表記の新国立劇場で今日(4/18)催行されたオペラは、1835年にドニゼッティにより作曲されたものであり、同年9月にナポリのサン・カルロ劇場で初演されました。1800年代初頭と言えばあのフランスの作家スタンダールがイタリアを旅行していた時期 であり、彼の書いた『イタリア旅日記(ローマ、ナポリ、フィレンツェ1826年)』の中に、この劇場に関しての記述があります。当時(初演時よりは少し前)の劇場の様子、ナポリの雰囲気に触れることが出来るので、参考まで次に引用します。
ナポリ二月九日 ❝堂々とした市門。街が建設されている柔らかい岩盤の中に穿たれた広い街道を通って一時間海の方へ下る。ー堅個な市壁ー最初の建造物は救貧院だ。これはローマでポポロ門と呼ばれて、たいそう褒めそやされているボンボン入れとは違った風に、強い印象を与える。デリ・ストゥディ館にぶつかる。左に曲がると、トレド通りである。これこそ僕の旅行の大目的のひとつである。世界でもっとも人の集まる、もっとも楽しい通りだ。信じられようか。僕たちは、五時間も宿屋から宿屋へと走り回った。当地には、二、三千人の英国人が来ているに違いない。僕はついに八階に巣を定める。しかしサン・カルロ劇場の真向かいだし、ヴェスヴィオ山と海が見える。今晩はサン・カルロは開いていない。・・・・・❞
ナポリ二月十二日 ❝ついにサン・カルロ劇場の当日だ。大騒ぎ、押し寄せる人、目も眩む客席。幾つかはこづいたりこづかれたり、押しあいへしあいしなければならない。僕は怒らないように心に誓っていたし、それをうまく守った。しかし僕の燕尾服の両側の尻尾がなくなってしまった。平土間席は三十二カルリーネ(十四フラン)し、三階の桟敷席の十番目の席が五ツェッキーニした。はじめ僕は何かしら東方の皇帝の宮殿にきたかと思った。僕の目は幻惑され、魂は奪われた。これ以上に爽やかなものはないがこれ以上に荘厳なものもない。たやすくは結び付かない二つのものがある。この初日はすべてが楽しい。僕には批評する力がない。僕はへとへとに疲れた。❞
二月十三日 ❝ヨーロッパには、似たものと言わないまでも、遠くからさえこれを想像させることが出来る様なものは何もない。この劇場は三百日かかって再建されたが<hukkats注>、クーデタみたいなものだ。シチリアに与えられ、シチリアに充分匹敵するナポリでみんなが手に入れたがっているあの憲法以上に、それは民衆を国王に近づけた。ナポリ中が幸福に酔っている。僕は劇場にたいそう満足しているので、音楽やバレーに魅了された。客席は金と銀であり、そして桟敷席は濃い空色である。桟敷席の手摺り壁の装飾は浮き出ていて、それゆえに壮麗さがある。それらは金の松明かりが組み合わされていて、、大きなゆりの花が配されている。数えてみたが三十六あるようだ。桟敷にはカーテンがなく、非常に広い。見事なシャンデリアがあり、光にきらめいていて、これら金と銀の装飾をあちこちから輝かせている。大きなロイヤルボックス以上に壮麗でみごとなものはない。それは実物大の二本の黄金の棕櫚の木の上に位置している。(中略)青いサテン、金飾り、そして鏡が、イタリアのどこにも見たことのないような趣向で配されている。天井は布張りのうえに、まぎれもなくフランス派の流儀で絵が描かれている。それは現存する最大の絵画のひとつである。❞
<hukkats注>上記劇場は火事により焼けてしまった後早急に再建されたもので、スカラ座はもとより当時の欧州には比肩する劇場が無かったのです。現在のパリオペラ座(ガルニエル宮)完成は1875年です。当時のナポリはイタリアにおける音楽のトップレベルの都市でした。ナポレオン没落後ナポリ王国が1816年に復活し王政復古し、そうした中ルチアは作曲されてサン・カルロ劇場で初演され、王侯たちも多数観劇したのですから、当然その内容も、王侯貴族向けのストーリーとなった訳です。
当時のサン・カルロ劇場が如何に素晴らしいものだったかを、ミラノ・スカラ座に惚れ込んでミラノに長逗留したスタンダールが語っているのです。「ルチア」はこの様な世界最新・最大級の劇場で初演されたのでした。さて主宰者発表のIntroductionでは、以下の通り謳っています。(「モンテ・カルロ歌劇場と共同制作」とありますが、何故初演のサン・カルロ劇場でなくモナコの劇場なのかは不明?)
