HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

NNTTオペラ『タンホイザー』(詳報)

 このワーグナのオペラは、初日(1/28)に見に行きましたが、速報(1/28)に書いた様に、すごく聴きごたえ見ごたえがある上演だったので、再度2月8日に観ることにしました。以下に上演の詳細を記します。

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【鑑賞日時】2022.1.28.(土)15:00~

      2022.2. 8. (水)   17:00~

【会場】NNTTオペラパレス

【演目】リヒャルト・ワーグナー『タンホイザー』

全3幕<ドイツ語上演/日本語字幕付き>

上演時間4時間5分(1幕75分/休憩25分/2幕65分/休憩25分/3幕55分)

(公演期間:1/28~2/11全四日間)

【管弦楽】東京交響楽団

【指揮】アレホ・ペレス

【合唱】新国立合唱団

【合唱指揮】三澤洋史

【演 出】ハンス=ペーター・レーマン

スタッフ
【指 揮】アレホ・ペレス
【演 出】ハンス=ペーター・レーマン
【美術・衣裳】オラフ・ツォンベック
【照 明】立田雄士
【振 付】メメット・バルカン
【再演演出】澤田康子
【舞台監督】髙橋尚史

【美術・衣裳】オラフ・ツォンベック

【照 明】立田雄士

【振 付】メメット・バルカン

【再演演出】澤田康子

【舞台監督】髙橋尚史

【バレエ】東京シティ・バレエ団

 

【出演】

〈タンホイザー〉ステファン・グールド

<Profile>

アメリカ・ヴァージニア州生まれ。ウィーン国立歌劇場、ザクセン州立歌劇場、バイロイト音楽祭、バイエルン州立歌劇場、メトロポリタン歌劇場をはじめ、パリ、ロンドン、ローマ、パレルモ、ベルリン、ハンブルクなどヨーロッパ各地の主要歌劇場で活躍。『フィデリオ』フロレスタン、『ローエングリン』『タンホイザー』『ジークフリート』『パルジファル』タイトルロール、『神々の黄昏』ジークフリート、『トリスタンとイゾルデ』トリスタンなどをレパートリーとする。21/22シーズンはドレスデン、ベルリン(ドイツ・オペラ)で『タンホイザー』、ミラノ・スカラ座『ナクソス島のアリアドネ』などに出演。22年夏のバイロイト音楽祭では『タンホイザー』『神々の黄昏』『トリスタンとイゾルデ』に出演。本年10月にはテアトロ・レアル『タンホイザー』に出演している。新国立劇場では06年及び18年『フィデリオ』フロレスタン、09年『オテロ』タイトルロール、10~11年『トリスタンとイゾルデ』トリスタンに出演。さらに15年『ラインの黄金』ローゲ、16年『ワルキューレ』ジークムント、17年6月『ジークフリート』タイトルロール、10月『神々の黄昏』ジークフリートと「ニーベルングの指環」全4作品に出演して絶賛を博した。

〈ヴォルフラム〉デイヴィッド・スタウト

<Profile>

優れた歌唱力と共に、洗練された演技とカリスマ的なステージプレゼンスで評価され、イギリスで最も多才なバリトンとして急速に地位を確立しているアーティスト。英国ロイヤルオペラ、イングリッシュ・ナショナル・オペラ、ウェールズ・ナショナル・オペラ、グランジパーク・オペラ、スコティッシュ・オペラなどを中心に『フィガロの結婚』フィガロ、『ドン・ジョヴァンニ』レポレッロ、『ドン・キショット』サンチョ・パンサ、『ラ・ボエーム』ショナール、『アンドレア・シェニエ』ルーシェなどに出演。最近では、英国ロイヤルオペラ『イェヌーファ』粉屋の親方、マグデブルク歌劇場、ウェールズ・ナショナル・オペラ、ジュネーヴ大劇場『フィガロは離婚する』フィガロ、グランジパーク・オペラ『ラ・ジョコンダ』バルナバ、『ファルスタッフ』フォード、スコティッシュ・オペラ『中国のニクソン』キッシンジャー、ノルウェー国立オペラ『セビリアの理髪師』バルトロなどに出演している。22/23シーズンはウェールズ・ナショナル・オペラ『マクロプロス事件』ヤロスラフ・プルス男爵、『グランジパーク・オペラ』『トリスタンとイゾルデ』クルヴェナールに出演予定。新国立劇場初登場。

A former head chorister at Westminster Abbey, David Stout studied zoology at Durham University, sang with the choir of St John’s College, Cambridge University and studied opera at the Guildhall School of Music and Drama. He began his career as a singer of oratorio, encompassing most of the established repertoire. His operatic rôles have since included Figaro, Papageno, Gratiano, Leporello, Robin Oakapple, Angelotti, Roucher, Rodrigo and Sancho Pança. David Stout’s discography includes Haydn’sThe Creation; Mahler’sLieder eines fahrenden Gesellen; Hugo Wolf’s Eichender Liederwith Sholto Kynoch;ZazaandLe Ducd’Albe (Opera Rara) andJane Eyre.

