HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

ゴダール追悼特別上映『パリところどころ』鑑賞

 

【上映作品】パリところどころ(PARIS VU PAR.)1965年作

1960年代のパリを舞台に、ヌヴェルバークの旗手・監督たちが描いた六つの短編を、オムニバス的に集めた作品。

【鑑賞日時】2022.10.28.(水)19:00~

【上映館】ル・シネマ(渋谷)

【製作国】フランス
【上映時間】97分

①第一話 「サンジェルマン・デ・プレ」Saint-Germain des Prés

監督:ジャン・ドゥーシェ

 

②第二話 「北駅」Gare du Nord

監督:ジャン・ルーシュ

 

③第三話 「サンドニ街」Rue Saint-Denis

監督:ジャン=ダニエル・ポレ

 

④第四話 「エトワール広場」Place de l'Étoile

監督:エリック・ロメール

⑤第五話 「モンパルナスとルヴァロワMontparnasse et Levallois

監督:ジャン=リュック・ゴダール

⑥第六話 「ラ・ミュエット La Muette

監督:クロード・シャブロル

【脚本】
ジャン=ダニエル・ポレ
ジャン・ルーシュ
ジャン・ドゥーシェ
ジョルジュ・ケレール
エリック・ロメール
ジャン=リュック・ゴダール(ハンス・リュカス)
クロード・シャブロル
【出演者】
クロード・メルキ
ミシュリーヌ・ダクス
ナディーヌ・バロー
ジル・ケアン
バルベ・シュローデル
ジャン・ドゥーシェ
ジャン・ミシェル・ルジエール
ジョアンナ・シムカス
ステファーヌ・オードラン

 

クロード・シャブロル

The father

 


ネイディーン・バロット

オディール

 

バーベット・シュローダー

ジーン・ピア

 

 

Jean-Michel Rouzière

ジーン・マーク

 

ステファーヌ・オードラン

The mother

 

クロード・メルキ

レオン

 

ミシュリーヌ・ダクス

Prostitute

 

Gilles Chusseau

Boy

 

ジャン=ピエール・アンドレアーニ

レイモンド

 

Serge Davri

イヴァン

 

ジョアンナ・シムカス

モニカ

 

フィリップ・ソレルス

A client

 

バーバラ・ウィルキン

キャサリン

 

ジル・ケアン

ストレンジャー

 

Philippe Hiquily

ロジャー

 

【感想】

①は、美術学校に通うアメリカ娘が、学校に行く途中、若い男(実は美術学校のモデル)にナンパされ男のアパルトマンで、一夜を共にするのです。翌朝男はメキシコに行く飛行機に乗ると言って去るのですが、アメリカ娘の学生は、彼を好きになった模様で、アパートに帰って来ているか行ってみるのですが、今度は別の男が言い寄って来て、自分の部屋を見て行かないかとしつこいため娘も興味心から行ってみると、先の男のアパルトマンと同じ部屋でした。変だと思ったのですが、男はこの部屋は知り合いの男に貸していて、自分は田舎に一戸建ての家を持っているので見に行かないかとまた誘うのでした。美術の授業に行かなくちゃと、部屋から逃げる様に学校に走ると、男はついて来て、デッサンの教室まで入り込んでくる。挙句にモデルをデッサンするのに最適の位置を探してやると言って前の方に進むとモデルの男とは知り合いの様子、モデルを見ると何とメキシコに行った筈の若い男だったのでした。そしてモデルは急に少し羽織っていた衣服を全部脱ぎ棄て、全裸をデッサンするのだという処で女の子はまた走って学校を去るのです。そしてその後目にしたのは、件の若い男が別の女子美大生と連れ添って下校する場面にばったり出くわし、男はアメリカ娘を無視、素知らぬ顔で通り過ぎるのでした。

 大体こんな粗筋でした。この男たちはアパルトマンを借りて女子学生を食い物にするやはり学生若しくは元学生ですが、女の子たちはそれなりにカッコいい若い男に警戒しても言葉巧みに騙されてしまい、ついには欲望に負けてしまうという、現代では珍しくも面白くもないテーマですが、半世紀以上も前の当時としては、おニューの雰囲気と中身を観た者に感じさせた映画だったのでしょう。そのアパートメントの部屋は最上階か屋根裏部屋で、窓から見える他の建物の屋根の内に丸屋根のドーム建築がみえたので、タイトルの「サンジェルマン・デ・プレ」からすぐ気が付くのは「サンジェルマン・デ・プレ教会」かな?と思いますが、「サンジェルマン・デ・プレ教会」はパリ最古の教会で、尖塔方式(即ち屋根は尖っていて、丸屋根ではない)なので、違う教会でしょう。確かにサンジェルマン・デ・プレの近くには今でも「国立高等美術学校」や男が勉強していたという文系の学部もあるパリ・シテ大学やパリ政治学院があるので、映画と辻褄は合うのですが、ドーム屋根の教会はこの地区にちょっと思い当たりません。あの丸屋根は「サンジェルマン・デ・プレ」から少し離れたオルセー美術館西となりにある「レジオン・ド・ヌール宮殿」の丸屋根ではないかな?とするとその近くのアパートかホテルの最上階から見下ろした風景ではないかなと思いました。

