HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

ブラームス『ドイツ・レクイエム』を聴く

  《「うたフェスJAPAN」 特別演奏会》
     ブラームス「ドイツ・レクイエム」 

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【うたフェスJAPAN 】8月23日〜25日(3日間)

【会場】横浜みなとみらいホール

【主宰】東京国際合唱機構 

【主管】うたフェスJAPAN実行委員会

3日間にわたって様々な「うた」に関する演奏会が催行されますが、その中から、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」等を、"神奈川フィルハーモニー管弦楽団"及び選抜された合唱団により演奏される日があったので、聴きに行きました。
【日時】2024年8月23日(金)19:00〜

【会場】横浜みなとみらいホール

【管弦楽】神奈川フィルハーモニー管弦楽団
【指揮者】松下耕

〈Profile〉

 東京都武蔵野市出身。東京都立日野高等学校で合唱を始める。国立音楽大学作曲科を首席卒業。1994年、合唱音楽の研究のため、ハンガリーに留学。ハンガリー放送児童合唱団の指導アシスタントを務める。帰国後、「合唱団の耳を育てる」ことを主眼においた、純正律の響きに彩られた無伴奏合唱作品を精力的に発表し始める。なお、2000年代に入って以降、ピアノ付きの合唱作品が増えつつある。作曲する作品のほとんどが合唱曲だが、その他の作品として、サクソフォーン四重奏のための「AMAMI」、オーケストラ作品“De Profundis”、オルガン作品“La Rivelazione di Dio”等、多岐にわたる。

 東京国際合唱コンクール、日本国際合唱作曲コンクール、軽井沢国際合唱フェスティバル等のイベントを主催し、2017年には東京国際合唱機構を設立、代表理事に就任。


【共演者(ソリスト)】

◯腰越満美(ソプラノ)

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〈Profile〉

東京都出身。東京コンセルヴァトワール尚美ディプロマコース修了。
二期会オペラスタジオ修了。修了時最優秀賞及び川﨑靜子賞受賞。
文化庁オペラ研修所修了。文化庁芸術家在外派遣研修員として2年間、イタリアにて研修。
第3回日本声楽コンクール入選。
95年フェッルッチョ・タリアヴィーニ国際コンクール第1位。
98年、二期会公演『フィガロの結婚』にスザンナ役で注目を浴び、新国立劇場には、97年劇場オープニング記念オペラ『建・TAKERU』に夏乃役、99年『天守物語』に萩役で出演。2002年は1月二期会・新国立劇場共催公演『忠臣蔵』に綾衣役で出演。日韓文化交流公演オペラ『春香』のタイトル・ロールでも絶賛された。以後、大きな当り役となった、二期会オペラ『蝶々夫人』(指揮 小林研一郎 演出 栗山昌良)のタイトル・ロール、04年1月二期会・新国立劇場共催公演『鳴神』雲の絶間姫と次々と大舞台の主役を務め宮本亜門演出 二期会公演『ドン・ジョヴァンニ』で新しいドンナ・エルヴィーラ像を創り上げ、続く『フィガロの結婚』の伯爵夫人でも新境地を拓く。
07年は『メリー・ウィドー』のハンナや『天国と地獄』のユーリディスなどに主演し好評を博す。
09年2月、日本オペラ協会『天守物語』に主演、6月には二期会week in サントリーホール“時を駆ける歌声”服部克久が贈るにほんの歌の旅(サントリーホール ブルーローズ)で多彩な魅力を発揮する。 国外の公演にも頻繁に出演し、05年夏、中米・コスタリカ国立交響楽団によるオペラ公演『蝶々夫人』タイトル・ロールで招聘され、熱狂的な成功を収め、地元各紙から絶賛された。イタリアでは96年『愛の妙薬』アディーナ、97年『アンドレア・シェニエ』マッダレーナ以降、イタリア、オーストリアの各地でリサイタル、コンサートに出演し活躍。
コンサートではシューベルト「Gdurミサ」、オルフ「カルミナ・ブラーナ」、ペルゴレージ「スターバト・マーテル」、フォーレ「レクイエム」、ベートーヴェン「第九」、ハイドン「ネルソン・ミサ」等のソプラノ・ソロを歌う。また、読売日響「ピーター・グライムズ」〔演奏会形式〕、東京交響楽団「利口な女狐の物語」〔演奏会形式〕など、数々の注目の舞台に出演。06年11月、ベトナム国立交響楽団に招聘され、橋本国彦作品を紹介する。NHK総合「日本うた絵巻」「NHKニューイヤーオペラコンサート」等、テレビやラジオにも数多く出演し各方面より注目を集めている。 自身の企画によるジャズ・ポピュラーのみのリサイタルを開催するなど、多彩な才能を発揮している。
2008年10月、紀尾井ホール・シリーズ「歌」声楽家のアトリエ、第23回国民文化祭・いばらき「小町百年の恋」(世界初演・つくば市)小野小町役、11月、民音主催で、映画音楽からミュージカルの名曲を歌う「マイ・フェイヴァリット・ソング」(東京文化会館小ホール)等、さらなる活躍を続けている。
CD:「マイ・フェイヴァリット〜21世紀に伝えたい日本の歌〜」(01年 ビクターエンタテインメント)
「武満徹:SONGS」(08年カメラータトウキョウ)好評発売中。二期会幹事、桐朋学園大学教授(声楽)。

