マンリーコ役、笛田博昭が特に素晴らしかった公演でした。
【日時】2021.1.29.(土)14:00~
【会場】東京文化会館
【管弦楽】東京フィルハーモニー管弦楽団
【指揮】山下一史
【演出】粟國淳
【総監督】折江忠道
【合唱】藤原歌劇団合唱部
【合唱指揮】安部克彦
【美術】横田あつみ
【衣装】増田恵美
【照明】大島祐夫
【舞台監督】斎藤美穂
【出演】
小林厚子(レオノーラ)
笛田博昭(マンリーコ)
須藤慎吾(ルーナ伯爵)
松原広美(アズチェーナ)
田島達也(フェルランド)
松浦麗(イネス)
【主催者プロモート概説】
ヴェルディ中期の傑作〜吟遊詩人(トロヴァトーレ)の出生に隠された、愛と運命を弄ぶ超大作オペラ。
「リゴレット」「椿姫」に並ぶヴェルディ中期の傑作として知られるこの「イル・トロヴァトーレ」は、“呪い”によって登場人物たちの運命を翻弄し、ラストは悲劇を迎えるにも関わらず、その音楽の熱さと歌手の名演で初演当時から大成功を収めたことで知られています。そんな“傑作”を今回藤原歌劇団では今やオペラ界の第一線で活躍する演出家の粟國淳による新演出でお届けします。タイトルロールであるトロヴァトーレ(吟遊詩人)のマンリーコには、日本を代表するプリモテノールの二人、笛田博昭と村上敏明があの有名なアリア「見よ、恐ろしい炎を」を熱唱します。その恋人レオノーラには小林厚子と西本真子、運命の三角関係となるルーナ伯爵には須藤慎吾と上江隼人、魔女アズチェーナには松原広美と桜井万祐子といった、藤原歌劇団を代表する歌手たちがそのヴェルディ最高峰の音楽に挑みます。指揮は緻密な音楽作りで当団公演も多数成功に導いている山下一史。“これぞオペラ!”というべき「イル・トロヴァトーレ」にどうぞご期待ください。
【粗筋】
15世紀のスペイン。ルーナ伯爵は、美しい女官レオノーラに思いを寄せているが、レオノーラはマンリーコと相思相愛である。マンリーコはある日、母アズチェーナから、自分の素性の秘密を知らされ、自分が誰なのかわからなくなってしまう。そこへレオノーラが修道院に入るという報せが入り、彼女のもとへと駆け付ける。彼女はマンリーコが戦死したという噂を信じたのだった。伯爵も彼女に翻意をうながそうとやってくるが、そこに駆け付けたマンリーコと仲間に彼女を奪い去られる。怒った伯爵はアズチェーナを捕らえ、マンリーコをおびき出す。母親を助けに来たマンリーコは捕らえられ、アズチェーナとともに牢に入れられる。レオノーラは、伯爵をたずね、自分の身体を代償にマンリーコの釈放を求め、自らは毒をあおって死ぬ。伯爵はレオノーラの裏切りに激怒し、即座にマンリーコを処刑させる。アズチェーナは「マンリーコはおまえの弟だ、お母さん、仇をとりました」と叫んで倒れる。呆然と立ち尽くす伯爵。
【曲目概要】
- ヴェルディ作曲
- 初演 1853年1月19日 ローマ アポロ劇場
- 原作 アントニア・ガルシア・グティエレス「エル・トロヴァドール」
- 台本 サルヴァトーレ・カンマラーノ、エマヌエレ・バールダレ
- 言語 イタリア語
- 上演時間 2時間10分(第1幕30分 第2幕40分 第3幕20分 第4幕40分)
【上演の模様】
各幕のポイントと詠唱の概要は次の通りです。
<第一幕 決闘>
Timpが、冒頭鳴らされますが、何か乾き過ぎの様ないつもと違った響きでした(耳のせいかな?)。続く弦楽とHr.の響きは普通。 ◎第1場(アルハフェリア宮殿の門の前) 家臣が昔話「伯爵家を恨む、ロマの女の話」をする。ルーナ伯爵の家臣と従者たち及び衛兵たちが寝ずの番をしている。
