HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

オペラ・ヘンデル『エジプトのジュリアス・シーザー』二日目鑑賞

 二年前に上演予定だったものがコロナで延期になっていて今回やっと実現しました。バロック・オペラは、暫くぶりです。

 オペラは出来るだけ初日を観ることにしていますが、今回の初日の10/5(日)は、ラトル率いる『ロンドン交響楽団』の演奏会があったので、第二日目にしました。

【演目】《エジプトのジュリアス・シーザー》(《ジューリオ・チェーザレ》)

【日時】2022.10.5.17:00~21:30

【会場】新国立劇場オペラパレス

【概要】

 ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルが1723年から1724年にかけて作曲したオペラ。単に《ジュリアス・シーザー》(あるいは《ジューリオ・チェーザレ》)ともいう。 ローマの将軍シーザー(チェーザレ)が紀元前47年にエジプト遠征を行った際の、エジプト女王クレオパトラや国王プトレマイオス13世(トロメーオ)とのかかわりをめぐる物語。華やかで勇壮な音楽が多く、現在でも欧米での上演の頻度はヘンデルのオペラの中で最も高い。 初演は1724年2月20日、ロンドンのヘイマーケット国王劇場で行われた。演奏時間は、カットなしで第1幕90分 (休憩20分) 第2幕60分(休憩20分)第3幕60分の 合計約4時間25分。

【作曲】ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデル

【台本】ニコラ・フランチェスコ・ハイム

【演出・衣裳】ロラン・ペリー

【制作】l'Opéra national de Paris

【美 術】シャンタル・トマ

【照 明】ジョエル・アダム

【ドラマトゥルク】アガテ・メリナン

【演出補】ローリー・フェルドマン

【舞台監督】髙橋尚史

【配役】
〇ジューリオ・チェーザレ(ジュリアス・シーザー):ローマの将軍、(アルト/カストラート)
〇クーリオ(ガイウス・スクリボニウス・クリオ) :シーザーの副官、(バス)


〇クレオパトラ :エジプト女王。(ソプラノ)


〇コルネーリア  シーザーの政敵・ポンペイウス(ポンペーオ)の妻。(コントラルト)

 

〇セスト(ポンペイウスの息子、セクストゥス・ポンペイウス)(ソプラノ)


〇トロメーオ エジプト王。クレオパトラの弟。(アルトカストラート)


〇アキッラ エジプトの将軍。トロメーオ王に仕える。(バリトン)


〇ニレーノ クレオパトラの従者。(アルトカストラート)

 

【出演】

【ジュリオ・チェーザレ】マリアンネ・ベアーテ・キーランド(メゾソプラノ)

 

<Profile>

ノルウェー出身。ハノーファー州立歌劇場専属歌手としてキャリアを始めて以来、17世紀から現代までのレパートリーで活躍し、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン交響楽団、ベルギー国立管弦楽団、イェーテボリ交響楽団、フライブルク・バロックオーケストラ、ベルリン古楽アカデミーなどのオーケストラと共演。バロック・オペラのレパートリーにはパーセル『ディドとエネアス』ディド、ヘンデル『テルプシコーレ』アポロ、カルダーラ『偉大なる名声』エルコーレ、モンテヴェルディ『タンクレディとクロリンダの戦い』などがあり、ファビオ・ビオンティ指揮エウローパ・ガランテではヴィヴァルディ『メッセニアの神託』メローペで世界ツアーに参加。オペラではワーグナー『ラインの黄金』フリッカにも出演。バッハ、ヘンデルからベートーヴェン、シューマン、マーラー、ムソルグスキー、シェーンベルク、ウェーベルン、ベルク、ノルウェーの作曲家シーグル・イスランスモーンなどオペラ、カンタータ、声楽曲50以上のCDがある。最近では、オペラ・コミック座でモンテヴェルディ『オルフェオ』スペランツァ/プロセルピナ、ザルツブルク音楽祭のハイドン『スターバト・マーテル』、フライブルク・バロックオーケストラ『キリストの下のマグダラのマリア』、NDR放送交響楽団のマーラー「交響曲第2番」などに出演している。新国立劇場初登場。

【クーリオ】駒田敏章(バリトン)

 

【コルネーリア】加納悦子(メゾソプラノ)

 

【セスト】金子美香(メゾソプラノ)

 

【クレオパトラ】森谷真理(ソプラノ)

  

【トロメーオ】藤木大地(カウンター・テナー)

  

【アキッラ】ヴィタリ・ユシュマノフ(バリトン)  

 

<Profile>

 サンクトペテルブルク生まれ。マリインスキー劇場の若い声楽家のためのアカデミーで学ぶ。ライプツィヒのメンデルスゾーン・バルトルディ音楽演劇大学卒業。在学中にバート・ヘルスフェルト・オペラ音楽祭『ドン・ジョヴァンニ』タイトルロール、ライプツィヒ・ゲヴァントハウスの「ニューイヤーコンサート」に出演。2013年の秋以来度々来日し、オペラ、リサイタル、オーケストラとの共演などに出演。15年春より日本に拠点を移し、デビューアルバム『歌の翼に』、『Parole d'amore~愛の言葉』に続き 『「ありがとう」を風にのせて〜日本名歌集~』をリリース。17年にはびわ湖ホールオペラ『ラインの黄金』ドンナー、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2017、第2回オペラ歌手紅白対抗歌合戦に出演。18年は東京・春・音楽祭、ロシア・ナショナル管弦楽団『イオランタ』(演奏会形式)エブン=ハキアに出演。19年は東京芸術劇場ほかの全国共同プロジェクト『ドン・ジョヴァンニ』タイトルロール、ららら♪クラシックコンサート、第4回オペラ歌手紅白対抗歌合戦に出演。日本トスティ歌曲コンクール2015第1位及び特別賞、第14回東京音楽コンクール声楽部門第2位、第52回日伊声楽コンコルソ第1位及び最優秀歌曲賞受賞。新国立劇場へは21年『夜鳴きうぐいす』侍従、『イオランタ』エブン=ハキアでデビューを飾った。

