HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『樫本大進&エリック・ル・サージュ』演奏会

樫本ルサージュ2023横浜

【日時】2023.2.4.(土)14:00~

【会場】横浜みなとみらいホール

【出演】樫本大進(Vn.)エリック・ル・サージュ(Pf.)

 

〇樫本大進

<Profile>

ロンドンで生まれる。 3歳からヴァイオリンを始め、恵藤久美子に師事した。父の転勤により、ニューヨークへ移り、7歳でジュリアード音楽院プレカレッジに入学し、田中直子に師事した。

1990年、11歳の時にリューベック音楽院で教鞭を執っていたザハール・ブロンに招かれ、リューベックへ移り、ドイツのギムナジウムに通いながら同音楽院の特待生としてブロンにヴァイオリンを師事した。同年、第4回バッハ・ジュニア音楽コンクールで第1位を獲得し、以後、リピンスキ・ヴィエニヤフスキ国際コンクール・ジュニア部門で第3位(1991年)ユーディ・メニューイン国際コンクール・ジュニア部門で第1位(1993年)、第3回ケルン国際ヴァイオリン・コンクールで第1位(1994年)をそれぞれ獲得した。1995年、日本でアリオン賞を受賞した後も、1996年、フリッツ・クライスラー国際コンクールで第1位、ロン=ティボー国際コンクールでは、史上最年少で第1位を獲得した。1997年10月、ギムナジウム高校課程を修了し、リューベック音楽院に正式に入学した。同年、日本でモービル音楽賞(奨励賞)を受賞。1998年、芸術選奨新人賞(音楽部門)受賞。1999年、19歳までブロンに師事したが、フライブルク音楽大学に移り、ベルリン・フィルコンサートマスターを務めていたライナー・クスマウルに師事する。2005年春に音楽院を修了し、本格的なプロ活動に入った。同年、日本でリサイタル・ツアーを行った。

2009年9月、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団第1コンサートマスターに内定。

2010年12月、試用期間を経て、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団第1コンサートマスターに、ベルリン・フィルで長くコンマスを務めた安永徹よりも1歳若い31歳で正式就任。

 

【樫本談】

室内楽は私の音楽活動の中で必要不可欠なものです。今回このシリーズを通して素晴らしい音楽家を迎え、様々な編成で室内楽を演奏できることはとても嬉しい事です。第1回目はクラシカルにヴァイオリンとピアノのデュオをお届けすることにしました。今回フォーカスを当てるのは、似通った雰囲気を感じさせつつ、表現の仕方はそれぞれ異なり同時代を生きた2人の音楽家、シューマンとブラームス。
 シューマンのヴァイオリン・ソナタは、とても奥深くそして濃厚な作品です。今回共演するエリックはシューマンのスペシャリストとして知られており、より深い音楽の世界に入り込めるのではないかと期待しています。また、ブラームスはシューマン の音楽を愛し、シューマンから大きく影響を受けたことでも知られています。彼の家をブラームスが訪れ、クララ・シューマンを交え食卓を囲み、共に時間を過ごしていたという友人関係は、お互いにとって貴重なものであっただろうと思います。  エリックとはサロン・ド・プロヴァンス国際室内楽音楽祭で出会い、20年近くの付き合いになる最も親しいピアニストの1人で、世界中の様々な場所で共演を重ねてきました。一緒にいると常に心温まり、自然と笑顔が溢れてしまう、人間的にも、 もちろん音楽的にも魅力的な人です。今回そんなエリックと私で、互いに尊敬し合う友人同士であったシューマンとブラームスの作品が演奏できることを楽しみにしています。
 室内楽は、クラシック音楽の原点であり、多くの作曲家が作品を残しました。私にとっても大切なものだからこそ、このプレミアム室内楽シリーズを始めるにあたっても、今後どのような編成や曲でプログラミングしていくか、考えを巡らせること にわくわくしております。

 

〇エリック・ル・サージュ(Pf)

<Profile>

パリ音楽院を修了後、ロンドンに留学してマリア・クルシオの許で研鑚を重ねる[1]。ソリストとしてはロマン派音楽、なかでもロベルト・シューマンを得意とするが、一般的には室内楽の若手名バイプレイヤーとして知られている。珍しいレパートリーの開拓にも意欲的で、とりわけドヴォルザークシェーンベルクストラヴィンスキーブリテンらのピアノ協奏曲を演奏している。フランス放送フィルハーモニー管弦楽団ドレスデン交響楽団などの有名なオーケストラにも招かれて共演している。サロン・ド・プロヴァンス国際音楽祭の創設者のひとり。

