表記のオペラは金曜日かと思っていたら、今日(1/26)水曜日だったのです。これではじっくり自宅での自粛生活は出来ません。幸い体調はまずまず良いので(最近寒さには弱くなりましたが)、神奈フィルの時の様に出来る限りの感染防止対策はして、聴きに行くほか有りませんでした。
【日時】2022.1.26.19:00~
【会場】NNTTオペラパレス
【管弦楽】東京交響楽団
【指揮】ガエタノ・デスピノーサ(ジェームス・コンロンの代役)
【合 唱】新国立劇場合唱団
【合唱指揮】三澤洋史
【演 出】マティアス・フォン・シュテークマン
【美 術】堀尾幸男
【衣 裳】ひびのこづえ
【照 明】磯野 睦
【再演演出】澤田康子
【舞台監督】村田健輔
【出演】
妻屋秀和:ダーラント
田崎尚美(代役):ゼンタ
城 宏憲(代役):エリック
山下牧子:マリー
河野鉄平(代役):オランダ人
鈴木 准:舵手
【協 力】日本ワーグナー協会
【器楽構成】
2管編成弦楽五部12 型
Fl2、Picc1、Ob.2、コールアングレ1、Cl.2、Fg.2、Hr.4、Tmp2、Trb.3、Tub1、Timp.1,Hp.1、バンダ有の場合(Hr.6、Picc.3、タムタム、Wind Mach.etc.)
【粗筋】
第1幕
舞台はノルウェーのフィヨルドに面した港町。ノルウエー船長ダーラントは強風から一時避難で自らの家のあるここに投錨する。すると遠くから、黒いマストに真紅の帆を立てた幽霊船が現れる。幽霊船の船長のオランダ人は「呪いを受け7年に一度上陸できるが、乙女の愛を受けなければ呪いは解かれず、死ぬことも許されずに永遠に海をさまよわなければならぬ」と嘆く。 ダーラントが声を掛けると、幽霊船船長のオランダ人は一夜の宿を請い、若しダーラントの娘がを妻に呉れるなら、すべての財宝を差し出すと言う。それを受けたダーラントは財宝を渡され、娘ゼンタと引き会わすことを約束してしまう。
第2幕
壁にかかるオランダ人船長の肖像画になぜか心惹かれるゼンタ。ゼンタはオランダ人の肖像を見ては思いを募らすばかりである。しかし、ゼンタはエリックという青年に愛されている。ゼンタはオランダ人と出会い、その不幸に心打たれ、救いたいと思う。ゼンタは父とオランダ人に説得され、オランダ人につき従うことを約束する。
第3幕
第1幕の港町に再びオランダ人の幽霊船が現れる。オランダ人に会おうとするゼンタ。それを引き止めるエリック。オランダ人はエリックのゼンタへの愛を見て「裏切られた」と言い、帆をはり去っていく。ゼンタは自らの純愛を岩の上から叫び、貞節を証明するために海に身を投じる。ゼンタの純愛を得た幽霊船は呪いを解かれ、死を得て沈没する。そしてオランダ人とゼンタは浄化され昇天していく。
【上演の模様】
このオペラは通常のオペラより予備知識が多くないと、疑問点が多々生じて見ていて何か納得の得ない後味がすっきりしないものとなるというのが以前の初印象でした。
ネット情報によれば、「神罰によって、この世と煉獄の間を彷徨い続けているオランダ人の幽霊船があり、喜望峰近海で目撃されるという伝説(フライング・ダッチマン)を元にした、ドイツの詩人ハインリッヒ・ハイネの『フォン・シュナーベレヴォプスキー氏の回想記』(Aus den Memoiren des Herren von Schnabelewopski143,1843年)にワーグナーが着想を得て再構成し、1842年に完成し1843年に初演された」とあります。 オペラに利用されたハイネの物語の中の一部(第7章)は、上記の怪談・伝説「フライング・ダッチマン」で、それがモデルとなりました。
〇第一幕
①先ず短くはない序曲が演奏されます。オケのアンサンブルが勢いよくワーグナーらしいメロディを奏で、一瞬の静寂の後、管楽器が高音・低音で静かに鳴ると突然嵐をイメージしたオケの強奏が響き渡りました。全管も力強く吠え、幽霊船の登場を迎えるのでした。デスピナ東響は、最初からかなり張り切り飛ばしている感じ。いつもより随分力強い感じがします。この間10分ほど。Obによる救済の調べが時折組み込まれ、最後は弦の上向旋律等を控えさせて、管が最後の鳴り響きを堂々とFtに繋ぎ⇒弦⇒HpそしてTimpの連打で〆るのでした。さい先いい出だしです。
