【演奏】ファビオ・ルイージ指揮N響
【演奏日】2022.9.10.NHKホール
【曲目】ヴェルディ『レクイエム』
【出演】ファビオ・ルイージ、NHK交響楽団、ヒブラ・ゲルズマーワ(S.)、オレシア・ぺトロヴァ(MーS.)、ルネ・バルベラ(T.)、ヨン・ガンチョル(Bs.)、新国立劇場合唱団
【放送日】2022.10.02.21:00~23:00
NHK・Eテレ(地上波2CH)
【録画鑑賞日】2022.10.4.~10.7.
【感想】
この演奏会は聴きに行きませんでした。それには理由があって、この曲を聴くと自分の気持ちが、非常に悲痛になるのです。いたたまれない苦しさがこみ上げて来る。特に「怒りの日」など聞くに耐えません 、激しいオケの音に載せて大合唱が ❝その日は世界が灰燼に帰す日 ❞と叫ぶ、 ❝ダビデとシビラの予言通り 怒りの日、その日は世界が灰燼にきすのだ!❞と歌うのです。続くホルンの音に合わせ ❝ラッパの響きが、ラッパの響きが、各地の墓から 全ての者を王座の前に集合させるのだ❞ ❝死も自然も驚くだろう。❞と合唱が叫ぶ。続いてバスの深い沈んだ声で ❝創造物を裁く者(神)に弁明するために蘇る時、死よ、死よ、死者も驚くであろう❞ 何故か?それは ❝審判者がその座につく時、隠されていたことすべてが明らかにされる罪状審判書が提出され、罪を逃れるものは誰ひとりとして無い。❞と、女声が高らかに歌うのです。
これは将にいま世界で起っている戦争及びそれから起こるかも知れない世界の破滅を予想している曲ではなかろうか?戦争を戦っている者、戦争を指導する者のみならず、戦争を防げなかったのは人々皆の責任、核爆弾ですべての人が死に滅びても、人類のその隠された悪行は暴かれ、罪が裁かれる。そうなのです、ヴェルディの曲は個人の死者に対する哀悼の意と死者のための安息を願う曲ではなく、すべての死者のその罪を暴き、それを天上者が裁く側面が音楽で大きくクローズアップされ強調されているのです。勿論作曲された歌詞は伝統的なキリスト教の典礼文を使っているので、その中の「Sequentia」には、❝怒りの日❞ ❝奇しきラッパの響き❞等の歌詞は昔からある訳ですが、ベルディの曲は、他にレクイエムを作った他の有名作曲家、モーツァルト、フォーレ、ブラームス、ベートヴェンの荘厳ミサ曲等々と比べても、はるかにそれ等を超えた激しい怒りの調子の旋律が多い。まさに❝怒りの日❞の最たる曲です。この曲では、終盤でも ❝怒りの日❞を繰り返し、全体的な曲のイメージを決定付けています。
ヴェルディはどうしてこの様な迫真の恐ろしい曲を作ったのでしょう。
ヴェルディは自分が敬愛するマンゾーニ(19世紀初頭に活躍したイタリア小説家、『いいなずけ』が有名)を追悼して作曲し、その一周忌(1874年)にミラノで初演されたものです。その音楽の劇的性格からして、初演時以降「あまりにイタリア・オペラ的」「ドラマ性が強すぎる」「劇場的であり教会に相応しくない」として、器楽演奏や内面の吐露などを描くこの作品への批判が多く悪評されてきました。ヴェルディの妻、ジュゼピーナ(当時名を馳せたソプラノ歌手でもある)は、こうした批判に対して❝彼がどう詩句を感じ、どう解釈したのかに従って書くということが重要なのです❞ 。❝ヴェルディのレクイエムがA氏の、B氏のあるいはC氏の影響を受けなければならないのだとしたら、そんなものは懲り懲りです。❞と擁護しました。
当時の欧州は列強の戦争が絶えず、イタリアはその影響を受けていました。1870年から1871年には仏独戦争が勃発、ドイツのビスマルクが勝ってナポレオン3世の失脚に繋がり、失地回復をアフリカに求めたフランスがチュニジアを占領すると、もともとリビアに権益の関心を持つイタリアはドイツ、オーストリアに急接近し、1882年の三国同盟に発展するのです。従ってイタリア国民としてもいつも戦争勃発の恐怖心を抱いていたでしょうし、実際隣国に肉親や親戚がいる場合、戦争にまき込まれて死ぬ人もいたでしょう。こうした状況が、ヴェルディの作曲心理に影を落としていたことは十分考えられます。