(ルーナ伯爵の家臣)しっかり見張れ。今、ルーナ伯は、思い人レオノーレの部屋近くにおられる。あの方の身辺を守るのだ。ルーナ伯爵が警戒するのも無理からぬ。庭先で、吟遊詩人が彼女に向けて、夜ごと歌を歌うのだから。
(従者ら)眠むたい、ねむい。眠気を醒ますために、伯爵様の弟君の話をしてほしい。
(衛兵ら)私たちもその話を聞きたい。 話を聞こうと従者や衛兵らが、家臣フェルランドを取り囲む。 (フェルランド)みんなで聞くといい。
先代の伯爵様はふたりのお子さんをお持ちだった。ルーナ伯爵と、今なお行方不明の弟君だ。昔、幼子の弟君が眠りにつく頃、何者かが忍び寄った。そばで眠っていた乳母は起きて、誰がいるのかと目を凝らした。
ここで家臣は、舞台全面に出て来て「二人りのお子様の父親(Di due figli vivea padre beato)」を歌います?
家臣フェルランド役の田島さんは、この声ならタイトルロールも歌えるのでは?と思わす程のしっかりとしたバリトンで、詠唱と合唱とのやり取りを歌っていました。
(衛兵ら)忍び込んだのは誰だったのです? (フェルランド)それが卑しい老婆だったのだ。老婆は「幼子の星占いをしたかったから、部屋に忍び込んだ」という。乳母は叫び声を上げて、老婆は逃げ去った。
その日から弟君は、熱を出し夜通し泣き続けるようになった。老婆が呪いを掛けたにちがいない。少しして老婆は逮捕され、火あぶりにされた。しかしその老婆には一人娘がいた。娘は、伯爵家に復讐を企てた。なぜか、老婆を火あぶりにした灰の中から、赤子の骨が出てきたのだ。慌てて伯爵が息子の姿を探すが、見つからない。同時に、老婆の娘も姿を消した。先代の伯爵様は「息子は必ず生きている」と信じていた。「弟の行方を捜すように」とルーナ伯爵に頼み、亡くなったのだ。ああ、私はその場にいて女の顔を知っている。私がロマの老婆の娘を捕まえることができたらいいのだが!
ここで「卑しき老婆(Abbietta zingara, fosca vegliarda!)が歌われました。使者も出たとか鳥に姿を変えて出るとかの話。
真夜中を知らせる鐘の音。不気味な話に皆が身震いして立ち去る。
◎第2場(アルハフェリア宮殿内の庭)
相思相愛のレオノーラとマンリーコ。振られたルーナ伯爵。月の見えない薄暗い夜。庭から、レオノーラの部屋のバルコニーへ続く階段が見える。
侍女のイネスを従えた女官レオノーラは、御前試合で勝利した騎士のことが忘れられない。ある晩リュートの音と共に自分の名前を呼ぶ吟遊詩人の声がするのでバルコニーに出てみると、あの時の騎士だったといいます。
今夜はその声がまだ聴こえない。 (イネス)ここにいらしたのですか?お妃様があなたを待っていますよ。
夜ごと殿方を待つなんて。あなたは危険な恋に落ちています。一体いつ、その恋は 始まったのですか? (レオノーラ)遠い昔、馬上試合で誰とも知れぬ黒装束の騎士が勝利を収めたのよ。私は栄光の花冠を騎士に捧げました。内乱が起き、長い年月が過ぎた。
ある穏やかな夜、吟遊詩人の歌声が庭先に響いてきた。私の名を呼ぶ、悲しげな歌声。バルコニーから見ると、あの騎士の方だった。天にも昇る気持ちだったわ。
ここで、レオノーラは有名な「穏やかな夜(Tacea la notte placida)」を歌うのでした。
レオノーラ役の小林さんは、昨年5月に「ドン・カルロ」をまた6月には「蝶々夫人」を聴きましたが、しだいに安定したソプラノが出るように感じていた。今回はどうかな?と思っていましたが、矢張り声質は綺麗でした。でもやや硬質の声で特に高音になると少し線が細く、金切り声とまでは言えないですが、聴いていて耳に少し刺さる様な気がしました。今日は朝起きてすぐに大型テレビのU-tubeでネトレプコが歌う同じ曲を聴いて来たので、どうしてもその声と比較してしまいました。小林さん、もっと声に柔らかさが出ればしめたものですね。技術的にも高度で、この歌の後半の軽快なリズムに乗ったコロラチューラを含む旋律など上手に表現していましたし、高音もしっかり出ていました。