◯青山 貴(バリトン)

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〈Profile〉

東京都出身。都立府中西高校、東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。(卒業時に第9回松田トシ賞受賞。)同大学院修士課程オペラ科修了。第47回、第50回芸大メサイア公演、宮内庁主催桃華楽堂演奏会に出演。
オペラでは、99年芸大定期「コシ・ファン・トゥッテ」グリエルモ役、第10回芸大オペラプロジェクト「ラ・チェネレントラ」ダンディーニ役、東京室内歌劇場「魂と肉体の劇」忠告役、新国立劇場オペラ研修所公演「魔笛」パパゲーノ役、同じく「フィガロの結婚」アルマヴィーヴァ伯爵役、同じく「こうもり」ファルケ役で出演。03年には新国立劇場「ホフマン物語」ヘルマン役で出演した。
コンサートでは、第18回台東区民「第九」、芸大定期ヴェルディ「レクイエム」、同じくモーツァルト「レクイエム」、その他フォーレ「レクイエム」、ヘンデル「メサイア」、バッハ「ロ短調ミサ」、「マタイ受難曲(イエス、バスソロ)」、ブラームス「ドイツレクイエム」、オルフ「カルミナブラーナ」等のソリストを務める。
二期会オペラスタジオ第44期マスタークラス修了。(修了時に最優秀賞、川崎静子賞を受賞。)新国立劇場オペラ研修所第4期生修了。大久保省三、鈴木寛一の両氏に師事。二期会会員

 

【合唱】◯うたフェスJAPANブラームスメモリアル合唱団

当該合唱団は、うたフェスJAPANにおいて全国から公募したメンバーで結成される、一日限りの公募企画合唱団です。

  

               ◯うたフェスJAPANこどもユーススペシャル合唱団

当該合唱団は、「うたフェス」の初日(8/23)に開催された「こどもユースフェスタ」参加の合唱団を中心とした以下の8団体の構成員より計約300人のメンバーから編成。

 

※唱都八王子児童合唱団はちおうじキッズシンガーズ

※千葉ソナク少年少女合唱団

※東京いずみMS合唱団 マスタークラス

※佐倉ジュニア合唱団

※ジュニアコーラス フェアリーズ

※きみつ少年少女合唱団

※横須賀芸術劇場少年少女合唱団

※東華病院グループ中等教育学校契約合唱団

 

【曲目】

①作詞:みなつきみのり 作曲:松下 耕『讃歌・未来へ(管弦楽版)』

 

②ブラームス『ドイツレクイエム』

(曲について)

 通常レクイエムはカトリック教会において死者の安息を神に願う典礼音楽のことであり、ラテン語の祈祷文に従って作曲される。しかし、ハンブルクで生まれ、ウィーンで没したブラームスはルター派信徒であるため、ルター聖書のドイツ語版の文言から、ブラームス自身が選んだ旧約聖書と新約聖書のドイツ語章句を歌詞として使用している。 これは、メンデルスゾーンが1840年に作曲した交響曲第2番『讃歌』ですでに行われた手法である。

また、演奏会用作品として作曲され、典礼音楽として使うことは考えられていないのが大きな特徴として挙げられる。ブラームス自身も、「キリストの復活に関わる部分は注意深く除いた」と語っている。

ポリフォニーが巧みに活かされた作品であり、初期作品ピアノ協奏曲第1番の第3楽章にも見られるようなバロック音楽、特に大バッハやハインリヒ・シュッツ(シュッツも、「ドイツ・レクイエム」を作曲している)の影響が顕著に見て取れる。また第1曲の旋律が全曲にわたり用いられており、楽曲構成にも統一が意図されている。