 

〈エリーザベト〉サビーナ・ツヴィラク

<Profile>
スロヴェニア・マリボール生まれ。2003年ハンブルク州立歌劇場に『トゥーランドット』リューでデビュー、04/05シーズンにはウィーン国立歌劇場の専属歌手となり多くの作品に出演。その後フリーとなり、トリエステ、ケルン、ワシントン、カーディフ、ロサンゼルス、バレンシア、香港、ベルリン、ボローニャ、マルメ、ヴィースバーデンなどで『ラ・ボエーム』ミミ、『カルメン』ミカエラ、『トゥーランドット』リュー、『タンホイザー』エリーザベト、『ワルキューレ』ジークリンデ、『エウゲニ・オネーギン』タチアーナ、『売られた花嫁』タイトルロール、『コジ・ファン・トゥッテ』フィオルディリージ、『カーチャ・カバノヴァ』『イェヌーファ』タイトルロールほかで出演している。コンサートでも活躍し、モンテカルロ、ヴィースバーデン、ドレスデン、フランクフルト、パリ、ニューヨーク、ロンドン、アムステルダム、イスタンブール、トリノなどで、ブリテン『戦争レクイエム』、R.シュトラウス『四つの最後の歌』、ドヴォルザーク『スターバト・マーテル』、ブラームスの『レクイエム』などに出演している。新国立劇場初登場。

〈領主ヘルマン〉妻屋秀和
〈ヴァルター〉鈴木 准
〈ビーテロルフ〉青山 貴

〈ヴェーヌ〉スエグレ・シドラウスカイテ

<Profile>
リトアニア生まれ。当地の音楽アカデミーで学んだ後、ミラノ・ヴェルディ音楽院に学ぶ。カーディフ国際声楽コンクールに出場の他、多くのコンクールで優勝している。カッセル歌劇場、フライブルク歌劇場などに出演後ヴィリニュス・リトアニア国立歌劇場にて『ドン・カルロ』エボリ公女、『カプレーティとモンテッキ』ロメオ、ラミンタ・シェークシュニテの『マリアの5つの奇跡』マリアなどに出演、『ドン・カルロ』のエボリ公女役ではリトアニアで舞台芸術の最高賞であるリトアニア・ゴールデン・クロスを受賞し、2016年にはリトアニア・オペラ賞のアーティスト・オブ・ザ・イヤーを受賞した。ほかにもラトヴィア国立オペラ(リガ)、エストニア国立オペラ(タリン)、ミラノ・イタリア歌劇団などで『ドン・カルロ』エボリ公女、『カルメン』タイトルロール、『イル・トロヴァトーレ』アズチェーナほかを演じている。またドミトリー・ホヴォロストフスキー主演の『リゴレット』『シモン・ボッカネグラ』の録音に参加、後者はグラミー賞の最優秀オペラ録音賞を受賞した。新国立劇場初登場。

 

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〈ハインリヒ〉今尾 滋
〈ラインマル〉後藤春馬

〈牧童〉前川依子
〈4人の小姓〉和田しほり/込山由貴子/花房英里子/長澤美希

 

【粗筋】

<第1幕>
中世のドイツ。騎士タンホイザーは、禁断の地ヴェーヌスベルクで愛欲の女神ヴェーヌスの虜となっていた。やがてこの歓楽の日々にも飽き、引き止めようとする女神の誘惑を振り切って人間世界に戻る。通りかかった巡礼一行の歌声に心を動かされタンホイザーは贖罪を誓う。そこで狩りに向かうかつての仲間に出会い、「エリーザベトのもとにとどまれ」の一言でヴァルトブルク城へ共に帰って行く。

 