 以下同様に、五つのパリの地区を選び、そこでのエピソードの20分程度の短編が続きました。④「エトワール広場」を除き、何れも男女の愛に関している物語だという事は共通していました。その中で、ゴダールが監督した⑤「モンパルナスとルヴァロワ」は男性愛人として二股かけている女性が、宛名を間違って二人との逢引きの手紙を出してしまったという錯覚から、恋の相手に弁明しに会いに行くも、別の男がいるとバレてしまって、嫌われ放り出されてしまうのでした。仕方なくもう一人の男に会いに行き弁明したら、嘘をついていることがやはりここでもバレてしまい、その男の愛情も失ってしまうのでした。何故なら、手紙の宛先は間違えが無かったとのこと。これは少しは面白いトリックですね。間違ったとの錯覚によるとりなしが、返って矛盾を生じて破綻の原因になるということと、間違ったと思い込む間違い、実際は間違えなどしていないという事は長い人生の中では、誰でも一回や二回は経験があるのではないでしょうか?

 愛情関係の短編では、③「サン・ドニ」も一風変わっていて、興味深く見ました。ここでの登場人物は二人だけ、自称レストランで皿洗いをしている若い男と娼婦の話です。若者が娼婦を買い、自分のアパルトマンに連れて来ました。娼婦は気風が良い中年のスペイン女で、急ぎ仕事を片付けて帰ろうという気があり何回かその意を口に出すのですが、若い男は、コーヒーを入れたり、スパゲッティまで茹でて二人で食べたり、次第に二人共くつろいだ雰囲気になり、互いの個人的な話もし出し、二人で新聞まで読み始めるのでした。男は何よりも孤独で、そうした気持ちを癒す相手を一時求めていたのかも知れません。また娼婦の方も何かホッコリする雰囲気の相手に非日常性を感じ何時になくくつろいだ気分になり、お金で関係を作った本来の互いの気持ちとは別な方向に行ってしまうところが、物語としても面白いし、また二人の俳優も良くその辺りの雰囲気を出すのに成功していたと思います。最後は急に停電になり真っ暗闇となって話は終わりです。最後をあけすけの欲望映像にしないで、ブラックホール化し、どうなったかは客の想像に任せる手法は、仲々優れていると思いました。

その他、②「北駅」では、自殺願望者が見知らぬ女性(彼女は夫と喧嘩別れし離婚まで考えている)に救いを求めるのですが、最終的に拒否されると、下の電車の線路に飛び降りて死んでしまうという、やや不可解な短編もありましたが、もしかしたら現代の自殺願望者のサイトも救いを求めているのかも知れない等と考えたり、そうした面倒な人にかかり合うのは自分でも Non だろうなと思ったりしました。

 ところで、先週同映画館で見たモリエールの「スカパンの悪だくみ」が非常に面白い喜劇だったので、これぞ、モリエールの真骨頂とばかりに「コメディ・フランセーズ」のもう一つの映画「病は気から」の最終日を観たのですが、この作品は、有名な作品の割には喜劇的な色彩は余り感じられませんでした。「医学の効果」「医者と患者」という現代にも通じる真面目な命題を取り上げていたと思う。会場には、フランス人の家族連れが3人(母親と二十歳前の女の子二人)自分の二つ前の席にいましたが、ほとんど笑い声はしませんでした。むしろ深刻な顔で見ていた様です。

「スカパンの悪だくみ」も「病は気から」もどちらの作品でも社会の上流者(家の主人とか商人とか医者etc.)よりもむしろ、下流者(召し使とか下男とか)の方は知恵があり、機転が効き、生き生きと表現されていたのには驚きました。だってモリエールはルイ13世とかルイ14世とかの封建時代の作家ですよ。でも考え様によっては、実世界でも、そうした下積みの人間が様々な封建圧政によっても萎縮していないという事をモリーエルは、感じていてそれを劇化したのかも知れません。そうした自由への考えが人々の底流(意識の底)に流れていて、遂にはフランス革命へと雪崩込んだのではなかろうか?