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綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

上岡指揮『読売日本交響楽団演奏会』at 東京芸術劇場

【日時】2022.5.29.(日) 14:00~

【会場】東京芸術劇場ホール

【管弦楽】読売日本交響楽団

【指揮】上岡敏之

〈主催者言〉

ドイツを拠点として欧州を中心に活躍する上岡敏之が、指揮台に上がります。先日の《第617回定期演奏会》では、最弱音をホールに響かせ、オーケストラを自在に操り、息の長いフレーズ作りで聴衆を魅了しました。今回、上岡はメンデルスゾーンの2つの名曲とチャイコフスキーの最高傑作と言われる「悲愴」を振り、独自の世界観を築き上げるでしょう。

前半のメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲では、ドイツの名手レナ・ノイダウアーが共演し、艶やかな音色を披露し、作品の神髄へと迫ります。


【ソロ出演】レナ・ノイダウアー(ヴァイオリン)

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〈Profile〉

レナ・ノイダウアーはドイツのミュンヘンに生まれ、3歳でヴァイオリンを始める。10歳でオーケストラと初共演し、11歳でモーツァルテウム音楽院、ヘルムート・ツェトマイヤーのクラスに入学。その後、トーマス・ツェトマイヤ―、クリストフ・ポッペンの下で研鑽を積む。同時にフェリックス・アンドリエフスキー、アナ・チュマチェンコ、五嶋みどり、今井信子、小澤征爾等からも大きな影響を受ける。

早くから国際的な注目を集め、1995年には、日本および独・ミュンヘンでミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーとヴィヴァルディの《四季》を演奏した。4年後の1999年、アウグスブルクで行われたレオポルト・モーツァルト国際ヴァイオリン・コンクールで優勝を果たし、モーツァルト賞、R.シュトラウス賞、聴衆賞も同時に獲得した。

以降、ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団、MDR交響楽団、ザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団、ミュンヘン室内管弦楽団、ベルギー国立管弦楽団等の主要オーケストラに招かれ、マリス・ヤンソンス、ハンヌ・リントゥ、デニス・ラッセル・デイヴィス、マリオ・ヴェンツァーゴ、ブルーノ・ヴァイル、クリストフ・ポッペン、ピエタリ・インキネン、アントネッロ・マナコルダ、ラインハルト・ゲーベル、ミルガ=グラジニーテ=ティーラなど第一線の指揮者の元で演奏活動を行っている。

近年、現代音楽にも力を入れており、アンサンブル・アンテルコンタンポラン、OENM(オーストリア現代音楽アンサンブル)などとも共演。また、室内楽はノイダウアーの音楽活動の重要なパートを占めており、ユリアン・シュテッケル、マティアス・キルシュネライト、ユリア・フィッシャー、ヘルベルト・シュフ、ニルス・メンケマイヤー、パウル・リヴィニウス、ラウマ・スクリデなどと演奏を共にしている。ソリスト、室内楽奏者として、モーツァルト週間、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭などに参加している。

2010年にリリースしたシューマンのヴァイオリンと管弦楽のための全作品を集めたCD(P.ゴンザレス指揮、ザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団)がデビュー作となり、11年のICMA賞(国際クラシック音楽賞)を受賞。13年にはP.リヴィニウス、J.シュテッケルとラヴェルのヴァイオリン・ソナタおよびヴァイオリンとチェロのためのソナタを含むCDを録音。14年には満を持して、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲全集(B.ヴァイル指揮、ザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィル)が発売された。

2016年秋よりミュンヘン音楽・演劇大学教授。使用楽器は1743年製L.ガダニーニ、2015年製のフィリップ・アウグスティン。

 

【曲目】
①メンデルスゾーン:序曲 「ルイ・ブラス」 作品95


②メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64


③チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 作品74 「悲愴」

 

【演奏の模様】

①メンデルスゾーン:序曲 「ルイ・ブラス」 作品95

楽器編成は二管編成(Hr.4 Trb.3)弦楽五部12型(Vc.6.Cb.8 Va.8)。

  序曲と言ってもオペラの序曲ではなく演奏会用の序曲です。メンデレスゾーンには10近くの演奏会用序曲が有り、何れもオペラ(10作品ほど)からの序曲ではないのです。演奏会用序曲の方が、オペラ自体より有名な曲がある。先週5月25、26日のN響が演奏した『静かな海と楽しい航海』も然り(この演奏会は残念ながら別件で聞きに行けず、NHK生放送を録音して置きましたがまだ聴く時間が取れません)、その他『フィンガルの洞窟』はもっと有名ですね。

 この序曲はドイツで慈善興行されることになった、フランスの文豪ヴィクトル・ユーゴーの戯曲「ルイ・ブラス」に適用されました。(オペラ化するには至らなかった)今日の上岡・読響の演奏は、冒頭、管の誘いにVnがのり、低音弦のピッツイの後のドラマティクな流れを抑制の効いたアンサンブルを醸し出して演奏していました。

 Vcのアンサンブルはシックで、Vnのチャチャッチャチャッチャ、チャチャッチャチャッチャという短い静かな音の連発は、何処かで聴いた事のある様なメロディで、音が繊細さを保ちながら上岡さんは、表現豊かに、すきのない演奏を現出させていました。決して体調は良いとは見えませんでしたが、いざオケに対向すると決然とした強い意思が感じられたのでした。

②メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64

楽器構成は基本二管編成は変わらず、(Hr.2 Trb.0に減)

 ノイダウアーは第一楽章でも次の楽章でも一貫して完璧無垢な綺麗な音を立てる演奏でした。立ち上がりは綺麗過ぎてやや弱さを感じたかも知れない。従って力で押しまくるエネルギッシュな演奏とは真逆のクールで理詰めの知的で高い技術を擁した演奏であったと言えるでしょう。それが如実に表れたのが、第一楽章カデンツァの後半、E線の最高部を小指で押さえて出した最高音、またその後のさらに高いハーモニックス音で、その絹糸の様な澄んだ響きは安定した見事なものでした。重音演奏と通常音とが入り交じり変化するきざはし模様も目に浮かぶ様でした。

 第二楽章の後半から低音部における音の幅も広がり特に三楽章になると力強さも感じられ、決して弱々しい女々しい演奏どころか、非常に洗練された奏法であると思われました。

 尚、演奏後拍手に答えてアンコールソロ演奏がありました。クライスラー『レチタティーヴォとスケルツォ』。これが非常に高度にテクニカルな超絶技巧の演奏で、低音の魅力と迫力も有り、このヴァイオリニストの別な側面を見る思いでした。とにかく手に汗握る演奏と言えます。

 20分の休憩の後は後半の目玉、チャイコフスキー『悲愴』です。

楽器構成は基本二管編成(Fl.3 Hr.4 Trb.3 Tub.1増強)弦楽五部(Vc.2増強)打(大太鼓、シンバル、銅鑼補強)

上岡さんはヴァイオリンのソロ演奏、休憩で少し元気を取り戻したのか、結論的に言うと、「素晴らしい演奏」と言った言葉では言い現わされない程の鬼気迫る演奏のオケの先頭に立っていました。


③チャイコフスキー『交響曲第6番 ロ短調 作品74 <悲愴>』

③-1

Cb とFgが随分と弱音で慎重にスタート、上岡さんは、間を十二分に長ーくとっている。続く旋律的な高音弦の流れは滔々とした民俗調をひびかせました。がそれも何回かで終わり突然激しい激高したとも思える全オケの強奏を指揮者は求め、盛んに手であおっている。それは全ブラスの高鳴りを呼び起こし、いったん収まると再度主題の民族調が弦楽アンサンブルで力強く奏されました。読響のVn.特に1Vnは見事に一致した一つに溶け合わさったアンサンブルの響きを立てていました。静かに消え入る様にTrp.Fag.Hr.の音が沈みます。

この楽章は全体的強弱、長短の組み立て構造が、こんな悲愴があったのかと思わす上岡さんの創造力の賜物と思われる程、これまで聴いた事のない別の曲の様な独創性に富んだ演奏でした。これ程の演奏作品作りに答えられる読響の技術は、相当高度なものと思われます。長い楽章でした。

③-2 Allegro con grazia

有名な主題の旋律をVc中心に展開、Vnから管に広がり、指揮者は時々手すりに左手で捕まり体を支える仕草で右手を振っていましたが、この辺になると優雅に両手を振り回しオケ共々美臭酔うが如くでした。聴いていると旋律に没頭しあっという間の短い楽章に思われた。

③-3  Allegro molto vivace

チャチャチャチャチャと速いテンポの弦奏からそれがFl.奏に伝播、上岡さんはきびきびと指揮指導しています。続く弦奏に交じって響くピッツィのアクセントが効果的。この箇所は1Vn.と2Vn.が1音ごとに主旋律を弾くので対称配置だとステレオ的音の効果が楽しめる場合もある様ですが、今回はそういうことは感じられません。Cl.のソロも入り、チャンチャチャチャンチャチャチャーンと最後の拍が強くなるシンコペーション的リズムが行進曲風でした。 この辺の弦から管への切り替えは切れ味が非常に良いと思われましたし、カタストロフィ的変化を上岡さんは随分と劇的、大胆にするナーと感心もさせられました。

この楽章でも上岡読響のVn.アンサンブルは、一体感が強いと感じられたし、打楽器も大活躍大きな音を立てていて、それらの音と奏者を見ることに気をとられていたら、いつの間にか最後の終わりの予兆がして全オケが全力投球、終焉の雰囲気のアンサンブルを奏で、矢張り演奏は終わってしまいました。暫く静かにしていた観客は拍手をし出しました。あれ、四楽章はアタッカで繋がっていたのかな?いやあの四楽章の緩やかな美しい旋律はどこかに出ていたっけ?いや無かったよー。ということは、四楽章の演奏は無かった??えー?またまた悪い癖で居眠りかいてしまったかな?などなどあれこれ考えているうちに拍手は強まり、自分としても、今日の演奏の脅威的な凄さに興奮し、手も割れんばかりの拍手を叩いていました。

 結局、第四楽章はどうだったのでしょうか?あれってチャイコフスキーが書いたんではないのかい?演奏を省いてもいい??いやそんな筈は無いでしょう?原楽譜に他人の書き込みが多くあったという人もいるようだけれど? 夢かまことか?幻の第四楽章????