(イネス)あなた様の話を聞くと、不安になります。不吉な予感がします。友情からの言葉をお聞き下さい。何を言っているの。
(レオノーラ)この恋は言葉では表現できないの。私の運命はあの方と共にある。共に生きるのでなければ、あの方のために死ぬでしょう。
ここでレオノーラは、「この恋は言葉では表現できない(Di tale amor che dirsi)」を歌います。
イネス役の須浦さんも好演していました。この声とこの歌い振りなら、タイトルロールも歌えるオペラがきっとあるでしょう。 レオノーラと侍女はその場を立ち去り、自分の部屋に戻る。
レオノーラのバルコニーの下で、ルーナ伯爵はひとり。
(伯爵)静かな夜だな。妃(きさき)は眠っているだろう。レオノーラ、彼女の部屋には、明かりが見える。起きているのだろう。どうか私の思いを聞いて欲しい。今夜レオノーラに思いを伝えるチャンスかも知れない。いやここに吟遊詩人がいるから(駄目かな?)。
ここで、ルーナ伯爵は「この世にひとり寂しく(Deserto sulla terra)」を歌います。
伯爵役の須藤さんは、昨年4月の「ラメンモールのルチア」でエンリーコ役を歌い素晴らしかったので、その後どうなったかな?と思っていました。相変わらず声量も有り堂々と押し出しのいいバリトンで歌っていましたが、僅かに不安定さを感じました。(これは第4幕になると明確に不安定と言えるパッセッジがありました。) 暗闇のため、レオノーラは恋人マンリーコと間違って、伯爵に抱き付きます。 (レオノーラ)あれ、この声は。暗闇のために間違えた。[その場にやって来ていたマンリーコに向かって] 誤解しないで。マンリーコ、あなたを愛しています。私の心が求め、愛しているのはあなただけです。永遠に。 レオノーラとマンリーコは抱き合い喜びを分かち合うのでした。
(伯爵)おいこら、お前。卑怯者でないなら、名を名乗れ。 (マンリーコ) 私は、マンリーコだ。衛兵を呼び、刑を執行すればいい。
(伯爵)お前は、内乱で敵対した罪ですでに刑罰が決まっている身ではないか。死の宣告を受けているのに、ここに来るとは。お前の運命は終わりだ。 (レオノーラ) どうか、お許しを。
(伯爵)私の心は嫉妬で燃える。「愛しています」その言葉を、あの男に言うとは!その一言で、あの男の運命は決まったのだ。
ここで三人は三重唱「私の心は嫉妬のために(Di geloso amor sprezzato)」を歌いました。
三重唱はそれぞれの思いを勝手に歌う形ですが、ばらばらにはならないある種の統一性が出るのはさすがベルディの曲です。マンリーコ役の笛田さんは、美しいテノールで伸びのある歌声を、須藤さんは、迫力ある低い声で、小林さんは、緊張する必死のソプラノで皆なかなり大きな声を張り上げていました。
その後で、マンリーコとルーナ伯爵は、決闘のために舞台から去り幕となりました。
<第二幕 ロマの女>
◎第1場 アズチェーナの昔話「伯爵家を恨む、ロマ女の話」ビスカヤ地方の山の中。
夜明け頃のビスカヤ地方の山中にロマが住む貧しい仮りの家がある。たき火を囲むように、ジプシーの人々がたむろし、少し離れたところに、マンリーコと母のアズチェーナがいる。
ここでロマたちによる合唱(アンヴィル・コールス)「鍛冶屋の合唱(Vedi! Le fosche notturne spoglie)」が歌われます。