<第2幕>
ヴァルトブルク城、歌の殿堂の大広間でタンホイザーはエリーザベトとの再会を喜び、歌合戦に参加することとなる。領主ヘルマンからの歌合戦の課題は「愛の本質」を明らかにすること。かつての同僚ヴォルフラムは愛を清らかな"奇跡の泉"にたとえ、他の騎士たちも精神的な愛を讃える歌を歌う。タンホイザーはこれに反論し、愛の本質は官能の愛であると〈ヴェーヌス賛歌〉を歌い上げたため、ヴェーヌスベルクにいたことが人々に露見してしまう。騎士たちはタンホイザーを殺そうとするが、エリーザベトは「信仰の勇気が、この人にも与えられますように」と願う。このとりなしによって領主ヘルマンは、タンホイザーにローマ法王のもとへ贖罪の巡礼に出るよう命じるのだった。

【第3幕】
エリーザベトはタンホイザーの救済を祈っているが、ローマからの巡礼の中に彼の姿はない。エリーザベトは自らの命と引き換えにタンホイザーの救済を聖母に願う。そこに現れたタンホイザーは、ローマで自分だけ許しを与えられなかった様子を語る。自暴自棄になったタンホイザーはヴェーヌスベルクへの誘惑に今一度身を任せようとするが、エリーザベトの死によってその魂は救済される。「エリーザベトよ、わがために祈れ」と叫んで息絶えるタンホイザーに、神の恩寵をたたえる合唱が響く。

 

【参考】

《序曲》
 『タンホイザー』の序曲はオーケストラ・コンサートでも単独で取り上げられることの多い人気楽曲です。A→B→A' の3部形式で作られており、いかにもドイツ音楽らしい重厚かつ深みのある響きが魅力の両端部分と色彩感にあふれたBの中間部からなる。

 ワーグナーの舞台作品で序曲(オーヴァチュア)と名付けられた楽曲はこれが最後で、次作の《ローエングリン》以降は、いずれも譜面の冒頭に前奏曲(フォアシュピール)と書かれており、その性格や作品全体に占める役割も自ずと変化している。

 この作品において序曲はオペラの物語のキーポイントとなる2つの旋律を軸にして、明瞭な形で全体を予告するような役割が与えられています。

 最初のAの部分はアンダンテ、マエストーソ、4分の3拍子。クラリネット、ファゴット、ホルンが奏でる有名な旋律は、劇中ではローマへの巡礼者たちが歌う「巡礼の合唱」のメロディー。ここで注目しておきたいのは、調性がホ長調(E-dur)であることです。オペラ本編での「巡礼の合唱」は、変ホ長調(Es-dur)で書かれています。変ホ長調は臨時記号(♭)が3つであることから、キリスト教の三位一体(父・御子・御霊)に通じるものとされ、神聖な場面や荘厳な雰囲気を出す際にしばしば採用された調です(例えばモーツァルトの歌劇《魔笛》のファンファーレなど)。(NNTT H.P.より)

 

【上演の模様】

  ドイツの騎士歌人たちは、ミンネジンガー(ミンネゼンガー)と総称されます。ミンネとは「愛」の意、まさに「愛のうた人」とよばれるのにふさわしい存在でありました。ドイツでは、フランスより約半世紀おくれて13世紀から14世紀初頭が最盛期でした。皆川達夫さんによれば「タンホイザー」の主人公は、物語は虚構であっても、実在の人物であったらしい。

今回のNNTTの公演は、1月28日付け『オペラ速報』にも記しましたが、聴きごたえのある上演でした。

《第一幕》

第1場

 ワーグナーはこのオペラの冒頭の舞台設定を旧東ドイツ、アイゼナッハの近くヘルゼル山(Horselberges)としています。この山は山と言っても500m弱の起伏のある丘陵でアイゼナッハの北西部に伸びるチューリンゲン山地と丘陵地帯にあります。(アイゼナッハは大バッハの生誕の地でもあり、又ルターが新約聖書の新教版を書いたヴァルトブルグ城があることでも知られています。)

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 この山に愛欲の女神ヴェーヌスが住処を構え、騎士のタンホーザーを虜にしているのです。ワーグナーは第1場で舞台の情景を次の様に描いています。

