HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

山田・バーミンガム響+チョ・ソンジン(Pf.)


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【日時】2023.6.29.(木)19:00~

【会場】サントリーホール

【管弦楽】バーミンガム市交響楽団

(楽団について)

1920年にバーミンガム市管弦楽団(City of Birmingham Orchestra)として発足、同年9月に行なわれた最初の演奏会は、エドワード・エルガーを指揮者に迎えて行われ、オーケストラ設立を強力に後押ししたグランヴィル・バントックの演奏会用序曲『サウル』がプログラムにとり上げられた。1948年に現在の楽団名に改称された。

早くから録音活動や定期的な演奏活動を続けてきたにもかかわらず、国際的な名声が得られるようになったのは、1980年にサイモン・ラトルが就任してからだった。それからの演奏水準やレパートリーの拡張は著しく、ラトルのもとでヨーロッパ随一の合奏能力が謳われるようになり、とりわけロマン派音楽や現代音楽の解釈で有名になった。また、ハイドンの交響曲の録音などでは、早くもピリオド奏法を取り入れた演奏を示している。ラトルの任期中に、本拠地を従来のバーミンガム・タウン・ホールから、バーミンガム市国際コンベンション・センター内部のシンフォニー・ホールに移した。1990年に提携作曲家(Composer in Association)制度が創設され、マーク=アンソニー・タネジがその地位に就いた。1995年からはジュディス・ウィアが務める。

ラトルの後は、フィンランドの指揮者サカリ・オラモが、2008年よりアンドリス・ネルソンスが音楽監督を務めた。2023年4月より、山田和樹が首席指揮者に就任。

 

〈歴代指揮者〉

〇サイモン・ラトル(1980年 - 1998年)
〇サカリ・オラモ(1998年 - 2008年)
〇アンドリス・ネルソンス(2008年 - 2015年)
〇ミルガ・グラジニーテ=ティーラ(2016年 -2023年 )

【指揮】山田和樹


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〈Profile〉

   幼少の頃よりピアノ、合唱に親しむ(木下式音感教育法による)。本格的に指揮者を目指すことを決意したのは高校3年生の時で、きっかけの1つに神奈川県立希望ヶ丘高等学校在学中吹奏楽部で指揮を経験したことだという。

東京芸術大学音楽学部指揮科では指揮法を小林研一郎と松尾葉子に師事し、2001年卒業。芸大在学中に芸大生有志オーケストラ「TOMATOフィルハーモニー管弦楽団」(2006年より「横浜シンフォニエッタ」に改称)を結成し、音楽監督に就任。また22歳にしてベートーヴェンの交響曲を全曲演奏するなど、幅広いレパートリーを持つ。

2016年4月までに、パリ管弦楽団、フランス国立管弦楽団、トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団など欧米のオーケストラに客演下他、NHK交響楽団をはじめとする日本の主要オーケストラを指揮してきた。

2005年より東京混声合唱団のコンダクター・イン・レジデンスを務め定期演奏会の指揮、委嘱作品の初演を行っているほか、フォンテックからCDを発売している。

2009年9月、ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝した。日本人としては1959年に小澤征爾が優勝して以来7人目。同時に聴衆賞も受賞。

2010年9月より2012年8月までNHK交響楽団副指揮者を務めた。

2010年8月23日、サイトウ・キネン・フェスティバル松本に出演し、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番(ピアノは小菅優)と交響曲第7番を指揮した。ブザンソン国際音楽コンクールでの演奏を聴いた小澤征爾の推薦であった。

2012年のシーズンからは、スイス・ロマンド管弦楽団の首席客演指揮者、日本フィルハーモニー交響楽団の正指揮者、仙台フィルハーモニー管弦楽団のミュージックパートナーに就任。

2014年4月より東京混声合唱団にて音楽監督へ昇格、6月にスイス・ロマンド管弦楽団首席客演指揮者任期の2年延長に合意した他、9月よりモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者に就任。

2015年4月、首席客演指揮者任期満了後の2016年9月よりジャンルイジ・ジェルメッティの後任としてモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督兼芸術監督へ就任することが決定し発表された。