②ここでは水夫達が、“Johohe! Hallajo! Hohoha! Hallojo! Ho! Ha! Ha! Ja! Hallajo! Hallaha! Hallahoja!”と掛け声を上げながら作業しています。
ワーグナーのオペラでは、掛け声が歌のすきまを縫って威勢良く張り上げられ、場面をより一層ダイナミックにさせることが珍しくありません。例えばオペラ『ワレキューレ』の第三幕の冒頭でも8人のワレキューレ(女戦士)が “Hojotoho! Hojotoho! Heiaha!”と掛け声を張り上げながら、馬を駆って岩山を行き来しています。
水夫達の合唱は男声20数人程、嵐を避けて自分たちのノルウェーの港に程近い処に緊急避難したばかりです。船長のダーラント(妻屋)が甲板に出て来て、第一声をあげました。妻屋さんの歌は声も歌い振りもいつもと同じ、こじんまりしているが安定感があります。舵手役の鈴木さんも歌います。初めて聴きましたがなかなかいいですよ?綺麗なテノールで、声も通って。
そうしている内にオランダ船も避難して来て、オランダ船船長(Hと略記)とダーラント(Dと略記)の顔合わせの場面となります。そこでHはDに一夜の宿を頼み込み、お礼としてかなり高価なものを差し出すのでした。二人の話はトントン拍子に進み、Dの愛娘のゼンタをHに娶せるということにまで発展、これがこの物語の発展展開するそもそもの原因となるのでした。
H役の河野さんは、登場するや唸るように低い声で歌い始めましたが、次第に本領発揮、声量も伸びもあるバスで、あの広いホール一杯に歌声を響かせていました。日本人離れした歌いぶり、以前「METライブビューイング」で似たタイプの歌手を見たことが有ります。
〇第二幕
ゼンタは糸車も廻さず、一幅の肖像画を物に憑かれた様にジーッと見つめています。さまよえるオランダ人船長の絵に。
娘たちの退屈な紡ぎ歌に代わって、乳母が歌って呉れて覚えたバラードをゼンタは歌うのでした。(③「ゼンタのバラード」)
❝Johohohe! Johohohe! Johohohe! Johohe!Traft ihr das Schiff im Meere an,
blutrot die Segel, schwarz der Mast? Auf hohem Bord der bleiche Mann, des Schiffes Herr, wacht ohne Rast. Hui! - Wie saust der Wind! - Johohoe! Hui! - Wie pleift's im Tau! - Johohe! Hui! - Wie ein Pfeil fliegt er hin,(ヨホホヘ!ヨホホヘ!ヨホホヘ!ヨホヘ!大海原で、おまえたち、出会ったことがありますかね、黒いマストに、血のような赤い帆を架けたあの船に? 船橋に、眠ずの番で見張るのは、船主です。青ざめた顔の男ヒュー!-風が咆えるぞ!- ヨホホエ!ヒュー!とも綱が唸るぞ!- ヨホへ!ヒュー!-矢のごとく海原を翔け廻るあの男、行く先も、休みもとらず、寝もせずに!)❞ と。
ここまでは結構激しく情熱を帯びながら歌い、弾く続き次の後半は優しさと慈しみに満ちた「救済の歌」を歌うのです。
❝Doch kann dem bleichen Manne Erlösung einstens noch werden,fänd' er ein Weib, das bis in den Tod getreu ihm auf Erden!. Ach! wann wirst du, bleicher Seemann, sie finden? Betet zum Himmel, dass bald ein Weib Treue ihm halt'!(だがいつか、救済の日は来るという、青きあの男に、死んでも変わらぬ操を立てる、妻にこの世で出会ったら!ああ、青ざめた顔の船乗りが、彼女に出会うのは、何時の日でしょう?皆さん、天に祈りを、一人の女が、間もなく一人の男に操をたてるよう!)❞