【ニレーノ】村松稔之(カウンター・テナー)

 

【管弦楽】東京フィルハーモニー管弦楽団

【指揮】リナルド・アレッサンドリーニ

  

<Profile>

 イタリア出身の指揮者、ハープシコード、フォルテピアノ、オルガン奏者。ローマの古楽合奏団、コンチェルト・イタリアーノ創立者、音楽監督。スコットランド室内オーケストラ、エイジ・オブ・エンライトゥメント管弦楽団、フライブルク・バロックオーケストラ、ボストン・ヘンデル・ハイドン・ソサエティ、フィレンツェ歌劇場管弦楽団、スポレート音楽祭管弦楽団、トスカーナ管弦楽団、トスカニーニ管弦楽団、ボルドー・オペラ管弦楽団、オビエド交響楽団、リヨン歌劇場管弦楽団など世界各国のオーケストラと共演。最近のオペラでは、ウェルシュ・ナショナル・オペラ及びザクセン州立歌劇場『オルランド』、ベルリン・フィルハーモニー及びブリュッセル・ボザールでの『妖精の女王』、ミュンヘンで『見てくれの馬鹿娘』『ツァイーデ』(モーツァルト)、ノルウェー国立歌劇場『オルフェオとエウリディーチェ』(グルック)と『フィガロの結婚』、ベルギー王立ワロン歌劇場『ドン・ジョヴァンニ』などを指揮。ミラノ・スカラ座及びパリ・オペラ座ガルニエのモンテヴェルディ全作ツィクルスも指揮。イタリア音楽、バッハなどの録音も多く、グラモフォン賞など受賞も多い。フランス芸術文化勲章シュヴァリエ受勲。モンテヴェルディの正統的演奏者とみなされており、ベーレンライター版『オルフェオ』『ウリッセの帰還』を校訂している。新国立劇場初登場。

【合唱】新国立劇場合唱団

【合唱指揮】冨平恭平

 

【粗筋】

<第一幕>
王トロメーオは側近のアキッラと共に、逃げてきたポンペーオを殺し、その首をチェーザレに見せる。チェーザレは彼らの残忍な行為に、不快感をつのらせる。ポンペーオ未亡人のコルネーリアと息子セストは、悲しみにくれ復讐を誓う。トロメーオ達は、チェーザレも殺してしまおうと計画。一方、彼らの失脚を狙う女王クレオパトラは、ローマ側を利用しようと、侍女リディアに変装してチェーザレを魅了し、コルネーリアとセストにも力を貸すと言う。
アキッラは、囚われの美しいコルネーリアを口説くが、強く拒まれる。

<第二幕>
チェーザレと、リディアに変装したクレオパトラは、美しい森でうっとりするような愛の時間を過ごす。チェーザレ暗殺を企むトロメーオはアキッラに、首尾よくチェーザレを葬ったら褒美としてコルネーリアを与えるとウソを言う。
コルネーリアとセストは、囚われの身で復讐の機会を狙うが、なかなか果たせない。
暗殺の企みを知ったチェーザレは、トロメーオ討伐を決意し、正体を明かしたクレオパトラの元を離れる。好色なトロメーオは、コルネーリアをモノにしようと迫る。
戦いでチェーザレが海に落ちて死んだとアキッラが報告するが、トロメーオがコルネーリアを渡さないので、アキッラは怒る。

<第三幕>
アキッラはクレオパトラ側に寝返ることを決意、クレオパトラ軍とトロメーオ軍の激しい戦いが始まる。クレオパトラ軍は負け、クレオパトラは捕らえられる。
一方海に落ちたチェーザレは、奇跡的に海岸に泳ぎ着き、出合ったセストと共に、重傷を負ったアキッラから、トロメーオ討伐の秘策を得る。チェーザレは囚われていたクレオパトラを助け、セストもついにトロメーオを殺して復讐を果たす。チェーザレはクレオパトラにエジプト女王の座を与え、2人の愛と訪れた平和をたたえて一同喜びの中で幕となる。 

ネット情報で登場人物の相関を簡潔にまとめた図があったので引用します。

【聴くポイント】

ヘンデルのオペラの詳細を研究した論文を以下に引用しますと

《ジュリオ・チェーザレ》におけるセストとコルネリ アの二重唱は, "美の極を究め尽したようなデュエット"と言いたい作品である。言い表 わし難い悲しみをこれだけ表現しえた音楽が他に存在するだろうか。 `ah'の嘆きの溜息に乗って動 く`ahsempreは, h, cis, d-e, fis, gと昇っていく。そして2人は3度の音程でah, ah, ah と悲痛な落胆の叫びを投げる。最後のah,のところでは,長い装飾をつけるのが通例である。また この曲において注目すべきもう一つの点は, `チェンバロなし(senzacembalo)の指示であろう. バスにおいて必要なのは,たった一本のゆるやかな線の動きだけなのである。

           《中略》

《ジュリオ・チェーザレ》 の有名な"私は泣こう Piangero'(ex.24)は(パッサカリア)と解すべきであろう。聴者がそれら楽器のバス・パートによる構 成,発展を聴くだけで満足しただろうか。それだけでは魅力を感じ得なかったと言えるのではない だろうか。聴衆が魅せられたのはメロディーである。それを容易に理解出来るようにするために, 繰返しと統一の原理が,旋律線に移されたに違いない。公式的な対照という観点からも,理解と記 憶に便利だという点からも,ダ・カーポの正当性は充分認められよう。最初の部分の繰返しは変奏 を意味し,そこで歌手は創造芸術家として技巧を披歴し,存分に装飾を入れる事が出来た。聴衆は, 繰返しを熱心に期待していたに違いない。何故ならば彼等聴衆の興味の中心は,豊かな旋律のアリ アであり,歌手であり,声の美しさであったのだから。[鹿児島大学教育学部研究紀要34巻(1982年)102p~103p相原京子]

 

 

【上演の模様】

 主役のシーザー役は本来アルトやカスタラートの務めだったものが今回はどういう訳かメゾソプラノを当てています。メッツォでもソプラノはソプラノ、かなり高音域の歌手、彼女はこれまでこの演目では、ニレーノ役(クレオパトラの従者、元来アルトやカスタラートが歌った)を歌ったことがあるそうです(新国劇月間紙2p~3pインタビュー)。