2016年3月、東京混声合唱団創立60周年記念定期演奏会に関する記者会見にて、同団理事長職を兼務することが発表された[12]。

2017年9月、2018年4月より読売日本交響楽団の首席客演指揮者に就任することが発表された。

2021年9月、2023年4月よりバーミンガム市交響楽団の首席指揮者兼アーティスティックアドバイザーに就任することが発表された。


【独奏】チョ・ソンジン(ピアノ)


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〈Profile〉

1994年5月に韓国のソウルに生まれ、6歳からピアノを始める。2008年に青少年のためのショパン国際ピアノ・コンクール(モスクワ)で第1位、2009年第7回浜松国際ピアノコンクールにて最年少(15歳)にして優勝。同時に日本人作品最優秀演奏賞、札幌市長賞も受賞。2011年にはチャイコフスキー国際コンクールピアノ部門にて第3位入賞。2015年には、第17回ショパン国際ピアノコンクールで優勝、ポロネーズ賞も併せて受賞。同コンクールでの優勝は、アジア人としては、ベトナムのダン・タイ・ソン(1980年)と中国のユンディ・リ(2000年)に続き3人目の快挙である。NHK交響楽団とも共演している[3]。2023年湖巌賞芸術部門受賞。


【曲目】
①ショパン『ピアノ協奏曲第2番ヘ短調Op. 21』

(曲について)

ユゼフ・エルスネルの元でピアノソナタハ短調、ピアノ三重奏曲、そして『ラ・チ・ダレム変奏曲』を書いて経験を積んだショパンが、ピアニストとして名を挙げるために満を持して作曲した初の協奏曲である。

初めての大作ということもあり、曲は第1番よりも自由な構成を持つ一方で、随所に様々な創意がこらされている。第1番に比べて演奏回数はやや少ない。

『レント・コン・グラン・エスプレッシォーネ』(現在では『夜想曲第20番』として有名な作品)には、この協奏曲の第1・第3楽章からの断片的なモチーフが引用されている。

第1番同様、オーケストレーションの貧弱さがよく指摘されている(この点は、ショパンが参考にしたヴィルトゥオーゾたちの影響が考えられる)。この点については、ショパンのオリジナルではなく管弦楽法に長じた他者により新たにオーケストレーションされたためだと「ナショナル・エディション」では主張されており、その証拠としては現存する自筆スコアの管弦楽部分が他人の筆跡で書かれており、ショパンの直筆はピアノパートのみである点が挙げられている(ただし、ショパンが友人らと一緒に写譜したものである可能性もあり、断言は難しい)。だが、第3楽章のコル・レーニョなど、ショパンがオーケストレーションにあたって彼なりに創意工夫を凝らしたことは明らかである。ナショナル・エディションではユリアン・フォンタナが作成したピアノスコアなどを元に本来のオーケストレーションを「復元」した「コンサート・エディション」と、従来の楽譜を校訂した「ヒストリカル・エディション」が作成された。

なお、管弦楽を補強した版をアンドレ・メサジェ、アルフレッド・コルトー[1][2]らが作成しており、このうちメサジェ版はマルグリット・ロンの依頼で作成されたもの(彼女はこの版を晩年までレパートリーとした)。2015年にはケヴィン・ケナーが編集したピアノと弦楽五重奏のためのヴァージョンも発売された[3]。ショパンは2台ピアノ版を一切残さなかったため、2台ピアノのための編曲版はこれからロンド・クラコヴィアクまで、すべて他人の手による創作となっている。

 

②エルガー『交響曲第1番変イ長調Op. 55』

 

(曲について)

エルガーが1907年から1908年にかけて作曲した交響曲。曲は、初演を指揮したハンス・リヒターに献呈された。

 初演は1908年12月3日に、イギリスの都市マンチェスターにあるフリートレードホールで行われた。指揮はハンス・リヒター、演奏はハレ管弦楽団によるものであった。リヒターはこの作品を「当代最高の交響曲」と評したが、一部では構成に否定的だったり、主題の繰り返しがしつこいと指摘する向きもあった。いずれにせよ、初演は大変な反響を呼び、初演から1年で百回あまりも再演された。今日でも、イギリスやアメリカでは頻繁に演奏される。

