。合唱は男女で40人程だったでしょうか。この競技会は十人委員会のロレダーノやその友人バルバリーゴが音頭を取っていました。勿論フォスカリ家の政敵です。オペラをここまで見てくると、如何に反フォスカリ家の勢力が強くなり、総督といえども実権は骨抜きにされていた様子が分かります。
今でもゴンドラ挺競走は観光客目手でやっている様です。以前ヴェネツアに行った時には季節が違い見れませんでしたが。勿論サンマルコ広場、サンマルコ寺院、ドゥカーレ宮殿、リアルト橋等々、見たことのある場所がオペラに出て来ることは滅多にはないので、非常に身近な感覚で観賞することが出来たオペラでした。
現代の競艇
一方十人委員会の新たな処分が決定され、再び遠隔地への流刑に処されたヤコポは、牢獄から出され、流刑地に向かう直前に
⑧〈不幸な女、私ゆえに不幸な〉を歌って妻に別れを告げるのです。ここで、ヤコポ役の海道さんは最後まで疲れを見せず、堂々とテノールを響かせていました。第一楽章から変わらず会場に良く伸びる歌声は衰えなかった。今日二日目のタイトルロールを見事に務めたと思います。今後、さらに声に滑らかさや潤いを出せれば、そして歌唱全体に輝きが出れば世界に通用する本物となるでしょう。これに答える妻ルクレツィア役の西本さんは、悲しい最後の別れを悲痛な声を張りあげて歌いました。高音域が多いアリアでしたが、矢張り良く研ぎ澄まされた高音、チューニングされた高音でなく、耳触りな音が混じっている感じが残りました。今後の課題でしょう。
最後に十人会議の評議員たちに退任を迫られた
⑨老フォスカリのアリア〈これが非道なる報いか〉では、総督訳の押川さんは第一幕から微塵も揺るがぬ安定したバリトンで、これまで自分が自ら身を引くと申し出た時には、委員会が是非残って欲しい、永久総督を認めたではないか、と反論しても、合唱(十人委員会のつもり?それにしては人数が多過ぎます)や政敵ロレダーノは「決定した事項だから、静かに辞任して下さい」の一点張りでした。総督の象徴である指輪を仕方なく渡すフランチェスコ、その直後教会の鐘が鳴り、何回かなった後、元総督の老フォスカリの命は消え去るのでした。
この上演されることは滅多にないこのヴェルディのオペラは、流石ヴェルディの作曲ですから、そこかしこにヴェルディ一流の節回しや、アレ、これに似た調べが「椿姫」にもあったような気がする、等と思う旋律も聞こえ十分堪能出来る音楽でした。これは田中指揮・東フィル及び合唱団も含めた各出演者の好演に依ることが多いと思います。
しかし何故これ程までにレアな上演になっているのかは、その中身をよく鑑賞すると分かる様な気がするのです。要するにタイトルロールとも言えるヤコポ・フォスカリの悲劇に同情は余り感じられないどころか、何故?何故?と疑問を感じる場面が多過ぎます。何故、ヤコポが島流しにあったのか?その辺りのいきさつは全然説明されていないし再召喚されたヤコポの違法行為も詳細が分からない(何幕だったか最後の方で、総督にヤコポが殺人を犯かしたのではなく別人だったことを報告した役人がいましたが)ヤコポは島流しの最中に敵国(多分ミラノ関係国)へ逃亡しようとしたのでは?それからヤコポのアリアでは、必ずと言っていい程、自分は無罪で罪を着せられた旨のことを主張していますが、その中身は最後まで不明です。オペラでは説明が全然ない。妻のルクレツィアも「夫は冤罪で死んでいく」と主張するばかり。義父に命乞いをする時も、罪が無いとか総督の権限で、とか二人の息子まで連れて来て祖父の心情に訴えようとするのですが、彼女は状況をよく理解していない。仮に冤罪としても、何故冤罪が大手を振って通るのか、十人委員会でのPower of Balance について、全然分かっていない。このオペラで非常に気になった点は、合唱で「フォスカリ家に復讐を!」と歌う箇所が何回もあったことです。
ひょっとしてフォスカリ家は何十年もの間、十人委員会を支配し、総督の力で圧政とも言える所業を行って嫌われていたのではなかろうか?フォスカリ家の没落を望む勢力が多かったのではなかろうか?貴族とは別に一般ヴェネツアの市民はどうだったのか?などなど、腑に落ちない点が多過ぎるオペラの内容になっているのです。これでは他のお涙ちょうだいや悲劇中の悲劇のオペラとは対等に闘っていくことが出来ないからではなかろうか?と思われるのでした。