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綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『内田光子ピアノリサイタル』at サントリーホール

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【日時】2021年10月19日(火)19:00~

【会場】サントリーホール 大ホール

【演奏】内田光子(Pf)

【曲目】
①モーツァルト:ピアノ・ソナタ第15番 ヘ長調 K. 533 / K. 494 


②ベートーヴェン:ディアベッリのワルツによる33の変奏曲 ハ長調 作品120

【Prfile】

内田光子は、真実と美の姿を独自に追求しながら、自らが奏でる音楽の世界を深く掘り下げている演奏家である。モーツァルト、シューベルト、ベートーヴェンの作品の解釈で高い評価を受ける一方、ベルク、シェーンベルク、ウェーベルン、ブーレーズなどの作品に光を当て新しい世代の聴衆に紹介している。
クリーヴランド管との共演は100回を超えるほか、長年にわたりシカゴ響、べルリン・フィル、ロイヤル・コンセルトヘボウ管、バイエルン放送響、ロンドン響、ロンドン・フィルなどの世界の主要オーケストラとの共演を重ね、ハイティンク、ヤンソンス、ムーティ、ラトル、エサ゠ペッカ・サロネン、ドゥダメルといった世界的な指揮者との共演も多い。
2016年からアーティスティック・パートナーとなっているマーラー・チェンバー・オーケストラと、ヨーロッパと北米での5年間のツアープロジェクトを行っている。また、ウィーン、ベルリン、パリ、アムステルダム、ロンドン、ニューヨーク、東京で定期的にリサイタルを行い、ザルツブルク・モーツァルト週間やザルツブルク音楽祭にも定期的に参加している。
デッカと専属契約を結び、モーツァルトのピアノ・ソナタ全集やシューベルトのピアノ・ソナタ集など幅広いレコーディングを残している。11年にクリーヴランド管を弾き振りしたモーツァルトのピアノ協奏曲のライヴ録音で、また17年にドロテア・レシュマンとで録音したアルバム『シューマンとベルク』でグラミー賞を受賞。クリーヴランド管/ブーレーズ指揮シェーンベルクのピアノ協奏曲で、グラモフォン賞(最優秀コンチェルト賞)など4種類の賞を受賞。
長年にわたり若い演奏家の成長を支援し、ボルレッティ・ブイトーニ・トラストの理事を務めている。また、13年よりマールボロ音楽祭の芸術監督を務め、現在はジョナサン・ビスとともにその任を精力的に行っている。
05年日本芸術院賞を受賞、文化功労者に選出、09年には大英帝国勲章「デイム」の称号が授与された。作品に対する深い探究と解釈が評価され、15年、高松宮殿下記念世界文化賞(音楽部門)を受賞。
サントリーホールではオープニング・シリーズにおいて、イギリス室内管弦楽団とのモーツァルト:ピアノ協奏曲全曲演奏会(全10公演)を行い、その後も数々の名演を残している。サントリーホール アソシエイト・アーティスト。

 

【曲目解説】

①モーツァルト:ピアノ・ソナタ第15番 ヘ長調 K. 533 / K. 494 

2つのケッヘル番号が並べられているのは改訂や異稿などではなく、3つの楽章のうち第1楽章と第2楽章(K. 533)が1788年、第3楽章(K. 494)が1786年と異なる時期に書かれたからである。

第3楽章のロンドは1787年に単独で出版されているが、ピアノソナタとしてまとめるにあたってカデンツァおよび27小節にわたる終結部が追加された。モーツアルト学者アルフレード・アインシュタインは第1、第2楽章と第3楽章の様式の不一致を指摘しつつも、第3楽章の短調のエピソードの見事さを評価し、「あまりに豊かで完全なので、門外漢は『様式の分裂』に気づかないだろう」と評している。

後に、グリーグによって2台ピアノ用に編曲されている。

 この時期の前後のウィーンでのモーツアルトの活躍は以下の通り。結婚、父の死など激動の時期でした。

1781年3月、25歳のモーツァルトはザルツブルク大司教・ヒエロニュムス・コロレドの命令でミュンヘンからウィーンへ移るが、5月9日、コロレドと衝突し解雇され、ザルツブルクを出てそのままウィーンに定住を決意する。以降、フリーの音楽家として演奏会、オペラの作曲、レッスン、楽譜の出版などで生計を立てていた。

1782年、父の反対を押し切りコンスタンツェ・ヴェーバーと結婚する。コンスタンツェはかつてモーツァルトが片思いの恋をしたアロイジア・ヴェーバーの妹で、歌劇『魔弾の射手』等の作曲で知られるカール・マリア・フォン・ヴェーバーの従姉であった。このころから自ら主催の演奏会用にピアノ協奏曲の作曲が相次ぐ。