舞台は、アイゼナハの近く、愛の女神ヴェーヌスの山とされるヘルゼル山の山中である。広い洞窟は、舞台の奥でカーブして右のほうに延びているが、まるでどこまでも続くかのようである。岩の裂け目から弱々しい陽ざしが射しこんでいるが、そこから洞窟の高さいっぱいに緑色をした滝が流れ落ち、岩に落ちてしぶきを上げている。その滝壺から流れる小川は、舞台のさらに奥にある湖に流れこんでいる。湖にはニンフたちが水浴びし、岸辺にはセイレーンたちが寝そべる姿が見られる。洞窟の両脇には、岩がふぞろいに張り出しており、そこには珊瑚の形をした不可思議な熱帯植物が生い茂っている。舞台左上の洞窟の裂け目からは、ほのかなバラ色の薄明かりが射しこみ、その前方に、豪華な寝床の上に寝そべるヴェーヌスと、彼女の膝に頭をうずめ、竪琴を携えて片膝をつくタンホイザーの姿がある。その寝床を取り巻いて、手をつないだ魅力的な姿で寝転んでいるのは、美と優雅の三女神グラツィアである。さらにその脇の寝床の後ろには、アモレット(翼をつけた男児の姿をした愛の神。キューピッド)たちが眠っていて、団子のように上になったり横になったりしている。その姿はあたかも、ふざけてじゃれ合っていた子供たちが疲れ切って眠りに落ちたかのようである。舞台の前方はくまなく、地底から射し込んでくる赤みを帯びた魔法のような光に照らし出されているが、その赤い光と鋭いコントラストをなすのは、滝のエメラルドグリーンと、泡立つ波の白さである。一方、湖の岸辺を含む舞台後方は、月明かりのように澄んだ青いもやに照らされている。

 確かにこの辺りは石灰岩質の地層であり、洞窟や岩壁、滝などは石灰岩地帯には付き物です。

又その後の描写で ❝やがて、その靄(もや)は舞台後方をすっぽり包み、ついにヴェーヌスとタンホイザー以外には、三女神グラツィアがうっすらと見えるだけである。❞

と書いてありますが、霧(靄)は神秘性、魔性を象徴する小道具の一つ、アイゼナッハ地域の深いチューリンゲンの森は霧が立ちこめることも確かで、アイゼナッハ北部100kmにあるブロッケン山(1000m台)は深い霧が立ちこめて「ブロッケン現象」が生ずることが世界的に知られています。ブロッケン山とアイゼナッハの間には大小の湖があり、上記のニンフやセイレーン(美声の歌声で魅惑する魔女)がたむろしているのです。こうした山に籠ってタンホイザーはヴェーヌスとの愛欲生活に耽溺していました。

《序曲》

 歌手陣が登場するまで、管弦楽による序曲の演奏が、誰でも何時か何処かで聞いたことのある旋律を奏で、神話性の色彩に溢れた物語に人々をいざなうのでした。特にHrn.の響きが、深淵なるヴェーヌス女神の住まいの岩城にこだまするが如く成り轟きました。何といい響きでしょう!次第にテーマの流れは弦楽アンサンブルに移って行きます。何回かテーマが繰り返され、中程から曲想が軽やかに変わりました。その後は弦楽アンサンブルによるこれまた有名な次テーマへと更なる高揚に進むのです。これ等のモチーフはオペラ本編でも繰り返し出て来ていました。ホルンとクラリネットによる 巡礼の音楽(恩寵による救済のテーマ 音楽)に始まり、中間部分の喧噪に満ち た音楽がバッカナール(饗宴)のモチー フ。 高揚した部分はヴェーヌス(愛の女 神)賛歌です。 最後はふたたび救済の 音楽となって、クライマックスを築くのでした。アレホ・ペレス東響のHrn.演奏は勿論の事、他の管も、弦楽部門も相当演奏経験があると見えて、力を十分発揮した迫力ある演奏でした。Trmb.アンサンブルも迫力ありました。

 舞台では男・女のダンサー(多くて十人位)が幾つか組合せを変えながら、寝たり起きたり、組んずほぐれつ体を曲げたりひねったり、抱えたりして踊っていました。これはセイレーンたちの寄ってきんしゃいという誘いの合唱に合わせて、ヴェーヌスの欲満館にようこそ!と言う意味と、館で繰り広げられる愛欲の狂乱を暗示していたのでしょう。

第2場で初めてタンホイザーとヴェーヌスが歌い始めました。

ヴェーヌス

❝どうしたの・・・あなた?心がここにないようだけど❞

タンホイザー
❝もう、たくさんです!ああ・・・今こそ目覚めねば!❞

ヴェーヌス
❝何か心配ごとでもあるの?❞

タンホイザー
❝夢に何かが聞こえた・・・私が久しく耳にしなかった音!まるで晴れやかな鐘の音のようでした。・・・ああ!最後にこの音を聞いてから、一体どれほどの時が過ぎたのでしょう?❞