 

【曲目】

①シューマン:ヴァイオリン・ソナタ 第1番 イ短調 Op.105

(曲について)

ハンブルク出身のヴァイオリニストフェルディナンド・ダヴィッドに促されて、1851年の9月12日から16日の短期間で作曲され、12日から14日まで作曲を続け、15日にほぼ終了し、16日には全曲が完成した。

初演はシューマンのライプツィヒ最後の訪問となった1852年3月9日に、ロイス公爵邸での夕食会の後に、ダヴィットとクララによって初見で行われた。また翌日の3月10日にヘルテル博士の邸宅で、プライヴェートで行われている。公開初演は同年の3月21日に、ゲヴァントハウスのマチネ公演でダヴィットとクララによって行われた。楽譜はのちに1852年の1月にホフマイスター社から出版された。

 

②ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ 第2番 イ長調 Op.100

(曲について)

再掲記録の(曲について)を参照。

③シューマン:ヴァイオリン・ソナタ 第3番 イ短調 WoO27

シューマンは1853年、F.A.E.ソナタの初演翌日の10月29日から11月1日までの4日間のうちに、新たに2つの楽章を作曲して第1、第2楽章とし、先に作曲していたF.A.E.ソナタの2つの楽章を第3、第4楽章として新たな4楽章構成のヴァイオリン・ソナタを完成させた。これがこの3番のソナタである。ヨアヒムは追加した楽章が元の楽章と調和していると評価し、元のソナタとは別の作品であると述べている。ここでF.A.E.ソナタとはシューマンがヴァイオリニストであるヨゼフ・ヨアヒムに1852年献呈した作品で、シューマンがブラームスとディートリッヒと共同で分担して作曲したもの。その中ではドイツ音名のF.A.E.(イタリア音名のファ・ラ・ミに対応)の音列が曲の重要なモチーフとなっている。F.A.E.は同時にヨアヒムが常々自分のモットーとしていた「自由だが孤独に(独語でFrei Aber Einsam)」の頭文字でもある。その中のシューマンが担当した2楽章と4楽章を3番のソナタの第3楽章と4楽章としている。

 

④ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ニ短調 Op.108

(曲について)

再掲記録の(曲について)を参照。

 

 

【演奏の模様】

 樫本さんの演奏会は、以前聴きに行く予定になっていたものが、コロナ禍のために演奏者が来日不可という事で中止・払い戻しになってしまったことがありました(2022年3月「ベルリン・フィルのメンバーによる室内楽」)。その後何回か樫本さんの演奏会が開かれたことは知っていたのですが、他の演奏会との関係等で聴きに行けませんでした。従って今日が初めてでした。演奏会会場は2000人は入るみなとみらい大ホールです。これまで同ホールでは庄司紗耶香さんの演奏会を2年位前に聴きましたが、その時でも満員と言う訳にはいかず、上方席は空席が結構ありました。また3年ほど前には同じホールで篠崎さんの演奏会を聴きましたが、その時でも2/3位の入りだったでしょうか。今回はこの両ヴァイオリニストよりは失礼ながら日本での実績と知名度は高くないと思われる樫本さんが大ホールで演奏すると聞いてどれだけ人が入るのかな?人気度が分かるな等と興味本位の気持ちも有ったことも確かです。当日は先ず先ずの天気、20分程前にホールに入ったら、一階も上階もがらがらです。それが時間が経つにつれて観客が入り出し、開演直前の銅鑼の音が鳴り響く頃には、一階は2/3程の座席が埋まり、上階は結構がらがら(4割程度か?)といった風でした。最終的(後半の演奏が終わりアンコール演奏の時)でもそれは同じでした。以前驚いたのは石田泰尚さんが演奏会を開いた時。超満員の聴衆でした。地元人気もあるのでしょう。クラシック演奏家も人気稼業と言っていいかも知れない。

 尚、昨年12月に東京藝大教授二人がブラームスのソナタ全曲を弾いたのを聴きましたので参考まで文末にその時の記録を再掲しておきます(因みにその時は満員の聴衆でした、と言っても東京文化会館の小ホールで座席数400弱でしたから)。

さて樫本さん達の演奏は、デュオと言っても、(自分も含め)やはり樫本さんのVn演奏目当ての聴衆が多いでしょうから、樫本さんの演奏に鑑賞の重心がかかってしまいます。勿論曲としては『ヴァイオリン(とピアノのための)ソナタ』なのでしょうけれど。