このバラードの一番から三番までを、ゼンタ役の田崎さんはかなり気迫の籠った歌唱で歌いました。
田崎さんのソプラノは初めて聴きましたが、第一声からして予想以上の声量がある素晴らしい歌い振りで、日本にもオペラ向きのこの様な歌手がいるのだと少なからず驚きました。
次は④「ゼンタとオランダ船長の二重唱です。オランダ船長役の歌では
❝Wie aus der Ferne längst vergang'ner Zeiten spricht dieses Mädchens Bild zu mir: wie ich's geträumt seit bangen Ewigkeiten,vor meinen Augen seh' ich's hier.Wohl hub auch ich voll Sehnsucht meine Blickeaus tiefer Nacht empor zu einem Weib:ein schlagend' Herz liess, ach! mir Satans Tücke, dass eingedenk ich meiner Qualen bleib'.Die düstre Glut, die hier ich fühle brennen, sollt' ich Unseliger sie Liebe nennen? Ach nein! Die Sehnsucht ist es nach dem Heil: würd es durch solchen Engel mir zuteil!(とっくに過ぎ去ってしまった遥かな時の彼方からのように、この娘の姿はおれに語りかける。捉えどころのない永遠の中で夢に見た通り、今、眼前に居る彼女を見ているのだ。憧れに満ちて、おれは視線を上げる、深い夜の中から、一人の女の方に向かって。ああ!悪魔の奸計はおれの心臓を動悸させ、おれが未来永劫苦悩の中に留まるのだということを思い起こさせる。おれの中に燃え上がる、この暗い情熱、呪われたおれが、それを愛と呼べるだろうか?ああ、否!それは、救済への憧れなのだ)❞ とゼンダが憧れるオランダ人が先ず前半を歌い、すぐに二重唱を引き続きゼンタ役の田崎さんが歌いました。
❝Versank ich jetzt in wunderbares Träumen? Was ich erblicke, ist's ein Wahn?
Weilt' ich bisher in trügerischen Räumen, brach des Erwachens Tag heut' an?
Er steht vor mir, mit leidenvollen Zügen, es spricht sein unerhörter Gram zu mir: kann tiefen Mitleids Stimme mich belügen? Wie ich ihn oft gesehn, so steht er hier. Die Schmerzen, die in meinem Busen brennen, ach', dies Verlangen, wie soll ich es nennen? Wonach mit Sehnsucht es dich treibt - das Heil, würd' es, du Ärmster, dir duch mich zuteil! (私は今素晴らしい夢をみているのでしょうか?私の見ているものは、幻なのか?今まで私は偽りの空間にいて、今目覚めの時が始まったのでしょうか?苦悩に満ちた様子で、私の前に彼が立っている。彼の底はかとない悲しみが私に語りかけてくる。深い同情の声に、私が騙されてるなんてことがあるでしょうか?幾度となく眺めていたあの人が、そこに立っている。私の胸の焼け付くような痛み、ああ、この熱い思いを何と呼べばいいのでしょう?あなたが焦がれ追い求めるのは-救済。不幸な方、私を介して、それがあなたに与えられればいいのですが!) ❞