ヴェーヌス
❝一体どうしたというの?何を悩んでいるの?❞

タンホイザー
❝私がここにいた歳月は、もはや数えることすらできません・・・歳月など消えてしまっていました。太陽も、馴染み深い星空も、何ひとつ目にはできませんでした・・・。初夏の新緑をもたらす草花も見えませんでしたし、春を告げる鶯の歌声も聞こえませんでした。 私は二度とそうしたものを、見たり聞いたりできないのでしょうか?❞

ヴェーヌス
❝何ですって?なんと馬鹿げたことを!早くも飽きてしまったというわけ?私の優しい愛の魔法に。それとも?・・・あなたを神にしてあげたことを後悔しているわけ?むかしあんなに苦しんだことをもう忘れてしまったの?今はいい思いをしているからといって・・・。❞

 

タンホイザー役はステファン・グールド、ヴェーヌス役はエグレ・シドラウスカイテ。この二人の歌手の立ち上がりの第一声から数回のやり取りの歌を聴いて、これは行ける!今日のオペラは期待出来るぞ!と予想しました。

女神のもとを去りたいというタンホイザーに対し、馬鹿げたことを言っていないで、あなたとの愛をその素晴らしい歌で以て讃えて頂戴と歌うヴェーヌス。エグレの歌は伸びのあるソプラノで、そこまで少し興奮気味の歌声だったものが期待気な甘さも讃えてタンホイザーが愛の賛歌を歌うことを強く求めたのでした。

 

歌ってよ!さあ!竪琴を取って!愛を称える素晴らしい歌で、愛の女神である私を勝ち取って!愛を称えなさい!あなたに授けられた最高のご褒美たる愛を!(Mein Sänger, auf! Ergreife deine Harfe! Die Liebe feire, die so herrlich du besingst, dass du der Liebe Göttin selber dir gewannst! Die Liebe feire, da ihr höchster Preis dir ward!) ❞

 

 この求めに応じてタンホイザーは歌いました。

 

 タンホイザー
(突然、勇気を奮い起こすように決心すると、竪琴を取り、うやうやしくヴェーヌスの前に立つ)
❝あなたを称えましょう!愛の魔法を称えましょう!私を幸福にしたあなたの愛の力を!甘美な歓びが、あなたの恩寵から芽吹き、私の歌を高め、喜びの讃歌を歌わせるのです!ああ!歓喜を、快楽を、わが心は求め、渇望しました・・・わが求めに応じて、かつてあなたは、神々にのみ与えられるものを、死すべき私に授けてくださった。ですが、ああ!やはり私は死すべき存在にすぎない・・・あなたの愛は、私には大きすぎるのです。神であれば、常に快楽を得られるはずなのに、私は今も、有為転変のしもべでしかない!わが心にあるものは、欲望だけではありません。わが心は、苦悩をも喜んで求める心なのです。私は、あなたの国を去らねばなりません・・・おお・・・女王よ!女神よ!私を行かせてください!❞

 素晴らしく強いヘルデンテノールでしかも美声、これで以て人口に膾炙したワーグナー節を朗々と響かせたのですから、これは大したものだと思いました。

 この二人のやり取りのアリアを聴いて、前記の予想は確信に変わったのです。

 

 このタンホイザーの美歌を聴いてもその歌詞の後半と歌う雰囲気が気に入らないのか、ヴェーヌスは何ですって、悲しそうなひどい歌とタンホイザーの言う事に理解を示しません。そこでタンホイザーは再度、女神を讃えつつ私を逃して下さいと懇願の歌を歌い野でした。

❝(竪琴をつまびきながら)
ご寵愛は嬉しいのです!あなたの愛を称えます!あなたとともにいる者は、永遠の幸せを得るのです!熱い欲望を心に抱き、あなたの腕にくるまれて、神々の炎に触れた者は、永遠に皆からの羨望を受けるでしょう!あなたの国の素晴らしい奇蹟を、あらゆる歓びの魔法を、私はここで吸い込んでいる・・・広い地上のどこを探しても、この国に比肩できる国はない。地上など、あなたにとっては無価値に等しきもの。しかし、このバラの香りを吸い込みながらも、は求めてやまないのです・・・森の大気を。人の世の澄み切った青空を。あのさわやかな緑の野原を。あの小鳥の愛らしい歌声を。心に沁みる鐘の音を。だからこそ、あなたの国を去らねばなりません・・・
おお・・・女王よ!女神よ!私を行かせてください!❞