有名な作曲家が亡くなるとレクイエムを流して(演奏して)送る例には事欠きません。
マドレーヌ教会で行われたフォーレの国葬には、彼自身の「レクイエム」が流されたようですし、ショパンの時も同寺院で同曲でした。モーツァルトだって貧困に喘えいだ死を迎えなければ、無名墓地に葬られることも無く、シュテファン寺院で自分の「レクイエム」により送り出されたかも知れない。 ヴェルディの葬式はどうかというと、自分の「レクイエム」でなく、今では第二のイタリア国歌ともいわれる『行け、わが想いよ、黄金の翼に乗って』が演奏されました。25万人もの群衆が別れを惜しんだと謂われてます。彼のレクイエムの余りの激しさと関係ある様な気がします。
冒頭に戻ります。N響のルイージが「首席指揮者就任記念演奏会」の第一弾にこの曲を持ってきて演奏したのが9月10日、この日までのウクライナの戦争の状況はウクライナが反転攻勢に出始めた頃で、そのため逆攻撃を原発等に受けていました。原発の電源が使えなくなれば、福島原発の悪夢の再来です。原子燃料は冷却されず、どんどん温度が上がって何れ核爆発に至るかも知れないし、その前に福島の様に水素爆発などにより放射能が欧州一体にまき散らされるかも知れない。こうした恐れが一段と強まっていた時期でした。その上ウクライナを攻撃する側は、自国の領土がウクライナだけでなく西側により万一攻撃されれば、核兵器による反撃も行う可能性を度々声高らかに宣言しているという時期でもありました(これらの状況は今現在でも続いていますが)。従って自分の気持ちの中では、将に世界の破滅の危機に臨んだ状況を激しく弾劾していると思われる、ベルディの『レクイエム』を聴きに足を運ぶ気にはなれず、池袋藝劇で別の音楽を聴いたのでした。
その後NHKがこの時の演奏会をテレビ放映するという事が分かりました。でもその放送日はラトルの来日演奏会とダブっていて、都合がつかなかったのでテレビ放送を録画に収めて、都合が良くて自分が聴きたくなった時に見ることにしたのです。中々見れなかったのですが、ここ数日少しずつ見ることが出来たので若干感想を記します。
全体的にルイージの意気込みがひしひしと感じる力演でした。又四人のソリストの歌声が素晴らしい。昨日聴いたオペラ『ジュリオ・チェーザレ』の主役を歌って貰いたいくらい安定した伸びのある本物の歌声を四人は披露していました。世界には探せば歌の上手な歌手は沢山いるのですね。
最後にSop.ソロと合唱が ❝その恐ろしい日に、永遠の死から解放して下さい。❞と管弦楽の全強奏と共に大きな歌声を張り上げ、祈りの言葉で幕を閉じるのでした。この最後の言葉が作曲したヴェルディ及び演奏指揮したルイージの切なる願いではなかったかと思われる演奏会でした。
番組の残りの時間は、ルイージの個人生活に関するもので、これもかなり驚きで興味深いものでした。
ルイージはヴェネチア生まれ体がスポーツをやるには弱かったので両親が音楽の道に進ませたとのこと。
最初はピアノを習い、二十近くで指揮を始めたそうです。
現在はスイス・チューリッヒの湖に面した館の一画に住んでいます。窓からは見事に綺麗な景色が見える。
リビングの棚や壁には、妻と共に買い求めた品々が飾ってありました。
書斎には多くの本が、中には日本の書籍もあるそうです。
壁一面の棚に飾ってある小瓶は何でしょう。
何と香水調合の実験室だと言います。
実際にルイージが原液の一つの瓶からスポイトで一定量ビーカーに入れました。そして同様に別な原液を採量して混ぜます。
さらに冷蔵庫から取り出した第三の揮発性成分を同じビーカに加えて三成分からなる香水を作成してみせるルイージ。まるで調香師そのもの。オーケストラの音造りも同じ様なものだと言います。これからN響で、どの様な美しいメロディ、アンサンブルを調香して聴衆にかぐわしい音の香りを届けてくれるのでしょうか。楽しみですね。