オランダ人役の河野さんは、最初祈りをあげる如く低く唸る様に続いてかなり高揚して歌い、二重唱部分は田崎さんの歌唱を遮らない様に注意深そうに歌っていました。一方田崎さんは当初から感動を押さえきれない様に切実感を出して歌っていた。この二重唱部分は第二幕の最後近くまで長々と歌われたのでした。二重唱でのオランダ人の詠唱はオペラというより、まるでリート的な響きに聞えました。
ここで出て来る「愛の救済」はワーグナーが他のオペラでもそのバックボーンに添えた大きなテーマで、例えば上記ワレキューレの同じく第3幕1場で、お腹の子に“ジークフリート”と名付け、生き延びてこの英雄を生んで欲しいと力づけてくれたブリュンヒルデに対し、ジークリンデは感謝の言葉を、「愛の救済の動機」に乗せて歌うのでした。
〇第三幕
ワーグナーのオペラでは合唱で歌われる曲がまた素晴らしいものが多く、ここでも合唱は、⑤「見張りをやめろ、舵取りよ (水夫の合唱)」が歌われます。荒れ狂う海を航海して、ようやく上陸の見通しがたち水夫たちは歓喜し、舵手をからかうように「おーい、そこの舵取り、見張りをやめろよ!仕事をやめてこっちへ来いよ」と歌うのです。又その伴奏というか協奏というかオーケストラの響きにも、合唱に合わせた軽快で力強いものが有り、合唱を一層引き立てています。
❝MATROSEN DES NORWEGERS trinkend
Steuermann! Lass die Wacht! Steuermann! her zu uns! Ho! He! Je! Ha! Hisst die Segel auf! Anker fest! Steuermann, her! Fürchten weder Wind noch bösen Strand,wollen heute mal recht lustig sein! Jeder hat sein Mädel auf dem Land, herrlichen Tabak und guten Branntwein.Hussassahe! Klipp' und Sturm' drauss - Jollohohe! lachen wir aus! Hussassahe! Segel ein! Anker fest!Klipp' und Sturm lachen wir aus! Steuermann, lass die Wacht! Steuermann, her zu uns!
Ho! He! Je! Ha! Steuermann, her trink mit uns! Ho! He! Je! Ha! Klipp' und Sturm' He! sind vorbei, he! Hussahe! Hallohe! Hussahe! Steuermann, Ho! Her, komm und trink mit uns! (ノルウエー船の水夫達 (酔いながら)舵取りよー!見張りなんぞは打っちゃって置け!舵取りよー!俺らのとこへやって来い! ホ!へ!イェ!ハ!帆を揚げろ!錨を下ろせ!舵取りよー、こっちだよ!風も危険な砂浜も、俺たち全然怖くない。今日はしばらく、愉快にやろうぜ!陸(おか)に上がれば、俺たちゃ、いい娘(こ)がいるぜ、最高煙草に、火酒も美味いよ。フッササヘ!外海の、岩場に嵐 - ヨッロロホへ!俺たっちゃ笑い飛ばすのさ!フッササヘ!帆をたため!錨を下ろせ!岩場に嵐、おいらは笑い飛ばすのさ!舵取りよー、見張りなんぞはうっちゃって置け!舵取りよー、俺らのとこへ来なんしゃい!ホ!ヘ!イェ!ハ!舵取りよー、あんたも一杯ひっかけろ!ホ!ヘ!イェ!ハ!岩場に嵐、ヘィ!もう過ぎ去った、ヘィ!フッサへ!ハッロヘ!フッサへ!舵取りよー、 ホーィ!こっちで、一緒に飲みんしゃい!)❞
水夫たちの歌声は陸の娘たちを巻き込んで、まだまだ長く続くのでした。