 

【演奏の模様】

①ショパン『ピアノ協奏曲第2番』

演奏者について、資料にある指揮者のコメントは次の通りです。

♪チョ・ソンジンさんとの共演、ソリストに迎えることについて
 初共演になりますが、念願ついに叶う!という感じです。
 ショパンのピアノ協奏曲のソロの出だしを、何人かのピアニストにアドバイスすることがあったのですが、どのピアニストにも同じようなことをアドバイスしたので、これは皆にとって難しいことなのだろうかと首を傾げていたところに、チョ・ソンジンさんの演奏を聴いたら、それを難なく完璧に演奏していたのです。
 つまり、音楽がどこまでも自然であり、あるべきところにある、すべてが理に叶っているのです。理に叶った音楽というのは、それだけで感動を呼び起こすことができます。それは言うならば、人と自然が一体となるような現象に似ているかと思います。表面を超えたところの、内面からの音楽。一種の天才と言ってもいいでしょう。
 チョ・ソンジンさんとの共演は、もちろん僕からの希望も聞いていただきましたが、オーケストラの団員も熱望していたことでした。チョ・ソンジンさん、オーケストラ、僕の三位一体となるであろう演奏をぜひ皆さんに聴いていただきたいです。

 山和さんは、演奏前のプレトークでも、同様なことを言っていた。トークでは、その他にバーミンガム市について、ロンドンに次ぐ第二の都市で、サッカーで有名なマンチェスターの近くにあり、産業革命後大きくなったのは、マンチェスター同様。山田さんは、バーミンガム市に行ったことある方はどの位いますか?と質問しましたが、挙手した聴衆は殆ど見かけませんでした。そう言う自分もマンチェスターまでは行ったのですが、バーミンガムには寄りませんでした。何れの街も18世紀の産業革命時に リバプール等の港から水路を通って物質がやり取りされ大いに栄えたのでしょう。運河沿いには古いレンガ造りの倉庫群が並んでいます。このマンチェスターの写真をみると、フェルメールの名画を思い出させるので、自分ながら良く撮れた写真だと思っています。

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 さて今日のチョ・ソンジンの演奏は、ショパンの2番コンチェルト。これはどう考えてみてもバーミンガムやイングランドに関係は無さそうです。ソリストがショパンコンクールを制覇した時に弾いたのでしょう。謂わば得意中の得意の思い出の曲。三楽章構成です。

第1楽章 Maestoso

第2楽章 Larghetto

第3楽章 Allegro vivace 

 

 ソンジンの演奏は、一言で言うと、これ程麗しく美しい2番はこれまで聴いたことが無いというものでした。これは1番と違い余り演奏される機会が少ないせいもあります。要するに1番とは比較にならない位聴く機会がこれまで少なかったのです。そしてつい1番と比べてしまうので、自分の気持ちでは評価が下がってしまうのです。ところが今日の演奏を聴いていると、1番と比較しても甲乙つけ難い位魅力的な演奏でした。特に弱音の扱い方に魅了されます。第二楽章のピアニッシモ等巧みな音量の変化で、❝ピアニッシモ王子❞と呼びたくなる程。この楽章以外でも、全体的に弱音の響きは繊細かつ微妙な変化の匙加減が見事でした。ただオケの強奏に対抗して強いタッチで弾く箇所、例えば第3楽章の始まりから速いテンポのリズミカルなPf.の動きに合わせて弦楽奏者(殊にVn.奏者)は、弓の根元を使って力一般運弓して大音のアンサンブルを張り上げているのに比すれば、ソンジンの強打鍵はやや物足りないというか、何か優しい穏やかな雰囲気を脱ぎ捨てられない育ちの良さみたいなところがあり、この感じは最後まで覆ることは有りませんでした。ところがこの評価は取り下げざるを得ない場面にぶつかったのです。それは本演奏を終えて、何回もカーテンコールで舞台と袖を行き来したピアニストは、やおらピアノに向かうとソリストとアンコール曲を弾き始めたのです。多分ラヴェルだとは推測出来ましたが、初めて聴く曲なので曲名は分かりません。この演奏が非常に力が籠っていて、しかも強弱の変化に富み、テンポも色々と変化するのです。その底辺に漲っているパワフルな雰囲気を彼は力一杯表現したのでした。そうか、曲によってはこの様な演奏も出来るピアニストなのだと、ショパンの曲では発揮されなかった側面を見せて呉れたので、前言は取り消しにせざるを得なくなったのです。