1786年5月1日、オペラ『フィガロの結婚』K.492をブルク劇場で初演し、4月にはベートーヴェンがモーツァルトを訪ねたとされるが記録はない。10月には、新作の作曲依頼を受け、オペラ『ドン・ジョヴァンニ』K.527を作曲し、プラハエステート劇場で初演。モーツァルト自らが指揮をとる。

1787年5月28日に父レオポルト死去。8月10日、ウィーンで『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』を作曲。

1788年にはいわゆる「3大交響曲」(交響曲第39番第40番第41番)を作曲する.。

 

②ベートーヴェン:ディアベッリのワルツによる33の変奏曲 ハ長調 作品120

『ディアベリの主題による33の変奏曲』、略して『ディアベリ変奏曲』は、1823年に出版されたピアノ作品で、J.S.バッハの『ゴールドベルク変奏曲』と共に、変奏曲史上の最高傑作といわれている。

ベートーヴェンの最後のピアノ変奏曲であり、彼のこれまでの変奏技法が駆使されている。

作曲のきっかけは、1819年のディアベリ(*)からの依頼にある。それは、彼の作った主題から、当時のヴィーンの作曲家たちにひとつずつ変奏を作曲してほしいというものであった。その中にはチェルニーシューベルト、そして若きリストも含まれていた。ベートーヴェンにその誘いがかかったとき、彼はそれを拒否したにもかかわらず、結局ひとりで33もの変奏を作曲し、ディアベリの依頼を受けて作曲された寄せ集めの変奏曲よりも先に出版してしまったのである。

作品は、速度表示や拍子、調性などの変化によって、さまざまなキャラクターをもつ変奏に仕立てられている。しかし、主題の動機素材が徹底的に活用された多彩な変奏が集まっているにもかかわらず、周期的に主題を想起させやすい変奏が挿入されているために、全体の統一感を失っていない。

(*)ザルツブルグ近郊に生まれた。少年時代は聖歌隊に属し、ミヒャエル・ハイドンに師事。19歳で僧職に就くが、1803年僧職を辞したのちウィーンへ向かい、ヨーゼフ・ハイドンに師事。ピアノやギターの教師として生計を立てるようになる。1817年に友人とともに出版社を設立。作曲家としては多数のピアノやギターの小品、歌曲やオペラも手がけた。出版社「ディアベッリ商会」からはベートーヴェン、シューベルト、ツェルニーらの作品を出版した。

Thema di Diabelli : Vivace

1:Alla marcia maestoso

2:Poco allegro

3:L'istesso tempo

4:Un poco piu vivace

5:Allegro vivace

6:Allegro ma non troppo e serioso

7:Un poco piu allegro

8:Poco vivace

9:Allegro pesante e risoluto

10:Presto

11:Allegretto

12:Un poco piu moto

13:Vivace

14:Grave e maestoso

15:Presto scherzando

16:Allegro

17:Allegro

18:Poco moderato

19:Presto

20:Andnte

21:Allegro con brio,Meno allegro,Tempo primo

22:Molto allegro(alla 'Notte e giorno faticar' di Mozart)

23:Allegro assai

24:Fughetta(Andante)

25:Allegro

26:Piacevole

27:Vivace

28:Allegro

29:Adagio ma non troppo

30:Andante,sempre cantabile

31:Largo,molto espressivo

32:Fuga : Allegro

33:Tempo di Menuetto moderato

 

【演奏の模様】

 内田光子リサイタルは、昨年11月に予定されていて聴きに行こうと思っていたら、コロナ禍で中止になってしまい、残念な思いをしました。丁度英国で、変異株が猛威を振るい始めた頃です。演奏会中止位は仕方ないですが、万一立派なピアニストが感染したら大変だと心配したものです。というのも、昨年2月に来日公演したヴァイオリニストのムターさんが、日本から帰国してすぐに、コロナにかかってしまったというニュースが、入ってきました。

 従って内田さんの演奏会は、久し振り、あれは3年前の11月に聴いた時以来です。その時の記録がありますので、文末に再掲しておきました。会場に登場した内田さんは、依然とそれ程変わらない様子でしたが、ピアノを弾く前に今回は眼鏡を付けました。老眼鏡なのでしょうか?自分もそうですが、人間生まれた時からどんどん年取っていくのですね。最初の曲はモーツァルトのソナタの中では、それ程頻繁には聴かない曲です。

①モーツァルト:ピアノ・ソナタ第15番 ヘ長調 K. 533 / K. 494

 1.Allegro    2. Andante 3.Rondo(Allegretto)

 一度日本人ピアニストが弾いたのを聴いたことがあります。また録音などで聴くとソナタ集の中では、それ程特徴の顕著な曲ではなく、やや退屈な感じがしないでもない曲ですが、内田さんは以前、❛モーツァルト弾き❜ と讃えれられていた位ですから、さすがその演奏はそれらとは、まったく違って聞こえます。曲の音作り、曲の表情作り、曲全体の流れ表現が実に素晴らしい。モーツァルトのピアノ曲の奥義を極めた人にだけ出来る演奏だと思いました。まさに心で弾いている演奏でした。