〇悲しみは「狂乱の場」で頂点に。引き裂かれた愛の悲劇!
〇圧巻の見せ場!ルチアの狂乱の場!
ドニゼッティが作曲したベルカント・オペラの最高傑作のひとつ『ルチア』。スコットランドを舞台にルチアとその兄ランメルモールの領主エンリーコ、ルチアの恋人エドガルドが繰り広げる悲劇です。恋人の裏切りを告げられて政略結婚をさせられ、恋人に呪われ絶望のあまり狂気に陥ったヒロイン、ルチアが歌う「狂乱の場」は圧巻の見せ場。プリマ・ドンナが10分以上に渡って超絶技巧と演技力を駆使し、悲劇的な錯乱状態を表現する、最大の見せ場です。
モンテカルロ歌劇場との共同制作で2017年に新国立劇場で世界初演を迎えたジャン=ルイ・グリンダ演出のプロダクションは、その後2019年6月にバレンシア・ソフィア王妃芸術宮殿、11月にモンテカルロ歌劇場で上演されました。注目のルチア役には、17年『椿姫』でも圧倒的技術と表現力で観客を魅了した美貌のスター・ソプラノ、イリーナ・ルングを迎えます。エドガルドにベルカントの人気テノール、ブラウンリー、エンリーコにスケールの大きな歌唱が魅力の須藤慎吾が出演。指揮には世界の歌劇場で話題をさらう女性指揮者スペランツァ・スカップッチが、いよいよ新国立劇場デビューを飾ります。
【日時】2021.4.18.14:00~
【会 場】NNTT(新国立劇場) オペラパレス
【指 揮】スペランツァ・スカップッチ(女性指揮者)
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
【器楽編成】2管編成、弦楽五部
【合唱】新国立劇場合唱団
【合唱指揮】三澤洋史
【演 出】ジャン=ルイ・グリンダ
【美 術】リュディ・サブーンギ
【衣 裳】ヨルゲ・ヤーラ
【照 明】ローラン・カスタン
【共同制作】モンテカルロ歌劇場
【芸術監督】大野和士
【キャスト】
(ルチア】イリーナ・ルング
(※1)
(エドガルド】ローレンス・ブラウンリー(※2)
(エンリーコ】須藤慎吾
(ライモンド】伊藤貴之
(アルトゥーロ】又吉秀樹
(アリーサ】小林由佳
(ノルマンノ】菅野 敦
(※1)
ロシア出身。ミラノ・スカラ座アカデミー在籍中にムーティによりスカラ座2003/04シーズンオープニング『モイーズとファラオン』アナイ役に抜擢され、同劇場で『愛の妙薬』アディーナ、『マリア・ストゥアルダ』タイトルロールなどに出演。スカラ座での『椿姫』ヴィオレッタは07年にデビュー後、08年、13年にも出演。パルマ王立歌劇場、ローマ歌劇場、ヴェローナ音楽祭、トリノ王立歌劇場、ウィーン国立歌劇場、メトロポリタン歌劇場、パリ・オペラ座、フェニーチェ歌劇場などに、『椿姫』ヴィオレッタ、『愛の妙薬』アディーナ、『リゴレット』ジルダ、『カルメン』ミカエラ、『ラ・ボエーム』ムゼッタなどで出演。最近では、メトロポリタン歌劇場『リゴレット』ジルダ、『ラ・ボエーム』ムゼッタ、パリ・オペラ座、ウィーン国立歌劇場、マドリード・テアトロ・レアル、チューリヒ歌劇場、ベルリン・ドイツ・オペラ、ハンブルク州立歌劇場で『椿姫』、バイエルン州立歌劇場『トゥーランドット』リュー、英国ロイヤルオペラ『ラ・ボエーム』ムゼッタ、パリ・オペラ座とローマ歌劇場で『リゴレット』ジルダ、スカラ座で『ファルスタッフ』ナンネッタ、ボローニャ歌劇場、ヴェローナ歌劇場で『ルチア』などに出演している。新国立劇場では17年『椿姫』に出演した。
(※2)
