上記映画作品は、代表的な仏ヌヴェルバーク映画の旗手、ジャン=リュック・ゴダールによって撮られた、1960年代のローリング・ストーンズの若かりし日の名曲誕生ドキュメンターに、重畳して当時の革命家、特に黒人過激派の主張を、オムニバス的にはめ込んだ、内容的にも非常に分かりにくい映画です。如何にもゴダールらしい難解な作品です。しかしその中で、まだ二十歳代と見られるローリング・ストーンズのメンバーが、練習を通して試行錯誤を重ねながら、後日有名となる曲『Sympathy For The Devil』を作り出す過程は、彼らの音楽に対する素朴でひたむきな姿を顕わにし、昨年逝去したドラマー、チャーリー・ワッツの若くて元気な姿も見られる貴重な作品です。
【鑑賞日時】2022.1.3.(月)15:10~
【 上 映 館 】横浜ジャック&ベティ
【監督】ジャン=リュック・ゴダール
【撮影】トニー・リッチモンド
【編集】ケン・ロウルズ
【出演】ザ・ローリング・ストーンズ(ミック・ジャガー/キース・リチャード、ブライアン・ジョ-ンズ/チャーリー・ワッツ、ビル・ワイマン) アンヌ・ヴァイアゼムスキー、イアン・クオリアー、フランキー・ダイモンJnr.
【 制 作 年 】1968年
【劇場公開】 1978年
【ザ・ローリング・ストーンズ略歴】
1962年イギリス・ロンドンで結成。翌63年に「カム・オン」でデビューを果たす。 レコードデビュー当時のオリジナルメンバーはミック・ジャガー(Vo.)、キース・リチャード(G)、ブライアン・ジョーンズ(G)、ビル・ワイマン(B)、チャーリー・ワッツ(Dr.)。 1965年「サティスファクション」で全英・全米1位を獲得。以来、多くのヒット曲を世に送り出し続けている。68年に「悪魔を憐れむ歌」を発表。これまでに一度も解散することなく、半世紀以上にわたり第一線で活躍。 現在もコンスタントにライブ活動を行っている。 デビュー以来、ミック、キースとともに、オリジナルメンバーとしてストーンズを支えてきたチャーリー・ワッツは、2021年8月に80年の生涯を閉じた。
【ゴダール略歴】
1930年12月3日フランス・パリ出身。ソルボンヌ大学時代、カルチェ・ラタンのシネクラブに参加。フランソア・トリュフォーらと出会う。映画批評家としてキャリアをスタートさせ、59年にジャン=ポール・ベルモンド、ジーン・セバーグ出演『勝手にしやがれ』で長編監督デビュー。 ヌヴェルヴァーグを代表する監督として一躍有名になり、その斬新な撮影方法や編集技術はその後の映画史に大きな影響を与えた。代表作に『軽蔑』、『気狂いピエロ』、『カルメンという女』など多数。 2018年には最新監督作『イメージの本』がカンヌ国際映画祭で史上初のスペシャル・パルムドールを受賞した。現在90歳を超えたが健在である。
【作品概要】
フランスの巨匠ジャン=リュック・ゴダールが、イギリスの世界的ロックバンド「ザ・ローリング・ストーンズ」の若き日のレコーディング風景を捉えた音楽ドキュメンタリー。1968年、バンド黄金期を迎えつつあったストーンズにカメラを向け、アルバム「ベガーズ・バンケット」に収録された名曲「悪魔を憐れむ歌」が完成するまでの過程を記録。女優アンヌ・ビアゼムスキー演じる革命家がインタビューを受ける様子や、ヒトラーの「我が闘争」を朗読するポルノ書店主、闘争の準備をする活動家など、社会運動に関わる人々をドキュメンタリー風に映し出したフィクション映像を織り交ぜながら描く。
【感想】
同じヌヴェルヴァーグ監督と言っても、トリュフォーの作品には、一筋の明確な物語があるのに対し、ゴダールの作品はそれと違って、筋道が一本でなく物語が無い訳ではないが、輻輳していて非常に分りづらい作品があるのです。それがこの映画で、ローリング・ストーンズの楽曲制作の過程のドキュメンタリー性に加え、1960年代の革命家、社会活動家、過激派などを登場させて、その発言(闘争をあおる演説が大部分ですが)を重畳させ、さらに架空場面のショートストーリーをアジテーターの背景に描き、その合間にはナレーターがヒットラーの『我が闘争』の一説を読み上げるという同時進行で進む立体的ストーリーというか多次元空間に観る者を誘う、非常に分かり難い物語を描いているのです。黒人運動あり、奴隷的隷属解放運動あり、白人賛歌、女性賛歌あり、と恐らくそれらの背景にはゴダールが大きく影響を受けたと思われる1968年の所謂「パリ五月革命(hukkats注)」があるのです。