<アンコール曲>ラヴェル『道化師の朝の歌』でした。

 

②エルガー『交響曲第1番』

 このエルガーの曲はバーミンガム市響にとっては、得意中の得意な曲と言って良いでしょう。先程の山和さんのトークによれば、エルガーの墓地はバーミンガム市から??十キロ北部に行ったところにあり、この辺りは何処までも続く美しい丘陵地帯が広がり、岡に上るとパノラマ的にそれが見渡せて素晴らしい景色。この交響曲にもそうした風景が反映されていると思われると言った趣旨の説明をしていました。 

 エルガーの交響曲は、ひと月程前に、尾高さんが指揮する都響の演奏で、第2番を聴きました。その時の印象としては、結構複雑な管弦楽法により大きな音を立てる曲で、心地良い箇所は少なく、迫力だけが目に付く曲の印象が強かった。今日の本場のオケに依る第1番の演奏はどうなのだろうかと興味津々で聞き始めました。

4楽章構成です。

第1楽章 Andante. Nobilmente e semplice - Allegro

第2楽章 Allegro molto

第3楽章 Adagio - Molto espressivo e sostenuto

第4楽章 Lento - Allegro - Grandioso

 

 演奏を聴いた印象は、兎に角今日のこの1番は、エルガーと言ったらすぐに『威風堂々』を想い出す「・・・の一つ覚え」の硬直した頭に、風穴を空けられた様な衝撃的と言って良い程の素晴らしい曲であり、素晴らしい演奏を聴かせてくれた山田・バ市響交響楽団でした。先ずその迫力たるや今週日曜日に聴いたミンコフスキ・都響の迫力ある演奏とはまた違った意味での、草食人種と肉食人種のマッスルの違いと言える程の差を痛感しました。昨年のラトル・ロンドン響の系譜に繋がると言って良いと思います。

申し訳ないですが、先に引用した尾高都響の2番のエルガー交響曲とは比べられない位の違いが有りました(勿論これは曲自体の持つ違いも大いに影響しているのでしょうけれど。山和さんイングランドに帰る前にどこかで、急遽2番の特別演奏会もやって呉れないかな?)

 そういう訳で、時間の関係で詳細は割愛しましたが、演奏が終わって山和さんが一瞬の静止からすぐに動きだすのを待ちかねた聴衆の拍手と歓声が、大きく大ホールに渦巻きました。各パートを次々に起立させて健闘を讃えるマエストロ。様々なパートに健闘賞を自分としてもあげたい気がしました。Vn部門は総勢30人を超す大所帯でコンマスのソロ演奏以下大きな推進力を演じていましたし、地味なFg.の出番も随分多く渋い味を出していたし、Cb.はずっしりとオケ全体の重しを十二分に効かせていたのも大健闘と言えるでしょう。Vaアンサンブルのソロ演奏も多かったし、Timp.は一人でリズムと気付け薬的役割が大きかった。こうしてみるとすべてのパートがそれぞれ大健闘したからこそ、今日のこうした演奏に繋がったのでしょうから、矢張りこれはその手綱捌きの手腕を発揮した、山和マエストロに大健闘賞を贈るのが妥当なのでしょう。鳴り響く観客の拍手声援に答えてアンコール演奏がありました。

《アンコール曲》ウォルトン映画『スピットファイア』より前奏曲

でした。これまた会場は大きく湧き、再度カーテンコールから、最後は山和さんを呼び出すコールが続き、それに如才無く応じるマエストでした。(この如才なさ、気取らない処が彼のもう一つの武器になっていくでしょう)