 ここでカスタラートに関して若干記しますと、「ソプラノ・カストラート」や「アルト・カストラート」などに分かれていました。現在は人道的理由からカスタラートは存在しないため、当時のオペラなどのこのパートを再現する場合には、ソプラノやアルトなどの女性歌手、あるいはボーイ・ソプラノ、成人男性であれば カウンター・テナーやソプラニスタで代用されています。しかし、当時カスタラートを意図的に存在させた理由があるように、既成のパートではそれぞれの特色面でこれに欠ける点があり、完全な再現は不可能といわれる。つまり、ボーイ・ソプラノは声質や音域には問題がないが、声量や持続力など体力的に難があり、カウンターテナーは ファルセットのために高音部の声質に難があり、女声は声質自体が異なり軽く細い感じになる傾向にあるのです。

 ヘンデルの当時の歌い手に関して上記引用文献では次の様に記しています。

 ヘンデルは歌手の横暴に悩まされ続けた。だが,こうした事態に悩んだのはヘンデルばかりでは ない。 18世紀は歌手が作曲家を含めあらゆる人々を支配した時代であった。歌手がいて初めて作品 が生まれたその時代,オペラ作曲家の運命はすべて彼等との関係に委ねられていたと言えよう。 ヘンデルが彼等歌手のために払った犠牲は大きかった。だが彼等の存在が,あの美しい旋律に何らか の影響を与えた事は疑い得ない。非常な軽快さを必要とするパッセージや,複雑な音程の作品は, それを演奏する能力のある歌手が存在して初めて具現されるのである。またダ・カーポ・アリアが 歌手の創造的能力に負うところが大であった事は前に述べた通りである。 106 G.F.-ソデルのオペラ・アリアにおける(アフェクト)表現(II) –ヘンデル・オペラに参与した歌手の細かい数や,彼等の優秀さは,オペラのパトロン達の手紙や 日記に残されている。それらの称め言葉はさておき、ヘンデルが横暴な歌手に勝った2つの例を こゝに紹介しよう。シェルヒャーは,これをへンデルが倣慢な歌手に打勝った`歴史的証拠'と言っ ている。その一つは,クッツオーニがHFalsaimagine 《オットーネ》を歌うのを拒んだ時,彼は 怒って彼女を窓から突き出したという。もう一つは,カレスティーニが, "緑の牧場Verdiprati 《アル チーナ》を自分に合わないと言って,ヘンデルに突き返した時,彼の所へ行って"歌手にどんなも のが合うかは本人よりも作曲家の自分の方が良く知っている'と言って強引に歌わせた。これ等の事件がむしろ`ヘンデルの横暴'として騒がれた当時である。 ヘンデル・オペラで活躍した代表的歌手には次の人物が挙げられる。 ソプラノ:クッツオーコ,ファウステイーナ,ストラーダ 男性ソプラノ:セネシーノ バス二ボスキ,モンタニヤーナ 彼等のそれぞれの声の質に合わせて,ヘンデルは様々な要素を持ったアリアを作曲している。流れる様な発音,リズミックな軽快さを持ったファウステイーナのための作品,そのレースのような 魅力的なコロラトゥーラのパターンは,他のオペラには絶対に見られない。またクッツオー このために作曲された極めて美しい悲劇的アリアは他の人のためには作曲され得なかった。《アリオダンテ》 p.115 ex.31《ジュリオ・チェーザレ》p.83 ゴールドシュミットは"これら芸術家,クッツオーコ,ファウステイ-ナ---- のためのアリアには巧みな妥協がある'と述べている。彼の言う`妥協'とは何を意味するものであろうか。 –ヘンデルは作曲に際して無論特定の歌手に歌わせる事を念頭に置いた。だが,彼はそれだけに縛られる事は無かった。歌手の声の質や響きは,常に強力なヒントであったが,アリアの音楽的素材迄 もそれによって振廻されるという事は無かった。特定の歌手によって最も効果的に歌われながら, その背後には更に普遍的,永続的なものへのヘンデルの意志が感じられるのである。強烈なコロラトウーラを売り物にしていた当時の慣習に比べれば, ヘンデルのスコア一にコロラトウーラ過多の 例は稀であり,むしろ抑制されていると言える。そして,それは単なる技量の披涯に終る事なく, テキストとの緊密な統合,性格付けとの明らかな関連を示し,意味ある使用がなされている。ファウステイーナのものとてそれ程長くはない。 ヘンデルは装飾によって音楽の本質を欠く様な事は絶対に無かった。それでいて歌手の能力は充分に発揮された。即ち,彼は歌手をいかにうまく歌わせるかを心得ていたのである。現在我々の手にするヘンデルの楽譜,それはそれだけで美しく完全で あり, 歌の醍醐味を満輿させるに余りある。だが18世紀の歌手のレヴェルは,その後再現不可能な高い域に迄達していた。彼等の最大の技巧は即興的なものであり,その可能性を最大限に発揮させる よう作曲するのが,作曲家の技であった。最高の上演効果をもたらすのは,至る所に装飾の可能性の与えられた楽譜,余力のある楽譜だった。そこで歌手は持前の即興性を生かして,コロラトユー ラ,カデンツァを挿入し,作曲家との共同作業の素晴しい結果を生み出したのである。特にダ・ カ-ポ・アl)アの最後に初めの部分が繰返される時に,歌手は持てる力の全てを発揮した。これら の装飾はアリア・カソタビーレにおいて重要であり,歌手は良い趣味,創造力,鋭敏な判断力,それに加えて対位法の知識を持っていなければならなかった。クッツオーニはそれら全てにおいて素 晴しい才能を有していたと言われる。またバーニーによれば, "ストラーダは,ヘンデルのアリア =私に授けられるこの胸Quel corchenidonasti 《ロタリオ》において`素晴しい輝やかしい顛音' を30回以上使ったという。しかし`即興'ということの性質上,個々の細部にわたって詳しく知る事は難しい。装飾音楽の責任は,作曲された形においても,即興の形においても主として歌手に負 わされていたという事を我々は忘れまい。