「ドイツレクイエム」の最大の魅力は、その美しいメロディと歌詞にある。第1曲の深みのあるオーケストラの響きや、第6曲の力強いフーガの後に続く第7曲の優しい旋律など、どこを取っても合唱とオーケストラの織りなす美しいメロディに満ち溢れています。

さらに、このレクイエムは通常のラテン語の典礼文ではなく、ブラームス自身が選んだドイツ語の聖書の聖句で構成されていて、冒頭ア・カペラ合唱の「Selig」(幸いである)という言葉と、全曲の最後の「selig」という言葉が象徴的に用いられており、亡き師であるシューマンと母を想う、ブラームスの温かみにあふれたメッセージが込められている。

 

【演奏の模様】

今回の”フェス"に関し、これまでそういう音楽祭は聴いた事が有りませんでした。主催者言によれば、次の様ないきさつで開催されたとの事。

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◯開催メッセージ
これまで、多くの人たちに愛されてきた「軽井沢国際合唱フェスティバル」が、2024年から場所を横浜に移し、さらに大きく、さらに楽しくなって新登場します。
その名も、「うたフェスJAPAN」。英語名は「Japan Vocal Music Festival」といいます。
美しく、異国情緒あふれる街、横浜を代表する『みなとみらいホール』で3日間行われる“うたの祭典”です。合唱ファンも、アカペラファンも、バーバーショップが好きな人も、みんな横浜に集合しよう!

うたフェスは、楽しみにあふれています!

うたフェスJAPAN総合プロデューサー

芸術監督
松下 耕

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 要するに、これまで一地方都市で開催されてきたものを、首都圏の大都市である横浜市に移転・開催する事によりより参加型の音楽祭の興隆を図ったものと推測されます。

 今回は、様々な合唱などの催しがプログラムされていますが、その一環として、「神奈フィル」による『ドイツレクイエム』の演奏が催行されると耳にしたので、聴きに行くことにしました。この曲は、合唱が中心となっています。

 しかし、ブラームスは、モーツァルトやベルデイやフォーレの様な、教会での鎮魂の典礼で歌われる「レクイエム」を作ったのではなく、プロテスタントの国ドイツでらしく、「最後の審判(hukkats注)」の伝説に基づく、大衆の気持ちの発露を「ドイツレクイエム」として作曲したのでした。

「最後の審判(hukkats注)」(AIによる調査回答使用)

キリスト教の最後の審判について、簡単にまとめると、
* 世界の終末に、神が全人類の行いを審判することです。
* イエス・キリストが再臨し、生者も死者も裁き、天国と地獄に分かれます。
* 人生の行いによって、永遠のいのちを与えられるか、永遠の滅びに処されるかが決まります。
最後の審判のイメージ
* 絵画: ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画が有名です。
* 文学: 多くの宗教文学や小説で題材とされています。
最後の審判について考えさせられること
* 自分の人生: どのように生きていくべきか、人生の意味を考えさせられます。
* 死: 死後の世界、魂のゆく先につい

て考えさせられます。
* 信仰: 神の存在や、信仰の重要性について考えさせられます。
最後の審判に関する疑問点
* いつ起こるのか: 具体的な時期は誰にもわかりません。
* どのような形で起こるのか: 聖書には様々な記述があり、解釈は様々です。
* 裁きの基準は: 行いによって裁かれると言われていますが、具体的にどのような行為が評価されるのかは不明な点が多いです。
まとめ
最後の審判は、キリスト教において非常に重要な概念です。人々の心に様々な感情や疑問を引き起こし、人生の意味を深く考えるきっかけを与えてくれます。

 

 

①『讃歌・未来へ(管弦楽版)』

 会場にはいると、舞台正面(所謂P席)には、合唱団の子供達が、座っていました。開演直前になると、さらに多くの子供達が、列をなして登場し舞台に上がりました。オーケストラの演奏者も指揮者も入場し、合唱員のみんな元気に歌い始めました。さすが、各地のコーラス専門の団体で歌ってきた子供たち、何回リハーサルをやったかは分かりませんが、みごとに声は重なり合い、いい感じの歌声が会場に響きました。歌い終わると会場からは大きな拍手が鳴りわたりました。

 

②ブラームス『ドイツ・レクイエム』

楽器構成:Picc. 1、Fl. 2、Ob.2  Cl.3、Fg. 2、Cont-Fag. 1、  Hrn. 4、 Trmp.3、Trmb.3
Tub. 1、Timp.1、Hp2.Org.1 三管編成弦楽五部12型(12-10-8-6-5)

