【日時】2022.8.19.(金)19:00~
【会場】トツパン・ホール
【出演】トーマス・ヘル(ピアノ)
〈Profile〉
ドイツ・ハンブルク生まれ。ハノーファー国立音楽演劇大学でデビッド・ワイルドに師事。国家演奏家資格課程を最優秀で卒業。同時にピアノ教育学、作曲、音楽理論のディプロムも最優秀で取得。また、芸術的に重要な薫陶をエリカ・ハーゼ、コンラート・ハンゼン、クラウス・ヘルヴィヒ、ギュンター・ルートヴィヒ、コレット・ツェラらから受ける。1996年オルレアン国際ピアノコンクール第1位ほか多くの国際コンクールで入賞。15歳から数々のオーケストラと共演するほか、ヨーロッパ各国の主要な国際音楽祭にも数多く出演。古典から現代音楽までレパートリーは幅広く、とりわけ、リゲティ、カーター、シェーンベルク、ダッラピッコラ、アイヴズ、ブーレーズといった現代音楽を得意としている。
2008年のダルムシュタット国際現代音楽夏期講習会では、リゲティの《ピアノのためのエチュード》全18曲を演奏し聴衆を大いに沸かせ、リゲティと親交の深かったクルタークからも絶賛された。日本では、10年11月に東京の音楽祭「テッセラの秋」で、原田敬子の《4つの手》I-IIIを世界初演。リゲティの《エチュード》全曲も披露し、話題を呼ぶ。室内楽においても、ヨーロッパ各地の名高いホールに出演しているほか、現代音楽のためのアンサンブルピアニストとしても活動。
CD録音も多く、2000年レーガーの《バッハ変奏曲》とシューマンの《フモレスケ》のCDを、11年にはエイドリアン・エイドラムとの共演で「バルトーク:ヴァイオリン・ソナタ集」(TACET)をリリース。09年には、シェーンベルクの弟子シュトイアーマンの組曲5曲を収録したCDでドイツ・レコード評論家大賞を受賞している。カメラータ・フレーデンと共演した「コルンゴルト:ピアノ五重奏曲」は、12年ドイツ・レコード評論家賞を受賞。同年リリースしたリゲティ《エチュード》全曲のCD(WERGO)は、『レコード芸術』誌で特選盤に選定された。16年にはアイヴズの《コンコード・ソナタ》をリリース、絶賛を博した。
国内外にて、精力的にマスタークラスや演奏を交えた作品解釈の講演を行っており、01年よりハノーファー国立音楽演劇大学、11年よりシュトゥットガルト国立音楽芸術大学で教鞭をとっていたが、16年にマインツ音楽大学のピアノ科および室内楽科教授に就任した。
トッパンホールには、16年6月のリゲティ《エチュード》全曲演奏で初登場。18年4月にはシューマン《クライスレリアーナ》とアイヴズ《コンコード・ソナタ》を披露し、鮮烈な印象を残した。
【曲目】
今日のピアニスト、ヘルはレパートリーは広そうですが、リゲッテイ等の現代音楽が得意の様です。しかし予定されるプログラムを見ると、最初が古典派ハイドンの曲、中二曲が、権代の曲が2011年に、矢代の曲が1961年に作られた何れも将に現代ピアノ音楽です。そして最後が、これもドイツを代表する古典派のベートーヴェンの曲。一見脈絡がない選曲と構成の様に見えますが、よく考え抜かれたプログラムだと思いました。即ち現代ピアノ演奏の鬼才とも、異才とも謂われるヘルは、今回は、伝統的ドイツ古典派を弾きたいと思ったのでしょう。自分は、古典的ドイツ音楽の伝統の上に構築している現代音楽演奏家なのだと、これはあくまでも推測ですが。
そこで、先ずベートーヴェンを考えると、ソナタ群は、日本でも日常的に多くのピアニストが演奏会で弾いているのに対して、ソナタ群の後作曲されたディアベリ変奏曲は、余り表立った演奏がされていない、穴場とも言える大曲です。このピアノの変奏曲からすぐ連想されるのが、ハイドンの変奏曲、この二曲を柱にして、残りの曲を何とする?と選曲に迷ったかも知れません。古典派から選ぶと全曲が通常の純クラシックリサイタルになってしまうし、他のピアニストのリサイタルと差別化出来ない。かと言って現代ピアノ曲を選曲するとしても、リゲッテイの曲などでは、ハイドン、ベートーヴェンの二曲との関連性が薄い。そこで、ベートーヴェンのピアノ曲との関連性があり、しかも日本人の曲で現代物といった目でみると、権代敦彦と矢代秋雄のビアノ曲が浮上したという訳です。へっへ、何とも勝手な推測ですね。でもその様に考えると選曲のみならす、今回のヘルの演奏もストンと腑に落ちるのです。
①ハイドン『アンダンテと変奏曲 ヘ短調 Hob.XVII-6』
②権代敦彦『Diesen Kuß der ganzen Welt』(2011)
③矢代秋雄『ピアノ・ソナタ』(1961)
④ベートーヴェン『ディアベリの主題による33の変奏曲 ハ長調 Op.120』
【演奏の模様】
①ハイドン『アンダンテと変奏曲 ヘ短調 Hob.XVII-6』
この曲は、ハイドンが、1793年に作曲したもので、この年に、ハイドンがそれまで知己を得ていたゲンツィンガー夫人が若くて亡くなってしまったため、それを契機に作られた曲だと謂われています。ヘ短調(29小節)とヘ長調(20小節)の2つの主題からなる二重変奏曲で構成。 ただし、ヘ短調・ヘ長調を独立した主題と見ず、49小節の主題部とみることもあります。2つの主題がロンド形式のように交互に変奏をくり返し、3度の変奏を終えた後にコーダに突入するのです。
