オミクロン株の爆発的感染の被害者にも加害者にもなりたくないので、出来るだけ感染の可能性の少ない所を見計らって行動するようにしています。映画館の比較的空いていそうな時を見はからって行く、ということはここ数年のコロナ感染下に於いて会得したコツの一つです。例えばレイトショーとか、ロードショー終盤の人気が薄れた頃の上映とか。表記の映画は、昨年12月から上映されている音楽関係映画とは知っていたので、見に行かねばと思っていたものの、年末年始はデルタ株感染状況の鎮静化に伴う、各種音楽会の盛況により、音楽会に行くことなどに時間が費やされ、仲々この映画を見に行く時間が取れませんでした。 年も明けそろそろ終わりに近づいているなと思っていたら、横浜の上映館(ブルグ13)では、1月13日(木)までは18:15から1回上映だったものが、翌1月14日からは朝9:30上映一回限りと変更になることを知り、朝早くでは平日は勿論休日でも見に行くことはかなり難かしいので、最後のチャンスとばかり13日の夕刻6時頃映画館に寄ったのでした。若し混んでいたら止めようと思いながら。ところがチケット売り場で座席表(約百席)を見たら、まだ10席程度しか埋まっていませんでした。他の人と出来るだけ遠くになる様に席を、開演10分前くらいぎりぎりに決めて買いました。ビルのツーフロアを占める結構大きな映画館で、スクリーンが十幾つもあります。
上映ホールには開始直前までに、16人の観客しか入って来ませんでした。これなら仮に保菌者がいても終了後すぐ手洗い、うがい等すれば、多分大丈夫だと思って安心して見ることが出来ました。
【上映館】横浜ブルグ13(横浜みなと未来)仏・加合作映画
【鑑賞日】2022.1.13(木)18:25~
【監督】バレリー・ルメルシェ
【製作】エドアール・ウェイル、アリス・ジェラール、シドニー・デュマ
【脚本】バレリー・ルメルシェ
【撮影】ロラン・ダイアン
【美術】エマニュエル・デュプレ
【衣装】カトリーヌ・ルテリエ
【編集】ジャン。フランソワ・エリー
【配役・出演】
<セリーヌ・ディオン>アリーヌ・デュ役(バレリー・ルメルシェ)
<マネージャー・夫>ギイ=クロード役(シルヴァン・マルセル)
<母親> =デュ役 (ダニエル・フィショウ)
【Profile1】セリーヌ・ディオン
1968年3月30日、カナダのケベック州に14人兄弟の末っ子として生まれた。彼女の両親はフォーク・ミュージシャンであり、兄弟の全員が何らかの楽器を弾くことができたというように、彼女は音楽的に恵まれた環境に育った。またケベック州はよく知られるようにフランス語が公用語として採用されており、約8割の住民がフランス語を使用しているが、セリーヌはそのフランス語圏の中で育っている。
セリーヌが12歳になる頃、彼女の歌の非凡さに気づいた母親は、自作の曲を彼女に歌わせてデモ・テープを制作。そして地元の有力プロモーター、レネ・アンジェリル氏のもとに、そのデモ・テープが渡ったことでセリーヌ・ディオンはプロ歌手としての契約を得る(セリーヌはのちにレネ氏と結婚。20歳以上の年の差夫婦となった)。
1981年にトランスカナダより仏語で歌われたファースト・アルバム『Le Voix Du Bon Dieu』、『Celine Dion Chante Noel』クリスマス・アルバム)の2枚同時リリースでデビュー。当時カナダでは天才少女シンガーの登場と話題を集めた。また翌1982年には「第13回ヤマハ世界歌謡音楽祭」のため初来日し、金賞を受賞するという栄誉にも輝いている。その後1983年に『Les Chemins…』を発表するなどして人気を高めていったセリーヌ・ディオンは、デビューからそれほど経っていないのにも関わらず、カナダでは知らぬ者はいないほどの人気者となったのだった。それを象徴するのが1984年、モントリオール・オリンピック・スタジアムに7万人を動員したというコンサート。また海外では特に第二の故郷といえる、フランスでの歓迎ぶりも凄いもので、パリのオランピア劇場に最年少出演したセリーヌは、二日連続で会場を満員にするという快挙を成し遂げた。
1987年、カナダのソニー・ミュージックからの初めてのアルバムIncognitoをリリース。本作は50万枚以上のセールスを記録し、国内でのその圧倒的な人気を見せつけた。また1988年には、アイルランドのダブリンで開催されたユーロヴィジョン・ソング・コンテストで優勝。エルトン・ジョンが「セリーヌのために曲を書いてみたい」とコメントするという、名誉あるオマケまでついたのだった。また同年のカナダ・ツアーでは200カ所の会場をソールドアウトにし、モントリオールのセント・デニス・シアター(2400人収容)42回連続公演等を含む、カナダの観客動員記録を更新する。
1989年、カナダのグラミー賞と呼ばれるジュノー賞でパフォーマンスしたセリーヌ・ディオンは、同年、同郷出身のプロデューサー、デヴィッド・フォスターに勧められインターナショナルなアーティストとしてのデビューの準備を始める。 いよいよその活動は世界へと羽ばたいていくのだった。
