この年末は、第九を聴いた後はコンサートに行く予定はないので、部屋の中を整理掃除したのですが、積読状態になっていた本の中にまだ読んでいなかった本で目に留まった以下の二冊の本を連読しました。
①谷崎潤一郎『陰翳礼讃.』
②村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』
何れも随筆、紀行、随想に関する文庫本で、前者は角川文庫、後者は新潮文庫です。
①は、Ⅰ陰翳礼讃、Ⅱ現代口語文の欠点について、Ⅲ懶惰の説、Ⅳ客ぎらい、Ⅴねこ、Ⅵ半袖ものがたり、Ⅶ厠のいろいろ、Ⅷ旅のいろいろ から成るエッセイ集です。
一方②は、Ⅰスコットランド、Ⅱアイルランド の両国の旅のエッセイです。
両者を読んで、考える処が多少ともあったので以下にそれを記しますが、比較の都合上、①からはⅠ陰翳礼讃、の内容から、②からは、ⅠとⅡの両国の内容から引用します。なぜならば、②の方は、音楽好きの著者(村上)が度々音楽に関する内容を記述しているのに対し、①の方は著者(谷崎)の博識深謀の考えからの広い記述内容が多い中でⅠには多少とも音楽に関する記述もあるからです。
さて①のⅠでの谷崎の言及は一言でいうと、日本の文化は「陰影」が尊ばれる文化で、日本家屋、伝統芸能、和紙、漆器に至るまで、陰翳の機微に触れる処が奥ゆかしというのです。例えば❝紙というものは支那人の発明であると聞くが、我々は西洋紙に対すると、単なる実用品という以外に何の感じも起こらないけれども、唐紙や和紙の肌理(きめ)を見ると、そこに一種の温かみを感じ、心が落ち着くようになる。同じ白いのでも、西洋紙の白さと奉書や白唐紙の白さとは違う。西洋紙の肌は光線を撥ね返すような趣があるが、奉書や唐紙の肌は柔らかい初雪の面のように、ふっくらと光線を中へ吸い取る。そして手触りがしなやかであり、折っても畳んでも音を立てない。それは木の葉に触れているのと同じ様に物静かでしっとりしている。ぜんたいわれわれは、ピカピカ光るものを見ると心が落ち着かないのである❞。❝西洋人は食器などにも銀や鋼鉄やニッケル製のものを用いて、ピカピカ光る様に研き立てるが、われわれはああいう風に光るものを嫌う。我々の方でも、湯沸かしや、杯や、銚子等に銀製の物を用いることはあるけれども、ああいう風に研き立てない❞。❝かえって表面の光が消えて、時代がつき、黒く焼けて来るのを喜ぶのであって、~❞。❝京都に「わらんじや」という有名な料理屋があって、ここの家では近頃まで客間に電灯をともさず、古風な燭台を使うのが名物になっていたが、今年の春、久しぶりで行ってみると、いつの間にか行灯式の電灯を使うようになっている❞。❝その時私が感じたのは、日本の漆器の美しさは、そういうぼんやりした薄明りの中に置いてこそ、始めてほんとうに発揮されるということであった。❞ ❝私は、吸い物椀を前にして、椀が微かに耳の奥へ沈むようにジイと鳴っている、あの遠い虫の音のようなおとを聴きつつこれから食べる物の味わいに思いをひそめる時、いつも自分が三昧境に惹き入れられるのを覚える。茶人が湯のたぎるおとに尾上の松風を連想しながら無我の境に入るというのも、恐らくそれに似た心持ちなのであろう。日本の料理は食うものでなく見るものだといわれるが、こういう場合、私は見るものである以上に瞑想するものであるといおう。そうしてそれは、闇にまたたく蝋燭の灯と漆の器とが合奏する無言の音楽の作用なのである。かって漱石先生は、「草枕」の中で羊羹の色を賛美しておられることがあったが、そういえばあの色などはやはり瞑想的ではないか❞。
さらに谷崎は音楽に関して次の様にも述べています。❝蓄音機やラジオにしてももしわれわれが発明したなら、もっとわれわれの声や音楽の特徴を生かすようなものができたであろう。元来我々の音楽はひかえ目なものであり、気分本位のものであるから、レコードにしたり、拡声器で大きくしたりしたのでは、大半の魅力が失われ。❞。❝そこでわれわれは、機械に迎合するように、かえってわれわれの芸術自体を歪めていく。西洋人の方は、もともと自分たちの間で発達させた機械であるから、彼らの芸術に都合がいいように出来ているのは当たり前である。そういう点で、我々は実にいろいろの損をしていると考えられる。❞
谷崎が上記作品を書いたのが1933年、この年は日本が国際連盟を脱退した年で、将に日本は大陸(中国)における戦争を拡大する直前なのです。欧米諸国に対抗する雰囲気が日本を覆っていたのかも知れません。でも谷崎の物の見方は正眼と言うか一理あると思う。現代から見ると笑止千万な点もありますが、日本的特質の一面を抉り出しています。