登壇したヘルは、かなり大柄でエネルギッシュなピアニストで、ピアノまで8歩で到達、椅子に座ると呼吸を整える間もなくひきはじめました。冒頭から軽く打鍵している様に見えますが(例によって鍵盤がみえる席です)、力強いしっかりした発音で、高音部の音がとても綺麗に出ています。特に長調変奏の時の右3指(中・薬・子)の高音は素晴らしいものがありました。持てる迫力をやや抑制気味にしていたと思うのですが、強い打鍵の箇所はしっかりと弾き、全体的に表情豊かな演奏だったと思います。
②権代敦彦『Diesen Kuß der ganzen Welt』(2011)
③矢代秋雄『ピアノ・ソナタ』(1961)
②も③も全体的にヘル特有の力強い 演奏だった。鍵盤上を左右の指が縦横無尽に行き交い、時には脱兎の如く疾走し、時には荒れ狂う嵐の如く泣き叫ひ、時には新妻の如く恥じらい、暗く落ち沈むかと思えば煌めく星空の様に輝き、このピアニストを持ってすれば、如何なる現代音楽の咆哮もオーケストラに勝るとも劣らない迫力で演奏するのでは?と思えるほどでした。こうしたピアニストは、多分日本にはいないだろうし、来日ピアニストでも聴いたことがない。確かに「異才」を放つピアニストでした。
《20分の休憩》
④ベートーヴェン『ディアベリのワルツの主題による33の変奏曲 ハ長調 Op.120』
この曲は1823年、ベートヴェン53歳の時の作品です。既に耳が聞こえなくなりつつある時期で最後の32番のソナタを前年に書き終え、不滅の恋人に献呈されたとも言われる曲です。そう言えば、この曲を聴いて、いかにもベートーヴェンらしさを感じる変奏が多いのですが、何となく切なさが現れている、心のわだかまりを感ずる曲でもあります。
Thema di Diabelli : Vivace
1:Alla marcia maestoso
2:Poco allegro
3:L'istesso tempo
4:Un poco piu vivace
5:Allegro vivace
6:Allegro ma non troppo e serioso
7:Un poco piu allegro
8:Poco vivace
9:Allegro pesante e risoluto
10:Presto
11:Allegretto
12:Un poco piu moto
13:Vivace
14:Grave e maestoso
15:Presto scherzando
16:Allegro
17:Allegro
18:Poco moderato
19:Presto
20:Andnte
21:Allegro con brio,Meno allegro,Tempo primo
22:Molto allegro(alla 'Notte e giorno faticar' di Mozart)
23:Allegro assai
24:Fughetta(Andante)
25:Allegro
26:Piacevole
27:Vivace
28:Allegro
29:Adagio ma non troppo
30:Andante,sempre cantabile
31:Largo,molto espressivo
32:Fuga : Allegro
33:Tempo di Menuetto moderato
変奏7、変奏8,変奏9など一つのまとまったソナタ曲にも思えるような気がしたし、特に変奏8などベートーヴェンが前年に作曲した最後のソナタ32番を彷彿とさせる香りが漂ってきます。また24変奏の Fughetta(Andante) は、ソナタ31番の第4楽章のフーガと相通じる処があるのではないでしょうか?調性と速度は異なっていますが。
その他、自分としては、8番変奏や18番変奏や最後の33番変奏曲なぞ奇麗で面白いし好きな曲でした。
この曲は昨年10月、『内田光子ピアノリサイタル』で聴きました。
その時はモーツァルトのソナタの後に演奏されたのですが、モーツアルトはさすが名にし負う内田さん、極上の玉のような粒よりの磨きがかかった音が転がり出ていましたが、どういうことか、ベートーヴェンのディアベリ変奏曲も、全体的傾向はモーツアルトを引きずっているというか、余りに綺麗な音で演奏したので、え―これがベートーヴェン?、そうかこういう弾き方も有りなのかと思ったものでした。でも今日のヘルはドイツ人ピアニスト、バックハウス、ケンプ等々の伝統的ベートーヴェン弾きとは毛色をやや異にしますが、将にドイツ古典派音楽の伝統の線上に並ぶピアニストになる可能性大だと十分期待出来る演奏家だと思いました。
尚、アンコール演奏が、一曲ありました。ヘルはこの日本情緒豊かな曲をしっとりと
矢代秋雄作曲(岡田博美編)『夢の舟』
矢代(1928~1976)は、東京藝大で教鞭をとり、40代という若さでなくなった作曲家です。ヘルはこの日本情緒豊かな曲をしっとりと弾き、なかなかいい感じでした。彼には、武満の作品もいいかも知れません。