[鹿児島大学教育学部研究紀要34巻(1982年)105p~107p相原京子]

 ヘンデル(1685-1759)の時代から270年近くも経った現代では、カストラートはもとより、技巧をウルトラCの様に駆使するコロラチューラーも殆どいないので、物語を基礎とした人間関係を重視した感覚で、配役の声域を選んでも良い気もします。

 様々なヘンデルのオペラの中で、この『ジュリアス・シーザー』は特に好きな演目なので、昔、録音(NewYork City Opera1967年 )を買い求め、数十年間もちょくちょく聴いて来ました。その録音では、シーザー役とニレーノ役には、何れもBass Baritonを配し低い声で男の魅力を出している。それはそうでしょう、歴史的にも指折り数え上げることの出来る大英雄で、ローマ帰還時には羅馬の全てと言ってもよい人々をもってして「シーザー、シーザー、万歳、万歳」と熱狂の大歓呼で迎えさせた男粋を有した将軍ですから、軟弱では物語になりません。強すぎる男が美しすぎる女性と交わす愛のやり取りがあってこそ、この演目のだいご味が味わえるとも考えられるのです。そうすれば二人のアリアももっと引き立ったと思いますよ。(最終場面の二人の重唱他)

 第一幕の第4場で晒し首にされた夫ポンペイウスを見たコルネリアは気絶し、気がついた時に歌うアリアです。晒し首と言っても今回の演出では、大きな首から上の石膏像をその代わりに使っていましたが。

①「(CORNELIA)Priva son d'ogni conforto,e pur speme di morire per me misera non v'è.Il mio cor, da pene assorto,è già stanco di soffrire,e morir si niega a me. (parte)」

 ❝心の支えを全てなくし 死の望みさえもない 何と哀れな私 深い苦悩に私の心は 耐えきれず疲れ果て それでも死は私を拒む(出て行く)❞

 やるせないどうしようもない絶望の気持ちをコルネリア役の加納さんは卒無く歌っていましたが、精彩に少し欠けていた感がする。

 

第8場で、クレオパトラが歌う

②「Tu la mia stella sei,amabile speranza,e porgi ai desir' miei un grato e bel piacer.Qual sia di questo core la stabile costanza, e quanto possa amore, s'ha in breve da veder. (parte)」❝愛すべき希望よ あなたは私の星 そして私の願いに 心地良い喜びを与えてください。ほどなくわかるはず、 どれ程揺ぎない意志が この心にあるか そして愛がどれほどの力を持つか (出て行く)❞

というアリアを森谷さんは何回か歌詞を繰り返し歌い、最後はコロラチューラを相当効かせて歌ったのでした。軽快な喜々とした歌声でした。クレオパトラの心は希望に溢れていたのでしょう。この歌詞にあるamabileは愛らしいという意味、日本のカルテットの名前にもありましたね。

第9場で、シーザーがクレオパラの弟であるエジプト王、トロメーオに会い、二人は互いに腹に悪略を抱いているが表面は接見している振りをして話をします。そしてシーザーが歌うアリアです。

③「Va tacito e nascosto, quand'avido è di preda, l'astuto cacciator. E chi è mal far disposto, non brama che si veda l'inganno del suo cor. (parte con seguito)」

❝抜け目の無い狩人は 獲物を襲う時 静かに身を隠して進む 悪行を企む者は その策略を決して見透かされまいとする(随員と共に退場)❞

シーザー役のタイトルロールを歌うのは、先にも論じたメゾソプラノのマリアンネ・ベアーテ・キーランド、ここでの腹芸をうまく表現で来たかという以前に、やはりシーザーとしての大物感、ズッシリ感が全然感じられない軽い役が歌っているが如しで失望感のみが残りました。第一声量が非常に無い。コロラチュールは確かにいつも入って歌っているが切れが良くないし歌声も小さかった。声楽中心に歌ってきた人なのかも知れません。オペラに向いていないのでは?

 

第二幕

 ここでは何と言ってもシーザーとクレオパトラの出会いの場が美しく歌も素晴らしい、ヘンデルの腕の第一の見せ処で圧巻でした。

第2場でリデイア(実はクレオパトラの偽名)を待つシーザーが、クレオパトラの使い走りニレーノに、どこだリディアは?と言う間もなく遠くから綺麗な音楽(と歌)が流れて来てクレオパトラが現れ、アリアを歌いました。。

①「CLEOPATRA (nee vesti di Virtù) V'adoro, pupille, saette d'amore, le vostre faville son grate nel sen. Pietose vi brama il mesto mio core, ch'ogn'ora vi chiama l'amato suo ben」❝クレオパトラ(「美徳」の姿で) 私はあなたを恋い慕う、瞳よ愛の矢よ そのきらめきは 私の心を喜ばせる 打ちひしがれた私の心は 切なくあなたを求め 愛するその人を いつも呼んでいる❞

 クレオパトラ役の森谷さんは伸びのある高音を力強く繰り出し、何回か繰り返し歌う最後の節ではコロラチュールの修飾音を沢山使ったカデンツァ的歌声を見事に歌い切りました。 今回のオペラの中では、このクレオパトラのアリアが一番好きなので注目して聞いていましたが、森谷さんの歌唱は十分満足出来るものでした。欲を言えばやや硬めの声質とお見受けしたので、柔らかく高音部も歌えればさらに素晴らしくなると思うのですが。  

 

第三幕

 次にこのオペラで一般的に一番有名なアリアと見なされ、リサイタルなどでも単独で歌われることが多い、第3場でのシーザーは死んだものと思って嘆き悲しむ歌(と言っても何か醒めた悲しみ、哀愁を漂わせた歌)を歌うクレオパトラのアリアです。