今日のオペラは、外国人歌手がコロナの影響で全滅、これまでの経験から代役日本人歌手にそれ程期待していませんでしたが(これは失礼)、何の何の三人とも、予想を遙かに超える歌いぶりを見せて呉れました。レベルが高い。田崎さんの発声を注意してみていると、体全体を共鳴体として使っている感じがします。田崎さんの経歴を拝見すると、会津女子高校から東京藝大に進んだ様ですね。かの高校は、確か合唱県福島県の、合唱が盛んで実績が全国レベルの伝統ある高校だったとの記憶があります。テレビで見たことがありますが、小学生の頃から合唱クラブで互いに発声を研究し合う程歌うことが熱心な学校風土があるといいます。田崎さんがその様にしてきたかまでは分かりませんが、そうした風土にいたということは、何らかのいい影響があったでしょう、きっと。また河野さんの経歴をみてまたびっくり、福島出身だとかいてあるのです。合唱県驚くべしですね。
また、代理指揮者のデスピノーサもいい指揮をしていました。これまで何回も聴いた東響の演奏とは、ひと味違って聞こえました。代役で引っ張りだこで大忙しですね。こうした大活躍をみると、来期のN響との共演も期待大です。
オペラを観終わって、今回考えたことは、『さまよえるオランダ人』はワーグナーの初期のオペラとは言え、後々の大作オペラ群の方向性を示している、その真髄を既に内包しているということでした。
しかし現代感覚では、当時の歴史的状況を考慮に入れても、ゼンタの犠牲的精神は理解しがたい部分があります。もしこれを宗教オペラと看做せるのであれば、ゼンタは将に神の遣わしたエンジェルその者でしょう。オランダ人船長は悪魔の呪いを十分償ったと看做され神は昇天させたのかも知れない。しかしその切っ掛けとしたゼンタの父親への贈与は余りにも現世的で、父ダーラントの行為はゼンタの気持ちとは全く真逆の普通の娘であれば許しがたい行為でしょう。しかしそれ以上に、恋人エリックを捨ててまでオランダ人に惹かれたゼンタはやはり物に憑かれていたのでしょう。エリックが可哀そうですね。
尚第二幕の冒頭で大々的に糸を紡ぐ港の女子工たちの場面から、やはりこれは、英国における「オランダ幽霊船」の伝説がベースとなり後世ハイネに取り込まれワーグナーオペラに至ったものと推察されます。
「フライング・ダッチマン」の伝説に関して調べると(注)のような記述が見られます。これから時代は1700年中葉の事件だと分かり、当時の英国では第1次産業革命が進み、織物工業が大々的に行われていて、原料の綿花、羊毛等の輸入、製品の輸出が盛んに行われ港は活況を帯びていたのでした。その初期工程である紡糸は糸車で行っていたのですね。現代的機械に依る様になったのはその後でしょう。 最近のオペラでは「新制作」「新演出」と称して作曲された時代背景を無視したり、かなりデフォルメしたりすることが散見されますが、そうすると、オペラの重要場面が本来の筋道から外れてしまったり、筋道自体がひん曲がって様々な齟齬を生じてしまう原因が発生してしまいます。オペラに限らず、演劇にせよ、映画にせよ、伝統芸能にせよ、『時代考証』抜きにはあり得ないと私は考えます(古いかも知れませんが)。その上での許容範囲内の変化は当然あると思います。
(注)幽霊船の形で現れる最古の文献は、1795年のジョージ・バリントン(英語版)の『ボタニー湾への旅』(Voyage to Botany Bay)で、次のような話である。
オランダ人が喜望峰沖で遭難し、乗っていた者は全員死亡した。
1隻の船が同行していたが、無事ケープ(現・南アフリカ共和国)に着き、一度ヨーロッパに帰って、またこの海域に戻ってきた。
事故のときと同じ緯度に達したとき、遭難した船の幽霊船を見張りが見つけた。
船がケープに着くと、船員はその話を触れ回り、幽霊船は「フライング・ダッチマン」と呼ばれるようになった。
1821年のブラックウッド誌(英語版)では、次のように書かれた。ほぼ現在知られる物語になっている。
幽霊船は、70年前(1751年)に出港したアムステルダム船である。
船長はヘンドリック・ファン・デル・デッケン(Hendrik van der Decken)である。
ケープタウンへ向かってテーブル湾に入る直前で激しい向かい風となったため、船長は風を罵った。
その夜、船が船長に「今夜中に湾に入る気か?」とたずね、船長は「最後の審判の日までかかっても入ってやる」と答えた。
その結果、船は今も湾に入れず近海をさまよっている。悪天候のときのみ見ることができる。