「勝手にしやがれ」で時代の寵児となり、その後「商業映画との訣別」を宣言したゴダールは、五月革命に乗じて、トリュフォーやルルーシュらとカンヌ国際映画祭を中止に追い込もうともしました。
フランスの社会的な動乱がある程度沈静化した翌年6月、ロンドンに飛んで上記のローリング・ストーンズの映画を撮ったのでした。
ヌヴェルバーグを代表する映画監督ジャン・リュック・ゴダール。時代の空気を読むことに長けていたゴダールはそれ以前から五月革命を予見するような作品を撮っていました。ゴダールは、五月革命に先だつ1967年に「中国女」というマオイズム的な映画をつくった。この映画はナンテール校の生徒たちに強い影響を与えました。実際五月革命はゴダールのイメージで充満していたのです。ちょうど五月に開催予定だったカンヌ映画祭に対し、ゴダールはトリュフォーやポランスキーらと共に映画祭の中止を要求したのですが認められず、彼らの作品の上映はなくなったのです(カンヌ映画祭粉砕事件)。
(hukkats注)
1968年、パリの大学生が先導して、それまでの様々な強権的体制に反対して起こした運動、かなり過激・先鋭化していった運動で、結果的には、労働者、大衆を巻き込んだゼネストまで発展し、当局(政府、大学管理者etc)の譲歩を得たため。「五月革命」と呼ばれるが。「五月危機」とも呼ばれる。
この年は、世界レベルで大衆の異議申し立て運動が活発化した年だった。ベトナム戦争。アメリカの若者たちはテレビから流れるニュースを通じてベトナム戦争の惨状を知り、当時義務だった徴兵制に反発するようになった。反戦運動はヒッピームーブメントとリンクして、ロック熱を高め、世界の若者に飛び火してゆく。 アメリカでは泥沼化したベトナムに対する反戦運動、中国で文化大革命が熱を帯び、日本では学生の全共闘運動、ワルシャワ条約機構軍によるチェコへの軍事介入(プラハの春)、メキシコオリンピック、西側の高度経済成長など、60年代後半は激動の時代。
旧態依然とした父権的な権力(白人=男性=異性愛)は同時代的な意識をもとめる民衆の挑戦をうけ、その権力の在り方そのものが問われるようになる。五月危機もそうした世界の潮流に呼応する形で起きた世界的な大衆運動の一環であり、それ以後のヨーロッパの大衆文化や思考の在り方にポジティヴな強い影響を与えた。
この運動の在り方や変革そのものを、保守・右派の価値観で否定的にとらえれば「危機」であり、左派、リベラルの立場で肯定的にとらえればパリ五月「革命」として見ることができる。
パリ大学ではナンテール校の紛争から飛火したソルボンヌ校が学生により占拠⇒攻撃・逮捕⇒反対デモ活発化⇒カルチェ・ラタン地区の解放区化⇒激烈な衝突・警察弾圧⇒労働者・市民のデモ参加・全国拡大⇒ゼネスト宣言 などなど、当時の国家基盤を揺るがす大騒動に発展した。
その影響は世界の先進国にも及び、わが国でも学生運動の活発化⇒全共闘運動⇒連合赤軍事件⇒東大安田講堂事件 など、反社会体制運動の活発化をもたらした。
こうした時代背景を考えると、ゴダールは『One Plus One』を通して1+1=not 2
であり、3にも4にもなると言いたかったのではないかと個人的には思っています。
即ち一つのOne はゴダールであり、もう一方のOne はローリング・ストーンズです。が
、二人の活動(映画作成と音楽創造・演奏)は密接に絡んでおり、それらは、映画に出て来る、革命家、社会活動家、過激派の言説とも重なって来るのです。それはここで創造された曲『悪魔を憐れむ歌』を映画で聴いただけでは分からないのですが、その後ミック・ジャガーがステージでワメキ散らし、泣き叫び、嗚咽・苦悩しながらこの曲を歌う様子を見れば、如何に、上記言説と密接な関連性があるかを知ることが出来るでしょう。それにしてもすごい作品ですね。