リズミカルな管弦に乗って❝トンチンカンチン❞と金属の高い音を立てて歌う合唱は、いかにも鍛冶場の雰囲気満点です。「鍛冶屋」雰囲気の歌としては、つい先だって(昨年11月)の『ニュルンベルグのマイスタージンガー』で、靴屋のザックス親方が靴の槌を金づちで叩きながら拍子をとって歌い、やって来たベックメーサーをタジタジさせる場面、それからヘンデルの『調子の良い鍛冶屋』などが有りますが、今回の合唱が一番鍛冶屋の雰囲気が出ていました。❝トンチンカンチン❞と金属の音は、小さな鐘の様なパーカッションを奏者が叩いて出していました。
さらにアズチューナは昔自分の母親が火あぶりにされた時のことを思い出してを歌います。 アズチューナ役の松原さんは、やや個性の強い(癖のある)メッゾですが、最初から最後(第四楽章)まで、疲れも見せず、結構大声を張り上げ熱唱していました。
山中のマンリーコの元に手紙が来て、レオノーラが修道院に入れられると書いてあったので、マンリーコは行こうとするのですが、母親のアズチェーナは引き留めようとするのです。
ここで二人による二重唱「Perigliarti ancor languente」が歌われます。
ここでは、笛田さんの独唱部分が圧巻でした。声は朗々として伸びがあるし、安定感抜群、本当に素晴らしい声が大ホール一杯に広がりました。昨年から今年初めまで聴いた(勿論ナマで)聴いたテノールとしては、昨年2月のメーリーの歌声以来の輝かしい歌い振りでした(グリゴーロの時は家内に行って貰ったし、カレーラスの時は用事があって聴きに行けなかったので)。会場からもこの日一番の大拍手が沸き起こりました。
こうした深い山間に仮の住まいで暮らすロマの人々を見ると、どうしても『カルメン』のシーンが連想されてしまう。深い岩山にカルメンたちに従って同行・逃亡したドン・ホセは、こうした厳しい(貧しい、兵隊生活よりも)生活をロマの人々とするうちにカルメンに対する愛情が激情と言える程に変質していったのかも知れません。マンリーコも伯爵家の御曹司に生まれながらも、アズチェーナによってロマの厳しい環境で育ったことが、レオノーラに対してルーナ伯爵という強力な恋敵の存在がいるにもかかわらず、それを超える強い愛情を抱く大きな原因となったことは否めないのではなかろうかと思うのです。逆に女性(カルメンとレオノーラ)の愛情の質が異なっていますけれど。
◎第2場 レオノーラの修道院入り寸前「修道院中庭の回廊」伯爵も修道院入りを止めようと家臣を連れてやって来て有名なアリアを歌うのです。
「君の微笑み(Il balen del suo sorriso)」 ここでは須藤さんは、愛の心情を心の底(腹の底)から出ている声で、セツセツと歌いました。やはり拍手は大きいものがありました。
この場では、尼僧たちによる合唱「イヴの娘よ(Ah!・・・se l’eereror t’ingombra)」が歌われました。女声合唱の人数は少なかったですが、聴くと新鮮ですっきりしますね。
死んだと思わせられていたマンリーコが、修道院に現れたのを見たレオノーラは、二人で連立ってその場から逃走していくのでした。
<第三幕 ロマの息子>
◎第1場 伯爵がマンリーコの母アズチェーナを捕らえる。「ルーナ伯爵の野営地」マンリーコとレオノーラが逃げ込んだカステロール城を攻め落とそうとする伯爵軍。
(ルーナ伯爵の家臣)兵士たちよ。明日にはカステロール城を攻め落とすことになる。準備をせよ。褒美はたくさんあるぞ。 と鼓舞すると (兵士ら)進め、進軍ラッパよ。明日には城に我らの旗が翻るだろう。
と「合唱(Squilli, echeggi la tromba)」を歌うのでした。