アメリカ出身。各紙でベルカントの国際的スターと称賛される若手テノール。2001年メトロポリタン歌劇場ナショナル・カウンシル・オーディション優勝。ベルリン・フィル、フィラデルフィア管、シカゴ響、ニューヨーク・フィルなど著名オーケストラの多くと共演し、メトロポリタン歌劇場、ミラノ・スカラ座、バイエルン州立歌劇場、英国ロイヤルオペラ、ウィーン国立歌劇場、パリ・オペラ座、ベルリン州立歌劇場、リセウ大劇場、マドリード・テアトロ・レアルなどの一流歌劇場へ出演。昨シーズンはパリ・オペラ座『ドン・パスクワーレ』エルネスト、『チェネレントラ』ドン・ラミーロ、チューリヒ歌劇場『オリー伯爵』タイトルロール、『夢遊病の女』エルヴィーノ、ベルリン・ドイツ・オペラ『無遊病の女』、ベルギー王立ワロニー歌劇場『清教徒』アルトゥーロ、ヒューストン・グランド・オペラ『真珠採り』ナディール、シアトル交響楽団とのツアーなどに出演した。19/20シーズンはシカゴ・リリック・オペラで得意の『セビリアの理髪師』アルマヴィーヴァ伯爵、オランダ国立オペラ『チェネレントラ』ドン・ラミーロ、ヒューストン・グランド・オペラで『ラ・ファヴォリータ』フェルランド(ロールデビュー)に出演した。今シーズンはバレンシア・ソフィア王妃芸術宮殿で『チェネレントラ』ドン・ラミーロに出演している。サルサダンサーでもあり、写真家でもあり、大のフットボールファンでもある。新国立劇場には06年『セビリアの理髪師』アルマヴィーヴァ伯爵以来の出演となる。
【粗 筋】全2部(3幕)〈イタリア語上演/日本語及び英語字幕〉
〈第1部〉 約45分
17世紀スコットランドのレイヴンスウッド城。エンリーコ・アシュトン卿はレイヴンスウッド家を倒したが、家をさらに安泰させるには妹ルチアの政略結婚しかないと目論んでいる。ところが家臣ノルマンノによれば、ルチアは宿敵レイヴンスウッド家のエドガルドと愛し合っているという。エンリーコは妹の道ならぬ恋に怒る。エドガルドとの愛だけが生きる希望であるルチアは、庭園の泉で彼を待っていた。やってきたエドガルドは、フランスへ発たねばならないので、その前にエンリーコと和解して二人の愛を認めてもらおう、と語るが、ルチアは時期尚早だと諭す。エドガルドは結婚を誓ってルチアの指に指輪をはめる。
〈第2部第1幕〉 約40分
政略結婚の準備が進んでいたが、ルチアは、自分はすでに他の人と結婚の誓いを立てた、と訴える。そんな妹にエンリーコは、偽の手紙を渡す。エドガルドの心変わりを伝える内容に動揺したあまり、ルチアは結婚を承諾。大広間でアルトゥーロ・バックロウ卿との婚礼の儀式が行われ、ルチアは結婚契約書にサインをする。そこにエドガルドが帰還。結婚契約書を見て愕然とし、指環を外してルチアを呪う。
〈第2部第2幕〉 約50分
エドガルドの住む塔にやってきたエンリーコ。二人は明朝、決闘することを約束する。婚礼の宴が続くレイヴンスウッド城の大広間に、血まみれのルチアが現れる。悲しみのあまり正気を失ったルチアは、寝室で夫を刺し殺してしまったのだ。ルチアは幻のエドガルドに「あなたを愛しています」と告げた後、息を引き取る。決闘の場であるレイヴンスウッド家の墓地で待つエドガルドの前に、ルチアの葬列がやってくる。ルチアの死を知り絶望したエドガルドは、その後を追うのだった。
上記の1部、2部(第一幕、第二幕)の分類はややこしいので、説明の便宜上以下では、1幕、2幕、3幕 、と表記し、簡易的に全3幕のオペラとして記します。
