HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

第19回東京音楽コンクールⅡ本選『 声楽部門』

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声楽部門審査員

【日時】2021.8.29.(日)16:00~

【会場】東京文化会館大ホール

【管弦楽】東京交響楽団

【指 揮】大井剛史

 

【出場者・曲目】

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出場者(左から七澤結、中須美喜、奥秋大樹、梶田真未、花房英里子、大井剛史)

七澤結(ソプラノ) NANASAWA Yui, Soprano

C.グノー:オペラ『ロメオとジュリエット』より 「私は夢に生きたい」

A.ベルク:「7つの初期の歌」より 第3曲 夜鳴きうぐいす

A.トマ:オペラ『ハムレット』より 「私も遊びの仲間に入れてください」

 

中須美喜(ソプラノ) NAKASU Miki, Soprano

G.ドニゼッティ:オペラ『ランメルモールのルチア』より 狂乱の場「あの方の声の優しい響きが」

 

奥秋大樹(バス) OKUAKI Daiki, Bass

A.ヴィヴァルディ:オペラ『ティート・マンリオ』より 「もし戦士の心があるのなら」

P.I.チャイコフスキー:オペラ『エフゲニー・オネーギン』より 「恋とは年齢を問わぬもの」

S.ラフマニノフ:オペラ『アレコ』より 「全ての天幕は寝静まった」

 

《休憩》17:00~17:20(予定)

 

梶田真未(ソプラノ) KAJITA Mami, Soprano

F.チレア:オペラ『アドリアーナ・ルクヴルール』より 「私は卑しい芸術の下僕です」

P.I.チャイコフスキー:オペラ『エフゲニー・オネーギン』より 手紙の場 「破滅してもいいわ」

 

花房英里子(メゾソプラノ) HANAFUSA Eriko, Mezzo-soprano

W.A.モーツァルト:オペラ『皇帝ティートの慈悲』より 「行こう、だが愛しい人よ」

P.I.チャイコフスキー:オペラ『オルレアンの少女』より 「さあ、その時が来た」

G.ヴェルディ:オペラ『ドン・カルロ』より 「むごい運命よ」

 

【感想】

今年の本選に残ったのは、ソプラノ3名+メゾソプラノ1名=4名の女性陣に対し、男性歌手はバス1名と数の上では圧倒的に男性が劣勢で、しかもテノールやバリトンがいないのも珍しいことだと思いました。でも数での劣勢な白組は、歌の質で二倍、三倍いや四倍の力を発揮し、紅組に勝つかも知れないな等と取り留めないことを考えながら聴き始めました。

 トップバッター①の七澤さんはフランスの歌中心の演奏でした。フランス語独特のアクセント、イントネーション他の発音が、独語、伊語の歌より難しいとされる歌が多いとされる中で、グノーの有名なアリアを最初に選曲した勇気に感服します。

 立ち上がりこそ発音がもやもやと明快でない処(日本語の発音ですと‘滑舌が悪い’と言いますが、フランス語の場合は舌のすべりというより、舌の動かす箇所、喉の動き、口先の形等の総合的結果)が散見されましたが、ベルクの歌になるとゆったりとしたメロディを滑らかなドイツ語で歌っていました。でもドイツ語も母国人の様にはいかなかったかな?

 さらにトマの五幕物のオペラ、ハムレットからの第四幕、オフェリアの狂乱の場のアリアも歌いました。軽快な速いテンポでコロラテュールの変化のある装飾音などを含む豊かな旋律に乗せて、七澤さんは高音域もまずまずでしたが、絶叫調の中にも安定感がもっと欲しかった気がしました。
 