 勿論歌手は楽器を弾きませんから、オケのハープの音に合わせて、グールドは再度ワーグナー節を声高らかに歌い上げ(O Königin, Göttin! Lass mich ziehn!)と叫んだのでした。ここで KöniginGöttin はケーニッヒ、ゴッドの女性形、即ち女王、女神の意。Lassは使役動詞、そしてここで注目すべきはワーグナーは ziehn という動詞を使っていることです。ziehn は他動詞であれば「何々を引っ張る」、自動詞であれば「移動する。引っ越す」等と言う意味です。「去る」という意味では有りません。「去る」だったら Verlassen とか gehenになる。ziehn は単にモノの座標が変わるだけ、即ち自分の意思は入っていない、移動と言う言葉で女神王の場所から居場所が変わるだけと、恐らく彼女の嘆き悲しむことは分っているので忖度したのでしょう。最終的にはいずれでも同じ結果なのですけれど。

 ヴェーヌス役のエグレはここまでの(怒りと失望を抱いた)大声での歌でタンホイザーにあたっても効果が無いと見ると、次の節では今度は泣き落としにかかります。

❝ヴェーヌス
(小声で歌い始める)

おいでなさい!愛しい人!あの洞窟を見て!やさしいバラの香りが立ち込める洞窟を!陶酔は、神のような者にすら、甘美な歓喜の訪れを許すわ・・・柔らかな寝床の上で、心を鎮めれば、どんな苦痛だって体から消え去ってしまう。熱くなった頭を水に冷やして、喜びの炎に胸をふくらませなさい。彼方から甘い歌声が呼びかけてくる・・・
私の腕であなたを抱きしめなさい、と。あなたは、私の唇から愛の酒をむさぼるように飲み、私の眼差しは、愛の感謝とともに、あなたに輝くのです。今こそ私たちは契りを交わし、祝賀の宴を張りましょう。愛の祝典を愉快に祝いましょう!そのためにはどんな犠牲も惜しんじゃいや・・・いやよ!・・・この女神を愛に夢中にさせて!❞

 

 落ち着いたメゾソプラノでじっくりと音を響かせ、最後はかなりのフォルテでタンホイザーに訴えました。中々感情を押さえてソフトに歌うこともできる器用さを感じます。

 エグレの姓シドラウスカイテは非常に珍しい初めての苗字だと思ったら、バルト三国のリトアニア出身なのですね。バルト三国は合唱が盛んなことが関係あるかも知れませんが、優れたオペラ歌手を輩出しています。昨年来日して「サロメ」を歌って大好評だったアスミック・グリゴリアンはリトニアの首都出身。ラトビアのエリナ・ガランチャ、マリナ・レベカなどは超有名歌手です。日本の大村博美さんはたびたびエストニアの歌劇場で歌っている様です(以上の歌手は全部聴いた事があります)。

 今回は、タンホイザー役のステファン・グールドは米国出身、後で出て来るヴォルフラム役のデイヴィット・スタウトは英国、エリ-ザベト役のサビーナ・ツヴィラクはスロベニアと,、世界各地で活躍している歌手達が出演、新国立劇場初登場ということだそうです。結果的にとてもレヴェルの高い歌声が聴けた訳ですが、肝心のドイツ人が一人もいないのは不思議でした。

 いくらヴェーヌスが引き留めても、「もう愛の喜び等いらない、これが永遠の別れです。さようなら。」と言い張るタンホイザー。「あなたの救いは閉ざされている」とヴェーヌスが脅しても「私に救いは聖母マリアの内にあります」と叫び歌うタンホイザー。マリアの名を出した途端にオーケストラの轟音が鳴り響きそれと共にカタストロヒィー(時空転換)が起こり、タンホイザーはヴェーヌスの居城のあるヘルゼル山をはるかかなたに臨む谷間に立っていたのでした。

 ここからは第3場です。近くには上記した歌合戦の行われたヴァルトブルグ城が見えます。そこに向かっての山道があり、羊の(オーケストラの)カウベルが聞こえます。管楽器(シャルマイ実際はオケのOb.?←イングリッシュホルン)の響く中、アカペラで牧童が歌います。「ホルダ様がやって来る。夢で見たその姿。瞼に五月の陽が当たる。麗しき五月がやって来た」牧童役の前川依子さんは舞台裏からこの歌を、フレッシュな子供らしい声を立てて歌いました。のどかないい調子。さらにシャルマイに合わせて巡礼者(合唱団)の行列がアカペラでマリアを讃える歌を(舞台裏で合唱団が)歌いながら進むのです。この場面ではタンホイザーが感動して、「神よ、あなたを讃えます。恩寵の奇跡の素晴らしさよ」さらに自分の罪の重さに耐えかねて大声で「罪の重さに耐えられない、進んで苦しみを受けます」と祈るのでした。