 開演となり登壇したヴァイオリン奏者とピアノ奏者は挨拶をすると音を合わせてすぐに弾き始めました。

先ず①シューマンの1番ソナタ。三楽章構成。

Ⅰ情熱的な表現で(アレグロ・アパッショナート)

Ⅱアレグレット

Ⅲ 生き生きと(アレグロ・コン・ブリオ)

 

 樫本さんの第一声は、低音で開始、随分分厚い音、結構激しく弾く流れも良い。Pf.と息が合っています。Pfの合いの手の旋律が美しくその後何回も出てきます。シューマンらしい粘性(ブラームスもその影響を受けている様ですが)のねちねちした感がある連綿と続くVn.の旋律展開、ピアノはヴァイオリンとほぼ斉奏か?と聴き違う程の密着度です。最終段階でのVn.の高音の速いパッセッジは力強く良かった。最後の激しいボーイングも納得いく演奏、Pf.演奏は順調感がありました。

続く二楽章は低い音ですが美しくVn.が鳴らし始めました。ややテンポが速くなっても樫本さんは悠々と弾いています。テンポが速まり高音でのリズミカルな旋律、何回か繰り返されるテーマソング、淡々と合わせるPf.。テンポの変化や強弱の連なりなど、配布プログラムノートにもある様に、渦巻く響きでした。この楽章でも連綿とした演奏の様子は変わりません。たまに重音も挟まれていましたね。軽く終了。

最終楽章は猛スピード運転、ピアノの後にすぐにVn.が細かく刻んだ旋律を、弦上で弓を飛び跳ねさせて出して、そのペースで一気にゴールに走り込みました。

最後までVn.とPf.は息のピッタリ合った演奏でした。

 

②ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ 第2番 三楽章構成。

Ⅰアレグロ・アマービレ

Ⅱアンダンテ・トランクィロ・ヴィヴァ―チュ

Ⅲアレグレット・グラツィオーソ

 

 冒頭からPf,の美しいメロディが響き、すぐにVn.が同じく追随しました。仲々いい感じ。ここでは樫本さんの弾くVn.旋律の演奏は、力の入れ具合が割りと淡白な感じがしましたが、勿論完全無謬。Pf.は丹念に相変わらず美しく弾いていて、ブラームスの魅力を遺憾なく発揮しています。Vn.とPf.のボールのやり取りは、互いに相手が目立つ様に気を配っている感じ。でも樫本さんの演奏の方がやや遠慮がちかな?弱い。

次楽章も大変美しいブラームス節(ブラームス特有のお洒落ないぶし銀の様な美しい旋律の個人的な呼称)がターンタラランと最初から鳴り始め、これでは一楽章の連続ではないか?美を誇り過ぎではないか?美しくない物への変化はないのか?と思った途端、曲相が変わり、速いテンポでPf.がVn.を誘うが如く急ぎ出しました。Vn.演奏もテンポを速め、暫く合いの手と重奏を重ねましたがすぐに元の(冒頭の)緩やかな旋律に変わり、最終的にはもう一度速いテンポのピアノにPizzicatoで合わせる箇所を経過して、最初のテーマの変奏をVn.が美しく奏でました。

最終楽章のズッシリしたVn.の調べ、合の手を入れるPf.次第にVn優勢のデュオとなりPf.は伴奏に徹しています。様々なブラームス節に満ちた楽章、最終部分は樫本さん相当な力演でしたがよくをいえば、重音奏部分をもっと強く表現して欲しかった気がしました。

 ここまでで感じたことは、樫本さんのVn.演奏は習う生徒には立派なお手本でそれを余すことなく伝えていて、後身もきっと樫本さんの様な完全無欠な演奏が出来る様に成長するでしょう、きっと。でも我々一般聴衆にとっては、人生で様々な体験をしていて、それ以上のものが、精神的にジグジグ伝わって来るアピールするものが無いと、感動は小さなものになってしまいます。演奏者の精神が楽器に乗り移って、それが聴くものの心に伝播していくそうした感動波の渦がそれ程感じられませんでした。後半の演奏を聴いてみないと断言は出来ませんが、そんな感じです。

 

《20分の休憩》

 

後半演奏の最初はシューマンの3番のソナタ。(曲について)に記した様に四楽章構成です。

③シューマン『Vn.ソナタ3番』

ⅠZiemlich langsam - Lebhaft

ⅡScherzo: Allegro

ⅢIntermezzo: Bewegt, doch nicht zu schnell

ⅣFinale. Markiertes, ziemlich lebhaftes Tempo

 