混声4部合唱
ソプラノ独唱(第5曲)、バリトン独唱(第3、第6曲)
なお、第1曲ではヴァイオリンは使われず、ヴィオラが弦楽の中心となっている。

全7曲構成、参考まで文末に、全7曲の歌詞と対訳を付しました。

合唱は、女性97人、男声44人、計140人の大合唱団、各々二声部づつの四声に分かれて歌いました。

 

 冒頭から低音弦(Va.+Vc.)の厳粛なメロディ(最初の1小節、3小節・・・等の奇数小節は、ドイツ国歌を思い起こす旋律)が、ゆっくりと響き始め、Hrnや弦楽の合いの手が流れるると、静かにコーラスが歌い始めました。神奈フィルの奏者も慎重に音を紡ぎ、合唱団は管弦楽の音を凌ぐ大音響を立て始めます。Ob.の合いの手の調べがいい音を立て、宗教的雰囲気を盛り上げます。

  四声合唱は、力強くカノンをまじえながら、管弦楽の強奏にも負けない歌声を張り上げました。百五十人近くの大合唱団の迫力は半端でないものが有りました。勿論四声部のカノンは見事に切れ味が良く、斉唱部も良くハモっていて、団員の皆さん、公募で参集したという事ですが、これまでかなりの合唱キャリアを有する方々が殆どと見受けられました。リハーサルの機会はそう多くはなかったと思いますが、オケ指揮者の松下さんは、合唱指導の専門家の様でして、合唱指揮指導もお手の物と見受けられました。

 

 ソリストの青山さんは第第3曲と第6曲でソロを歌いました。青山さんの歌は昨年7月にベルディの「オテロ」でモンターノ役を歌った時聴きました。中々の正統派バリトンでいぶし銀の演奏が印象に有ります。今回も❝Herr, lehre doch mich,das ein Ende mit mir haben mus. und mein Leben ein Ziel hat,und ich davon mus.❞と命に限りあることを我らに知らしめて下さいと神に期待する、頼み込む歌を朗々と歌ったのでした。その後を追って合唱が続きました。

 ソリストのもうひと方、腰越さんの歌は、今回初めて聴きました。これまでオペラやら声楽コンサートやら色々聴きに行きましたが、各種プログラムで名を拝見することは有りませんでした。今日のソロは第5曲、❝Ihr habt nun Traurigkeit;aber ich will euch wiedersehen,und euer Herz soll sich freuen,und eure Freude soll niemand von euch nehmen.❞と歌うのです。要するに神の目から見た諸人の憂いを除き、喜びで満たすと、ト長調の明るさをもって歌うのでした。腰越さんは、伸び伸びした高いソプラノで、短い曲でしたが感情を込めて歌いました。この第5曲は一番短い曲でしたので、腰越さんの歌をもっと聴いてみたい気もしましたが、先ず先ずの歌い振りだったと思います。Fl.やOb.の合いの手が決まっていました。

 第6曲はかなり厳しい状況を表すと思われる場面でした。❝Denn wir haben hie keine bleibende Statt,sondern die zukunftige suchen wir.❞と合唱先行で入り、その後青山さんが❝ Siehe, ich sage Euch ein Geheimnis:Wir werden nicht alle entschlafen, ~❞とソロで歌いました。ソリストは神の立場からの発言です。要するに、最後の審判がなされる日、「死人は朽ちずして蘇り、われらは化せられん。かくて言葉は成就せん、かく記されたるものは。「死は勝利に呑まれたり。死よ、なんじのとげは、いずこにかある?」と。(上記hukkats注参照) こうした内容からも、オケも合唱も、ソロも相当の激しさで演奏されるのでした。大音響の渦と言っても良いかと思われました。

 しかし 最後の四声のフーガが美しくこの曲の最を彩る有終の美と化し、オーケストラの合いの手も入り、見事なバッハ的立体構造を有する宗教音楽そのものでした。ブラームスはバッハを随分掘り下げて研究していますね。

 最終曲は、歌詞が❝Selig sind die Toten,die in dem Herrn sterben,von nun an.
Ja, der Geist spricht,das sie ruhen von ihrer Arbeit;denn ihre Werke folgen ihnen nach.❞とニ三行しかない短いものですが、何回も繰り返えされ、2曲、6曲に次ぐ旋律の長さです。何回も何回もリピートして歌われるのですね。