一方、②の春樹紀行は、もともと夫妻でアイルランド方面の旅行をのんびり楽しもうという計画のさ中に、ウィスキーについて書いて欲しいというオファーがあり、そこでウィスキーをテーマとした旅行計画に変更され、その本場、スコットランドとアイルランドのウィスキーを試す旅となったそうです。
Ⅰスコットランドでは、アイラ島のウィスキー蒸留所を訪問「アイラのシングル・モルト」を賞味・堪能したのです。面白い会話が載っていました。春樹氏が現地の人に質問したのです。「毎日シングル・モルトを日々飲んでいるのですか?」❝当たり前❞ 「ビールは飲まないのですか?」❝当然じゃないか❞「スコッチ(ブレンドウィスキー)は飲まないのですか?」❝勿論飲まないよ。うまいアイラのシングル・モルトがあるのに、どうしてブレンデッド・ウィスキーなんてものを飲まなくちゃいけない?それは天使が空から降りてきて美しい音楽を奏でようとする時にテレビの再放送番組をつけるようなものじゃないか❞ アイラ等のシングル・モルトはスコットランド各地に運ばれ様々な有名スコッチ、例えば、「ジョニー・ウォーカー」「カティーサーク」「ホワイト・ホース」等の原料となっているとのことです。最近はその原料のシングル・モルトに人気が出ているという。アイル島には、七つの蒸留所があってそれぞれ異なる風味のシングル・モルトを生産しているのです。春樹ウィスキー・コニサーは各蒸留所の七つの名酒を聞き分け、次の様に言及しています。
❝①アードベック(20年もの)、②ラガヴリン(16年)、③ラフロイグ(15年)、④カリラ(15年)、⑤ボウモア(15年)、⑥ブルイックラディー(10年)、⑦ブナハーブン(12年)、最初の方が如何にも土臭く、荒々しく、それからだんだんまろやかに、香りがやさしくなってくる。
<中略>一番ワイルドな①はいかにも個性的で魅力的だが、毎日こればかり飲んでいたら、あるいはいささか疲れるかもしれない。たとえていうならば、魂の筋のひとつひとつまでを鮮やかに克明に浮かび上がらせていくグレン・グールドの『ゴルドベルク変奏曲』でなく、淡い闇の光の隙間を細く繊細な指先でたどるピーター・ゼルキンの『ゴルドベルグ変奏曲」を聴きたくなるような穏やかな宵には、かすかなブーケの香りが漂うブナハーブンあたりを、一人静かに傾けたいところである。❞
この一節を読んで、先の谷崎の陰翳の機微に触れる処が奥ゆかしという赤色部の境地とほとんど近い心境を村上春樹が語っていることには驚きました。時代と場所と対象とが全く異なる二人の境地がですよ。谷崎が書いたのは1933年、春樹の作品にはいつ旅をしたか年代が一切書いてないのですが、推定できる記述が一か所あります。❝昨夜マイク・タイソンが、ラスベガスのリングの上で対戦相手の耳を嚙み切った❞という箇所。この事件は有名で、この一行をググればすぐ出てきます、1997年の出来事だという事が。(=平成9年ですから、この本の初版発行の平成14年は旅の5年後という事になります)、両者の場所は、谷崎が日本国京都、対する春樹は英国スコットランド&アイルランド、対象は京の割烹料理屋(現存する「わらじや」とは場所が異なり別かも知れない、もう無いかも知れない)での食事の際の境地、一方春樹はウィスキーの利き酒時と全く異なる状況下であり、同じ物と言えば二人とも日本文学界を代表する作家で食通であるという事位かな?何故こうも同じようなことを言及するのかは考えても出て来ません。結局二人とも「日本人だから」という事でしょうか?
この二つの著作を読みながら、どういう訳か堀辰雄の『浄瑠璃寺の春』が何度も頭をよぎりました、全く関係ないですが。多分、二人の作家の至福に浸る様子を感じ取り、自分の頭は、昔(中学生のころ)からそのホッコリした雰囲気が気に入っている堀辰雄の随想の中に等置しようとしたのかも知れません。再度中野脳科学者の講演会が有れば、何故なのか質問してみようかと思います。
尚、アイラ島の住民のウィスキーの推奨食として、地場産の生ガキにウィスキーを垂らして食するということを著者は試してみたら❝うーん。いや、これがたまらなくうまい。…口の中でとろりと和合するのだ❞と書いているので真似してみました。真似と言っても擬きですが、スーパーの安生ガキに、安国産ウィスキーを垂らして食べたら、ほんとに美味しい味わいでした。一行の価値あり。