①「Piangerò la sorte mia, sì crudele e tanto ria, finché vita in petto avrò.
Ma poi morta d'ogn'intorno il tiranno e notte e giorno fatta spettro agiterò.
(parte con le guardie)」❝私は わが運命を嘆くでしょう こんなにも辛く 邪悪に満ちたわが運命をこの胸に命ある限りでも死んだ後はあの暴君に夜も昼もまとわりつき亡霊となって苦しめてやることでしょう(衛兵と共に出て行く)❞

クレオパトラ役の森谷さんはこのアリアを、これまでそれこそ何十回、何百回となく歌って来たのでしょう。彼女の今日のアリアの中で最高の出来映えだと思いました。                

 時間の関係で割愛しますが、以上例を挙げた場面の他にもこのオペラは、古典的バロック名曲の宝庫とも言える程多くの美しいまたは重厚な歌、面白いアリアや重唱etc.に満ち溢れていました。又その背景を飾るオーケストラ演奏が良い。歌がいいと思われる箇所が少なかった分、東フィルが絶え間無く心地良いアンサンブルでバロック音楽を流して呉れたので救われた気持ちになりました。また出番は少なかったのですが、分厚い合唱の雲のような流れは舞台場面を盛り上げました。合唱団は新国立劇場合唱団、今年は他のホールでも様々なコンサートで活躍の由、ご同慶の至りです。リナルド・アレッサンドリ指揮の東フィルの演奏は今回もいつもながらの高水準の演奏を披露、全部ではないですが、楽器によっては古楽器を使っていた様です。はっきりとは見えませんでしたが、楕円形の大きいマンドリンの様な楽器が二つ、良く見えませんでしたがテオルボらしい。この指揮者は相当のオペラ(特にバロック向け?)に向いた人なのでしょう。歌唱を引き立たせることに腐心している様に伺えました。

 最後に、今日の舞台、演出に関して一言。オペラ冒頭から様々な古代エジプト、ローマ・ギリシャを小道具が沢山使われました。絵画まで色々あった。塑像はシーザーやポンペイウスの場面に関連づけられていてすぐ成程とうなずけるものがあったのですが、様々な絵画も出て来て、クレオパトラらしき絵もありましたが、意味するところがはっきりしないし(多分聴衆に絶世の美女をイメージさせるためかな?と思ったり)、木箱を積み上げた様な高台は玉座、王座だと思うのですが、余りにお粗末、最後のシーザーとクレオパトラの目出度し目出度しの二重唱フィナーレの場面としては粗末過ぎないでしょうか?(素晴らしい詠唱に満ち溢れていた内容のオペラの締め括りだったらそれでもいいと思うのですが)


このオペラを観る前は、名曲に溢れている演目だから「歌さえあれば何もいらない。演出はどうでもいい」と思っていたのが裏目に出ました。

尚、これまで見たヘンデルのバロックオペラとしては、昨年観た『セルセ』が非常に面白かったので参考まで以下に再掲します。

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2021-05-23 hukkats Roc.

バロックオペラ/ヘンデル『セルセ』観賞

 ヘンデルのオペラ『セルセ(Serse)』の第二日目を観て来ました。兎に角面白かった。演奏は、バロックコンサートそのもの、鈴木秀美指揮のバロック・オーケストラでは、如何にもヘンデルらしい響きのアンサンブルを堪能、伴奏の域を越えます。オペラではアリアも聴き応えのある物ばかり、舞台では、ダンスを多く取り入れて内容表現をバックアッブ、選りすぐったアリアを中心に進む物語を、通常のオペラより分かり易くし、かといって演奏会方式とも異なる舞台の醍醐味も感じることが出来る、新しいオペラの形式を創り出している。そうか、これが、「ニューウェーブ」かと納得したり感心したり、演出を手掛けた中村芙蓉さんという名は、今回初めて知りましたが、今日のオペラに関しては、大成功だったっと思います。

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 このオペラは、ゲオルグ・フリードリッヒ・ヘンデルが 1737-8年に作曲したイタリア語のオペラ・セリアです。オペラ・セリアと言えば一般的に、喜劇オペラ(オペラ・ブッファ)に対して「Seria(伊)=Serious(英)」の意味の如く、Seriousなオペラでした。しかし、今回は、「ニューウェーブ・オペラ」とチラシでも大きく謳っているので、どんな風に演出されたものなのかも、興味がありました。オペラ・セリアはほとんどが宮廷や君主・貴族のために作曲され演じられました。ヘンデルは、ドイツ人作曲家で、1710年に25歳でハノーヴァー選帝侯ゲオルグ・ルートヴィッヒの宮廷楽長となりました。1714年にイングランドでスチュアート王朝の王統が途絶えたため、縁戚だった選帝侯が、英議会などの要請によりイングランド王ジョージ1世として即位したことにより、ヘンデルもその後を追ってたびたび英国に渡り、作曲したオペラなどの上演もして人気を博していて、1727年には英国に帰化しました。 

 ヘンデルはオペラを約50曲作曲しましたが、没後は大部分が忘れられてしまった。ただオペラの一部、例えば上記の『セルセ(クセルクセス)』中の「オンブラ・マイ・フ(懐かしい木陰よ)」は「ヘンデルのラルゴ」とも呼ばれて親しまれ、そのほか『ジュリアス・シーザー』中のクレオパトラのアリア、『リナルド』の中の「私を泣かせて下さい」などの歌は、現代でも有名な曲として知られています。1990年代当りからはオペラの再興・蘇演が非常に盛んとなり、ヘンデルは、今日では器楽曲よりもバロック・オペラの代表的作曲家として人気が高まっています。こうしたことから今回演奏された『セルセ』はたまにしか上演されないオペラなので、是非観に行きたいと思っていましたが、都合上初日(土)は聴きに行けませんでした。

 プログラムの概要は次の通りです。

【日時】2021.5.23.(日)14:00~

【会場】めぐろパーシモンホール 

【管弦楽】ニューウェーブ・バロック・オーケストラ・トウキョウ(NBO)

【指揮】鈴木秀美

【器楽編成】二管編成弦楽五部5~6型+チェンバロ2+テオルボ+ブロックフルーテ2

【合唱】二期会合唱団

【演出】中村蓉

【監督】大島幾雄

【衣装】田村 香織

【装置】松生紘子

【照明】喜多村 貢

【舞台監督】幸泉浩司

 