 ここでは、救済された人々の主の下で暮らす安寧の生活が、ゆったりと美しく演奏されました。特に女声高音部が美しい印象が深い。これは単に合唱の質ばかりでなく、団員の量、即ち人員の数に依るところも大きいと思いました。1曲から終曲までで、男声合唱の響きが弱いと感じる箇所が少なからず有りました。これは男声部44人に対し女声部はその倍以上の100名近い陣容であることに起因するのでは?と思われ、いくら何でもバランスを取るのはかなり難しいのではなかろうかと思います。希望者選抜ですから多過ぎると言っても切ることは出来なかったでしょうから、女声は抑制的に歌う他無かったでしょう。

 いずれにせよ今回の演奏は、神奈フィルの演奏が最近、とみに向上しているという噂を将に目で見、耳で聴き、成程と唸わせる結果でしたし、また合唱の質は、思っていた何倍も高く、これは我が国の合唱水準の高さを示すものと思われました。もう一点申し添えれば、パイプオルガンがズッシリと、しかし目立たない影武者の様に寄り添っていた事です。愛称「ルーシー」は日本女性の鑑み、大和なでしこの如く。

 尚、演奏会はその後、合唱曲をもう一曲(谷川俊太郎作詩、松下耕作曲『そのひとがうたうとき』)演奏された様ですが、所要が有って「ドイツレクイエム」までしか聴けませんでした。今回の会場は猛暑の日にもかかわらず。最初から最後までかなりの聴衆が入っていました。

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 参考まで、文末に合唱の歌詞と対訳を付します。

 

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ブラームス作曲 ドイツ・レクイエム 歌詞対訳


第1曲「幸いなるかな、悲しみを抱くものは」
Selig sind, die da Leid tragen,
denn sie sollen getrostet werden.
Die mit Tranen saen,
werden mit Freuden ernten.
Sie gehen hin und weinen
und tragen edlen Samen,
und kommen mit Freuden
und bringen ihre Garben.
幸いなるかな、悲しみを抱くものは、
かれらは慰められんゆえに。
涙とともに蒔くものは、
喜びとともに刈り入れん。
かれら出で行き、泣きて、
とうとき種を携える。
されど喜びとともにきたりて、
穂束を持ち運ぶ。


第2曲「肉はみな、草のごとく」
Denn alles Fleisch, es ist wie Gras
und alle Herrlichkeit des Menschen
wie des Grases Blumen.
Das Gras ist verdorret
und die Blume abgefallen.
So seid nun geduldig, liebe Bruder,
bis auf die Zukunft des Herrn.
Siehe, ein Ackermann wartet
auf die kostliche Frucht der Erde
und ist geduldig daruber,
bis er empfahe den Morgenregen und Abendregen.
So seid geduldig.
Denn alles Fleisch, es ist wie Gras
und alle Herrlichkeit des Menschen
wie des Grases Blumen.
Das Gras ist verdorret
und die Blume abgefallen.
Aber des Herren Wort bleibet in Ewigkeit.
Die Erloseten des Herrn werden wiederkommen,
und gen Zion kommen mit Jauchzen;
Freude, ewige Freude,
wird uber ihrem Haupte sein;
Freude und Wonne werden sie ergreifen,
und Schmerz und Seufzen wird weg mussen.


肉はみな、草のごとく
人の光栄はみな
草の花のごとし。
草は枯れ
花は落つ。
かく今は耐え忍べ、愛しき兄弟よ、
主の来たらんとするときまで。
主よ、農夫は待つなり、
地のとうとき実を。
また耐え忍ぶなり、
朝の雨と夕の雨を得るまで。
かく耐え忍べ。
肉はみな、草のごとく
人の光栄はみな
草の花のごとし。
草は枯れ
花は落つ。
されど主の御言葉は保つなり、とこしえに。
主に救われしもの再びきたりて、
歓呼とともにシオンにきたる。
喜び、とこしえの喜びが、
その頭の上にあらん。
喜びと歓びとをかれらはつかみ、
苦しみと嘆きとは逃げ去るべし。


第3曲「主よ、知らしめたまえ」

Herr, lehre doch mich,
das ein Ende mit mir haben mus.
und mein Leben ein Ziel hat,
und ich davon mus.
Siehe, meine Tage sind
einer Hand breit vor Dir,
und mein Leben ist wie nichts vor Dir.
Ach wie gar nichts sind alle Menschen,
die doch so sicher leben.
Sie gehen daher wie ein Schemen
und machen ihnen viel vergebliche Unruhe;
sie sammeln und wissen nicht,
wer es kriegen wird.
Nun Herr, wes soll ich mich trosten?
Ich hoffe auf Dich.
Der Gerechten Seelen sind in Gottes Hand
und keine Qual ruhret sie an.