息子を探しにやって来て伯爵軍に捕縛されたアズチェーナが伯爵の前に引きずり出されます。 (アズチェーナ)貧しい暮らしだけど、一人息子がいるから満足だ。でも、息子が私を置いていったから、こうやって探しているんだ。
と言って、三重唱「貧しく暮らして(Giorni poveri vivea)」を歌います。
アズチェーナが昔赤子を盗んで逃げた女で、しかもマンリーコの母親だと知った伯爵は、さらに捕縛にお縄をきつく締めあげさせるのです。
(アズチェーナ)恥知らずめ、縄を緩めておくれ。非道な親の邪悪な息子(=ルーナ伯爵)め。神は貧しき者の味方だ。
と叫び、「恥知らずめ(Deh, rallentate, o barbari)を歌います。
◎第2場マンリーコが母の救出に向かう「カステロール城・広間」
(マンリーコの部下)大変だ。バルコニーに来てくれ。ジプシー女が足かせをつけられている。すでに、火あぶり用の炎まで準備されています。
(マンリーコ)私の母だ。卑怯者め。今すぐ部下を集めてくれ。すぐに進軍するぞ。
あの処刑台の炎は、私の心に火をつけ、燃え立たせる。哀れな母さん、なんとしても急いで助けに行かなければ。
と叫び、詠唱するのでした。
「見よ、恐ろしき炎を(Di quella pira)」
ここは強い激しい感情を顕わにする劇的場面なので、ヘルデンテノールが歌うことも有りますが、高い音も要する難しい箇所です。マンリーコの笛田さんは、ここでも朗々と見事に難所を歌い切りました。
<第四幕 処刑>
◎第1場 マンリーコを助けるためのレオノーラの決意「アルファフェリア宮殿」塔がみえる城壁」
私には、この指輪のお守りがあるから。(思惑ありげに指輪を見て)愛はバラ色の翼に乗って、哀れな囚人の心を慰めて。あの方に、愛の日々を甦らせておくれ。
と、
「恋はバラ色の翼に乗って(D’amor sull’ali rosee)」を歌うのです。
随分高い音程の声で長く引き伸ばして歌う箇所ですが、小林さんは、声を途切れることもかすれることもなくテクニカルにも問題なく立派に歌い切りました。
合唱で嘆きの声「哀れ給い(Misrere)」が歌われます。
女声合唱は人数は多くはありませんが、こういう場面ではしっとりと響きますね。心が落ち着きます。最も罪を問われて獄に繋がれている身だったら、不気味な不安に満ちた旋律に聞こえるかも知れませんが。
(レオノーラ)一度、マンリーコと会わせてください。そして、彼を逃がしてください。そうすれば、私はあなたのものです。と伯爵にすがりながらこっそり伯爵のすきを見て指輪に仕込んだ毒を飲んでしまって歌うのでした。
「彼は助かるでしょう(Vivrà! contende il giubilo)」の二重唱
は短いですが、伯爵と彼女の心情を良く表している箇所の歌です。
小林さんは最後まで崩れず歌い通したのですが、バリトンの須藤さんは、かなり力を入れていることは分かるものの、疲れたのか歌の安定がやや揺らぎました。特に長く息を続けるパッセッジではその揺らぎがはっきり出ていました。でも全体としては歌の勢いはちゃんと出ていましたけれど。
◎第2場 マンリーコとレオノーラの死「宮殿内の牢獄」
牢獄のマンリーコに会いに来たレオノーラは、今なら伯爵に捕まらないから急いで逃げてと恋人に懇願しました。しかしマンリーコは何かおかしいと疑念を持ちます。伯爵にレオノーラは大事なものを与える見返りに自分を逃亡させることにしたのだ、と気が付いたマンリーコはレオノーラを罵倒し、裏切られたと罵るのでした。しかしレオノーラの体の中で毒が急速に廻って来てぐったりした彼女を抱き起した時、彼嬢は力なく歌うのでした。