【出演】 

 セルセ:澤原行正                              

 アルサメーネ:本多 都
 アマストレ:長田惟子
 アリオダーテ:田中夕也
 ロミルダ:塚本正美
 アタランタ:新宅かなで
 エルヴィーロ:堺 裕馬

登場人物相関図

【粗筋 H.P.より】

第一幕

フランス風序曲の後、セルセ(Sと略記)王は将軍アリオダーテ(Aと略記)の娘のロミルダ(Roと略記)を見初める。しかしロミルダはセルセの弟のアルサメーネ(Arと略記)とひそかに愛しあっていた。セルセはロミルダと結婚しようとし、それを止めようとしたアルサメーネを追放する。傷心のアルサメーネはロミルダへの手紙を書き、従者エルヴィーロ(Eと略記)にことづける。

一方、セルセには遠い国にアマストレ(Amと略記)という婚約者がいた。アマストレは危険を避けるために男装してセルセのもとまで旅するが、セルセが自分以外の者と結婚しようとしていると知って怒り、男装を解かないままセルセに復讐しようと考える。

 

第二幕

エルヴィーロが花屋に変装してやって来るが、アルサメーネに横恋慕しているアタランタ(At)がエルヴィーロをだまして手紙を奪う。アタランタはこの手紙を自分あてのものといつわってセルセに渡し、自分とアルサメーネ、セルセとロミルダが結ばれるように画策する。セルセはこの手紙をロミルダに見せるが、ロミルダの愛は変わらない。

ペルシア軍はヨーロッパを攻撃するための橋を建設する。このときセルセはアルサメネに会ってアタランタと結婚するように言うが、アルサメネは自分がロミルダを愛していると主張する。その後、嵐によって橋は破壊される。

アマストレは自殺しようとするが、エルヴィーロに助けられる。その後、ロミルダがセルセに誘惑されて危険な状態になるが、男装したアマストレに助けられる。

 

第三幕

アルサメネとロミルダに責められ、アタランタは自分の嘘を認める。

セルセに脅迫されたロミルダは、父の将軍が認めるならばセルセと結婚すると言ってしまう。それを物陰から聞いていたアルサメネはロミルダを非難し、ふたりの関係に亀裂が走る。

セルセは将軍に向かって「ロミルダが王家の人間と結婚すること」の許可を求める。将軍は喜んで認めるが、娘の結婚相手をアルサメネだと思いこむ。

セルセがアルサメネを殺すことを恐れたロミルダはアルサメネに危険を告げようとするが、ふたりは喧嘩になる。しかし将軍のところでは結婚式の準備が整っており、ふたりを見るとその場で結婚させる。そこへセルセがやってきて将軍の誤解に気づき、アルサメネにロミルダを殺すように命令するが、アマストレが割ってはいり、自分の正体をあかす。セルセはそれまでの自分の行いを謝罪し、アルサメネとロミルダの結婚を祝福する。

 

【主な演奏曲目】

〇第一幕

・序曲

・ジグ

・セルセのアリア「オンブラ・マイ・フ」

・シンフォニア

・ロミルダ他のアリオーソ「おお皆さま---」

・ロミルダのアリア「可愛い綺麗なあの小川は」

・セルセ/アルサメーネのアリア「彼女に愛していると伝えよう」

・アタランタのアリア「ええ、そうよ 愛しい方」

・ロミルダのアリア「ましてや心に不実の影がさし」

・アマストレのアリア「姿は変えても心は変わらない」

・兵士合唱「かっての喇叭は戦闘に隊伍を組めと響いたが」

・アリオダーテのアリア「運命(の星)を我が意に従わせようとは思わない」

・セルセのアロア「この心の炎を思えば思う程に

・アタランタのアリア「なよかな仕事、気取った微笑み」

 

〇第二幕

・エルヴィーロのアリエッタ「美しい庭で咲いたお花はいかが」

・アタランタ及びエルヴィーロのアリオソートとレシィタティーヴォ「泣き暮らすようにと愛は私に定めている」

「ああ!美しいお庭の花はいかが?」

・エルヴィーロのアリエッタ「ああ不実な虎だ!」

・アタランタのアリア「あの方はおっしゃるでしょう」

・セルセとアリアロミルダの二重唱「彼を愛するか」「愛します」

・セルセのアリア「ソナタを蔑む者を」

・ロミルダのアコンバニャート「あの人を愛する?」

・ロミルダのアリア「それは妬みです。」

    <30分の休憩>

(二幕続き)

・アマストレのアリア「不実な人よ 私は裏切られました」

・アルサメーネのアリオソーゾ「この苦しみを終わらせるために」

・エルヴィーロのアリア「愛する愛しいバッカスの飲み物の国に」

・アマストレとセルセの二重唱「嫉妬とは大きな苦しみだ」

・ロミルダのアリア「抗う星々の怒りに屈する者は」

〇第三幕

・シンフォニア

・アタランタのアリエッタ「大丈夫よ、お姉様に軽蔑されても」

・アリオダーテのアリア「天井の愛のかくも素晴らしい運命を」

・アマストレのアリア「私の苦悩の原因は私自身にある」

・アルサメーネとロミルダの二重唱「私の真心を余りにも侮辱なさる」

・合唱ゼウスが定めたことを」

・合唱「薄幸の者が」

・セルセのアリア「恐ろしい地獄の残忍な復讐の神々よ」

・合唱「私たちには平和が戻り」 

 

尚、演奏会に来る前に予習として、家にあった3枚のCDを聴いておきました。

Carolyyn Watkinson(Serse;Mezzo)         Paul Esswood(Arsamene;Countertenor )

Ortrun Wenkel(Amastre;Contralto)        Barbara Hendricks(Romilda;Soprano)

Anne Marie Rodde(Atalanta;Soprano)   Urlik Cold(Ariodate;Bass)

Ulrich Studer(Elviro;Baritone)                       Eensemble Vocal Jean Bridier ・  