 Vn.の短調の劇的な調べが冒頭から強く響き渡りました。Pf.も旋律的短音階の下行形の旋律を劇的に鳴らし、両者共随分と力をこめて弾いています。何かを叩きつけるような旋律。樫本さんは渾身の力を込めてボーイングしている感じ。1番と同じ様にこうした音の連なりが連綿と続くので、やや食傷気味。息をつく暇も無く一楽章が終りました。シューマンの情熱は伝わってきますが、何か背に重いものを背負って歩いている様。聴いていて疲れました。

次楽章では Pf.がジャラジャラジャラジャンジャンジャンと速いテンポで強奏で開始、Vn.も入って少しづつ上行する跛行旋律で比較的速く演奏しました。心・気持ちにわだかまりでもないと出てこない様な旋律でしょうか?Pf.が激しい旋律を繰り返し鳴らしています。最後まで息抜き出来ない状況が感じられる楽章でした。

三楽章はPf.が静かに入りすぐにVn.も同旋律を静かに響かせるとPf.はVn.と斉奏、Vn.の調べは美しいと言ってもありふれたもの。Pf.は分散和音でVn.の旋律を斉奏している感じでした。やや安堵感がある気が抜けた楽章。

最終も特徴ある旋律でしたが、矢張り気持ちの安らぎは感じられない。ややブラームス的かな?いやブラームスに影響を与えているのかも知れない。タンタンターン、タタタタターン というリズムが頻繁に繰り返され、絶え間何区Vn.旋律が続き、時々Pf.のコロコロコロと美しい旋律も混じりましたが、絶え間なくVn.旋律が連綿と続く、これはこの時期のシューマンの特徴なのでしょうか?やはり我々通常人には共感が呼べない処ですね。少なくとも自分はそう思いました。

 シューマンのソナタではVn.の重音演奏部が余り多くは入っていない様ですね。

テクニック的には超絶技巧を要する箇所は余り無いのでしょうか?

最終曲は④ブラームスのソナタ3番です。この曲も四楽章構成です。

Ⅰ.Allegro

Ⅱ. Adagio

Ⅲ.Un poco presto e con sentimento

Ⅳ.Presto agitato

 

 冒頭から有名な高音のブラームス節が流れ出しました。美しく繊細な調べ。Vn.の合間のPf.ソロ演奏が腕の見せ所でしょうか。サージさんはさすが、シューマン、ブラームスのスペシャリスト、見事なものでした。高音のテーマソングを樫本さんは良く鳴らしています。OK!その後のくねくね、くねくねとした方式はシューマンの影響でしょうか?この楽章の終盤のVn,もPf.も次第に盛り上がってテーマの変奏を一部の指揮も無く両者の協奏、会話するが如きやり取り、この箇所は大いに聴く耳から心にストンと落ちた良い演奏で下。素晴らしい。

 次楽章は、同時スタート、哀愁を帯びた落ち着いたVn.のブラームス節演奏です。合の手のPf.演奏が素晴らしい、これはブラームスのピアノパートが素晴らしいことがあっての事でしょう。後半はVn.弦の勢いもう少しあるといいなと思う箇所が散見されました。樫本さんお疲れなのでしょうか?演奏前に出て来た時少し首を回していました。でもその後重音で弾き、有名なブラームス節をPf.と斉奏する箇所では滔々と上行旋律で力奏する樫本さん、さらに重奏化して演奏した最終部は見事でした。

 

最後にアンコール演奏がありました。

《アンコール曲》クララ・シューマン『三つのロマンス』から第一曲

仲々いい曲ですが一曲では非常に短いですね。これとは別に『三つのロマンス』はロベルト・シューマンも作曲しています。どういう訳で、夫と同じ名称を付けた曲なのかは分かりませんが、クララはこの曲をブラームスに献呈した様です。既にロベルトは自殺未遂が原因で亡くなっていました。ブラームスは母子家庭のクララ母子を経済的に援助していて、クララは感謝していた様です。でも献呈曲にロマンスという名が付いていて、しかも「三つ」ですから、下種の勘繰りを入れると、ロベルト、クララ、ブラームスの三人のロマンスとも取れないことは無いですね。

 

////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////2022.12.9.HUKKATS Roc.(再掲)

『漆原朝子Vnリサイタル』ブラームス全ソナタを聴く


【日時】2022.12.8.(木)19:00~

【会場】東京文化会館小ホール

【出演】漆原朝子(Vn)伊藤 恵(Pf.)