次の第4場では、この地を治めるチューリンゲン方伯ヘルマン1世(歌手は妻屋さん)

が、歌合戦に参加する騎士歌手達と一緒に城に向かう途中の山道で、タンホイザーにばったり出くわし、以前のよしみでタンホイザーにも歌合戦に加わる様話すのです。

騎士達の登場を予告するHr.とTrmp.のファンファーレが勇ましい。

方伯は❝本当にお前か? 長い間何処に行っていた?友人として戻ったなら歓迎しよう❞と立ち去ろうとするタンホイザーを引き留めようとします。ここでは、妻屋さんは流石舞台経験豊かなバス歌手、短い合いの手の歌ですが、今日は調子が良さそう、主役に引けを取らない力の籠った歌声をあげていました。最初にタンホイザーだと気が付いた友人のヴォルフラムは

その場を立ち去ろうとするタンホイザーに、昔の許嫁エリーザベト(方伯の姪)の名を出して、留まれと叫び、さらに説得して歌うのでした。

 

❝君があの大胆な歌で、我らに争いを挑み、我らの歌には勝利を収めつつも、
我らの技量には組み伏せられたとき、君が勝ち取ったものが、一つだけあったのだ。あれは魔法だったのか・・・それとも純粋な力だったのか・・・あのような奇蹟をなしとげた君の力は?ともあれ、歓びと苦悩に満ちあふれた君の歌は、あの純潔な姫の心を奪ったのだ。ああ!それゆえ、君が我らと袂を分かって去ったとき、姫は、我らの歌にはもう心を開かなかった。蒼ざめ切った頬をして、二度と我らのもとには戻らなかったのだ・・・ああ、だから帰ってこい・・・勇敢な歌びとよ。君の歌を、我らの歌から遠ざけないでくれ・・・あの女性を、祝典の席から遠ざけないでくれ。あの星のような姫を、再び我らに輝かせてくれ!❞ 

 

ワーグナーの名調子を含む美しい仲々いい歌です。ヴォルフラム役のディヴィット・スタウト は、このアリアを朗々と本物のバリトンの響きで歌いました。やや乾いた声質でしょうか。欲を言えばもっともっと大声を上げて貰いたい気もしましたが、ここはエリーザベトを引き合いに出しているので抑制的に歌ったのかも知れない。

それにしてもタンホイザーは物語の最初から「行かせてくれ!行かせてくれ!戻れない」の一点張りですね。何が彼を前へ前へと進ませるのでしょうか?堕落からの脱却?罪の意識?贖罪の旅?今一つ釈然としません。結局、ヴォルフォルムの歌にジーンときたタンホイザーは、❝Zu ihr! Zu ihr!❞ と何回も叫び歌い、宮廷歌手として留まることを選びんで昔の生活の場に引き戻されるのでした。

 

《第二幕》

冒頭からオーケストラの小刻みな旋律が高音部で演奏され、いかにも小躍りする喜々ととした雰囲気をワーグナーは醸し出しています。Ob.の掛け合いの調べも良し。歌う玖しい弦楽アンサンブルをバックにエリーザベトが登場、最初のアリアを歌いました。

(所謂エリーザベトの『殿堂のアリア』)

❝Dich, teure Halle, grüss' ich wieder,froh grüss' ich dich, geliebter Raum!
In dir erwachen seine Lieder,und wecken mich aus düstrem Traum. 

       <中略>

Wie jetzt mein Busen hoch sich hebet,so scheinst du jetzt mir stolz und hehr;
der dich und mich so neu belebet, nicht länger weilt er ferne mehr.
Sei mir gegrüsst! sei mir gegrüsst! ❞

 エリーザベト役のサビーナ・ツヴィラクはタンホイザーが帰還した喜びを体一杯に含ませた立派なソプラノの歌声でグールドに負けない歌声を張り上げていました。出来れば上記<中略>した❝ Da er aus dir geschieden, wie öd'erschienst du mir! us mir entfloh der Frieden, die Freude zog aus dir. -❞ の箇所はもっとしんみり調で歌って欲しかった気がしました。

 

第二幕のハイライトは、やはり歌合戦の場面でしょう。だってそれがあるからそこでタンホイザーが歌うからエリーザベトは生気を取り戻し歌の場に出席するようになったのですから。タンホイザーもエリーザベトとの愛の歌が歌えるからこそ、方伯城に留まることにしたのですから。