 次の②中須さんは『ルチア』の有名な『狂乱の場』一本やりです。演奏の前にフルート奏者がステージの指揮者より前面に席を移し、歌手の合いの手を務めました。この“狂乱”も有名な一節で、歴史上多くの名ソプラノが歌ってきました。この場面を演ずる度に、命をすり減らす思いがすると戯れに言った歌手もいたそうです。 最近ではこの4月中旬、新国立劇場での『ランメルモールのルチア』公演で、イリーナ・ルングが歌いました。 その時のhukkats記録を引用しますと「祭壇の下に逃げましょう」とコロラで競り上がる箇所、続くアッホッホホホホホホーと高音の上昇音で叫ぶ箇処など、いたる所コロラを織り交ぜて歌い、終盤は歌うというより喉という楽器をフルートの如く鳴らす技法で歌い、「Ah,si」後ではあらゆるコロラの技法を駆使し最後はH-Cで歌い切るこの一番の見せ場、聴かせ処を、ルチア役ルングは上手に歌い遂げました。  仲々難しいがゆえに、うまく歌えれば、最高の盛り上がりを得られる場面なのです。①の七澤さんに続いて、中須さんも類似した困難性の高い、リスクのある歌に挑戦したのですね。矢張りその意気込みには「BRAVO!」です。中須さんの歌声は丸みを帯びた綺麗な声で、かなり円熟感がある歌い振りでした。唯、後半は疲れたのか、音によってはやや下がる箇所もあり、最後のコロラテューラもやや不安定になりました。全体として、「おしとやかな」狂乱の場だったかな? 

 ③はいよいよ男性歌手、バスの奥秋さんです。オーケストラは管と弦の一部が退去し、小規模なバロック編成にシフトしました。先ずヴィヴァルディの聴き慣れた調べが、弦楽アンサンブルで流れ出し、奥秋さんは深い太いバスの声で歌いました。
少し聴いただけで、バス歌手としてのほとんどの要素を身に着けている感じがします(或いは天性の生まれながら身に付いているのかも知れません)。

次のチャイオコフスキーの演奏は、管弦が再びフル構成となり、奥秋さんは、ある程度年をとった男としてのオネーギンの恋心を渋みを交えた歌声で披露しました。次のラフマニノフもある程度完成されたバスの歌い振りを感じさせるものでした。

欲を言えば、もっと腹にずっしりと響く、会場をなり震わせる様なあらん限りの力で歌う場面もあって良かったのではないかと思われます。そういう意味では姿かたち、身振りも含め紳士的なバスでした。

 

《20分の休憩》

 

 一昨日の『弦楽部門』本選の時もそうでしたが、終演後は急いで帰路につきたいので、休憩時間中にアンケートは前半の結果を中心に書いて置きました。後半はそれに付け足す事項があれば座席で最後に書き加えます。 

 後半の最初は④梶田さんの『アドリ・ルク』からのアリアから始まります。他の四人の歌手は皆さん学校を既に卒業されている方々ですが、梶田さんは唯一の在学生(修士課程)です。と書いたところで、あれ?配布されたプログラム冊子には梶田さんの年齢が、今回の本選出演者の中で一番上の34歳と書いてあります。ネットで経歴を見てみたら、東京藝大を既に卒業し、オペラ出演や教育などの演奏活動を何年も実践されておられるのですね。ということはその後再び大学の修士課程に入学し、新たに学んでさらに高度なものを身に付けようとされている、研究熱心な歌手だということが分かりました。梶田さんは白いシンデレラの如きドレスを纏い登壇し、第一声を発しました。道理で聴いて経験豊かな力の籠った歌声だと分かる素晴らしい声でF.チレアの曲を歌った訳です。

 次いで、チャイコの『エフゲニー・オネーギン』より<手紙の場>。先程③の奥秋さんも同作曲者の同オペラから『恋とは年齢を問わないもの』のアリア、これはオネーギンの元思い人、タチアーナの夫であるグレーミン公爵が歌うアリアです。

梶田さんがここで歌ったのは、数年前互いに心を惹かれていて、特にタチアーナがオネーギンにかなりの恋心を抱き、ラブレターを書く場面のアリアなのです。梶田さんは相当の歌唱力も有り、これと言って目立った欠点は無かったのですが、世界のプリマドンナの記憶と比べると、例えば近年の録画ですとMETライブヴューイングのネトプレコの歌うアリアと比べると、何かは分からないのですが、不足している、物足りないという気がするのです。あ、これは失礼、比較する方が間違っていました。ただここで言いたいことは、梶田さんの研究熱心さから想像しても、きっとこれから自分の不足している点を探求し補って一回りも二回りも大きなソプラノに成長すると思いますし、そう期待します。