【曲目】

①ブラームス: ヴァイオリンとピアノのためのスケルツォハ短調 WoO 2 「F.A.E ソナタ」 第3楽章

(曲について)

 この曲は、ディートリヒ、シューマン、ブラームスが、ヨアヒムのために作曲しました。このソナタは、おそらくシューマンの発案によって生まれたようで、ヨーアヒムのモットー (frei aber einsam [自由に、しかし孤独に]) のF. A. E. の音進行をおりこんだ主題を四つの楽章においている。その和声にモットーが秘められている。ヨーアヒムは、早速このソナタをブラームスと演奏し、即座に各楽章の作曲者を当てた。その第一楽章アレグロはディートリヒの作、ヘ長調の第二楽章「間奏曲」はシューマンの手になるもので、ハ短調のスケルツォはブラームスの作曲、第四楽章はシューマンの書いたものとなっている。

 この曲は、第三楽章が最も有名。ハイフェッツが好んで演奏している。情熱的で、ジプシー的要素を含め極めてブラームスらしい曲。

 

②ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ト長調 op.78『雨の歌』

(曲について)

 第1番を作曲する以前にブラームスは、1853年秋頃(それ以前とする説もある)にイ短調のヴァイオリンソナタを作曲した。シューマンはソナタの出版を提案したが、ブラームスの判断(自己批判)で破棄されたという。

 本作は1878年と1879年の夏に、オーストリア南部のヴェルター湖畔の避暑地ペルチャハで作曲・完成された。1877年から1879年までの3年間はこの地で過ごしていたが、こ、の3年間のあいだにブラームスは、交響曲第2番(1877年)やヴァイオリン協奏曲(1878年)なども作曲している。

 「雨の歌」の通称は、第3楽章冒頭の主題が、ブラームス自身による歌曲「雨の歌 Regenlied」作品59-3の主題を用いているためである(ただし、ブラームス自身はそう呼んでいない)。これ以外にもヴァイオリンソナタ第2番作品100なども、自作の歌曲と主題の関連性が指摘されている。ブラームスは1879年2月16日にクララ・シューマンに送った手紙の中で病床にあったフェリックス・シューマンを見舞うとともにこの曲の第2楽章の主題を送っている。クララはその後このソナタについて「あの世に持っていきたい曲です」と述べるほどの愛着を見せている。

 第1番は、ヨーゼフ・ヨアヒムのヴァイオリン、ブラームスのピアノによって、最初にプライベートな非公開の場で最初の演奏が行なわれた。その後、1879年11月8日にマリー・ヘックマン=ヘルティのピアノ、ロベルト・ヘックマンのヴァイオリンによってボンにて公開初演が行なわれ[3]、その12日後の11月20日に、ブラームスとヨーゼフ・ヘルメスベルガー1世によって再演された。

 

③ヴァイオリン・ソナタ 第2番 イ長調 op.100

(曲について)

 ヴァイオリンソナタ第1番の完成から7年を経た1886年の夏に、避暑地のトゥーン湖畔(スイス)で作曲・完成された。この時期のブラームスは多くの友人たちと親交を結び、同時にピアノ三重奏曲第3番やチェロソナタ第2番など多くの作品を生み出すなど、充実した生活を送っていた。そうした日々から生まれたのがヴァイオリンソナタ第2番である。 この後に第3番が書かれているが、第2番とは対照的に暗い雰囲気が醸し出されている作品である。

 初演は1886年の12月2日にウィーンでヨーゼフ・ヘルメスベルガーのヴァイオリン、ブラームス自身のピアノによって行われた 。

④ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ニ短調 op.108

(曲について)

 ヴァイオリンソナタ第2番を完成させた直後の1886年から1888年にかけて作曲されたものである。当時ブラームスは避暑地のトゥーン湖畔(スイス)に滞在中で、悩みのない十分な生活を快適に過ごしていた。しかし1887年に友人で音楽学者のカール・フェルディナント・ポール(1819年 - 1887年)の訃報を受けると、孤独感などに苛まれるようになった。これらが反映されているためか、第3番は第2番とは異なり、晩年に見られるような重厚で内省的な作品となっている。これ以降ブラームスは諦観の感情を出すようになり、短調の作品を多く書くようになる。

1888年に脱稿後、ベルンに住んでいた親友で詩人のヨーゼフ・ヴィクトール・ヴィトマンの邸宅でプライヴェートでの初演が行われた。ただしこの時の演奏者や日時は不明である。公的な初演は1888年の12月21日(22日とも)にブラームス自身のピアノ、ハンガリー出身のヴァイオリニストのイェネー・フバイによって、ブダペストで行われた。1889年にベルリンのジムロック社から出版され、良き理解者であった指揮者のハンス・フォン・ビューローに献呈された。