(レオノーラ)他人のものとなって生きるより、あなたのために死ぬことを望んだのです。
「他人のものとなって生きるより(Prima che d’altri vivere)」
総てを理解したマンリーコは嘆き悲しみますが、時すでに遅しレオノーラは死んでしまい、この状況を陰で見ていた伯爵は、マンリーコの首を切る様命じ彼氏も命を落とすのでした。悲劇です。酷い大悲劇です。伯爵だって好きな女性が死んでしまい悲しんでいる最中なのに、とどめを刺す更なる不幸が伯爵に追い打ちを掛けました。
(アズチェーナ)あの子(=マンリーコ)は、お前(=伯爵)の弟だったんだ!…敵がとれたよ。母さん(=かって火あぶりの刑に処せられたアズチェーナの母の魔女)。(Egli era tuo fratello!)」
とマンリーコの母(実は育ての母)が叫んだのです。ここで‘敵が取れた’というのはかねての願望であった '復讐' が成就されたという意味です。
オペラとして聴衆に訴える場合は「悲劇」が一番手っ取り早い物語なのでしょうが、それにしてもこのケースでは悲劇も悲劇、大悲劇、何とかならなかったのかという思いがあります。伯爵はきっとその後の人生は幸福ではなかったでしょうし、アズチェーナだって刑に処せられたのでしょう。全員不幸!皆生きる道が無かったのでしょうか?最大のボタンのかけ違いは、昔魔女として火刑に処せられた時、アズチェーナの自分の子が火中の虫と消え、誘拐した伯爵の弟が生き残ったことでしょう。それが何故かは最大の謎。そうでなければ、ロマから剣術に長けた吟遊詩人のマンリーコは生まれる素地はなかったでしょう。そしたらレオノーラは伯爵に愛されお妃きになっていたかも知れない。いや伯爵には既にお妃がいたんでしたっけ?不倫相手だったのかな?レオノーラは確か侍女だったですね。単なる侍女がこの物語ではまるで王女様か女王様かの様な扱いがされている。余程の美女だったのでしょうけれど、これも不自然です。また、伯爵の弟が生きていたということが、何十年も伏せられていたことが、悲劇に輪をかけた原因の一つだと思います。普通の物語だったら、風の便りに生きていることが伯爵の耳に入ることも有るでしょう。だって父拍の遺言で弟を探すように言われていたのですから各地の情報には耳を澄ましていたのですから。ロマ人達は各地をさすらう人々ですから、どこかで漏れ知られることが大いに可能性としてはある筈。秘密が漏れなかったということは、アズチェーナが自分に課した箝口令が余程厳しかった、それを実行した彼女の意志の強さは超人的です。それにしては、マンリーコにそれと分かる様な事も言っていたし、矛盾があります。矛盾だらけ。この時代の領主権は絶大だったのですから、伯爵が強権で以てエレオノーラを略奪すること等簡単なことだったでしょうに。またエンリーコが城を占領した背景の軍隊勢力が何か不明。まさかロマの勢力だけでは絶対不可能なことですし、吟遊を長年していて戦争に勝つなど出来るものでは有りません、余程のバックアップ勢力が無ければ。
このオペラの台本がナポリ人によって書かれたのは19世紀中葉、ヴェルディがオペラ化した数年前です(もともとは19世紀初頭のスペインの戯曲でしたが)。この時代はフランス革命の影響で、ナポレオンによるイタリア支配、ナポリ王にナポレオンの一族が付き又、ナポレオン失政後の混乱時代などを経ているので、ルーナ伯爵を記述する際にも強権的な強い人物には描けなかったでしょうし、またこの時代には現代よりも大きい悲劇が身の回りに多く存在したことでしょう。
いずれにせよ観て楽しい、後味がいいものでは決して無いですが、音楽として十分堪能できたオペラでした。