 四十分位弾いていたでしょうか?全体的にゆったりした、遅いテンポで気持ち良いメロディが流れてくるので、隣の席の人は少し頭を垂れこっくりしていました。そういう自分も子守歌を聴いている様な感じで一瞬眠気に襲われ、はっと気が付いてブラックガムを一粒口に入れ、自己覚醒するほどの心地良さでした。

 最後の強奏部は、丹念に指を立てて、少しモーツァルトらしからぬ和音の響きもありました。このようなモーツァルトの演奏は、そうめったに聴けるものではないと思いました。 

   

②ベートーヴェン:ディアベッリのワルツによる33の変奏曲 ハ長調 作品120

前もって変奏曲33にはどんな配列なのか調べておきました(上記【曲目解説】の②参照)。それが、ホール入り口で配られた冊子の演奏曲33には、若干異なった部分があるのです。17番目の変奏曲と26番目の変奏曲に速度記号が書いてなくて、横棒線が引いてあるのです。上記では17番目が Allegro26番目にはPiacevoleと書いてあります。それから21変奏のAllegro con brio,Meno allegroの後にTempo primoの記載が無い。

楽譜の原典が異なれば、若干の違いは出てくるのかも知れません。

 変奏1から順に注意深く聞いていましたが、横棒線の引いてある変奏17と変奏26は演奏が無かったような気がしました。

 全体的には様々な曲想の短い曲の集合でしたが、全体的な演奏の流れは、筋一本通っていたと思います。変奏バラバラでなく、ベートーヴェンらしさを失なわない、どこを聴いても、あーこれはベートーヴェンらしいと思われる演奏ばかりでした。

 変奏7、変奏8,変奏9など一つのまとまったソナタ曲にも思えるような気がしたし、特に変奏8などベートーヴェンが前年に作曲した最後のソナタ32番を彷彿とさせる香りが漂ってきます。また24変奏の Fughetta(Andante) は、ソナタ31番(実は来週キーシンが弾くことになっています)の第4楽章のフーガと相通じる処があるのではないでしょうか?調性と速度は異なっていますが。

その他、自分としては18番変奏や最後の33番変奏曲なぞ奇麗で面白いし好きな曲でした。

 内田さんの演奏は、①のモーツァルトの時の様なとても綺麗な真珠、煌めくダイヤの如く、澄んだ音色で弾いていましたが、欲を言えば、所謂ベートーヴェン弾きにある様な、ピアノが壊れるのではと思う程の強打鍵の力演箇所があっても良かったのにと勝手なことを考えてしまいました。

  演奏が終わって、まだ1時間半程度だったので、観衆の鳴りやまない拍手は、もう少し素晴らしい演奏をちょっとだけ聴きたいという欲張りな希望だと、自分の気持ちも同じだと思って盛んに手を叩いていたのですが、結構長い拍手にも何回か出てきて挨拶はしていましたが、遂にアンコール演奏は有りませんでした。残念でした。文末に再掲した2018年の内田さんの演奏会の時は、バッハのアンコール演奏があったのでしたが・・・。帰り際に歩く人が交わす会話が聞こえました。「今日は美智子さんがいなかったからね」などと話していました。そういえば①の曲目が終わって挨拶した時も、終演後四方八方に向かって挨拶した時も、内田さんは所謂「ロイヤルボックス」の方を気にして見ている様に見受けられました。「今日はおられない」とでも思うかのように。だからアンコールを弾かなかったという訳ではないでしょうけれど。下衆の勘繰りです。

 さーてと、来週はいよいよキーシン。バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの大作、ショパンのマズルカ7曲、大ポロネーズと盛り沢山の予定曲。それに以前キーシンは何回か聴いていますが、これまで通り必ずアンコール曲を弾いてくれることでしょう。あ~ 楽しみだなー。

 それはそうと、昨夜グルベローヴァさんの訃報に接しました。オペラファンの一人として、心からお悔やみ申し上げます。

 