ヨーゼフ・シゲティは、この曲の試演がシゲティの師イェネー・フバイとブラームス自身によって行われ、その20年後にフーバイとレオポルド・ゴドフスキーの演奏をブラームスが聴いたこと、フバイからブラームス特有のテンポ指示について学んだことなどが語り、自らのブラームス解釈の正当性を主張した。しかし、自らジャケット裏面にそうした解説を書いたLP(米コロンビア ML5266)は、皮肉なことにアメリカの音楽雑誌『ハイ・フィディリティ』誌上で、当時人気のあった評論家ハロルド・ショーンバーグにたったの3行でけなされ瞬く間に廃盤となり、その後も長く復刻されなかった。



【演奏の模様】

①Vn.とPf.のためのScherzoハ短調 WoO2 「F.A.Eソナタ」 第3楽章

 冒頭からパパパハパーン、パパパハパーンと速い激しいメロディを両者とも立てて、ほぼ同じテンポで弾いています。伊藤さんは相当強くピアノを叩いていますが、漆原さんのVn.も負けてはいません。中間部辺りからVn.はスピードを落とし、ゆったりした旋律を奏で始めました。暫し美しいブラームス特有の節で歌いあげ、すぐに最初の激しいテンポに戻りました。最後少し穏やになるも、一気に終了の音に滑り込んだ感じでした。

 中間部でVn.が流した旋律以外は、両者とも荒々しさを感じるだけで、繊細な音の妙は全然ない曲でした。この激しさは一体何なのだろう?

 

②1番ソナタ

この曲は「雨の歌」という象徴的な場面を含むので、ソナタの中では一番有名なのかも知れません。実はこの演奏会の翌々日に、主に外国で活躍してきたヴィルトゥオーソとも言える演奏者による同じ曲の演奏を聴く機会がありました。日付けの順番は前後しますが、以下にその時の演奏の模様を抜粋引用します。

//////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////Hukkats Roc(再掲・抜粋)

堀米ゆず子&ヴァレリー・アファナシエフ 《奇跡のデュオ》

 

④ブラームス『ヴァイオリンとピアノのためのソナタ 第1番 ト長調 op.78』

 <演奏>ヴァイオリン:堀米ゆず子、ピアノ:ヴァレリー・アファナシエフ 

さてこの曲は三楽章構成で

Ⅰ.Vivace ma non troppo

Ⅱ.Adagio

Ⅲ.Allegro molto moderato

この曲の第三楽章冒頭で、自らの歌曲「雨の歌Regenlied」作品59-3の主題を用いているため「雨の歌」という副題が付けられています。

④-Ⅰ.

 Pf.が低く入りすぐにVn.も低い音で参加、くねくねくねと上行するVn.Pf.の主題の演奏、とても綺麗な音を立てています。堀米さんのVn.演奏も③シューベルトの時よりは音が鳴っていたと思います。

 Vn.のpizzicato演奏下、Pf.は旋律を強く打鍵、相当大きな音を立てている。アファナシエフの演奏は一個一個の音が美しく旋律表現も柔らかくシューベルト演奏にはうってつけではないかと思った。Vn.も大健闘、音が伸びやかでした。

④-Ⅱ

 Pf.が伴奏的な旋律を大きな音を立てて暫く前奏した後、Vn.が入ります、少し音を響かせて上に上がり、又響かせては下に下がる音でかなり情念が籠った感じのする強い表現を両者ともしている。

 Vn.の重音が続き再度、少し音を響かせて上に上がり、又響かせては下に下がる音を立て、堀米さんは、さらにその変奏をさらには重音演奏で滔々と音を響かせて最後はPf.共々静かに音を収めるのでした。

④-Ⅲ

 短調のVn.の調べが、Pf.の伴奏で響き渡り、所謂「雨の歌」の旋律で、Vn.はもの悲し気に歌います。同時にPf.もポポーンポポーンとフォローしている。

 実はこの演奏会の前々日に『ブラームス・ヴァイオリンソナタ全曲演奏会』があり聴きに行きました(記録は未完遂)。そこで演奏されたVn.とPf.の関係と今回の演奏をどうしても比較したくなります。今回はこの曲でもやはりアファナシエフのピアノ演奏が目立ってしまっています。これは座席のせいではないと思う。鍵盤が良く見える二階の斜め前席ですから、ピアノの音は大きく開いた響板に反射し斜め前より真正面に大きく響くでしょうしVn.の音は楽器を中心にが逆円錐状に上に広がるでしょうから、ピアノの音がヴァイオリンよりも卓越して聞こえたのは、矢張り演奏が原因だと思います。アファナシエフはVn.奏者の方は一向気にしていない様子で自分の演奏に没入している感じ、一方、堀米さんの方はやや疲れを見せた演奏で音がやや小さく(③のシューベルトの時程ではないですが)聞こえました。音の美しさはピアノが優っていました。これは前回聴いた時と大違いだった点です。