先ずこのオペラの冒頭17世紀のスコットランドと時代設定がされていますが、イタリアの作曲家が何故スコットランドをオペラの舞台としたのでしょう。これは原作が英国の有名な作家ウォルター・スコットの小説、『The bride of Lammermoor、1825年』を原本としているからです。この小説の題材は、1669年にスコットランドで実際起きた実話に基づいているそうです。1660年代のスコットランドは、ジェイムズ6世がイングランド王ジェイムズ1世を兼務して以来、カトリック政権らしい国教徒弾圧の政策が続いたため、イングランドでの1640年代の内戦を引き起こし、1649年の清教徒革命による共和国成立、クロムウェルのスコットランド討伐戦など、戦争に明け暮れその後クロムウェルの死後の王制復古など目まぐるしく支配者が変わる時代になってしまった。そのことが影響して、貴族同志の争い殺戮が頻発し、「ルチア」の様な悲劇を多く生んだのでしょう。
【上演の模様】
やはり、何と言ってもこのオペラの一番の見どころは、上記 Introductionにある様に、第3幕(2部二幕)「ルチアの狂乱の場」です。(夫を殺してしまい狂ってしまったのでしょうか?狂乱というより錯乱かな?殺人者で本当の狂人になる例は少ないのでは?狂乱はほとんど平静には戻らない。錯乱は一時的なものでやがて平静に戻る。)。「Anger is a momentary madness」 ルチアは怒りと絶望の余り殺人を犯したのですが、一方でエドガルドに対する愛・希望がまだあったのであれば「 Madness is to be disappeared someday」 いや冗談です。それでは物語にならなくなってしまう。 でもこのオペラ一番の不自然さは、ルチアが偽手紙に、簡単にだまされてしまったこと。こんな時は、子供だって不審に思いますよ。 それはおいておいて、この狂乱の場面をこれまで数々の名ソプラノが力を入れて演じて来ました。
カラス、サザランド、スコット、グルベローヴァ、デセイ、ネトレプコetc.
コロラテュールの腕の見せ処です。今日のルチア役イリーナ・ルングは、キャリア的に
やや不安と期待感を持って見ていました。1幕は、冴えなかったと思うのですが、途中第2幕からは、次第に調子を上げてきたルングさん、最後の最後「狂乱の場」では、絶叫調と言うほどではないですが、全体的に安定した歌唱で、コロナ、いやコロラも綺麗に表現出来ていたし、これだけ歌えれば上出来でしょう。
「祭壇の下に逃げましょう」とコロラで競り上がる節、続く”アッホッホホホホホホー”
と高音の上昇音で叫ぶ箇処などいたる所コロラを織り交ぜて歌い、終盤は歌うというより喉という楽器をフルートの如く鳴らす、コロラを歌い、”Ah,si ”後ではあらゆるコロラの技法を駆使し最後はH-cで歌い切るこの一番の見せ場、聴かせ処を、ルチア役ルングは上手にやり遂げました。その後の最後の独唱部は、さらに力が入って歌い倒れたのです。
「終わり良ければ、すべて良し」です、私もここに来て思わず大きく拍手していました。
一方ルチアが1幕(第1部)4場で ❝Regnava nel silenzio Alta la notte e bruna~❞ と歌い始める『辺りは沈黙に閉ざされて(8分程度)』のアリアでは、やはりコロラトゥーラを効かせ、❝ Quando rapido in estasi del piu concente amore~❞ と大変リズム感の要る見せ処聴かせ処の場面なのですが、ルングは綺麗な声質なのに、その響きが真に迫ってこない。立ち上がり不調かなと思われました。最後 ❝Gioia diviene il pianto parmi che a lui daccanto Si schiuda il ciel per me!❞ と歌うのですが、何かしら不足している感じで、残念ながら万雷の拍手は鳴り響きませんでした。この歌自体のメロディは素晴らしいのですが。軽快なテンポで、ルチアは、最後はエドガルドへの愛と期待の気持ちを張り上げますが、アリアの前半は、メロディとは裏腹に、「泉のほとりで、敵(エドガルド側)に殺められた最愛の女性(母親か?)の亡霊を見た、唇がかすかに動き自分の名をよんだ気がする、そして泉は真っ赤な色にかわった。」といった忌まわしい歌詞となっているのが、ややメロディとの違和感を感じました。