主よ、知らしめたまえ、
われに終わり必ずあること、
わが命に末あること、
我この世より必ず去ることを。
主よ、わが日々は
手の幅ほどのものなり、御前にては。
わが命は無のごとし、御前にては。
げに、まことに無のごとし、すべての人は、かれら確かに生きれども。
かれら影がごとく移ろい、
むなしく思い悩む。
かれら積み蓄えるが、知らず、
誰がそれを手にせんかを。
されば主よ、何によりてか、われ己を慰むべし?
われは待ち望む、汝を。
正しき人の魂は神の御手のうちにあり、
いかなる責め苦もそれらに触れることなし。


第4曲「いかに愛すべきかな、なんじのいますところは、万軍の主よ」

Wie lieblich sind Deine Wohnungen,
Herr Zebaoth!
Meine Seele verlanget und sehnet sich
nach den Vorhofen des Herrn;
Mein Leib und Seele freuen sich
in dem lebendigen Gott.
Wohl denen, die in Deinem Hause wohnen,
die loben Dich immerdar.


いかに愛すべきかななんじのいますところは、
万軍の主よ!
わが魂は求め慕う、
主の前庭を。
わが身と心は喜ぶ、
命の神の御前で。
幸いなるかな、なんじの家に住むものは、
なんじをつねに讃えまつるものは。


第5曲「汝らも今は憂いあり」
Ihr habt nun Traurigkeit;
aber ich will euch wiedersehen,
und euer Herz soll sich freuen,
und eure Freude soll niemand von euch nehmen.
Ich will euch trosten,
wie einen seine Mutter trostet.
Sehet mich an: Ich habe eine kleine Zeit
Muhe und Arbeit gehabt
und habe grosen Trost gefunden.


汝らも今は憂いあり、
されどわれ汝らを再び見ん。
そのとき汝らの心よろこぶべし、
その喜びを汝らより奪う者なし。
われ汝らを慰めん、
人をその母が慰むるごとく。
われを視よ。われに束の間の
労苦と働きのみありしが、
われ大いなる慰めを見いだせり。


第6曲「われらここには、とこしえの地なくして」
Denn wir haben hie keine bleibende Statt,
sondern die zukunftige suchen wir.
Siehe, ich sage Euch ein Geheimnis:
Wir werden nicht alle entschlafen,
wir werden aber alle verwandelt werden;
und dasselbige plotzlich in einem Augenblick,
zu der Zeit der letzten Posaune.
Denn es wird die Posaune schallen
und die Toten werden auferstehen unverweslich;
und wir werden verwandelt werden.
Dann wird erfullet werden das Wort,
das geschrieben steht.
Der Tod ist verschlungen in den Sieg.
Tod, wo ist dein Stachel?
Holle, wo ist dein Sieg?
Herr, Du bist wurdig
zu nehmen Preis und Ehre und Kraft,
denn Du hast alle Dinge erschaffen,
und durch Deinen Willen haben sie das Wesen
und sind geschaffen.


われらここには、とこしえの地なくして、ただ来たらんとするものを求む。
主よ、われ汝らに神秘を告ぐ、
われらはことごとく眠るにあらず、
われらみな化せられん、
たちまち、瞬く間に、
終わりのラッパのときに。
すなわちラッパ鳴り
死人は朽ちずして蘇り、
われらは化せられん。
かくて言葉は成就せん、
かく記されたるものは。
「死は勝利に呑まれたり。
死よ、なんじのとげは、いずこにかある?
地獄よ、なんじの勝利は、いずこにかある?」
主よ、なんじはふさわし、
称賛と栄光と力を受けたもうことに。
なんじは万物を造りたまい、
御心によりてそれらは存在を保ち、
かつ造られたるゆえに。


第7曲「幸いなるかな、死人のうち、主にありて死ぬるものは」
Selig sind die Toten,
die in dem Herrn sterben,
von nun an.
Ja, der Geist spricht,
das sie ruhen von ihrer Arbeit;
denn ihre Werke folgen ihnen nach.


幸いなるかな、死人のうち、
主にありて死ぬるもの、
今よりのちに。
「然り」と霊も言いたもう、
「かれらはその労苦から[解かれて]休まん。
かれらの行い、のちより従うなれば」