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これに対し今回の藝大教授コンビの「雨の歌」の演奏は次の様なものでした。

②-1楽章

 美しいロマンティックな中音域のテーマ旋律がVn.から流れ出し、くねくねくねと下がる旋律がお洒落感あり。ピアノがテーマを繰り返しVn.は重音を立てています。漆原さんの起伏有る演奏が絶妙に聞こえます。どちらかというとやや速いテンポでしょうか?高音域に競りがる箇処も綺麗な音が鳴っていました。

 Pf.も力がのって来て、相当な力演と見えます。Vn.が上向してピーク音に達し、pizzcatoに代わった処でPf.がテーマを繰返しましたが、何故か強い旋律の印象はありますが、本来の綺麗なPf.の響きは感じませんでした。すぐにVn.が入り高音から下降する旋律、Pf.もカノンの如く後を追い、あたかも二羽のモンキチョウが戯れ合って近づいては離れ、離れては又近づき飛ぶ様を連想出来る様な相の手を入れ合う二人の奏者でした。中間部では相当の強い大きい音を立て、又テーマに戻りゆっくりと暫し静むと再度盛り上がる兆候を見せ、Vn.はくねくねくねと弓を弦の上で揺すらす様な運弓が見えました(割りと前の席だったのでVn.は良く見えました。Pf.鍵盤は無理ですが)。 ブラームスは作曲家であると同時にピアニストでしたから、Pf.と他の楽器の組合せの曲でも、大抵の場合 Pf.に活躍の場を設けている場合が多いのですが、特に今回の曲はタイトルに ❝Sonate für Klavier und Violine Nr. 1 G-Dur op. 78❞とPf.とVn.を対等に考えている筈なのですが、どういう訳なのか、Pf.の音は結構大きく目立って聞こえることも有りましたが、Vn.の活躍が優勢だったという印象が強い楽章でした。

②-2楽章

 Pf.先行で少しためらい気味の前奏が鳴らされ、Vn.が物悲しい旋律で入りました。ダターンと鳴るPf.に合わせてVn.も同じリズムで合わせている。この辺り両奏者は淡々と駒を進め、Vn.の重音演奏も何となく悲し気に聞えます。かなり力を入れて演奏しているのですがPf.は一楽章と同じ印象、ピアノの美しさは感じられませんでした。これが病床にあったクララの息子に献呈された曲なのですね?見舞い的なものは普通励ましたり、元気が出る様な送りものが多いと思いますが、何かクララの気持ちを汲んだ悲しみに溢れた雰囲気の曲で、常人だったら益々落ちこんでしまいそう。最後の重奏音等苦しみ、もだえさえ感じます。漆原さんの演奏は、さすがと思える美しい旋律を奏でていました。テクニックも完璧。

②-3楽章

 冒頭にドイツの詩人クラウスグローツの詩(雨が降る幼い時の思い出の詩)にブラームスが旋律を付けて歌曲にした『雨の歌』の旋律を基とした主題がVn.によって演奏されます。参考までにこの8つの歌からなる歌曲の、関係するメロディの部分の歌詞を抜粋して以下に記します。

Walle,Regen,walle nieder,  
Wecke mir die Träume wieder,
Die ich in der Kindheit träumte,
Wenn das Naß im Sande schäumte!

Wenn die matte Sommerschwüle
Lässig stritt mit frischer Kühle,
Und die blanken Blätter tauten,
Und die Saaten dunkler blauten.