トランペットの勇壮な調べに乗って、歌合戦参加者たちが行進して広間に参集する場面です(『大行進曲』)。誰もが知っている人口に膾炙したこれ程有名な曲はそうないでしょう(ワーグナーの結婚行進曲の方がやや優勢かな?)。オーケストラの響きに乗って合唱も入り、舞台はこのオペラ最大の華やかさの衣装を纏った人々で埋め尽くされました。

 吟遊詩人と言うか騎士ジンガーはタンホイザーを入れて4人歌いました。

歌う順番をくじで引くのも面白い。方伯の与えたお題は『真の愛の姿とは?』でした。

第一打席はヴォルフォラムが立ちました。二番バッターはヴァルター、三番目はビーテロルフかと思ったら、カエラは剣をタンホーザーに突きつけて怒っている、と言うのもそれまでのバッターが歌い終わる度に、タンホイザーは揚げ足を取る様な事を反論して歌ったからです。即ちタンホイザー以外の誰もが「泉」の清純と神聖さを愛の源だと歌ったのに対し、タンホイザー一人だけ、「楽しむこと」にしか愛は見え出せないと歌ったのです。

歌合戦で歌うタンホイザー(グールド)

さらにタンホイザ-は

 ❝ Dir, Göttin der Liebe, soll mein Lied ertönen! Gesungen laut sei jetzt dein Preis von mir! Dein süsser Reiz ist Quelle alles Schönen, und jedes holde Wunder stammt von dir. Wer dich mit Glut in seinen Arm geschlossen,
was Liebe ist, kennt er, nun er allein: -Armsel'ge, die ihr Liebe nie genossen,
zieht hin, zieht in den Berg der Venus ein!❞

 と歌ったからたまりません。出席者一同が驚愕し、「あのVenusberg!に行ってたとは、何と汚らわしい。皆逃げろー」と大混乱となりました。残ったのはエリーザベトだけ。

暫くして騎士、群衆皆が剣を抜きタンホイザーを取り囲んでしまいました。

 このタンホイザーの危機を救ったのが、エリーザベトの次の言葉でしょう。

❝ Der Unglücksel'ge, den gefangen ein furchtbar mächt'ger Zauber hält, wie? sollt' er nie zum Heil gelangen durch Reu' und Buss' in dieser Welt? Die ihr so stark im reinen Glauben,verkennt ihr so des Höchsten Rat?❞

 

親鸞聖人の『善人なおもて往生す、いわんや悪人をや』に通じる精神でしょうか?

それにしてもヴェーヌス(ヴィーナス)は、随分悪く受け止められているのですね。キリスト教、特に大昔の独国でのピューリタン的信仰では、聖職者の結婚は肉欲に通じると禁止されていたのでしたっけ?それにまったく反する思想をタンホイザーは叫んだのですから殺されそうになるのもむべなるかな。エリーザベトの思想も凄いですね。

 時間の関係もあって急ぎ端折って記しますと、第三幕では、タンホイザーは贖罪のため巡礼団に交じってローマを目指し、改悛した自分を見て貰い、教皇から免罪を受けようとしたのですが、不思議なことに教皇はタンホイザーのヴェーヌスとの愛欲に入り浸った生活を知っていて(誰か密告したのかな?それとも神の代理人たる教皇の神通力かな?)、許さなかったのです。巡礼団と共に許されてアイゼナッハに戻って来ることを期待して待ちに待ったエリーザベトは、帰還した巡礼団の中には、その姿はなく、いくら待っても戻ってこない。

 そうしている内に、失意で落ち潰れた姿で戻ったタンホイザーが、再びヴェーヌスとの生活に戻りたい等と主張する姿を見るに見かねたエリーザベトは、自分の身を犠牲にし(殉死し)、タンホーザーは天の神の恩寵を受けることが出来て昇天出来たという物語でした。

 何か現代社会のあらゆる国の通常の考えからは、随分かけ離れたキリスト教の、余りにも精神論的な道徳観に対して、180年も前にタンホイザーという人間を通して、敢然と問題提起したのがワイーグナーだったとは言えないでしょうか?

 尚、自己犠牲となったエリーザベトにはモデルになった聖人がいて、実在したハンガリーの王女エリーザベト[1207-31]の生涯をベースにしています。チューリンゲン方伯ルートヴィヒの未来の花嫁としてわずか、4歳でヴァルトブルクに連れてこられた彼女は、その犠牲的な運命に絶望することなく、貧者への慈善活動にはげみ、24歳の若さで亡くなった後に、聖人に列っせられました。「聖エリーザベト」と呼ばれていて、今でも人々の信仰を集めています。