今日10月20日(木)は雑節の土用の入りです。と言っても通常知られている夏の土用でなく、秋の土用と言ったら良いでしょうか。これは以前にも書きましたが、「土用」は年に4回あり、歴書によれば、❝立春、立夏、立秋、立冬の前18日間が土用❞なのです。即ち、あと18日経つと立冬になることを意味します。一般世上では、主として夏の土用(立秋の前18日、今年は、7月20日)が重んじられ、土用の丑の日(今年は2回あって、7月23日と8月4日でした)ウナギ等「う」の付く食物を食すと縁起もいいし、夏バテ予防効果もあるとされているのです。
これに対し秋の土用には辰の日に「た」の付くもの(例えばタコ)や「青もの」例えば、青魚などを食し冬に向かう寒さに耐える体力付ける風習が今でも残っています。
又今日は「えびす講」の日でもあります。これは、歴書によると、神無月(旧暦10月)の20日(今年は新暦11月13日)にある行事を行うことを指し、主として七福神の内のえびす様を祀って、商売繁盛等を祈願する日とされています。ただ、現在は地域によって、旧暦でなく、そっくり新暦に平行移動した新暦10月20日に行うこともあるのです。(お盆を7月15日でなく8月に平行移動した8月15日にやる「月遅れの盆」と同じ発想です)
この辺りの意味合いは、次の様に説明されることもあります。
「神無月」とは 人々が「神」を日常祭っている神社、神棚などに❝神様が宿っていない月❞の意味で、何故いないかと言いますと、神様がこぞって出雲大社に集う月だからだというのです。神様不在で誰もいないのでは、近場の祭り処を拝んでもショウガないので、留守番の神様がいるという発想です。その留守を預かるのが「えびす様」という訳です。「えびす様」は釣りの名人で、大きなめでたい鯛を釣って小脇に抱えている様子が描かれています。
日本の地方によっては、10月20日でなく、1月10日に行う場合もあり、これは「10日えびす」と呼ばれています。昔は大きな商家などでは、神だなにえびす様の絵巻などを飾ったり、臨時の飾り棚を作って、そこに水を張った大きな水盤を置き、中に鯛の代わりの小さ目の生きた鯉や鮒を入れて泳がせ、又燈明、お神酒などやその産地の季節野菜を奉納し祀ることもありました。私の知り合いで、1月10日に生まれたので、命名する時に「恵比寿講」から「恵」の一次をとって名前の漢字の一つに入れたという人もいました。
「鯛」は現代日本社会でも縁起のいい魚の筆頭でしょう。それをえびす様は、竿で一本釣りしたのですね。一本釣りは仲々難しい漁獲法です。通常はトロールやら延縄やら、網等を使って漁獲するのが現代の漁法です。大昔は網が無かったからえびすさんは、釣り竿を垂らすしかなかったですって。いやいや大昔だって網による漁獲法は有りました。紀元前5~6世紀に活躍した、孔子に関して、次のような言葉が残っています。『子釣而不網』子(孔子のこと)釣りすれども網(こう)せず。即ち孔子は一本釣りはしたが網で一網打尽に魚を取ることは無かったという意味です。一本釣りでは中々釣れなかったでしょう。えびすさんは、神様ですから神業を有していたのでしょう、きっと。最も人間だって、忍耐が有れば大物を釣ることが出来る例は古い歴史書に書いてあります。紀元前11世紀の中国の出来事(歴史書に記載がある)です。 ❝ある時、周という小国(現代だったら国に対する州くらいの立場でしょうか?)の文王(ぶんのう)が、ある老人が崖から長い糸を垂らして釣りをしているので、暫くその様子を見ていました。ところが随分長い時間経っても何も釣れず、しかし釣り人は微動だにせず竿を持ったままの姿勢を保っています。そこで文王は「一体何を釣ろうとしているのですか?」と尋ねたところ「天下を釣るのです。」「だからなかなか釣れないので辛抱強く待つほかないのですよ」と答える声が返ってきました。これを聞いた文王はこの人こそ、捜し求めていた理想の軍師だと思い、自分の国に招聘し軍師に就任して貰うのでした。この人の名は、現代でも有名な『太公望』でした。この名前は分王の父親である太公が望んでいた人材だという意味で付けられたのです。後に太公望を軍師とした周の国は連戦連勝し小国を併呑、遂には天下国家である殷と天下分け目の戦い、「牧野(ぼくや)の戦い」に勝利し、殷は滅亡、新たに周の天下を開くことになりました。❞ とさ。