    最後の出場者は、⑤花房さんです。登壇した花房さんは、見るからに経験豊かと分かるシックな衣装をまとい、貫禄十分の自信あり気な様子でした。オケ編成は管と弦に若干の減があり、以下にもモーツァルトらしいメロディのアンサンブルに合わせて、オペラからのアリアを花房さんは歌ったのです。矢張りメゾだけあって、低めの声も高音域に変化しても安定的に歌えているのは、かなりの経験と力量の現れと見ました。次のチャイコのオペラは『オルレアンの少女』。即ちジャンヌダルクをテーマとしたオペラなのでしょうが、聴いた事がありません。こうしたテーマでオペラを作曲したのですから、チャイコフスキーの母方の祖先はフランスの旧教徒を重視するルイ14世の圧政から逃れて、ロシアに亡命してきた新教徒だと謂われますし、英国の包囲網で危機に瀕したフランスを救ったジャンヌをチャイコフスキーは尊敬していたのかも知れません。

 この曲を歌う前に若干の管(テューバ他)、弦(Va?Cb?)の補充があった様です。(プログラムを見ていて良く見ていなかった)VnやHrのソロも交え、花房さんは良く合わせて歌い、最後の高音も良く出ていました。

 最後の最後は『ドン・カルロ』からのアリア、「むごい運命よ」。これは最近ですと、新国立劇場オペラで、今年の5月下旬に公演がありました。第3幕第1場でエボリ公女が歌うアリアです。エボリは主役エリザベッタに対する嫉妬からその宝石箱を盗むのですが、それがばれて修道院送りを命じられるのですが、愛と後悔とないまぜになった複雑な気持ちで歌うのです。5月公演の時のhukkats 記録を引用しますと、“次に現れたのはエボリ公女、王妃をはめたことを後悔し、エリザベッタに謝りの歌を激しい調子で歌います。盗んだのは自分だということ、カルロを愛していたこと、さらには王と関係を全部白状するのです。王妃は、亡命か修道院入りを命じます。ここでのエボリの狂乱とも言える歌い振りは、誰が主役なのか見紛う程の熱唱でした。エボリの「王妃様、愚かな誤りのために、貴女を犠牲にしてしまいました・・・」のアリアは、メロディーも曲調も音域もとてもいい歌ですね。メッゾの本領を発揮出来ます。将にここではエボリはもう主役です。「主役二人」とも異なる、列車の頭と最後尾に機関車を一連づつ計二連を連結して馬力を出すオペラ列車を、ヴェルディが力強く最速で走らせているが如き印象、晩年到達した新たな作曲技法の境地とも言えるではないでしょうか。” 

 この場面は歌の旋律もいいですし、メゾソプラノ歌手にとっては、最高に力を発揮出来る箇所なのでしょう。最後力を振り絞って歌い切った花房さんは満足な表情をしていました。(歌い終わった後のオケのアンサンブルが何秒も続いた時には、もう少し花房さんの終了声が長く続けば良かったのにと思ったのですが?)

  今日のコンクール本選を聴いた印象では、圧倒的に東京藝術大学の声楽出身者、しかも卒業生が多く、藝大在校生、もしくは他の大学の在校生、卒業生はどうしたのか少し気になりました。声楽部門でも実際の演奏活動をバリバリ行っている(ここ数年のコロナ禍の中ではそれも思う様に行かないでしょうけれど)演奏家が力をつける或いは力を保持していると見るべきなのでしょうか。つまりコロナの影響ありと。そんなことは無いと思いますが。奥秋さんが歌を伝統的に大事にしている武蔵野音大の秘蔵子的存在感を示したのは大いに良いことだと思いました。