La Grande Ecurie et la Chambre du Roy  Jean Claude Malgoire,Conductor

【上演の模様】

 登場人物の配役は先に書いた通りですが、ヘンデルは初演の時、歌手の声域と声種を、以下の様に指定していました。

セルセ(ソプラノカストラート)、アルサメーネ(コントラルト音域の重いソプラノ)、アマストレ(コントラルト)、ロミルダ(ソプラノ)、アタランタ(ソプラノ)、アリオダーテ(バス)、エルヴィーロ(バス)

 オペラはレスィタティーヴォで会話が進み、その間に多くのアリアが挟まれています。

以下に自分で聴いて良かった箇所、好きな個所をピックアップしました。

〇第一幕

冒頭最初のアリアが超有名な曲であるのも不思議ですね。

1場

①Serse(王)が歌う 

 ❝ Ombra mai fu di vegetabile cara ed amabile soave più   ❞  「いまだかつてなかった いとしく、優しく、とても心地よき 木の陰よ」     

アルサメーネがエルヴィーロを伴って、登場展望台で歌うロミルダに近づきます。

冒頭から驚いたのはダンサー13人が歌手に交じって、というより歌手がダンサーに交じって演技しながら出てきた事。ダンサーは黄色や緑、一部紫の衣装をまとい、セルセ王はシャツにチョッキ、半ズボンに白っぽいソックス姿です。オンブラマイフを歌う時はダンサーが集合、人垣でプラタナスと木陰を表現そのそばでセルセは超有名曲を歌いますが、男の高めの声でのこの歌は合わないのか、良い印象は有りません。先ず元気がない声、王たる堂々さが無い(これはステージが進むにつれそうだったかという理由が分かりましたが)、綺麗な声でない(いつも女声で聴き慣れているからなのか?)先行き案じられました。

2場

②ROMILDA (nel belve dere) (展望台で)                                  
❝O voi, che penate per cruda beltà un Serse mirate,che d'un ruvido tronco
acceso sta,e pur non corrisponde altro al suo amor,che mormorio di fronde❞                                 「おお、つれない美女のために苦しんでいるあなたがた、セルセ様のようなかたが ざらざらした木の幹に恋焦がれているのを、あの人の愛には葉っぱのざわめきしか返ってこないのに」としみじみと歌うのです。これはオンブラマイフを皮肉っているのでしょうか?恋人のアルサメーネは従者エルヴィーロを伴い、こっそり歌を聴いています。  ロミルダ役の塚本さんは本格ソプラノの麗しい声で歌いました。

3場

この場に王のSerseが登場、自分に関する歌を誰かが歌っているのを聴いて、アルサメーネに、あの者を知っているか、もっと歌が聴きたいと言うと、ロミルダはさらに清らかさに満ちた歌を歌うのでした。                        ③ROMILDA                                 

 ❝Va godendo vezzoso e bello quel ruscello la libertà. E tra l'erbe con onde chiare lieto al mare correndo va❞  

「この小川は自由気ままに 可愛らしく美しく楽しみながら流れていく 草原の間をきらめく波とともに 陽気に海へと駆けていく」                      チェンバロ伴奏に時々ブロックフレーテの相いの手が入って、塚本さんが軽快にさわやかに歌ったこの歌もいいですね。

 この様な歌を歌って愛を掻き立てる女は、後宮に入れようと思うと王は言うのです。  これも隠れて聴いていたアルサメーネは、自分と愛し合っているロミルダのことなので大慌て、❛歌う者はロミルダという名で、将軍の姫君なので、はした女を入れる後宮には相応しくない❜と王に反対します。すると王セルセはそれでは花嫁としようと言うと、すかさずまた反対して、王女でない臣下の将軍の子なので、玉座には上げられませんと答えます。しかしセルセ王は、ロミルダに執着し、アルサメーネは、そのことをロミルダに伝えてくれといわれても、今度も口を濁しているので王は、自分で伝えに行くといってアリアを歌うのでした、(余が彼女に愛していると告げる・・・・)と。王が退場すると、同じメロディでアルサメーネ歌いました。

S役の澤原さんの歌とAr役の本多さんの歌を比べると男と女の違いと言うより声質の差ですね。前者はやや声が研ぎ澄まされていない、後者は印象に深くない声です。歌は本多さんはうまかった。

4場

Roの心変わりを心配するArが、「古い樫の木でさえも大地震で揺れ動く」と例えますが、Rは決然と心は離れないと言って愛を確かめるアリアを歌います。

(樫の木と言えば、日本にも本当に何百年経つかも分からない程の古木の大木があったことを記憶しています。余談ですが。)

5場

王のSが現われ、思った通りにしようと、Arを即刻出ていけと怒るのですが、Roを手放すと約束すれば、情けを掛けてやると鞭と飴で脅すのです。Arは私は出て行って死んでやると、アリアを歌うのでした。舞台では王の部下らしいダンサー達によって恋人同士は拉致され連れ去られてしまいました。

6場

 これまでの様に王Sの横暴な愛情と、恋愛を引き裂かれたRoとArの変わらない恋慕の思いの葛藤に加え、Roの妹アタランタのAに対する横恋慕が物語をややこしくし、彼らのやり取りが第15場まで続きます。ここでは、その中で、聴き処の歌、良かったなと思った場面の歌や印象深い歌を列挙することにします。 

 6場~7場ではアリアより、むしろその伴奏の器楽曲の方が、とても綺麗に澄んだいかにもバロック調の心地良い響きがありました。印象に残る歌を敢えて挙げれば、7場最後のアリア(不実の影によってでさえも、私の心を裏切りたくはない)でしょうか。

8場で初めて王セルセの許嫁アマストレが、第9場では、Roの父親アリオダーテが登場します。アマストレ役の長田さんは、かなり太い声の男装したら女性と分からないかも知れない声質ですが、良く聞くとやはり女声、ソプラノと言うよりメッゾに近い声。

かなり力強く歌っていました。

     ④9場の合唱 「人々を軍隊に呼びあつめたトランペットが優しい調べに変わり・・・」と速いテンポで、やや宗教音楽ッポク、勇壮な調べを響かせムーア人との戦争勝利を讃えます

 歌を聴いた限り、セットの上の階上で歌う姿を見る限りは男声合唱に聞こえましたが、女声も交じっていたのでしょうか?