二十分の休憩の次に第2幕(第2部一幕)です。この冒頭、兄エンリーコと妹ルチアが歌い語る場面で、兄が ”状況は、ウイリアムが(イングランドに)帰還し、(王位に着き)アンが女王に着く(後継者に指名される)。従って、当家に取っては、存亡の危機なので、お前(ルチア)が、アルトゥーロ伯に嫁ぐことは、家族を救うことになる。” とルチアにエドガルドを諦めて、政略結婚する様に勧めるのでした。ここに出てきたウイリアムとアンとは、名誉革命でジェムズ2世が議会派に追放され、代わりにイングランドに呼び寄せられた、新教派のオランダ提督ウイリアムと、その妻メアリーの子アンの二人を指して言っているのです。ウイリアムは、将来カトリック派が復活しないように、アンを次の王位継承者に指名する法律を議会に認めさせたのでした。こうしたことから考えると、
エンリーコはカトリック派、エドガルドは新教派だったと推定され、王制復古の時代に、エンリーコ家が勢力を強め新教派のエドガルド家を壊滅に追い込んだのでしょう。当時は、イングランドとスコットランドは、殆ど運命共同体とと言って良いほどの関係でした。この辺りの歴史は、hukkats記事、『KING&QUEEN展〈Ⅱステュアート朝①〉~『同〈Ⅱステュアート朝⑤〉』ご参照下さい。
それはさておき、第2幕の結婚のサインの場にエドガルドがやって来て、混乱状態なるのですが、ここで歌われた六重唱(エドガルド、エンリーコ、ルチア、ライモンド、アルチューロ、アリサ)はガラコンサートのフィナーレみたいに、主なキャストが勢ぞろいで歌う豪華な雰囲気の歌唱でした(でも中身はおどろおどろしい争い)。
❝あの(剣を握った)右手が天の怒りを呼びませんように❞と皆で不幸を避けたい切実な気持ちが合唱も伴い表されています。
この重唱は各人持ち場の歌をそつなくこなし、おおきな拍手をあびました。
男性歌手陣では、須藤慎吾が素晴らしかったのに比し、主役のブラウンリーが不調なのかどうか余り冴えを感じませんでした。 また特記すべきは、このオペラでは合唱が満載だということ。それも場面を繋ぐだけでなく、ソロ歌手との掛け合いやソロの架け橋役までこなし大活躍、これも必見のオペラです。合唱指揮・指導が良いからかも知れない。
その他にもあちこちに素敵なアリアが満載、コロラテュールの煌めきもあちこちで見せつけられました。オペラ中のオペラだと言ってもいい程オペラを堪能できる作品でした。
最後にオーケストラについて、さすが我が国最高レベルの楽団である東京フィル、最初から最後まで安定した堂々とした演奏で舞台を盛り上げていました。時には、歌手陣の弱さを補う場面もあり、とくに、金髪を束ねた女性指揮者のスペランツァ・スカップッチは、一貫して精力的に指揮し、オケから力を引き出しているというよりも、自分のエネルギーをオケに与えていたと言っても良いほどの力強いものでした。印象深いのは、ハープやフルートのソロ、ホルン、ティンパニーの音、あとは勿論澄んだ弦楽アンサンブルなど。
ついでにオペラの場面の幾つかをNNTTのH,P.から以下に転載しておきます。