雨よ降れ、降れ
子供のころのあの夢を
もう一度呼び覚ましてくれ、
雨水が砂の上で泡立つ時に

すがすがしい冷気に、たちまち
夏のものうげな暑さが和らぐ時に、
そして青い葉が雨にぬれ
麦畑がいっそう青くなる時に

 

~~~~~~<中略>~~~~~~~

Walle,Regen,walle nieder,
Wecke meine alten Lieder,
Die wir in der Türe sangen,
Wenn die Tropfen draußen klangen!

Möchte ihnen wieder lauschen,
Ihrem süßen,feuchten Rauschen,
Meine Seele sanft betauen
Mit dem frommen Kindergrauen.

雨よ降れ、降れ
あの昔の歌をもう一度呼び覚ましてくれ
雨だれが外で音をたてていたときに
戸口でいつも歌ったあの歌を

もう一度、あの、やさしい湿った雨音に
耳を澄ませていたい
聖なる、子供のときに感じた畏れに
私の心はやさしくつつまれる

 

 そう言えば関係ないですが、八代亜紀も歌っていましたっけ、❝雨あめ降れふれもっと降れ、私のいい人連れて来い❞って。 雨は古今東西を問わず、人の心を感傷的にし人恋しくするのですね。 日本にも留学したことのある中国清朝の女性革命家秋瑾が、刑死に及んで読んだとされる❝秋風秋雨人を愁殺す❞という言葉もある位ですから。

 この一番のソナタは、以上の「雨の歌」の由来も有り、一番有名です。しかし曲調としては暗い、寂しい、或いは悲しみさえ感じる曲です。お二人の演奏は素晴らかったのですが、余りそうした暗さよりは、音楽の勢いが感じられる演奏だったと思います。

 

③2番ソナタ

第1楽章 Allegro amabile

第2楽章Andante tranquillo - Vivace

第3楽章Andante tranquillo - Vivace

これはもう文句なく今日一番のピアノとヴァイオリンの演奏でした。ピアノのソロ部分も長くあり、ここで初めてPf.の優しい音、綺麗な旋律が迸り出て、またVn.の旋律も実に美しい箇所が多くはめ込まれていて、ブラームス会心の作ではないかと思います。伊藤さんも漆原さんも会心の演奏だったのでしょう。将に「Sonate für Klavier und Violine」、ピアノがヴァイオリンと対等に渡り合った演奏でした。

 

④3番ソナタ

第1楽章Allegro

第2楽章Adagio

第3楽章 Un poco prest e con secentient

第4楽章 prest agitato

 

 第1楽章の冒頭、ヴァイオリンがロマン的でメランコリックな主題を奏で始めると、ピアノが右手と左手で穏やかなシンコペーションを奏でているすぐに両者ともかなりの強さで演奏、ブラームス節(ブラームスらしい旋律)が変奏も含め、何回も繰り返され玄人向きの楽章か?終結部はテンポを緩め静かに終えました。

第2楽章

 カヴァティーナ風の穏やかな旋律が流れ、ゆったりとしたテンポでG線のヴァイオリンで奏でる柔和な歌に始まり、抒情性豊かに歌われる。将に歌ですね。ここはどこかから引用したのでしょうか?漆原さんの演奏はきっかりと定格に沿った模範的演奏、個人的には枠をはみ出した歌を歌う様な抒情性をもっと強く出して貰いたかった気もします。短い楽章でした。

第3楽章

 スケルツォ風(2拍子)の楽章。Pf.がポポンポ、ポポンポ、ポポンポ、ポロロロと何回か繰り返して先行し、Vn.が入りすぐにPf.と同じ旋律を繰返しました。憂愁の度合いが増して暗い情感が全体を覆う。Vn.が弓の根元で強い引き弓の音を立て前半はピアノも含め、かなり激しい演奏。このテーマを繰返すPf.にpizzicatoで応じるVn. 相当力を込めています。この楽章も短い。

第4楽章

 ジャジャジャジャジャジャ、ジャジャジャジャジャジャとこれまでの憂鬱な雰囲気や感情を払いのけるかのように、激しい響きのVn.重音で開始,中間部もかなり鳴らす両者でしたが、最終部の初めではVn.の美しい旋律も流れました。総じて激しい力の籠った両者の演奏が目立った楽章でした。

 全ての曲を聞いて振り返ってみると、やはりソナタ2番がピアノ演奏もヴァイオリン演奏も、圧倒的に印象的でした。こうした雰囲気の曲が好きなだけかもしれませんが。

演奏が終わると満員の小ホールからは大きな拍手が起き、何回か伊藤さんと漆原さんは袖から呼び戻され、アンコール曲を演奏する旨を漆原さんが宣言して二人で弾き始めました。

 アンコール曲は、シューマン『3つのロマンス』より第2曲。有名な美しいメロディの曲です。今日のブラームスソナタ全曲を聴いたばかりでこの曲が耳に入ってきた瞬間❝あれ、随分ブラームス的な旋律だな❞と思ったのですが、逆ですね、ブラームスの曲が長年師事したシューマンの影響を受けたのでしょう。