////(再掲)/2018.11. 8.hukkats記録『内田光子シューベルトリサイタル』at サントリーホール////////////////

 まったく最近チケットはなかなか思ったように取れませんね。小澤征爾さんとムターの共演のチケットが取れない!10月末にチケット会社から「1次先行抽選申し込み受付」のメールが入りすぐに申し込んだのですが、1週間後に「落選」通知があり、すぐに「2次先行抽選」のメールがまた入り申し込んだもののダメでした。すると今日「3次先行抽選」のメールが入っていたのです。ばかばかしくなって申し込みはやめました。どうして1次2次3次とこま切れに募集、抽選するのでしょう。一遍にやればいいのに。どのように抽選するかも明らかにしていません。この情報公開の世の中に何だか霧の中、すっきりしないですよ。すると別のチケット会社が新たに募集開始するという。こちらは方式が少し異なっていて、抽選の場合でもこれまでのチケット購入歴に応じた「当選確率UP券」が貰えるのです。購入回数が多ければ多いほど券が多く貰える仕組み、何のことはない『チケット販売促進券』です。抽選と言っても上得意先を優先的に当選確実にするのではないでしょうね。邪推したくもなります。またこの会社には「自動申し込み」というシステムもある様です。愚痴はこの位にして、UP券が何枚かあるので、あまり期待しないで申し込みましょう。あ~あ面倒くさいナー。一昔前だったら電話一本で取れたのに!

 ところで先日、内田光子シューベルトリサイタル(11.7.atサントリーホール)を聴いて来ました。演奏順は前後しますが、プログラム後半は待望のD.960番ソナタでした。これまでいろいろなD.960を聴いております。最近のCD鑑賞ですとアラウ、ケンプ、ブレンデル、ピリスそして11/2キーシン公演時に購入したものなど、いずれも細部では個性が異なるもののそれぞれ大変立派な演奏です。同じ曲を沢山聴いた時、総じてこの曲はこういうものという、あたかも朧月の如く輪郭は明瞭ではないが一つの曲のイメージが頭に形成されるではないでしょうか。伝統的なウィーン学派的解釈のブレンデルを輪郭とした場合、キーシンの演奏を除いて輪郭からの摂動はそれ程大きくない。キーシンの場合、曲の冒頭から非常にスローに入り、第1楽章の後半になるとさらに遅いテンポとなりその後緩急を繰り返して最後に第1テーマを繰返してゆったりと弾き終わります。第2楽章andante sostenutoは、もっと極端にslowに弾き息も絶え絶えに終える。第4楽章は疾風怒涛の如き猛スピードで最後を駆け抜ける等、非常に個性的な解釈で叙情的な演奏なのです。これに対し内田さんの960番の演奏は、上記摂動の範囲に入っていたと思います。体は比較的スリムにお見受けしましたが、どこからあのffの力が出てくるのでしょう。キーシンの様に豊かな体躯全体を揺すって力演するのとは違って、首が若干振れる程度なのに大きな音が出る。体の骨格を伝わる力でしょうか?それにppの部分の音の綺麗なこと!各楽章の最終音は音が消え入るまでペダルを踏んで長く響かせていました。とにもかくにもD.960はどのピアニストが弾いたものでも気にいっている好きな曲です。D.960を作曲して間もなくシューベルトは短い人生を終えるのですね。あ~あ~惜しいことをしました。もったいない。シューベルトを若干30歳そこそこで失うとは。人類にとっての大損害です。「歴史にIFは無い」とは言いますが、もし今だったら命を失うことは無かったのに。若し彼の父の理解がもっとあれば、貧困にあうこともなかっただろうに。いつも思うのですが、ベートーベン、いや少なくともモーツアルトの年位まで生きていて欲しかった。あと5年もあればどんなにか沢山の素晴らしい音楽を創ってくれたことでしょう。ピアノ曲、ヴァイオリン曲、管弦楽曲、交響曲、リート、合唱曲、オペラ、それに何か新しい分野の開拓等々広い分野の傑作の現れを夢想してしまう。           さて現実に戻りますと、リサイタルの前半はD.537とD.840のソナタでした。前述のケンプの「シューベルトソナタ全集(Deutche Grammophon)」でこれらのソナタを事前に聴いた限りではそれ程心躍る曲ではないと思われ、「シューベルトの曲は玉石混交」との持論を確認したつもりでいたのです。しかし内田さんの演奏を聴いて、石は石でも「宝石の原石」だったのだなと認識を改めました。音は非常に澄んでいてメロディが流れる様であり、特にD.840の第一楽章など、あたかも旋律に合わせてFischer-Dieskauが歌っているような錯覚にとらわれながら聴いておりました。シューベルトは器楽曲でも歌う心を揺さぶるのが大きな魅力ですね。 アンコールはバッハのサラバンド(フランス組曲BWV816)でしたが、このようなしっとりした可愛いい綺麗なバッハ表現は、聴いたことが無い程素晴らしかった。これを作曲したバッハもすごい。何から何まで神業の如く作曲したバッハ、ルーベンス工房の如き「バッハ工房」があったのでしょうか?バッハと言えばそろそろクリスマスオラトリオを聴きたい季節になって来ました。

 なお、今回のリサイタルに(多分後半からだと思いますが)美智子さまがお見えになっておられました。演奏者がアンコールを弾き終わった後大きな拍手で迎えられ終演したのですが、美智子さまが退席されるとさらなる大きな拍手が沸き起こりました。