11場で王の裏切りを知るアマストレ。ここでの注目歌唱は、                       ⑤王のアリア「心の中の炎を思う程・・」です。Sの燃え上がる心の炎と苦悩をゆったりと歌うのですが、ここでの歌い方は歌手によって出来不出来がはっきりする処、S役の澤原さんは、立ち上がりよりは声が出ていましたが、やや物足りない感じでした。

⑤13場でアマストレが歌うアリア「傷ついた私の心は、復讐を立派に果たせるだろう・・・」ここでも軽快な管弦のアンサンブルがバロック特有の透き通った調べを奏で、Am役の長田さんは、それに歌を乗せるのですが、“復讐”という怨念の籠った感じは余りしないアリアでした。

15場、第一幕最後のアリア

⑥「優美な仕草や愛嬌のある笑顔、目くばせで惚れさせられる・・・」と歌うRoの妹アタランタは随分策略家ですね。この歌は軽快でリズムが面白いし、策略を考えること自体漫画チックで滑稽感のあるアリアです。これを新宅さんは生き生きした透明な若い声で歌いました。新宅さんの役柄は性格が決して良いものではなく共感が呼べませんが、ただその歌う歌は場面場面に相応しいしかもコミカルな愛嬌もあって、仲々役柄にマッチした歌手だと思いました。声質は真直ぐの澄んだ良く通る綺麗なソプラノで、例えれば、NHKの子供番組の歌のお姉さんかな?

 

〇第二幕

1場

冒頭の花屋に扮したElが歌うのですが、今日はこれまたびっくり、花屋でなく花を愛でる、花をあしらった飲み物を出すカフェバーの舞台セットに、ElとArがたむろして飲んだ愚れています。

⑦エルヴィーロは、如何にも滑稽感を表面に出し、お調子者風にして花風味のカクテルを出し、王の城下に潜り込むのでなく、「花やバー」にRoが来ないか待っている様子。

Arに頼まれた手紙をRoに渡すためでした。ここで歌う堺(バリトン)のElは、声質は

まだまだ研ぎ澄まされていない感はありますが、太い魅力的な歌を歌っていました。    

 それを小耳にはさんだAmは花屋バーで色々聞き出そうとします。ここでのElが歌うアリアもどきのレシィタティーヴォがふざけた調子で面白かった。        ⑧❝Ariodate ,de chisuta citta signor,che stare a re vassallo, aver figlia Romilda,~❞とおどけた調子で歌いました。笑ってしまいます。「セヴィリアの理髪師」バジリオを思い出します。

 今日の演出は意外性がある場面もかなり有りましたが、それらは、良く考えこまれた優れた場面設定だと思いました。オペラの本筋から脱線し過ぎていない、というか成程そういうことも有りか!と説得力のある舞台運営でした。しかもSeria でなくComicoなオペラを追求している姿勢が出演者達にも 満ちみちていました。

5場の冒頭で歌うRoの嘆き悲しむみしかも疑心暗鬼の狂乱とまでは行かないですが、怒り狂って取り乱して歌う

⑨「彼を愛せるの?本当ではないでしょう?・・・」は、塚本さんがかなり大声で処によりキーと叫ぶ高音で歌っていました。

7場最後の

⑧Arの嘆きのアリアはしみじみと怒りを腹にしまって歌うのでしたが、天にも恨みつらみを言いたい気持ち、その気持ちを本多さんは相当怒りをぶちまける歌い方で歌っていました。

それから合唱がいいですね。8場冒頭の

⑨「勇敢な心のみが、アジアと対岸を結び付けることが出来た。万歳、万歳、王様!」と歌う軍船の船乗りたちの歌声、スカッとします。この合唱が何回か繰り返されます。

9場で王と弟の対決というか、愛する女をめぐるやり取りがあるのですが、レシィタティーヴォなので歌としては置いておいて、この辺のアリアを挙げるならば、10場のアタランタの「陛下は私に愛するなとおしゃいますが」やセルセ王の「心は希望し恐れる・・・」でしょうか。

11場では雷鳴が鳴る筈なのですが、ティンパニーで表現するのかなと思っていましたが、これは省略。 

12場の最初ではアマストレが王に近づき、互いの苦しい気持ちを歌います。

⑩SとAmの二重唱「嫉妬は大いなる苦しみだ。」は交互に別な人に関する愛の悩み・苦しみを歌いますが、澤原さんと長田さんは、相当力を込めていた感じでした。    

⑪ロミルダのアリア「抗う星々の怒りに屈する者は」は塚本さんのこのオペラの(タイトルロール)ではないですが、主役とも言える程の立派な歌い振りでした。


〇第三幕 ここに至って、問題をこじらせた手紙のいきさつの真相が明らかにされ、ロミルダとアルサメーレの誤解が解ける場面です。

冒頭のシンフォニアも将に古典音楽の弦の響きを展開する落ち着くいい調べでした。鈴木オーケストラは指揮者のヘンデルを深く良く理解していることが分かるタクトの振り   でした。時として歌手のアリアでは手を休めしかし歌う歌手の顔は見つめ目でも合図を出していたのでしょうか。

この楽章では一曲だけ挙げるとしたら11場での

⑫Serseの歌うアリア、❝Crude furie deglorridi abissi~❞ 「恐ろしい獄の残忍な怒りよ・・・」でしょうか。ここでは澤原さんは最後の力を振り絞って、主役はこのSerse

だと謂わんばかりい歌っていました。

 満席に近い会場からは終演後大きな拍手が、カーテンコールの度にも鳴り響きました。

 兎に角今日のオペラは、非常に楽しかった。これまで何回もオペラを聴いてますが、これまでにない非常に面白い舞台でした。これならば、(字幕だけでは言葉が良く理解出来難い)日本のオペラファンの理解と共感を得ることが出来、さらに広い層にオペラファンが広まっていくのではなかろうかとも思える演奏、演技、演舞でした。