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綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

都響第974回定期演奏会at芸劇(池袋)

【日時】2023.4.26.(水)14:00~

【会場】池袋・東京芸術劇場

【管弦楽】東京都交響楽団

【指揮】小泉和裕

【出演】金川真弓(Vn.)

【曲目】

①ヴェルディ/歌劇『運命の力』序曲


②メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 op.64

 

③メンデルスゾーン/交響曲第3番 イ短調 op.56 ≪スコットランド≫

(曲について)

1829年3月にメンデルスゾーンは、バッハの『マタイ受難曲』を蘇演し、5月に初めてイギリスに渡った。スコットランドを旅したメンデルスゾーンは7月30日、エディンバラのメアリ・ステュアートゆかりのホリールードハウス宮殿を訪れ、宮殿のそばにある修道院跡において、16小節分の楽想を書き留めた。これが本作の序奏部分であり、最初の着想となった。しかし、翌1830年にはイタリアを旅行して第4番『イタリア』の作曲に取り掛かり、1835年にはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者となるなど、多忙のために本作の作曲は10年以上中断された。

全曲が完成したのは1842年1月20日のベルリンにおいてであり、メンデルスゾーンは既に33歳になっていた。メンデルスゾーンはモーツァルトと同様に速筆で知られるが、この曲に関してはその例外ということになる。
 

『スコットランド』という愛称は、メンデルスゾーンがこの曲を着想したのがスコットランド旅行中だったことによる。

ロマン派音楽の交響曲として代表的な存在であり、4つの楽章は休みなく連続して演奏されるよう指示されている。しかし、各楽章は終止によって明確に区切られているため、連続性は緩やかであり、同じく全楽章を連続的に演奏するシューマンの『交響曲第4番』とは異なって、交響曲全体の統一性や連結を強く意図したものとは認められない。

 初演は1842年3月3日、メンデルスゾーン自身の指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団により行われた。同年5月に7度目のイギリス訪問を果たしたとき、メンデルスゾーンはバッキンガム宮殿でヴィクトリア女王に謁見し、この曲を女王に献呈する許可を得た。献辞付きの楽譜は翌1843年に出版された。

 

【演奏の模様】

 今日の芸劇は、平日の午後早い時間帯にもかかわらず、正面の高台席の空席が目立つ他は、各ブロックとも多くの聴衆が詰めかけて8~9割の入りでした。熱気を感じる程です。

①ヴェルディ/歌劇『運命の力』序曲

楽器編成は二管編成(Hrn.4 、Trmb.3) 弦楽五部16型(16-14-12-8-8)

 冒頭二回繰り返される金管の三音の響きは、オペラの主人公レオノーラとアルヴァーロの悲劇的未来を象徴する響きを持ち、続く弦楽アンサンブルの低音旋律は、運命的悲劇性を切なく奏で、さらにVa.トレモロの中、Vn.アンサンが高音域目掛けて跛行的に競り上がる旋律は、いつもながらの美しい都響Vn.群の響きを有していました。再度金管の三音咆哮は繰り返され、またまたVn.群の高音アンサンブルのテーマ演奏は美しいですね。何度でも聞いて飽きない。管のカノン的推移やCl.のソロ音旋律もしっかり音が出ていたし、後半の盛り上がるテーマの全オケによる強奏もバランス良く管弦が鳴り響き、最後せわしくなく小刻みにフィナーレに向かう弦楽の上に乗って金管がブブプカプカプカ、ブブプカプカプカと囃し立てて走り抜けるのも、聞いていて気持ちのいいものです。短い序曲ですが内容は十分のヴェルディー様式を、小泉さんは濃密な表現でコンパクトに纏めていました。


②メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 op.64

楽器群は協奏曲シフトで幾つか減ぜられた。Cb.(8→6)Vc.(8→6)Hrn.(4→2)Vn.は2減か?打はTimp.のみ。Hp.、大太鼓、シンバル等は去る。  三楽章構成。

・第1楽章 アレグロ・モルト・アパッシオナート ホ短調

・第2楽章 アンダンテハ長調

・第3楽章 アレグレット・ノン・トロッポ 〜 アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ ホ短調→ホ短調

 この名立たる名曲は大抵のヴァイオリニストであれば、練習を含め数え切れない程弾いてきている筈だから、完全無謬に弾くことが求められるのでしょう。今日の金川さんも将にそうでした。全体として目立った欠点はほとんど見当たらなかった。敢えて言えば、冒頭の出だしはやや金属音が残っていたかな?金川さんの音の性状は粘性のものでは無く、さっぱりとしたあっさりとまで言えるものでした。これは決して軽いという意味ではなく、例えば第一楽章のカデンツァにおける冒頭のくねくねに続く低音部のズッシリした響きや低音重音の深い音は素晴らしかったし第三楽章冒頭の低音部のソロ音から始まる演奏は見事でした。ただ高音部で僅かに不安定な時も散見されましたが、どうと言う程の事ではなく、総じて高音域でも綺麗な音が出ていました。例えば第二楽章で、テーマソングを繰り返す二回目の演奏での高音パッセッジの箇所や、特に第三楽章では後半の速い小刻みの縦横に音が乱高下する旋律の高音部分ははっきりとしっかりと音が出ていたし、演奏自体もこの終楽章が波に乗っていたというか、馬力も十分残っていて一気に弾き切りました。会場からは大きな拍手がいつまでも鳴り響きました。歓声もあったと思います。