1990年、英語の特訓のため2ヶ月間ベルリッツに通った後、彼女は遂にインターナショナルなマーケットに打って出る。英語アルバムでインターナショナル第1弾となるユニゾン(Unison)を4月にリリース。翌1991年2月にはユニゾン(Unison)からのファースト・シングル“哀しみのハート・ビート(Where Does My Heart Beat)“が全米ビルボード・シングル・チャートで4位を記録。早くも全米でヒットを飛ばしたセリーヌ・ディオンは、その翌月となる3月にジュノー・アワードでベスト・ヴォーカリスト賞とベスト・アルバム賞を受賞。さらに6月から10月にかけて行われたカナダ・ツアー、アメリカにおけるプロモーション・ツアーといった地道な活動の甲斐もあり、ここにおいてアルバム、ユニゾン(Unison)は、全米でもプラチナ・ディスクに輝くセールスを獲得するまでになっている。なおその一方では、11月に詩人プラモンドンの作品を歌にのせたフランス語アルバム『フランス物語(Dion Chante Plamondon)』発表するなど、地元やフランス語圏のファンも大事にした活動を展開している。
彼女の人気を決定づけたのは1992年のディズニー映画、美女と野獣(Beauty And Beast)に使用されたピーボ・ブライソンとのデュエット曲だった。また同曲が収められたセカンド・アルバム、セリーヌ・ディオン(Celine Dion)(1992年4月リリ-ス)からのシングル“イフ・ユー・アスクド・ミー・トゥー(If You Asked Me To)”が、再びビルボード・チャート最高位4位を記録。また同時期にはアカデミー賞主題歌賞、ゴールデン・グローブ賞最優秀主題歌賞、グラミー賞最優秀デュエット・ソングを”美女と野獣“でトリプル受賞するという快挙も成し遂げた。その後7月からはマイケル・ボルトンと共に全米40都市を廻る大規模なツアーを敢行。そのツアー効果も手伝って、アルバム、セリーヌ・ディオン(Celine Dion)はダブル・プラチナを獲得している。同年10月から
【Profile2】ヴァレリー・ルメルシエ
1964年3⽉9⽇ノルマンディ地域圏セーヌ・マリティーム県ディエップ⽣まれ。ルーアン・コンセルヴァトワールで演技を学んだのち、ʼ89年にコメディ番組”パレス”でテレビデビュー。翌年に映画デビューも果たし、フランス国内で1,300万⼈の動員記録を誇ったコメディ映画『おかしなおかしな訪問者』(93)の演技でセザール賞助演⼥優賞に輝く。監督としてもʼ97年に『カドリーユ』でデビューすると、今作を含め6作品の脚本・主演を兼任。
⼥優としても『モンテーニュ通りのカフェ』(08)で⼆度⽬にセザール賞助演⼥優賞に輝くなど精⼒的に活動中。伝記映画の監督はダイアナ妃を題材にした”パレ・ロワイヤル!”(2005)以来⼆度⽬。テレビ・舞台・映画のどの分野でも活躍するフランスを代表するマルチ・タレントの⼀⼈。
【感想】
アリーヌ(=セリーヌ)役のバレリー・ルメルシェが子供役から大人役すべて一人でこなしていたのはやはり少し無理感あり。顔立ちはセリーヌに似ている方なのでしょうが、口許がやや歪んで見えたのは演技?後で歯科矯正を受け歯並びを直す下準備ですか?でも配役だけでなく、台本を書き監督までこなしてしまうのですから、器用で有能な女優であることは間違いないですね。
ストーリーとしては、12歳でデヴューしてから順調な歌手生活、人気歌手への階段をつまずきもせず着実に昇って行ったと言えるでしょう。それに大きく貢献したのが、彼女の才能を発見し、育成し、発揮させたマネージャー、ギイ=クロード(シルヴァン・マルセル)です。彼があっての彼女と言っても過言でないでしょう。クロードを信頼する心がいつしか恋心に変わって行き、クロードも自分に向けられた愛情がアリ-ヌの歌そのもの、生甲斐その物だと分かり遂には愛を認め受け入れる様になったのは自然の成り行きでしょう。天命に近いものがあります。当然そこには年齢差や離婚歴等小さな小さな汚点でしかなく、目にも入りません。最初反対だったアリーヌの母親たちもついには結婚を承認する。こうした話はそれ程珍しくなく世間には結構ありますよね。かわいい子供もやっと三人得られました。
セリーヌの人生は順風満帆と言っても良いのでは?夫に先立たれてもこれは結婚当初から気持ちのどこかに織り込み済みだったのでしょうし、まだ50歳台前半なのですから、むしろこれからどう生きるかが大きな問題でしょう。
最近は体調が余り思わしくないという報動がなされている様です。2018年には来日公演し東京ドームを超満員入りさせましたが聴いていません。コロナが収まったら是非又来日して素晴らしい歌声を聴かせて欲しいものです。
追記。映画の中で主人公がセリーヌの歌をカヴァーして歌っているのはフランスのヴィクトリア・シオという若い歌手です。世界にはクラシックのみならず、どの分野にも歌の上手い人がいるものですね。歌いまわしといい、圧倒的な迫力といい、セリーヌ以上の所もありました。