 

《20分の休憩》

 

③メンデルスゾーン/交響曲第3番 イ短調 op.56 ≪スコットランド≫

楽器編成、二管編成(Hrn.4)弦楽五部(16-14-10-6-8)Timp 四楽章構成

・第1楽章 アンダンテ・コン・モート - アレグロ・ウン・ポコ・アジタートイ短調

・第2楽章 ヴィヴァーチェ・ノン・トロッポヘ長調

・第3楽章 アダージョイ長調、

・第4楽章 アレグロ・ヴィヴァチッシモ - アレグロ・マエストーソ・アッサイイ短調 - イ長調

 最初の序奏は幻想的且つ悲劇性を帯びた旋律で開始、木管と一部低音弦が響くとすぐに全低音弦が加わり、さらにVn.アンサンブルが後を追いました。ここも美しいハーモニーを展開する小泉都響。旋律の初めの音型は、各楽章の主題と関連を持ち、全曲の基本動機的な役割を果たしているものです。序奏部はかなり長く、初めてのスコットランドの風景を物語るように展開し、やがて始めの旋律に戻って主部に入りました。主部は弦楽器とクラリネットが弱音で第1主題を提示する。主題は序奏動機に基づき、繰り返しながら急激に盛り上がり全奏となる。コーダでは展開部と同様な開始で、すぐに激しく興奮するものの、やがて序奏部の主題が戻ってきて静かに楽章を締めくくるのでした。この間全奏、強奏箇所2~3か所が有りましたが、Fl.が先導するケースが多かった。

 アッタカ的に第2楽章に移行。この曲では各楽章の始まりは、前楽章から間を置かずすぐにという指示が(楽譜に?)ある様ですが、各楽章の章立てがはっきりとしているため、全体を一つの曲の様な扱いはしません。

 第二楽章はスケルツォ風の楽章です。短い前奏につづいて、木管がスコットランド民謡を思わせる旋律を示すのです。当時の欧州では富裕層の子弟は、各国特にイタリアや英国(逆に英国からフランス経由でイタリア等)へ、旅して見分を広げる風潮があり、メンデルスゾーンも初めての英国就中、スコットランドへの旅では、その素朴な田園風景等が心に大きく印象として残っていたのでしょう。しかも音楽家ですから、現地の音楽は深く頭に刻まれていたに違いありません。1楽章でも感じられる素朴な牧歌的な旋律、この第二楽章ではさらに明確な表現として現れました。非常に特徴ある旋律が全奏され盛り上がります。最後、 Hrn.⇒ Vn. ⇒ Cb. へと、カノン的に音を遷移させて終了したのも面白い試みでした。

 引き続き3楽章がすぐにスタート、.短い序奏があり、短調から長調に変わりました。明るくなった。主部は、歌謡的な第1主題が1Vn.で、それに応えるように葬送行進曲風の第2主題がCl.、Fg.、Hrn. で厳かに提示され、この間 Vc. Va. 2Vn.等はpizzicatoで応じていました。 クライマックスを築く。再び穏やかな小結尾の後に、短い展開部に入るが、序奏と第2主題が取り扱われる。その後、ほぼ型通りの再現部の後、長めのコーダにで終わりました。個人的にこの3楽章の演奏、即ち曲、旋律がとても気に入っています。少し暗い箇所もありますが、(鎮魂、哀悼、敬意)などが感じられる厳粛な響きが良い。

 続く最終楽章では、低弦が激しくリズムを刻み、Vn.が広く高い低い音を上下させて最初のテーマを鳴らしました。別の主題が木管楽器で発せられ、弦楽器による勇壮な調べが伴っています。前記した第1楽章の序奏主題と関連があるところです。展開部では、第1主題と経過句の動機が主に扱われ、再現部は短縮され、コーダに入ると、最初のテーマに基づいて全オケは激高し、潮時を知っている様にスーと静まりかえり、第2主題が寂しげに奏され、いったん全休止となる。テンポを落とし、低弦が新しい旋律を大きく歌う。これも第1楽章の序奏主題の動機が組み込まれている。この新しい主題によって壮大に高まり、全曲を明るく終結するのでした。小泉さんは①の時よりも②の時よりもこの交響曲では特に力を込めて指揮している様子で、両腕を対称的に左右に振ったり動かして、盛り上げる処はしっかりと、静まるタイミングも予断なく一気に落とし、この交響曲の指揮・指導が一番卓越していたのではなかろうかと思いました。